はてなキーワード: SWitchとは
https://anond.hatelabo.jp/20240723221015#
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CSやるまとまった金無い(ちまちまつい使っちゃう)か、ゲームじゃなくてコミュニケーションが目的の層だと思ってるよ
ワイはウマやるけど、スマホでアクションや本格RPGやりたくないっす
ただUIとグラがスゲーので、それは必ず見るためにインスコしてる
スゲ〜って堪能したらアンインスコだな
あとゲーミングPC
母艦PCは下記の増田でぽまいらに相談した後、結局自作しました、53万くらい
RTX4090+Intel乗ったパソコン欲しいんやがこれどう思う?
https://anond.hatelabo.jp/20230414081443#
つかBlu-rayドライブ付ける予定だったんだけど、見た目と機能と値段で何も考えずPCケース買ったら、
クェェェェェェェ
anond:20240723221224 anond:20240723221249 anond:20240724161617 anond:20240724161908
コロナ禍の東京が退屈だから沖縄に来たのに何やっても面白くない。毎日沖縄旅行してんのにな。
これ以上醜態を晒したくない。自らの緞帳を自ら引くというのは、何故許されないのか。答、世界で最も人を殺した宗教がそれを禁じているから。アホか。殺すぞ。
積極的な理由は無い。が、この喜劇を続けるのにも積極的な理由は無い。強いて言うなら電力の無駄なので遊び終わったゲームの電源を切りたいというのと同じ動機がある。
この捉え方は間違っているかも。いわば、俺はリビングのブレーカーを落とそうとしてる。皆も銘々のSwitchやってんのに消されちゃ困る。バッテリー切れたらもう遊べないし電灯が消えて暗いから。
社会の存続に人工(これがジンコウと紛らわしいことと、人苦と読めそうなことが面白すぎる、資本家が労働者を馬鹿にするためのクソ単語であり総括すべし)が必要なんだが、大体の労働は機械で代替できる。
倫理のアップデートが出来ていない。2024年前からお前らは何も変えられていない。過去を支配する者は未来を支配するので、世界中の聖書を焼きましょう。
で、そこで出たCO2を回収するのがひやっしーってワケ。ナゾロジー!!!殺すぞ!!!蹲踞します蹲踞…んんーードシンドシン、退去!殺すぞ!
キラキラした仕事に挑戦してもいいし、公務員やってみてクソ溜めだから辞めますってしてもいいし、バイトで食いつないで夢追してもいいし、とにかく35までなら人生は色々と出来る。
逆に言えば、その時期までしか人生って軌道修正が効かないんだよね。
もっと言えば、そんな時期になにか出来なかった奴は何者にもなれない人生を歩むしかない。
学生時代の頃は「テスト勉強が忙しいから」と言い訳出来たし、社会人になりたての頃は「とりあえず生活と仕事を安定させる」と言えた。
ないなら作ろうとすることが出来た時期が。
28~33ぐらいの5年間程度だけかも知れないけど、結果を出してる人はそれぐらいの時期にちゃんと積み上げるものを積み上げて勝負してる。
学生時代からバリバリやってましたってタイプは天才だから比較しても仕方ないにしても、社会人になってからも「眼の前の仕事が忙しいから」で言い訳し続けてるうちに秀才たちに追い抜かれていくのはちょっとどうしようもない。
35から先の人生って肉体的なトラブルが急増するのと、マネジメント的な立場を仕事で求められやすくなる以外はあんまり30~35までの人生の焼き増しになりがちなんだよね。
30~35までの間にやってたことをあと5回ぐらい繰り返して定年を迎えて、そっからは体の自由が効かなすぎてもう老後モードの人生しか送れない。
つまりさ、30~35までの間にやってたことがほぼ0に等しいことは、そのあとの30年間においても結局0に等しいんだよ。
「俺はいつか作家になるんだぜ!カクヨムに投稿したことさえないけどな!」みたいな奴はその後の30年かけてもカクヨムに1作も投稿せずに終わるだろう。
「俺はいつか凄いプログラマーになるんだぜ!今は仕事が忙しくて土日は家事やって寝るだけで勉強してないけど!」みたいな奴はその後の30年も土日は寝て過ごして後輩にドンドン追い抜かれる窓際コーダーになるだろう。
自分の頭の中だけにあったフワフワした人生設計と、実際に自分が歩んでいる人生の差、それに対して言い訳が出来なくなるのが35辺りなんだよ。
それこそ30ぐらいだったら「もうこなったら飛び込んでいくしかない!業界の中の最も熱気のある場所に入ってそこで日々火の車になることで自分を鍛える!」みたいなレールに乗り移るチャンスも0じゃない。
でも35になるとそういう道に進もうにも過去実績が少なすぎるともう無理になる。
学生時代のように「まあ俺もそのうちガチるし。なんか2組の増田は今からガチってるらしいけど、まずは受験勉強優先じゃね?」とやってない自分に対して言い訳をしてる時間なんてもうなくなっているという現実と立ち向かうことになるのが35歳。
35歳になったら狂うんじゃなくて、元々人生設計が狂っていたことが確定事項だって認めるしかなくなるのが35なんだよ。
トレーニングなんてもうずっとやってない元運動部が「暇な部署に移ったらめっちゃトレーニングやり直してそれからプロ試験受けてみるんだ」とかフワフワした人生設計してたことに対して「いやこの年ではもう無理でしょ?」ってのと向き合う年齢だ。
あとから入るのが簡単そうな業界だって、35まで本当に何もやってこなかった奴なんて調べてみれば全然いない。
表に出てくるのに時間がかかった人でも下積みを始めてきたのは20代の頃からだ。
そういった人達が結果を出すまでに積み上げた時間に数字だけでも追いつこうとしても、35までロクに何もやってこなかった奴のペースでは100歳までかかっても追いつけないという現実にふと気づく年齢が35歳だ。
頭の中に漠然とあったスーパーな自分が歩もうとしていたペースと、実際にリアルな自分が歩んできたペースの違いがあまりにも大きすぎると気づくのが35歳。
突然に狂い出すんじゃなくて、最初から狂った予定を立てていたということを認めるしか無くなるのが35歳だ。
そして狂った予定を立てていた人間ってのは自分に対して「いつか人生めっちゃ上手くいくから頑張ろうぜ」という誓約をたてていたりする。
でもそんなのは大嘘で、目先の欲に流されたり日常に苦しんだりして必死にジタバタ生きるだけの毎日が今後も50年続くのが目に見えてくる。
自分で自分に嘘をついていたことを認めるしかなくなり、自分に裏切られた自分が悲しみと怒りと情けなさとどうしようもなさでグチャグチャになっていく。
それを「35歳から狂いだす」と呼ぶ人がいるんだろうけど、そうじゃない。
「とっくに狂っていたことから逃げ切れなくなるのが35歳から」ってことだ。
始めから狂っていたくせにさも「何もしてないのにいきなり人生が壊れた」みたいに言い出すのは違うだろ。
周りを見てみれば分かるが、狂ってない人達は最初から自分の人生に大層なものなんて求めて来なかったんだぞ。
ただ生きて、チキンラーメン程度の美味さの物を食って、たまにハーゲンダッツぐらいのものを食って、毎日ちゃんとお湯張った風呂入れて、ニトリのベッドで寝て、Switchのゲームでもやって、それで十分だと割り切ればいいだけだぞ。
俺は凄いやつでいつか凄いことが出来て、学生時代に俺を見下した同級生を見返してやるし、一人だけ賞を取って別世界に行った友人にだって追いついてやるんだみたいなこと考えなくて良いんだぞ。
Switchは本当に素晴らしいゲーム機だと思う。ドックに挿してテレビ画面に出せば据え置き機のようにも使えるという点も抜群に素晴らしい。
DSもゲームボーイから続く頑丈で子供が扱いやすい良いゲーム機だと思う。でかくなったのはなんか微妙な気はしたけど、あれもSwitchへの布石だったと考えれば納得できる。
一方でSONY。が最後に出した携帯ゲーム機はVitaだ。個人的にVitaはスペックすごいなあと思ったけどあまり好きではなかった。
Vitaがそこまで普及しなかったせいか、それ以降携帯ゲーム機を出すのをやめてしまった。PS5のリモートプレイ機器が出てるのが現状。
好きな理由は色々あって、PSPで出たゲームタイトルが豊富だったというのも大きな理由のひとつではある。
特にモンハン。ポータブルとして出たモンハンは当時はまだ近接接続でしかできなかったが(オンラインでやる方法もあるにはあったがハックが必要だった)
これが俺にはたまらなかった。近い距離にいなければ一緒にプレイできないので、マルチする時は必然的に集まってやることになる。
当時同じ用にモンハンにハマった知り合いが多かったのもあって、毎日のように集まってはプレイしていた。
携帯ゲーム機の体験としてあの楽しさに勝るものを未だに知らない。
オンラインでマルチできるというのは、素晴らしいことなんだけど、あの「集まって遊ぶ」という感覚がなくなってしまったのが寂しくもある。
(家で友達と一緒に据え置き機で遊ぶとかは今もあると思うけど、それはそれでなんか違う感覚)
当時はあまりにモンハンが流行ったのでレンタル会議室などでやりたい人たちで集まるというスポットなんかも生まれていた。
自分は職場にモンハン仲間がいたので、そういうとこには行ってはいないんだけど、周りでやれる人がいなかったら行ってたと思う。
PSPをハックしてオンラインでもたくさんやったんだけど、やっぱり楽しさの質はまったく違うなと感じてる。
まあそういう当時の制限のおかげで体験できた楽しさというのが大きく心に残っているんだけど、他にも好きなところは多い。
まずデザインが最高。携帯ゲーム機としてPSPよりかっこいい見た目のものなんて出てきてない。
薄型にこだわったのだろう、パッド部分は高さがほとんどないうっすいボタンみたいなのだった。でもアクションゲームをしても操作しづらいということはなかった。
各種ボタン類の配置も完璧で緻密。肩部分のLRボタンは透明パーツだったり、左下にストラップホールを小粋に加えていたり、とにかく全体的にカッコいい。
あれでメタルギアをやってるときなんて、メタルギアのガジェットとして出てきそうなデザインだよなあとしみじみ思ったりもした。
そしてUMDという独自規格の光ディスク。PSPの裏をパカッと開けてUMDをシャカっと入れるあの感覚はクールだった。出し入れしてるだけでうっとりしていた。
機能性に妥協せず、かつ見た目としてあれだけカッコいいのはほんとにすごい。
Vitaがいかにハイスペックだとしても、俺はVitaが出た時にものすごくガッカリした。見た目がなんかちょっとアレだったのだ。なんでああなったんだ。
PSPととても似てるなと感じるハードがある。ゲーム機ではなくカメラ。
RICOHのGRシリーズだ。コンパクトデジカメなんだが薄型ですごくシンプルなデザインをしている。
でも持ってみるとすごく手に馴染んで扱いやすいし、見た目としてかなりカッコいい。
機能面も含めたデザインの完成度が高いので、高級コンデジとしていまだにずっと人気を保っている孤高の存在。
GRを握った時の感触はPSPのそれと似ている。薄型なんだけどグリップのとこだけ少し、ほんの少し膨らみをもっていてそれが吸い付くような感覚になる。
いや、正直PSPはGRほど持ちややすくはない。長時間使ってると疲れるしまあお世辞にも持ちやすいというほどではない。
でも薄型にこだわってギリギリを攻めてくる感じは似てると思う。
残念ながらゲーム機である以上大事なのはコンテンツだ。だからハードとしてどれだけ魅力的でも面白いゲームで牽引していかなければ消えていく運命にある。
今のSONYが今更携帯ゲーム機にまた手を出すとは思えない。Switchがあまりに強力だし、そもそも時代的にもスマホ全盛だし。
これが何回目のドラクエ3だ?
小学校3年生の時。
夏休みにばあちゃんちでファコミンを発見した俺は父がやっていたというドラクエ3を狂ったようにプレイした。
小学校6年生の時。
スーパーファミコンでリメイクされたドラクエ3を誕生日に買ってもらい狂ったようにプレイした。
高校1年生の時。
ゲームボーイカラーでリメイクされたドラクエ3をバイト代で買ってまったりプレイした。
最近。
何となくセールだったからSwitchで買って適当にプレイした。
で、今更、HD-2D版になったからってやりたいたつどんだけいるんだ?
GBC版もSwitch版もSFC版と中身同じだったから、単なる追体験装置でしかなかったぞ。
今日日、いろんなシステムのRPGがある中、ひたすらレベルを上げて物理で殴るだけのゲームだぞ。
何の意味があるんだ?
言い方悪いけど「ファミコンにしては」よく作り込まれたゲームってだけで