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2018-12-16

ボヘミアンラプソディ見てないけど感想書く

ボヘミアンラプソディは見ていない。

クィーンが好きじゃないからだ。

かといって嫌いでもない。興味がないのだ。

興味がない人間がわざわざクィーン映画を見てもしょうがないと思ってるから見ない。

なので映画自体は見てないのだが、ボヘミアンラプソディーを見て褒めてる人を見ると嫌な予感がするのだ。

どういう予感かというと、昔流行った音楽映画アマデウスを褒めていた人間に感じるのと同じ下品感性である

知らない人のために説明しとくと、アマデウスとはモーツァルトサリエリ映画である

音楽家として世俗成功は納めたが凡人のサリエリが、天才モーツァルトの才能に嫉妬し、

嫉妬の余りモーツァルトを毒殺するという映画である

まるでゴシップ週刊誌のような筋書きであるしかし昔これがヒットしてしまったのだ。

これは音楽映画としては不幸な成功というしかない。

だがしかし、大して音楽に興味もない客層に受けるためには、

こうしたゴシップ趣味のフックで引っ掛けていくしかないのが悲しい現実である

さて、ボヘミアンラプソディーだが、どうも感動したとか言ってる人の感想を見たり聞いたりしてみると、

アマデウスと同じ週刊誌ゴシップ感性が鼻につくのである

真面目にやってる音楽家の毎日はすっごく地味である

でもプロとはなんだってそういうもんだと思う。

ボヘミアンラプソディーはそうした現実から180度反対の、

事実に題材を取ったゴシップファンタジーとなっているのではないかというのが自分の予想であるが、

もしそれが当たっているとしたら、そんなものを喜んで感動している大衆は不幸であると思う。

2018-12-05

BNF人生から学んだこと

かつてBNFという個人投資家話題なったことがある。その当時、私は彼のことを株に取り憑かれ孤独人生を送る哀れな人だと思っていたが、いま考えるとこれこそが自分が求める理想生き方だと思う。仕事をして生活費さえ稼いでいればあとは何をしようと本人の自由である。それなら自分のやりたいことをやった方が良いに決まっている。彼にとってやりたいことは投資だった。ただそれだけのことである。私は会社勤めをして家族や友人に囲まれて暮らすことが幸福だという世俗的な価値観に縛られていたようだ。自分にとっての幸福とは何かをあらためて考えたい。

2018-10-31

萌え絵ポルノを「神聖自由」とは片腹痛いが、世俗的な自由を追求する仕草としては最も「近代」っぽいのかもね。

どうぞ皆さん偶像崇拝してそのまま死後地獄に落ちてください。

2018-10-20

anond:20181020215751

尼さんになりたいと思った事はあります世俗から切り離されて、剃髪して生きたい。

基督教よりは仏教だろうね。在るが儘に生きられるならどれだけ楽か。

2018-10-19

anond:20141005001115

ソローキンのみならず、20世紀以降のロシア文学は、19世紀パロディであるといっても過言ではないと思う。

そもそもロシア文学においては大元プーシキン西欧パロディをやっている。というよりも、プーシキンを読んでその背後にある西欧を読み取るのが正しい読み方。

プーシキンのすごいところは、パロディ翻案でありながらオリジナル凌駕しているところ。

オネーギンなんかもジュコフスキーから引用が多く見られる。また、本来韻文においてはヒロイックテーマ選択されるという常識を破り、世俗的な恋愛を描くというメチャクチャ実験的な小説だったということも補足します。

まりソローキンはなんら実験的なことをしているわけではなくロシア文学の定石をやってるだけで、なんら評価されるべき手法を用いているとは思えません。

彼の新しい点としては、単なる下ネタ文学偽装して増田みたいな人にありがたがらせたということかな。

ロシア語読めればわかるけど、彼のスタイル19世紀的で一見すると伝統的な文学に読めてしまうんですよ。

かにその点は新しいと思うけれど、それが優れているのかはビミョーです。

ロシアの諺に、背広を裏返して着ることは新しいけれど、それはすでに衣装の体をなしていないというのがあるけど、まさにそれだと思いますね。

2018-08-20

そもそも結婚が法的制度として整備されてる理念理解してないんでは?

欧米だと「同性婚合法化」云々、みたいな議論があるけどあれもベースとしては結婚=神に誓うもの、それを世俗法が認めるかどうかとはまた別、みたいな考え方があるじゃん

日本人はその辺ほとんど全部すっ飛ばしてるから、「仲睦まじい男女は役所婚姻届を出すものと決まってる、みんなそうしてる」くらいにフワフワした理解しかできないんじゃないの?

2018-08-03

anond:20180803183418

何度でもいうが隠者になるべきだ。

何者にもなれなかった者がハードワークと高度なコミュ力要求される忍者になるなど困難を極める。

世俗を離れ興味のあることにひたすら打ち込める隠者こそが救いなのである

2018-07-03

世俗的な価値観基準の「成功」を追い求めるやつなんて

天才じゃなくて凡才だわな^^;

そこでイスラム教ですよ

庶民ブルジョア化して子どもを産み育てないだって

それではここでイスラム教の中で、より厳格で、世俗的ではない宗派出生率を見てみようか。

2018-06-26

anond:20180626174257

一般的無敵の人という単語から連想される枠組みからは外れているが、実際には高学歴無敵の人予備軍、及び実質的無敵の人はかなり多い。というか、知り合い見てると高学歴人間ほど多い。自分なんかより遥かに学歴の高い人が特にそういう傾向にある。

少なくとも自分の知る高学歴無敵の人予備軍全員に共通しているのは、アカデミアや学問に病的な関心があって、かつそれで食っていけなかったか、食っていけそうにないという点だ。

ましてやイスラム文明なんか専攻してたくらいだから、まともに働くことに耐えきれなくなって、世俗の事なんて全てどうでもよくなっていて、彼の脳内ではもう無価値だったという意味では失うものは何もなかった、無敵の人予備軍だったということなのではないだろうか。

 

仮にそうだとしたら、そういう人間殺人を犯す前に最後にした事がはてな村なんて場所での大暴れというのは、凄く悲しい話に思えるが、まぁ知り合いも酒に逃げたりしているので似たようなものかもしれない。

2018-06-07

anond:20180607082522

「今文学作品として評価され教科書に載っている○○も、当時は世俗的、扇情的として文壇から黙殺され当局から取り締まりを受け…

2018-05-31

anond:20180531093447

アフリカ裸族とかそんな感じだぜ。そこは居住空間すらも丸見えの世俗から隔離された集落だったけど、隠すという発想がないから誰も恥ずかしがってない、当たり前って感じ。むかし世界まる見えTV見たわ

2018-05-29

過去駄文

私はどのような人間になりたいのだろう。

学問にばかり興味があり、それにのみ没頭するのは何だかまらないように感じる。

世俗のことに囚われてばかりも薄っぺらいから嫌だ。

自分のことを、何かの啓発本に載っているような「目的をもち人生の充足を感じる人間」に落とし込むのは嫌な気がした。

それは、いわゆる青臭さであり、第何次かのイヤイヤ期であるのかもしれない。

何回イヤイヤ期を経れば私は幼子から大人へと進化するのだろう。

いきなりその飛躍を求めるのは、あまりにも不自然だろうか。

万物に秀でたいのか。

かに劣等感を持ちたくないのか。

そのためには、全てにおいて人より上でなければならないのか。

あれでは勝てないけど、自分にはこれがあるからいい、とは思えないのか。

自分は嫌に幼い。

そのくせ妙に大人ぶる。

賢そうに振る舞おうとする。

それが無様だ。

しかし、周りに賢いだの秀でているだの思われるのが常であるような気になっている。

実際今まではそうだった。

しかし今や自分は○大生だ。

周りの方が圧倒的にレベルが高い。

生半可、半分もないだろうと思うほどの気持ちと、かけらもない努力の量で、学者になりたいなどとほざく。

そのことへの罪悪感。

切迫感。

そしてそれから逃れるように現実逃避

自分には、この道しかないように思われるのに。

学者になりたいという人間は、皆勉強が好きで、得意で、積極的に動けて、自分はこれが得意というある程度の自負があり、しかし自負が誇大にならぬよう、常に自分がその分野ではどこに立っているのかを弁えている。

本当か?

と、思っているからこのざまだ。

自分選択肢は、まだ残っている。

義務だの破棄だのしいるから、ないように思ってがんじがらめだ。

自分の速度でいいから、進まなくてはいけない。

背伸びした速度では、何も身に付かず結局遠回りだ。

一冊でいい。一章でいい。

本を読み進めるべきだ。

音楽聴いてもいい、途中で休憩して遊んでもいい。

結局自分に課しているのは自分で、責めているのも自分で、脅しているのも自分しかない。

誰もお前に正しいことは教えてくれない。

適切なもの提示してくれない。

トライアンドエラーしか、それは分かり得ない。

これもまた、やる気になるおまじない程度で、自分の期待を裏切るのかもしれない。

それでも進まなくては。

進むことであり、伸ばすことはついてくることだ。

自分は成長しない人間かもしれない。

才能などないかもしれない。

可能性などハナから無かったのかもしれない。

それを神様が選んだだの、自分特別人間だだの言うのは、いい加減やめてしまえ。

結果だ。お前の考える物語は、見てきた物語は、後付けの、それの説明しかないんだ。

そんなものがはじめからあるのではない。

そう思うしかない。

2018-05-11

anond:20180511035020

主張はわかるけど、さすがに、昔の旧帝大文学部哲学科みたいに「卒業しても、就職先と無縁だけど、ここでは、きちんと勉強できるぞ」

と言われて、「そうなんだ、純粋世俗出世無関係勉強のための存在なんだね」と納得できる人って、少ないだろ

まあ、仕方ないのかもしれないけど

2018-05-10

anond:20180510165609

さとり世代若者カルチャーにおいて、もはやガチャというのは、商品提供する手段ではなく、体のいいお布施認識されている。

商品の取得にこだわりを抱いたままガチャへ赴く人は、煩悩払拭できてない世俗的な人間であるとみなされる。

ただし、既にさとりを開いている人間も表面上は、ガチャ一喜一憂し、まるで平凡な人であるかように振る舞い、日常光景を崩さないように「気遣い」しているので、気をつけねばならない。

2018-05-07

グレンラガン劇場版を見た。

すっごく良かった!

「これだよ、これ」なんて言うもう感嘆するような吐息自然とあふれ出てきてもう大満足。

見終わった後の余韻も最高。

そして感慨深いこの気持ち

学校道徳の授業にはもうこれを流せよ。

何が悪で何が善であるか云々よりも、それ以上に大切なものがあるってことを教えてくれるのだから

自分探しインド行くやつはもう黙ってこれを見ろよ。

自分自分他人には決してなれないという、自らの信念を持つことを教えてくれるのだから

世俗に疲れてお寺に禅にしに行くやつはこれを体感しろよ。

この作品こそまさに、「不立文字」たる概念真摯に教えてくれる作品なのだから!!

2018-04-23

DNSブロッキングっていじめだよな

あいキモいよな、無視しようぜ無視」「へへー、仰せのままに」

って手法、とっても日本的だと思います

・・・・・・ってくらい、属人的世俗に塗れた手法に成り下がってしまった気がする。

2018-04-18

anond:20180418172216

イスラエル 出生率」でググって出てくる記事では、

https://wirelesswire.jp/2018/01/63045/

それでも出生率が増加する理由は、二つ考えられる。一つ目は、ユダヤ人は子孫繁栄してゆく家族を築くことをとても重視しており、家族仕事よりずっと大切だと考える人が多いことである

二つ目政治的理由であるイスラエル民主国家であり、現在二十数%のイスラエルアラブ人口が過半数を超えればユダヤ人国家ではなくイスラム国家となってしまう。したがって、たとえ世俗派のイスラエル人であってもユダヤ人口増加率がアラブ人口増加率を上回らない限り、ユダヤ人国家は存続できないという恐怖観念を抱えているという。

とある

後者理由はわりと納得感があるが。

2018-04-07

下方婚をしない女は途上国ではどうなっているのか

宗教が強い途上国ではコミュニティ強制力結婚

一方、世俗的な途上国では金持ち外国人結婚しようとする。

貧乏自国男を振り切りとにかく外国人区画に出入りする。

外国人結婚すればアガリ。

メキシコ人アメリカ人の主人の子どもを孕み子どもアメリカ人にしようとする。

シンガポールではそれを防ぐため主人の子を孕んだマレーシア人国外追放にしているほどだ。

そんな経済状況でフェミニズムなんぞ見る影はない。

日本の行く道だな。

2018-03-25

瞑想出会えて感謝しています

買い物や町を歩く、電車等の交通機関を利用する

ありとあらゆる機会で私に対する悪口を聞きます

世俗の人たちは聞こえるか聞こえないかの音量の声でお互いに悪口を言い合っているようです

私に対してもまず悪口をいい、次に喋れと言ってきます

その時私には怒りが生じますが、無我と言い聞かせることで忍耐、つまり冷静であろうとしています

ただ未熟なので時々怒ってしまます

大体同じことを世間様に申し上げるのです

「私を嫌う世間の皆様が幸せでありますように。私に悪口を言いたければ言ってください。ただし私はお付き合いいたしません。皆様が幸せでありますように」と

昨日駅のプラットフォームであまり悪口を言われたので大声でこのことをお伝えしました

ありとあらゆる機会で悪口を言われるというのは

具体的にどういう事かと申し上げます

例えば昨日の行動において記憶に残っている範囲では

数年ぶりに行った眼医者で処方された目薬を受け取るために薬局に立ち寄った際

そこでの薬剤師笑顔で応対してくれながら「出たなこのボンクラめ」「これだけ言うのにまだ黙っているか」とおっしゃってました

数年前の私はおそらく無自覚にこの方を不愉快にしていたのでしょう

買い物に行くため原付運転時、信号待ちで左端で待機した時、道路中央で先に待っていた中型バイクに並ぶ形になった際

信号バイクが発進時に「殺すぞ、クソ」とおっしゃっていました

から来た私が並んだのがこの方は気に入らなかったのかもしれません

あとこれは女性の方、若い方に多いですが電車に乗り込むと「気持ち悪い」「消えろ」とおっしゃっていました

これまで何年もの彼らの攻撃を少しずつまとめてみると

悪を為さず善行を積むという生き方は私には生意気だと世間の方は非難したいようです

我々は世間の厳しさの中(悪口を言い合い苦しめ苦しめられる世界)で必死に生きているのに

お前は大した社会貢献もせずに楽に生きようとしていると

ずるいというのが世間の方々の言わんとしていることのようです

何の不安苦痛もなく出かけ行動できるのが当たり前だと思っていました

ですがそれは恵まれ子どもが甘受できる特権のようなもので実際は今体感しているのが現実の姿なのかもしれません

私はとても恵まれていたのでその特権子どもを過ぎた年齢になっても与えられていた、言い方を変えれば甘やかされ、守られていたと考えられます

大人と呼べる年になっても制約なく、つまり悪口を言われることなく行動できる人間は、世間に染まり悪口を言い言われる輪に参加しているタイプか、悪口を言わせないだけの貢献をしているタイプ暴力を盾に自身を守っているタイプなんでしょう

1番目と3番目は耐えられません

そして2番目は私がそうあろうと精進したところで彼らは認めません

私の結末がどうなるかは分かりませんが、現実的に考えて現状のまま生きながらえるか私が世間に屈して悪口に身を落とすか、絶望して自殺するかのどれかなんだと思います

別に私は潔白だとか世間は醜いだとか間違っているとかそんなこと主張するつもりは全くないです

きっと何千年もそうやって社会はまわってきたんでしょうから

ただ欲を言うと気に入らないならさっさと殺してくれればいいのにと思います

結末の選択肢の中に現状のまま生きながらえるというものが入れれるようになったのは瞑想仏教の教えのおかげです

以前の私なら悪口に対し恐怖しパニックになって震えて自室に籠もることしかできなかったでしょうから

仕事一生懸命し、家事をきちんとし、他者の世話もそれなりにできるようになったのは慈悲の瞑想ヴィパッサナー瞑想のおかげです

2018-03-17

ここ最近良く思うのは、やっぱり金がほしい

自分は生きる事から解放される自由まではまだ求めていない世俗人。

から金を得る必要がある。

金があれば自由時間もっともっと手に入れられる。

仕事するのも自由

しないで読書鬼ごっこしてるのも自由

ああ鬼ごっこ良いなあ。

そして夕ご飯になったら家に帰って、そしたら美味しい料理が待ってるんだ。

そうやって死ぬまで暮らせる程度のお金がほしい。

それだけなんだ。

100年後や200年後、ロボット産業の発達でそうやって生きていける人が大半になるのかなあ。

うらやましいな。

[] #52-4「カカオ聖戦

≪ 前

ところかわって兄の俺は、相変わらず家で世俗にまみれない快適な時を過ごしていた。

しかし、そんなひと時を邪魔するインターホンが鳴り響く。

俺は重い腰をあげると、しぶしぶ玄関に向かった。

念のため、覗き穴から来訪者を窺う。

わずため息をついた。

そこから見えたのは弟だったのだ。

やれやれ、どうやら鍵を忘れて出て行ったようだな。

「弟よ、戦果は如何ほどだったかな?」

ここで深く考えずにドアを開けてしまったのは、我ながら迂闊だった。

覗き穴ごしからは気づかなかったが、肉眼で至近距離ともなると一目瞭然である

弟ではなく、弟に変装したドッペルだ。

バレンタイン……」

そう言うとドッペルは、おずおずと俺の前に箱を差し出した。

やたらと煌びやかなラッピングに対して、箱そのものデザインはひどくシンプルである

言葉が少なすぎて確信は持てないが、バレンタインと言っていたのでそういうことなのだろう。

俺はこの箱の中身、ひいては“意味”を考えていた。

気がかりなのは、いつも以上に挙動不審のドッペルだ。

手元にある少ない情報から可能な限り推察する。

答えはすぐに導き出された。

これは弟のチョコばらまき作戦の一つで、俺も候補に入れたってわけだ。

だが、弟の思惑を俺は知っているので、普通に渡しても受け取ってくれるはずがない。

そこでドッペルを介した。

俺は見分けがつくので、ドッペルだと気づいてチョコを何の疑いもなく受け取る。

これが罠なのだ

弟に変装したドッペルは、後に俺にはチョコを渡していないとしらばっくれる。

そうなると、俺の受け取ったチョコは弟から貰ったという扱いにされてしまう。

そして、俺は弟に高いものを買わされる、と。

随分と回りくどい真似をしてきやがる。

だが、所詮ガキの浅知恵だ。

この作戦には致命的な欠点がある。

「ドッペル、これを受け取る前に確認しておきたいことがある」

「な、なに?」

「いま、お前は弟の姿に変装しているが、弟ではない。ドッペル、お前が俺にくれるんだよな?」

なんてことはない、事実確認だ。

ただつき返すだけでは弟への報復にはならない。

モノは貰う、だがお返しはしない。

しなくていいように、弟があげたなどという可能性を完全に無くす。

「う、うん」

「よし。念のため、包みにお前の筆跡で書いてもらえないか? 『マスダの兄ちゃんへ、ドッペルより』って」

言ったとおりのことを包みに書いてもらい、俺は粛々と受け取った。

その箱の中身がチョコではなく、ケーキだとも知らないで……。


…………

ところ変わって弟のほうでは、タオナケとの熾烈なチョコ押し付け合いが始まっていた。

私、女だけどチョコが欲しくないわけ?」

「欲しいよ。ホワイトデーに何も返さなくていいならな! そういうタオナケこそ、俺から貰っておけばいいじゃないか

私、女だけどお断りよ! ホワイトデーによこしなさい!」

戦いは拮抗していた。

タオナケには超能力があるが、「念じると5回に1回、無機物破壊できる」というもので使い勝手が悪い。

下手に弟のモノを壊せば、お返しどころではなくなる可能性がある。

弟はドッペルを身代わりに有耶無耶にするとは言っていたものの、あくまでそれは最終手段だ。

それにチョコ押し付け合いごときで、仲間にそんなことはしたくない程度の情はある。

そもそも互いがチョコを欲していない時点で、この勝負不毛しかなかったのだが。

そのことをミミセンが指摘するまで、二人の戦いは続いた。

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