はてなキーワード: かわいいとは
性的消費というより、誘惑的な使い方をやめろ、が近いと思う
もちろんそこは流石に世間には通じないと思うけどね
変な話だけど、似たところで言えば「めちゃくちゃ食欲を掻き立てられる写真」とか「現金の写真」みたいなのも同じじゃないかな、ある種の誘惑的表現
でもそれを規制するかどうかは難しいと思うけどね
CM界隈を見てると逆にそういう要素が少ない人多いんだよね
おっさんおばさんとか
友人がピカチュウと写真を撮りたいが、人に頼むのは怖いとカメラ役を頼まれて、生まれて初めて行った。
結論から言うとスタッフさんがカメラを預かってくれるので増田の存在は全く必要なかったのだが、ピカチュウはそれを帳消しにするほどかわいかった。
暑かったし、混んでたし、友人が昔からポケモンが好きなのは知っていたから口には出さなかったが、ピカチュウって設定上は人サイズじゃないだろ。とか、中に入っているのはどうせ人だよ。みたいな冷めた気持ちは行く前はすげーあり、ホグワーツ見れるならいいかあ。くらいのモチベでしかなかった。
短い手足で懸命に踊り、友人の言葉を頷きながら聞いてやり、明らかに付き添いである増田にまで愛想を振りまく様は見事だった。
ピカチュウがデカいのは、デカいほうがかわいいからなのかもしれないと思った。
友人とピカチュウのツーショットを見届けたあと、次の回でもう一回並んで増田もピカチュウと二人で撮ってもらった。長年の間日本のトップキャラクターに君臨している愛嬌は伊達ではなく、帰りに寄った店で大人しくぬいぐるみを買って帰った。増田の負けだった。
ぶっかけるものは、女性の靴、スカート、制服、ジャージ、ノート、机、椅子、飲み物、水筒、歯ブラシ、食べ物、ドレッシングと様々だ
被害者の女性をオナペと呼んで写真や名前を晒し、こいつの○○にぶっかけてやったと自慢する書き込みもある。ぶっかけ後の写真もある
ちなみに、Xの #私物ぶっかけ で見つかる裏垢界隈も同じ様子を見せている
307名無しさん 2023/07/25(火) 09:38:45 ID:wWstxvE60 たまに彼女の私物にぶっかけてる奴居るけどナンセンスにも程がある。自分に見向きもしない高嶺の花にするのが至高。嫌われてたら更に良い。
310名無しさん 2023/07/25(火) 21:41:14 ID:sYoa0yQci 確かに彼女や嫁はないな
1.2回だったら使えるけど
やっぱぶっかけた物を履いたり、使って欲しい
313名無しさん
2023/07/26(水) 09:46:03 ID:F5vMMRTg0
全く同感です!本人に気付かれないうちに自分に染めるのがいいんですよね。
316名無しさん
2023/07/26(水) 23:46:36 ID:lt7YDMK60
中出しして孕ませるの想像しながら靴下の中とか、服に出すの最高。
中学高校は学校中のかわいい子の私物はほぼコンプリートしてたな。
廊下で各学年すれ違うたびに興奮してたな
彼女や嫁にしても興奮しない、らしい
うちの妻「ユニクロは生理用パンツ以外無用、ダサすぎる」である。
「ファッションは窮屈・無理・不便を強要されてこそのファッションである」と断言している。
(なので、フェミの思想も価値観も「反吐が出る」と否定されておいでだ。男が決めたんじゃねぇよ、女が女らしいのを可愛いと思っているから選んでるんだぞ、とのこと。)
生理用パンツはだせぇだろ、と言ったところ「お前以外誰が見れるのか」「見せるのはお前だけ」と言われているので、これも納得である。
あと便利だって。
数年来の歌舞伎ファンだけれど、ネットに放流される歌舞伎の感想を見ていると、グロっ!と思うときがある。
いちばんそれを思うのは、歌舞伎の家に生まれた子ども(特に未成年)に対しての、「お父さん(orお爺さんその他親戚)に似てきたね!」っていう感想。そういう感想には、ふと見ていて自分で思い至ることもあるけれど、一方で、自ら振り返ってみると、又は他の人の感想として見ると、うわっ!グロっ!と思ってしまう。
思っているだけだとモヤモヤするから、何がグロいかを言語化してみると、それは、本人が決めるべきこと(将来の職業選択、そこで役者を選択するとしてその芸風・方針)について、生まれや血族といった本人の意思ではどうしようもできない事実を評価の基準として、第三者にすぎないいちファンが勝手に判断して評価しているから、だと思う。
もっと踏み込んで言うと、無限の職業選択の自由が拓けているはずの子どもに対して、第三者がその子どもの将来を(職業だけではなく芸風まで)決めつけてしまっているという点について、無意識であるにしろ、ものすごく高慢に見える。
この所感は、古典演目を、比較的若い役者が、過去の大役者が確立したような型に倣ってやるような場合に、当該大役者の親族(又は、その中でも風貌が似ている者)にやらせないとおかしい、みたいなコメントが出てくる場合にも同じことを思ってしまう。結局それは、今の演者ではなく、過去の演者を求めているに過ぎないし、(こういう鑑賞態度は歌舞伎だとあるあるではあるけれど、)個人的には、そのような鑑賞態度である限り、今の演者を(自ら理想化した過去の演者と比較して)批判的な目でしか見ることができないから、観劇が辛いものにしかならず、実りのある観劇体験にならないんじゃないかと思う。
(逆に、役者に対する「〇〇屋に生まれたんだから(or所属しているんだから)、△△さんから指導を受けて××(演目)をやらないとおかしい」みたいなファンの意見も同じ。言ってるファンは、親祖父母から指導を受けて同じ仕事やってるんだろうか……。)
いや、そもそも上記のようなことを言ったら、御曹司のかわいい初舞台で、ベテランのお弟子さんがセリフもなく後ろに座っているという構図自体、あたりまえだけど普通にグロい。
もっとも、もうこういう家による階級制度は、あと20年(いや、10年?)経ったら、消えて無くなってるんじゃないかなあと思う。そして、そういう兆候がちらちらと現実にも顕れていることは、今の歌舞伎ファンならば分かると思う。
つまりは、これからの中心的なファン層は、歌舞伎への入り口が、刀剣乱舞歌舞伎その他の2.5次元歌舞伎、又は、大河ドラマその他の映像作品である人が多いと思われる。そういう人たち(そうでなくても、これからファンになる若者層)に、「お家」とか「名跡」とかに重きを置いて、扱いに差を設けることを正当化するような価値観は、もう通じないんじゃないかなあ、ということだ。ただでさえ、「親ガチャ」が流行語を超えて浸透しているような世代だし。
(個人的に、初報が発表されたとき、刀剣乱舞歌舞伎は今できる最高のコラボ歌舞伎だと思った。和の世界観と親和的で、既存のファンの方の数が多くて、しかも観劇に抵抗がなく、むしろ積極的であるというのがすごい。これから若い歌舞伎ファンの殆どが刀剣乱舞が入口、ということは、普通に起きるんじゃないかなあって思う。いや、もう起きている?)
一方、上記で、階級制度が無くなるという兆候が顕れている、とは言ったけれど、現状は、それは、名家の御曹司が座頭を務める舞台で、実力のある弟子を大役に抜擢することがある、という形にしかなっていないとは思う。つまり「使う側」(座頭)と「使われる側」(大役に抜擢される弟子)がある、という権力構造には変わりはなく、単に「使う側」のお慈悲が発揮される回数が増えただけ、という状況にしかないようには思う。すなわち、従来の力関係にはそこまで変わりはないんじゃないかっていうことだ。
(あと個人的には、そういう「抜擢」をした役者/「抜擢」をされた役者のことを、美しいストーリーとしてSNS等で賞賛する行為は、度が過ぎると、上記の権力構造の再確認になりかねないし、弟子の苦しい立場ごと消費しているような感じがして、あまり乗り切れないところがある。歌舞伎御曹司の感動ドキュメンタリーと消費の仕方が同じというか。但し、そういう風潮が抜擢を後押ししていることは否めないし、全部を否定はできない。結局、観劇というのは突き詰めると観客による役者の消費ではあるし、役者のバックグラウンドごと観客に消費させるのは、歌舞伎が今まで取ってきた手でもある。)
(さらに言うと、一部SNSによる一部の役者・家への軽率なDISも好きではない。ちゃんと芸単体を見て評価できる人が評価しているならともかく、SNS(というか、その人が構築しているタイムラインに流れてくる限られた情報)の、この人なら批判対象としてもいいんだ、という雰囲気に流されて、大した芸の批評もせず批判をしてるんじゃないかって気もするし、自分が「見巧者」であることのアピールとして軽率に使われてるだけな気がする。)
じゃあどうするんだという話だけれど、近い将来、御曹司と弟子をキッパリ区別して取り扱うような現行制度について、どこかのタイミングでアナウンスがあって形式的な解消がなされる、という事象が起きてもおかしくないんじゃないかなあとは思っている。あくまで、上場企業である松竹が、今の門閥制度は上場企業に相応しくない、とか言って形式的にやることかなとは思うけれど。具体的には、まずはポスターに名前を載せる基準とか、筋書きの後ろの方の写真の大きさとか、動静表のあの色分けとか、あそこら辺の形式的な取り扱いから(一律、名代試験→幹部昇進で区別するとか。)。
もっとも、役付きも、それに伴って柔軟になっていくってこともあるかもしれない。ただし、私は幕内の事情は全く知らないし、上記権力構造は変わらないのかもしれないし、この考え方も全くの的外れかもしれないけれど。そもそも、歌舞伎名家の権力(私から見えるのは、歌舞伎座古典の大役の配役くらいだが)がどこに裏打ちされているのかもよく分からないし(メンツを見てると、必ずしも集客じゃない気がする。そうすると、本当に“名家”であることの一点のみで権力たりうるということなのかもしれないけれど、平成生まれの自分にはピンと来ない。)。
最近の御曹司はみんな上手いなあと思う。やっぱり、現代になって、色々な選択肢が拓けている中で、今の若手世代の御曹司の皆は、自ら歌舞伎役者になることを選んだんだと思うし、やはりその覚悟に見合うだけの実力がある。これから歌舞伎がどうなっていくか全くわからない中で、歌舞伎を将来の道として選択してくれたことは、歌舞伎ファンとしてとてもありがたい。そんな御曹司たちとそうじゃない人達とで切磋琢磨していくのが健全なんじゃないかなあと思う。
そして、冒頭に戻ると、「お父さん(orお爺さんその他親戚)に似てきたね!」といった一連のグロい感想も、今の価値観にそぐわないものとして自然と淘汰されていくんじゃないかなあ。そして、価値が大き過ぎて空席になっていたはずの大名跡の価値は、空席のまま忘れ去られることになり、古典演目が歌舞伎座でかかるとネット上でもかろうじて見受けられる、あの動作は過去に誰々が始めたものだ、みたいなコメント兼マウントと、それを把握しなければならないという価値観も、良くも悪くも間もなく消えていくんだろう。
――最近は研修所への入会やお弟子さんの入門自体微々たる数しかないから、まずそこから増やさないと、歌舞伎文化の継続自体がかなりマズい? それはそう。
ヨーロッパ圏は庶民にはまだまだ高いけど、アジア圏なら2〜3年バイトなり副業なりすれば誰でも行けるんだよね。がんばれるひとなら半年で行けちゃったりさ。まあどこに誰とどうやって行くかでこの辺は変わるけど。
予算を工面できたら、パスポート取りに行くとか、空港までの道のりとか調べたりとか、簡単な会話や単語だけでも覚えたりとか、旅行先で気をつける場所や行動をチェックしたり、細々したことやって。個人的にはすべてを失ったとき泣きつけるように、日本大使館の場所だけは絶対覚えて向かうことにしてるよ。
海外に行くってことは、そういう計画性が身につくこと。ちまちましたことをコツコツ積み重ねて達成できるひとって、何をやっても何とかなる。そういう人格形成の練習ができる。
別に予算溜まらなくてもいい。海外行かなくてもいい。自分がそういう人間なんだと分かること。いまのそういう自分でいいと思っているかどうかを確認する儀式だから。
個人的には海外行って、ぜんぜん知らない常識や人種にぶち当たって、無学、無力を思い知るまでしてほしいけど。定期的にこれやると自分に足らないものがはっきり分かるから「次はあれを学ぼう」「次はこれを気をつけよう」とか意識できて便利だよ。
っていう話をして、旅行会社のパンフレットを取り寄せるなりパスポート取ってくるなり何らかの行動に移れる奴、マジで素直でかわいいから仕事教えるの楽。
一部のシーンが数秒だけというものではなく1-4話全編が流れている
新アニメは出ない
胸ははだける
光などで隠すことはない
だが乳首がない
地獄先生ぬ〜べ〜の裸シーンがこうだったな、乳首を省略してつるっとした胸を描く
らんまが脱げども乳首がない
さいきんのリメイクはすぐ現代設定にしてくるのでそこは良かった
見れないこともないが、魅力のない絵柄、気が抜けたようで味気ない
留美子絵柄も旧アニメ絵柄もレトロかわいいと持てはやされているのだから、線や配色に今時っぽさを出しつつもう少しレトロかわいさを出してほしかった
うる星の絵柄はそこがよかった、他作品だとおそ松さんも良かった
「今時っぽくしたいが思いきり自分のセンスを出すのも原作旧作が有名すぎてなあ〜」と臆して微妙になる感じ、セラムンやフルバでも通った
旧作は途中まで、男乱馬と女らんまが同一人物だとクラスメート達が知らないという謎設定が付け足されたり、浮いたオリキャラがうざかったりした
そこらへんをなくしつつ、旧アニメでやらなかった原作の評判のいい回を拾っていってほしい
気になったのは、ドアを開ける音「ぐあららら」など留美子特有のオノマトペを文字で出してくるところ
やめちくりー
妻の方がかわいいのにそんなことするわけない
自分の子供が園に通うことがきっかけで、子供の使うものを自分で作ることにはまったし、他の家庭のお母さんの手作りの作品を買うことにもはまった
月並みな表現だけどハンドメイドの市販品にはないオリジナルデザイン(ハンドメイドの商品を取り扱う店では普通に売ってるけど)で
この世に一つだけ、一点モノという特別感
市販品は市販品と一目でわかるようにハンドメイドはハンドメイドだと一目でわかるデザインをしている
園に通う子供たちは制服を着ているが、鞄につけるキーホルダーやレッスンバッグ、シューズ袋等で個性を発揮する
制服に取り付ける「移動ポケット」は子供たちにとってはアクセサリーのようなものだ
子供に私がかわいいと思って買ったハンドメイドの移動ポケット(私が作ったのではなくよそのお母さんの作品)を持たせたら、担任の先生が「かわいい」と絶賛
そうすると子供の組の他の男の子も女の子もみんな私の子供の移動ポケットが「かわいい」と言って、注目して、みんなが娘の移動ポケットを触ったらしい。ハンドメイドの移動ポケットは複数種類の布が使われていることがよくあり、「これ、どうなってるの?」と思って触りたくなるデザインをしている
親としては自分の子供の持ち物をみんなから誉めてもらうのはものすごくありがたい。やっぱり「かわいい」と子供にプラスの言葉を浴びせてくれる機会があるのは嬉しい。
私が作ったレッスンバッグを子供が先生に「これ、ママが作ったの」と言うと先生はやっぱり誉めてくれて、子供のレッスンバッグを手にとって細かく観察していたらしい。園の先生だから、やはり園グッズを作ることの大変さをよく知っている。細かい作業をしているみたいなことを言ったらしい。
先生、私はマチを作ったし、端はジグザグ縫いでちゃんと処理したんですよ。ハンドメイド初心者だから大変でした……
だいたいのハンドメイドは一手間、ふた手間加えてオリジナリティを出すし、作る人が気に入った材料を使うので誉められやすいデザインをしている。
子供が持ち物を誉められると子供の自己肯定感もあがると思うのでハンドメイドを誉めてくれる先生の存在は本当にありがたい。別にハンドメイドできなくてもよそのお母さんが作った作品を買えば子供が誉められる。ありがたい。
先生、いつもありがとうございます。
ふつうの軽音部の厘ちゃんのあの前髪のヘアピンの意味よくわかんないんだよな
2005年頃はああいうふうにしてる中学生いた気がするが、今の子は額が広いから浮かないようにわざわざ止めなくてもコテ当てたりケープかけるだけですみそう
贔屓にしているラジオ局に出てる女性フリーアナウンサーが4月から自分の番組を持つようになった。
3月まではいくつかの他の番組のアシスタントをやっていたんだが、単独で担当する番組を2つ持った形だ。
そのフリーアナウンサーは声や喋り方のかわいさで人気があったんだが、この頃、喋り方がだんだん落ち着いてきている。
リスナーとしては情報が聞きやすくなったのでアシスタント時代のいかにもかわいいっていう喋り方より長時間の番組では助かると感じる。
局アナだと最初から落ち着いた口調でだんだんはっちゃけ方を覚えていくという感じなんだが、フリーアナウンサーは逆の方向をたどるように思える。
この辺はフリーランスと社員という立場の違いによるものなんだろうか。
ちなみにそのラジオ局、男性局アナが自分の番組を持つと「それ、大丈夫なのか?」ってくらいはっちゃける人が多い。