はてなキーワード: メンタリティとは
脳がアップデートされてる人って、
父親も母親も育児なんてしなくて良くて全部保育園丸投げで当然、保育士はそれに文句つけず安月給で死ぬほど働け、って考えの人?
それに同意しない奴はOSが古いと言われるのなら、古いOSでいいわ。
育児真理教というか、「育児の最終的な責任者は保育士でも教師でも国でもなく親である」って事すら否定する人多いよね。
保育園が育児全部やってくれない、小学校はもっと育児やってくれない、何でやってくれないの?って人ばかり。
んでいやお前がやれよ、と言われると何で私がやらなきゃいけないの!って発狂。
親なんだからやらなきゃいけないの当たり前だろ、やりたくないなら税金を頼るのではなく正当な対価を自腹で払って他人に頼むべきだし、
その他人に対するリスペクトも忘れちゃいけないだろ、ってのは「古い考え」らしい。
育児は保育士なり教師やり国なりがやるもので、自分は本来やらなくていい、金も出さなくて良くて税金でやるべきもの、
本来はそれが正しいのに現状は間違ってる、と思ってるんだよな。彼ら。
子供は全部親から引き離して施設で育てればいい、ってのと変わらんよな。
いや親としての権利とか、自分が気が向いた時に気が向いた育児だけはやる権利は欲しがるんだから、それ以下か。
子供を児童福祉施設にぶち込んで、でも親権は放棄しないで、子供が大きくなって働ける歳になると働かせて給料奪う為に引き取る糞親って多いらしいけど
松岡修造は錦織に「お前そんな引っ込み思案だったら伸びないぞ、技術のセンスはいいんだからもっと感情を出して自分の意見を表現しろ」みたいなことをよく言ってたらしいな。
テニスみたいな個人競技だと、自分をPRしてコーチに注目してもらうようなことも伸びるか否かの要なんだろうな。中学時代とかに気の強いカースト上位者が上手いこと教師に取り入ってたりしたろ?ああいう才能もないとバックアップも受けられないのかも。
その感覚でずっとやってるから、言ったもん勝ちみたいなメンタリティが根付いてるんだと思う。
一方で卓球みたいなアジア人が強い競技は、バックについてる団体に忖度しなきゃいけないような国の選手が上位層にいるから、おとなしい印象がついているんじゃね?
ネット世論では何かと叩かれる団塊世代であるが、何が悪いのか本気でよくわからない
まず「団塊世代=全共闘」という偏見であるが、1945~1950年生まれであれば大学進学率は3割程度で、しかも学生運動に参加したのはその中の1割程度だ
団塊世代の大多数は高卒か中卒なのである。団塊の行動原理=全共闘メンタリティという説明一発は無理がありすぎる。
よく話題になる「団塊世代のクレーマー」の大多数は学生運動経験なんかない、うるさいクレーマーなのは世代ではなく個人の人格の問題ではないのか
●
過去に自分が仕事で接したことのある1945~1950年生まれは数人いるが、工業高校卒か、学生運動には行かなかったおとなしい優等生タイプだった
1990年代に派遣社員でNECの下請けに行ってた当時は、1945~1950年生まれだが最初期のPC98だのをいじってた経験のあるオサーンが普通にいた
1945~1950年生まれならばパソコンとか使い方がわからんのもじいさんだから仕方ないと諦めもつくが、1960年前後生まれバブル世代なのにITにうといオサーンの方がよほど問題ではないか、そーいう奴も大量にいたはずである
●
団塊世代を擁護する気はないのであるが、単に「数が多い=目立って問題視される、クレーマーとなる者も絶対数が多い」という話であれば、まさに1970年代生まれ団塊ジュニアの20年後の姿も同様であろう
というか、団塊ジュニアは、非正規雇用の貧乏独身者は多いし、ぎりぎりデジタルネイティブでもないし、ガンダムやら北斗の拳やらの1980年代文化を押しつけがましく振りかざすし、20年後には今の団塊以上にお荷物扱いされるんだろうなあと戦々恐々としている
申し訳ないんだけど、彼女は攻撃的な言動が多くて、しかも誠実さがない。
ある属性の、自分に近い人間の利己的な欲求の為に、公平性を一段下げる、みたいな所が嫌いで
多分、この人、将来、結構な不幸になるんじゃないの?と思っていた。
で、旦那さんがガンで亡くなってて、それもtwitterなりブログで公開されてた訳ですよ。
この自分の周囲の事をネタにしてる感もどうなんだ、とも思った。もちおさんはさ、そりゃ妻を愛してるからネタにするのもかまわないかもしれない、愛する妻の希望なら、と。でもそれ過去の全てのエントリで喜んでたのかな?なんだか彼女には更にグロテスクなものを感じてしまった。
あとまぁ、ガンの告知からのエントリの「私は夫を労る優しい妻」的なエントリの作ってる感が怖いのもある。
で、こっからなんだけど、旦那さんがかなり苦しい最後だったようで、あー、やっぱり彼女は不幸を作り出す何かがあるよな、と思ってしまっている。
若くしてガンになる方はいるし、それと彼女のメンタリティは無関係だ、ということは分かりつつ、でも彼女に邪悪さを感じてしまっていて、それしょうがないんじゃないの?と思ってしまっているんだよなぁ。合理的じゃないとも思うんだけど。
聲の形みたいなタイトルにしてみたウフフあのよくえっちなびでおみるんだけどあっびでおっていいかたもう古いわねいまのこはビデオなんか見たこと無いわねえっちなどうが!これでいいわねそれでねよく思うのが腰の角度って大切だなってことなのどういうことかっていうとねこうはいいあーグーグル日本語入力一発で変換できないムッツリスケベねこの野郎あっごめんあそばせまあつまりバックねバックになるときにそのまま四つん這いみたいになってるとほんとなえるのよ背中からお尻まで一直線になってる感じのそれが外から演技指導されたかなんなのかしらないけれどもきゅっとお尻を突き出すようにするとあら不思議一気に魅力とエロさが10000000000倍アップするのよあれを見るにモデルやグラビアのポージングっていうのがいかに大事かがよくわかるわいわゆるソフマップ立ちというやつがあるわよねあれと実際のジャケ写をくらべたらなんでそうなるのってパターンがほとんどじゃないまさにあれよねいくら裸でも棒立ちならエロくもなんともないポーズとカメラアングルによってエロいという価値が付加されるのわかるかしらつまりエロさってのはそれ自体が最初から存在するんじゃなくて後から付加されるものなのよソコのところを勘違いしていないかしら甘んじて股間や胸を見せればいいと投げやりになるだけではそこには何もないの奴隷市場で裸の女が並んでてもエロくもなんともないの昔きれいはつくれるだかかわいいはつくれるだかいうコピーがあったけどまさにそれよねそれと同じよねエロもつくれるのよというかエロは作るものなのよだからほらごらんなさいmetartやらできれいでスタイルいい外人のヌードみてもなんとも思わないでしょうつまりそういうことなのよつまりそこの境界線がどこにあるのかを日々追求し続けているのがエロ業界ということで真実の探求者なのよね言うなれば難問に挑み続ける数学者たちと同じメンタリティなのよしかもさらにすごいのがおっさんたちのサイクルでそれが回されることも多々あるということなのよね二次元業界なんておっさんがつくってオッサンが消費してそこのどこにも傷つく女性はいないというユートピアなのよわざわざ喫煙ルームにまで入ってきて文句つける嫌煙者みたいな女もたまにいるけどほんと勘弁してほしいわオッサンのオッサンによるオッサンのためのエロ文化である二次元こそがすべてのエロ探求者が目指すべき理想郷なのよ三次元も悪くはないけれどやはり完全理想郷には一段劣るわよねまあそれでも三次元がなければ二次元もないのもわかってはいるからそこは感謝しているわどうでもいいけど腰と豚って似てるわね腰の角度って単語が豚の角煮に見えてきたからそろそろ終わりにするわまたいらっしゃいねお待ちしているわ
自分は、少数派にあたる属性をいくつか持っている。「マイナーな職業についている」「マイナーな趣味がある」みたいなのもあるし、差別されるので人には言えないようなのもある。
で、そのうちのどれか同じ属性を持ってる人が、ネットで動画上げたり生配信したりしてるのをたまたま見かけたときに、意外と自分とはメンタリティや生活が違ってて、そのことに軽いショックを受けたりすることがある。そして、ショックを受けた自分に気づいて、「なんか自分おかしなところでショック受けてる……」と二重にショックを受ける。
今ちょうど増田の人気エントリにある記事から、「オタク」を例として使わせてもらうと、自分が「オタク」だと思っていて、他の「オタク」を見たときに、「お、この人もオタクなのか。じゃぁ自分と同じでモテないんだろうな」と無意識に考えてしまう。
(オタクって定義が広いけど、ここでは、サッカーオタクとかじゃなくて、アニメオタクとかパソコンオタクとかの、いわゆるオタクっぽいオタクのことだと思ってほしい)
実際には、「人並みに」恋愛しているオタクはたくさんいるし、友達が多いオタクもたくさんいる。
もしかしたら、「オタクである」こと以外は共通点のない人たちの集合を「オタク」と呼んでいるわけだから、「オタクのうちのリア充比率」も、「オタクじゃない人のリア充比率」も、それほど変わらないのかな。多少の傾向はあるにしても。
ニッチだったところに「一般の人」が多数流入して、少数派度合いが薄まってくると、なおさら。
大昔、パソコン屋に行くと、店員も客も全員、アースカラーのなんか地味なトレーナーとかジャンパー着てて、髪型もあまり気を使ってない、みたいな感じだったけど、その後パソコンが一般家庭に普及し、IT系のベンチャーがかっこいいものとされるようになるにつれて、普通の服装の人が増えていき、おしゃれな爽やか好青年が外付けHDDを買いに来たりするようになった。
というようなことをわかっているつもりなんだけど、ついつい、同じ属性を持っている人を見かけるたびに、無意識に、他の部分でも共通点があるものと思い込んで見てしまう。というか、共通点があることを期待している節がある。
こういうのって、何か名前付いてたりするのかな。「心理学では◯◯効果と呼んでいますよ」とか。知ってる人がいたら教えてほしい。もしくは命名してほしい。
駅のホームを歩いていた
当然、俺は歩く速度を落として女性が開けた場所に出られるまで待った
もうすぐ事務室の側を通り過ぎる、という場面で猛然と人影が俺の側を追い抜いていった
女だ
「何チンタラ歩いてるの? ハイハイ私が危険な場所を通ればいいのね、避けてくれる親切も知恵もないのね」
と雄弁にその背中には書いてあって、足の悪い女性を押しのけんばかりの早足で階段に向かっていった
こういうシーンを本当によく見かける
みんなで進行方向を守っているのに一人で空いた逆側を駆け抜ける女性
女性に体当たりしていくキモいおっさんもきっと同じメンタリティだろう
被害者なら他人に迷惑をかけても踏みにじっても良いという考えはどこから生まれるんだろう?
キラキラOLに憧れている層を、自分は半分バカにしたように見ていた。
そんな非現実的な姿を夢想してないで自分の顔と能力ちゃんと見て?と。
でも、そういう自分はブログで食ってます!ってプロブロガーとか、
会社を辞めてフリーランスで好きにやってます!ってフリーのエンジニアとかの発信に囲まれて、
彼らみたいになりたいと思って、ブログを立ち上げては辞め、プログラミングをかじってみたりした。
それって、キラキラOLに憧れてる層と、対象が違うだけでメンタリティは同じでは?
自分もなれるかもって気にさせられてない?
本当にそれが目指すべき姿?
なんかね、疲れてきたんだよ。
ブログもプログラミングも、あって困るスキルじゃないし、嫌いではないし。
でも、現実の自分はそういうのになるだけの頭と能力、情熱がないわけ。
やっぱ、無理してすごい人になろうとするの、よくないね。
最近、やたらとテレビで「スポーツの指導に暴力は絶対にいけません」と力説してる人が何人もいるのを見ながら、つらつら考えたことなんだけど。
スポーツって、一人で水泳とかジョギングとか楽しんでるんならともかく、それを競技にして順位をつけた時点で、「(物理的に)力の強いものが勝つ」という構造だよね?
で、とくに格闘技とか、コンタクトスポーツの要素があるスポーツになると、相手に上手く突進したり、ぶん殴ったり、投げ飛ばしたり、押さえつけたり、刀を振り回して追い詰めたり、それがうまい人が勝つわけだよね?
そういうことを指導するのに、全く力の要素を排除するって可能なのかなあ?
理不尽に指導者が選手をぶん殴りまくるような指導は、そもそも指導の仕方として効率悪そうだけど、「暴力」と「(正しい)力」の境界線ってかなり曖昧なんじゃないのかな。
格闘技なんてのは、「ルールに従ってるから暴力ではない」ことになってるけど、実際「相手をぶちのめしてやる」という暴力的なメンタリティないと勝てなさそうに見えるんだけどな。
最近、やたらとテレビで「スポーツの指導に暴力は絶対にいけません」と力説してる人が何人もいるのを見ながら、つらつら考えたことなんだけど。
スポーツって、一人で水泳とかジョギングとか楽しんでるんならともかく、それを競技にして順位をつけた時点で、「(物理的に)力の強いものが勝つ」という構造だよね?
で、とくに格闘技とか、コンタクトスポーツの要素があるスポーツになると、相手に上手く突進したり、ぶん殴ったり、投げ飛ばしたり、押さえつけたり、刀を振り回して追い詰めたり、それがうまい人が勝つわけだよね?
そういうことを指導するのに、全く力の要素を排除するって可能なのかなあ?
理不尽に指導者が選手をぶん殴りまくるような指導は、そもそも指導の仕方として効率悪そうだけど、「暴力」と「(正しい)力」の境界線ってかなり曖昧なんじゃないのかな。
格闘技なんてのは、「ルールに従ってるから暴力ではない」ことになってるけど、実際「相手をぶちのめしてやる」という暴力的なメンタリティないと勝てなさそうに見えるんだけどな。