はてなキーワード: ファッションビルとは
高校生の時、周りが就職や進学などでいろいろ騒いでいる中、自分は何がしたいのか、まったくわかっていなかった。また、それに対しての焦りも感じておらず、どうにかなるだろうと、漠然と思っていたものだ。では、その高校生の時になにをしていたかというと、特になにもしていない。中学校の頃はバスケットボールをしていたのだが、高校に入ってからはやめてしまった。友達と遊ぶのが楽しかったのだ。
自分の友達というのはいわゆる「悪友」で、よく酒を飲んだりタバコを吸ったり夜遊びしたりしていた。(もちろん、シンナーや暴走族といった、本格的な悪友では無かったが。)週末になると「ドーバン、ドーバン(土曜の夜のこと)じゃけーけーや(だから来いよ)」と呼び出しがかかり、深夜の駅前の街で違う学校の奴や女の子たちと酒を飲んだり、道の真ん中に円状に座ってボケ合戦をしたりして盛り上がっていた。2年生の頃から付き合っている彼女がいたので浮気することはなかった。
あるとき、町中に「fan」というファッションビルができた。スカスカのファッションビルで、小さな舞台とテレビ局を内包しているもので、ヒマ人だった自分たちは、そこに女子校の女の子たちがよく遊びに来るという情報を聞きつけていたので、学校帰りによくそのファンクに立ち寄っていた。女の子とも仲良くできるし、行けば誰か知り合いがいたので、ファンクに行くのは楽しかった。そんな日々を過ごしていると、小さな舞台で撮影をしているのを見学していたら、「漫才師募集!テレビに出てみませんか」という告知が。趣味でコンビを組んでいた(学校の旅行とかで披露するため)自分はおもしろがって応募する。そしてその場でショートコントを3分ほどやった。コンビの相方が変わったがテレビに隔週で出れる事になった。なぜかギャラはいつも3000円分のお食事券だった。
そんな生活だったから、もちろん成績も悪く、また、勉強する気もまったく無かった。周りも同じだった。
卒業後、とりあえずなんの目当ても無く東京へ上京する。親の知り合いの娘が自分と入れ違いで岡山に帰るということで、そのままその部屋を借りることになる。家具とスクーターをもらって、経堂という世田谷区の小田急線沿線の駅に住む事になった。
本当になんのアテも無かったので新宿のビアホールでアルバイトをしていた。始めてのアルバイトはけっこうきつく、ビアジョッキをよく落としたりお客さんにかけてしまったりした。それでもあまり怒られる事はなく、東京って優しい人が多いなーと思っていた。アルバイトは大学生がほとんどであったが、友達に大学生が増えてきても、まだ大学に行ってまで勉強する意味がわからなかった。いまだにあまりわからないのだが。アルバイトは他にも飲食店を何度かやった。
高校卒業時、服、特に「裏原宿系」と言われるものに興味を持っていた。そこでそういった服を扱う広告制作会社に就職。一年間ほどそこで営業、広告制作、取材などしていた。れっきとした下働きであったが自分用のパソコンも与えられ、そこでコンピュータの使い方、(イラストレーターやフォトショップなど)を覚えた。しばらくして、なんか違うということで、やめた。それが20歳のころ。
とりあえず働かなければ、ということで派遣のアルバイトでプレイステーション2のメールサポート、という非常に地味な派遣バイトを始める。時給が1500円とすごく良かった記憶がある。そのバイトでは、周りにパソコンに詳しい人が多かったから、ホームページの作り方を教えてもらう。プログラムが視覚的に色や形になるのが面白い。なかなかホームページを作るのは楽しく、そのころ友達と趣味で作っていたTシャツをインターネットで売り始める。けっきょく一枚しか売れなかったのだが、インターネットの面白さに目覚めたので、ウェブ制作会社に就職する。半年ほど働いて、会社がつまらない仕事ばかりするので辞める。22歳。
ウェブ制作の派遣アルバイトをしつつ、個人でグラフィックとウェブの仕事を受注しはじめる。そのころフラッシュでサイトを作れる人が少なかったらしく、仕事にこまることは無かった。グラフィックはフライヤーやメモ帳、DVDのパッケージなどを作った。ウェブサイトはいくつかコンペに勝って受注することができた案件もある。しかしながら、クライアントとディレクターとプロデューサーと、、、何層にもなっている仕事の進め方にうんざりして、つまらなくなってきていた。
未だに中国スゲーとか言ってるやつ多いけど一回住んでみてから言えと思う。
という増田を読んだんだけど、これ系はサンプル数多い方が、実像がぼんやり浮かび上がってくると思うんで、住んでるどころか、旅行者として2都市に半日ほど訪れただけだけで書いてみたいと思う。
--------
町全体の清潔感について。
急増の街だけあって、汚いところがなかった。代わりに歴史を感じさせるものもなかった。
ぱっと見の印象で行ったら、大宮みたいな感じ。
駅前には大きなファッションビルがあって、お姉さんが鳩をあやつるショーをやっていた。
深圳方面からの高速鉄道の入り口である広州東駅はとても綺麗で近代的。
そこから地下鉄をのりつぎ広州火車駅は、おそらく北・四川方面や西・チワン自治区方面からの入り口で、地方民が多い。
駅前は広いが古びている、大規模なファッションストリートがあるが、18:00頃には営業を終了してしまう。
--------
深圳でも広州でもwechatpayの決済は早くて便利だった。
おどろくのは、たぶん60〜のおばちゃんでもwechatpayの決済にかる〜く対応してくるところ。
年寄りであっても変化にはとりあえず乗るらしい。
--------
深圳でも広州でも共産党の鶴の一声で内燃動力のバイクは禁止されており、すべて2輪は電動自転車だった。
そのこともあって、咳き込むような目だった大気汚染はなかった。
--------
地下鉄網
また、suicaのような交通系IDカードがすぐに買えるので、移動も便利。
しかし、改札通過時にいちいち荷物を安全検査に通さなくてはならない。
監視社会だ。
地下鉄は清潔で静か。混雑率も日本と大差ないが、車内でもさすまたをもった警官がうろついている。やっぱ監視社会だ。
構内にもホームにも警官はいる。しかしとにかく人が多い!常時通勤ラッシュ状態なので、警官も治安という意味の監視業務は投げ気味。
--------
人について
地下鉄で女の子がスマホをのぞきこんで、iInstagram的SNSで最新ファッションをチェックしていたのが印象的だった。都市部のティーンエージャーの行動だ。
みんな全体的にしずか。
店員はぶっきらぼうで、「こいつめんどくせえな」という印象を隠しもしない。怖い。
とにかく人々が若い。そして元気。
「めんどくせえな」感は出してくるけど、笑顔なんであんま心が冷たくならない。
基本的に心根が明るいんだと思う。
あと、広州地元っ子と思しき人のファッションセンスは新宿〜渋谷くらい。
--------
というようなところから、深圳っ子、広州っ子がもし日本にきたらどう感じるかを類推してみたいと思う。
深)なにこれ、小さっ、道狭っ
広)でもすげー綺麗だよ
深)深圳の方が綺麗だよ。まあ古い建物には味があるけどさ。うちはさっぱりないから。
深)でも
広)店員
広)しかも店夜までやってるよね、夜も賑やか〜
深)でも年寄り多くない?
広)それは思った。
広)それはない
--------
全体的には20〜30年前の日本といった感じではあったけど、それはキャッチアップに30年かかるという話ではない。
大都市部の消費生活に関しては、多分5年で日本と変わらないレベルの地域が出現して、急速に広がっていくと思う。
しかし、なんというか自由な空気みたいなものは、絶対日本のようにならないと思う。
抜く、抜かれるの話ではなく、まったく違う近代国家が立ち上がろうとしていると思えばいいと思う。
そのうち、テクノロジーやポップカルチャーも中国発のものの存在感は増してくるんじゃないかな。
(継続夢については、https://matome.naver.jp/odai/2140958898509765801が詳しそう。)
簡単に言うと、夢の中だけの世界があって土地があり人物がいて、そこでは時間軸もある、夢を見ることでその夢の世界に何度もいける、ということみたい。
ただ、まとめサイトに書いてある継続夢と私の見ている継続夢は違うので、ちょっとそれを補足しようと思う。
まず、継続夢を最初に報告しているセグウェイ太郎さん、その他の人は、継続夢でみる世界は現実には行ったことのない土地だということ、これが私の場合と違う。
私の継続夢では、「新宿」「青葉台(東急田園都市線の)」「永田町」などなど、田舎、都会問わずに実存する街がでてくる。そこまでは電車で移動している。ただ、ここが私の夢を継続夢たらしめているポイントの一つなんだけど、夢の「新宿」の地理は現実の新宿とは全然違う。私の夢の中の「新宿」では、駅は大きいんだけど現実みたいに出口で迷うことはなくて、東口は出てすぐ右に風俗の入ってるビルがある。あと、駅から遊歩道(?)を歩いてファッションビルとか百貨店に行ける。バスタじゃないけど、バスもたくさん通ってると思う。一度グループでバスを貸し切って乗ったこともあった。
そして、何度夢の中で「新宿」に行っても、同じ「新宿」に行ける。二回め、三回めと、「新宿」に行くたびに、「新宿」のイメージ(というか地理? 細かい路地など。)が強固になっていくのがわかる。
あとは登場人物の点。私の場合、実在する人しか継続夢には出てこない。
以上です。継続夢以前に、夢でみたことを細かく説明できる(しかもものによっては3年以上前の夢)っていうのも、何か問題(?)があるのかもしれません。
継続夢について調べてる人がもしいれば、参考になるかも、と思って書いてみました。
大宮駅と、横浜駅によく似ている。歩いてる人がなぜかみんなダサい。全然お洒落な人は見当たらない。万が一いたとしても池袋のダサさの圧にかき消されてて見えない。
埼玉の学生は池袋でよく遊ぶ。学生時代の遊び場はもっぱら赤羽か池袋だった。埼玉エリアの学生あるあるだと思う。
大人になり、地元コミュニティと縁が薄れてきて、池袋や赤羽で待ち合わせることが激減した。
仲のいい友達はみんな文化系なので、高円寺とか三軒茶屋に住んでいる。
よって、飲みに行く場所は新宿か渋谷か下北沢とかその辺になった。たまにはわたしがアクセスしやすい池袋で飲もう、となっても、池袋ってあんまりいい飲み屋がない。とにかくチェーン店ばかりだ。何軒か好きな店はあるにはあるが、コスパは悪い。そもそも私は池袋は食事ではあまり使わない。一人で買い物をする時にだけ使う。
いや実際買い物するには死ぬほど便利。
ビルまるごとのGUと、ユニクロが近距離に2件も。そんなにいらないだろっていうくらいABCマートがある。西武があって東武がある。西武に至っては本店だ。それからビックカメラとヤマダ、すべてが近い場所にある。
一人で買い物するには天国だ。
冒頭で、池袋はダサいと書いたが、たまに可愛い女の子はいる。偏見だけどパルコよりもルミネにいる女の子の方が可愛い。
パルコにだって高いランクの店は入ってるが、ルミネのほうが可愛い。店のチョイスが全体的にパルコよりは若干コンサバ寄りなせいもあるだろう。
しかしこれらよりも、やはりサンシャインシティこそが池袋という街を表すファッションビルだと思う。
今日、数年ぶりにサンシャインシティに入った。理由は、下着屋が3件入っているからだ。なんでだよ、と思う。でも下着が欲しい人にとっては選択肢の多いサンシャインシティはすごくありがたいのだ。
高校生の頃に行きまくったあのサンシャイン、当時とほとんど変わっていない光景。
なんかグチャグチャしてる陳列の服屋とゴツゴツした顔面のカップル、サイズ感のおかしな薄ピンクのコートを着た学生、パッとしない店員、存じ上げないお方がコンサートしてる噴水前ステージ。そして圧倒的ファミリー率。
上に登ってみる。少しだけ変わる客層。
というか地下一階に比べると大分整っている。特に驚いたのがトイレだ。1Fのトイレの女の子、たまたまかもしれないけど可愛い。いやこれは多分トイレがめっちゃ綺麗に改装されてる効果もあると思う。ドアとか超ファンシーになってるし、パウダールーム的なところもあったし、そのせいか顔が盛れて見えるのかもしれない。
また地下一階にもどった。
中学生の頃、小物はほぼスイマーだった。スイマーのメモ帳で授業中に先生の似顔絵とか恋バナを書いた手紙を書いてポイポイ投げ合ってた。先生に取り上げられて、実物より10倍くらいブサイクに描いた似顔絵を見られて気まずい思いをしたりした。
懐かしいな、と相変わらずクソ狭くてゴチャゴチャした店内を見渡す。そこには見渡す限りのババアババアババア。そう、客はわたしと同年代、もしくは少し上くらい。残念ながら、上の階のキディーランドの方がよっぽど若い子がたくさんいた。スイマーは懐古厨で溢れていた。
そのジーナシスは、地下一階の他の店舗に比べて、陳列が少なくシンプルで小綺麗だった。
ハンガーとハンガーの間の隙間がわりと大きめなのだ。ハンガーとハンガーの隙間が大きめの店って少し高いお店っぽく見える。ジーナシスなんて、ルミネだったら割とカジュアル寄りで安いランクの店だ。
しかしサンシャインのジーナシスは、周りの店に比べて落ち着いてて、洒落て見えた。シンプルなジーナシスがいい意味で浮いているなんて、まさに池袋サンシャインシティという感じだ。
変なところに来てしまったなと思った。
なんかもう、カオスなのだ。統一感が全然ないのだ。こういうところが、池袋だなって思う。
でも、買い物するには最高だから、友達は誘わないで一人でショッピングを楽しんで欲しい。そして、池袋のカオスに酔いしれて欲しい。
http://anond.hatelabo.jp/20170325194531
ねえ、貴女と一緒に出かけるときはいつもファミレスだったよね。
一番最初、貴女とノートを広げてテスト勉強してたときからそうだったね。
おごってもらったのがドトールだったよね。
「私は、毎日こういうところで休憩してるよ。金が余ってしょーがないから」
貴女はそういって笑ってたっけな。
「派遣の後輩たちにこうして奢ってやって、言うこと聞かせるんだ」
そういうことを目を輝かせて語っていたのも、ド○ールだったね。
あれから十年たって今、こうして、たまに貴女とカフェに行くときもやっぱりド○ールだ。
ここ何年か、こういう安いカフェに行くのは貴女と一緒のときだけだ。
別に安い店が悪いというわけじゃないけど、ここのコーヒーは色付の汚水みたいなもんだ。
カフェのあとに行く、ユニクロの服は、ボロ布を見ているような気がしてならない。
ねえ、別にファッションビルで少し値段の張った服を見なくたっていい。
もう少し金を出せば、ユニクロでなくって、本物の服やコーヒーを出す店を
でも、今の貴女を見ると、
貴女がポケットから取り出すくしゃくしゃの千円札三枚を見ると、
私はどうしても「もっといい店行こうよ」って言えなくなるんだ。
貴女が前の派遣先クビになったの聞いたよ。貴女が体壊したのも知ってたよ。
新しく入った派遣先で、一回りも歳の違う、20代の若い派遣社員の中に混じって、
使えない粗大ゴミ扱いされて、それでも必死に卑屈になって仕事続けているのもわかってる。
だけど、もういいでしょ。
十年前と同じドトールで、十年前と同じ、努力もしない夢を語らないで。
そんなのは、隣の席で浮かれているガキどもだけに許されるなぐさめなのよ。
田舎の家に生まれ、高校生の頃に祖母が出て行って両親が離婚した。
自立心が強く後にフェミ活動家とか市民活動とかにのめり込む祖母は常に自身の人生の充実を探求しており、子育てにはまるで興味がなかった。
祖父母ともに気性が激しかったため怒鳴りあい殴り合いのケンカも頻繁にあって、
母の妹である叔母はグレにグレていたらしいので、話を聞く限り色々と機能不全な家族だったようだ。
高校卒業後、東京の美大を目指して東京で絵の予備校に通っていたらしいが、田舎娘ゆえに警戒心が薄かったのか、電車で毎日のように痴漢に遭いまくって、
乗る電車を変えたりしても別の痴漢に狙われるなどして解決せず、最後には恐怖で部屋から一歩も出られなくなり、予備校に通えなくなって半年もたずに帰郷。
卒業後、ファッションビルの雑貨店に勤務。ポップとか描いていたそうだ。
恐らくこの頃にライブハウスか飲み屋で父と知り合い、結婚し、バブルがはじけるころに俺を生む。
父の家は観光地で食堂をしていたので、嫁なら当然ということで毎日無償労働。
父が家に入れる分以外の収入は一切なく、雑貨店勤務時代の貯蓄を切り崩しながら生活。
父方の祖父母は年金なんか馬鹿の払うものだという考えの持ち主だったため、10年近く無年金。
父方祖父がアル中で手が動かなくなってきていつ引退するかわからない状況になり始めるが、父が一向に調理師免許を取得しようとしないため、
営業許可に関わるので念のため父と相談して母が先に取得したところ、代々続く店に女の名を掲げて恥をかかせる気かと祖母になじられるなどする。
父は数年後に1回落ちたが調理師免許を取得し、ギリギリ祖父の引退には間に合った。
その後、父が金がない景気が悪いと言って家にあまり金を入れずに、150万円規模の趣味の楽器を無断で購入していたことが発覚し遂に離婚。
大手眼鏡チェーンでパート店員として勤務、ようやく年金に加入。
母子二人の生活が貧しいながらも軌道に乗り始めたところで、田舎の祖父があちこちガンになって手術連打。
車で片道一時間かかる病院に通うのが大変という話が出はじめ、叔母は親に反発したまま大人になっていたので、やむを得ず俺を連れて帰郷。
祖父は帰郷後一年ほどで死没、死にかけてるくせに皿が飛び交うような言い争いを何度も見た。
飢えるとその辺の草を躊躇なく食いまくる俺の発達障害が発覚したりする中、母は調理師免許を使って公営のデイサービスセンターの昼食係に契約(嘱託?)職員として就職。
何年か問題なく勤務して契約年数も残っていたのだが、町が方針転換して施設の食事を業者に委託することになったため突然クビを切られる。
見かねた施設長に介護員として拾われて同じ施設の介護職へ転職、介護福祉士やケアマネージャーの資格を取りながら何年か働くが、
町の規定で契約が何年までと決まっていたらしく、契約満了となり民間の小規模施設へ転職。
同時期に体調が悪化、後にメニエール病であることが発覚して投薬治療が開始されるまで車での送迎業務ができない状態になる。
離れて暮らす祖母とはずっと交流を持っていたが、祖母からお金をただ貯金していることを散々馬鹿にされ、
祖母が利益を上げまくっていた和牛投資にコツコツ貯めた100万円を投資する決断を下したところ、一年も経たずに投資先が破綻して回収不能となる。
散々勧めた張本人で、回収不能額よりこれまでに上げた利益の方が多かった祖母からは、自己責任、見る目がないと罵られ当然ノーフォロー。
家族経営だった小規模施設でサービス残業や持ち帰り仕事が増え、
さらに利用者のクレーマー家族が発生してスケープゴートにされ続けたため、引責と体調を理由に再度転職することに。
ちょうど俺が独り立ちしたタイミングだったことから、稼ぎよりも労働環境を重視して大きな母体のある中規模デイサービスにパートの介護員として就職。
真面目に数年間働いていたところ、組織全体で正社員登用制度を作る話が出るが、同じ介護員パートが数名いる中、母のみ対象外となる。
理由は制度開始の三日前に誕生日を迎えて、制度の年齢制限に引っ掛かってしまうため。
母体が大きすぎたことが裏目に出て、逆に融通がきかなかった。これには流石の母も一晩でワインを三本空けるヤケ酒。
この話はその時にちょうど帰省していたので聞いたことをまとめたもの。
持ち家一人暮らしとはいえ、手取り11万円程度での生活がいつまで続けられるかはかなり怪しく、年金は空白期間が長いので僅かしか貰えそうにない。
浜松に住み始めて5年目。
帰りの時間に余裕があったので、街中をぶらぶらしていたら
曰く、
それからなんとなく気になって気を配っていたのですが、
高校生の女の子3人くらいしか、仮装の人は見当たりませんでした。
街は結構にぎわっていて人通りもありましたが、他には
電車に揺られて1時間。浜松へ戻ってきたら、いるわいるわ仮装。
駅のホームを降りて、改札階に着いた途端、
ああ、浜松の人、ほんとうにお祭り好きなんだなぁ…と思いました。
静岡市と浜松市の文化面での違い、とても興味深いものがあります。
(街中の歩行者天国、コーヒースタンド、ファッションビルなど)
年に数度、大きな祝祭空間を作り出している。
生粋の静岡県民からはまた違って見えているかもせれませんが…。
そんなことを考えた日曜日でした。
まず改札から遠すぎる。
ホットなら冷めるし、アイスフラペチーノだと必ずホイップが溶けて駄目になる。
単純な話、駅近にあるのがベスト。
次にデパートの中。
客への対応がその分良くなってる感じはあるけど
やっぱり遠すぎるのがネック。
地下通って上に上がって更に交差点通った先のデパートなんて遠すぎてどうしようもない。
現に駅降りてすぐのファッションビルには手近なスタバもあるから
そこ行けば問題ないんだけど、サービスの点では駅ナカの方が良いという実感はある。
なので駅ナカに行く。
ともあれ、どうしようもなくコーヒーが飲みたい時は
店員も美人だしね。ブラウスの少しボタンが二つ開いてるのとか見ると
ドキっとするし、まあ基本それ目当てに行ってる部分もある。
行って良かった次も是非行きたいと思わせてくれるスタバ店員さんには
いつも感謝しているんだ。
ルミネの広告が、朝から炎上気配でおもしろいのだが、「ルミネの広告今まではよかったのに」と言ってる人が、ブコメに少なからず存在するのが凄く面白い。
ルミネの、話題になった尾形真理子・蜷川実花の一連のポスター群って、ディレクションが当世風なだけで、中身は「男に媚びるためのファッション」の枠内ドストライクじゃん。
あのポスター群って、あまり人前で声高に叫びぶとバカだと思われそうな欲求を、広告的演出でソフィスティケートする、という点において広告として素晴らしい出来だと思うんだけど、
中身は全然、普通に旧態依然すぎる「男好きするファッション」だ。写真が蜷川さんだから一見は男ウケしないデザインになってるけど、
写ってる子が着てる服を見てみたら、さほど冒険的なファッションばかりじゃなかったし、コピーも同様。広告コピーとしては美しかったけど「男に振り向いてほしくて着飾る」という内容が多かったように思う。
私は、ファッションは「異性に好かれる」ためのものであっても全然かまわないと思うし(実際にそういう用途の方が多そうだし)
ルミネはたまに通りかかっても「モテたいOLさん系をターゲットにした駅上ファッションビル」というカテゴリーに入れていたけれど、
尾形蜷川のあの広告見て、ルミネが「自立した女のファッション」を提案してたと、勘違いしてた人が結構いたということ?
ルミネ的には、たぶん、MD見ても中身や軸は全然ぶれてないと思うけど。
元のブログの人は、田舎暮らしだと言ってるのでルミネ見たことないんじゃないか。あそこ、割とコンサバというか、モテ女子コーデ()系のショップばっかりよ。
元のブログの人がルミネ見たことないならまだ(炎上好きだし)しょうがないと思うけど、おそらくルミネで買い物でもしてそうな人が引っかかってとすると、やはり広告ディレクションの力ってすごいねって話なのかね。
尾形蜷川が制作現場にいたかは分からないけど、中身は一緒でディレクションの方向を変えた(親しみ系)にしただけで、こんだけ非難の嵐だもんなぁ。