はてなキーワード: 負け犬とは
お昼食べようと思ったら何かのイベントでファーストフード店がクソ並んでて、運良くその列の先の方にいる後輩を見つけたわけですよ。
こりゃついてると思ってそいつに話しかけたら「せっかくだから注文しますよ!」って。
おお。いいやつじゃないか。それなら頼むよとひとまず千円札をわたしてオーダー。
で、待つことしばしで無事食事を受け取りました。ありがとさん!
あれー?忘れてるのかのなー?と思って、「そういえばお代足りた?」って聞いたら、「はい。余裕でした。」
うんうん。で、お釣りは?
いや、たしかにこういうシチュエーションになってみると、お釣りよこせ!ってすげーいいづらいのな!
多分セットで700円くらいだから300円ならお駄賃でくれてやっていいけどさ、それって暗黙の了解だっけ?
何か。お前さんはお金を受け取ったら買った人間がお釣りをもらっていいルールの家庭でそだったのか?
後輩「こちらお釣りです。」。俺「いいよ。とっとけ。」とか、かっこいいやり取りもさせててもらえないのかよ。
今ここで、「あ、おつりならいいから」とか言ったら完全に負け犬じゃん。え?そんなこと気にしてたの?みたいになるじゃん!
別にケチじゃないけどわたしたら自動でいらないほどがばがばでもねーよ!
そんなことばっかり考えてると何食べても味ってしないのな!知りたくもない貴重な経験ありがとな!
課金した人が強いのは、そういう要素の多いゲームにお金をつぎ込んだだけであって悪いことじゃない。
課金すればお金をかけた分強くなる権利はあるわけで、お金をかける事もせず労力らしい労力を消費すらせずに負け犬が吠えるのはおかしいんだよね。
課金をしている彼らは、単に運営が示した無課金(険しい)と課金(たぶん楽かもしれない)の二つの道の選択で課金を選んだだけなんだし。
例えば自分が山登りへ行ったとして、山頂までの楽な道と遠回りの険しい道って目印があったら喜んで険しい道を歩かないでしょ?
時間をかけて登る楽しみもあるかもしれないけど、楽な道を選んでさっさと山頂について弁当でも食べながら景色を眺める方が有意義って感じるのがほとんどだと思うよ。
それに対して、同じ山登りをした人が「あいつらは楽な道を使って山登りをするなんて糞だ」なんて言わないと思うんだけど。
課金は育成やらそういうゲームでの山登りを課金で比較的楽な道を選んだだけの、それと同じようなもんなのに何故か「課金した人が強いのは糞」って思われる。
課金すればいいのにしないで、他人が金を使ったら僻むだけって単に性格の悪い人じゃないの。
もし課金という行為が糞っていうのなら、それは課金した人が糞なんじゃなくて
『課金というシステムを使っているゲーム会社が糞』なんじゃないの。
課金している人に嫉妬するあまりに、根本的な原因である課金システムを提供している所を見ていないとか…おかしいことに気づいてほしい。
大したことではない。
負け癖、負け犬からの復活劇を狙う日産は、矢沢永吉を使って「やっちゃえ日産」で巻き返し。
イメージ戦略としてはトヨタのように正統派ではなく、ロックなイメージを求めているのかもしれない。
アレな三菱を配下に収めたと思ったら、日産自身がアレすぎて釈明してもボロが出続けている。
「他がやらぬこと、自らが信じることを恐れず、世界に先駆けて世の中の流れを変えていくチャレンジャーでありたい」
他がちゃんとやっていることはちゃんとやれよ。
世の中の流れを変えるのも結構だけど、製品の確認くらい流れを変えずにしっかり検査しろよ。
ハンドルが映っているシーンに、「真似をしないでください」とテロップが出ているが、何を真似してはいけないのか?
こんな車に命をあずけることでしょうに。
実際に推奨しない運転法をあたかもできるかのように、かつ、小さい字で注意することで自らは免責するような技術が発達している会社、日産。
そして最初に言っておくが私自身は男で、LGBTではないのと、かなり勝手なことを書くので
本物のLGBTの方々が読むと不快になるかもしれないし、ストレートの人が読んでも不快なところ
があるかもしれない。
なので、そういうものを読みたくない人は、以下の散文を読まないことをお勧めする。
またコメントには返信をしないと思われる。
以上の点をどうかご了承頂きたい。
エンドロールが終わって、ダラス(エリカ・リンダー)の美しくも儚げな表情になるべく
長く浸り、官能で高揚した気分を持続させるために、伊勢丹の上のビストロで羊食って
赤ワイン飲んで、地下鉄の雑踏に混ざりたくなったので、タクシーで都内の自宅に帰ってきて、
すぐに書斎にこもり、愛用のキーボード HHKB Pro BTを叩いてこの散文を書き始めている。
これを誰に向けて書いているのか。それははっきりしていて、まず間違いないのは、
私は男性に向けてこれを書いている。
ただし全ての男に書いているわけではない。
家計のやりくりの都合上、この10月中劇場に足を運んで映画を観るためのポケット
マネーが映画一本分しかないときに、世界的に有名な日本人の監督が作ったヤクザ映画と
このビアン映画とを比べて、迷うことなくこっちを選んでしまうような、そういう嗜好を
持った男に向けて書いている。
あるいは、谷崎潤一郎の「細雪」や「痴人の愛」はもちろんいいけど「卍」も
捨てがたいよね、と思ってる男と言い換えてもいい。
そう。
そこのお前、お前のことだよ。心配しなくてもいい。お前は一人じゃない。というのも
俺もお前と同じだからだ。
で。この映画だけど。良かったぞ。
どのくらい良いかと言えば、俺と同じ趣味のお前なら、こう言えば分かってくれるかな。
マーク・ドルセルのポルノにおける、クレア・カステルとアンナ・ポリーナのビアンプレイ、
あるいは、今は亡き写真家ステファン・ヒックスによるDigitalDesire のビアン作品と同じか
それ以上に興奮できる。ましてや、最近クオリティが落ちたと言われてるTwistysの、単に
ズボズボやってるだけのWhen Girls Play の数々の動画よりも断然、萌えてしまうはずだ。
なぜならば、ビアンについてお前は俺と同じ願望を持っているからだ。
俺たちの願望とは何か。
それを説明する例として、まずはこういうものではあり得ない、という反例を挙げると、
たとえば六本木発の最高級の(もちろん本番までできる)デリヘル嬢を二人呼んで、店に
「お前らがレズってるとこ、見せろ」
と命令して、男としての自分の欲望を煽らせる目的でビアンプレイを鑑賞したいという、
では、お前や俺みたいな男がこの映画に託す願望とは何かといったら、ダラスまたは
ジャスミンになりたいという、どうやっても実現しない夢想、これに尽きる。
ということで、ダラスまたはジャスミンになりたいという願望を、お前と俺は
共有した。メデタシ、メデタシ。
いや。
ちょっと待ってくれ。
話はここで終わらないんだ。
というのは、ビアン小説や映画が好き言っても俺は男だから、映画に出てくる主役じゃない男、
特に不遇になって終わる男のその後の人生が気になるんだ。たとえば、LEGALLY BLONDE の
レビューには、負け犬で終わるワーナーって野郎のその後が気になるって書いたしね。
だから、この映画なら、ダラスに自分の婚約者を寝取られたライルって男のその後が気になるんだ。
ダラスみたいな超美形な女が、ガッツリぶっ込む気マンマンでビンビンなペニバンで、自分の
婚約者の女のことを後ろからバッコンバッコンやってるのを観てしまったら、ストレートの男の
精神はどうなるのか。
この映画自体は、ダラスとジャスミンが結ばれることを予感させるハッピーエンドで終わるけれど、
そうなると、邪魔者としてはじき出されたライルはどうなるのか。
もしかすると、あの後ジャスミンは自分の担当する雑誌で、モデルとしてダラスを起用する企画を
やってそれが大当たりして昇進し、ライルは意気消沈して降格どころか仕事が手につかず、ウツ病に
なりクビになるかもしれない。恋人の女を男に寝取られたならまだ正攻法で見返したり、立ち直る方法
はあると思うが、ダラスみたいな女に自分の婚約者の女をズコバコやられたら、男としてはもう、
どうにもならないんじゃないか。
「(タチのスキルが高い)女に自分の恋人の女を寝取られたら、男は取り返しがつかないぜ?」
みたいな台詞を、ある男が、女に恋人の女を寝取られた男に言うシーンがあった気がするしね。
この映画で、ライルが出てくる最後のシーンは、ジャスミンに気を取り直してセックスしようと
するのをやんわり拒まれるところだが、ああやって拒否られて、ライルは相当傷ついたと思う。
それでその後、その傷心はやがて女性全般に対する憎悪となって肥大化し、ライルは何か極端な
ことをしでかす気がする。
たとえば考えられるのは、こうだ。
いよいよ米国が北朝鮮に宣戦布告してライルは徴兵に志願する。それで北朝鮮の首都に空挺
部隊として降り立ち、何ら罪もない婦女を手当たりしだい強姦したあとに、全裸の女を火炎
放射器で丸焼きにするとか、軍用のごついナイフでメッタ刺しにして、膣とクリトリスを切り
取って食っちゃうとか、なんかそんな方向に彼は行くんじゃないか。
そんな風にしてミソジニーの極北としての殺人鬼となったライルは、そうやって婦女暴行を
やり尽くした後、こんどは逆に、そうやってライルに妻を殺された北朝鮮の男たちからアシッド
アタックされて両目を失明させられ、かつ両手足を面白半分に切断されたのち、豚小屋に鎖に
つながれ、北朝鮮の総統専属の高級娼婦の糞を食わされたり、パゾリーニの「ソドムの市」の
ようにガラスの破片をしこまれたパンを食わされて、口の中血だらけにして一生を終えるんだ。
どう?
まあ、ここまでいかなくても、女への憎悪が高じて、「アメリカン・サイコ」 のパトリック
みたいになる可能性はあると思う。
いずれにしろ、超美形な女に婚約者の女を寝取られた彼の人生は、湯山 玲子氏のいうところの
「男をこじらせ」まくって、ショボいものになって終わるだろうから、一応男として同性のよしみ
での同情はするものの、ダラスのような美しい女には、平凡な男の精神や人生をそうやってメチャ
メチャに踏みにじってよい権利があるような気がするんだがどうだろう? それはつまり、美しい者
だけが特権的に行使できる暴力みたいなものだ。その種の暴力に酔う快楽が、この映画には
潜んでいる気がする。
この映画の感想は以上なんだけど、ところで、お前、次は何観る予定?
両方ですか、そうですか。俺も多分、そう。
みんなに読んでもらいたい作文を書くために映画って観るもんじゃないしね、
追伸
ふと思ったが、この映画をストレートの女性がご覧になる場合、一番の女友達と行かれと
よいと思う。それも、本命の彼氏と東京カレンダーに出てくるような店でデートするときの
ように、バッチリお洒落して観に行く。それで映画が終わって劇場内が明るくなったら、
周りにこれ見よがしにその友人と腕を絡め合ったり、わざと周囲の客たちに見えるように、
ほんのシャレでキスなんかしてみると、無駄に優越感に浸れると思う。
逆に、本物のLGBTの女性はこの映画を一人でご覧になり、一番のセックスフレンドの
「アレ観たんだけど。エリカ・リンダーの出てるやつ。くだらなかったー。だってエロいだけなんだもん。
『アデル、ブルーは熱い色』のほうが絶対いいよー」
みたいなことを話すのではなかろうか。
問題と向き合え
そうやって第三の道を言い当てればそれが自動的に正解になると思うのがお前らの悪い癖だ
見えない壁の向こう側には楽園が広がっているとでも言うのか?
違うぞ
見えない壁の向こうに正解があることもあるが多くの場合は不正解の道が無数に並んでいるんだ
勝つか負けるかの勝負で逃げるに持ち込めば引き分けになるというのは負け犬の思い込みだ
結局負けだ
自分の意見があるなら100文字なんて制限がないブログで発信すればいいじゃん
マウンティングするくらいなら十分なんだろうが、主張するにはあまりにも少なすぎる文字数
もし本当に意見表明がしたいならちゃんと論理立てて説明したり、詳細に解説したりあるいは思いをぶつけるような熱がこもった文章になるはず
どうしてそれをせず、ブコメなんて付けるの
他人の注目集める記事に乗っからないと自分のコメントなんて誰にも見てもらえないからっていうことなんじゃないか
それならそうともっと負け犬のような顔してコメントした方がいいんじゃない
なに偉そうにマウンティングしてんの
承認欲求の為にわざわざ他人の記事に群がる古事記より下にいる人間なんていないから
どうしてそんなことも自覚できないの?