偏差値の低い私立中学に進んだ者の末路は悲惨である。
何故ならそこにいるのは「試しに努力するための環境を与えてみたら、結果を出すことが出来なかった負け犬」だけで構成されているからだ。
対して公立中学の生徒は「努力する環境がまだ与えれてない集団」である。
自分の中に可能性が残っていないことを知ってしまった負け犬の群れと、これから可能性を試していく人間の集団、どちらで育ったほうがいいのかは明白である。
繰り返す。
明白である。
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