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はてなキーワード: 下駄とは

2023-11-21

anond:20231121123855

女の子なのにバリバリ仕事をさせられてる自分」みたいな被害者意識

女の仕事といえば美容師看護師寡婦しかなかった昭和時代の話してる?

少なくとも雅子様キャリア女性として報道され、松田聖子山口百恵生き方否定した時代以降は

女も働くのがカッコいいという価値観喧伝されてきた

むろんそれが可能だったのは女に教育費をかけられる上流階級とごく一部の芸能人だけだったし

からこそ憧れられフォロワーが今に至るまで増え続けてるんでしょ

 

バリキャリ被害者意識のたちの悪さといえばフェミニズムが大きい

どちらかといえば富裕層に生まれ女性優遇措置による学歴地位を得た「下駄の高い人」なのに

自己認識は実力ある有能で、「女性被害者無謬正義マン」でいることが社会的に許されてるので

序列バリキャリ女→バリキャリ男→底辺女→底辺男になってしま

2023-11-19

anond:20231119081534

家は爺さんが入院中に婆さんが猛烈な勧誘受けて全財産寄付しようとして、怒った爺さんに下駄で頭かち割られたイメージが強くて。

婆さんはやりて商売人で金にがめついしっかりものだし、爺さんは戦争怪我して専業主夫やりながらとても優しい人だったし、イメージと違う出来事過ぎて宗教怖いわーって。

2023-11-18

弱者男性であることのメリットとは一体何か

女は就職でも進学でも下駄を履かせてもらえるが弱者男性であることのメリットなどない

能力関係なく、「女性から」という理由で枠を確保する

企業大学、そしてそれを当然として受け入れている社会構造がある限り、弱者男性未来はない

これは男女差別であり、社会構造上の問題なのだから

2023-11-16

anond:20231114184226

女の方が採用優先されてるのに?

下駄履かせて合格なんて女の方が色々な業界で多いのに?

数少ない事例を元にリベラルフェミニストが暴れ散らかし罵倒差別するだけ

2023-11-14

anond:20231113132154

女みたいに下駄を履かせてもらったり、異性に養ってもらったりできないからだぞ

2023-11-13

anond:20231113190043

いうて欧米は強烈なインフレ下駄履かされてる感あるわ

anond:20231113105059

男同士女同士ですら平等なんてないから、結局は弱者下駄を履かせるしかないんだよ。

年収によって納税額が違ったり国の支援額が違ったりするのと一緒。

それを建前上平等って名前で読んでるだけ。

anond:20231113102927

他国では全くやってないけど日本ではやってるやつな。

女に育児押し付けて、女はこども生むからーと入試から不正して男に高下駄はかせて差別してるクソ日本

2023-11-12

anond:20231112190356

その代わり保守リベラルかってだけで言動にかけてもらえる補正下駄が桁違いだから

リベラル下駄に甘えすぎた

2023-11-08

anond:20231108033340

男尊女卑のない国では女性の方が学力が高いために大学進学率が高いんだよね

から下駄を履かなければ女の方が賢くて学があるんだよ

外の世界を知らないバカなこどおじだから知らなかったんかな?

2023-11-06

Clown Coreライブを観て

(要約すると)

クソだった

(以下駄文)

11/3,4、静岡県掛川市で毎年行われているFestival de Frueというフェスに行ってきた。

目当てというのは無かったけど、一番楽しみにしてたのはClown Coreという二人組の覆面ユニット

その中身は知ってる人は知ってるので割愛

ここに書こうと思った理由は、Twitterを見る限りどちらかと言えば褒める意見しかほとんど見かけなかったので意見全体のバランスを取るためであって、決してつまらなかったからではない。(ライブを観終わったとき拍手ではなくブーイングを贈るべきだと思ったけど、みんな拍手していたので自分拍手はした。)

観ている時に感じたのは、「お前らどこまでこのクソみたいなライブに耐えられんの?」という問いかけ。

スクリーンで見せつけられる生成AI濫造したようなエログロ画像たち。

PCから流れる音の横で微動だにしないDJ

ナラの音だけが二分半入った8800円のUSBメモリに群がるファン

わざとらしい笑い声をあげる「おれは理解(わか)ってるぜおじさん」。

エイフェックスツインライブもこんな感じだったなとか思いながら観てたけど、今書きながら思い出したのはバンクシーの「イグジットスルーギフトショップ」これは面白いから是非見て欲しい。

何が言いたいかと言うと、

彼らは純粋に楽しんでもらおうとは思っていないんじゃないか

ましてやそこに批評性を見出して何かを考えてもらおうとは思っていないはず、

ただ「クソだったなー」と思って欲しいんじゃないか、と思ったので書きました。以上。

(UP直後に追記

10年以上前に始めて、もともとただのクソだったのが、中の人評価が高まりまくった状態で、それでも変わらずクソを濫造しつづける姿勢はめちゃくちゃかっこいいとおもいます。あとジャパンツアーとかせずに静岡掛川に来て終わりってのも。

2023-11-04

anond:20231104172406

このあとすぐFGOのバビロニアと終局のボックス出るのを知ってのステマ

ありがとう

なおグラブル・馬娘じゃないからヒヒイロとか金剛に該当するなにか(無記名霊基とか)がついてないからたぶんそんなに売れないやで

ウマ娘は失速したんじゃなくてグラブルという下駄を脱いだだけであることを正直に吐けやで

2023-11-03

木村拓哉

キムタクは俺の10歳年上。中学高校の頃は、とにかく「カッコいい男」=「キムタク」という感じだった。

女子に限らず、男の目から見てもとにかく圧倒的というか、オーラが違った。鮮烈だった。

でもそういう、若い頃のある一瞬、鮮烈過ぎる光を放ってしまタイプの才能って、そのあとが難しいもんなんだな。

しかにその後、中年差し掛かってからも、木村拓哉はカッコいい。頭一つ抜けたイケメンぶりではある。今でも。

だけど、そこにいるだけでまわりを制圧してしまうような輝きはなくなってしまった。

で、さらに、木村拓哉って、タレントとしてのオーラをなくすと、他のどんな面を見ても、甘く評価しても一流半、実質二流の存在なんだよな。

キムタク本人は、若いからめちゃくちゃ声が良くて歌が上手くてギターも弾けてダンスもそこそこできるつもりでいるけど、それはSMAPという音楽的な才能にはあまりまれていない集団の中で相対的に上位ってだけの話で、下駄を脱がせれば大した才能ではない。少なくとも音楽一本でやってるアーティストとは違う。

芝居にしたって、俺は巷間言われるほど「下手」「何をやってもキムタク」とは思わないけど、でもそれにしたって、芝居一つで観客の心を持っていくようなことができるタイプではないよなぁと。

ラジオパーソナリティバラエティ番組適正みたいな部分でも、できないわけではないけど、凄みはない。

ぶっちゃけ、この人はジャニーズという巨大な盾に守られていないと生きていけないタイプタレントだったんだなあ、と、今頃感じている。

それをきちんと見抜いて、「新しい地図」に合流させなかった人は有能だなと思う。本人の判断だったのか、噂されているように、妻の工藤静香が仕向けたのかわからんけども。

2023-10-30

anond:20231030012934

でもアメリカ理系外国留学生に逆下駄はかせないと無理なくらいボロボロなのもほんとですけどね…

anond:20231030012629

これ極東の3国が特に得意というか必死でさ

アメリカ大学あの手この手で本当に優秀な人間を取ろうとはしてるんだけど限度があって逆下駄履かせようとかなっちゃってんだよね

2023-10-29

弱者男性の味方が現れない理由

男に生まれ下駄を履き加害しながらも

弱者性を纏おうとするのは女から見ておぞましいし

男に生まれておきながら責務を果たさず

弱者性に縋ろうとするのは男から見て情けない

2023-10-28

[]紀伊国狐憑漆掻語

谷崎潤一郎

漆掻きと云ったって都会の人は御存知ないかも知れませんが、山の中へ這入って行って漆の樹からうるしの汁をしぼるんです。いいえ、なかなか、百姓の片手間ではありません。ちゃんとそれを専門にする者があったんで、近頃はめったに見かけませんけれども、外国の安い漆が輸入されるようになったそうですから、いまどきあんなことをしても手間ばかりかかって引き合わないんでしょうな。兎に角以前には私わたしの村なんかへもよく漆かきが奈良あたりからやって来たもんです。漆鉋うるしかんなと云って、鎌のようなもので先の曲った奴を持って、腰に三四合ぐらい這入る竹の筒を提げて、漆を見つけると、その鉋で皮へ傷をつける。それがあんまり深く傷をつけ過ぎてもいけないし、浅過ぎてもいけないし、呼吸物なんで、その傷口から松脂まつやにのようにどろりと滲しみ出て来る汁を箆へらですくって竹の筒へ入れる。そんな時にうっかり下手なことをやって汁が顔へはねかかったりすると、それこそ赤く脹れ上りますから、馴れた者でないと出来ない仕事なんでして、漆にカブレないように紺の手甲を着けて、すっかり紺装束で出掛ける。まあそんなことをする人間なんで、私の村にもその商売の者が一人住んでいましてね。此の男は遠くへ出稼ぎをするのでなく、村の近所の山へ這入ってはうるしを採ってくらしていましたが、或る夏の日に、その漆かきが一と仕事してから山の中でひるねをしていますと、夕立ちが来たもんですからふっと眼をさましました。そしてそのときに、ハテな、己はひょっとすると寝ていた間に狐に憑つかれやしなかったかなと、そう思ったと云うんです。それが別にどうと云う理由があるんではないんですけれど、淋しい所をひとりで歩いているときなんぞに憑かれることがよくあるんで、ただ何んとなくそういう感じがしたんでしょうな。で、まあ、家へ帰ってもそれが気になって仕方がない、どうも狐がついたようだから明神さまへお参りをして来てくれろとお袋ふくろに頼んだりして、友だちなんかにもそんなことを云っていましたが、そのうちにとうとう床について、飯も食わないようになったんです。それで先生布団をかぶって半病人のようにうつらうつらしながら、日が暮れると云うと、ああ、今夜あたりは狐が迎いに来やしないかな、今にきっと来やしないかなと、心待ちに待たれるような、妙にそれが楽しみのような気持ちでいると、案の定夜になってから友達のような男が三人ばかり表へやって来て、「さあ、行いこら」「さあ、行こら」と誘うんだそうです。尤も友達と云ったって見おぼえのある男ではないんで、みんなせいが三尺か四尺ぐらいの小男で、法被はっぴを着て、木や竹の杖をついていて、何か非常に面白そうに「行いこら行こら」と云うんですが、それを聞くと行きたくって行きたくってたまらなくなるんだそうです。けれどもアレは狐だから行くんではないぞ、あんな者に誘われてはならないぞと思ってじっと我慢していると、友だち共は仕方がなしに帰ってしまう。するとその後ろ姿に尻尾しっぽのようなものがチラチラ見えるようなんで、ああやっぱり行かないでいい事をしたと、そのときはそう思いながら、又あくる日のゆうがたになると、今夜も誘いに来やしないかなと心待ちに待つようになる。そうするうちに果たしてやって来て「行こら行こら」と誘うんですが、それがもう、さも面白そうなんで、ついうかうかと行きたくなるんだそうですな。しかしその晩も一生懸命我慢してしまったところが、三日目の晩の九時頃に、家の前に庭があって、庭の下が六尺ばかりの崖がけになっていて、崖から向うは一面に麻の畑でした。それが夏のことですから麻が高く伸びていて、ちょうどその庭と畑とが同じ平面に見える。で、その畑の方へ例の小男が三人連れ立ってやって来て、「さあ行こら」「さあ行こら」と云うんだそうです。よくよく見るとその男たちの着ている法被に何か圓い紋がついていたそうですけれども、どんな紋だったか、そこんところはハッキリ覚えていないんだそうで、いつもの通りめいめいが杖をついていて、しきりにそう云って誘うもんですから、とうとうその晩は我慢しきれなくなってしまった。それでそうっと家を抜け出ようとしたとき生憎親父が小便に起きたんで、こいつはいけないと思って、「行きたいんだけれど、親父に見付かると面倒だから己は止すよ」と云うと、「なあに己たちが一緒なら大丈夫だ、こうすれば親父に見つかりはしないから、まあ附いて来い」と云って、その三人の友達が手をつなぎ合って、輪をこしらえて、その輪の中へ丑次郎―――という名だったんですが、その漆掻きの男を入れた。そして、「さあこうすれば親父が見ても見えやしないか心配するな、附いて来い/\」と云って連れて行くんで、ちょうど便所から出て来た親父とすれちがいになったそうですけれども、成る程親父には此方の姿が見えないようなあんばいだった。それからその晩は麻の畑の中で遊んで、いろいろ御馳走をしてくれたりしただけで、明け方には無事に家へ帰してくれたそうですが、四日目の夕方は日が暮れないうちから楽しみで楽しみで、早く誘いに来てくれないかなと思っていると、やはり昨夜ゆうべと同じ刻限にやって来て「行こら、行こら」と云うんです。で、又附いて行きますと、今夜はいい所へ行こうと云って、家のじき近所にガータロのいる淵があるんですが、その淵の方へ出かけたと云います。え、ガータロですか。ガータロと云うのはあれは河童かっぱのことなんです。ぜんたい私共の村は高野山の南三里ばかりの山奥にあって、私の字あざは一方が山で一方が谷になったゆるやかな傾斜面のところどころに家がチラホラ建っている。丑次郎の家というのも山と山の間にある淋しい一軒家なんでして、前に三四枚の段々畑があって、その先が今云ったガータロのいる淵なんです。別に名前のあるような淵ではないんで、村の者はトチ淵ぶちトチ淵と云っていましたが、さあ、どう云う字を書きますかな。何しろ大滝だとか赤滝だとか云って、非常に滝の多いところでしてね、その滝壺の下流が今云った谷の底を流れていて、淵になっているのはほんのわずかなところなんですが、そこにはいつも水が真っ青に澱よどんでいて、まん中に平べったい一枚岩が出ていました。ガータロはその一枚岩の上にときどき姿を現わすことがありましたから、たしかにその淵に棲んでいたには違いないんで、見た人は大勢あるんです。ええ、ええ、私も一遍たことがありますよ。なんでも夏の日ざかりに山の上を通っていると、下の方にその淵が見えて、岩の上に変な奴がすわっているんで、「ああ、ガータロが出ているな」と思ったことがありました。さあ、そうですな、遠くから見たんだからよくは分りませんでしたけれど、人間よりは小さかったようで、まあ猿ぐらいでしょうかな。姿も猿に似かよっていて、ただ斯う、頭の上に妙な白いものが喰っ着いているんで、鳥打帽子を被っているように見えましたよ。ええ、ええ、よく人間に害をする奴なんで、私の知っている人でも、ガータロに見込まれて水の中へ引きずり込まれそうになったり、ほんとうに引きずり込まれて死んでしまったのもあるんです。これは餘談になりますが、その谷川の別なところに丸木橋がかかっていましてね。或る私の友人が夕方その橋をわたろうとすると、うっかり足を蹈み外して、水の中へ片足をついたのが、岸の方の浅瀬だったんですけれど、その片足を抜こうとしても水が粘ねばり着くようになって、どうしても抜けない。しきりに抜こうともがいているうちに、次第にずるずると深みへ引っ張られそうになるんで、ハテな、ガータロに見込まれると水が粘ると云う話だが、こりゃあガータロの仕業しわざだなと気が付いたんです。ところでガータロと云う奴は鉄気かなけを嫌うもんですから、そう云う時には、何んでも構わない、鉄気のものを水の中へ投げさえすれば助かるんで、ふっとそのことを思い出して、幸い腰にさしていた鎌を川の中へ投げた。そうしたら難なくすっと足が抜けたんで、真っ青になって帰って来て、実はたった今此れ此れだったと私共に話したことがありました。もうよっぽどの歳ですけれども、未だに達者な人でして、至って正直な、うそを云うような人間ではありませんから事実そんな目に遇ったに違いないんですな。しかし此の男はそう云う訳で命を取りとめましたけれども、もう一人今のトチ淵へ篏はまって死んだ者がありました。十四五になる可愛いい女の児でしたがね。なんでも同じ村の餘所よその家へ子守りに雇われていて、めったとひとりで遊びに出るようなことはなかったのに、その日に限って、赤ん坊の寝ている間に出て行って、二三人の友達と一緒にその淵の所で鮎を釣っていたと云うんです。それが、おかしいのは、淵によどんでいる水が、ほんの一間ばかりの間岩の下をくぐって、すぐその先の方へ行くと滝のようになって流れ落ちているんですが、その女の児は淵と早瀬との境目にある岩の上にしゃがんで、瀬の方で釣ればいいものを、淵の方を向いて釣っていた。すると、友達の女の児もみんな同じ所で釣っていたのに、どう云うものか外の者には一向釣れないで、その女の児の鈎はりにばかり魚がかかる。外の女の児たちは詰まらないもんですから、此処は止そうよ、何処か別の所へ行こうよと云うんですけれども、その女の児だけは面白いように釣れるんで、夢中になっていつ迄も釣っている。そのうちにだんだん日が暮れて来ましたが、もうおそいから帰ろうと云っても聴き入れないんで、外の者はその児を置き去りにして帰ってしまった。さあそうすると、晩になっても姿が見えないもんですから、主人の家では心配をして、親元の方を尋ねさせると、其方そっちへも来ていないと云うんで、大騒ぎになって、いろいろ心あたりを調べると、実は晝間これこれだったと云う。外の児たちは云えば叱られると思ったんで、聞かれる迄黙っていたんですな。で、早速みんながその淵のところへ行って見ると、ちゃん下駄が脱いであるんで、いよいよガータロに見込まれたんだと云うことになって、それから泳ぎの達者な者が体へ綱をつけましてね、ガータロが出たら合図をするから、そうしたら綱を引っ張って貰うように頼んで置いて、淵の底へもぐって行って、屍骸を引き上げたことがありましたよ。兎に角その女の児が鈎を垂れると、ほら釣れた、ほら釣れたと云うようにいくらでも釣れるんで、外の鈎にはちっとも寄って来なかったと云うんですから、そこが不思議なんですよ。あ、そう、そう、そう云えば、その前の日に、その女の児の親たちの家の屋根の上からその淵の方へ虹がかかっているのを、たしかに見た者があると云います。虹がそんなに近いところにある筈のものではないのに、ちょうどその家の上から出ているんで、何かあの家に変ったことでもあるんではないかと思っていたら、その明くる日にそう云うことがあったんだそうです。でまあ、そのガータロのいる淵の方へその漆かきは連れて行かれた訳なんですが、なぜだか知れないが死のうと云うことを考えて、今夜は一つあの淵へ身を投げてやろうと思いながら附いて行くと、大勢の人が提灯をつけて淵の方へぞろぞろやって来るんだそうです。それで暫く物蔭に隠れて窺がっていると、村長さんだの、伯父さんだの、伯母さんだの、親類の誰彼なんぞの顔が見えるんで、中にはもう死んでしまった人なんぞが交っているもんですからおかしいなあ、あの伯父さんは死んだ筈なのにまだ生きていたのかなあと、そんなことを考えながら待っていましたけれど、提灯の数が追い追いたくさんになって来て淵のまわりをウロウロしている。この様子じゃあとても駄目だと思ったんで、「どうも死ぬのに都合が悪いから、今夜はもう帰る」というと、「そんならもっと面白い所へ連れて行ってやるから、まあ一緒に来い」と云って、棕櫚山の方へ引っ張って行った。その辺はいったいに棕櫚が多いんでして、大概の山には、高いのになると三間ぐらい、普通二間ぐらいの棕櫚と、一丈ぐらいの薄のような草が生い茂っているんですが、その茂みの中を分けて行ったら、山の中途に大きな岩が突き出ていて、友達の連中はその岩の上へするすると身軽に登った。だが見たところ丑次郎には登れそうもないので、「己はそんな高い所へ上あがれないから止める」というと、「なあに己たちが手伝ってやるから大丈夫だよ、上って見ろ/\」と云って、三人の小男が上から引っ張ったり下から腰を押し上げたりした。お蔭でどうやら上れることは上れたけれども、上る拍子に脛を擦り剥いたんで、今度はそれが痛くってたまらない。「痛い痛い」と云うと、「よし、よし、つばきを附ければすぐに直る」と云って、つばきを附けてくれたらじきに痛みが止まった。すると又咽喉が渇かわいて来たんで、「水が飲みたい」と云うと、「じゃ、まあ、ここで休もう」と云って、道ばたに休んで、何処から持って来たのだか直ぐに水を飲ましてくれたが、なんだかその水が小便臭かったそうです。で、その山を越えると、私の家の方へ下りて来ることになるんで、ああ、そうだったな、此処はもう鈴木さんの家の近所だなと、はっとそのときに気が付いたらしくって、「もう己は帰る」と云い出したところが、「まあいいからもう少し遊ぼう」と云って、しきりに引っ張って行くんだそうです。それでも無理に帰ると云って、とうとう振り切って来たそうですが、その晩も、その前の晩も、家に戻ったのは夜中の三時ごろだったそうで、いつも夜の明ける迄には必ず帰してくれたと云います。さて五日目の晩に待っていると、又「行こら行こら」と云いながらやって来て、今夜は伊勢へ連れて行ってやると云う話で、伊勢松坂へ出かけて、何んとか云う料理屋の二階へ上ると、たいそう結構な朱塗りの高脚たかあしのお膳が出て、立派なお座敷で御馳走をたべた。それから街道を歩いて行ったら、此処はカノマツバラだと云うんで、見ると成る松原がある。けれども、その時に斯う、ぼんやりと分ったのは、私の村から有田郡ありたぐんの方へ抜ける山路にヤカンダニと云う谷があって、めったに人の通らない淋しい所なんですが、そこをその漆掻きは前に一遍あるいたことがある。で、そう云う時にもいくらかその記憶が残っていたものと見えて、カノマツバラだと云うけれども、どうも此処はヤカンダニのようだから、「ヤカンダニじゃあないか」と云うと、「なんだ、お前はヤカンダニを知っていたのか。ではもっと外の所へ行こう」と云って、又方々を歩き廻って、「さあ、どうだ、此処がカノマツバラだ」と云われて見ると、今度は覚えのない土地で、松がずうっと生えていて、たしか松原景色になっている。しかしそう云う間にもときどき正気に復かえるらしく、己は狐に欺されているんだと云う考えがふいと起ることがあって、三人の小男の様子なども、人間の姿をしているように思えながら、どうかした拍子に尻尾が見える。はっきり見えるんではなしに、チラチラと斯う、見えたり見えなかったりするような工合なんですな。要するにまあその時分からそろそろ意識回復して来たんで、ヤカンダニを通ってからも暫く何処か無茶苦茶に引っ張り廻されていたようですが、そのうちに、村にイカキ山と云って、笊いかきのような恰好をした山があるんで、そこを通った時は、此処はイカキ山だなと云うことが分ったと云いますしかしその山は松だの欅けやきだのいろいろな雑木ぞうきが生えている密林なんでして、その林のなかをぐる/\歩いているうちに、木に引っかかって、フンドシが解けた。で、「まあ、待ってくれ、フンドシが解けたから」と云うと、「そんなものは構わないから放って置け、ぐずぐずしていると夜が明けるから急がなくっちゃいけない」と云って引っ張って行くんで、「もう己は帰る」と云うと、「帰らないでもいいよ。それより何所か寝る所があったら、みんなで一緒に寝ようじゃないか」と云うんだそうです。するともう夜がしらみかかって来たもんですから、その漆かきも今更家うちへ帰りにくくなってしまって、私の家いえの近所にある阿弥陀堂の方へ行った。と云うのは、その阿弥陀堂なら四人で寝るのにちょうど都合がいい場所なので、そこへみんなを連れて行って寝ようという考えが、ちゃんとそのときに頭にあったらしいんですな。それで阿弥陀堂へ行くのには、私の家と隣りの家との間を通らなければならないんですが、隣りの家の庭に古い大きな柿の木があって、それが往来の方へ枝を出していた、その木の下を通った時分に、「ああ、此処は鈴木の家の側だから、もうすぐ其処が阿弥陀堂だ」と思ったそうです。その阿弥陀堂は草葺きのお堂なんでして、うしろの方に四尺に一間ぐらいな裏堂が附いていて、その中に村のお祭り盆踊りなんぞに使う提灯だの行燈だの莚だのが置いてあったんですが、その莚のことを覚えていて、あの裏堂で寝ようというつもりだった。ところがそこへ這入るのには屋根からでないと這入れない。今も云う通りいろいろな物が入れてあったもんですから子供なんぞがいたずらをしないように、扉を中から締めてしまって、屋根から出入りするようにしてあったんで、そのこともちゃんと覚えていて、屋根裏へ上った。尤もその時に矢張り小男の連中が上から引っ張ったり下から押し上げたりしてくれたそうで、上って見ると、そこに二尺ぐらいの幅の厚い欅の板が渡してある。これはお堂の中の品物を出し入れする時の足場に作ってあったんで、その板に腰かけて莚の上へ飛び降り料簡だったんですが、小男共は、「此処がいい、/\」と云って、草葺きですから、庇ひさしの裏の方から上ると、竹を編んだ屋根の土台が見える、その竹の棒に掴まって屋根の草の中へ体を突っ込んで、「此方へ来い、/\」と云うんだそうです。成る程その連中はみんなせいが低いんだから巧く草の中へもぐり込めますけれども、丑次郎には這入れる訳がないんで、「己は体が大きいから駄目だ、そんな所へ這入ったら足が出てしまう」と云うと、「まあ試しに這入って見ろ」と云うんで、這入って寝てみたら案の定足が出てしまった。「ほれ御覧、こんなに足が出たじゃないか」と云ったら、「では仕方がないから中へ這入ろう」と云うことになって、さっきの屋根からでなく、別な所へ穴をあけて、その穴から、一人ずつ莚の上へ飛び降りて、裏堂の中の狭い場所へ四人が並んで寝た。それから少しとろとろとしたと思うと、お堂のうしろの板が三寸四方ぐらい切り取ってある、それは以前に、泥坊が内部にしまってあるものを覗のぞこうとしてそんな穴を拵えたことがあるんで、もうすっかり夜が明けたらしく、そこから朝日がさし込んでいる。と、やがて表が騒々しくなったんで、その穴へ眼をつけて見ると、村の子供たちがお堂の前で遊んでいるので、ガヤガヤ/\云っていてとても眠れない。「どうもあの子供たちがうるさいな」と云うと、「よし、よし、己が彼奴等あいつらを追っ拂って来てやる」と云って、一人の小男が外へ出て行った様子でしたが、どんなことをしたのか知れませんけれども、兎に角その男が行ったら子供たちはいなくなってしまった。それでようよう落着いて寝ようとすると、生憎とまた小便が出たくなったんで、「一寸小便をして来る」と云ったら、「いや、出てはいけない、出てはいけない」と云って、一生懸命に止める。「出ると掴つかまるから出てはいけない。小便がしたければ此の中でしろ。さあ、己達も此処でするぞ」と云って、三人とも寝ながら小便をしてみせるんですが、丑次郎にはどうしてもそこでする気になれない。もう出たくってたまらなくなって来たんで、とうとう又その屋根の穴からお堂の外へ降りたところが、遠くに私が立っていて自分の方を見ているので、「あ、鈴木さんに見られたな」と、その時はっきりとそう感じた。そして私が近寄って行く間に、三人の小男どもは慌あわてて逃げ出してしまったのだそうです。

さあ、そうでしたね、掴まえたのは朝の九時頃でしたかね。何しろ丑次郎がいないと云うので、村では捜索隊を作って山狩りを始めていたんです。それが明神様のお告げでは丑寅うしとらの方の山手にいると云う訳なので、一間置きぐらいに人が立って、八方から山を囲んで登って行こうとしていました。私もその捜索隊に加わっていたのですが、みんな鎌だの鉈なただのを持っているのに、私は素手すでだったもんですからすこし気味が悪くなって、もう山へ登りかかっていたんですけれども、ちょっと家へ行って来ると云って、それを取りに戻って来た時に丑次郎がお堂の縁に立っているのを見たんです。なんでも斯う、縄の帯をしめて、両手をうしろへ廻して、前の晩に雨が降ったんで裾の方がびっしょり濡れた着物を着て立っていましたがね。「丑じゃないか」と云って、此方こっちも恐恐こわごわ声をかけながら近寄って行くと、急いでお堂の中へ逃げ込もうとするので、掴まえようとしたところが、えらい力で抵抗してなかなか云うことを聴きませんでしたよ。そのうちに大勢駈け付けて来て、やっとのことで押さえつけて家へ引っ張って行ったんですが、家の閾しきいを跨ぐまでは可なり元気に歩きましたね。それからそっと寝かしつけておいて、行者を呼んで御祈祷して貰ったら、一週間ぐらいですっかり正気に復かえりました。尤もっともその前から少しずつ意識が戻って来て、己はこんな目に遇ったとか、何処そこへ連れて行かれたとか、欺されていた間のことをぽつぽつしゃべり出しましたがね。ええ、そうなんです、今申し上げた話と云うのは、その時私がその本人から聞いたんですよ。後で念のためにお堂のところへ行ってみましたが、成る屋根大穴が開いているし、中には小便が垂れ流してあって、臭いと云ったらありませんでした。当人も、「そうそう、己はあの棕櫚山を上る時に怪我をした筈だが」と云って、脚を出して見ると、たしかに皮が擦り剥けている。フンドシの解けたのなんぞも、よっぽどたってからイカキ山へ芝刈りに行った女が、木の枝に引っかかっているのを見つけて、ひどく恐がって逃げて来たことがありました。その外何処でこういうことがあったと云う所を調べてみると、大体その地点に證拠が残っていたんですから、それを考えても出鱈目じゃあないんですな。縄の帯をしていたのも、歩いているうちに帯が解けたんで、無意識ながら縄を拾って締めたんでしょうな。そののちその男一年ぐらい多少ぼんやりしていましたが、今でも酔っ拂った時なんかに、「狐つきの話をしろ」と云うと、笑いながら話し出すんです。

男の方が筋力も体力もあるからこそ

男のくせに力も体力もないのってどうなんっていう弱男に対するギャップマイナス下駄っていうのがあると思うの。

まあ黙って工場で働けば月30万くらいは貰えるんだからちゃごちゃ言ってないでやれって話ではある。

2023-10-25

弱者男性生殖できなくても多様性は維持されます

弱者女性生殖できるからです。

知的障害のある女性妊娠して、洋式トイレ出産し、コインロッカー子供を詰めて死なせて逮捕された事件がありましたが、

女性はとんでもない感じの人でもいつのまにか妊娠しているので、優秀な人だけしか生殖できずに人間の種類が偏るなんてことは絶対に起きないです。

から弱者男性に生殖させるために下駄はかせる必要とかないです。弱者女性避妊できなくて、産みますから

anond:20231025094747

男だから差別されて競争で不利とか周りが下駄履かされてるとかじゃなくて、単に能力がなくて強者になれず辛いってだけだから

2023-10-24

下駄を履かされているという表現について

どちらかというと男性がハンデを背負っていないというのが実態に近く、納得されやすいのではないだろうか?

男性特有の何かを持ち合わせているから有利なのではなく、むしろ女性特有月経出産といったパフォーマンス低下要因を持たないため、相対的労働者として都合がよいというのが実態だと思う。

下駄を履かされていると言われると、「何か女性にないものを持っていたか?」と考え、「そのようなものに心当たりはない」という返答が生まれしまう。

しかしながら、男性はハンデを抱えていないために同等の能力女性より評価されやすいと言われれば、「女性にあって自分にないものとは?」と考え、「確かにそうかもしれない」と納得してもらえるのではないか

2023-10-21

anond:20231021192714

小学校だか中学校だかのクラス女子を魅力順に並べたら下1~2人くらいはそのツチノコだろうな。高下駄履いてイージーモードプレイしても負けるやつは負ける。

まあ男は下1/3以上非モテからツチノコが居たから何?って話なんだけど

2023-10-20

私なら同じ時間もっと成果出す

仮に成果出しても男社会の壁があるだろうけど

おまえら下駄履きすぎなんだよ

要約こう?

2023-10-15

anond:20231015193413

男女は全く関係ない。

元々サラリーマンの人事なんて不平等理不尽ものだ。女性管理職比率のために下駄を履かせるなんてのは山ほどある不平等の中の一つでしかない。

サラリーマンは一に忍耐、二に愛嬌政治的振る舞うことをダサいと感じるなら出世は諦めた方が良い。

純粋に実力で評価されたいならサラリーマン辞めて自分会社立ち上げるしかない。

男女平等がやっぱり納得いかない

社会でこんなことを表明してはならないとはわかっているので増田しか書けないけど、やっぱり今の社会における男女平等の作り方が本当に納得できないと思った。

来春の昇格で、同期入社の面々がついに管理職になり始めるような年次になった。

前提として、弊社における同期入社ストレートでの昇進割合はだいたい20%程度なのだが、

昇格の面談などは既に終えており、俺は今年度では昇進できないことが確定した。

一方、同じ部署で唯一の同期で、それなりに仲良くしている女性の昇進が決まった。

まりこんな事は言いたくないが、正直に言えば、その女性よりは明らかに俺の方がパフォーマンスは高いと思っていた。

というか、実績として残して来た数字や今までの経歴を考えても、明らかにの子よりも俺の方が会社には貢献して来たし、新しいプロジェクトの立ち上げやプロジェクトリーダーを任せてもらえた年数なんかもよっぽど俺の方が早かった。

にもかかわらず、昇進したのは彼女で、俺は昇進できなかった。

そして、ちょうど先週末、たまたま帰りが同じになったので飲みに行き、昇格の話になった。

その際に彼女は「まあ、私は女で下駄を履かせてもらえているからね〜」とあっけらかんと言ってのけた。

彼女自身自分女性であることをもって昇進したということを自覚していたし、フラットに見て私の方が仕事ができるということを認識はしているような口ぶりだった。

客観的事実として能力が高いのは俺の方であるにも関わらず、性別理由彼女は昇進し、俺は昇進できなかった。

性別という生まれつきで変えることのできない要素によって俺は昇進の機会を奪われたんだな。そう思うと、本当に理不尽で悔しくて仕方がなかった。

そもそもで言えば、今まで女性がそのように性別理由に昇進できないような社会構造になっていたのを、性別関係なく昇進できるフラット構造に変えていくのが社会として目指すべき方向なのではないだろうか。

立場を逆転させて、男性側が今度は性別理由に昇進の機会を理不尽に奪われている今の状況は、本当に社会として正しいことなんだろうか。

いや、正しいんだろうな、わかってる。

社会として目指すべき方向は男女の平等で、それを急ピッチで実現させるためには、今回の俺みたいなケースも生じるんだってことはわかる。

俺の被った不利益は、最終的に実現される社会利益に比べればちっぽけなもので、だから社会としても俺が受けた理不尽仕打ち必要な(そして軽微な)コストとして切り捨てられるんだよな、わかるよ。わかるけど、俺が生きてるのは俺の人生であって、「健全社会のため」とかいう俺には何も還元されないような綺麗な言葉で俺の得るべきだった、得られたはずの機会を平然と奪われるのはやっぱり納得ができない。

社会のためだから仕方ないね、なんて言えるわけがない。

本当に納得ができないし、こんなにも理不尽自分のチャンスが奪われると思っていなかった。

今でも本当に腹が立って仕方がないし、文章にして書いているとやはりやり切れない気持ちが湧き上がってくる。

一方で、「女性優遇するな」なんて表明した時に自分にどんな目が向けられるのかというのは容易に想像ができるので、声を上げることすら俺にはできない。

時代に逆行した"正しくない" 言動として封殺されるのだろうということは容易にわかる。

じゃあどうしたら良いんだろうな、俺は。

たぶん本当に、ただこの時代に生まれしまったというその一点だけで俺は得られたはずの収入や今後の人生を奪われたんだから

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