はてなキーワード: 勢力とは
政権批判と見るや必ず「文句があるならお前がやってみろ」と言い出す勢力が
国境の距離が近いと犬猫が媒介するんじゃないか検疫も本当にまじめにやりそう
イスラム国が5000キロ離れているからコロナウイルスに無関係だと思っているのだろうとか言ってたけどその通りだわ
海を越えて攻めてくる勢力があるなんて誰も思ってない
私は逆にSNSの普及で人気が数値化されたことでオタクの勢力が全然大したことないと見えてきたね。
良いねの数は?スターの数は?数えてみると、ふーん数十、数百程度?よくて数千?
日本人は一億という単位で百人に一人のレアな人間も百万人いる計算になる。
しかもオタクは工作活動によって数値を底上げする遊びが大好きな人種でもある。
「一流の人はみんななんらかのオタクなんだ」とかいう謎理論で勢力を水増ししたりもしてる。
普通の有名人のフォロワー数が、オタクの有名人を圧倒するのが現実ですよ。ひと桁単位で違う。
しかもネットってオタクのホームグラウンドじゃないですか?そこで負けるの?
「それでもオタクは金を……、使うんだ」
「金を使う」がオタクの最後の拠り所ということでいいのだろうか?
「金を使う」というなら疑似科学に騙される人々(スピリチュアル系)も金は使う。
だからといって疑似科学に騙される人々が勢力を拡大する様子はない。
騙された人々はそのことで信用を失っているのだから支持を得るわけがない。
同様に疑似恋愛に騙される人々(オタク)が勢力を拡大することもないだろう。
改めて考えれば、これはおかしなことだ。
そうした振る舞いがオリジナルの価値を下げる行為だから忌避されるのである。
疑似恋愛に騙されるオタクには疑似科学を批判する資格などない。
同族嫌悪だろうか?あるいは商売敵だとでも思っているのだろうか?
一般人が疑似恋愛に対して抱いている印象は疑似科学に対するそれとさして変わるまい。
(知識を持つ)騙す側の人間はノラリクラリと明確な言及を避け、(知識を持たない)騙されている側の人間が激情とともに、(知識を持つ)専門家の指摘に噛み付くのも同様のパターンだ。
あるいは疑似科学という他山の石を目にすることで自分が同レベルの存在と意識させられるのが怖いのかもしれない。
現代のオタクコンテンツは疑似恋愛に頼った疑似恋愛商法といって良いだろう。
ならば果たして公共性の高い組織が使うべき商法か?という疑問が生じる。
「公共性の高い組織の担当が癒着した疑似科学の業者を広報に起用する。疑似科学に騙された人々が殺到する。公的なお墨付きを得た疑似科学は勢力を拡大する。それでも組織に金が入ったのだからいいじゃないか」となるだろうか?
公共性の高い組織が疑似科学を使った場合と同じように疑似恋愛が起用されれば批判されてしかるべきだろう。
(逆に世間は個人が自己責任において疑似科学に騙されることまでどうこうしようとは思っていない。そのような意味でも疑似科学と疑似恋愛は似通った存在と言えよう)
オタクは長文が読めない。
ならば「疑似恋愛商法」という概念を浸透させるしかないのかもしれない。
野口武彦『鳥羽伏見の戦い―幕府の命運を決した四日間』(中公新書、2010年)読了。あとがき以外は面白いね。
あとがきの「閉ざされてしまった回路」(=あったかも知れないイフ)は興味深いが、この書名や慶喜に負わせる問題じゃない。そして一つ目の公議政体はともかく、二つ目の「天皇制ぬきの近代日本」は荒唐無稽。このような反論に著者は「こう考えることを妄想だとする向きは、話があまり大きすぎて歴史的な想像力がついてゆけないからである」と予防線を張るが、それはそうじゃない。
歴史にはたくさんのイフがあり、それぞれの実現可能性にとってプラスに働く因子とマイナスに働く因子とがある。それら諸因子の大小強弱は定量的に計測できるようなものではないが、ある程度の序列はつけれられる(というよりつけなければならない)。野口さんの言ってるのは、「マイナス因子をすべて無視すれば別のイフもあり得た」というに過ぎない。
彼は慶喜よりもはるかに大きな他の因子、例えば思想史的要因を全く無視している。列強ひしめく国際社会へ出て行ったときに、来たるべき「日本人」のアイデンティティはどこに求められるのか。それは「皇国」以外にないだろう。それは鳥羽伏見のずっと以前から使われている言葉で、すでに相当な浸透力をもっていた(松陰を想起せよ)。たとえ慶喜が逃亡せず新政府の首班に座る(=徳川勢力が温存される)としても、天皇の権威を前面に押し出さなければ新たな公議政体での意思統一はできなかっただろう。となれば、それが天皇の神格化・神聖性付与へ向かうのは自然な流れ。(来たるべき憲法の条文がどうなるかはともかく)
天皇制を32テーゼではなく著者のように定義するなら、慶喜が逃亡しようとしまいと、かなりそれに近い状態に達したと考えられる。
要するに「天皇制ぬきの近代日本」というイフにとって、慶喜逃亡はきわめて小さい因子に過ぎない。他にもっと強力なマイナス因子があるのに、それらを全部無視してイフを手柄顔で語られてもねえ…。
「天皇制ぬきの近代日本はあり得ただろうか?」という問題提起は興味深いし意味があるが、慶喜逃亡が決定的な因子であったという主張は愚かしい。その意味で「この書名や慶喜に負わせる問題じゃない」と書いた。アルキメデス的支点に立ってるように見えるのは、著者が戊辰戦争ばかり見てるだけのことじゃないの。
だから、ここに至って、なんでこの著者と気が合わないのかもはっきりする。この人の本は面白いけど、同時に「面白い話を一発吹いて目立ってやろう」という助平根性も感じるんだよね。勿論この人はれっきとした学者であって、歴史作家のくせに歴史学者のふりして商売してる人種とは違う。だから猶更その根性が気になる。我々はワトソンより寧ろロザリンド・フランクリンであるべき。ワトソンを剽窃者として謗りたいのでははなく、帰納的に考えることをおろそかにしてはならないということだ。
キチガイじゃない男女平等の主張はちょっとずつでも社会で実現してったらいいよ。もうたいがいの人、大筋文句ないだろう。
一部のキチガイフェミの主張が俺の視野にまで入ってくる時って、必ず「こんなキチガイなこと言ってるフェミがいるんですよ、問題だと思いませんか皆さん!」って文脈なんだよな。
そもそもほっといたらなんかまずいの?
オタクはポリコレのせいでコンテンツがつまらなくなっていると思い込んでいるフシがある。
だがオタクの感性の赴くまま好きにやらせてうまくいくだろうか?甚だ疑問である。
フェミ(のような道徳にうるさい人々)がいるからこの程度で済んでいるのではないか?
オタク文化に終わって欲しいなら、もうオタクには何も進言すべきじゃない。
そうすればオタクの感性は内輪のマウントで過激化し勝手に先鋭化の道に進む。
先鋭化に歯止めがかかるのは皮肉にもフェミのような勢力が苦情を言うためだろう。
オタクに対して何も言わなければオタク文化は勝手に自滅していくのである。
下手に意見を述べるから、それが反映されて感性がより戻されてしまう。
フェミがオタクに苦情を言うことでオタクの勢力が衰えることはない。
いや、それどころか現状ではオタク文化の延命に協力してすらいる。
例えばオタク(消費者)はクリエイター(創作者)にご意見を述べたがる。
だがフェミの苦情などを引き合いに出して「それはまずいですよ」と断られるのである。
考えようによってはフェミの苦情はクリエイターを守る盾にされているのだ。
私にはその人のゴールがわからない
8割くらい変えれば彼にとってのゴールなのだろうか
どうなったらその戦いは終わるんだ?
"真実"が広くニュースで報道されて、多くの人が実はそうだったのかと思ってくれたらゴールなのか?
彼が戦いで疲弊しているのを見ていられない
ずっとそのことにのめりこんでいる
彼と会うと必ずその話をしてくる
私はもっと違う話がしたい
違う話もしないわけじゃないけど、会うたびに戦いの話をされるのはもう嫌だ
私はその戦いに興味がない
どちらが正しいのか判断することもできない
彼の陣営も、"敵"の陣営も、どうやら互いに"決め手"がないらしく、ずっと不毛な戦いを続けている
そして彼の陣営が圧倒的に不利で(それでも以前よりは仲間が増えたそうだ)、だからこそ戦っているらしい
(ところで「不毛」は絶対にNGワードだ とても言える空気ではない 彼は真剣そのものだ)
彼らの戦いは、どちらかの"決め手"が出てこないと終わらない、と私は思う
その決め手が出てくるかどうかを、彼ら自身がどうにかできるものではない 彼らは全員外野なのだから
(彼は、外野ではあるがかなりの古株でリーダシップがある それがまた事態をややこしくしている)
でも彼には戦いをやめてほしい
私にはその戦いはどうでもいい
どちらが勝っても私の人生に影響はない
むしろ彼には負けを認めるなりあきらめるなりして帰ってきてほしい
私は彼にこっちを見てほしいだけなんだが
もう全部ダメなのかもしれない
だって、世界観を理解できなきゃ持たないような違和感だからな。
ゴブリンより高度な知性を持っていて、人語を話せて、意思疎通可能だけど敵対的な悪の勢力が当たり前に存在する世界だろ。
作中でもそいつらの方が重要なのに、ゴブリンにだけ拘ってるゴブスレが異常だと明示されてるし、実際に描写されてるわけ、オーガとか邪教の連中とかな。
普通のファンタジーならそういう勢力を相手にどんどん敵のランクが上がっていくところを、あえてゴブリンをメインモンスターにし、盛り上がらなさそうなコンセプトにも関わらず、手を変え品を変えシチュエーションや道具に凝ったり理由や設定で説得力を肉付けしたりで持たせてる作品なの。作者の意図を読み取るならまずその趣向が理解できないと話にならない。
善良なゴブリン問題のようになっているのは単純に読者のリテラシーが低いのが原因だからネットならバカにされて当然だろうね。
じゃあ、リテラシーの高い読者はどう読んでるのかというと「ゴブリンは弱くて重視されない敵って設定なのに、ゴブスレ読んでるとチャンピオンなどが出てきて、すごく強い種族に見える」なんてツッコミを入れながら楽しんでるよ。この差、ゴブリン脳のお前にわかるか?
インターネットだけじゃない。町を見渡しても広告だらけ。看板やらデジタルサイネージやら。見てないつもりかもしれないが、無理よ。彼らの目的はあなたの視界に入ること。それだけが目的なの。視界に入ってしまえば、あなたの意志に関係なく、あなたの脳はワタシをちゃんと情報処理してくれる。あなたは既に操り人形よ。広告嫌いの発言も、広告は悪だという別の勢力の広告なの。あなたは既に洗脳が完了しているミイラなの。
189年に董卓が呂布を他の勢力から引き抜くために与えるときに登場する。
呂布が旧主を殺して鞍替えするほどだからこのときすでに名馬として評価されている。
そして関羽の手に渡り、220年に関羽が死んでから呉の武将に与えられるが、餌を食わなくなって死ぬ。
初登場時点で名馬ならおそらく3歳以上だろう。
そうすると220年で34歳以上になる。
2014年までのサラブレッド最長寿記録はシンザンの35歳だった。
晩年に呉の武将・馬忠に与えられたときはもうすっかりヨボヨボになっていそうなものだが、孫権はこれを「名馬」として与えたのだろうか?
あるいは元名馬の功労馬扱い?
関羽の崇拝者でもないのにそんな馬をもらってもという感じだが。
名馬といっても戦争の道具なんだし衰えた馬をいつまでも置いておくものだろうか?
これで現役なら化け物だ。
三国志演義では呂布も関羽も超人的な化け物なので、馬の常識を超えた化け物として描かれているのかもしれない。
赤兎馬はあくまで品種であって固有名詞ではないともいえるが、「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」という言葉もあるし、関羽の手から離れた直後に死んだので、関羽の愛馬であるあの1頭の赤兎馬であることが強調されている。
最初に登場した赤兎馬とは代替わりした可能性もあるが、2頭以上手に入るなら関羽だけが赤兎馬に乗る理由がない。関羽の息子達が乗っていてもいいはずだ。
最近飲み会で、何かの流れで朝日新聞の話になったんだけど、「ああ、朝日新聞って反日だよね」「そうそう」みたいな会話が普通に飛び出して、正直びっくりしてしまった。これまで「朝日新聞は反日」みたいな認識を持っている人ってさすがにネットの中の一部の人だけだと思っていたのだけれど、うちの会社の普通の社員たちからカジュアルにそういう言葉が出てくる時代になったんだなと。
でも、確かに考えてみると、普段目にするTwitterやヤフー掲示板では当然のように「朝日新聞は反日」「民主党は反日」「左翼は反日」といった意見が目立っている。そしてそういう意見にたくさんの賛同がついている。となれば、そりゃその考え方が世の中のメジャーになるよな、と。
ネット上のそういう意見に対して、朝日新聞も民主党勢力もまともな反論なり訴訟なりを起こすことなく、あくまでネット上の便所の落書きみたいなものだと軽視してきたことが、今になって最早変えることのできない世の中の風潮と化してしまったんだろうなと思った。左翼はネットを舐めてたんだと思う。きちんと反論や訴訟、時には工作を行わなかったせいで、取り返しのつかない場所に追いやられてしまった。ここまでナチュラルに左翼=悪という空気がネット上に出来てしまったら、もう挽回するのは無理な気がしている。
僕のヒーローアカデミアが炎上した。
ガチガチに凝り固まった思想がすでに形成されている大人達はともかく、純粋に漫画を楽しんでいる少年少女達にとっては、「結局なんだったんだ?」という感じだろう。
漫画をただ楽しめれば1番いい。それを取り巻く大人達のあれこれなんて、知らなくていいと思う。
そしていずれ大人になり、この世は必ずしも正義が悪を討てる構造にはなっていないことを知る。
というより、正義や悪なんてものはそもそも自分の中にしか存在しないことを知るはずだ。
皆が皆、正しいと思ったことをしている。
(悪いことかもしれない…)と自覚していたとしても、それでも実行に移すということは、それが自分にとっては正しいことだからだ。
そういう世の中で人は皆生きている。
そんな中で、今回週刊少年ジャンプが教えてくれたのは、この世の中は金が全てだということだ。
最終的に金になる勢力に属していなければ、その主張が正しくても間違っていても、主張が通ることはない。
逆に言えば、今自分が思う「正しいこと」が現実にならないということは、それは自分が金にならない側に立っているということだ。
そこに目を向けて生きていくべきだと、今回のジャンプから学ぶことができる。
コロナウイルスは当初全く警戒されておらず、初期に警告していた医師は死んだ。
しかし、流行りはじめ社会問題になると、一気に研究が進む。人を死なせたくないという思いが強いからではない。流行った結果、金になるからだ。
対策が叫ばれるのは、流行によって金の流通が滞るからに他ならない。
信仰は本来自分の中にあればよいはずが、なぜ集団を作ろうとするのか。金だ。
芸能人のプライベートも金になる。自分で売ることも出来るし、人のを売る側に回っても金になるのだ。
金だけがすべてではない、という主張ももちろんあるだろう。しかしそれすらも、金にならない主張なので意味が無い。
いま、この世は金だ。
それ以前に宇崎ちゃんコラボの第一弾と第二弾が同じだとてめーらはほざいているけど、
作者の人が「変わりはない」という以外に納得の行く説明を聞いてないんですがね。
20200206221954 のトラバの人へ
確かにそういう面はあるかもしれませんね。
自分はそういう態度をとるつもりもないし論破するつもりもない、とか言っても増田なんで証明するのは無理ですね。
けど支持派の人たちが「作者がそう言っているから」としか言わないのは思考停止だとも思っているのですけどどうしたらいいんでしょうね。
20200207001449 のトラバの人へ
好きにすればいいんじゃないの
それはこちら反対側勢力が「支持派はこのタイトルに書かれた通り自分で見ることも考えることもできません」ということに認定しかねないのでできればそういう対立はやりたくないのですよ。