はてなキーワード: ミリオンセラーとは
このことを考えるには「本とは何であるか」を今一度考える必要がある。
本はもともとは「情報を記録してより多くの人に伝達する」ためのものだろう。
「作者が金銭を得る」ことは本来なら「副作用」に類するものだ。
「本とは何であるか」を見失ってしまったから複製が罪とされるのだ。
もちろん、これは個人の感想に過ぎないが、もし間違っているなら教えてほしい。
本とは一体何なのか?
なぜ本を複製することが罪となるのだ?
※なお「本」をテーマとしているのは真偽は不明であるがダウンロード違法化は出版業界の要請であるとされているため。
もはや、この前提が正しくないのかもしれない。
ミリオンセラーを出せば巨額の富を得ることできたのが、よくない。
「良い商売」になってしまったから権力構造が生まれることになる。
当初の目的は忘れ去られ、一部の人間のための理屈が全体を支配する。
かつては「製本にコストが必要」だったから、その費用を請求したに過ぎない。
しかし現代ではデジタル技術によりゼロコストでの複製が可能だ。
「本を出したい側」すなわち「情報を記録したい側」「情報を伝達したい側」にとっては「無制限にいくらでもデジタル複製できる」現代の状況は本来ならば喜ぶべきことではないのか?
記録性や伝達性を高めるために生み出された手段としての本だが、逆にそれらを喪失しつつある。
複製が悪と言うならばテクノロジーは間違った方向に進んでしまったのだろうか?
「本を売る」ということで作者の生活を保障するシステムだ……、というのは一理あるだろう。
だがシステムとしては欠陥まみれだ。拗れすぎてしまった。まるでスパゲッティコードだ。
通説では「本を売るだけで生活できるようになれば生活のすべてを本を作ることに費やすことができる」とされている。
しかし「売れること」への強迫観念が質的変化をもたらしてしまった。
「売れなければならない」から表現したかったことを切り捨てる。
だというのに本は売れずに儲かりもしないなら怒りも沸くだろう。
一体誰が得をしているというのだ?
「本が売れなければ作者は生活できない」とは作者になれた側の理屈だ。
日の当たることのないものは闇の中へ葬られ、なかったことにされているだけだ。
「本を出す」ということが「競争に勝利した」という別の意味合いへと変容しつつある。
半ば競技化した出版競争というものは他人を踏みつけた上にある勝利だ。
ジャンルにもよるが、作品の中でどれほど綺麗事を語っていても、背景にあるのは血生臭い権利の獲得競争だ。
トロフィーの価値が下がるから「本は売れなければならない」という逆説的理論が構築される。
目指すべきは「本が売れなくても生活できる」社会ではないのか?
ところで映画や音楽はいち早くダウンロード違法化を取り入れた。
しかし音楽なら公式にMVが公式に無料配信され、映画なら地上波で放映されるものも珍しくない。
有名な作品ほど、そうなる。
結局はダウンロード違法化とは裏腹に無料でデジタル・コンテンツが提供されている状況だ。
その一方で知名度の低い作品は人に知られることもなく消え去っていく。
ダウンロード違法化によってデジタルデータ販売の収益が得られるようになったのだろうか?
映画ならば映画館が、音楽ならばライブハウスやコンサートホールがある。
野球ならば野球場、サッカーならサッカー場、バスケットボールならバスケットコート、プールならプール、ゴルフならゴルフ場といった具合にだ。
「他人の土地に無断で立ち入ってはいけない」という始原的なルールに基づいているためだろう。
うまくいっているファンビジネスには施設があって、うまくいっていないファンビジネスには施設がない。
本は施設との結びつきが弱い。
「基盤となる施設の不在」こそが本の作者の食えないことの最大の要因であるとは考えられないだろうか?
本にも書店、図書館、漫画喫茶といった関連施設があるにはある。
デジタルデータのない時代、本は書店に行かなければ入手することができなかった。
書店は「発売日に本を手に入れる」という日常の中でのプチイベントを提供する施設であったといえる。
しかも売る側の人間が「本と電子書籍は同じ価値ですよ」と宣伝しているのだ。
書店でのサイン会のようなイベントは「宣伝になるから」という理由で無償であることが慣例となっているらしい。
むしろデジタルデータが無料でサイン会が有料であるほうが直感的ではないか?
テレビで放送されてこそ「遊園地で僕と握手」というシステムがなりたつ。
アニメ業界も同様に施設を持たないから金策に苦労するのではないだろうか?
イラストレーターならアトリエ、アニメならアニメスタジオのような施設はあるが、これらは工場に近い。
売れないといわれているアニメ業界だが、一部のアニメ映画はその例外のようだ。
映画館という施設のパワーを借りたからうまくいったのかもしれない。
もし何のアイディアも思い浮かばないようであれば出版業界になんの存在意義があるのか?
出版業界などダウンロード違法化と一緒に崩壊してしまえばいい。
もしも作者と読者が直接的に結びついてしまえば出版社はお役ごめんだ。
今後の生き残りを狙うなら出版社にも施設を用意する動機はあるはずだ。
商業施設というのはただそこにあるだけでなく「関係性」を提供するものだ。
演者と観客、対戦相手、講師と受講生、提供する側とされる側といった関係性だ。
お金を持っている人、お金を使う人、あるいは大勢の人との「関係性」を提供する「施設」だ。
ここでいう施設というものはまったく新しい概念でなくてもかまわない。
地図でも開いて目に付く限りの施設を本と結び付けて考えればアイディアのひとつも思い浮かぶことだろう。
101回目のプロポーズが放送されたのも
ちびまる子ちゃんのアニメとともに「おどるポンポコリン」が大ヒットしたのも
B'zが「太陽のKomachi Angel」で初めてオリコン1位を取ったのも
プリンセス・プリンセスの「Diamonds」がCD作品でミリオンセラー第一号となったのも
尾崎豊が亡くなったのも
キリン一番搾りが発売されたのも
カルピスウォーターが発売されたのも
Tokyo Walkerが創刊されたのも
朝日新聞で「となりの山田くん(ののちゃん)」の連載がはじまったのも
ロッテオリオンズが千葉ロッテマリーンズに改名したのも
ぜんぶ平成なんだよね。
Youtubeでさ、90年代から2000年代のシングル曲ランキングとか、年度別ミリオンセラーって番組あったから見てたんだけどさ。
だんごって普通四個じゃない??コンビニだと四個、近所の団子やさんも確か四個。
百貨店とか行くと、三個なのか??覚えてねえ。。もしそうだとしたら、だんご三兄弟は富裕層向けの、金持ち向けの、歌だったの??
それともあれか田舎は三個なのか?いや、旅行いったときに、わざわざ普通の団子食べないからさ、分からんわ。
いや、まあ、そりゃあ三個で売れたほうが利益率いいもんな。もしかして、あれか、デフレ社会への反逆を歌った曲なんか?
誰か答えを!!くれ!!
だった。
そして靴やバッグその他小物は
だった。
ちなみにセレクトショップに行くのは、一定以上の服の品質が保証されているなんてのは大前提で、その上で「オシャレなお店で買う事そのものがステータスであり、目的化していた」と言っていい。
またブランド小物についても、マニアでもない限りブランドコンセプトの理解は二の次三の次、大事なのは実物を手に取って「さすが定番と言われているだけある」と感心し納得して買うという行為だった。
したがって、必然的に服や小物の買い物=明治通りまで出かけるというのが公式化していた。
少なくともメンズは。
さて、そんな話も今や結構遠い昔。
ながーいデフレ不況のせいか、ファストファッション全盛となり、買い物は基本ショッピングモールのユニクロかZARAに靴はABCマートという流れが定着して久しい。
気が付けば俺も、休日丸々かけて明治通りなんて何年もご無沙汰で、いつもは地元のユニクロZARAを見て回り、ごくたまに複数のセレクトショップとABCマートプレミアステージが入った、東京近郊のデパートに行く程度になってしまった。
とはいえ、やっぱり若い頃に身に付いてしまった買い方がクセになっている。
オシャレってのはイケてる店だよ定番ブランドありきだよって感覚が、折に触れてリフレインする。
らしい。
なんかもう、タワレコやHMVでミリオンセラーのCDを買う事が化石化した話と同等な扱いになっているっぽい。
別に俺はファストファッションを見下してないどころか、ファストファッションだけでオシャレなんて、全身ブランド品なんかより遥かに凄いしイケてると思う方だ。チープシックいいじゃん。
それなのに、昔は正義とまでは言わないが、イケてると言われていた行為が、ダサいおっさん的嘲笑の対象というのが腹立たしい。
そこまで滑稽に見えるのか…と凹み気味だったり。
何がそんなに可笑しいのか、教えて欲しい。
そもそも、マスなんて狙いようがないし、ややマス程度でも「起業」としては十分だからだと思うぞ。
例えばミリオンセラーなんて100人に一人しか買ってないわけでな。
今時も何も考えてないごますりで上がってきた大手企業の重役以外は、何をターゲットにするかぐらいは、どこの儲かってる会社も考えてる。
次に、マスに浸透させる手段がまずない。マスに浸透させるぐらいの広告宣伝費なんかに金使ってたらつぶれる。そもそも、広告なんて今や全員に通じる広告なんてない。
だから、少ない人数に高価高付加価値なものを売るか、やや多いぐらいの人数に、何らかのプラットフォーム(アマゾンとか楽天とかandroid playとかApp storeとか、steamとか)を使って
特徴がある商品を売るかの2択。
ときメモ(初代)も、その後のエロゲブームの時のエロゲとか今オタク向けに出てるアニメラノベとかと比べると
出て来る女の子は割とまともな性格(まあ紐緒みたいな変わり種もいたけど、オタク狙いというよりはギャグ的な変人さだし)していたし
「主人公の容姿パラメータが一定数以上でないとデート誘っても逃げられる」とか
「一人の女の子に嫌われると噂が広まって全員に嫌われる」とか
そういう女のめんどくささも表現されてたよなあ
藤崎詩織なんて今オタク向けアニメに出たら袋叩きにしかならないんじゃないか
ミリオンセラーだったんだよねあれ、オタク以外にも多数売れたってことだ