はてなキーワード: クリリンとは
ファンタジーにおける主人公の血統なんて超人的な力を使うことへのエクスキューズみたいなもんだし何で萎えるのかわからん。
純地球人(だったはず)のクリリンが物語終盤まで頑張ってついてきてることとかミスターサタンが張りぼてヒーローでありながら英雄偶像になったのに胸熱くなることはあるけど、悟空やベジータがしっぽ持ちだからって萎えるとか意味分からんやん。
エンダーのゲームくらいまで行かないと血統ちやほや型は萎える。確かに。
アレだ、「血統(とそれに由来する能力)があって初めて辛勝できるか下手したら負ける」くらいの敵とブチ当たらないと感情移入とかないしあんまりスカッともしないんだ。
つまり主人公がどうこうっていうより、「所謂『強大な』敵」が所謂止まりじゃなくて本当に強大じゃないとダメ。
DIOやダッキちゃんやフリーザ様やトグロくらいの圧倒的な力量差。これ。
非オタというかむしろスイーツ寄りの女の子と話したんだけどそこそこ盛り上がったよ。
・推進、反対という立場から議論を始めると、イデオロギー対立になり不毛である。
もっと言えば、「推進」「反対」の二分法自体が無意味であり、どちらかに旗幟を鮮明にできること自体が「ナイーブ」だと思うわけです。例えば、太陽電池大手のシャープが「原発なければやってられん」と言っていたりする。脱原発なら自然エネルギー大規模開発は必須なので(化石燃料無尽蔵&温暖化CO2非原因説はどれだけ甘く見積もっても、例えばもんじゅの安全性と技術的将来性より心許ないのは明らかなので論外)、こうしたこと一つ取っても即時脱原発は正しい正しくない以前に「不可能」であることは明らかです。
なので、具体例を挙げれば、上でリンクしたブクマでシャープ叩きしてるはてな民とか、あるいはこういう意味での穏健な脱原発派を「御用学者」呼ばわりしている連中は「ナイーブ系」であり「電波」であり相手にするに値しない、ということですね。
これは半分違います。私の場合「ナイーブ系」の宣伝が虚偽だと見破れるだけの知識があったのだから騙されたのは自己責任です。元増田でああいう風に書いたのは単なる皮肉です。ただ、私ほど予備知識がない人が騙されたならそれはナイーブ系の罪だと思います。
・政府、東電は、事故当初の混乱状態の中、(多少の遅れはあったものの)、一貫して可能な限り正確な情報を流し続けたが、「ナイーブ系反原発派」は、「メルトダウン隠蔽説」に象徴されるように、政府、東電の発表を捻じ曲げ、事実を隠蔽しているという印象操作を行った。
「可能な限り」とまでは言いません。「不手際」は数々あったと思います。たとえば3/12の最初の水素爆発の当時「情報は確認できていないが線量値から見て格納容器や圧力容器に致命的な損傷があったとは考えにくく、建屋の水素爆発の可能性が高い」なんてことは1時間以内に発表できたはずです。
実を言うとあのときも土曜日だったこともあり、私は買い物を兼ねてターミナル駅に移動しました。もしチェルノブイリ状態になっていたという発表があれば即座に新幹線に飛び乗って実家で土日は様子を見るということを考えたためです。結局、夕方に「建屋の水素爆発だった」という発表があったのでそのまま帰宅しましたが。
福島第一の当時の状態は電話線を誤って切断してしまうというほどグダグダだったと聞いていたので現場を過剰に責める気はありませんが、東京だけである程度できる判断材料はあったと思うのです。故意に隠蔽していたとは思いませんが、もう少し知恵を使う余地はあったと思います。まあ、それもこれも結局はすべて、典型的な事故であったにもかかわらず事前の訓練がなされていなかったことに尽きるわけですが。
・「原発安全神話」というのも、原発推進派がこれまで「絶対安全」とは言ってこなかったことから、反原発派が作りだした印象操作による幻想であることが明白である。
これはそう思います。あともう一つ、「安全神話」に対する懐疑は今まで十分に伝えられていたということで、そもそも「国民が推進派に洗脳されていた」ということ自体が「真理省」的な歴史の書き換えだということです。新聞やテレビで「安全神話崩壊」って今まで何度聞いたかわかりません。
・原発の「安全」性についていえば、主要な安全の基準である「死者の数」からしても自動車よりも安全性が高いのは明白である。
それは事故が起きた後もかわらない。ただし今回、事故が起きた以上、問題がなかったとは言えない。
主要な問題点は、原発が持つテクノロジーの側面というよりむしろ、有能な「理系」技術者が警告をしてきたにもかかわらず、無能な「文系」の運用、監督者たちの妨害により必要な安全策が取られなかったことであるであると考えられる。
「高いのは明白」とまでは言いません。「そういう判断にだって一理はある」ということです。そして、この判断基準に異を唱える人がいるのも理解できますが、だったら「命が一番大切」なんてお為ごかしを言うなよ、ということです。
あと「理系」「文系」の二分法ははっきり言ってどうでもいいです。ブクマとかで「理系」とかにクリリン発動されて売り言葉に買い言葉だっただけなので。ただ、今回の事故は「技術」ではなく「政治」「経営」が原因で起こったのに「原子力技術は人間には扱えない」と、まるで「技術」の方に責任を転嫁していることに違和感があるだけです。
・福島第一原発から放出された放射能および食品への汚染による影響は、少なくとも首都圏に住まう人にとっては、科学的に影響が確認されている年間100mSv以内の被曝におさまるので、実質的リスクは無いか、無視してよいレベルであるから、ことさら騒ぎたてる必要はない。
いや、もう少し慎重です。首都圏の人については「自然放射線の地域差レベルだから無視してよい」ですね。これが10mSvのオーダー、つまり福島県の避難区域外の中で一番深刻な場所程度になると、無用な外出は避けようか、フィルムバッジを持ち歩いて自分の被曝線量を測ってみようか、ぐらいのことは考えると思います。「原発付近の住民への被害を最小限にとどめることができている」はそうだと思いますが。
まあ、率直な実感として、私も当初は1桁ぐらい余分に警戒してましたし、普通の人はさらにもう1桁ぐらい過敏になるんだろうな、って「気持ち」はわかります。
http://twitter.com/hazuma/status/83734788913111040
東浩紀は若い連中切ったとか、人格に問題があるとか、いまの東は終わったとかいうまえに、東浩紀を超える批評家ひとり出せない自分たちの能力を反省しろよ。バカか。
ちなみにこのツイートの直前の発言はこれ。
http://twitter.com/hazuma/status/83733780975722496
逆にぼくからすれば、この論争はもう行くとこまで行っているから、批評家として介入するときは村上隆かカオスラウンジかどっちかとは付き合えなくなるだろうって覚悟もあって、それでここ数週間頭痛いわけだけど、それに較べると若い自称批評家連中はなんて適当でコウモリなんだと呆れ果てている。
クリリンしてる人が多いけど、上の発言は「若い自称批評家連中」に対するものだよね?
素人に対して「俺は偉いんだ」と威張っているわけじゃない。
これは http://anond.hatelabo.jp/20110316202255 の続編です。
GTをやる前に改を書いてくれている人がいてとてもしっかりした内容なのでちゃんと勉強したい人はそっちを見てね!
d:id:ryoasai:20110317 - ドラゴンボールで学ぶオブジェクト指向 改 | 達人プログラマーを目指して
またオブジェクト指向については
d:id:m-hiyama:20080109 いまさらながらだけど、オブジェクトとクラスの関係を究めてみようよ | 檜山正幸のキマイラ飼育記
がとても詳しいです。合わせて読むとかなりしっかりと理解出来ると思います。
ホットエントリに行くとは思っておらず、皆様ありがとうございます。
「ドラゴンボールをオブジェクト指向にする」というコンセプトではなく、「オブジェクト指向を(無理矢理)ドラゴンボールで説明する」という遊びだったので
プログラマーの方々にはツッコミを受けてしまいましたがここは遊びだと思って楽しんで下さい…。
ドラゴンボールは小さい頃から大好きでしたが流石にうるおぼえ過ぎました。
それはさておき「説明する題材を決める→好きな漫画から無理矢理当てはまりそうな例を考える」という思考実験なので、気が向いた方は色々考えてみると楽しいと思います。僕は楽しかったです。
これは難易度が高そうです。
やっぱりドラゴンボールで例えると分かりやすいな!
無理がある!
デザインパターンとはドクターゲロが考えた「こうやって設計すれば色々捗るぞ」という例のことです。実際はGoFという人たちが考えたもので23個のよくあるパターンに名前を付けて整理してくれたわけですね。
23個の中にはブルマさんですらわからないものが多いので(さすがドクターゲロですね)良く使う、代表的な物をいくつか紹介します
Singletonは世界に一つだけしか存在出来ないようにする方法です。
balls = new DragonBalls(); //これでは誰でもドラゴンボールを作れてしまう! balls.callShenron();
クラスの中にはいくつかのメソッドがありますが、簡単に言うと外から呼べるもの、外からでは呼べないものの
二種類があります。そうやってメソッドを保護することで世界の崩壊を防ぐわけですね。
基本的な戦闘力をアップさせるには本人の努力が必要になり、外から簡単に挙げられてしまうとジャンプの三本柱が外れてしまいます。
ただナメック星の最長老や界王神などはかなり偉いので、本人の才能を引き出すことが可能でした。
現実には思いつきのような仕様を後から言われることが多々あります。困ります。
//地球上にひとつだけ存在するドラゴンボールをつくろう class DragonBalls{ private DragonBalls(){ //ドラゴンボールを作れないように生成メソッドを保護します。 } static function sagasouze(){ static singleton_dragonball; //ドラゴンボールを生成。 //DragonBallsクラスの中なので、保護してある「new DragonBalls()」を呼べます。 if(!singleton_dragonball)singleton_dragonball = new DragonBalls(); return singleton_dragonball; } }
地球のみんなは地球語しか話せませんが、ナメック星にいるクリリンを通して願いを叶える必要があります。
クリリンももちろん地球語しか話せませんが、ナメック語を話せるデンデがいるため、地球のみんなは願いを叶えることが出来ます。
class Kuririn{ private dende = new Dende(); function request( wish1, wish2, wisth3){ this.dende.request(wish1); this.dende.request(wish2); this.dende.request(wish3); } } kuririn.request( "ピッコロを生き返らせてくれ", "ピッコロをナメック星へとワープさせてくれ", "ナメック星にいる孫悟空とフリーザ以外を全員地球へとワープさせる" );
この場合のメリットはデンデが何をやっているかクリリンをプログラミングした人が知る必要が無いということです。
地球の人はナメック星にいるナメック星人が「デンデ」であることを知る必要もありません。
それでも願いは叶うんです。
本来であればデンデやクリリンは願いが叶うのを待つ必要がありましたが、地球の人は一気に伝えることが可能なように設計しました。
//デンデクラス。ナメック星人は英語でNamekianらしいです。 class Dende extends Namekian{ function translate(word){ namekian = *****//ナメック語に翻訳します。 return namekian; } function request(wish){ static polunga; if(!polunga){ polunga = DragonBalls.spell("タッカラプト ポッポルンガ プリピット パロ"); } polunga.ask(this.trasnlate(wish)); } }
大まかなアルゴリズムだけ決めておいて、実装はサブクラスに任せる設計がTemplate Methodです。
ナメック星に行く方法を考えた時いくつかの方法がありました。古い宇宙船を探してきて直して載せて…っていちいち書くより同じメソッドでナメック星に行けたほうが便利ですね。
abstract class WayToNamek{ abstract function prepareSpaceShip(); abstract function launchSpaceShip( ship ) ; function gotoSU839045YX( people ){ ship = prepareSpaceShip( ); //船を修理します ship.load(people); //人を載せます this.launchSpaceShip(ship); //船を出発します。 } }
ナメック星に行く方法を定義したので「ブルマ、クリリン、悟飯」組と「悟空」をそれぞれナメック星に連れて行きましょう。
way = new WayWithKamisamaShip(); way.gotoSU839045YX( buruma, kuririn, gohan ); way = new WayWithSaiyajinShip(); way.gotoSU839045YX( goku );
と簡単に方位SU83、距離9045YXまで乗員を連れて行くことが出来ます。
二つの方法を実装します。神様の船を修理して行く方法と、サイヤ人の船(悟空が乗ってきた船)で行く方法の二つです。
//神様の船で行きます。 class WayWithKamisamaShip extends WayToNamek{ function prepareSpaceShip(){ return new KamisamaShip(); //船を準備します。神様の船を使います。 } function launchSpaceShip(ship){ ship.inputByVoice("ナメック星に出発"); // } } class WayWithSaiyajinShip extends WayToNamek{ function prepareSpaceShip(){ return new SaiyajinShip(); //船を準備します。サイヤ人の船(フリーザの船?)を使います。 } function launchSpaceShip(ship){ //audio = new HighSpecAudio(); //ship.setAudio(audio); ship.turnOnCenterButton(); //真ん中のボタンを押すだけ } }
元になる船も違いますし、発射の仕方も違いますが同じ呼び出し方が出来ます。
オーディオの位置が決まりませんでしたが、今回の運用では不要とのクライアントからのご意見でしたのでだったので
せっかく用意したオーディオも無駄になりましたが、コメントアウトしてあります。
亀仙流やつ鶴仙流など、世の中にはいくつかの流派(=クラス)があり、それぞれの流派にかめはめ波やどどん波、舞空術などの技(メソッド)がいくつかあります。
実際に流派にある技を使う場合、技を覚えているZ戦士(インスタンス)が必要になります。
例)亀仙流を覚えた孫悟空を使ってかめはめ波を放って敵を倒す goku = new KamesenRyu("goku"); goku.shootKamehameha(teki);
Z戦士によっては複数の流派の技が使えたり、自分の技を人に教えることが出来ます(継承)。
また悟空とクリリンのように同じ流派でも同じ技で違う性能を持っていたり、オリジナルの技を持っているなどの違いがあります。
クラスはセルを作るためのZ戦士達の遺伝子情報と言っても良いかもしれません。
例)セルを作りましょう。 class Cell extends Goku,Veget,Picoro,Tenshinhan,Kuririn{ .... } cell_inst = new Cell(); cell_inst.shootKienzan(); //Kuririnをextendsしているので気円斬が使えます。
世界(プログラミング言語)によってはただの人を後付でZ戦士にすることが可能です。
(JavaScriptやRubyなど)
noumin = new Hito(); noumin.kougekiKuwa = function(){ //戦闘力たったの5…ゴミめ! }; noumin.shootKamehameha = function(){ //な、なんだと!? };
農民がいきなりかめはめ波をうつようになったら危険ですね、危ないです。
このように後付でメソッドを追加出来るタイプは危険性を含んでいます。
とても良いつっこみが来たので追記します。
前半部分ではZ戦士をインスタンスとしましたが、セルを作るにはZ戦士がインスタンスでは出来ないので
何をインスタンスにして、何をクラスにするかが「設計」なんですね。
セルの第一段階ではGokuなどのZ戦士の遺伝子があれば作ることが出来ました。
cell_inst = new Cell(); //このセルは第一段階
cell_inst.absorb(17gou); //第二段階に変身 cell_inst.call18gou(); cell_inst.absorb(18gou); //最終段階に変身 class Cell ....{ function call18gou(){ if(!this.17gou)return error(); //17号を吸収していないと失敗する this.17gou.speak("****略*****ドクターゲロ様****略****"); } }
17gouを吸収したので、17号の声で18号を呼ぶことが出来るようになりました。
でもドクターゲロ「様」って言ったのでセルだってバレバレですね。
http://anond.hatelabo.jp/20110316224648
クロージャについてちゃんと書こうと思って挫折。どなたか良いアイディアを下さい。
変数のスコープを解説する必要があるかなと思ったんですがオブジェクト指向からは外れるような気がします。
エネルギー波→連続エネルギー波がどこかに使えそうな気がしましたが、気のせいだったぜ…
僕が言っているのは、単なる「リアリティ」の話じゃない。設定を細かくしろと言っている訳じゃない。先に言ったように、キャラクターバランスの説得力の話をしている。
一度あげたドラゴンボール(Z以前)を例にとる。ドラゴンボールにおいて、孫悟空は常に導き手に従い、それを克服して、次々取り替えながら成長している。ブルマ→亀仙人→カリン様→神様という具合。悟空は常にロールモデルを持ちながらそれを乗り越えることが「成長」になっている。特に亀仙人はとてもいい加減な性格をしながらも、拳法に関してはとんでもないパワーを発揮したり、非常識な修行を課すことで悟空(およびクリリン)の師匠としての役割を、長期にわたって果たしている。だから、それを悟空が克服してしまうことが、大きな成長を示すひとつの根拠になっている。
ここで悟空の立ち位置になるのが、チルドレン+皆本。で、ちょっと複雑だけど、チルドレンたちにとっては、皆本が成長するべきロールモデルを果たしている。彼女らは皆本を目標に過ごしていけば、成長することができる。ところが、肝心の皆本にロールモデルが無い。だから、彼が優等生みたいな台詞をはいても、モブの学級委員長みたいな薄っぺらさしかないのよ。
じゃあ、なんでここで「バベル」なのか。それは、彼らのアイデンティティだから。彼らはバベルに所属することで物語世界で一定の役割を果たしている。彼ら、特に皆本にとって成長していくことが可能な場所は、バベルしかない(チドルレンたちには、学校があるし、今後のパンドラとの関係もある)。もし彼がバベル以外で成長できるなら、さっさと彼をバベルから外せば良い。それすら拒否をするのであれば、皆本を最初から成長しきった老人として描くしかない。だからこそ、バベルをもっと厚みのある形で書いてくれないと、なぜ彼がバベルにいるのか(いようとするのか)、バベルでどういう成長を遂げるのかが見えないのよ。
という感じで、成長譚として描くなら、本来なら皆本に導き手が必要なはずだけど、それがないにも関わらず、完全無欠なキャラクターとして描かれている(特に精神面)のが気持ち悪いんだよ。一度スランプに陥らせるのが、物語の良いきっかけになると思うんだけどな。
前のん: http://anond.hatelabo.jp/20100620143255
前回エントリのブコメ/トラバに逐一答えることはできないけど、眺めていて誤解があったかなと思う点について補足しておく。
まず一つ言っておくと、俺は自分の英語学習の成果としての英語力に「満足している」。俺の英語力は俺に対して果たすべき役目を十分に果たしてくれている。そして同時に、自分には場合に応じてネイティブの力を借りなければならない状況があることを知っている。しかしその自覚は、決して自分のコンプレックスを掻き立てるようなものではない。
なんつーかな、例えて言うなら、超サイヤ人になれなくてもクリリンにはなれる、ってことです。フリーザ一味のザコならガチでボコれるし、フリーザ相手にだって気円斬駆使して、クラッチプレイヤーとしての役割を果たすことはできるわけですよ。しかしやっぱり最終的にはサイヤ人やナメック星人の力を借りて立ち回らなきゃいけないわけ。
「クリリンにだって重要な役目がある」ことと、「でも結局クリリンはクリリン」との間のバランスを取ることはとても大切なわけですよ。「どうせフリーザには敵わないんだから俺何もしねえよ」でもなく、「俺はもうフリーザとも互角だぜ」でもなく。修行の成果を自分の糧とし、修行していなかったら見ることのできなかった世界を見ることの意義は、「ラスボスを独力で倒せない」ことによって失われるものでは無いんです、全然。
しかしですね、今日本人に向けて英語をやれと言う人達。主として経営者であり役人であり、もしくは煽り口調でいうなら「中途半端に英語ができる人間」ですね。英語をやれと言うこと自体はものすごく合理的だし理解できる。そこを問題視しているのではない。問題は、往々にして彼らは、「(今の段階の)クリリンにできること」の限界がわかってないと思われる点にある。そこから出てくるのは無いものねだりであり、無いものねだりされた側に植え付けられる英語コンプレックスである。その意味で、俺が指摘したかった問題は「レベルの高い」ことではなく、むしろ日本における初級以降の英語学習者の扱いなんである。
一つ例を挙げましょう。金谷憲の「英語教育熱 過熱心理を常識で冷ます」より(今手元に本が無いので記憶に基づいて。多少不正確かも)。文科省の高校英語の学習指導要領に「実践的コミュニケーション能力の育成」という項目が入った。で、教師が「実践的コミュニケーション能力って何、具体的には何を教えればいいわけ?」と問うた。当然ですな。そしたら文科省側は「例えば英語で電話をかけることができるような能力です」と答えた、というエピソード。
しかし(ここからは金谷さんではなく、俺の意見)、英語圏で生活をしたことがある人間なら皆実感として知っていると思うんだけど、「英語で電話をかける」のはものすごく難しい。
これはちょっと考えれば当たり前の事なんです。まず、今時「電話での会話」が必要とされるのは、緊急性が高く、複雑なコミュニケーションが必要な状況に限られる。それ以外だったらメールや、自動音声ガイドに従ってプッシュホンのボタン押すので済むわけ。わざわざ電話で相手と話さなければならないのは、何かすぐに解決しなければいけない問題があって、その問題は単純なYes/No疑問文の応答では解決しないようなものである場合、ということになる。
そして電話である以上、視覚情報は全て遮断される。ジェスチャーや指さしを使うことも、相手のジェスチャーや指さしや表情から情報を得ることもできない。単純な音の聞き取りにすら視覚情報は大きな役割を果たしている(「マガーク効果」でググれ)。さらには頼みの綱の音声すら、電話回線を通して劣化していて、生で聴くよりも情報量が減っているのだ。この失われた情報の埋め合わせをするのは、確固たる英語能力に基づくトップダウン型解釈しかない。
というわけで俺は、日本人の高校生に電話での会話能力を習得させるのは実質不可能だと思う。そもそも順番がおかしい、「面と向かってなら十分に会話ができる」レベルに達して初めてそれよりも困難な電話に挑むべきだ。しかしお上にやれと言われた教師は、とりあえずやらざるを得ないわけですよ。なので電話での定型文を適当に教えてお茶を濁すことになる。Hello, this is Bob speaking.
で、高校生は卒業後、アメリカに旅行に行く。そしたら目的地の空港でスーツケースが出てこない(アメリカの国内線ではよくある)。空港のカウンターに行ったら、「後でここに電話しろ」と電話番号を渡される。ホテルの部屋から電話する。全然向うの言うことがわからない、こっちの言いたいことが伝わらない。惨めな思い。「学校英語なんて役に立たない!」となる。俺は六年英語をやらされたのに電話一本かけられない、ああ何て日本の英語教育はクソなんだ、もう英語はイヤだ。
しかし、仮にこれが中国だったらどうか。中国の空港でスーツケースが出てこない、ここに電話しろと言われた、電話したら中国語で何言ってるか分からない。大抵の日本人は、ここで頭を抱えて自分の中国語能力の無さに身悶えたりしない。まあ当然わからんよねーそりゃ、あーまいったなーと言いつつフロントに向かい、フロントマンに筆談や身振り手振りや片言の英語/中国語を組み合わせて意志を伝え、代わりに電話してもらうだろう。首尾良くスーツケースが届いたら、上手いこと言語の壁を迂回した自分のコミュ力にニンマリするはずだ。
この非対称性を日本人は深刻な問題と捉えるべきだ。例えば、「学校英語が役に立たないのではなくて、学校英語ではできるようにならないことがあるだけ」という、ごく単純な真実を覆い隠しているのものは何なのか。それは元を辿れば、「クリリンは超サイヤ人にはなれない」という認識の欠如で、さらにその大本にあるのは「超サイヤ人にならなければ生き残れない」という思いこみなんじゃないか、と思うんだよね。違う違う。学習のどんな段階においても、英語に関して「できないこと」は無くならない。どうしてもそれをやる必要があるなら、ネイティブにやってもらえばいい。「ネイティブにやってもらう」のは、恥ずかしいことでも、難しいことでもなんでもないのだ。
大学院を出て五年近く、今頃になってやっと気がついた。
なまじっか「高学歴」と呼ばれる経歴を持っていると、ときどき「高学歴の奴は勉強しかしていないからダメだ」(勉強「しか」していない奴なんてどこにいるんだ)とか「欧米の一流大に比べれば東大はカス」(「欧米の一流大」や「東大」の実態をあんたはどれだけ知ってるの?)とか「お前は高学歴だからって俺のこと見下してんのか」(はあ????)とか、何も言う前から勝手に喧嘩売ってくる奴にたびたび出くわしてそのたび辟易してたのだが、これは案外「学歴コンプ乙」だけで片付けて良いものではない、もう少し根が深いのかもしれない。
実際、こいつらの考えは別に事実認識としては間違っていない。「学歴が高いから優秀だとは限らない」「試験のための勉強が実社会で役立つとは限らない」その通りだ。誰もそんなことを否定はしないだろう。だったら、そんなこと黙っておけばよい。黙っておけば「学歴」のことを意識に止めることもなくなり、自ずと「実力」だけが浮かび上がってくるのだから。問題は、こいつらがその辺でやめておかないことだ。何が何でも、学歴と「実力」は無関係だとか、あるいは高学歴の人間は実際は「実力」が低いだとか、そういう風に決めつけたがる、あるいはそういう色眼鏡で人を見る。うざいことこの上ない。
そしてそういう奴に限って「ネットは知の高速道路」とかそういうわかりやすいフレーズをマンセーして、生半可な「知」にしがみつきたがる。単に特定のプログラミング言語のコーディング技術が高いか低いかというのが「IT」の全てだと思っていたり、あるいは「やる夫で学ぶ」程度のわかりやすいお話で歴史や政治や経済について、「『マスゴミ』に騙された愚民」とは違う「真実」を知った気になったりしている。
不思議なことこの上ない。「業務システムのコーディング」は「IT」の氷山の一角にすぎなかったり、「リフレ」は学説の一つに過ぎなかったりという発想がまるでないのだ。たとえば「IT」でも経済学でも、音声・画像処理だとか近代経済学だとかの分野はかなり高いレベルの数学に基づいていて、これらは「知の高速道路」とやらで促成栽培できるものではないということにまるでお気づきでないらしい。
別に誰しもが「学歴」を追及する必要はない。スポーツ選手や料理人を「学歴」で測るのは無意味なことだろう。それらに限らず「知の高速道路」を辿って行き着ける分野で活動する限り、「学歴」に価値を見出さなくともそれは当然だ。しかし、そういう自分の狭い知見だけで、「あらゆる分野で学歴は無意味だ」といってわざわざ他人に喧嘩を売り出すとなればもはや「コンプ乙」だけですまされるものではなく、もはやこれは反知性主義としか言いようのないことだ。到底「仕分け人」を馬鹿にできる筋ではない(実際、「光より速い通信手段」云々といって盛り上がっていた連中のうちのどれだけが、電話回線の中を電気信号は光速で伝わるという事実に気づいていたのだろうか)。
酔った勢いで愚痴を垂れ流していたら結論をどこに持って行こうとしていたのかもはやわからなくなってしまったが、ともかくこういう風潮は健全でない気がする。「学歴」がないことに劣等感を持つ必要はないが、「学歴」の価値自体を躍起になって否定しようというのはどう考えても頭の良い考えではないだろう。東大よりもよっぽど入るのが難しい東京芸大の卒業生に劣等感を抱く人は少ないだろうし、東京芸大の卒業生に並大抵の素人がその専門分野で勝てるわけがないということをわざわざ否定してかかる人はいないだろうに、どうして東大だの京大だのは同じように扱おうと思わないのか、クリリン君達はその辺をもう少し考え直してみて欲しいものだと思う。
就活の時期になってきました。就職戦争へ向かう前にあなたの強さをはかっておきましょう。
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5万:東京外国語 横浜国立 千葉 筑波 奈良女子 広島 同志社 立教 明治
3万:電気通信 東京海洋 東京農工 首都大学東京 大阪市立 大阪府立 京都府立 京都工芸繊維 中央 法政 青学 立命舘 関西
1万:岡山 金沢 横市 名古屋工業 九州工業 熊本 学習院 東京女子 日本女子 成蹊 成城 明治学院 聖心女子 学習院女子 南山 西南学院 フェリス女学院 神戸女学院 芝浦工業 同志社女子 京都女子
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5000:新潟 埼玉 信州 静岡 日本 獨協 文教 武蔵 国学院 専修 武蔵工業 東京農業 北里 東邦 清泉女子 白百合女子 東京工科 武蔵野 桜美林 神田外語 京都産業 近畿 龍谷 甲南
3000:群馬 茨城 高経 滋賀 岐阜 三重 東洋 東海 駒澤 神奈川 玉川 近畿 日本社会事業 東京経済 共立女子 東京電機 工学院 愛知 大東文化 亜細亜 名城 東北学院 京都産業 福岡 大阪経済
1000:山形 小樽商科 岩手 麗澤 東京国際 実践女子 昭和女子 東洋英和女学院 立正 千葉商科 関東学院 愛知学院 中京 大阪工業 桃山学院 神戸学院
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350:鶴見 和光 城西 城西国際 杏林 九州産業 その他多数
5:ニート
10万:税理士 公認会計士 高度情報(マネジメント系) TOEIC990 英検1級
3万:TOEIC860 簿記1級 高度情報(スペシャリスト系) 英検準1級
1万:TOEIC730 応用情報
オプション(複数あるなら全て加算)
3万:リーダー体験 体育会系の部活に所属 飲食店でアルバイト ボランティア活動
フリーザ:53万
ベジータ(復活後):20万
孫 悟空:12万
ギニュー12万
リクーム、ジース、バータ:5万
ベジータ:3万
ザーボン:26000(変身後)
ドドリア:22000
キュイ:18000
孫悟飯:14000
クリリン13000
グルド:10000
ピッコロ:3500
天津飯:1830
ヤムチャ:1480
餃子:610
農夫:5
参考サイト
http://study.milkcafe.net/test/read.cgi/gakureki/1214981450/l50
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%A0%E3%83%81%E3%83%A3
何十キロもある甲羅を背負って畑を手で耕したり、甲羅を背負ってものすごい距離を牛乳配達したりするような亀仙人のところでの辛い修行はもちろん、それを超えた辛さの神様の下での修行、さらに最初は悟空でさえ歩くだけで辛かった界王さまのところでの修行でさえ耐えて頑張ったんだぞ!
「オレ修行しました、頑張ってるでしょ!」なんて自己主張は一切せず、不平も言わずに地球のために戦い、死んでいったりしているヤムチャを何故そこまで悪く言う? 頑張ってもどうしてもダメな場合だって人生にはあるんだよ。ヤムチャはベストを尽くした。それでも迫り来る困難には力が及ばなかっただけなんだ。
ヤムチャを責める人は、ヤムチャの努力を忘れてるだけなんだよ!
派遣の人たちだってそうだ。
精一杯努力してたけど、社会情勢の変化で派遣しか仕事が無かったのかもしれないよ。
体調を壊したりしてたのかもしれないよ。
とりあえず、ヤムチャに謝れ!
どうにも大手の正社員がすごく強いように扱われているので大手の正社員を悟空、ベジータとする。
普通の正社員もそこそこ強く扱われているのでトランクスや悟飯、ピッコロと置こう。
と、なってくると派遣社員はヤムチャ、クリリン、天津飯、チャオズあたりが妥当だろう。
強い敵(不況)が現れたらどうなるのか。
強い敵としてセル編を想定して欲しい。
悟空やベジータの強さは圧倒的だ。並みの敵ならちょっと修行した程度でなんとかしてしまう。
クリリンはすごい。地球人最強の名は伊達でなく、必死に戦いながらなんとか生き延びる。
対してヤムチャやチャオズなどどうか。
ヤムチャは素質自体クリリンと対して違わないはずであるのに、どうして退場せざるを得なかったのか。
修行としか考えられない。クリリンの積み重ねや経験は苦しい戦いを生き抜くのに非常に役に立ったのだろう。
可愛そうなのはチャオズである。
命をも削るザ・体育会系、天津飯の元で修行をしながら、「ついてこれそうにない」の一言で退場させられてしまった。
チャオズ自身の修行ではどうにもならないレベルまで事態は進んでしまっていたのだ。
これでは「いくら修行しても…」とチャオズが考えてしまっても無理からぬことである。
で、多分問題なのはみんなヤムチャを見て派遣を叩いているということ。
そして、派遣擁護派はどっちかというとクリリンやチャオズみたいなのを見ながらヤムチャを擁護しているということ。
和歌山市との比較のため、市町村(区)単位で書いたつもりだったんだけど、読み返してみたら、県と地方と市町村がちょっとごっちゃになってるとこもあった。「祭りの時にハジケ過ぎて社会問題として扱われる。」の項とか。市町村ピンポイントだとあんま問題になってない。
「テレビ番組の放映は大体一週間遅れ。 」とかその辺は、市町村ピンポイントでも当てはまるからわざと。
あと市、町、村のどれかも特定しないように書いたつもりが、思いっきり「町おこし」とか言っちゃってて、うひゃー駄目だこりゃと我ながら思った。
クイズじゃなくてクリリン誘発狙いの意図で書いたから、あたりはずれは特に言う気無い。捨象しなかった時のリストは後で書くかもしれない。
あれは今から十数年前、京都で起こった出来事です
タイトルは忘れましたが、劇場版ドラゴンボールを友人数名と映画館に観に行ったときの話です
私の左には友人が右には母親と来ていた子供(小学校低学年)が座っていました
その子供は興奮しているせいか母親に大声で目の前の映画の内容を実況していて
優雅にドラゴンボールを楽しみたい私は少しイライラしていました
その映画では悟飯がピンチになり、さっそうとピッコロさんのマントが翻る場面があり
横の子供が「ピッコロ来た!」と嬉しそうにまた大声ではしゃぎます
「なんでやねん」と仲間内で薄ら笑いが起こり、まあこのボケならこんなもんかなと満足していたのですが
友人から「おまえネタバレすんなよー」と非難轟々でした
「いや、ボケたつもりだったんだけど」いくら弁解しても疑いの目は晴れません
しかし、子供だったこともあり、予知能力だ!自分には超能力がある!と
右手をじっとみては"気"を溜めたりして、非難されたことを気にも留めませんでした
ふと、右側からなにか凄い視線が送られてくるのに気づき
顔を向けてみると恐ろしいほどの眼つきで睨まれているではないですか
さっきまであんなにはしゃいでいた子供がものすごい大人しくなっていて
信じてください
私は本当にクリリンだと知らなかったのです
パンフレットも見ていません
ボケたつもりだったんです
「クリリンが来た」
「なんでやねん」
「イヤ、クリリンやって」
「緑色やん」
と、言う会話をシミュレーションしていただけなんです。(一つ目の反応が悪くて失敗しましたが)
でも、ボケたかったんです
一つ目は仲間内に面白いやつだと思われたかったのと
二つ目はシミュレーション通りに会話が続くと子供は我々にうるさいなと抗議の目を向けてくるはず
そこでキミがしていたのはこういうことなんだよ、とビックリするほど遠回りに諭そうとしたのです
十数年が経った今でも、あの時の親子の落胆振りが目に焼きついて離れない
母親はドラゴンボールに興味なさそうだったが息子が楽しそうに観て、興奮して、自分に話しかけてくるのを凄い嬉しそうにしていた
それがあの不用意な一言で・・・・
今では何かを発言する前にこの言葉が聞こえる人にはどう影響するかを考えてからにしています
考えすぎて喋ろうとしたときには次の話題に移り友人からは寡黙な人、無口な人となりました
これで私の懺悔を終わります
皆さんも年の終わりの垢落とし
懺悔してはいかがですか
どうも、この記事の作者です。前もって補足記事に追記して釘を刺しておいたにも関わらず、よくわからない反論(?)が来てしまったので、一応フォローしておきます。同様の誤解をしている人も結構いるらしいので。
実を言うと、この記事については反論することはあまりないんですね。言ってることは、細部はともかく全体としては同意できるものですし、知らないこともいろいろ書いてくれて勉強にはなりました。
ただし、唯一同意できないのは、それをもって私への反論だとしていることです。だって、この人の書いてることって、私の書いたことの「東京」と「関西」を入れ替えて、似たような立場から書いただけの話なんですから。それに私が文句言うわけないじゃないですか。そして、「関西の風土のよい点を聞きたい」といわれても、私は最初からお国自慢なんかする気はないと補足記事で断ったはずです。木によりて魚を求められても困ってしまうのですが。
この人に限らず、反応の中には、自分が批判されたと思いこんで怒っていらっしゃる方がおられたようで、それが少し気になりました。そうした方々は、私がいったい何を言っていると思ったんでしょうか。私は「東京」を批判したのではなく、「東京は中心で地方は周縁」という迷信を批判したのです。いくら私でも、東京の人の全員が「大阪人は民度が低い」なんてことを言っているとは思いませんよ。確かに、最初の記事を意地悪く読めば「東京の人間は全員偏見まみれ」と読めなくもないかもしれませんが、たとえば「アメリカでは、進化論さえも政治的な話題として扱われてしまう」という書き方だったらどうでしょうか。アメリカとかアメリカ人を全部ひっくるめて批判したことになるでしょうか?
その辺の誤解を防ぐために補足記事を書いたわけだし、題名に「東京が嫌いなんて誰が言った?」と書き、本文中に「文化や言語に優劣などありはしない」と太字を付けてまでわかりやすく書いたにもかかわらず、「お前なんか大嫌いだ」と言われるのであれば、もはやこの方は私が何を言おうと気にくわないのだと判断するほかありません。「そうですか、残念です」としか言いようがないことです。
この人ばかりではなく、同様の感情的な罵倒がいくつかあったことは残念です。「東京は中心」という迷信を批判したらそれがすなわち東京を批判したことになっているのだとしたら、その人の中では「東京こそが中心」という迷信が自明化されてしまっているのでは、とこちらまで邪推したくなりますよ、そのうち。
あと、埼玉の件が思った以上に誤解を招いているようなので、一応補足しておきます。
おそらく、誤解を招いているのはこの一文でしょう。
この「埼玉人」は集合名詞ではなく一般名詞です。つまり、「おおよそ埼玉人という奴らはすべて卑屈であって」という意味ではなく、「埼玉人の中にの卑屈な奴がいて」という話です。
たとえば「俺は百円ショップでまで値切るがめつい大阪のおばちゃんではない」と書いたとして、「大阪のおばちゃんは全て百円ショップで値切るほどがめついと思われているのか!」と読む人はいないでしょう。そういうわけで、最初は「『産む機械』じゃあるまいし、邪推も大概にしてくれ」と思って無視していたのですが、確かに主語が「我々」となってみると、「埼玉人」も集合名詞であると誤解しやすいかもしれないと思い直したので、一応念のため補足しておくことにしました。ただそれにしても、直後に
それとも、東京人は自分たちの身内も「ダサイタマ」などといって馬鹿にしているくらいだから、よそ者などもっと馬鹿にしても当然だとでも思っているのだろうか。
とまで書いているのだから、埼玉が馬鹿にされたと読まれるとは正直思いもしなかったのですが。
あ、ちなみに、上の引用箇所の「東京人」も「(その手の)東京人」とでも読み替えてくださいな。なにしろ、ホットエントリになると思わずに愚痴を書き捨てただけだから、細かいところで舌足らずなのは正直ご勘弁いただきたいです。そこを補うために補足記事を書いたくらいなので。
以下蛇足。私が匿名日記を書くとときどき、捨て記事のつもりで適当に書いた記事に限ってホットエントリに入ったりする(受けを狙うと全くといってよいほど入らない)んですが、そのとき必ず一部の特定の同じ人たちが罵倒を浴びせてくるのはなんでなんでしょうね?毎回、全然違う話題について述べているのに。好意的な反応をくださる方は毎回顔ぶれが別なので、ますます不思議です。
もういい加減腹が立ってきた。
b:id:perfectspell 間違い探しゲーム, 100字コメント一部にそういう人がいるから「埼玉は卑屈」「埼玉は馬鹿にされている」と書くのがOKなら、「大阪は民度が低い」と全てのメディア(ネット含む)が言ったとしても、エントリ主には「一部の」と脳内補完されて無問題?
本当に「間違い探しゲーム」ですね。まず、「民度」という言葉は集団に対して使う言葉ですね。次に、「馬鹿にされている」と書くことが罵倒なら「障害者は差別されている」と書けば障害者差別なんですかね?最後に、「埼玉は卑屈」なんて書いてないでしょ。人の書いたことをわかりやすく歪めないでください。だいたい、「一部の」とかそういう問題じゃなくて、たとえば「馬鹿な男が」とか書いたら「男は全員馬鹿」って意味になるんですか、という話ですよ。誤解の余地がある書き方をしてしまったことは認めますが、わざわざ悪い方に解釈されるのは心外です。
敢えてクリリンを発動するが、確かに俺が女性に対して鈍感であることは認める。「普通」の人が女性に対してやっているような気遣いはしていない。ただ、それをいうなら非モテ男は男性に対しても鈍感だと思う。非モテ男が体育会やリア充とつきあいきれないといって嫌うというのはそういうことだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20080621203424
灘とかラサールは非モテ臭いかもしれんが、甲陽とか洛星は中立だろうし、麻布や慶応はモテだろう。そう考えると男子校と非モテが関係ないことぐらいわかりそうなもんだが。
敢えてクリリンを発動するが、確かに俺が女性に対して鈍感であることは認める。「普通」の人が女性に対してやっているような気遣いはしていない。ただ、それをいうなら非モテ男は男性に対しても鈍感だと思う。非モテ男が体育会やリア充とつきあいきれないといって嫌うというのはそういうことだろう。
非モテを自称する男の人たちって基本的に「女の子に告白されて付き合いたい」人だろ
どっから出てきたんですか、その結論は。
そういう牽強付会をするからなんちゃってフェミが嫌われるっていい加減学習しなさいよ。何事にもメリットとデメリットがあるのは当たり前。金があることにだってデメリットはあるし、貧乏にだってメリットはある。要は、程度と目的の問題。
ちなみに、女を侍らせて青春をエンジョイしたいって欲求が淡泊な俺みたいな男にとっては、女がいることで生まれる男同士の鞘当てから無縁でいられることは非常に気楽なことなんだが、それもミソジニーなのかね?あん?
こちらを書いた増田です。一部で誤解されてる節があるけど、「生まれてきて、すみません」の人とは別人なのであしからず。
専門家の手を借りて適切な方法・方向に努力すれば、解決できる問題なのではないかな、というのは脳天気すぎるでしょうか。どうも自己責任論に結びつくのがよく分からないのです。
ああ、ごめんなさい。怒ったわけじゃないんです。単にこういう方向で世論の流れが作られていくと、絶対どこかから乱暴な自己責任論を説く奴がでて、それで雰囲気的にFAになってしまうんじゃないかという嫌な予感がしただけで。べつにドンジレさんが自己責任論を説いたとかドンジレさんに腹が立ったと言ってる訳じゃない。
それはそれとして、「専門家」というのが誰なのかが個人的には気になります。この道で信頼に足る「専門家」なんているんでしょうか。多分私は病気と言うほどの非コミュじゃないので医者やカウンセラーはお門違いでしょうし、いわゆる自己啓発セミナー系の人間は非コミュの天敵ですから。彼らの言うことは理屈の面では薄っぺらで付け焼き刃矛盾満載で、肝心の結論は道徳の教科書レベルの当たり前の話だったり単なる同語反復だったり時代遅れの保守反動思想だったり。ほら、誰とは言わないけど某斎藤孝とかワタミの社長とかね。ああいう奴は「コミュ力」なんて言葉を流行らせて不安を煽ってから商売してるだけのマッチポンプなんだから、相手にしたら負けです。あんな奴らの言うことを聞いたり、本を買って金を払ったりするならその金をドブに捨てた方がはるかにマシでしょう。
かなわないことを自覚した上で((あなたは自覚してるよね。えらい!))、どうやったらもっと幸せに生きられるか、あるいは他に何か勝てることがないか((あなたはまさにそう主張した。正しい!))、探すのがいいと思うよ。
どうもありがとう。それが正しいのは当たり前のことなんだけれど、世間で余りにも「コミュ力」「コミュ力」と言われるとたまに自信が挫けそうになるから、そういう言葉をもらえるとありがたいよ。
理解できないノイズだけが大量にあるよりはほんの少しをきちんと受け取れることのほうがきっと尊いから。そのほんの少しを受け取るための、あるいは「受け取れてない状態」を自覚するための、貴重な苦労だよ。
どっちかというと、「受け取ってもらえないこと」の方が問題かもしれない。いや、受け取れないからずれた反応をしてしまうということがあるのだけど、たまにクリリンを発動して怒り出す人がいたりとか、ね。世の中の大半の人にとっては「発言は内容より発言者の印象」なんだよね。
嘆く前に、数年計画でだんだんコミュ力つけていけばいいんじゃないって自分は思った。
だから、3歳のときから26歳の現在まで23年間頑張ったけど、追いつけないばかりか差をつけられてるって話なんですが。
もしあなたが自分に直接向けられたミソジニー発言でなくて、非モテ(の中の極端な一部の人)とか男(の中の極端な一部の人)に向けられたミソジニー発言に対して一々反応して心を痛めてるなら、それはさすがに疲れるだろうし、万が一反論でもしようものなら、文章の中の些細な点をとりあげて「そういうところがミソジニー」と言い出す人が必ず出るから(もうすでに出てるけど)、あなたの精神衛生のためにスルーをお薦めしたい。全力でお薦めしたい。
あとミソジニーは増田にはないとしても、それなりの割合の男性の中に多かれ少なかれあるもんなんじゃないかな。それを人前に出すかどうかには大きな個人差があるとしても。ものすごく古い概念だし、古今東西の文人が書いてる。そんだけ普遍性のある感情なんだと思う。無くそうとしても無くせないと思う。自分は女だけど、女に生まれたからには「女は馬鹿・浅はか・欲深い・嫉妬深い・感情的・思慮がない・愚か・とにかく劣った存在・とにかく悪い存在・エトセトラエトセトラ」と言われるのはもう仕方ないと思ってる。毎日々々大量に入ってくるから、そんだけ普遍的な感情なんだと思う。実際そう言われても仕方ない面が「集団としての女」にはあるのかもしれない。そこはもう(個人としては)しょうがないから、(自分に出来ることは)自分がそうならないように努力するだけ。
実際ミソジニー表現はそこら中にある。ここ増田にもある。ミソジニーという言葉を使うにしろ使わないにしろ、それを指摘する人は出る。そのときにいちいち身に覚えのない増田が「自分が言われた」と感じて傷つくのは、本人の精神衛生に悪い結果をもたらすだけだと思うんだ。だって本来その言葉を向けられた先と違うんだもの。こういう他人の罪を自分事のように感じてしまう人って難儀だね。クリリンて奴なんだけど。
もっともそれを言う方も、大雑把に、非モテが、男性が、と言ってしまうのは気をつけるべきだね。ただこういう場なんで強制することは出来ないから、これからも大雑把な言い方をする人は出るだろうし、増田自身が心の中で一線を引くことをお薦めしたい。
http://b.hatena.ne.jp/y_arim/20080409 より抜粋
ありがちな反応「どう見てもモテるけど贅沢な俺アピールです。本当に有難うございました。」
よく訓練されたはてなー風の反応「非モテ界に新キャラ誕生!イケメン超モテあてつけ罵倒芸!よっマッチョ!しびれるゼ!イカしてるゼ!(拍手喝采=ブクマの嵐)」