詳細は省くが、Twitterで軽んじられている気がする。
もちろんこれはほとんど被害妄想でしか無いのだが、実際に扱いの格差を感じた瞬間、自分のアカウントがあまりにも無価値であることに絶望して書いた自分用の日記の一部である。
軽んじられていることを感じて、私はひどく動揺し、怒りすら覚えた。私は軽んじられるのが嫌いだ。好きな人は少ないだろう。
しかし、軽んじられている理由を考えてみれば、純粋に私に魅力や利用価値が無いからとしか思えず。軽んじられたこともそうだが、自分に価値が無いことを改めて思い知ったのがより心に傷を付けた。
思い返せばコンテンツに対する感想を吐けなくなってからというもの、Twitter上に私の居場所は無かった。ただなんとなく知り合いの絵師に擦り寄ってるだけのキモいアカウントと化していた。それは疑いようのない事実で、そこから目を逸らしてしまっていた。
アウトプットもインプットもせず、無為な日々を過ごすだけのアカウントに価値など無い。私はどうしようもなく悔しくなった。
かといって私は創作ができるわけでもなければ感想を吐けるわけでもなく、軽んじられながらただTwitterをするだけの日々に耐えられないのなら、Twitterを辞めるしか無いのもわかった。
私は、常々創作をしたいと考えていた。ネタはある、が、誰もが頭の中だけなら名作を書ける小説家だ。私はいつもできないできないと諦めてばかりで、今回の書きたいネタだけでも2ヶ月。全体的な執筆活動としてはもう5年近く『できない』と思い込み、更にありとあらゆることへの挑戦という意味で言えば23年間、人生のほぼすべての期間を『できない』の中に閉じこもってしまっていた。
どうすれば『できない』が『できる』になるのか全くわからない。「考えるよりまず書け」「やる気が出るより先に書け」なんて言うけれど、私の頭は昔のように物語へ没入することができなくなり、物語に向き合う姿勢すら作れなくなっていた。
いわゆるオタク活動を昔のようにエンジョイできない苛立ちも手伝い、常に余裕の無い生活がもう2年近く続いている。いい加減ここから抜け出したい。と考えてばかりで先は進まない日々ももう半年。
だから少し前から日記を書き始めていた。今日まで1週間近くサボっていたけれど。ゴチャゴチャして読みづらく、全く支離滅裂な文章かもしれないけれど。
誰か私の苦しみを和らげてくれと助けを求めて吐き出したこの文章が、いつか自分の作りたいものにつながっていると信じて、書く練習としてまず今日の日記を書いた。
明日には恥ずかしさのあまり消えてしまいそうになったり、反応が無いことに絶望することがわかっていても、ここに書くしか無いのだ。
それは表現者全員の課題なんだと思う 行動できた人が強い