はてなキーワード: いじめられっ子とは
アタマが足りない人は、いじめっこにもなるし、いじめられっ子にもなるんだよね。しかもそれをグループごと、年単位で繰り返す。児童虐待を受け継ぐように。
幼稚園の頃はチュッチュマンと言われてからかわれ、悲しかった不登校になった。けど同時にその後幼稚園内で、こいつはオウムだ!とか言ってTVから仕入れたネタで一人を集中攻撃する遊びしてた。
小学生も時にはいじめっ子になったり、いじめられっ子になったりを二年周期で繰り返してた。その度に問題になり授業潰れてクラス全員で「いじめについて私の思うこと」という文章を書かされたりした。(中学ではさすがにやめた)
ただただ皆の正負の反応が楽しくってやり続けて、いくら考えてもその後の展開は予想付かないから条件反射で行動する異質な人間ているから、とにかくいじめられっ子にも、「これから同じことを繰り返さないために、どうすべきか」を考えさせるのは意義あると思う。長かったけどようやく理解できた。
例えばこれについたトラバ
http://anond.hatelabo.jp/20150827123714
http://anond.hatelabo.jp/20150827123714
すべてのいじめられっ子がつばはいて暴力振るうんか 例外でわかったこと抜かすなアホンダラ
http://anond.hatelabo.jp/20150827123714
わかる黒人が白くならないと仲間に入れるのはムリ
上2つの記事は冒頭の記事にトラバで返信して即削除されていた。
はてな匿名ダイアリーは何かの記事への返信を書いた時に元の記事のリンクを貼ると自動的に元記事にトラックバックが送られ、元記事に反応した記事がツリー化され反応記事のタイトルと冒頭百文字程度が参照できる。
しかし、このツリー化されたトラックバックに掲載された記事タイトルと冒頭百文字は、その記事が消されても削除されることはない。
これを利用して最近、というかもう出現してから結構な時間が経ってると思うが、短文煽りの返信記事を書き、即削除し、トラックバックだけに掲載されるようにするという、2ちゃんねるのような返信コミュニケーションが出てきている。
匿名ダイアリーだから書くのも消すのも自由ではあるが、削除しても残るシステムを利用してこういう変な煽り文でトラックバック欄が汚されていくと読んでるほうは貯まったもんじゃない。
トラバに削除記事が残る弊害はこういう悪意的な利用法に用いられるだけでなく、二重投稿してしまった時にそのまま残ってしまうという単純な害もあるので、記事を削除したら即トラックバック欄も削除されるように改善してほしい。
別にいじめられてたからって、いじめられる側の気持ちが分かって「良い人」になるわけではない。
ネットで炎上起こしてる様な人たちはそういった「いじめられてた側」や
なんらか上手くいかない人たちが、
その歪んだ気持ちで人を叩くわけで。
言ってることは正しい。
それと同じように、勉強がデキる子というのは、わからないことがあったら調べ物をしたり、計画をたてるときに論理的に物事を考えることができることが多く、社会人としては有能だ。
いじめっ子のバカが組織を指導するようになると、元増田の言うように、コミュ力とかキャプテンシーを駆使して一組織としてまとまりやすいことに同意したい。頭の中身がバカだったとしても、経済成長期のように何も考えずひたすら実直にやっていればよかった時代は、そのほうがよかっただろう。
ところが現在は世界が大きく流動している。同じことを実直にやり続けているだけだとすぐに没落するという恐ろしい世界だ。組織が完璧にまとまっていても、何回かのアホな決断によって会社は潰れる可能性がある。そういったわけで相対的に、頭のいい人間に論理的で創造的に組織をひっぱっていってもらう必要性が高まっている。
ところが頭のいい人間はコミュ力やキャプテンシーがないことがあるので(しばしば旧いじめられっ子だったりもするし)、そういうときアホのいじめっ子に政治的に潰されることがある。
アメリカみたいにめちゃくちゃ頭のいいいじめっ子が社会を引っ張るなら良いが(それはそれでジャイアニズムになってしまうが・・・語源とは合わない気もするが)、日本のように限られた人材で勝負する場合、組織を引っ張ることのできるいじめっ子タイプが、組織を飛躍的に伸ばすことのできる頭のいい子に気持よくうまく働かせなければいけないわけ。
だからいじめっ子はいじめられっ子よりよっぽどいいぜ、へへ~とか言ってるアホの子の言説はきちんと否定しなければ、日本が潰れてしまう。
自民党の議員がいじめを武勇伝的に語っててけしからんっていう話題が出てる。
俺も昔はイジメられてたことあるがいじめっこが武勇伝扱いで語ってるのかなとか考えると腹立たしいわな
俺がどんなことされて泣いた、とか俺がよく知らない人にまで俺の恥が晒されるわけだ。
いじめられっ子は被害にあっていた過去を「恥」と捉えてるから積極的には話さない。
クラスの雰囲気は往々にしていじめ行為を蛮勇のように扱うから余計にたちが悪い
そういう雰囲気をよく感じたことがある。
たぶん皆がいじめ英雄を見たいっていう人間の本質的なもんがあるんだろうなーと今は思う
はるか昔に処刑や殺し合いを観戦したような、自分にできないことを観客として見ていたいっていう欲求。
承認欲求が満たされるんだろう
過去のいじめ自慢をする人は今も承認欲求が満たされないのかもしれん
その程度の人間なんだよ
あえて書かなかったけど、結婚はしたけど離婚して今はボッチだよ。
君の言う通り、いじめられっ子にとって結婚のハードルは高いのかもしれない。
ストリートビューはもちろん見たよ。
休み時間はいつもチャイムと同時にダッシュで教室から逃げ出し、次の授業のチャイムが鳴るまで
トイレの個室や図書室の書架と書架の間にじっと身を潜め、隠れていた。
先生や親に相談しろとか言うけれど、中学生の自分にすればそんなことできるわけない。
親に心配かけたくない。先生に言ったら一時的には収まってもやがてまた「おまえ、チクッただろ」
殴られて出来た痣は、「転んだ」と嘘をつき、黒板消しではたかれて真っ白になった学生服は「友
達とふざけていて」と誤魔化し、破られた教科書は、自分でテープを貼って継ぎ合わせ。
親には決して言わなかった。
卒業アルバムの寄せ書きにも、ボクの名前の横に「奴隷!」とか書かれた。
先生はふざけているとでも思ったのだろうか、今にして思えばそんな寄せ書きよく卒業アルバムに
そのまま載せたものだと思う。もちろん親にそんなものを見せられるわけもなく、なんとか理由を
つけて親には卒業アルバムは見せなかった。自分だってそんなもの見たくはない。中学の卒業アル
バムはお仕入れの段ボールの中に長い間放り込まれたまま開かれず、かといって捨てるでもなく、
引っ越しのたびにそのままの状態で押し入れから押し入れ、クローゼットからクローゼットへと移
動されるのみだった。
あれから数十年がたち、僕は地元を離れ東京で就職し結婚もした。
子供はできなかったけど、年齢敵には中高生の子供がいてもおかしくない、いいおっさんになった。
社会的地位も収入もそこそこ得られ、そこそこに幸福な生活を営んでいると思う。
けれど、中学時に受けたあのいじめのことは決して忘れない。いじめっこたちの顔も。
あのとき僕をいじめた奴らのことは絶対に許さない。今も恨みに思っている。
先日、久しぶりにクローゼットの奥から取り出した箱を開け、卒業アルバムを手にした。
恐る恐る開いてみた。今でも目を背けたくなる寄せ書き。いじめっこたちの写真。アルバムの最後の
ページには、「住所録」として、卒業生たち全員の住所と電話番号が記されている。もちろん、僕を
いじめた奴らの住所と電話番号も。奴らは今もそこに住んでいるんだろうか? 地元を離れ、東京に
出て、家族を持ち、善き父親になり、幸せな暮らしをしているのだろうか? いや、そんなことは許
されない。できれば、不幸になっていてほしい。不幸になっていることを確かめたいーー。
本人が今もそこに住んでいる可能性は低い。でも、親はまだ住んでいるかもしれない。
もし、本人が出たらどうする? 「あのときおまえにじめられた僕だよ。元気か?」 そんなことを
電話は生きていた。
呼び出し音が鳴っている。
誰も出ないまま、留守電に切り替わった。
ちょっとホッとしつつ、僕は何もメッセージを残さずに電話を切った。
少なくとも電話番号は今も使われていることははわかった。
いや、もしかすると、既に誰か違う家の番号になっている可能性もある。それだけ時間はたっている。
別に、あのときのいじめっ子に会って、復讐するとかそんなんじゃない。
ただ、今どうしているのか? これまでどういう人生を送ってきたのか、それが知りたいだけだ。
そして、その人生が不幸であって欲しい。そうでないと、わりにあわない。あんな奴らが幸せな人生
を送っていて許される筈がない。いじめっこの末路は不幸であるべきだ。
何十年も経てば、普通は許すか、あるいは、忘れ、どうでもよくなることかもしれない。
いまだそんなことに固執するのは頭がおかしいと思われるかもしれない。
でも、それでも、やっぱり絶対に許せないほど、あの中学の3年間は辛かったんだ。
今、僕は、興信所に頼んで、奴らの居所、そして、どんな人生を歩んで来たかを調査してもらうこと
を真剣に考えている。
【幼稚園】
建物のなかで1人で遊んでた。だれかに外で遊ぶように誘われたこともあったが恐怖でしかなかった。
早く家に帰りたかった。
【小学校】
低学年
後にも先にも”友達”と呼べる存在がいたのはこの時だけだった。ただし5人ぐらいのグループで4人が盛り上がっているなかでつられて笑っているようなだけだった。当時の小学生の話題といえば漫画ゲームテレビぐらいしかなかったが、そのどれもが親の教育方針で禁止されていたので会話に参加することができなかった。放課後遊びに誘われることもあったが楽しくなく、嫌で仕方がなかった。
中・高学年
前述のグループからハブられる。ぼっちの道をいくことに。グループ(ペア)を作りましょうというのが苦痛だった。自意識過剰だった自分はその際に1人だけ余って注目されることや、先生と組むことになって初めに皆の前で例を見せるのが嫌だった。
通信簿(勉強以外)や3者面談(家庭訪問)も嫌だった。常に自分を否定されるだけだった。そのせいで親から怒られることが特に。普段周りから貶されてることが明確に承認されることを感じた。自分が間違ってるんだ、自分がおかしいだという思いが強く心に刻まれた。
【中学校】
ぼっちは相変わらずなんだが、強制参加の部活動が何よりも敵だった。部内では暴力を伴うはっきりとしたいじめにあった。それでも誰かに相談することはしなかった。変なプライドから親に知られることは恐れていた。顧問は知っていたが見てみぬふりをしていた。
辞めることもできなかった。辞める際の顧問・親等からの精神的な攻撃を酷く恐れたからだ。幽霊部員になるなど到底許されざる雰囲気であるし、ここを辞めてもまた別の部活に参加しないといけなかったことも一因だった。結局毎日行きたくない行きたくない辞めたい辞めたいと思いながら3年間通った。
【高校】
ただある一瞬で耐え切れなくなった。絶対に辞めてやると決意した。ものすごくハイになってこういうときにいじめられっ子が殺人を犯すんだなと思った。それから顧問からの半年近くに渡る執拗な攻撃や、親の説教を耐え晴れて幽霊部員の地位を獲得することができた。
【大学】
奨学金を借り家から出て誰も知らないところへ行った。大学生活は快適そのものだった。誰からも強制されず自分の責任において1人で完結することがこれほどまで素晴らしいものかと思った。講義を受け、家に直行しひきこもるだけの生活をした。もちろん話し相手などできなかった。バイトもサークルもしなかった。
就活は鬼門だった。何よりまともな会話と呼べるものをした経験がこれまでの人生で数えるほどしかないからだ。面接試験の結果はひどいものだった。初めは一次面接で10回連続で落ちた。だが落ち込みはしなかった。客観的に見て自分の価値が低いということは、何よりも自分が一番わかっていたことだったからだ。1から自分の設定をつくりトライアンドエラーを繰り返した。面接35社目にして奇跡的に内定を得ることができた。節穴の面接官もいるものだ。
【社会人】
自分の社会性というものを信頼していなかったので1年ともたないと思っていたが、意外とそうではなかった。
割りと当り(ホワイト)の会社だったというのもあるが、会社での会話は目的や動機、力関係がはっきりしているで案外楽なのだ。ただ場を持たせるだけの会話でも、仕事(お金)だと思うと割り切れる。なにより人に興味があるふりをしていても、本質的には無関心なことが心地いい。
大きめの会社で頻繁(3〜4年)に全国転勤があるのもよかった。終わりが見えてると精神的にだいぶ楽。
そして今に至る。
内容は別に何の変哲もないんだけど、なぜこのエントリがイラっとくるのか落ち着いて考えてみた。
まずこれ。「貼った」ならイラつかないけど、「貼ってやった」だとイラっとくる。
「貼った」という事実を言えばいいだけなのにそこに妙な感情を込めてくるのがイラつくのと、
この程度の特に何もない普通のことで「どうだやってやったぞ」みたいな気持ちを持っているように見えて、
その性根の小ささにイラっとくる。
あとやっぱりなんと言ってもこれ。
別に怒られたら謝って改めて管理会社から対応してもらえばいいだけの話なのに、怒られることを無駄に怖がる小ささがイラつく。
さらにはそれを(自分の力ではなく)「みんなの意見」を後ろ盾にして安心を得ようとする小心者根性が本当にイライラさせる。
普段はなんだか怖いからビクビクオドオドしてるけど勇気を出して(直接言わず管理会社とのコミュニケーションをとるという正当な手段も使わず)張り紙を貼ってやった!どうだ分かったか!ああでもこれ管理会社に怒られちゃうかな?怖いな…。でもみんな迷惑してるって言ってるし大丈夫だよね!?ね?ね??
という感じに見えるのである。これはイライラする。小中学生のいじめられっ子がこれならまだ分かるが、子供もいるようないい歳こいた大人がこの小心っぷりである。