はてなキーワード: 幻視とは
言われた通り自分で考えました。
まず元のブクマ
Vtuberの可能性を閉じてしまった企業でもあると思う。バーチャルであるが故の人を超える可能性は、中の人ありきのペルソナタレントにしてしまった時点で消えてしまった。面白い人に時間を使うだけのサービスになった。
つまりバーチャルを生かして何かこれまでにない表現が生まれたらいいなと思っていた。そうしたら既存のタレント業路線が台頭してしまって自分は興味を失ってしまったということですね。
あのな、大元のキズナアイの時点で最初から中の人ありきなんだよ。あんだけ大騒ぎになった「分人」の件も知らんのか?たった3年前の話だぞ。
一度書いたけどVTuberはキズナアイ以後の概念だから元増田が言いたいのはつまりVTuberなんて生まれた時点でタレント業ですよ、お前の幻視した新しい表現の生まれる余地なんて最初からありませんでしたよってことですね。
で、お前の反論
知っている。だからこそ、安易なミニ宗教に集まって金の方向を向く、金を払うことに意義を求めている流れになったのを残念に思っている。
なーにがもう書いてある。だよ。書いてないんだよ。
元増田の主張のコアは「キズナアイの時点で最初から中の人ありき」の部分なんだよ。分人の件知ってる?ってのはその主張の補強に過ぎないんだよ。
にもかかわらずお前はそこに一切切り込んでいない。応答が成立していない。
「キズナアイの時点で最初から中の人ありき」に対して「最初から中の人ありきなのは分かっている」という応答だと思っていました。だからああいう切り取り方をした。
まさか「キズナアイの時点で最初から中の人ありき」という主張に対して「分人の件は知っている」などという素っ頓狂な返事をしているとは思っていませんでした。
この時点から、かみ合っていない。
うむ。議論くらいはかみ合わせてくれ。
なにかを比較対象にすることで他のものを下げる手法を多用する人たちが多いので見かけ上は勢力争いしてるようにみえる。
実際には殴った時の幻覚的なフィードバックが気に入った相手を叩くために他のゲームを利用しているやつばかり。
なんて恐ろしいことだよ。
本当に気持ちいいんだろうな彼らにとってはなにかを批判するということが。
ソニーがなにかやるたびに全部コケるという奴、任天堂の成功を絶対認めないやつ、海外メーカーと日本メーカーの対立構造を幻視するやつ、有名ソフトの国内売上で叩くやつ、逆に海外売上で叩くやつ、ソシャゲへの粘着、家庭用への蔑み、PCゲームへの偏見、プロゲーマーへの嫉妬、配信者への暴言、作り手に対する粘着、消費者を見下した嘲笑、販売店への猜疑心、もはやどこを切り取っても狂人の脳から産まれた不健康な感情に満ちている。
世界はこんなにも汚い心で満ち溢れさせることが出来るのかと感動する
導入としてざっくりゲームの紹介+ストーリーやライブも見られるよとしつつ
→試行錯誤しゲームの理解度が上がるたび達成感のあるゲーム体験を紹介(チャンミ育成に荒んだ既プレイ視聴者もにっこり)
→キャラごとの育成ストーリーの他、メインストーリーや期間限定のイベントストーリーなどがあることを紹介
可能なら過去のおニュイさんのアーカイブの一部を皆で見ながら、おニュイさんが盛り上がったり感動したシーンをチラ見せ
→ゴエさんおニュイさん(足りないなら作家も)のウマ娘でルムマ
おそらく出てくる空気読めないレベルの廃課金ウマ娘にこんなんバケモンですやん……と健が突っ込むところまで幻視
→ゲストに好きな曲を挙げてもらいみんなで視聴しつつモデルや楽曲・演出のレベルの高さを堪能
プレゼンを見て何がしたいかゲスト交えウマおじさんたちにトークしてもらう
プレイしてみたくなった!
ストーリー見たくなった!
ガチャまわしたい!で締め
というか生配信でなくて特別編として普通に収録して編集した動画を分割でいいから見たかったわ
その後……
といったそれぞれの個性に合った動画を各チャンネルで何本か投稿後、
それぞれのチャンネルで育成なり、ストーリー視聴なり、史実交え推し語りなり生配信していってくれるとかになっていたらマジで神だった
初めに断っておく。これは全部俺の実体験だ。
最近、壁を歩く男に会わなくなった。
日本中どこにでもいて、みんなが見たことがあるだろう、あのニンジャだ。
なに、ニンジャを見たことがない? 車や電車の窓からぼんやり外を眺めていると、風景と並走して走っているのを幻視した子供は多いと聞く。
俺はニンジャを見た記憶はないが、これから話す男は、それに属するものだ。
学校、午後、お昼時。
眠気に耐えながらぼんやり授業を聞いているときに、そいつはよく現れた。
窓の外なんてもんじゃない、室内の、目と鼻の先をそいつは歩いている。
壁は泥のように変化し、足首まで壁にどっぷり浸かりながら、そいつはえっちらおっちらと室内を歩いている。
俺の足は壁に浸かっているし、足には苦労しながら壁を歩いている感覚がある。
そして同時に、椅子に座りぼんやりと授業を聞いている俺の感覚と意識も確かにある。
本来の俺と壁を歩く俺、二人の体の感覚を共有しているかのような、そんな奇妙な感覚だ。
俺はたぶん、三半規管だか何だか、とにかく脳の重力に関する部分に欠陥か緩みかがあるんだと思う。
お昼時のように意識が緩む条件のとき、その箇所が無意識からささやく。「あれ、おかしいぞ? 重力が真下じゃなく横を向いてるぞ?」と。
両者を脳がうまいこと折衷した結果が、「壁に立つもう一人の俺」であり、「足首まで壁に埋まってなんとか踏ん張る俺」なのだ。
子供の頃、俺は満天の星空や青空の大伽藍を異常に怖がる子供だった。それと何か関係があるのかもしれない。
脳科学者、オリヴァー・サックスならどういう診断をしただろうか?
そんな壁を歩く男だが、成人を超えてからも時々見た記憶がある。しかしここ最近、年をとってからはめっきり会うことがなくなった。
年をとったことで、脳のその辺の配線が変わってしまったのかもしれない。
もう、あの男には会えないのだろうか。もう一度、あの男に会いたい。
そして俺はあの男になって、もう一度壁を歩きたい。
>死がすべての救済みたいな考え方って産まれるんだなー
まぁついでだから書かれた内容に沿っておくと
むしろ、子どもを人生のトロフィーかなんかだと勘違いしている人や国士様ごっこがしたい人ほど
年がら年中、『安楽死したい』だの『生きるのが辛い』だの言ってます
自己実現も日本に貢献()も他人任せだから自分自身の人生すら責任が持てないのでしょうね
アンタナンノタメニイキテンネンナ
これは非常に良い質問ですね
禅でも極めてんのかレベルで物を考えない増田が答えを持っているとは到底思えませんが
一応、尋ねてみます
『増田はなんのために生きているのですか?』
まぁそれは無茶にしたって可能な限り健康寿命は延ばしたいですね
この結果、発生した症状はリアルですら恐怖を感じるようになった。
部屋の中に誰かがいる気がしてくる。
クローゼットを開けるのが怖い。
トイレに行くのが辛くなる。
物音が少しでもするとビクッとするようになる。
夜中に電気をつけていないと眠れない。
これらが発生して日常生活に支障が出たので、解決方法として明るいゲームをやり続けることにした。
これによって、
前述した症状が消えた。
パイモンが可愛かった。
今回の件によって、暗いゲームをやり続けるというのは危険と感じた。
とにかく関係ないところでも聞こえるようになった。
エクトプラズムのようなものがしょっちゅう見えるようになった。
これらは、明るいゲームをやることによって暗いゲームを記憶から薄れさせる事によって解決した。
これによって感じたのは、人は陰鬱なものだけを見る・聞くのはいけないという事だった。
https://www.youtube.com/watch?v=H4uezAsjKkw
アニメーションを作るために、専用のソフトまで作ってしまうエンジニアでもある。
そのCiiさんが今度は漫画を作った。
当然、ただの漫画ではない。
Ciiさんは今回も新しいソフトを作り、これまでの漫画の枠を超えた新しい表現に挑戦していた。
ただ残念なことに、その表現を本来の形で読める環境は普及しておらず、
『飛べないツバサ』は漫画を撮影し、YouTubeにアップする形で公開された。
今回は作品、Ciiさんの凄さをもっと色んな人に知って欲しいと願い、文章を書く。
---
『飛べないツバサ』は左から右へとページが進んでゆく短編漫画だ。
少女は必至で走るが、やがては崖に追い詰められる。
逡巡。
一瞬、ふわりと体が浮く…。
すると、これまで右へ右へと進んでいた漫画のページが、落下に合わせ下へと下へと進むようになる。
落下する少女と断崖絶壁をナメるように、ページを縦に何枚もつなげたような長さで、1コマが下へと伸びる。
漫画を下へ下へとスクロールしてゆくと、こんどは漫画の1コマ1コマが連続してパラパラ漫画のように動き始める。
崖を落ちながら、必死で飛び上がろうとする少女の静止画が連続し、生き生きとしたアニメーションで動き始めるのだ。
『飛べないツバサ』はキャラクタの移動にあわせて読む方向が変わり、見せ場のシーンではキャラクターが文字通り動き出す漫画だったのだ。
読んでいて嬉しくなった。
ただフォーマットを崩すだけでなく、それが新しい表現になっている!
紙面の制約の中で効果的に伝えるように、漫画は様々なテクニックが使われている。
自分も漫画を描くので、そうしたテクニックは自然と身に着いていった。
しかし、ただのテクニックだったはずなのに、自分の漫画はテクニックに縛られるようになっていった。
過去作を読み返せば、登場人物はたいてい左に向いて走っているし、芝居は前後のコマやフキダシに誘導するようなポーズになっている。
最近ではスマホで読む人が増えたので、見開きは描かないようになった。
しかし考えてみれば、登場人物が右に走ればページも右に進めば良いし、左に走ればページも左に進んだっていい。
一ページごとに用紙の大きさも変えていいし、なんなら一部をアニメーションにしたっていい。
とはいっても、「紙の本で出版をしたい」「雑誌で掲載したい」などの下心があるなら、フォーマットを崩すことは難しい
自主制作でやるにしても、漫画家の多くは、その発想を実現する手段を持たない。
『飛べないツバサ』という作品で、Ciiさんは鮮やかに壁を飛び越えてみせた。
漫画は縦横無尽に進み、コマの大きさはページを超え、連続したコマが繋がってアニメーションになる。
フォーマットを超えた自由な発想をし、発想を実現させるソフトを作り、それでもって新しい漫画を作り上げた。
---
昔、アニメーションを作っていた頃、Ciiさんは自分の中でヒーローだった。
自分はアニメーションというフォーマットの中で、他との差異を作るのに一生懸命になっていたのに、Ciiさんはアニメーションの作画工程そのものから問い直し、新しいソフトを自分で作り、制作環境から変えてしまうタイプの作家だった。
漫画家になり、アニメーションを描かなくなり、Ciiさんの名前を見る機会も減った。
そんな自分の目の前に、Ciiさんは新しい発想とソフトをひっさげてふたたび現れた。
「相変わらず格好良いな」「この人にはかなわないな」と感じた。
本当はCiiさんは『飛べないツバサ』の少女のように、地ベタを這いずるように、もがきながら作るタイプの作家なのかもしれない。
Ciiさんは遠く高い空を自由気ままに羽ばたいている。
日付けはとっくに変わってるがワイの中では寝て起きたら次の日なのだ
というか精神科に通院はしてないけど、関係妄想は元から持ってるんだよな
眼の錯覚で見た人みたいな黒い影をいろいろなオカルトや精神病(統合失調・アルツハイマーなど)と結びつけるのに
頭が忙しい
何かして集中したら忘れると思うけど寝たい。朝早よから活動せなアカン
その現実を写す瞳を携え、認識の母体となる小脳を懐き、クオリアの器たる大脳を宿す己の肉体をこそまず第一に穢れと信じるのだ。
故に、女の肉体を憎み、男根に夢を持ち、男色へと思いを馳せる。
穢れなき二次元の男根であろうと、それが一度女性器へと呑み込まれれば現実の体感より穢れが流れ込む。
故に、非実在のアナル、人糞を宿さず、男同士の間で新たな生命さえ宿す幻のアナルを幻視するのだ。
アナルとは尻穴にあらず。
二次元の男色とは穢れなき二次元のアナルへと穢れなき二次元の男根を滑り込ませるものなり。
薄汚い三次元男同士がクソまみれになり踊り狂う妥協と性欲を交えた狂乱とは限りなく違う。
アナルとは、非実在のBLの非実在性を裏付けるための非実在の性器なのだ。
♂の変態アニメオタクが艦これやアイマスのキャラでシコシコするときに使うような「出すはずの穴に入れるという行為により変態性の発露と抑圧された肛門期からの開放のメタファー」などとは限りなく別物なのだ。
胸を揺らすのが気持ち悪いのではない。