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2024-03-14

サルベージした日記

 私の故郷は、海抜六〇〇メートル丘陵地に佇む半農半漁の村で、後方は形のよい峯が三つ並び、前方には大きな入江があって多島海に伸び、子供の頃は、その入江で魚つりに興じました。

竹の棒に糸を張った粗末な釣具で、餌もミミズでしたが、満潮の時などは入れたら釣れ、入れたら釣れで、一時間もすれば小鯛などバケツいっぱいになりました。

腹が立つのフグで、五回に一度はかかり、フグに毒があることは子供にも分かることでしたから、腹立ちまぎれフグの白い腹を石にこすりつけるとみるみる大きくなり、このガキッとばかりに思い切り石に叩きつけと、パーンという音がして腹が裂け、溜飲を下げました。

 私は五人兄弟次男として畑仕事や魚釣りに勤しんでいましたが、田舎の貧しい暮らしから豊かな生活を夢見て、一足先に日本へ行った八歳年上の兄祥雨を追いかけて◇◇へ来ました。

その時十七歳で、一九三九年でした。兄は布施(東◇◇市)でセルロイド工場経営し、腕輪やクシを作っていました。

その兄の元へ身を寄せ、普通学校四年を卒業したものの、価値ある社会活動をしていくためにはさらに学が必要だと感じ、向学心に燃えて◇◇・東成区夜間学校(◇◇商工実務学校)へ通うことにしました。

工場住込の私の仕事はまず、朝五時に起きて無煙炭をおこし、六時半に出勤する職人さんの仕事に間に合うように湯を湧かしておくことでした。

そして、仕事が終わるのは夕方の六時。急いで自転車を走らせ学校へ行き、帰りは一〇時で、それから夕食をとり、深夜の一時過ぎ、二時過ぎまで勉強して、寝るのが連日三、四時間でした。

休日は一日と一五日でしたが、それも畑仕事に追われました。

 その死にものぐるいの努力が効を奏して、成績はトップとなり、幸か不幸か、級長をやらされました。

戦時中でしたから、訓練ばかりで、「前へ進め」「全体とまれ」と号令をかけるのが級長の役目でした。

ところが、私は強度の「どもり」でしたから、その号令の文句がなかなか言えず、落ち込んでしまって、《死んでしまおう》と何度線路に寝込んだかわかりません。

星の光が目に入るたびに、《ちょっと待て、死ぬんだったら、もういっぺん努力してみよう》という気持になり、「どもり」の矯正学校を五つも修了して、死ぬほどの努力を重ね、矯正しました。

こうして、《ヤレバデキル、ダメナコトハナイ・・・》の信念を貫いて苦節の日々を克服したことが、大きな自信となりました。

 終戦後の一九四八年のことですが、体を悪くして、マイシン注射を打ったところ、耳に障害が発生し、聞こえなくなってしまいました。

これまた、苦節の日々で、断食をしたり、いろんなことをやってみましたが、完治するまでには至らず、補聴器の世話になる毎日となりました。

ところで、戦争は激しくなり、私も協和会の勤労報国隊に徴用されて、九州炭坑で二ヶ月ほど働かされました。

石炭を掘って出てきたら顔は真っ黒で、目が辛うじて見え、つらい日々でした。

そうこうするうちに戦争が終わり、兄はそのまま日本に残りましたが、私は里心がついて故郷へ帰りました。

ところが、祖国はとても住める状態ではありませんでした。

日本兵が釜山の港からどんどん引き揚げて行くさなか、私も小さな船で玄界灘の荒波を掻き分け、決死覚悟日本へ戻ってきました。

一九四八年に兄と、資本金二〇万円の◇◇グリップ化工株式会社設立し、自転車ハンドルグリップセルロイド製造し、販売しました。

以来、資材をセルロイドからプラスチックに変え、◆◆◆グリップの普及に努力しました。

その途上、兄を交通事故で失い、私が会社を引き継ぐことになりましたが、中小企業信用保証協会や育成協会から資金融資韓国人業者としては第一号だと思います

 一九九〇年に◇◇グリップ化工から◆◆◆技研に社名を変え、現在では日本全国の占有率九〇パーセントを獲得し、一億人以上の人に◆◆◆グリップを握ってもらっています

私は、金属木材等で作られている従来の物をプラスチックに代えて作るという物づくりを企業の基本理念の一つにしてきましたから、事業の発展に伴い、グリップの他にも車輪、カゴ、チェインケース、泥除け等、タイヤ以外のものは全てプラスチック化し、その間の特許も数百にのぼって、◆◆◆製品世界ブランドとなりました。《継続は力なり》の精神で、より精度の高い関連商品の開発に努めています

 一九六〇年頃、日本韓国との間にはまだ国交はなく公式には往来できない時で、金融機関祖国産業視察団の一員として、初めて祖国訪問しました。

公式の日程を終えて、私の生まれ故郷に帰りました。

懐かしい山河景色幼なじみの顔、感激の涙に浸るばかりでした。

その感激もさめやらぬ時、町からキロも離れていず、一六〇戸もあるわが懐かしい村には電気水道設備もないことに気づき、昔と変わらぬ貧しい古い部落がそこにありました。

故郷のために何かしてやりたい》という衝動かられ、その後、回を重ねて訪問する毎に藁葺きの集会所を二階建の近代的な建物にして

事務所や老人らの憩いの場に使用できるようにし、また、電気架設の資金協力や子供たちの遊び場等も寄贈し、植木スピーカー等も添えて故郷の人の心を癒やすことに努めました。

 人間は誰しも食うがため、生活するがために働き、事業するものだと思いますが、私もご多分に漏れ世間並みの生活を夢見て渡日し、口では言えない苦労と努力を重ね、一応の目的は達したと、自分を顧みています

これまで、通産大臣府知事税務署長などの表彰を受け、韓国政府から国民勲章冬柏章を受章しましたが、私の企業活動に対� =キる評価だと喜んでいます

現在、◆◆◆ー技研のグループ企業として◆◆◆販売韓国◆◆◆があり、◆◆◆技研は私の長男に任せています

◆◆◆販売は兄の息子が取りしきり、ヘルメットを中心としたオートバイスポーツ用品製造販売し、韓国◆◆◆は弟の息子が社長を務め、スキー水泳用品を主力としたスポーツ製品製造販売し、輸出による外貨を稼いで祖国経済発展寄与しています最近中国青島にも進出し、六〇〇人ほど雇用しています

 兄の処世訓は《まず、自分自身が立派になり、次に家族の支えなり、その次に身近な社会に貢献する》ということでした。

私は、兄の遺志も引き継いで、家族会を設け、年一回会合を開いて、十親等以内の全学徒に、成績に応じて奨学金支給しています

その家族会の会長は私ですが、弟の息子がすべて代行してやってくれています

いわば、祖国故郷で私の夢を実現してくれる代理人のような存在です。後は、全家門の子孫たちが末永く仲良くしてくれればいいと願うばかりです。

振りかえってみれば、私の人生は苦しいことのみの連続で、喜びや楽しみというものがあっただろうかと思う時がありますが、◆◆◆販売の新社屋落成式(一九八四年)に、私が挨拶をし、息子夫婦、兄の子夫婦韓国の甥夫婦を紹介し、その三人を後継者として披露しました。

三人はそれぞれに立派に成長してくれ、私の夢を実現してくれる後継者になってくれたことが人生最大の喜びです。それに子孫たちが、私の喜寿(七十七歳)をニューオオタニホテルで祝ってくれたことも忘れられない喜びです。

 外孫まで入れると四十五、六人になりますが、アメリカに行っている七、八人の子孫たちもその日(一九九八年九月一八日)にはみな帰っ� =トきて祝ってくれました。

私たち韓国人は、税金人一倍納め、社会に貢献しているにもかかわらず、後ろ指をさされる傾向が強いのですが、人間というもの生存競争なかにあってライバル意識を持ち、自分より事業を大きくやっていたり変わったことを大きくやっていたりすると、ねたみの心が出てきて、あらぬ中傷に走るのではないでしょうか。

私たち韓国人の側にも虐げられたひがみ根性というものが抜けきれないのではないかと思いますが、真面目に生き、社会に貢献していくことが肝心で、価値ある社会人になるためには自分自身が努力し、そのためには人の話を聞くことです。

何か疑問を感じたら、聞くのが一番の近道で、その疑問を解いてくれる人が見つかるまで聞きつづけたらいいのではないでしょうか。聞くことにお金はかかりませんし、それが私の処世訓の一つです。

2023-06-12

障害ある子供普通学校普通の学級に行かせるな

障害ある子供の親御さんたち、教育委員会先生たちの薦めを無視して無理矢理普通公立校普通の学級に入れるのはやめろ。

発達障害やら何やらあるが、全国の支援学校支援学級に在籍している知的障害割合が1番多いため、主に知的障害の子供について話す。ただし、他の障害種別でも通用する話ではあると思う。

だいたい、文頭で指摘したような、障害がある子を無理やり他の子と同じ環境に入れたがるような親というのは

自分の子供に障害があることを頭ではわかっていても認めたくない。

特別支援学校(学級)やそこに通う子供、あるいは障害者それ自体に対する強い偏見がある

子供のヤバさ(学力の遅れや集団に馴染めないなど)をきちんと把握できてない

のいずれか、あるいはハイブリッドなのだテレビ等でよく美談のように語られる中では「普通学校で学ぶことの方が様々な経験ができる」みたいな、あたか子供のためを思っているかのような美辞麗句で誤魔化すが、大体はこのどれかに当てはまる。

そもそも普通公立校に通うことが本当に障害ある子供のためになっているのだろうか?中には他の子とお互い刺激しあって力を伸ばす子もいるだろうが、ごくごく一握りだと思う。大半は勉強についていけず、お客さん状態(授業中、発言もできずただ終わりまでぼーっと座ってるだけ)になっているのが関の山だ。仮に学習についていけているとしたら、先生学校の大変な努力配慮の末に辛うじて成り立っているものだろうし、おそらく長くは続かず、学年が上がり内容が難しくなっていくごとに真綿で首を絞められるが如く状況は厳しくなっていく。

そもそも、そのように学習に大変な配慮必要とする子が学級にいることで、先生負担は遥かに増す。私学ならともかく、公立校教員に「一部の子は見捨ててでも授業の進度を優先する」という選択肢はないに等しい。つまり理解に困難を抱える子供への授業作りが主となってしまい、授業内で応用的な内容、ハイレベル適用問題などに取り組むことが難しくなる。また、授業は普通に進めるが、その分ついて来れなかったところは放課後につきっきりで学習するという手もなくはないが、それをするということで先生負担が増えているというのは火を見るより明らか。そして先生負担が増えると困るのは誰か、皺寄せが行くのは誰か。その学級の子である。無理矢理普通級に障害ある子供を入れることにより、巡り巡って自分たちの首を絞めている。自分だけならまだいいが、影響は大なり小なりそのクラスの子供全員に及ぶ。

障害のある子が特別支援学校特別支援学級に入るプロセスのことを「就学相談」や「就学指導」などといった呼び方をする。

おおまかなプロセスとしては

幼児期からの発達の様子を見て、幼稚園保育園などから声がかかる、あるいは小学校入学前にある就学時検診における知能検査などの結果を見て、もしくは小学校中学校在学中に随時学校教育委員会から就学指導を薦められる。

公的機関医療機関などで発達検査を受ける。

③発達検査の結果から教育委員会の人などがその子にあった判定を下す。

④次年度以降、③で出た判定の進路へ進む。

といった流れである。だが、保護者はこのプロセス中いつでもキャンセルができる。保護者が嫌がれば就学指導は中止され、自動的普通公立校普通の学級に行くことになる。また、③で特別支援学校判定が出たとしても「普通公立校支援学級ならギリ許すけど特別支援学校お断り」みたいなパターンもある。というかこのパターンは割とよくある。(普通学校支援学級在籍者のうち、体感1〜2割はそれ)

ここで曲者なのは保護者意向次第でいつでもやめられる」ということ。冒頭で示したように、自分の子障害があると認めたくない人や偏見を持っている人は、そもそも就学指導の話を持ちかけられた時点でブチギレる。プロセスの途中でも、他所から変な知識を入れ知恵されて突然やめたりする。そうなるともうお手上げである。冒頭の黒ポチ3つめのパターンも厄介といえば厄介だが、子供のヤバさに気づいてくれたら考え直してくれることがよくある気がする。(まあ気づくまでに何年もかかって、結果勉強理解は同学年の子より遥かに遅れて取り返しがつかなくなっている事が多いのだが。)

もう一度問うが、無理矢理普通学校普通の学級に行かせることが子供のためになっているのだろうか?

就学指導で「貴方の子特別支援学校判定です」と言われたということは「お前の子バカガイジなんだ」と言われてるように捉えるかもしれないが、そうではない。その子特別支援学校で学ぶことが合っているというだけの話である。それによって何ら人格が貶められることはないし、就学相談に携わる人間は誰もそんなこと思ってない。

環境の面でも大きな違いがある。小学校ではクラスの定員は35人だが、支援学級なら8人、支援学校なら6人であるちょっと考える頭があれば、これだけで雲泥の差とわかるだろう。さらに、支援学校担任が2名になる場合もある。また、学校設備面でも、当然普通学校と比べ遥かに充実している。教員免許特別支援学校用の免許のため、専門的な知識を身につけた教員ばかりなのである。(当たり前だが、普通小学校には小学校教員免許しかない人だって当然いるのだ。)どちらで学ぶことが、子供本人のためになるだろうか、子供本人の成長につながるだろうか。

更に言えば、障害ある子供の将来に関してもやはり特別支援学校にはアドバンテージがある。特別支援学校では「作業学習」という時間があり、職業訓練のような事もする。また、特別支援学校であれば、障害のある人でも就職給料を稼ぐことのできる職場とのコネクションもある。普通校では作業学習時間はないし、就職支援だって特別支援学校専門性には敵わないだろう。

長くツラツラと書いてしまったが、世の保護者に言いたい。自分の子障害があり、特別支援学校特別支援学級で学ぶことを薦められたら、どうかその通りにしてあげてほしい。教育や発達に関してある程度知見を持った人が何人も集まってそういった判断を下しているので、それを無視して無理矢理普通クラスで学ばせることは、本当に子供のためにならない。親のエゴしかない。親のエゴ普通学級に入り、理解が難しい授業を一日6時間聞き続ける生活を何年も強要しないでやってほしい。その結果(必ずしもこうなるというわけではないが、一例として)小5小6や中学生になっても九九の3の段も言えなかったり、小3になってもひらがなの50音が読めないような子を生み出さないでやってほしい。その子たちは、その子たちにあった環境勉強していれば、もっと伸びることができたかもしれないのだ。

親のエゴ普通学校に通わされ、勉強が十分身に付かず年だけくって卒業していく子供のこれから人生における苦労を考えると、気の毒としか言いようがない。

2023-04-13

普通学校に通う教師支援級でどうやってきょういくするの?

自分は中高の教員免許取得して資格を使ってないんだけど

免許取得のため支援学校にいって、知的障がい者身体障がい者の子供たちと何日か過ごした

これ必須研修から教員免許持ってる人は全員やってると思う

それでも、支援学校で働けるような知識は得られない

普通学校で働く療育知識のない教師支援級の先生をやってるなら問題だな

どんなに医療技術が発達しても、人間繁殖を続ける限り身体障害者や知的障がい者はうまれるし、健常者うんでも途中で障がい者になるかもしれないし

だれがどんな子供を産んでも適切な教育をできる環境を作らないと

女性は怖くて子供産めない

2022-10-11

anond:20221010171443

N=1やんけ!

普通学校卒業する時点で切れるレベルじゃないか。体調の問題無きゃ、類友だったんじゃない

2022-08-30

やっぱ怖いなこれ。


https://toyokeizai.net/articles/-/577701?page=2

障害のある子どもの就学や学校での悩みについて相談を受ける「障害児を普通学校へ 全国連絡会」の片桐司教諭は、2000年代初頭を振り返り、「この頃、発達障害相談が増えた」と語る。

発達障害話題になって、教員の子どもを見る目が変わり始めた。『手がかかる』で済んでいた子どもが、何かあるとすぐ発達障害と思われるようになった。発達障害教育相談や医者に行きなさいと言われたと、泣きながら相談に来る親がいた。医者相談すると何かしらの診断名がついてしまう」(片桐教諭


学校基本調査によると、特別支援学級に在籍する児童生徒数は、2010年の14万人に対して、2020年は2倍の30万人に増えている。その中でも、一部の発達障害が含まれる「自閉症情緒障害」の児童生徒数は、10年間で2.7倍にまで増えている(下図)。

2021-03-22

[]2021年3月21日日曜日増田

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2021-03-21

anond:20210321161018

支援学校っていうのね。

そして、支援学校は、しょうがいがあって希望すればみんなが入れるってわけではないのか。

 

教育委員会支援学校への進学をかなり推したけど、親がしゃいもで普通学校に通わせるんだともがったって聞いたけど。

本人さん達にしかからない部分もあるよね。

anond:20210321160805

同じ市内じゃないけど、隣の市に校舎が新築されてかなり設備も整ってて専門の先生もいて看護師も常駐してる県立の養護学校があって、通学用のバスも出てるし、30分で行けるのに。

そこに通えば、たった1人が3年間通う為だけに何百万も金を使わなくても済むのに、わざわざ普通学校に行かせるこだわりってなんなんだろう。

同じクラスになったことがないからそんなに接点はなかったけど、お世話係にされた奴らはたいへんそうだった。

anond:20210321155423

養護学校に進学した方が本人の為にもいいんじゃないかと思うけど、親のエゴで無理矢理普通学校に進学させたりするからなぁ。

 

同学年に1人いたけど、そいつの為だけに学校内のそいつが通るルートの段差は、車椅子等が通れるようにスロープ化されたり、板が置かれたり。そいつ1人の為に100万以上する特殊なイスが用意されたり。

 

普通中学校そいつが3年間通う為だけに、そいつ卒業したら誰も使わない物を数百万円掛けていろいろ揃えたらしいけど。

 

無駄お金だよな。

2020-06-27

anond:20200524233706

この時書いたブコメに准じて、都知事選候補者公約確認中。

確認方法は、「都知事選 公約」などで出て来た候補者公式ページ公約から、「障」「発達」などのキーワード検索

いずれも、6/27(土)19:00現在

なお、探して見つかった物だけなので、見落としがある可能性はある。

公約内での比率が大きいのは山本太郎氏、公約が(少なくともホームページ上では)詳細なのは宇都宮健児氏かな・・・

ここで挙げてない候補者についてはまだ調べてないが、公約発信の媒体としてホームページに力を入れてない候補者もいるようなので、一律ホームページ判断するのはフェアじゃないかもしれない。

小池百合子

公約のページが全て箇条書きであり、項目数が多いため、どの程度具体性や力点を置いてるかが良く分からない。個人的には、成人障がい者障がい者スポーツの面からしか公約に掲げてない気がするのが気になる所。

とはいえ、「児童発達支援」と「重度心身障がい児への支援」の2項目で触れている以上、障がい児の子育てについて課題と考えてはいると思われる。

https://www.yuriko.or.jp/policy

※該当すると思われる項目のみ抜粋

障がい者を含めたeスポーツ振興

障がい者スポーツ支援強化・メジャー

児童発達支援センターの整備推進

・重度心身障がい児への支援強化

・「感染症バリアフリー」の検討マスクや消毒液等の優先提供体制・透明マスク接触必須障がい者への感染防止策・多様な申請手法情報発信最適化(手話字幕の追加、音声認識アプリ活用)など

デフリンピックなど障がい者スポーツ国際大会東京開催を推進

山本太郎

8つの公約の中の1つに挙げ、1ページ丸々使って以下の通り公約している。今回調べた候補者の中では一番「公約の中での割合」が大きく目標に具体性もある一方、個人的には、掲げる政策目標が具体的過ぎて範囲が狭い印象も受ける。

https://taro-yamamoto.tokyo/policy/7-2/

↓↓↓↓ ここから ↓↓↓↓

障がい者のことは障がい者で決める東京

都の障がい者政策部局責任者に障がい当事者を立て、審議会等の政策決定の場には必ず障がい当事者を半数以上とし、個々のニーズや障がいにあった十分な介護保障する東京に。フルインクルーシブ教育の実現。

かつて米国教育特殊教育リハビリテーションサービス局次長クリントン政権)を経験し、オバマ政権では世界銀行顧問にもなったジュディ・ヒューマンさんは「当事者政策決定過程重要位置を占めることが重要です」(『季刊福祉労働』81 1998年12月25日号)との言葉を残しています

障がい者は、日頃の生活差別を受けたとしてもどこに相談したらいいのかもわからず、いつも困っています。都にも障がいを理由とした差別に対する相談の窓口はありますが、障がい者の多くは、そのような窓口があることすら知らず、また体制的にも内容的にも十分なものではありません。障がい者差別をなくすためこのような窓口の充実を行います

また、現在の多くの障がい者政策は、障がい者のことをわかっている風の有識者障がい者を「お世話」する施設運営者などが決めてきたとの批判もあります。このことにより障がい者が本当に求めていることに対応してきたとはいえないとも言われています

このような問題を解消するためにも障がい者関係する部署には必ず障がい者責任者として配置します。また、障がい者としても障がいの種類によって必要なことや、思いも違ったりするので、あらゆる障がい者政策決定の場に参加していただき、その数は必ず半数以上とします。

障がい児が普通学校に通うだけで、インクルーシブ教育を実現している!ということに表向きはなっていますが、実際には、普通学校の中で、特別支援学級普通学級に分けられているのが現状です。これはまだまだ本当の「インクルーシブ」ではありません。心のバリアフリーを実現するために、最終的には、障がい者と健常者が分けられることなく一緒に学べるフルインクルーシブ教育を目指します。

また、障がい者の住んでいる地域や年齢による格差や断絶をなくして、どこでも、生涯にわたって安心して暮せる地域生活支援を行います。加えて個々のニーズや障がいにあった十分な介護保障するために重度訪問介護の充実を国や自治体連携してはかります

↑↑↑↑ ここまで ↑↑↑↑

宇都宮 健児

※7つの重要政策の1番目、「重要政策01 だれもが働きやすく、くらしやす希望のまち東京をつくります」の中で、以下の通り公約している。

※ただし、障害者福祉はそのページ内でさら12個立てた項目の6番目であり、どの程度力を入れるのかはやや不透明な気もする(とはいえ公約は詳細に書かれており、やっつけな感じは受けない)

※なお、7つの重要政策の5番目、「重要政策05 教育現場への押しつけをなくし、すべての子どもたちが生き生きと学べる学校をつくります。」の中にも、「障がいのある子どもたちの教育を受ける権利」について触れた項目が立っている。

http://utsunomiyakenji.com/policy/important01

↓↓↓↓ ここから ↓↓↓↓

障がいのある子どもを抱える学童保育室の人員体制民間学童保育も含めて強化します。

知的障がいや精神疾患など様々な困難を抱えた路上生活者地域生活できるようにサポート体制を作ります

障がいのある人もない人も、ともに生きる東京しま

障がいのある人の権利を確保する東京をつくります

日本政府批准をした国連障害者権利条約を実質的ものとするため、平成30年に施行された「東京障害者への理解促進及び差別解消の推進に関する条例」をより一層充実させ障がいのある人とない人が共生できる東京をつくります

東京都の障がいのある人にかかわる政策策定する会議等には、障がいのある当事者が必ず参加するようにルールします。

住宅相談介護支援医療システムの整備を行い、家族に頼らなくても障がいのある人が安心して暮らせる東京のまちをつくります

市区町村に対して財政補助を行います。重度障がい者地域での自立生活社会参加や見守りなど必要に応じたサービスが受けられるよう市区町村財政援助を行います

障がいのある人と家族が、安心して暮らせる東京しま

出前福祉制度を導入する~江東区兄弟餓死事件のような悲惨事件をなくし、福祉の行きとどかない死角地帯をなくす。

老老介護」も大きな課題ですが、高齢の親が障がいのある人を介護し続ける「老障介護」が、「老老介護」とならんでいま大きな問題になっています高齢家族に頼らなくても、障がいのある人が安心して暮らせるように在宅支援を拡充します。

障がいのある人が住むことができるバリアフリー都営住宅建設検討します。

視覚障がい者の転落防止のためのホームドアの設置、障がいのある人への差別のないバリアフリーまちづくりをすすめます

身近な地域相談できる場と、その人にあった療育教育保障しま

ADHDLD自閉症などの発達障がいなどの早期発見につとめながら、適切な支援が得られるように、身近な地域相談できる専門機関を増やします。

障がいのある子どもたちが地域普通に学べるような環境を充実させます。誰もが合理的配慮を受けて学べるよう教育の場を充実させます

障がいのある人の医療無償化を実現します。

憲法25条の暮らしを実現するために、障がいのある人に、都独自所得保障を拡充しま

多くの障がいのある人たちは、きわめて低い所得水準を強いられ、生活保護や障害年金基準引き下げによって、さら貧困なくらしや家族への依存が強められています生活保護基準の引き下げに反対し、障害年金の抜本的な改革を国に強く求めていきます

東京独自所得保障施策検討実施します。

障がいがあっても働ける仕事の確保に努めます障害者就労支援施設への「優先発注」の促進策を具体化します。

災害を想定し障がい者安心して避難生活を送れるような体制をつくります

避難所をバリアフリー化し、障がい者が参加した避難訓練を実施します。

医療介護保障視覚障がい者聴覚障がい者のための情報コミュニケーション保障を行います

制度の谷間のない障がい者施策実施しま

東京都は独自に、病名や障害種別障害者手帳の有無で福祉サービス対象判断せず、「その他の心身の機能障害」(長引く病気など)が認められる者も、支給決定過程におけるアセスメントが受けられる仕組みを検討します。

↑↑↑↑ ここまで ↑↑↑↑

http://utsunomiyakenji.com/policy/important04

↓↓↓↓ ここから ↓↓↓↓

障がいのある子どもたちの教育を受ける権利保障します。

障がいのある子もない子も共に学べるフルインクルーシブ教育の推進・整備をすすめます

学びの場における障がいを持つ子どもの、ハード面、ソフト面での支援体制の整備・充実をはかります

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小野 泰輔

4つ立てた主要項目?の4番目「4.誰もが安心安全で心やすかに暮らせる東京へ」の中で、16項目中の以下3項目で関連する公約を掲げている。うち育児に関わる2件は、無難にまとめすぎていてどこまで力を入れるのか読み取りにくいものの、2項目あるので「取り敢えず書いただけ」という印象は受けない。

https://ono-taisuke.info/policy/

手話言語条例を制定し、聴覚障害者の方とともに歩む東京都を実現します。また、障害者雇用の向上のため、分身ロボット等のテクノロジーを使った就労、超短時間労働制度などを公共事業から導入します。

●まだ多くの保育所対応が困難な病児・病後児保育を拡充するため、対応施設を設置する民間事業者基礎自治体さらなる財政支援を行います

医療ケア必要とする障害児に対して、縦割りになっている保育・療育の垣根を超えて対応できる施設事業者を増やし、そのための専門人材育成に努めます

2020-05-28

anond:20200526002519

れいわの議員さんが取り組んでいる、知的障害があっても普通学校に進学できる仕組みが実現してほしい

子供知的障害を負っても将来の進路を大きく変更せずに済むことになれば、あの増田のような親御さんにとっても励みになる

2019-09-07

anond:20190907145026

今時はそういうのは少ない

しろ診断や療育受けたいのに受けられないケースの方が遥かに多いよ

支援学校行きたいのに定員満杯で普通学校に回されるケースもね

支援学校はどこもパンクしてるから

2019-05-03

anond:20190503181706

それは知りませんでした。特別支援学校というものがあるんだから障害児はそっちに行けというのが普通自治体姿勢なのかと…。普通学校にもそれなりの人的配置がされていて、特に医療ケアに支障がないなら良いんですけどね。件のシングルマザーに怒りを感じた私が間違っているんでしょうか?

特殊ケア必要とする子ども普通学校に入れるのは親のエゴ

さっきテレビで見たんだけど、呼吸器だか心臓障害があって医療ケア必要子ども普通学校に進学させたいとか言ってるシングルマザーが出てきてぶっ殺したくなった。

ただでさえ教員仕事ブラックだと評判なのに、さら教員仕事を増やすことが目にみえてる子を入学させたいとかどんだけエゴイストなんだ。何のために医療的に配慮必要子どもを通わせられる特別支援学校があると思ってるのだ。百歩譲って、子ども学校にいる間ずっと親が学校のどこかにいて、何かあったら飛んでこられるというならまだいいけど、シングルマザーってことは自分が働いて自分子ども生活を支えないといけないということじゃないのか。

軽度の肢体不自由とか多少の難聴(片耳だけ聞こえない)ぐらいならどうにかなるかもしれないけど、何かトラブルが起きたときに命にかかわる可能性が高い病気を抱えている子なら、おとなしくそれなりの人的措置がされている学校へ行け。1クラスに30人も40人も子どもがいるのは、彼らが健常な体を持ち、ちゃん教員の言うことを聞いているかぎり集団行動ができるという前提だからだ。いちおう健常児ばかりという前提で入ってくる子どもけがいる学校でも想定外事故は発生するのに、命にかかわるリスクが高い持病を抱えた子の面倒を見ろというのがどれだけ迷惑なことか。

こういうワガママ母親意思いかにも美談のように紹介するテレビ局もテレビ局だ。まぁテレビカメラの前でこれだけはっきり意思表示したからには、自分ワガママを通すにあたって、「普通学校に通わせてもらえるなら、学校内で何らかの事故が起こって息子に重篤後遺症が残ったり死亡するようなことがあっても、一切学校教育委員会を訴えません」という念書でも書け。

2017-09-11

anond:20170909185137

健常者が自分の娘をここに入れたいと思えないような場所から実態保護でなく隔離

世間イメージがそれだからそこで働く人間もそういうレベルの人で

どんなに表面を綺麗事で取り繕っても見学したら色々バレちゃうんだろ

普通学校に行かせてやりたいと思うのが自然だよ

2016-01-17

手話言語条例・法について

手話言語条例というものがある。

知らない人も多いかもしれないが、日本の30以上の地方自治体で成立している。先日大阪市でも成立した。

https://www.jfd.or.jp/sgh/joreimap

ここまで多くの地方自治体がこういった条例を作っているのなら、国が手話言語法を制定してしまえばいいじゃないかと思う方もいるかもしれないが、国がやってくれないのである

一部の聴覚障害者関係者が制定運動をしているのだけれど、なかなか実現しない。

仕方ないので、地方から国を動かしたろということで2013年に鳥取県が制定したのであるそれから全国に手話言語条例が乱立し、世はまさに手話言語条例戦国時代状態になったのである

そんな手話言語条例・法について書いてみる。

とりあえず手話言語条例がどのようなものかを理解したければ、実際に条文をよんでみるのが一番だと思う。原典アタック

最近はいろんな手話言語条例が成立したので変わったものもあるが、ベーシックな原点の鳥取県手話言語条例でいいかな。

http://www.pref.tottori.lg.jp/222957.htm

23条しかないので、全文を読むのにも大して時間はかからない。法律に出てくるような難しい言い回しもないので簡単に理解できる。

最近は変わった手話言語条例を制定しよう(京都市観光客向けの手話言語条例とか)としているところもあるみたいだが、基本は大体この鳥取県条例と似たようなもんである

結局のところ、総合的に見て各地の手話言語条例に書いてあることの基本をおおざっぱにまとめると以下の2点のようになる。

手話を一つの言語として認め、尊重する

手話を普及させることで聴覚障害者やその関係者等の暮らしをよりよくする

 (具体的には、鳥取県の例でいえば手話通訳者を育成したり関連の事業者サポートしたり県民のための手話講座を開いてみたり小学校手話を教えてみたりしているようである。)

こうして見ると、①はあくまでも理念的なものであって、この条例本質は②にあるのだろうと思う人が多いだろうと思う。少なくも鳥取県のケースはそのようになっている。

しかし、一部の聴覚障害者にとっては①、つまり手話言語として認めてもらうことは②と同等、あるいはそれ以上に大事なことで、彼らの人生にとって極めて重要なことであると考えている。

手話言語である条例や法で認められたとしたって何が変わるのか?どうでもよくないか?」そう考える人もいるだろう。

なぜ、「手話言語」が大事なのか?

手話言語条例理解するにあたって最も重要ポイントである

しかし、そのことを考えるにあたって、まずは手話というものについて掘り下げなければならない。これは非常に厄介な問題なのだけれど、がんばって簡潔に説明してみる。

手話というもの世界中にある。アメリカであればアメリカ手話があり、韓国韓国手話、そして日本にも日本手話がある。

ここまでは普通言語と変わらない…のだが、日本手話は少なくとも2種類のものがある。(もちろん方言とかではなくて)

A日本手話 と B日本語対応手話 である。どう違うのか。説明する。

Aの日本手話一言でいえば、「日本語とは異なる、一つの独立した言語であるといえる。

私は言語学には疎いので言語定義もよくわからないが、重要なのは独自文法を持っているということだろう。

手話文法の具体的な説明は難しいが、まぁ英語に似ていると思う。

日本語の「私は  手話を 勉強 しています」という文を無理やり日本手話にしてみると、「私 勉強 している なに? 手話 です」とかそんな感じ。

実際にはこれを踏まえてこまかい表情や首の動き、眉の動きなんかも文法の一要素としてあるようで、日本語をしゃべる人間にとってはややこしいし難しいしわかりにくい。

手話言語学とか文化人類学とかで研究されているので、興味のある方はそこらへんの本でも読んでみるといいかもしれない。

とにかく、日本手話というのは聾者と呼ばれる人が使う独立した言語なのだ日本語とは違う言語。これが重要テストに出るぞーレベル

そして、Bの日本対応手話はどうか。「日本語文法手話単語をあてはめただけのもの」とでもいえばいいだろうか。

こちらは日本語でしゃべるのに合わせて手話単語を出せばいいので簡単に習得できる。

日本語で「私は 手話を 勉強 しています」と口で言うときにそれぞれの単語のところでその手話をだせばおしまい。表情や首の動きもいらない。楽ちん。

この手話日本語文法ありきのものであって、独自文法を持たない。言語学をよく知らなくても、それでは独立した一つの言語ではないということはなんとなくわかるだろう。

しろ、これは言語というよりは筆談ノートテイクのようなコミュニケーション補助のためのものと解したほうがいいかもしれない。

大学手話サークルとかはだいたいたぶんこっち。Aの日本手話をやっているところもあるのかもしれないが、そちらは難しいので手話勉強しようと思うと最初はこれを使うことになるだろう。

聴覚障害者の中でも軽度のものだったり、聾学校ではなく普通学校に通っていた人や中途失聴者は日本語の会話(口話)の補助としてこれを使う人が多い(と思う)。

ただし、この二つはきれいに分かれているわけではない。二つが混ざり合うこともある。

けれど、この二つは対立関係のような部分もある。Aの日本手話の話者によってはBの日本対応手話はまがい物である!という人もいる。

これを巡ってはかなり論争があるというかめんどくさい感じに聴覚障害者の中(聾者難聴中途失聴)で内ゲバっちゃってる。ここでは書かないけど。

とにかく、大事なことは手話の中でも日本手話というのは独立した言語であるということである

そして、言語があればそれに対応する文化がある。

私は言語学文化人類学もまったく勉強したことはないが、言語というのは文化と密接な結びつきがあるというのは間違いないだろう。

そして、上に挙げたAの日本手話という言語は「ろう文化」というもの形成する。そしてそのような文化圏にいる人は自らを「聾者」と名乗る。

逆にそうした文化圏に入らないような聴覚障害者を「難聴者」と呼ぶ、あるいは自称することがある。

(「聾者」「難聴者」の定義不安定で人によっては違うのだけれど、とにかくここではこのように理解しておく)

それでは、この「ろう文化」と聾者はこれまでの歴史においてどのように扱われてきたか

結論からいうとひどいものだった。マイノリティとして抑圧されてきた。

特に酷い例でいえば、彼らは日本手話という自らの言語を奪われることもあったのである

かいところはここに載っているが、(http://www.d-b.ne.jp/d-angels/sub4-3.html

日本社会において日本手話は役にたたない、要らないということで聾学校手話禁止され、口話(残存張力と唇の読み取りで頑張るだけ)を強制されたのである

その結果、上手に喋ることができるようになり、聞こえるようになった聴覚障害者がたくさん出てきたかというとそうではない。良い効果はあまり得られなかったのである

それどころか、生徒は学校で自らの言語をつかうことを禁止されたことに苦しむことになる。

手話を使えば手っ取り早く友達と楽しく会話ができるのに、不慣れで不自由口話強制される…。

手話を使えるのは、登下校等、学校外の時間だけ…。

手話を使ってしまうと、先生から厳しく叱られる…。

これは聾者と「ろう文化」に対する抑圧である

そしてこの抑圧は当時の生徒に大きな悲しみと怒りを植え付けることになる。

このことは「ろう文化」の名誉を著しく傷つけることになる。

そして、この抑圧が彼らを固く結束させる。自らの誇りある言語日本手話を守ろうと。

もうおわかりになると思うが、このような歴史の中でマイノリティとして抑圧されてきた事実に対する憤り、それこそが手話言語法制運動の原点である

いまいちからないなら例を考えてみよう。例えば日本語禁止されたとしたら。

敗戦直後にGHQ学校で「ジャパニーズ言語としてダメ!これからは君たちはイングリッシュをしゃべるんだ!ジャパニーズ禁止!」とか教える。

そんな感じだろうか。だいぶちがう気もするけれど。まぁ、でもすごく不快だよね。

日本手話マイノリティだったという点で日本語とは異なるので不適切な例だろうと思う。)

そんなことが実現したとは思えないけれど、とにかく大事なのは自分たち言語が奪われるというのはその言語文化に属する人間アイデンティティにとっては大いなる損失になるということである

ゲームでも「人は、国に住むのではない。国語に住むのだ。『国語』こそが、我々の『祖国』だ。」なんて言葉が出てきたしね(ルーマニアかどっかの思想家言葉らしいけれど)。

手話言語条例・法というのはそうしたろう文化に属するものアイデンティティ名誉の復活を意味するものでもある。

からこそ、手話言語として認めてもらうこと、それ自体に大きな意義があるのである

しかし、それが正しく伝わっているかというと微妙である

まず、手話言語条例の「手話」というのが何を指すのかという点で微妙である

例外はあるけれど、基本的にどこの条例手話というものがAの日本手話だと明記していない。

これは各自治体が二つの違いを理解していないということではない。

つの違いを理解した上でBの日本対応手話を使う難聴者に配慮しているという形になっている。

上にも書いたけれど、この二つは対立関係にあってものすごくこじれている。

から、片方だけを優遇してしまわないようにするという形にしている。

ちなみに、例外としては、埼玉県朝霞市の「日本手話言語条例」で、こちらは日本手話と明記している

https://www.city.asaka.lg.jp/uploaded/attachment/29886.pdfpdf注意)

『第2条 この条例において「日本手話」とは、手、指、体、顔の部位等の動きにより文法表現し、日本語とは異なる文法体系を有する言語のことをいう。』

という風に定義している。

しかし、こういった条例というのは、私の知る限りここしかない。

もっといえば、聴覚障害者自身でさえどうして手話言語条例を制定しようとするのか、そこの目的が人によってぶれている。

実をいうと、聴覚障害者の中で日本手話を使うろう文化圏に属する人間は少ない。多くは難聴者と呼ばれる人間だと言われている。

当然だが、こうした人たちは手話言語条例を「生活がよくなればいいな」ぐらいにしか捉えていない。

そして、聾者の中でも若い人は上述した日本手話歴史に疎い人も多いので、中にはも「生活がよくなればいいな」くらいにしか捉えていない人もいる。

もちろん、それが悪いわけではない。ただ、本来目的からずれ始めているのだ。

そして、結局のところ、世間(聞こえるひとたち)での受け取られ方というのはつまりだいたいこんな感じだ。

手話言語条例?これで聴覚障害者たちの生活がよくなればいいね!」とかそんな感じである

この受け取り方がまずいとは思わない、思わないけれど少し浅いというか、これでいいのだろうか。

聴覚障害者について知る機会もあまりないのだから仕方ないだろうとは思う。けれどもやっとするところである

というわけで、長くなったけれど手話言語条例・法について書いてみた。

何かの参考になればいいかな。

2015-07-16

http://anond.hatelabo.jp/20150716130912

いじめが起こるようなクラス指導してる奴は自分いじめをするような人間なんだよ。

から分かりにくいように生徒を脅して管理することで「いい教師です」と言わないといけない空気を作っているのさ。

普通学校教師なんて生徒、ましてや生意気盛りのクソガキに好かれるはずがないのに「良い」なんてレッテルをつけて貰えるのなら、それは逆らったら後で何をされるのか分からないと生徒に刷り込んでいるような奴に決まってるのさ。

2014-04-03

こだわりが強い親

障害のある子ども普通級で過ごさせたい、共に育てる(共育ち?共育ともいうらしい)ことにやたら拘る親って

なんなんだろう。単に自分の子どもが障害児扱いされるのが嫌なだけなんじゃない?って思う。

普通クラスに入れても大丈夫な子もいるけどな、そうじゃない子もいる。

問題行動がある子、身だしなみが出来ない子は苛められる。子ども残酷で異質なものを異質なまま置いておける

なんて思わない方がいい。

もちろん苛める側の子どもが悪い。そちらに問題がある。

けど数の多さで言うとそっち側の方が多いわけ。苛める子どもたちを違うクラスに分けるよりも障害児1人を違う

部屋で過ごさせる方が効率がいいと思わないのかな。

ひとりぼっち支援級なんて寂しい学校生活、と思う人も多いのかもしれないけど大勢の中でひとりぼっち

ましてや身の危険が及ぶかもしれない方が寂しいよりも辛いよ。

苛める方が悪いのに、どうして苛める方が外されないのかと怒る人もいるけど、外す=悪い方って考え方自体

後ろ向き。

支援学級や支援学校で受ける授業はレベルが合ってないとか低過ぎるっていう人もいるんだけどさ。

何望んでるの?彼らにとって数学英語がそんなに必要かね?うちの子勉強は出来るんだけどーって言いたいだけ

ちゃうんか?勉強が出来るからなに?って思うわ。学習したそれらは記憶されるだけで終わるよ。そこから

進展も拡がりもないんだよ。それよりも支援学校で無理のない学習で達成の喜びを何度も獲得していく方が

の子人生にとって良いと思わない?最終学歴普通学校であることの方が人生に役立つ?

障害は治らないのに?

「障害が悪いことなんて思ってない、自分は子の障害を受け入れています、でも普通に育てたい」

「うちの子ちょっと個性的なだけ。学校社会が悪い。すぐに障害者にする」

どっちも同じようなこと。どっちも我が子が障害児と言われるのが嫌な人たち。差別意識を持ってるのは

あんたたち自身だよな。普通にこだわり過ぎなんだよ。普通の人は『普通』になんかこだわらないって。

しかもお互い叩き合いするし。あの子よりマシとか、この子より出来るとか。

そんな狭い世界比較したってしょうがないのに。

障害児の親になってなければ、この人達はたぶんあからさまに差別する側だったろうなーと思う。

 
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