はてなキーワード: 張力とは
増田でパンティの話題とは珍しいですね。男性がなぜパンティをありがたく思うのか?その仮説を3つほど考えてみました。
女性といちゃいちゃすると気持ちが良く、その手前の通過点としてのパンティ。
パンティ→イチャイチャ、パンティ→イチャイチャという経験を繰り返すうちにパンティの先にあるエンドコンテンツとの条件付けが強化されパンティそのものに興奮してしまうというもの。
この説は女性のエンドコンテンツに想像もいたらない小学校低学年がパンティ大好きという事実をうまく説明できない。
パンティはあの部分を隠すもの。それでも隠し足りないのでスカート等で更に隠す。
隠れているからこそ気になり気になるからこそ見えたらご褒美感が出てパンティに執着するもの。
見てやったぞという攻略感・達成感からパンティに執着してしまうというゲーミフィケーション要素がある。
この説は小学校低学年でもパンティ大好きという事実もよく説明できるし、一部の強者男性が「ただの布」という引いたスタンスを取るのもパンティを見る程度のことにレア感がないからとすれば符合する。
まず単体ではこのような観点がある。
付属物との組み合わせの観点ではこういった観点がある。一部に特に強い執着を見せる人たちが存在する。
(略・・・お顔、お仕事、お声、お胸、性格、女子カースト、など)
ポケモン説の前置きが長くなったため一旦このあたりに留めておくが、パンティ及びその周辺に関して概ねこういったバリエーションが存在する。パンティの面積は狭いながらその選択肢や履きこなしは男性のスーツに近い楽しみ方があることが分かる。更にこの外に通常衣服としてのワンピ・スカートや靴のコーデがあり、またお姉さんが強そうなのか甘目なのか、お仕事中のアパレル店員さんなのか有名人に呼ばれたらほいほいアテンドされる港区系女子なのかといった人となりの部分も存在する。
ポケモンにハマると能力値や色柄にこだわって収集活動が止まらなくなってしまうように、パンティもさまざまな条件が組み合わせ爆発を起こしており、理想のパンティを追求してしまうものである。
例えばオーダーコールは「白系のサテン系生地で縁取りは約5mm間隔のざっくり目で濃色の見せるステッチ。形状はフロント・バックともややゆったり寄りのノーマルでクロッチはシームレス。フロントリボンは黒の土手はふっくら系マシマシ」あたりとなります。
またお越しくださいませー
調べていくうちに筋トレBIG3だといずれケガすることがわかってきた。
スクワットはランジで重量落とした方がいいし、バーベル担ぐよりダンベルで加重したほうがいいみたい。
デッドリフトも重量落とした片足ルーマニアンデッドリフトやトラップバー(orダンベル)でのスタッガードスタンス・デッドリフトのほうがよさそう。
そもそもデッドリフトはトレーニング順序最後に推奨されるくらい疲れやすいので全くやらずにチンニングやエクステンションで代用するのも手かもしれない。
ベンチプレスはバーベルの軌道のせいで肩のけががやばいらしい。ダンベルチェストプレスにするか、ディップスで加重するしよう。ディップスは大胸筋下部と思われがちだが、一応全体に効くらしい。
ジロンダ・ディップスは大胸筋上部に効くらしいがやってる人が少なすぎて不安だが選択肢に考慮しておこう。
あとダンベルベンチプレスやディップスだと上腕三頭筋の長頭に弱いのでフレンチプレスやプルオーバーも必要だ。
そして腹筋。米軍が腰痛防止でクランチをやめた話はあまりにも有名。やはりレッグレイズかリバースクランチがいいかもしれない。
デッドリフトをやめた場合を考えて、腹筋のついでに脊柱起立筋にも刺激が入るハンギングレッグレイズをやれるようにしておきたい。
最後に肩。肩は三角筋という上半身最も大きな筋肉がある。肩トレ自体はケガしやすいというわけではないが、高重量は危険だ。
そこでトレーニングチューブ。ダンベルとチューブを両方持つという感じで重さ以外の張力という負荷を増やしていけば順調に発達していくだろう。
いろいろ仕事でVRやらVtuber関係でモデリングしてるんだが、ちょっと表現者としてイラっと来たので書いておく。というかタイトルでイラっとしたので本文は全くよんでない。
https://anond.hatelabo.jp/20210920015426
「なんでそんなにおっぱいを揺らしたがるの? 」
は?ふざけんなよ
わかるか?ボケが!!!!!おっぱいだけじゃねぇ、ひらひらした可愛い衣装!!スカート!ジャケット!その辺にあるもの全部揺らしてぇよ!バカヤロー!!!!
もちろん、リアルにおっぱいの「揺れ」を表現するなら相当努力しないといけないけどな!!
だけど、服の揺れまで作るのクッソ大変なんだよ!!!そもそも動くかすための原理がちげーんだよ!!!!
3Dモデリングはそもそも沢山の頂点が集まってできてるのは分かるよな?
で、それをひとつひとつ動かすの手動で動かすこともできるけど、死ぬほど大変なのわかるよな?数千、数万の頂点を手動で動かすと間違いなく過労死するよな。
というかそれだと、リアルタイムに配信するとか無理だだから、それなり「まとめて動かす」だとか、「PCに一つ一つの動きをシミュレーション」することが必要なわけだ。
胸の揺れ、というか人体のモデルの動きってのはなてのはな、あれは基本的にはボーン(スケルトン)を入れて動かしてんだ!!!ボーンってのは3Dモデリングの骨格みたいなもんだ。
骨格だから、モデルの中にボーンってはあるんだ。基本的にな。ボーンが動くだろ?そんでな、その周りの点もそのボーンの動きと似たような動きをしてくれんだよ?わかるか?
例えるなら、わたあめあんだろ?ボーンってのはわたあめに突っ込んでる割りばしだ。そんで、3Dのモデルってのはわたあめだ。割りばしが動くだろ?するとわたあめも一緒についてくるよな?
そのボーンに対して、人間の動きの関節とかとモーションセンサーとかでトラッキングしてからVRのモデルってのは動くってわけだ。それこそリアルタイムでな。
そんで、そのボーンの仕組みを使っておっぱいを揺らしてだよ!!!!
んでな、一方でな、服だとかが揺れるとするじゃん。あれをキチンとリアルに「揺れ」を表現するなら「物理演算」ってのをキチンとしないと上手く動かねぇんだよ。
頂点データがあんだろ?その点をな一つ一つ物理演算で計算すんだわ。重さやら、張力やら、空気抵抗やら、風の影響やら、摩擦力やら。
頂点なんて、それこそ数百~数万もの頂点をひとつ一つやるんだ。マシンパワーどれだけ使うと思ってんだ!
あと、コスチュームなんてもんは、1キャラクターに対して複数つくってるパターンもある。
だから、それら一つ一つに対して、「揺れ」をつけようなら、非現実的だし、マシン的にも、コスト的にも不経済すぎんだよ!
いいか!!VR技術ってのはまだまだ発展途上なんだわ。だから、みんな必死こいて工夫して、頭のなかの妄想を現実にしようと躍起になってんだよ!
もちろん胸の動きが気持ち悪いってだけならそうか、努力するわってなる。
勘違いしてほしくねーのはな。もういちど言うが、
おっぱいだけ揺らしたいわけじゃねーんだよ。
それで、おっぱいが比較的に手軽に揺らせるから揺らしてんだ!!!
というかな!
てかな
頭の中を画面に投影するだけでどれだけエネルギーを使うと思ってんだ!それをやってから、言えよボケが!ゴミフェミニストが!
あと乳揺れが必要がないって言ってるやつら!
「乳揺れが気持ち悪い!!!」って批判なら甘んじて受けよう。そこはしっかり改善していくがな
(追加)
揺れてない例を挙げるやつら!それは正しい!非常に正しい!「揺れてないよう」に見える。わたしも、陸上の例とか見せてもらった!でも、果たしてそれらは「揺れてない」ように見えて、実は「揺れている」のだ。
たとえば、体内のことを考えて欲しい。肩や腕を動かしたり、折り曲げたとしよう、そのとき、筋肉が伸びたり縮んだりするだろう。その時に、例えば胸の筋肉は全く動いてないだろうか?その筋肉に合わせて皮膚はどうなってる、だろうか?
私が言いたいのは、「リアリティ」の話だ!躍動感だ!モデリングが「揺れてない」というのと、実物は「揺れてない」は意味が違う!このへんは、すまなかった!正確に言えば、私が「揺れてない」というのは、胸が「動いてないに」近い!それはあり得ないことだ!
この辺は実際にモデリングしてないとわからないことのように思う。だから、正直、胸を動かすとき、全く「揺れ」を意識しないモデルと、「揺れ」を意識したモデルを比較して欲しい。(私が作成した同じモデルをアップしてもいいのだが、身バレが怖いので、控えさせて貰う。)
胸が「動いてない」というのはとても、無機的な機械的な感じがするのだ。しかしながら、人体の柔らかさを表現するとすれば、ある程度「揺れる」というのは必要なのだ。例えば、フィットボクシングのモデルなんかとても無機的でゴツゴツしているように感じる。あれをみんなはリアリティを感じてやってるのだろうか?
(追記終わり)
(追記2)
技術者倫理の講習なり講義なり受けたことあるのか? 技術的にできる・できるようにしたい、と 社会的にやってもよい は違うのよ?
「なんでも揺らしたい」「よりリアリティを表現したい」と言っただけ。もちろん法的規制があれば従うけど?
「社会的にやってよい、いけない」というなら、我々も社会の一員であり、対話が必要なんじゃねーの?
技術者倫理がどうこう言ってるブコメが星集めてるが、別に乳揺らすぐらいで倫理観問われないだろと思うのだけど。。。俺も大学で講義受けたけど、あれは犯罪とか不正に加担するなぐらいの意味合いと受け止めてるよ
だよねぇ。
男性器を揺らせば?
というかんじのいくつかきたけど、発言の意図が分からんかったが、まぁ、表現できるなら表現するよ。むしろリアリティを出すならやるべきで、男性の下半身の動きを考えるならばむしろやった方がいい。
(私は参考になるようなモノを持ってないので、特に勃起してないときのちんちんとか金玉の動きってのはよく分からないので、むしろ資料が欲しい。ちんちんにモーションキャプチャーつけてるやつください。おっぱいにモーションキャプチャーしてる研究ならある。)
まぁ、ここに突っ込みが沢山くるかなと思ってたので、安心する。
もちろん、これは極端な話ではあるので、もっと技術というか表現者の側の都合やらを考えてほしかった。
エンタメ業界で仕事してるなら、自分がやってることが「厳密な物理シミュレーション」ではなく、ターゲット・オーディエンスの欲望を先廻りして(媚びて)要素の取捨選択してることはわかってる筈。わかってるよな…
これは全く意見が違いますね。「厳密な物理シミュレーション」ではないのはあってますが、ターゲット・オーディエンスの欲望を先廻りして(媚びて)るわけではない。欲望の把握はしている。
会社所属の本職3Dデザイナーだけど、揺れそうなもの脳死で全部揺らすのはただのアホです。「実は揺れている」レベルのリアリティの話するなら、呼吸による腹部の膨張の方が現実ではよほど変化量デカいんだわ。
これはその通りです。というかむしろ、喋りだったり、歌ってるときだったり、マイクとかで音声入力から動きが補完できるような仕組みがあればいいっすね。
どうせ揺らすなら、腕や腰をなめらかに揺らせよ。今の動き方は、カクカクしていて、ぎこちないだろ。剛体のロボットみたいだ。 ここをなめらかな動きにする方が先決だよ。
正しすぎる指摘。こう全うな意見を聞くと感動で涙がでる。努力します。
共広告の話であるのに「表現者」がどうこう言い出すこと自体がおかしいんだよね。表現が自由であるべきというのは基本的にアートの話。広告は他の目的のための手段なのだから、当然に制約がある。
ああ、なるほど、私は広告の文脈関係なく「どうして胸をそもそも揺らしたいのか?」という問いに答えてるにしか過ぎない。
ただ、そういう文脈になったら、私も「ほんとはこうしたい」みたいなのを抑えて制作しているよ。
でも、政治的はこと言うとすれば、「表現者は発言せずとにかくモノ作って語れ」と言わまくって、で言わなかったら、
表現者のやりたい要求が通ることがほどんどないみたいな現実はあるから、なにか表現者側がもっと表現の都合とか意見をどんどん出さないといかんなとか考えてる。
今の表現の制約状況みてみると、最終的にディズニーの表現しか残らない気がして、ちょっと危惧している。
元増田は揺らすなとは言ってないぞ。揺らす場をわきまえて欲しい、って話だろ。そこに「ボケが」とか言っちゃうのはどうよ?わきまえようぜ。
すいませんでした。タイトルしか読んでないもので。(ついでに日頃の鬱憤みたいなのを晴らしたかった)
(追記3)
いろいろ書いたけど、結局のところ、表現者が制作したいこと意志だったり技術だり、そういうことを無視して、勝手にいろいろ作品を決めつけられて。そういう、生み出した人と乖離したところで、ごちゃごちゃ扱われて。そういうことにクリエイターへのリスペクトの無さ、存在の無視、それにムカついていたことに気付きました。同時に結局なにも作ったこともなく上から目線で偉そう決めつけて語る未熟者ばかりなんだなとも感じています。
いろんな意見が来てますが、私の意見ちゃんとくみ取って批判してくれている人もいる一方で、
自分の意見が言いたいだけの、自己満足コメントのオナニーを見せつけられてると気づいたので、そういう人にこれ以上コメントしても伝わらないと感じたので、
以上。おわり。
(追記4)
すいません、これが最後です。似たような感じのこと記事があったので、リンクしておきます。
https://togetter.com/li/1777103
https://twitter.com/mangeidou/status/1439397512490590218
戸定梨香(@Tojou_Linca
)さん関連の議論を見ていて、技術的な面、コスト的な面及び、モデルデザインを製作する人の存在まで考えた議論をしている人が少ない(特にモデルデザインを製作する人の存在は無い物にされている様な節がある)と思ったので、今回ツイートさせて頂きました。
鰻鯨瞳和尚 拝
「競技用のアーチェリーや和弓は競技レベルの威力だから問題ない」ってアーチェリー協会の識者が警察にほざいてたけどさ
アメリカのアーチェリーハントでは鹿やイノシシ猟の最低張力が28インチで45ポンドなんだよね
和弓(85cm)で言えば約18kg、男子高校生や男子大学生の平均弓力でイノシシを狩れるデータがあるわけ
150ポンドのクロスボウですら10インチ(25.5cm)しかないから
和弓に直した場合は(85/25.5=3.333)だから20kgくらいになる(アーチェリーなら24kg(52ポンド)
どっちも普通に競技で使われてるレベルの威力だし、アーチェリーの一番長い距離なら50ポンド超えはザラ
引くのに時間がかかるっていうけど、和弓の型通りなら的前にたつの結構かかるけど
アーチェリーなんてぶっちゃけ18m先のドア大の大きさの的になら一日練習したら当てれるようになる程度
こんなのクロスボウとそう大して変わらない
所詮弓矢の一種なんだから弓矢とそう対して威力変わんないんだよね、中世末期の何百キロもある戦闘用クロスボウを基準で考えてるからおかしいだけで
個人的に思うのは、そんなくっだらねー規制に警察動かして余計な税金使うくらいなら
もっと別のところに金使えよって話
「ハンバーグの中に髪の毛がびっしり入っていた」っていう話があるじゃん?
あれって複合材料として応用できないだろうか。
一般に人間の髪の毛は延性に優れており、特に縦方向への衝撃に対して非常に強い耐久性が見られる。
その強さとしては、髪の毛10本の束の限界張力が、およそ1.5kgであることからも分かるであろう。
反面、横方向からの切断などにおいては脆性が見られることから結わえるなどの工夫が必要であった。
しかし「ハンバーグの中に入れる」ことで双方の性質を活かしたまま材料として用いることが出来るのだ。
ハンバーグのタネは非常に脆く、ツナギとなる卵などを用いて補強することが必須である。
そこであらかじめ内部に毛髪を導入することで、この工程を省略しつつより頑強なタネを作ることが出来るのだ。
加えて、髪の毛入りハンバーグはハンバーグ面に対して平行、すなわち横方向に埋め込まれている。
そのため食事の際にナイフの衝撃が垂直に入り、持ち前の脆性によって無理なく食事も可能となるというわけだ。
人髪の耐久温度は154℃であり、それ以上の温度となると分解あるいは強度低下が見られる。
そのため加熱が必要なハンバーグのタネとの相性が悪いのではないかという懸念が挙げられるであろう。
確かにハンバーグを作るのに必要な温度は180~230℃とされる。しかしそれは表面温度に限った話である。
タネ中心部の温度としては65~80℃であることから、この熱的問題は素材の耐久性に関与しないことが明らかとなっている。
むしろ、毛髪の「降伏応力(毛髪を引っ張って離したときに、元の状態の長さまで戻ることができる最大の力)」は湿潤時に低下することが知られている。
そのため、十分な加温により乾燥状態を維持することが出来れば、常に毛髪の耐久性を損なうことなくハンバーグの耐久性を上昇させることになる。
その点でも、毛髪の有する問題点をハンバーグによって解消できる。
このような相補的な性質から、髪の毛入りハンバーグは非常に理想的な複合材料であるといえる。
食欲が湧かない。
以上より、髪の毛入りハンバーグは理想的な強度を有することが判明した。
「NHK」でググると、エッチな画像が出てくる場合があるようだ。
まず3人のむちむちの人物が半裸で直立している。文字通り画面下から上に向かって突っ立っているという意味だ。
下着と見まごうような薄い生地にははっきりと体のラインが浮き出ている。
なんの言い訳もないとでも言いたげな腹直筋が、僧帽筋が、大胸筋までもがくっきりと浮き上がっているのである。
ぷっくりと肥大した大円筋と広背筋のコンビネーションにより腋を締めることができぬ有様。
薄手のハーフパンツもまたぷりぷりの筋肉にぴっちりとまとわりついて今にもハチ切れんばかりだ。
遺憾なく鍛え上げられた大殿筋に搾り上げられて、マエにも相応の張力が生じているのが見て取れる。
もっこりと主張するそれは堂々たるもので、出演者の威厳も相まって見るものを圧倒さえするだろう。
まだ続く。
上述の人物が床に伏せて、プッシュアップ動作している画像が出てくるのである。いわゆる腕立て伏せです。
大きな体を二本の腕で支え、挙上するのだから必然的に大胸筋が隆起する。これ自体は自然の摂理でしかない。
しかしそこに二つの丘とタンクトップが作る魅力的な小さな三角形は人智の極みともいえるアーティファクトなのだ。
胸の谷間は多くを語らない。奥を見通そうとする浅はかな人心を笑うかの如くフェイド・アウトしてしまう。見たい。だから自然と首は天を仰ぎ目は画面を凝視するので鼻の下が伸びる。
むちプリの完璧ボディは完全にエッチの権化である。エッチが形をとってこの世に顕現したらこんなであろう。
こんな人物に往来で遭遇した日には二度見三度見は必至。横乳が完全に見えているんだもの。場合によっては四度見五度見も辞さない。事と次第によってはこちらもぱっつんぱっつんだ。
原文:
https://bg.battletech.com/universe/battlemech-technology/
BattleMech Technology
現代型バトルメックは、3000年以上にわたる戦争技術の発展がたどり着いた最終的回答だ。恐るべき破壊力と並ぶものなき機動性を融合させたバトルメックは、かつて製造された中でもおそらく最も複雑なマシンだろう。31世紀の戦場におけるまごう事なき支配者であるバトルメックは、その至高の王座を今後数世紀にわたって保障されているかに見える。
1機のメックは数千種類の構成要素からなるが、大まかには6つのグループに分けることができる。コクピット、シャーシ、推進・移動装置、電源システム、装甲、武器と電子装備である。以下ではそれぞれについて解説する。バトルメックの大多数は二足歩行型である。しかし、四足(もしくは四脚)型設計のバトルメックも少数存在する。
全てのバトルメックにはコクピットがある。普通はメックの「頭部」に位置する。あるいは、それに近い部分におかれる。また、コクピットのサイズはメックによって異なる(メックが大きければコクピットも大きい)とはいえ、すべてに共通する特徴もある。
コマンド・カウチは、6点ハーネスで固定されてメック戦士が座る所だ。メック戦士の冷却ベストとメディカルモニタはこのイスに接続されている。また、イスの背には衣類や非常食を入れる小さな収納がある。加えて、強制射出を強いられる際には、コマンド・カウチがコクピットから脱出するメック戦士の乗り物となる。爆破ボルトがコクピットの上部または側面を吹き飛ばし、ジェット噴射で安全域に向かう。
コマンド・カウチの肘掛部にあるジョイスティックによって、メック戦士はメックの腕を操作し胴を旋回させる。さらに武装の照準を合わせ、発射する。フットペダルはメックの脚部による移動をコントロールする。そして、両足のペダルを踏み込むと、メックのジャンプジェット(もし装備されているなら)が点火される。
メック戦士の正面にはメインスクリーンがあり、コンピュータが描き出す周囲360度の視界が正面に一目で見えるよう圧縮されている。照準用のレティクルがスクリーン上に現れてジョイスティックの操作に追従し、ターゲットをロックした際にはそれを表示する。スクリーン上の画像を拡大することも出来る。
メインスクリーンの上下左右における副次的なモニター群の正確な配置は設計によって異なる。レーダースクリーンはメインスクリーンの直下に配置され、様々に設定を切り替えることができる。設定には標準、赤外線、磁気異常、動体などがある。状態表示図はメックの外見が線画で描かれたもので、外部と内部が受けたダメージのみならず、攻撃力・防御力についても常時表示する。マップ・ディスプレイはコンピューターに記録済みの地図セットにロードされた、ほとんど無数にある地図を切り替えて表示できる。場合によっては、現地の衛星や部隊司令部に接続されてリアルタイム画像を表示することさえも可能だ。
上記の様々なシステムも、身長12メートルの金属製の巨人を実際に直立歩行させる神経電位走査ヘルメットがなければ何の意味も持たない。一般にニューロヘルメットと呼ばれるこの嵩張る代物は、メック戦士の頭部を完全に覆い、冷却ベストの肩に固定されている。内部の電極は姿勢、移動、バランス、速度に関する生データを人の脳のための神経電流に変換し、バトルメックのセンサー系からの情報を直接パイロットに流し込む。同時に、ヘルメットとそれに接続されたコンピューターはメック戦士の脳が発する神経電流を制御信号に翻訳してメックのジャイロスコープや人口筋肉に直接伝達する。これによって、パイロットは柔軟な動作を意識せずに制御できる。その間、意識のある脳は自由に各種兵器や他のシステムを必要に応じて操作することができるのだ。
バトルメックは何ダースもの「骨」からなるシャーシを持っている。各々の「骨」は、ハニカム構造の発泡アルミニウム製の芯を、高張力炭化ケイ素の単繊維で包み、更に剛性のチタニウム鋼による防護を施したものである。この人工の「骨」にはマイアマー製の「筋肉」とサーボ機構を接合するアタッチメント・ポイントがあり、これらがバトルメックを駆動する。この骨格構造によって、バトルメックは応力外殻構造の車両に比べてより脆弱性が低く、修理もしやすくなっている。
通常のメック骨格よりも嵩張るが重量は半分という「エンドー・スチール」と呼ばれる特殊なタイプの内部構造も開発されている。
バトルメックは移動と戦闘のために大規模で恒常的な電力供給を必要とする。核融合反応炉はただの水から莫大な電力を作り出すことが可能で、これだけの電力を供給するには最も効率の良いシステムである。バトルメックの発電システムが発生させる核融合反応では中性子は発生しないため、恒久的に運転したとしても発電システムが放射能を帯びることはない。
核融合発電プラントは磁気流体力学として知られるプロセスを経て電力を作り出す。このプロセスにおいては、磁場が核融合反応からプラズマを引き出して円環状にする。プラズマは伝導体であり、ゆえに円環は強力な発電コイルとして機能し、電力と廃熱を発生させるのである。この廃熱の発散を補助するために、バトルメックはどれもヒートシンクと呼ばれるラジエーター(放熱器)を装備している。機体内部の温度が過度に上昇すると、バトルメックの反応炉周辺にある磁気収納容器を破壊してしまう。もしも発電プラントの磁気的な「瓶」が壊れると、制御されない核融合反応が発生し、中性子が放出されるとともにバトルメックの内部システムとメック戦士は致命的な放射線被曝を被ることになる。 一般的に使われるメックのエンジンには、標準型、軽量型、超軽量型の3種類がある。核融合エンジンは軽量型、超軽量型、と軽くなっていくが、サイズは逆に大きく嵩張るも
バトルメックを駆動し移動を制御するシステムには2種類ある。電子的に制御される小さな駆動装置が軽量の兵器とセンサー群を動かす。マイアマー(人工筋肉)と呼ばれるポリアセチレン繊維がメックの四肢や主要な兵器を制御する。マイアマーは電流を受けると収縮するという人間の筋肉によく似た物質である。バトルメックのマイアマーが戦闘中に損傷したなら、技術兵は繊維束を交換するか、メックの骨格の別部位から「移植」することができる。移植されたマイアマー繊維束は損傷した四肢の機能を完全に回復させることはできないが、限定的な機動力や動力を与えることはできる。
バトルメックの歩行もしくは走行速度は、平地であれば時速40km~100km以上に達する。密な森林、泥濘、急斜面では速度が低下するが、メックの足を完全に止めるような地形はきわめて少ない。加えて、多くのメックは、核融合炉で空気を超高温にまで熱し、いわゆる「ジャンプジェット」から噴出させることで障害物をジャンプで跳び越えることができる。(大気を持たない惑星世界で行動するジャンプ可能なバトルメックは、しばしば少量の水銀をジェットの反動質量として携行する)また、全てのバトルメックは河川や小さな湖沼を渡る際には水中行動が可能である。
降下型バトルメックは、低軌道からの強襲降下をおこなうことができる。脚部に内蔵された特殊な反動ジェットによって、320kmまでの高度からの軟着陸が可能となる。再突入の際は、脱着式の融除シールドが脆弱なセンサーや兵装を保護する。
バトルメックの各システムは戦闘中には限界まで酷使されるため、戦闘を開始したメックは速やかに大量の排熱を発生する。この熱によって核融合炉の磁気収納容器シールドが崩壊したり、メックの電子装備やコンピュータシステムに障害が発生したり永久的な損害を与える可能性がある。それによってメックの移動は遅くなり、武器の正確性は減少する。
ヒートシンクはメックの蓄積する熱をコントロールする手段の一つである。これら放熱器から放出される熱は、明確で特徴的な赤外線反応を作り出す事があるが、これによってメックは標的になりやすくなる。この問題を回避するために、メック戦士たちはヒートシンク以外の方法で熱の蓄積をコントロールする方法を確立した。彼らは、自分のマシンを浅い湖や川に配置する。(伝導と対流によって、流れる水がメック内部の熱の発散を助ける)。温暖な、もしくは寒冷な惑星世界では、大気そのものが熱の発散を助けてくれる。一方、砂漠やジャングルといった環境における高い外気温はバトルメックの熱の問題をより悪化させる。
もっとも一般的な熱蓄積の制御法は、メックの移動速度や武器の発射速度を、手動で調整することである。あるいは、メックの移動制御コンピューターやその補助システムをリプログラムしてしまうこともある。これらのコンピューターは、メック各部の稼動率を制限し、結果として熱の蓄積も制限する。たとえば、高温の惑星世界に送られる際は、稼動率は低く設定されるだろう。メックはゆっくりと移動し、温暖な惑星に比べれば射撃の頻度も低下する。極地での戦闘に送られるメックであれば、稼動率は高めに設定され、移動速度も射撃速度も高くなるだろう。リプログラムは通常バトルメック部隊が任地に移動するまでの降下船内でおこなわれる。このプロセスには、約2週間がかかる。
バトルメックは常時、戦闘環境において想定される外気温に合わせて調整されている。そのため、外気温の急上昇はメックの排熱能力に破壊的なインパクトを及ぼす可能性がある。こうしたメックの特性を利用する一連の戦闘技術を、戦術家たちは発展させてきた。たとえば、敵メックが森林を通過中であれば、指揮官がこれに火を放つのは普通の作戦である。超高温にまで加熱された空気はメックの周囲に渦を巻き、冷却システムを破壊するか、能力を劇的に減衰させ、結果としてバトルメックの戦闘能力に負荷をかけるのである。
ARMOR
2層に分かれた装甲による防護が、バトルテックをエネルギー兵器・実弾兵器から防御する。装甲外部層を成す整列結晶鋼はきわめて良好な熱伝導性を持つため、レーザー及び粒子ビーム兵器に対して素晴らしい防御力を発揮する。内部層はダイヤモンド単結晶繊維にしみこませた窒化ホウ素であり、高性能炸薬徹甲弾(HEAP)および高速中性子をストップする。この第2層は装甲の破片が内部システムを傷つけるのを防ぐ役割も持つ。
通常の装甲に加えて、一般的に使用される特殊な装甲が2種類存在している。これについては後述する。
フェロ・ファイブラス装甲(繊維合金装甲)は通常のバトルメック装甲の改良版である。鋼鉄合金・チタニウム合金の繊維を編み上げて引っ張り強度を大きく向上させている。一方で、同重量の標準型の装甲版より体積が大きくなる。
ごく最近の技術であり、現時点ではカペラ大連邦国のみが独占している。装甲の形状と構成をシステムの補強に用い、ガーディアンECMスーツに接続している。これによって比較的遠距離からの照準を困難にし、メックに実質的な「ステルス」能力を与える。
趣味が多い。ぱっと思い浮かぶだけで、
・登山
・パソコン
・ピアノ
・酒
・料理
・DIY
これだけある。うーん、我ながら多い。まあ言うほど多くはないし、熱中具合は分散されているのでどれも大してうまいわけではないが、数が多い。
例えばロードバイク。自分で整備・改造をしようと思って工具やパーツをいろいろ買っていたらいつのまにかメチャクチャ増えた。グリスやオイルとか、外したけどまだ使えるパーツとか、特殊な工具がどんどん増えていく。タチが悪いのが特殊な工具。「後ろのホイールから歯車を外すためだけの工具」「スポークの張力を調節するためだけの工具」みたいなわけわからない工具がどんどん増えていく。2年に1回くらいしか使わないけど、2年に1回使うから捨てられない。言っておくがまだまだ増える予定だ。
カメラだって、交換レンズ5本、デジタル一眼レフ2台、コンパクトデジカメ2台、フィルムカメラ4台くらい持っている。この量というのは、写真趣味の人からすると別に大して多いわけではない。しかし多趣味なので、これが趣味の数だけ、つまり×10くらいあるわけだ。そして趣味も道具もまだまだ増える予定だ。
最近、うちに来る友達や親に「おまえんちは物が多い」と言われる。確かに。物が多い気がする。狭いワンルームにこれだけの趣味の道具を詰め込めば当然そうなる。我ながらゴチャゴチャした部屋だ。
これは多趣味な人に共通の悩みだろうけど、多趣味で部屋もきれいな人はどうしているんだろう。不思議でしょうがない。四次元ポケットでも持っているんだろうか。掃除はしているので不潔な部屋だとは思わないが、ここまでゴチャゴチャしていると将来結婚したときに嫁に物を捨てられそうだ。皆どうしているんだろうか。
意識高い系の人…自分にも他人にも厳しい。べき論に凝り固まりやすい。
意識高い人…ベースとなる本心の部分で、自分にも他人にも過度に期待しない。が自分の仕事は客観的に相当高レベル。
なぜ期待値を低くしておけるのか、というと、意識が高いゆえに、人間の限界や多様性を熟知しているから。
自分や他人に常に強度のテンション(張力)を掛けておくことが必ずしも最適解ではないと知っているので、寛容になれる。
もちろん表面上、他人に期待をかけることはある(大抵は有効なので)が、仮に失敗してもひどく叱責することはない。
それどころか寄り添って、上手に褒めながら行動修正を相手に自ら引き出させることができる。
某合衆国の宇宙開発関連部局の人間が、非公式に我が国の外洋沖合に軌道エレベーターを設置したいと打診してきたのだが、予定地は本来理想とされる赤道周辺から緯度が外れ過ぎていてケーブル強度と張力の関係から底部を地上に固定することが難しいため、下端が空中に浮かんだ極超音速スカイフック構造を採用する計画になっている。
軌道エレベーターは本来、地上と軌道上との移動コストを縮めるためのものなのに、外洋の、しかも大気圏よりも高い位置に地上側ステーションを設置する超音速スカイフックでは経済効果が見込めず、我が国としては反対の意思を伝えたのだが、彼の国の機関は聞く耳をもたず、我が国政府の頭越しに国内の某旧財閥系企業と直接交渉を進めている。
日銀や経団連など経済界の主だった面々もはじめは反対していたのだが、某旧財閥系企業が提示したエレベーター外郭施設の建設・整備による経済効果の試算がひどく気に入ったらしく、今ではエレベーターの話ばかりしている。
地上側ステーションを空中に建設した場合、地上からステーションまで別途ロケット等での輸送が必要なので、運用費用も普通の軌道エレベーターに比べて多く掛かるし、そもそもロケットで軌道まで上がればいいじゃないかと思っている。
ロケットなら打ち上げも再突入も任意の地点で可能なため輸送量拡大も余裕であるが、軌道エレベーターはペイロードにも限界があるため将来的な苦しさがある。
知らない人も多いかもしれないが、日本の30以上の地方自治体で成立している。先日大阪市でも成立した。
(https://www.jfd.or.jp/sgh/joreimap)
ここまで多くの地方自治体がこういった条例を作っているのなら、国が手話言語法を制定してしまえばいいじゃないかと思う方もいるかもしれないが、国がやってくれないのである。
一部の聴覚障害者や関係者が制定運動をしているのだけれど、なかなか実現しない。
仕方ないので、地方から国を動かしたろということで2013年に鳥取県が制定したのである。それから全国に手話言語条例が乱立し、世はまさに手話言語条例戦国時代!状態になったのである。
とりあえず手話言語条例がどのようなものかを理解したければ、実際に条文をよんでみるのが一番だと思う。原典アタック。
最近はいろんな手話言語条例が成立したので変わったものもあるが、ベーシックな原点の鳥取県手話言語条例でいいかな。
http://www.pref.tottori.lg.jp/222957.htm
23条しかないので、全文を読むのにも大して時間はかからない。法律に出てくるような難しい言い回しもないので簡単に理解できる。
最近は変わった手話言語条例を制定しよう(京都市の観光客向けの手話言語条例とか)としているところもあるみたいだが、基本は大体この鳥取県の条例と似たようなもんである。
結局のところ、総合的に見て各地の手話言語条例に書いてあることの基本をおおざっぱにまとめると以下の2点のようになる。
②手話を普及させることで聴覚障害者やその関係者等の暮らしをよりよくする
(具体的には、鳥取県の例でいえば手話通訳者を育成したり関連の事業者をサポートしたり県民のための手話講座を開いてみたり小学校で手話を教えてみたりしているようである。)
こうして見ると、①はあくまでも理念的なものであって、この条例の本質は②にあるのだろうと思う人が多いだろうと思う。少なくも鳥取県のケースはそのようになっている。
しかし、一部の聴覚障害者にとっては①、つまり手話を言語として認めてもらうことは②と同等、あるいはそれ以上に大事なことで、彼らの人生にとって極めて重要なことであると考えている。
「手話が言語であると条例や法で認められたとしたって何が変わるのか?どうでもよくないか?」そう考える人もいるだろう。
しかし、そのことを考えるにあたって、まずは手話というものについて掘り下げなければならない。これは非常に厄介な問題なのだけれど、がんばって簡潔に説明してみる。
手話というものは世界中にある。アメリカであればアメリカの手話があり、韓国は韓国の手話、そして日本にも日本の手話がある。
ここまでは普通の言語と変わらない…のだが、日本の手話は少なくとも2種類のものがある。(もちろん方言とかではなくて)
A日本手話 と B日本語対応手話 である。どう違うのか。説明する。
Aの日本手話は一言でいえば、「日本語とは異なる、一つの独立した言語」であるといえる。
私は言語学には疎いので言語の定義もよくわからないが、重要なのは独自の文法を持っているということだろう。
手話の文法の具体的な説明は難しいが、まぁ英語に似ていると思う。
日本語の「私は 手話を 勉強 しています」という文を無理やり日本手話にしてみると、「私 勉強 している なに? 手話 です」とかそんな感じ。
実際にはこれを踏まえてこまかい表情や首の動き、眉の動きなんかも文法の一要素としてあるようで、日本語をしゃべる人間にとってはややこしいし難しいしわかりにくい。
手話言語学とか文化人類学とかで研究されているので、興味のある方はそこらへんの本でも読んでみるといいかもしれない。
とにかく、日本手話というのは聾者と呼ばれる人が使う独立した言語なのだ。日本語とは違う言語。これが重要。テストに出るぞーレベル。
そして、Bの日本対応手話はどうか。「日本語の文法に手話の単語をあてはめただけのもの」とでもいえばいいだろうか。
こちらは日本語でしゃべるのに合わせて手話の単語を出せばいいので簡単に習得できる。
日本語で「私は 手話を 勉強 しています」と口で言うときにそれぞれの単語のところでその手話をだせばおしまい。表情や首の動きもいらない。楽ちん。
この手話は日本語の文法ありきのものであって、独自の文法を持たない。言語学をよく知らなくても、それでは独立した一つの言語ではないということはなんとなくわかるだろう。
むしろ、これは言語というよりは筆談やノートテイクのようなコミュニケーション補助のためのものと解したほうがいいかもしれない。
大学の手話サークルとかはだいたいたぶんこっち。Aの日本手話をやっているところもあるのかもしれないが、そちらは難しいので手話を勉強しようと思うと最初はこれを使うことになるだろう。
聴覚障害者の中でも軽度のものだったり、聾学校ではなく普通学校に通っていた人や中途失聴者は日本語の会話(口話)の補助としてこれを使う人が多い(と思う)。
ただし、この二つはきれいに分かれているわけではない。二つが混ざり合うこともある。
けれど、この二つは対立関係のような部分もある。Aの日本手話の話者によってはBの日本対応手話はまがい物である!という人もいる。
これを巡ってはかなり論争があるというかめんどくさい感じに聴覚障害者の中(聾者対難聴中途失聴)で内ゲバっちゃってる。ここでは書かないけど。
とにかく、大事なことは手話の中でも日本手話というのは独立した言語であるということである。
私は言語学も文化人類学もまったく勉強したことはないが、言語というのは文化と密接な結びつきがあるというのは間違いないだろう。
そして、上に挙げたAの日本手話という言語は「ろう文化」というものを形成する。そしてそのような文化圏にいる人は自らを「聾者」と名乗る。
逆にそうした文化圏に入らないような聴覚障害者を「難聴者」と呼ぶ、あるいは自称することがある。
(「聾者」「難聴者」の定義は不安定で人によっては違うのだけれど、とにかくここではこのように理解しておく)
それでは、この「ろう文化」と聾者はこれまでの歴史においてどのように扱われてきたか。
結論からいうとひどいものだった。マイノリティとして抑圧されてきた。
特に酷い例でいえば、彼らは日本手話という自らの言語を奪われることもあったのである。
細かいところはここに載っているが、(http://www.d-b.ne.jp/d-angels/sub4-3.html)
日本の社会において日本手話は役にたたない、要らないということで聾学校で手話が禁止され、口話(残存張力と唇の読み取りで頑張るだけ)を強制されたのである。
その結果、上手に喋ることができるようになり、聞こえるようになった聴覚障害者がたくさん出てきたかというとそうではない。良い効果はあまり得られなかったのである。
それどころか、生徒は学校で自らの言語をつかうことを禁止されたことに苦しむことになる。
手話を使えば手っ取り早く友達と楽しく会話ができるのに、不慣れで不自由な口話を強制される…。
そしてこの抑圧は当時の生徒に大きな悲しみと怒りを植え付けることになる。
そして、この抑圧が彼らを固く結束させる。自らの誇りある言語、日本手話を守ろうと。
もうおわかりになると思うが、このような歴史の中でマイノリティとして抑圧されてきた事実に対する憤り、それこそが手話言語法制定運動の原点である。
いまいちわからないなら例を考えてみよう。例えば日本語が禁止されたとしたら。
敗戦直後にGHQが学校で「ジャパニーズは言語としてダメ!これからは君たちはイングリッシュをしゃべるんだ!ジャパニーズ禁止!」とか教える。
そんな感じだろうか。だいぶちがう気もするけれど。まぁ、でもすごく不快だよね。
(日本手話はマイノリティだったという点で日本語とは異なるので不適切な例だろうと思う。)
そんなことが実現したとは思えないけれど、とにかく大事なのは自分たちの言語が奪われるというのはその言語の文化に属する人間のアイデンティティにとっては大いなる損失になるということである。
某ゲームでも「人は、国に住むのではない。国語に住むのだ。『国語』こそが、我々の『祖国』だ。」なんて言葉が出てきたしね(ルーマニアかどっかの思想家の言葉らしいけれど)。
手話言語条例・法というのはそうしたろう文化に属するもののアイデンティティの名誉の復活を意味するものでもある。
だからこそ、手話を言語として認めてもらうこと、それ自体に大きな意義があるのである。
まず、手話言語条例の「手話」というのが何を指すのかという点で微妙である。
例外はあるけれど、基本的にどこの条例も手話というものがAの日本手話だと明記していない。
これは各自治体が二つの違いを理解していないということではない。
二つの違いを理解した上でBの日本対応手話を使う難聴者に配慮しているという形になっている。
上にも書いたけれど、この二つは対立関係にあってものすごくこじれている。
だから、片方だけを優遇してしまわないようにするという形にしている。
ちなみに、例外としては、埼玉県朝霞市の「日本手話言語条例」で、こちらは日本手話と明記している
https://www.city.asaka.lg.jp/uploaded/attachment/29886.pdf(pdf注意)
『第2条 この条例において「日本手話」とは、手、指、体、顔の部位等の動きにより文法を表現し、日本語とは異なる文法体系を有する言語のことをいう。』
という風に定義している。
しかし、こういった条例というのは、私の知る限りここしかない。
もっといえば、聴覚障害者自身でさえどうして手話言語条例を制定しようとするのか、そこの目的が人によってぶれている。
実をいうと、聴覚障害者の中で日本手話を使うろう文化圏に属する人間は少ない。多くは難聴者と呼ばれる人間だと言われている。
当然だが、こうした人たちは手話言語条例を「生活がよくなればいいな」ぐらいにしか捉えていない。
そして、聾者の中でも若い人は上述した日本手話の歴史に疎い人も多いので、中にはも「生活がよくなればいいな」くらいにしか捉えていない人もいる。
もちろん、それが悪いわけではない。ただ、本来の目的からずれ始めているのだ。
そして、結局のところ、世間(聞こえるひとたち)での受け取られ方というのはつまりだいたいこんな感じだ。
「手話言語条例?これで聴覚障害者たちの生活がよくなればいいね!」とかそんな感じである。
この受け取り方がまずいとは思わない、思わないけれど少し浅いというか、これでいいのだろうか。
聴覚障害者について知る機会もあまりないのだから仕方ないだろうとは思う。けれどもやっとするところである。
というわけで、長くなったけれど手話言語条例・法について書いてみた。
何かの参考になればいいかな。