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はてなキーワード: 自然権とは

2015-08-26

国民意識希薄になった

自分人生のある段階から国民意識が急激に希薄化した。

というのも、生まれた瞬間から日本国民として生きることを背負わされてしまい、

その選択をする機会に恵まれなかったことに不満があるからだ。

もちろんその選択には「無国籍」という選択肢があっても良いんじゃなかろうかと思う。

日本国民であったから良かったことだってたくさんある。例えば、日本国民であったか

憲法上、自然権が守られているという事実もあるし、日本国籍で、日本経済圏にあるから

現在生活するのに充足する収入が得られているという点もある。

だがどれもこれも自分が選択して日本国籍者となったのなら、より納得がいくということが言いたい。

ちなみに、日本国民としての意識はかなり薄いけれど、

日本という地域暮らしているという意識はあるし、日本列島への愛着もある。

日本語という言語が好きだし、この言語の元で発展した文化諸々も愛している。

半分は、ネトウヨ大嫌いって感情が、自分にこの文章を書かせてるんだよね。

もう半分は、もっと自分勝手に生きていきたいって気持ちだね。

ああ、未来世界では国籍選択の自由もっと活発に運用されてるといいな~

2015-07-28

徴兵制絶対阻止

徴兵制はよくないと思う部分もあるよ。

徴兵されたくないし戦争も嫌だよ。

しかし、その一方で、

良かったかどうかは別として、

民主主義というと、ローマ重装歩兵時代から

兵役自由市民義務だったんじゃないか。

世界史記憶曖昧だが、武家的?な兵役の責務が

貴族貴族たる根拠となっていて、

リヴァイアサンだっけ?忘れたけど、

フランス革命後に近代国民軍ができたのも、

民主主義では、

貴族だけではなく平民が皆兵になるという

理屈があってのことだったとか

そんな風に習った記憶がある。

ひょっとして最近の考えでは

自然権がどうのこうのし

徴兵民主主義が結びつく根拠

なくなったかもしれない。

しかし、それでも違和感があるんだよなあ。

2015-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20150705081100

制度職業制度にして一般的に親でない人にもその職業を割り当てるだけでいい……どうせ金持ち連中は家庭教師だなんだって生来自然権であるかのごとくセカンドサードフォースフィフス育ての親的な多様性なんかを保持してわっしょいやってくそみたいな連合野を保持してるんだからその毎日お中元的なシャドーワークが職業になるだけだ安心しろ馬鹿……

2014-09-05

なぜ人を殺してはいけないのか」という青臭い設問

これは「人間」の次の2つの側面を同時に見ようとするから難解になるんだと思う。

単純に個別に考えてはどうだろう。

「殺してはいけない」のは、社会集団を構成する人間相互保障社会では、自分が殺されないために、他人を殺してはいけない。

普段、私たち社会には"生物であり社会集団である人間"しか目にしていないから考えが及びにくいが、「生物である社会集団でない人間」というものがある。

その場合社会を構成していない人間基本的人権はない。自然権はない。社会を構成するアンドロイドには基本的人権に準ずる権利がある。

相互保障外の敵国の兵隊は殺してもよい。いや、自国国民を殺す恐れがあるなら積極的に殺すべきだ。

では、社会を構成することが期待されるが期待されていない胎児堕胎は、どう考えたらいいんだろう。

2014-07-28

一点だけ根拠となりうる可能性があると思います

http://anond.hatelabo.jp/20140727004534

基本的にはここでの定義の「同人」であれば皆危険であって、ほぼ「ジャンル」の問題ではなく「同人」全てに共通の危険である、ということでいいと思います

ただ「ほぼ」と書くのは、一点だけ「訴えられる覚悟」を持った際に、ナマモノジャンルに限って、リスクがより大きくなる可能性が有るからです。

二次元二次創作場合、(コラージュ等の著作人格権侵害でない限り)侵害しているのは著作権であって、これは財産権侵害です。

財産権侵害では、訴えられた場合の賠償は、最悪でも同人の売上全額+α、くらいで済む可能性が高いでしょう。

一方ナマモノ場合侵害しているのは人格権であって、これは自然権の一部であって財産権ではありません。

従って、名誉毀損精神的苦痛が賠償根拠として成立する可能性があり、同人の売上とは無関係な多額の賠償命令が出る可能性が有ります

実在の人物を対象にするから名誉毀損では?との考えもありますが、これも判例はなく個別の判断になると思います

確かに、実際の判例が無い以上、あくまで可能性でしかありませんが、法律論的に人格権侵害で争える事案なのは確かですし、

この方が著作権侵害よりリスクが高いのも確かでしょう。

訴えられる可能性そのものはケースバイケースであって、ジャンルで違うという代物ではないでしょうが告訴が成立した際の賠償上限が

大きく違うかもしれない、ということです。

リスクが大きければ、ジャンル内で防衛策への意識が強くなることにもある程度合理性はあるのではないでしょうか。

2013-12-13

この前の話

@**********様

以前の人権規定私人間効力について、思ったことを書きます。(メールツイッターだとアレだし、他にいい手段を思いつかないので、ここを使う次第です。)

初めにお断りしておくと、僕はことの発端となったその本(図書館学に関する本?)を読んでいません。

また、学がないので、憲法学の体系や諸学説の展開を十分踏まえた上での論述ができていません。

完全に自己満足のため、頼まれてもいないのに、自分の思ったことを適当に書いたものですので、当然スルーしていただいて結構ですが、

もし、気が向いたら、的外れであったり、誤りがあったりする点などについて、ご指摘いただけるとご幸甚です。

以下、本題

結論から言うと、

人権」という言葉バズワード

(よく聞く言葉である割に、実は、定義がきちんと定まっておらず、話者によって使い方がバラバラであり、時には話者自身も自分が何を意味するものとしてその言葉を使っているのか分かっていないような言葉

である、と考えます

法律学ちょっとでも齧った者であれば、

人権」と聞けば、まずは、憲法的な意味での「人権」を思い浮かべますが、

そうでない人達は、社会規範上の「個人は人格的に尊重されるべきという前提に立った場合に当然にその個人に認められる権利」くらいに思っているんじゃないかな、

という感触を持っています

しかし、彼らの中でも、具体的にどんな場合に保障されるどんな権利なのかという話になると、人によって言うことバラバラで、

その原因として、「それが権利とされる根拠」「憲法との関係性についての考え方」「権利としての保護の強度」などについての考え方の違いが背景にあるじゃないか、と考えます


「それが権利とされる根拠」のバリエーション

 (1)生来持っている(無自覚自然法自然権的発想)

 (2)そういう権利が認められるべきだ、という社会的合意がある

 (3)社会政策として、そういうことにした方がより良い社会になるので、そういうことにしておくべきである(思想家確信犯)

彼らは高校の地歴・公民で「人権」なる概念に触れますし、まあ、こんなもんじゃいかと。



憲法との関係性についての考え方」のバリエーション

・(1)(2)の立場だと

  (ア)  憲法規定は上記の自然権または社会的合意を単に明文化したものに過ぎない

  (ア-2)上記自然権社会的合意は素晴らしいものなので、当然、憲法法律かで明文化されていないはずがない。

  (イ)  憲法規定(およびそれについての裁判所解釈)はどのような自然権社会的合意があるのかということの間接的な証拠である

  (ウ)  日本国憲法国家の在り方だけでなく社会の在り方をも定めるものであり、社会的合意のものである(直接適用説?)

 くらいでしょうか

・(3)の立場だと

  (エ)偉い人が考えてつくった憲法にもそう書いてある(or賢い人である裁判官もそう言っている) → だから自分の政策提案は正しい

 という感じなのかなぁ、と。まあ、(ア)~(ウ)もありうるかもなぁ。


権利としての保護の強度」

 ・彼らの統一見

  (あ)社会のある成員は別の成員の「人権」を侵害してはならないし、第三者はそれに加担するべきではない。

 ・バリエーション

  (い)だから人権侵害にあたる行為は全て禁止するべきであり、侵害したものは必ず法的制裁を受けるべきである

  (う)法律のことはよく知らないし、法的制裁云々はよく分からないけど、社会的な非難は受けるべきorはず。

  (え)その他


法律学を齧った一行政官として思うこと

 行政官としては法治主義の建前から実証主義的な立場を取らざるを得ず、

 どんな社会的要請があろうとも、

 行政が他人の権利利益を制限・侵害する根拠として別の人の「人権」を持ち出す場合おいては、

 その「人権」は日本国憲法上保障されているものとして解釈できる範囲を越えてはいけないのではないか

 但し、勿論、他人の権利利益侵害とならない範囲で社会規範としての「人権」を尊重する方法がないか、十分、意を用いるべきである、と考える。

 また、それ以外の場合では、社会的規範としての「人権」の尊重は心にとめておきながら、施策を進めていくべきである

 (が、そもそも、別に人権」とかそういう話ではなく、法規範だけでなく社会規範にも従うことを心がけるべきであるという話に過ぎない。)


○一個人として思うこと

 僕には自由主義者なので、(1)に親和性が高く、

 (3)みたいな「僕が考えたすごい人権」みたいなものに付き合わされるのは勘弁してほしい、と思ってます

 人は本来自由なのですから(というか自由じゃないと不満を持つ生き物なのですから)、その自由の制限は最小限であるべきです。

 「○○した方がいい」というマナー社会道徳レベルで済む話まで、無理に「人権」という概念に取り込んで、それを「守るべき」という価値観押し付けたり、法的に強制することには反対です。

 また、マナー社会道徳を越えて、法的保護に値する権利と言えるものであっても、「どんな場合でも他人の言動を縛るための根拠として使えるもの」とすることにも反対です。


まあ、結局、みんな「人権」という言葉をよく分からないまま使いすぎ。

かつ、よく分からないまま「武器」として振り回しすぎ。

もっと意味内容を限定的にしてくれないと、聞いている方が訳わかめ

少なくとも「基本的人権」なんて言葉憲法上の意味に限定して、それ以外のものは別の言葉で説明してくれた方が議論が捗るのに。

(多分、意図的に混同している人もいるんだろうな、とも)

2013-05-01

【再掲】私はヘイトスピーチ規制に断固として反対します 【情勢に合わせ若干の修正】

私は以下のことについて、自明のことではないにせよアメリカ独立宣言フランス人権宣言以来の人権概念が積み重ねてきた権利体系に基づく真実であり、日本国憲法を含め自由主義国の憲法で当然守られるべき権利であるものとみなし、ヘイトスピーチ規制はその自由に根本から抵触するものとして断固として反対する。

すなわち、英国の食事、ドイツユーモア精神フランスの天の邪鬼、イタリアの勤勉さ、ロシア酔っ払い中国の爆発、韓国の犬食、日本人カメラ好きをジョークネタにすることは平等に自由であるべきこと。

在日米軍犯罪者」を訴えるデモ、「在日朝鮮人犯罪者」を訴えるデモ、「日本人戦争犯罪者」を訴えるデモ、「ヨーロッパ人は侵略者」を訴えるデモ平等に自由に開催されるべきこと。

映画の中で教会を爆破すること、寺院を爆破すること、神社を爆破すること、モスクを爆破すること、孔子廟を爆破することは全て平等に自由に描かれるべきであること。

風刺画において無能白人サルに喩えること、無能黒人サルに喩えること、無能東洋人をサルに喩えること、無能アラブ人サルに喩えることは平等に扱われるべきということ。

異性愛者を題材にしたポルノと、同性愛者を題材にしたポルノと、獣姦者を題材にしたポルノと、幼児性愛者を題材にしたポルノと、サディズムマゾヒズムを題材にしたポルノは、実在未成年が出演しておらず特定の人物をモデルにしていない限りは平等に扱われるべきこと。

以上のことについて私は自然権としての表現の自由に基づくものであることを内心の自由に基づいて信じ、言論の自由に基づいて表明する。

2012-12-13

人権について便乗質問

烏蛇さんの「2012-12-12 天賦人権説(あるいは自然権)の否定は何が問題なのか?」http://d.hatena.ne.jp/crowserpent/20121212

について便乗質問

今ちょうどジョン・ロックの完訳統治二論を借りてきたんだけど(まだほとんど読んでない)

ロックが書いた時点では人は神の作品であって、何か存在するらしい神の目的を達成することが宗教的義務である

から人間には目的達成のため自身を維持、再生産する義務があり、その義務を果たすためにプロパティ(固有権)としての生命財産健康・自由などの権利がある(自殺は禁止)

そしてそれは神が定めたものから統治者の支配権より先立つものであり、上位のものであり統治者であっても不可侵のものであるって理屈だよね?

ただ気になったんだけどキリスト教圏じゃないところではこの前提が成り立たないよね

別にキリスト教の神を信仰してるわけじゃないか

これがどういう理路を通って脱宗教してもうちょい普遍的な権利としての人権になったのか知りたいんだけど

どこらへんを調べればいいのかな?

2012-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20121209131625

後半の論理はなんだかよくわからないのでパスするとして、

あれを批判してる人って、社会思想の知識なんか全然ないってあたりには同意する。

おそらくあのあたりのさよーくが根拠にしているルソーだが、

左翼ってルソーテキストとか読まないのかね。

ルソーって確かに自然権を主張してはいるけれども、

権利と義務とであれば義務の方を重視すべきなんてことも言ってるんだけどね。

馬鹿さよーくは知らんわな。

人権を廃して近代国家を維持する道標

人権というものを語るとき、必ずといっていいほどまで言われることがいくつかある。

たとえば、「人権というもの近代国家を満たす要件のひとつだ」というぐあいだ。

ホッブズ社会契約説として自然権を考えたが、彼の見据えた先は絶対君主制であり、巷で言われるような近代国家とはまた異なる。

ロックは間接民主制を見据えていたので、これはさら民主主義を推し進めたという意味でより近代である。すなわち、近代国家というのは民主であるというのも大事なのだ

他に言われることとしては、「障害者人権がなかったら、虐殺される」というものや「お前みたいなクズが生きていられるのも人権のおかげだ」というたぐいのものだ。

常識的に考えてみて欲しいのだが、人権の有無と虐殺の有無は異なる。人権がなかろうと人を殺せば刑法に触れるのであり、ふつう虐殺など起こらない。人権がない、すなわち無法地帯というわけではないのだ。後者に至っては発言者ゲス具合が遺憾なく発揮されており、恫喝以外の何物でもないと考える。

さて、憲法改正議論にあたって基本的人権の尊重などというのが槍玉に上がっている。これを廃することは、近代国家の否定だという人が思ったよりいる。

少しシミュレートして欲しいのだが、この国から人権を廃して、何か変わるだろうか?

警察対応杜撰になる?そんなことはない、もとから人権など顧みない杜撰組織だ。

国家国民や他国の人間を守らなくなる?そんなことはない、人権等より実質的国家的相互監視によって、そんなことは許されないし、軽微なものならこれまでも無視されている。

自由が奪われて息苦しい時代になる?そんなことはない、それはある程度は景気の問題であって、人権があるかどうかと自由があるかどうかは関係ない。人権があろうとなかろうとわれわれはこれまでも「公益及び福祉のため」にこれを実践してきたし、人権の有無にかかわらず公共の福祉のために衝突があれば調停してきた。

ここまできてわかっただろう。この国に人権などいらないのだ。人権などいらないと言いのけても矛盾ないほどまでに杜撰国家杜撰国民杜撰社会だと言うのもいいし、人権などいらないと言うまでに自律的かつ他律的な国家国民社会なのだ、と言うのもいい。

いずれにしても、民主手続きで人権を放擲するならそれは最大限尊重されてしかるべきだし、今回の改憲が実現したとして人権がきれいさっぱり憲法からなくなるというわけでもないのだから、反対派にしても良かったじゃあないか

2011-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20111101172009

人権法律が規定するのだから法律を強制されないならそもそも侵害される人権存在しないのでは。

自然権まで否定するような法律を強制されているなら話は別かも知れないが、一応この国の法律はそうではない(と思う)。

文化因習なりなんなりについては、別に強制されてないのでは。型破りに生きることも、他の文化の国に移住することも出来ると思う。

2011-10-31

http://hibari.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1319950981/

99:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/30(日) 14:26:24.20 ID:bCaDrVUp0

冤罪の可能性がある

すべての刑罰に冤罪はあるので死刑に限って反対する理由にならない。

さらに現行犯死刑にできなくなる矛盾

■命は取り戻せない

取り戻せないことを論点にするなら時間も取り戻せない。

ならば懲役も反対しなければダブルスタンダートである

死刑廃止世界の潮流である

嘘。死刑廃止は90国、死刑存置は97国。

さらに、潮流とやらで内政を決定しなければならない理由は主権国家である以上まったく無く、

仮にそうならば真っ先にあなた9条の廃止と軍隊を持つように主張しなければダブルスタンダートである

抑止力が無い

嘘。非常に大きな抑止力があると証明されている。(一件執行されるたびに殺人が5件減少する)

■国が殺人を容認するのはおかし

刑罰は殺人では無い。正当な司法である。ならば懲役監禁罰金恐喝になる。

犯罪者にも人権がある

自然権以外の人権は国が保障したものであり国の法に反した者の人権を制限することは何も矛盾が無い。

終身刑でいいだろ

日本刑務所は"満員"を超えて116%の収容率になっている。場所が足りない。税金無駄

さらに、死刑になるような凶悪犯罪に対する罰がその程度では国民が納得しない。

国勢調査で8割の国民死刑を望んでいると出ている。

自分がいつか殺人を犯すかもしれないだろ!

しません。普通加害者になることよりも被害者になることを心配します。

刑務官がかわいそう!

職業選択の自由日本にはあります

■野蛮!

日本世界のどの廃止国よりも犯罪率の低い国です。ちなみに廃止国は現場で射殺しています

日本では正当防衛で撃っただけで問題になります

2011-05-25

http://anond.hatelabo.jp/20110525104104

天賦人権説や自然権の話じゃないの

天賦人権説(てんぷじんけんせつ)とは、すべて人間は生まれながら自由・平等幸福を追求する権利をもつという思想。ジャン=ジャックルソーなどの18世紀の啓蒙思想家により主張され、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言に具体化された。

日本では明治初期に福澤諭吉植木枝盛加藤弘之らの民権論者によって広く主張された。

自然権(しぜんけん、ius naturale/jus naturale)とは、人間が、社会の仕組みにたよることなく、自然状態の段階より生まれながらに持つ不可譲の権利人権はその代表的なものとされている。今日の通説では人類普遍価値である人間の自由と平等を中心とする基本的人権及びそれを基調した現代政治理論においてもっとも基本的な概念原理であるとされている。ただし、その由来については神が個々の人間に付与したとする考えと人間の本性に由来する考えが存在する。

改憲事実上可能日本では

現行憲法採用しているからといっても変わらないと思うけど

2010-02-05

http://anond.hatelabo.jp/20100205121832

人権自明自然権である、としても

人間本能人権は予め刷り込まれていないので

自然のまま放置すれば「万人の万人による闘争状態」を招来するだけ。

というのは基本だよね。

2009-10-24

http://anond.hatelabo.jp/20091024050217

倫理は2人以上の人間が集まるときに生じるゲームルールにすぎないからその通りで、人権生存権といった自然権も全く同様だ。

ただし人の数が1以下になるまでそれはなくならんぞ。

http://anond.hatelabo.jp/20091024044624

倫理は2人以上の人間が集まるときに生じるゲームルールにすぎないからその通りで、人権生存権といった自然権も全く同様だ。

ただし人の数が1以下になるまでそれはなくならんぞ。

2009-10-10

http://anond.hatelabo.jp/20091010211453

プライバシー侵害とか名誉毀損とか侮辱とか業務妨害とか

それらで処理すればいいか。逆にいえばそれらに該当しなければ問題なしと。

表現の自由はあくまで国が国民に保障するものであって

まあそりゃそうなんだけど、自然権としての表現の自由なり公共の福祉(他者危害)なりを想定していました。

2008-12-24

http://anond.hatelabo.jp/20081224170259

非難するということは、その国に対し、人権を認めろと主張してるわけでしょ。

非難するためには、自然権があるという前提に立たないといけないでしょ?

自然権は(たとえ自分の所属する国家保証していなくても)存在はしてるんじゃないの? という例だよ、例


お前とは無関係に権利が存在するのだから、お前は権利を守るべきだ、という主張に違和感を感じないの?

それは、山田くんが権利を行使すると鈴木くんの権利を侵害する場合(権利が衝突する場合)にどういう方法で調整するか、

という社会システム設計の話であって、もともとの「権利のある/なし」とは別の話だ、と言ってるんだが


で、あなたは他人(なり国なり)に認められてはじめて権利と呼べる、という考え方の人なんですね、へー

…という話

http://anond.hatelabo.jp/20081224162750

「権利があるという状態」と「権利があると主張すること」は別の話

「権利があると主張すること」については、増田の書いたとおりなんだろう


国家が先か人権が先か?

国家保証しなければ人権はないのか?

だとすると、法律人権保護していない国の国民政府に虐殺されても

他の国が人権侵害云々言って非難する理由はないな

だってその国の人間には「人権」は最初からないんだから

存在しない権利を侵害は出来ないだろう

自然権がないとはそういうこと


で、元増田の書き込みに戻ると、私有財産権て国家が規定してはじめて発生するの?

逆じゃない?

ホッブズおじさんは私有財産自然権て言ってたぞ


いや、「逆じゃない」っていう議論もあるから、ただ「へー」と書いたんだがね

http://anond.hatelabo.jp/20081224161225

自然権とやらがあったとして、一体誰が保障してくれるの?

自分が権利だと信じれば勝手に保障されるの?

誰も保障はしないけれど、権利という形而上の概念存在して、そこら辺にふわふわ浮かんでるの?

http://anond.hatelabo.jp/20081224160916

自然権」なんて存在しない、というお立場の方ですか。

へー

2008-11-24

国籍法改正問題と憲法典の欠陥、そして憲法学の貧困【転載自由】

第三章 国民の権利及び義務

第十条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

  • 形式化すると、10条と14条は、次のような関係に立つ。

すべてのXについて、XはPされない(14条)。

Xたる要件はQである(10条)。

  • ここで14条は、X=Pの場合に「違憲」、X≠Pの場合に「合憲」という値を取る関数だと理解できる。そして10条は、Xの定義域を定めるものである。とすれば、Qをどのように定めるかについて、14条の規制が働かないのは自明のことである。14条は、10条(によって委任された国籍法)で定められた日本国民について、差別されないことを定めているのであって、日本国民の範囲をどのように定めるかは14条の関知するところではないのである。
  • およそ論理的であろうとする限り、以上の結論は不可避と思われる。しかしここで法律ギルドは軽々と論理を超越するのである。

憲法14条1項は,法の下の平等を定めており,この規定は,事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでない限り,法的な差別的取扱いを禁止する趣旨であると解すべきことは,当裁判所判例とするところである<略>

憲法10条は,「日本国民たる要件は,法律でこれを定める。」と規定し,これを受けて,国籍法は,日本国籍得喪に関する要件を規定している<略>このようにして定められた日本国籍の取得に関する法律の要件によって生じた区別が,合理的理由のない差別的取扱いとなるときは,憲法14条1項違反の問題を生ずることはいうまでもない。

国籍法違憲判決全文】

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kokusekihouiekennzennbunn.htm

  • 最高裁判決が10条は全文引用しつつも14条の文言は全く引用していないことに注目されたい。恣意的な解釈をしていることが露見するのを恐れる姑息な心理が、表層か深層かは知らないが、判決文の起草者に働いたのだろう。
  • 判決の背景にあるのは、憲法上の権利享有主体に関する「性質説」と呼ばれるドグマである。このドグマによれば、法文に「国民は」と明記されている場合であっても、「事案の性質に応じて」憲法の権利規定は自在に拡張適用される。その結果、外国人にも参政権が認められ得るとか、国籍法の規定の定め方が平等原則違反であるとかいった、倒錯した結論が導かれるのである。
  • 国籍法を巡る議論や、いわゆる「外国人人権」を巡る議論の混乱の背景には、すべてこの「性質説」というドグマがある。
  • このようなドグマは法解釈としては極めて不自然なものである。憲法第三章は明確に「『国民の』権利及び義務」と定めている。しかも、このような解釈を前提とするなら、「日本国民」という範疇自体が無意味化する。権利享有主体としての機能を奪われた「日本国民概念に如何なる意味があろうか?
  • 性質説がドグマの名にふさわしいのは、それが超制定法的観点から主張されているためである。憲法典の規定を虚心に眺める限り、このような結論はおそよ導けない。
  • 性質説の解釈論としての不自然さは、自衛隊合憲論の不自然さに匹敵する。いずれも、憲法典の欠陥を糊塗するための法律ギルド屁理屈である。
  • 嘘も100遍唱えれば真実となり、屁理屈も50年唱えれば「自明の理」に昇華する。いまや法律ギルドの構成員は自らのドグマ恣意性を意識することすらない。

憲法第10条は「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」とありますが,そのことは,この「法律」が憲法第14条に反する差別的なものであってもよいということを意味していません。法律を作る国会議員が,そのような憲法論の基礎の部分を理解されていないようでは困ってしまいます。

【むしろ,自民党が心配】

http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2008/11/post-8c0c.html

  • 他方、「国民」を名宛人とした権利規定は「国民」にしか適用されないという、憲法典の文言に即した当然の解釈は、「文言説」というレッテルを張られ、排斥されている。
  • 「性質説」ドグマの「論拠」として持ち出されるのは、「自然権思想」とか「人権の前国家性」といった、一種の「信仰」である。
  • これらの信仰の当否をここで論じようとは思わない。信仰は証明も反証もできないからである。
  • しかし、わずかでも論理性への感覚を持っている人であるならば、「国籍の取得」を要求することの根拠として「人権の前国家性」を持ち出すことの倒錯には気づかずにいられないはずである。
  • 私は、性質説を破棄して文言説を採用せよと主張しているのではない。文言説には文言説の問題がある。
  • 権利規定の定義域を無限定国籍法委任している現行憲法典の下で文言説を採用すれば、国籍法の規定次第で如何様にでも憲法上の権利の適用範囲を限定できてしまう。これはこれで由々しき問題である。
  • つまり、憲法典には欠陥があるのだ。本来、国民と統治機構との権利関係を定める憲法において、誰が国民かは下位規範白紙委任してよい問題ではない。憲法典自身が規定しなければならない問題である。細部については法律に委ねるとしても、国籍の基本的要件は憲法典に明記されていなければならないのである。
  • これは当たり前すぎるくらい当たり前のことだ。
  • 現行憲法典は、かくも根本的な部分で穴だらけなのだ。
  • 法律ギルドの構成員は決して憲法典の欠陥を認めようとはしないだろう。聖典無謬性こそ自らの権威の源泉だからだ。あらゆる屁理屈を総動員して護教に努めようとするはずである。
  • しかし、私たち国民は騙されてはならない。誤った憲法を正すことは主権者の当然の権利であり、義務でさえある。私たちは、理解ある選良達とともに、欠陥憲法の改正にこそ努めるべきである。

2008-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20081025104047

そもそも高等じゃなく中等とかいてるあるけどどういう違いがあるんだろうか。

個人的には義務教育無料ならそれで十分じゃないのと思うが。

というか条約が根拠なら無条件の権利じゃないってことになるはず。条約なかったらなくて良いって事になるわけだし。自然権とかいう表現使ったほうがいいのかも。

2008-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20080831190610

他人が静謐に読書を楽しんでいる場所なのですから、他人に迷惑をかけない・不快感を与えないようにそれなりに配慮してください。それが公共空間というものです。((ホームレス風呂にも入れないほど悲惨な生活を(ry というのは別のレイヤーで語られるべき事柄です。生活保護やら何やらの問題と結び付けて語っている人もいるようですが、それは別の問題です。

公共空間を語ってしまった以上は、もう別のレイヤーでは語れないと思います。

社会があるから公共空間があるわけで、社会規範となっているのは日本の場合憲法であり、

その憲法の前提として自然権があるのですから。

人として生きる場合、お風呂に入り身体を洗えるのは自然権的には当然だと思うのです。

が、それが現実問題できない人がいるわけで。

たとえ身体は綺麗になったとしても、洗濯するお金は残っていなかったり。

そうなるとあなたのいう公共空間に、現状のホームレス存在できないということです。

公共空間でない場所で、かつホームレス存在できる場所は、日本のどこにあるのでしょうか。

2008-08-22

個人の自由の及ぶ範囲と、それが帰属する社会という範囲。

http://www.asahi.com/national/update/0821/TKY200808200380.html

コレに起因するわけだが、親権が子の親に属するものだというのはいつからの認識なのかというのが気になった。

そもそも社会性を得たことで脳が発達するという進化をたどった動物としては、産んだ親だけが親なのかという疑問がある。

哺乳類でなくとも、群れを構成して生活する動物は沢山あるわけで、社会を構成する動物だけが脳を発達させたとも言えない訳だが、似たような方向性はあるのではないかと疑問はわく。

中世から近世にかけて人権という概念が生まれたと考えてよいのだろうか?

その時代を統治する立場の人たちは血縁とか大事にしていたようなので、家族という単位を重視したのだろうか?

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