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はてなキーワード: 雑煮とは

2018-12-23

お雑煮って正月じゃなくても食べればよくね?

うまい栄養があるし

クリスマス雑煮でいいや

2018-11-17

anond:20181117001748

年越しそばおせち雑煮めっちゃ楽しみなんだけれど。

から好きだったけれど、酒の味覚えてからはもうたまらん。

2018-09-15

アダルトコンテンツ雑煮ing

子供スープに浸されてドロドロになった餅なんぞ食いたくねぇがや。なぜあんもの食べるんじゃ。」

大人スープに浸されてドロドロになった餅が旨かぁー。おめぇら子供にはこの旨さが分からんのだなぁ。お気の毒ですw」

大人「いや、食い方間違うとるけん、お前が食っとるんはただの台所廃棄物や。餅はドロドロにせんほうが美味いよ?」

子供「わし雑煮好きやけどな。正月に食う雑煮なんか格別だでな。」

子供「なんか大人ぶって雑煮食っとる奴がおるけど、みんな老け顔だで。おれなんかマカロン食うとるから顔面キラキラしとるぞ。」

老人「喉に詰まる。熱い。口に入りきらん。歯がなくて嚙み切れん。雑煮いらね。」

老人「元旦ぐらい雑煮食わせい。はよう寄越しんかい。」

大人「ばばあお前さっき雑煮食ったばかりやろ。もうお前の分はねぇよ。」



ふむ、エロいのぅ。

2018-01-01

実家帰省して、久々に石神井公園散策してそのまま帰宅する。

出かけにまで礼服買っときなさいよという母親はやはりどこかずれてる。次に会うとき病院通夜のはずなんだが。

親父が年内に死ぬかもと告知されていたときから月一で介護辛い、親父の態度が優しくない、頑張ってるのにと俺を含めた兄弟ラインで泣いてた。

それが正月休み積極的にその後の話と俺たちが子供の頃の過去話ばかりで、具体的な期日を過ぎて、ロスが言うところの死の受容段階にやっと受け入れたのか?と親のいない席でひそひそ話が出るほどの変わり身。

あの人の変心がやっぱりよく分からない。

石神井公園で、よくお祖父さん、お祖母さん、両親に子供の組み合わせをよく見た。

一番年配なのでお祖父さんと想像はつくものの、普段顔を合わせる上司とそう歳が変わらない若々しさだ。

その顔をちらっと拝顔して親父と比較してしまう。

髪が抜け落ちて頭にしわがよって生やしてなかった白髭を流す親父はまだ定年前なのにひいおじいちゃんだった。少し前までまだおじいちゃんだったのに。

和風総本家に出てきた家具職人さんより歳上に見えるって言ったら妹が同意したっけ。

まだ兄弟の誰も結婚していない。親父はおじいちゃんにはなれないまま、亡くなるのだろう。

最後に食べた雑煮は親父が作った。やはりおかんより旨い。親父に嫌われている俺と目を合わすことはなかったが、旨い、旨いと弟、妹と口を揃えて言った朝食で少し得意気な顔をした親父を見れて良かった。

2017-12-30

うちは青森系の雑煮

具だくさんで高野豆腐とかセリとがゴボウとかがいっぱい入ってる

あんまりハレの日感はないかな。おいしいけど

独身なんであんまりほかの地域雑煮を食う機会がない

2017-02-02

あんころ餅雑煮

っていつも正月香川の変わったお雑煮特集で言われるけど、あれ白味噌+あんころ餅で崩しながら食うんだよ。

から最後ほとんどぜんざい食べている感じで気持ち悪さはないよ。

お澄ましベースお雑煮を食べる地域には理解できないかもしれないけど、白味噌ベースならありありだよ。

2017-01-05

http://anond.hatelabo.jp/20170104190312

角餅の雑煮を食いたきゃ、自分で作ればいいんだよ。

多様性を認めないのは、自分他人と違っていても大丈夫って思えないから。自分で食いたい雑煮を作れれば、周りが何の雑煮食ってても大丈夫だよ。みんなと同じ雑煮じゃないと正月の卓が台無しだ、と思うなら、隔年で丸餅と角餅にするとか、半分づつ作ってクジで食べるのを決めるとか、自分だけこっそり別のものを食うとか、あきらめて丸餅派になるとか、いろいろ考えて交渉しなよ。人の知恵っていうのは、そういうものを指すんだと思うよ。マジレスだけど。

2017-01-04

http://anond.hatelabo.jp/20170104190312

白味噌でも全然気にならない

京料理食べたからって他のを食べたらいけなくなるわけでもないし

そんなことしたら逆に多様性がなくなる

いつもは和洋中なんでも食べてるんじゃないの?

雑煮に限って過剰反応しすぎなように思う

http://anond.hatelabo.jp/20170104184216

雑煮の餅の形が違うぐらいのこと」っていうけど、

今までずっと角餅の雑煮ばかりを食べてきた人間にとって、丸餅の雑煮をだされたらびっくりするし、

それを多様性だと認容してしまうと、そのうち白みそ仕立ての京風雑煮を食べさせられることになるんだぞ。

それでもいいのか?

多様性を認めてくれ

自分常識通用しないようなことがあった時、そういう人もいるよねで、多様性を認めるってことが必要場合があると思うんだよ。

自分地域ではこうだったのだからそれ以外はすべて異常とみなすとか言ってくる人はほんとどうかと思うし、それだけならまだしも

文化圏の違う人間言動を良からぬことの陰謀扱いするみたいなことを言ってくる人はホント意味わからん。なんで陰謀論が出てくるんだ?

個人的には、雑煮の餅の形が違うぐらいのことで犯罪の企てを疑うのは異常だと思うんだけど、この感覚っておかしいか

強引な年末年始

五円 誤飲 止まらない

五円 誤飲 止められないか

逆さまにして吐かせよう

Don't stop 吸引


誤嚥 誤嚥 止まらない

誤嚥 誤嚥 止まっちゃうから

さあよく噛んで飲み込もう

Don't stop 雑煮


暴飲 暴飲 止まらない

暴飲 暴飲 止まれいか

さあ 寝て食べてまた寝よう

Don't stop 牛脂


遠縁 疎遠 話さな

遠縁 疎遠 話題いか

さあ自室へと引きこもろう

Don't stop 大叔父


公園 公園 何もない

公園 公園 近くないか

いっそジャスコへとでかけよう

Don't stop 休日

2017-01-03

糞まずくて誰も望んでない雑煮やお節を作って家庭内不和の芽を育てるほどバカバカしい正月の過ごし方はないな

誰がこんな無意味な習慣始めたんだかね

日本の低生産性象徴するような行事

なんでお正月も女が雑煮作らなきゃあかんねん

共働き夫婦なのに実家に帰ると女で妻である私は雑煮を作ったり男たちの酒の準備をしなければならない。

おかしくない?男も雑煮作れよ。

なんで収入同じくらいなのに妻は正月もただ働きなんだよ。旦那ビールあおって楽しそうに過ごしてる。それはいことなんだけど。

台所に立つのは女という専業主婦の姑の言うことを渋々聞くしかない。何もない平日のほうが自分のペースでやれるし楽だよ〜。

2016-06-29

彼女が実は関西人だったので別れた。

まれた時から東京人だと思っていた。ナチュラルボーン東京人だと。メトロポリタンアンニュイハイソでビーバップ東京人だと思っていた。

でも、実は関西人だったなんて。思わずなんでやねん」という怒号が襖を揺すったほどだった。そのなんでやねん人生初のなんでやねんとしては、プロ関西人を思わせるほどで、身振り手振りはまるでフィギアスケートのような柔と剛を重ね備えた完璧なんでやねんだった。

そのなんでやねんのあまり発音のきれいさに、改めて自分関西人であることを悟った。その日から私は関西人になった。全てを受け入れた。NOVAにかよって関西弁練習さえもした。関西人とは関西人であるのではなく、関西人になるものなのだ。どちらかといえば関西方言を忌み嫌っていた私が実か関西人だったなんて。通りで、お好み焼きがやたら好きだと思っていた。お好み焼きにご飯を合わせて食べる側の生き方をしてきた。広島焼きに他意なき敵意さえ抱いていた。それは、私の血液に流れる関西人DNAによるものなのだ

吉本も録画するようにした。探偵ナイトスクープも見るようにした。雑煮白味噌にした。いざとなれば道頓堀から飛び込めるように、プールで飛び込みの練習もしている。一流の関西人になるために、私は日々、関西人努力を重ねる。いつか憧れの聖地オーサカにいけるように、私は日々、関西に祈りを捧げ続けた。

しかし、問題が1つある。彼氏関西人嫌いなのだ。いつも私はそれに乗っかり「そうよね。六甲おろし国家地域なんて激しすぎるわよね」と言っていたのだった。まさか、そんな私が関西人だなんて。

でも、避けて通れない。私は携帯で、彼氏電話番号を押す。自分関西人とわかってからの一ヶ月会ってない。

電話に出る彼氏他愛のない雑談。そして、私は言う。

「ごめん。私実は関西人だったんだ。そんな彼女嫌よね、別れましょう。でも、どうしてあなた関西人をそこまで嫌うの?」

「俺も関西人からやで」

なんでやねん!」

http://anond.hatelabo.jp/20160628063357

2015-03-18

[]3月18日

○朝食:なし

○昼食:なし

○夕食:ぬた、雑煮、ご飯、牛肉の炒めたの

調子

面接の結果、四日市事業所以外ならまだ交渉の余地がある、ということで結果は保留でした。

ちょっと今日は色々あって、大変だった。

傷病手当金がでないことが判明したりとか、耳鼻科に行ったりとか。

ハローワークと家を何往復もして大変だった。

お金もたくさんつかった。

正直、ツラい。

現在進行中(三社)

K社:書類選考(多分もう駄目だよなあ)

A社:面接木曜日10時〜)

T社:面接の結果待ち(地元事業所は×)


○耳の調子

祖母のお金耳鼻科に行ってきた。

結果は、聴力に異常はないため、現状維持だぞうだ。

いちおう、耳垢をとってもらったら、何となくスッキリしたので、

しかしたら、これのせいだったかもしれない(笑)

本当、笑い話で済んでよかった、よかった。


Forza Horizon2

今日チャンピオンシップ目指して爆走した。

とは言っても、20分ぐらいしかしてないんだけどね。

2014-12-06

正月に某県にある実家帰省してると、実家近くに住むイトコが訪ねてきた。はてな村IDを取得したのだという。

「おめでとう」とか「たまに祭りとかやってるよー」とか言ったのだがイトコの顔が浮かない。

聞けば某なんとかというブロガーの村奇譚をたらふく読んで、はてな村が怖くなったという。

はてな村で独り暮らしなぞ始めたら、村に隠れ住むモヒカン野郎に殺されるようなひどい目に必ず遭うんじゃないか、と。

「そんなことはない、ひどい暴力に遭う人が多数派だったら誰も住まない、自分も5年ブクマしてるが、殺されかけたりしたことない」と言ったが、聞く耳持たず、デモデモダッテとブログで読んだはてな村の恐ろしさを力説する。

母が「美味い雑煮出来た」「熱燗ついた」と呼んでるのに、どうでもいいクソ記事の内容を延々聞かされ、もう面倒になり「みんなには内緒だが、はてな村は怖い街だ。その記事の通りだ。村に住んでて変死体を見たことない人などまずいない。村民は人を殺す村民とこれから殺される村民の2種類だけだ。お前も生き延びたければ覚悟しておけ」と声をひそめて、うそぶいた。

イトコは「やっぱり」という顔で帰って行った。

後ではてな村大学への進学を辞めて、浪人して一ランク下の地元近くの大学に入ったと聞いた。

3年後に法事で会ったら、肩をつかんで「ありがとう。お兄さんは、まだはてな村で消耗してるの」と言われたが、「知るか」と言った。

http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2014/12/06/101810

#最後のイトコのセリフの内容追加(16:45)

2014-04-24

底が知れている

人口十数万~数十万規模の都市人間のうちのどうしようもない者は、己の場所こそ田舎であると盲信し、都市インテリへの幻想勝手にあこがれて、都市のこじらせた人間ネトウヨになるかわりに共産趣味者になり、都市大学院に進学を希望するスタンスだけとり田舎カルチャースクールを軽視し、文化相対主義を充分に習ったはずなのにそれを理解せず発展主義的な単一的文化構成に拘泥し、たとえばAKBを批判しソロアイドルを礼賛し、また一方で方言雑煮の話題には飛び付き自分地域の特徴を得意げに開陳し、とにかく読んだ本の感想をすぐ言い、募金スポーツとを倦厭し、フェティシズムになりきらないフェティシズムを持ち、「ドSドM」という実際的によくわからないカテゴライズ牢獄に囚われ、プロ野球は槇原斉藤のあたりで知識が途切れ、小説は綿谷りさのあたりで知識が途切れ、昔習った対して覚えていない人文科学系の単語を頻繁に弄し、手帳を変えたことをtwitterで報告する。

奇を衒っているつもりが、奇の衒い方が普通すぎて、底が知れているんだよ。

2012-10-21

雑煮って京都ではすまし汁らしいね

普通白みそ使うでしょ?

でも京都では場所によるけど、2日目からはすまし汁にするらしい。

何ででしょうかね。何かの風習だったり?

2011-03-08

赤ちゃんをむかえることから、稽留流産のことまで

2011年2月初旬、はじめての妊娠がわかって、とてもうれしかった。

昨日、稽留流産の手術をした。まだ、気持ちの整理がついていないけれど、幸いに術後の痛みもほとんど無いので、記憶が確かなうちに記録する。

様々な方が経験を手記やブログとしてネットで公開されていて、それがおおきな助けになったので、自分増田として一助になれればと思う。長文お許し下さい。

 

赤ちゃんをむかえること

筆者、36歳、自宅で自由業。結婚10年目。夫は38歳、研究職。ふたりぐらし。

仕事が落ち着き、経済状況も安定してきたので赤ちゃんをむかえることに、2010年からとりくみはじめた。

基礎体温に基づき、排卵日近辺にがんばる方法をとった。

基礎体温2010年7月から記録をはじめた。葉酸は、1年ほど前から意識して摂取するようにしていた。

 

夫は頭の中が研究のことばかり。いつも帰宅が遅く、ごはん食べてそのまま泥のように眠るのが日常

仕事を家にもちかえって、私がデータ整理を手伝いながら、夜半まで趣味とも仕事ともつかない作業をする日も多い。

そんなわけで、いままでかんばる回数は月に2回あればいいほうだった。

それでも、自分では夫婦の仲は良好だと思う。 

 

夫の妊娠についての知識は「排卵日にがんばれば命中する」というもので、

顕微鏡でためしに自分精子を観察したところ、活動も活発で数もいた」という自負がある。

私の周期は28日で、サイクルはわりあい正確、基礎体温もはっきり2層に分かれる変化をしていた。

 

基礎体温記録、周期の予測、予告などで、下記のサイトを有効活用させていただいた。

ウーマンコム Inc. の基礎体温表

記録をまとめて印刷することもできるので、医師妊娠の経緯を説明する時にとても便利だったし、「がんばる日」の予想もしやすい。

 

妊娠に至るまで、5ヶ月を要した

上記の通り、夫の妊娠に対する知識はかなりアバウトであったし、私もネットを使って本気で調べるまでは、知らない事が多かった。

挑戦して、3ヶ月くらいまでは、基礎体温から予測した「だいたいこの日が排卵日」という日を中心に一晩か二晩、がんばった。

夫が仕事でつかれていて、お願いした日に寝てしまったり、お酒を飲んでいい気持で忘れて寝てしまうこともあった。

このころ、夫は精子卵子寿命の違いを知らなかった。

 

年齢の事もあり、また自分に自信がなくなってきたので、不妊治療の事も真面目に調べた。

とてもお金がかかり、体への負担も大きい事が分かった。

 

20代子供を産み、子供小学生に育て上げてから仕事をはじめた友人や、

同じく20代で2人の子供を産んでいる妹の事などを考えた。

いくら自分健康に自信があっても、赤ちゃんをむかえるのは早い方がいいと強く思う。

結婚する前から、夫と私は2人とも子供を望んでいた。

私の20代には、経済的にも精神的にも余裕はなかったし、夫も自分の身を立てることで精一杯だった。

たいへんでも、親に援助をもとめても、もっとはやくに赤ちゃんをむかえることにすればよかったのかな……

 

冬になってから、もっと真剣になった。排卵日に関係なく、回数を増やした。それでも週に1度くらい?

妊娠しやすい体にしていくためには、普段から夫婦の接触が大事で、がんばる日が多いと、

お互いのホルモンが活発になって、生殖機能が活性化されていくらしい科学的根拠は不明?

そして、妊娠しやすい期間の前に4日やすみの日をつくり、排卵日周辺に2日おき、または1日おきにがんばった。

 

カレンダーに「がんばる日」の印をつけて、多忙な夫が忘れないようにしてみたけど、それでも夫は忘れることがあった。

夫は、理性では、子供と私への気持から、その「予定」に前向きだったが、仕事の締切りや年末進行などで体力的にきつかったし、プレッシャーも感じていた。

私も強制して性交させるのはとても嫌だったので、時に喧嘩になることもあった。夫はいつも一方的に謝るばかりだった。

夫が最大限に努力してくれている事はよくわかっていたはずなのに、自分は焦って思いやりを忘れていた。

 

 

年末年始大掃除もてきとうにして帰省をせず、はじめてふたりだけの大晦日とお正月をすごした

いつもは組立てない炬燵を出してきて、パソコン並べて仕事しながら、お雑煮おせちをたべてゆっくりした

初詣地元神社に参拝し、男根型の岩を撫でてみたりもした

 

 

その甲斐もあって、1月のおわりにくるはずの月経が来ず、基礎体温も高いままだったので、

妊娠検査薬を使わずに、2月の初めに産婦人科にいった。病院は、近所の奥様がすすめる病院を選んだ。

病院で尿検査をして陽性を確認し、エコー検査した

子宮のなかに小さな黒いまるうつっていた。なかみはまだ見えないけど、子宮妊娠はない事がわかりほっとした

担当先生は事務的で素っ気なく、少々心もとなかった。

 

妊娠が確定して予定日を告げられてから そのママ夫婦で登録し、

毎日メールで送られてくる赤ちゃんの成長を楽しみにしていた。

 

2月の半ばに2回目の検診にいった。

先生カーテンをあけて、心臓が動いているのを見せてくれて「順調です」と言ってくれた。

黒い楕円の中で、ちいさい心臓がぱくぱく動いていて、思わず涙腺がゆるんだ。

赤ちゃんは週数のわりに少し小さかった。

調べると、後から追いついて大きくなったり、排卵日が遅かったりしていたために小さく見えたりするそうで、

あまり問題はないということだったけど、今思うと、その時のことがとても気になる。

 

つわりは、吐くようなつわりでなく、とにかく眠くて眠くて夜も早く眠くなり、昼寝で夕方まで寝てしまう事もあった。

つわりは人それぞれで、これで赤ちゃんの状態を推測する事はできないということだった。

1月の初めにがんばったときから性交はずっと止めていた。

回数を増やすようにがんばってから、夫が活性化したらしく、要求が増えたので、手などを用いて別の方法でお世話をした

 

稽留流産のこと

3月の初めに3度目の検診に行った。

この日に母子手帳の手続きができるはずで、その後に、しかるべき人々に報告しようと思っていた。

ちょうど夫の仕事休みだったので、いっしょにうきうきしながら行った。

いつものように、エコー検査をしてもらうと、時間がいつもより長く、先生が焦っているようだった。

カーテンをあけて、「心臓が動いていないです」といわれた。

何度も確認してみても、前回の検診から大きさもあまり変化していなくて、あんなに動いていた心臓のあたりがしんとしていた。

先生によれば、大きさからみて一週間前に心臓が止まってしまったそうだ。

稽留流産、といわれ、先生から説明を受けた。自分では一週間前に何の心当たりもなかった。

夫によれば、ちょうど一週間前から私が吐気でえづくことが増えたので、変化?と思っていたそうだ。

ネットで調べればいろいろ書いてあるので、細かい説明は避け、私個人の体験を記す。

 

 

最初は心もとなかった先生対応は、まじめさゆえだった。

丁寧な説明を受け、自分でもどうして良いかからなかったけど、

とにかく、早めがよいということで、4日後に手術の日を予約した

待合にいた夫を呼んで、小さな部屋で、助産師さんからより詳細な説明を受けた。

「わからないことや不安な事は何でも聞いて下さい」といわれたけど、何が不安なのか、何がわからないのかも見当がつかなかった。

 

あまりに突然の事で、夫婦して感情が固まってしまった。とにかく、私の母と夫の両親に報告した

母が祖父の看病で家を離れられないため、義母が私の手術前から家に来てくれる事になった。

義母がくることに私はとても不安を感じていたが、案の定、相変わらず、無邪気に笑ってはしゃいでいたので、応対にひどくつかれた。

夫があとで「こんな時に笑うな」と言ってくれたので、助かった。

未婚の友人は、よく「夫を産んでくれたお姑さんに批判的になるのは変よ」と言うが、誰でも最初はそう思うのだ。

誰が好き好んで尊敬すべき立場の人に嫌な感情をいだくだろうか……それなりの経緯というものがあるのだ。

これを書いている今も、横で笑顔で孫がはやく欲しいなどと言っているが、赤ちゃんが亡くなった直後の無神経な発言に気分がささくれ立った。

前夜に話を戻すと、義母ひとりで付添いをするとはりきっていたが、頑なに拒み、夫ひとりについてきてくれるように頼んだ。

義母は多分いい人かもしれない。しかし、いい人がよいことをするわけではない。私は自分が我侭だと思ったが、あとでこの判断はよかったことがわかる。

海外で稽留流産をされた経験のある方の手記をネットで読んだ。その人は夫が激務でひとりで手術に行く事になったそうだ。

手術前夜から入院で、夜中に耐えられずに泣いてしまったら、年配の看護師さんに抱きしめられて慰められ、

夫を病院に呼ぶようにすすめられ、夫が来てくれたのでとても助かった、と書かれていた。

自分は朝に入院して、夕方に退院する日帰り手術だ。

手術前夜は、飲食禁止だったが、家で留守番をする義母と付添の夫のお昼に炊き込みご飯おむすびをつくり、

病院に持っていく分と帰宅後の安静時に飲むための番茶をたくさん煮出して、空のペットボトルにつめ、

いつもより丁寧に歯を磨き、お風呂で体をよく洗ってから寝た。

 

夫は、手術の前夜も仕事を家に持ち帰っていた。年度末の仕事ギリギリで、とても忙しい時期だ。

そういうわけで、夫は、赤ちゃんがいた実感も、赤ちゃんが亡くなった実感も薄く、私も事務的に手術の仕度をするだけで、

何が起こってどうなるのか、わからなかった。ただ、ネットで様々な人が書かれた手記や質問の応答などを読んで、

「こういうことがある」のがわかり、ふたりで「痛いことはたくさんあるようだけど、いちばんつらいのは赤ちゃんから、耐えよう」と思った。

 

当日、3月7日朝9時、夫と直接、産婦人科病棟ナースステーションに行き、書類を出して手続きをした

病院には自家用車で行った。服装は、お腹をゆるく保護する妊婦用のやわらかい部屋着のズボンTシャツパジャマの上着、フリースの長いコートで、

家に帰ったらそのまま寝られる服装で行った。手記をみると電車で行き帰りする人もいて術後は歩いて移動できるようだけど、楽にできるならその方がいいと思った。

ナプキンをつけてから担当医とは別の当直の先生が、子宮口を開く処置をしてくれた。

処置の前に、もう一度、エコー赤ちゃんを確認してもらった。

赤ちゃん最後の検診の時と変わらず、動いておらず、形も少しいびつになってしまったように見えた。

この処置はとても痛いという手記が多いが、私の場合は、それほど痛くなかった。痛覚が鈍いのかも知れない。

 

それから点滴で輸液をし、午前中の外来が終わるまで病室で安静にしていた。

午後になり、手術着に着替え、点滴をつけたまま、手術する部屋へ歩いていった。夫は病室で待機。

多分、分娩とおなじ場所だと思う。途中の廊下で元気な赤ちゃんの声がたくさん聞こえた。

担当医の先生が手術の道具を調えていて、天井には大きなライトがあったり、

計器をつながれたり、看護師さんがてばやく準備を整えはじめたので、急に怖くなった。

台の足の部分が開かれて持ち上がり、足にカバーをかけられて、足首を固定された。

肩に麻酔を効きやすくする筋肉注射を打たれた。これが全ての経過の中で最も痛く、

思わず呼吸が大きくなり、その痛みが引かないうちに、アイマスクをつけられ、看護師さんに点滴を刺している手を胸を載せられると、

先生の「麻酔を入れたら、手術を始めます子宮口に詰めた消毒綿をとります。はい麻酔を…」というとこで、

器具の冷たい感触があって、下腹部が激しく痛くなったと感じたら、麻酔が効きはじめ、突然、幻覚が始まった。

 

事前に「意識はうっすらとあって、声が聞こえるくらい。眠くなったら寝て下さい」といわれていた。

しかし、私は意識はしっかりあったと思う。ただ外とつながっていないだけで。

もし、赤ちゃんが次に何処かに生まれることができるなら、できるだけ暖かくて自然がいっぱいあるとこへいけるといいなと考えて、出張した時に見た熱帯の森を手術中はイメージしていようと思い、痛みをこらえて、その木々の茂る風景イメージしてみた。

だけど、アイマスクで暗いはずの視界が急に明るくなって、上からレゴブロックの白いのみたいな小さなものがザーッと落ちてきて、自分の体がとても小さくなってしまったように感じた。痛みも体がある感じも消え、白と灰色と黒の格子みたいのがある空間の底にいて、格子がうねりながら昇っていった。うねった隙間から、キミドリピンクの光がでてきて、渦を巻いてまるくなってくっついたり離れたりして激しく動いていた。私は自分の家や猫のいる温かい感じがあるとこへもどりたい気がしたけど、仕事や、大学のころに勉強していた事、その意味が、バラバラに浮かんできて、消えていって、その間、気持ちいいテクノたい音楽フロアに流れるかすかなオルゴール環境音がアップテンポに聞こえた?)がずっと流れていた。格子の四角がだんだん大きくなってきて、その合間にフラッシュバックみたく家にいて西日が当たる暖かい感じが懐しく浮かんできて、そして、キミドリピンクの光がうすれ、シューッシューッと機械が動く音が聞こえて、視界がもやもやした暗い灰色になって、人の話す声がなんとなく聞こえてきた。

しばらくして、アイマスクがはずされた。目を開けようとしても薄くしか開かず、まだ視界がぼやけていて、遠くから声が聞こえた。

お腹はいたくないですか?」 「わかりません」と答えたと思う。

顔を横にして時計を見てみたら、20分くらいしかすぎていなかったのがぼんやり見えた。

ご主人を呼んできます、と看護師さんが出て行き、夫が来て手を握ってくれた。

 

すごく暖かい感じがして、涙が出てきた。夫も泣いていた。

麻酔がしっかり醒めるまで、一時間ほど、その場所でそのまま2人でいた。

時折、看護師さんが来て出血を確認していった。

つの間にかパンツを履かされていて、看護師さんがナプキンを交換してくれた。

持参したナプキンのうち未使用の2コをとり、交換したナプキンと今着けたばかりのナプキンの空袋を持って、計量にいった。

重さの差から出血の量を計測しているのだろう。種類を混ぜて持ってこなくてよかった。

なので、手術の日に持参するナプキンは全部を同じ種類のものにしておくとよいと思う。

 

麻酔が醒めてくると、点滴の支柱と夫に支えられて、歩いて病室にもどった。不思議とどこも痛くなかった。

病室でズボンはいて横になり、点滴がはずされると、遅い昼食がでた。

夫も昼食をとっていなかったので、いっしょに食事をした

夫は前日まで、「手術してる間にちょっと外でごはん食べてくるからおむすびいらないよ」と言うほど、

手術の時にどうするか何も知らなかったし、手術の間は待機しているようにと説明された事も忘れていた。

私は飲み物をのんでおかずを少し食べてみたが、点滴のせいかお腹がすいていないので、勿体ないけどほとんど残してしまった。

夫は「自分がここにいるべきだし、おむすびお茶を持ってきてよかった」と言った。

 

薬がでて、会計が終わると、手術着を脱いで、帰る仕度をした。このときも、お腹は全く痛くなかった。

看護師さんが手術前に、担当医の先生は手術がはやいと言っていたが、きっと処置が上手だったのだろう。

子宮を収縮させる薬を飲むとお腹が痛くなるというが、薬をちゃんと飲んでいる1日後も痛みはほとんどない。

来週に検診があって、また病院にいく。

元気になったら、赤ちゃんのことをおぼえておけるように、地元で名木の桜の保護をしている会から苗木を分けてもらって、実家土地のいい場所に植えようと思う。

その木がもっと時間が経って大きくなって花をたくさん咲かせたら、それとは知らなくても、いろいろな人が見に来てくれると思う。

 

今後

基礎体温記録再開、葉酸摂取を継続する。

・次の月経以降の周期に、「妊娠したい 私はこれで妊娠しました」 を参考に、排卵検査薬を使って、排卵基礎体温変化の様子を観察し、今後に役立てる。

運動する機会を増やす。近所の温泉に定期的に通う。

いままでは質実剛健、質素倹約を旨としていたが、余裕をもって魅力的な女性になれるよう努力する。

2010-01-01

一人暮らし雑煮作ったんだが、思いっきり余るな…。一応明日も食べるけど、毎食食べる訳にはいかないし。独りもんで正月料理って難しい

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