はてなキーワード: 同人女とは
同人女のTwitterの界隈というのは、基本的に二次創作をする人間が偉いということになっている。
いや偉いのかは知らないが、とにかく創作をしない人間には発言権がないし、相手にもされない。
創作をする人々が今回の本誌の感想をつらつらと呟きお互いにいいねRTしているのに混じって私の感想ツイートも読んでもらえるようになりたかった。
彼女らの作品を読むばっかりで他人の解釈を浴びるだけなんてつまらない。
私も人に解釈を垂れ流したい。
とは言えめんどくさいから絶対絵の練習とかしたくなかったし、小説も疲れるから書きたくないし、考察も別に楽しくないし、リプライを送って交流に精を出すなんてこともしたくなかった。
気に入られるために他人の絵を褒めるとかもめんどくさいから嫌だ。
ということで、一切二次創作も営業もせずにどうやったら同人女からフォローしてもらえるかを模索することにした。
結論から書くとフォローしてもらえるようになった。私がフォローしなくても向こうから来る。っていうかあんまりフォロバしてないからFF比1:10ぐらいだし、私以外ほぼ神絵師と公式しかフォローしてないような人からもフォローされてる。
二次創作しない奴に発言権はないとか書いたけど意外とそんなことはないことを知った。
でも別に私は目を惹くような価値のあるコンテンツは一切流してない。
ただ毎週の感想と現世に流すわけには行かない推しへのやり場のない愛を流している。
あ~~~~~~今週も推しきゃわわ。みたいな日本語でさえないものから、推しはスイーツバイキングに行ってもどうせパスタばっかり食ってるんでしょ~~~みたいな戯言、推しの乳首ピンクじゃなかったらセーヌ川に身投げして死ぬ。みたいな下ネタ、最新話が公開されればその感想。
気を付けているのは、難しい言葉を使うときは茶化すこと、批判的なことを言うときは愛ゆえの冗談だとほのめかすことの2点だけだ。
それ以外は好き勝手言いたいこと言って、言えばそこそこいいねが貰える。
みたいな適当なアカウント運営で、何の努力もしないで好き放題やっても意外と大手と相互になれるんだなあっていう。
やっぱり好きな作家から感想に共感をもらえるのは嬉しいし、何言ってもそれなりに聞いてくれる人がいるのも楽しい。
今日も推しが可愛いな~~~~って言うといっぱいいいね貰えるから、ああ今日も推しは愛されてるなあって幸せな気持ちになれる。
「今週の展開で推しへの批判が集まってるけど私は推しは悪くないと思う」と怒涛の長文ツイートを流せば、「仰る通り」と瞬く間に拡散されるので、カルトの教祖にでもなった気分だ。
ということで、創作しないで大手と相互になるって私の目標は達成され、Twitterが楽しい。
先日負の感情のスパイスの混じったとある二次創作作家さんのツイートに触れて、同人女歴20年選手の私が個人的に感じたあれやこれやを書いてみる。
二次創作をやっていて、常に誰かからの感想がほしい気持ち。わっっっかる。死ぬほどわかりますその気持ち。
「感想なんて貰えなくても、自分は自分の描(書)きたいものをかくんだ」と言い切れたならどれだけ格好いいかと思うけれど、残念ながら自分はそんなストイックな同人女にはなれない。いいね一つでもつけば嬉しいし、マシュマロが来れば飛び跳ねて喜んでしまう。
描(書)いたものに対してリアクションが返ってくる喜び、ファン同士の共鳴感がもたらす多幸感ってちょっと他では味わえない。
こればっかりは、創作に手を染めた人間にしか味わえない特権だなって思う。
ただ感想が来ないことに落ち込んで、推しを十分に楽しめない域に達してしまったのなら、「感想を欲しがる自分」をもっと俯瞰的に見た方がいい気がする。
一人でも多くの人からたくさんの感想をシャワーのように浴びたいのか。
同じ界隈の作家さんたちから感想を貰うことで繋がりを感じたいのか。
はたまた「同人女の感情」のように、自分の追いかけてる特定の作家さんを、自分の作品で振り向かせてみたいのか。
不特定多数からとにかくより多くの感想が欲しいなら、まずその自分の渇望を満たしてくれるジャンルから選びから始めた方がいい。
ファンの総人口が多い流行ジャンルで描(書)き続ければ、絶対にいいねは付きやすいし、感想をもらえる機会も増える。
人気のない山奥で自分の描いた絵を展示して、誰も観てくれないと嘆いても仕方がない。
感想が欲しければ、マシュマロなどの窓口を設置して、感想が欲しいと明確に伝え続けることも大事だ。
ただ、街中には当然人が多い分、自分より素晴らしい個展を開いている作家も大勢いる。
その人の個展はいつも大盛況なのに、どうして自分のところは人が来ないのか。どうして感想がもらえないのか。
そんな理由は考えるまでもない。単純に、その人の作品が自分より素晴らしいからだ。技量か、作風か、作品を通して伝わる人間性か、自分にはない何某かの魅力が、人気の作家さんのもとにはあるからだ。
たくさんの人から愛されている作家さんやその作品に、羨望を抱く気持ちは悪いものじゃないと思う。嫉妬と憧れは、きっと自分の創作物を磨くときのいい研磨剤になる。
けれど、その羨望をうまく飲み干せないのなら、他の人の作品を見るのはやめた方がいい。
まあでも見たいよね。だってきっと同じ界隈に住んでいるからには、自分の読みたいものを人気の作家さんは書いているから。
同じ界隈の作家さんたちから感想を貰うことで繋がりを感じたいなら、単純な話、自分が界隈の作家さんに感想を送っているかどうかを考えた方がいい。
自分が他の作家さんの作品を楽しんだ後、きちんと感想を送っているか?RTしているか?していないのに、自分の元には感想がこないと嘆きはしていないか?
ある程度関係性を築いていたら、儀礼的ではあっても感想は貰える。
自分は引っ込み思案でフォロイーさんに感想を送れない、でもフォロイーさんからの感想は欲しい。その場合は、フォロイーさんたちが感想を思わず送らずにいられないくらいに、圧倒的に魅力的な作品を描(書)くしかない。
あなたが神作家になれば、きっと感想は勝手についてくる。もしかしたら憧れる作家さんだって、自分の作品を読んでくれるかもしれない。
簡単に神作家になれたら苦労はしない!ときっと思うだろう。じゃあ神作家と呼ばれる作家さんたちは、どうして苦労していないと思うのか。
四六時中どうしたら魅力的なものが描(書)けるかを考えて、手を動かして、いろんなインプットを重ねた結果、神作家は神作家になったんじゃないのか。
自分より年若い人が自分より絵が上手いことが、文章が上手いことがショック???生きてる時間なんて何の参考にもならない。問題はその時間をどんな割り振りでどう使ったかじゃないのか。
自分がそこそこ勉強してそこそこの大学に通っていたとして、がむしゃらに勉強して東大に入った人間を妬んでどうする。
神作家の筆が自分の3倍早いなら、それは神作家がそれだけ作品のために手を動かしてきた証拠だ。
自分だって毎日練習をしてる?それは本当に効果的な練習か?自分の描(書)きやすいものばかりかいて、同じところをグルグル回ってはいないか。自分の苦手な構図、話を克服するための分析をした上で創作を重ねているか?推しの魅力をさらに二次創作で搾りとってやろうという気概がそこにあるのか?
仕事があるから、育児があるから、学生みたいに二次創作に時間をかけられない?じゃあ限られた時間で何を描(書)くかを吟味しているのか?
どうして学生なら時間があると無条件に言い切れるのか?社会人より忙しい学生だって山ほどいる。
他人の見えない部分に勝手なラベルをつけて羨むことほど虚しいことはない。
まあたまに本当に努力知らずの神に愛された天才も存在するけど、それはもう仕方がない。神の子は同じ土俵に立たせる存在じゃなく、ただ崇めておくべき存在だから。
私は二次創作活動は徹頭徹尾自分のために行うべきだと思ってる。
ただ本当に幸せな二次創作活動っていうのは、単純に推しが好きで、推しの魅力を形にして吐きださずにはいられない状態でやる活動のことをいうと思う。
周りの目なんて一切気にせずに、バーサーカーモードで勢いだけで描(書)いたものって、何故か脂がのってて美味しい。
自分の純粋な狂気を、あとから誰かに楽しんでもらえて一緒に狂えたら最高だなって思う。
それが本来の同人女のあるべき姿だろうと思うし、周りからの評価>推しへの愛になってしまったなら、単純に狂気の火力不足。薪を絶やすな。狂気を燃やせ。
以前、「検索避けもせずエロ垂れ流す二次絵描きの気が知れない」とつぶやいたら、検索避けもせずエロ垂れ流す二次絵描きから怒りのDMを送りつけられた挙句、しばらくの間粘着されたことがある。
そんなこんなでしばらくこの話題には触れていなかったのだけれど、増田で言及する分には面倒なことにはならないだろう……ということでしばらく黙っていたあれこれを吐き出そうと思います。私怨ではなく検索避けや配慮に対する個人的な見解です。
まず、検索避け……というか配慮にもいくつかの種類と意図があると思っています。ざっくり分けると以下の3つ。
検索避けや配慮を厭う人はこのあたりの区別がついていないことが多いんですが、それぞれ必然性はまったく違いますよね(①>②>>③だと個人的には思っています)。
絶対に必要な配慮だと思います。公開アカウントで垂れ流すとかもってのほか。ぶっちゃけここが出来ていない人は成人としてどうなんですかと言いたくなります。オフ本は年確して頒布するのに、ネット上は無法地帯なんですか。
表現の自由を盾にする人もいますがお門違いです。まずは国や自治体で定められたルールを守りましょうよ。オフでは守っているのであればなおさら。
ネットで年齢なんていくらでも偽れますが、それとこれとは話が別です。
最近だと「やっぱりジャンルタイトルに「腐」を入れて検索避けにするのダサいからやめませんか - つれづれと」このあたりが話題になった気がします。
まぁ配慮はした方がいいですよね。ここで挙げられているマイナス検索は、そもそも二次創作というものを知らない人からしたら実行のしようがないので。
メディアでもたびたび取り上げられるようになって勘違いしている人がいますが、二次創作は二次創作界隈の人間が楽しむためのものであって、純粋な原作ファンからしたらただの異物に過ぎないことを今一度自覚するべきです。
要は地雷に対する配慮です。正直あってもなくてもいいとは思います。同じ二次創作界隈の人間ですし、単純な好き嫌いの話なので。
苦手なCPやシチュの絵・文章でショック死した人間はいません(ただの勉強不足かもしれないので もし事例があったら教えてください)。
ただ、これといったこだわりや譲れない理由がないのであれば、CP名でタグ付けしたりツイート文中に明記したりして配慮した方が、世界はもう少し過ごしやすくなるんじゃないかな……と思います。
女性向け界隈はこのあたりが面倒だと言われますが、③はともかくとして①と②はどの界隈であっても考え直すべきだよなぁと思いながら今日もインターネットの海をさまよっています。文化の違いという言い訳は使ってほしくないなぁ。今までなんの疑問も持たずにいたものを今さら改めろというのも難しい話だとは思うんですが。
私は長らく同人誌を書いている。
正直に言って、界隈ではそこそこの認知度があると自負している。
決して一般受けはしないけど、マニアックな層に好かれるタイプの作風で、
そのため心に油断があったのかもしれない。
ある日、自分の作品についてエゴサしていると、とあるツイートが目に入った。
「他の作品はぜんぜん読んでないけど作者まわりの印象が悪い」
「『尊い』とか『無理』とか言ってる界隈のノリが嫌い」
私や、私に関わる人たちに対する、偏見に満ちた攻撃的な言葉が書かれていて、ひどくショックを受けた。
「尊い」や「無理」なんていう腐女子構文をTwitterに書いた覚えもない。
同人なんてやめてしまおうか、このまま死んでしまおうかとさえ思った。
それで余計にダメージが大きくなってしまったところもあると思う。
深く心が傷ついたこと。
「尊い」「無理」などとは言っていないこと。
本当ならスルーするのが賢いのかもしれないけど、我慢できなかった。
彼女が謝罪してくれれば、私の気持ちも晴れて、また同人活動に向き合えると思った。
でもそうはならなかった。
「おまえをフォローしてないんだから普段の発言なんて知るわけない」
「こんな感想にいちいちDM送ってくるのはセンシティブすぎる」
「こちらが謝れば満足するのか?」
といった開き直ったような態度で私を批判し、
私にはすぐさま反論するような気力がなく、黙って炎上を受け入れるしかなかったため、
プロではない描き手女性キャラによるすぐれた創作と、それを読む別の女性キャラ(こっちも創作する)をめぐる人間関係がその作品の主たる題材だった。
ツイッター外も含めたネットで話題となり、刺激を受けた作者は続きをつぎつぎ創造し、投稿していった。
やがて書籍1巻分のボリュームにまで達し完結、少々の描きおろしオマケをつけて書籍化され、空前の鬼滅ブームの中、ひっそりと書店に並んだ。
発行元はKADOKAWA。単行本の表紙はSNS投稿作品そのままのような線画(Drawings, not paintings)に、過去同じくネットで話題になって単行本化された「翔んで埼玉」のような目にまぶしい黄色にピンクのベタ塗り。
タイトルは
”私のジャンルに「神」がいます” 真田 つづる (著) – 2020/11/12 (途中までは「同人女の感情」と呼ばれていた)
と
もう一つ
”姫と騎士たち ” 山本 白湯 (著) – 2020/12/23
・ツイッター発
河口慧海のチベット旅行記がKindleで無料だったので読んでいたら、
ふと慧海の言動や思想が非常に失礼とは思いつつも若干拗らせた同人女ぽく、ついつい同人女の感情を思い出してしまい、
そして連鎖的に、あの話ほとんど仏教エピソードでも似た感じあるんじゃないか、などと思い至ってしまった。
初めての訳経地獄
素晴らしき過疎宗派
空海が悟った日
原作(釈迦)じゃないのに神扱いされて解釈が準公式みたいに崇められまくってるのマジで無理というご意見もなども空海なら満たしてる気がする。
他には仏教でもないけどシー◯派(ム子孫原理主義)と敵対しているスン◯派のサ◯イド(ム子孫)ほど複雑な心境の方々はおるまい、と思ってしまう(厳格なム◯リムの方には怒られてしまいそうだが……)
マイナージャンルの作品にハマり、好きなカプの二次創作は全て読み終わった。作者の言葉も見たくなりTwitterの専用アカ(読み専で呟きもしてない)を作り、好きなカプをもっと読みたいと考えることが1日の中で増えた。とりあえず自分の昂った感情を発散するために初めて二次創作の小説を書いた。一作目から感想を送ってくれる方が何人もいて、しかもカプ内で一番手の人にも感想をもらった。
自分の問題は話しかけてもらえたら返すことができるが、自分からは感想や話しかけることができないことである。
感想をもらった際、「ここの〜〜というセリフのところからA君の〇〇という気持ちが伝わってきました」、「最高です!B君が〇〇をした行動から性格が表れていてとても好きです」等をいただいた。今まで二次創作での感想というものがわかっていなかったので、こんなに細かく言ってくれる人達がいるんだ……と同時に熱量が半端無くて怖いと思った。また、今まで誰にも感想を送ってこなくて申し訳ないと思った。自分では感想を上手く書けそうもないので、未だに誰にも感想は送ることが出来ないままである。
丁度、Twitterでは同人女の感情というものが流行っており、自分はそれ楽しんで読んでいた。誇張しすぎじゃないのか、他人のこと気にしすぎじゃないのか、とその時は思っていた。
自分が好きなカプと同じくらい人気のカプ(ジャンル内で2、3番目)で一番手の人の縮小アカからフォローされた。その人は表で逆カプはちょっとな〜と言っている人だった。鍵をかけた縮小アカでは「逆カプ潰す」、「逆カプ消えろ」、「どう考えたらY君が受けになるんだ、圧倒的攻め様だろ」と呟いていた。こういうのって二次創作では普通なのだろうか。
気軽に小説を書き始めたものの、熱量の差に圧倒されてしまった。しかし、周りと打ち解けて気軽に好きなカプ、作品について語りたいし、面白そうな人とは仲良くなりたい。今の自分は交流を結構ビビっている。自分と同カプの人は私が初心者ということもあって優しくしてくれるが、ジャンル自体は他カプを攻撃したりなどで荒れている。正直巻き込まれたくはない。
周りを気にしすぎな人が多いと感じるし、自分もその1人だと思う。
Twitterで好きなアニメの話題を見たいときに使うアカウントを作った。半分ROMのような状態で、自分自身はほとんど何も呟かないし話す相手もいない。ただただ一方的にフォローをしたり感想や二次創作のツイートに「いいね」(ついfavと呼んでしまう)やリツイート(RT)を押したりして、まとめて鑑賞することが目的だった。
ツイートの反響はなぜかRT数よりfav数のほうが多い。何かしら使い分けられているようだがわからない。RTは引用やみんなと共有したい感覚で、favは個人的というか引き出しに入れておく感覚で使うのかなと考えた。またはフォロワーとの会話の相槌の代わりにどちらかを使う人もいる。しかし、どっちみち自分自身は先の状態だから、RTとfavの区別をつける必要を感じなかった。
ログイン中はフォローした相手のRTだけでなくfavのツイートもタイムラインに流れてくるから事実上は同じだし、favの一覧はログアウトすると見られない。そういうわけですぐに見えるRTのほうが便利だと思った私は、favを使わないでRTばかり押している。
でもイラストなどの作品ならともかく、なにげない感想を、フォロー外からいきなりRTされるとびっくりするとか、favのほうがまだびっくりしないとか、あるんだろうか? 特に同人女の人はナイーブな印象があるから、心配になってしまう。フォローすればいいんだろうけど、相手方がカップリングの前提とかに厳しかったら、こちらの無節操なRT群を見てブロックされるかもしれない。でもそれならRTだろうとfavだろうと結局は一緒か。だめだ、変な心配をしている時点で私も朱に染まっている。だめだ。
いっそ非公開にするか? でも非公開アカウントから何かするほうがびっくりされるかもしれない。迷いすぎて最近はRTもfavも新規フォローすらしないで隠れて見ているだけの真性ROMになっているが、それはそれで特に支障が無い。