はてなキーワード: ろくでなし子とは
ろくでなし子のあれでは抜けないが、あれが普通に量産されるようになってビジネスとして成立するような世界はやっぱよくないと思う
でも、そこで線を引くと「ろくでなし子には性的魅力がねえ」みたいな判断になって人権問題になるし、あくまで女性器は出しちゃだめよ、ってルールを敷衍してるだけなんだろうなとは思う。大変そう
これな。文字列という1次元表現ですら768次元のベクトルにして解析するのに、1〜4次元のエロ表現を1次元の条文で完全に規定するのは無理がある。
ろくでなし子のマンコ模型で抜ける奴はほぼ居ないが全年齢漫画のつぐももで抜ける奴は居ても不思議では無い。このように、エロさをモザイクや消しの有無で判断しようなんてのはDeepLearning登場以前のAI並みの知性しか無い奴のやることであって、通常人の判断を基準とする他ない。(将来的には、エロさ判定AIがエロさを数値化できるかもしれんが)
ただ、そうは言っても基準が不明確だと過度な萎縮を招くから、規制するからには明確化の努力は必要だし(明確性の原則)、限界近辺では1発アウトにしないような仕組みが望ましいだろう。
検索してみても議員会館で提訴の記者会見というのは行政訴訟が多い。
議員会館は国会だけでなく都道府県、市町村でも金があるところとかはある。
しかしいずれにせよ、公的団体でもなんでもない団体が、名前もよくわからない個人を提訴するために議員会館を使っていない。
完全に国家権力を私物化しているし、国家が乗っ取られているということになる。憲政史上極めて重大な問題だと言うことになります。
伊藤詩織さん(中央)に対する性暴力事件は国会議員も動かした=2017年12月、東京・永田町の参院議員会館
https://webronza.asahi.com/photo/photo.html?photo=/S2010/upload/2020012300008_3.jpeg
このときも警察の態度を検証する会でした。また福島瑞穂が同席しています。彼女ですらできなかったことをやっているわけです。議員すら同席していないのですから。
弁護士 吉峯耕平
@kyoshimine
12月23日
この事例でも、訴訟提起の記者会見を皮切りに報道がなされ、相手方は弁駁もできずに一方的に晒し者なっている。おそらく訴状さえ手元にないはずで、極めてアンフェアなやり方。
dailyshincho.jp
(2ページ目)「愛媛農業アイドル自殺訴訟」勝訴した社長が語る「テレビ報道」への疑問 「なぜ『ミヤネ屋』は判決を報道しないのか」 | デイリー新潮
「辞めるなら1億円払え」。4年前、ワイドショーで連日取り上げられたこのセリフを覚えているだろうか。…
弁護士 吉峯耕平
@kyoshimine
12月23日
当事者が権利を実現するために、メディアを利用して社会問題化を狙うことは、理解できる。提訴記者会見は伝統的に多様されてきた手法でもある。
ただ、一瞬の情報不均衡を狙った奇襲戦術であることは間違いなく、正当化できるのは、個人が国や大企業を相手にするときくらいじゃないだろうか。
弁護士 吉峯耕平
@kyoshimine
12月23日
Colaboの「リーガルハラスメント」記者会見も、戦術的な奇襲だった。記者会見では訴状を配り、被告は訴状の内容も知らない状況で取材を受けて、コメントしろと言われても対応が難しい。
ある意味フェアだったのが動画の公開で、これで壮絶に自爆したわけですが。
youtube.com
20221129 「Colaboとその代表仁藤夢乃に対する深刻な妨害に関する提訴記者会見」
虐待・性搾取等の被害若年女性を支援する一般社団法人Colaboとその代表仁藤夢乃が、現在SNSやインターネット上での膨大なデマ、中傷、嫌がらせ等を受けています。実際の活動への実害も生じており、若年女性救出活動として10代女性に対する食事や居場所の提供活動で使用しているバスが切り付けられたり、シェルターの場所を特定...
弁護士 吉峯耕平
@kyoshimine
12月23日
Colabo案件は、個人が大企業や国に挑むのではなく、団体が一個人を訴えるもの。それもメインで「炎上」している不正会計の問題は取り上げておらず、ニュースバリューはほとんどない。
単なる名誉毀損訴訟を全国紙が一斉に記事にしたのは、ちょっと予想外でしたね。
弁護士 吉峯耕平
@kyoshimine
12月4日
こういうとき、被告は「訴訟を提起したという記者会見にはニュースバリューがなく、訴状も受け取っていない私にコメントを求める報道機関は偏頗」とコメントするべきでしょうね。
国や企業が相手ならともかく、本件で被告は一私人だしねぇ……。これが記事になるのが異常。
https://tokyo-np.co.jp/article/216884
弁護士 吉峯耕平
@kyoshimine
格好を付けるためにだと思うが、仁藤氏の発言を”自業自得”と紹介したネット記事が訴えられており、巻き添えにもほどがあると呆れた。
これは、釈放された腹いせで強引にろくでなし子を再逮捕したときに、体裁のために北原みのりが巻き添えで逮捕されたのにすごく似てる。
弁護士 吉峯耕平
@kyoshimine
12月4日
こんなのを訴えたのか。仁藤氏発言を引用しており、"自業自得"というのはメディア側の評価であることは明らか(しかも、そういう意味としか取れないし……)。到底名誉毀損になるとは思えない。
格好付けるための巻き添えみたいなもんですね。今回の件となんの関係もないし。
https://web.archive.org/web/20220709030516/ttps://yorozoonews.jp/article/14665316
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つまり国会議員という立場を私物化して悪用して一切恥を知らない政党と国会議員が存在し、気に入らない人間を極悪非道の人間としてでっち上げるために議員会館を利用させ、お仲間のマスコミがホイホイ乗った最大級版ということになります。
もう少しいうと、これらの連中が極めて権威主義であり、縁故主義(ネポティズム)だからです。だから議員会館を利用したわけです。
組織図を作られた型がいますが、関与している人間、その先の組織、ぐるぐる回っていますよね。これは完全に縁故主義(ネポティズム)でしかありません。
そもそもフェミニズム自体が縁故主義の塊です。女性だけを優遇し、しかもシスターフッドと称し、親しい人間だけしか引き上げない。ほかは勉強しろと罵倒する。これが縁故主義ではなくてなんでしょうか?
これは権威主義と縁故主義が合体しているわけです。日本のアカデミックフェミニストは例外なくこういう問題がある連中しかいません。83人委員会もそういうつながりで科研費をもらっています。
そしてこの問題がある違法化すべき記者会見。農業アイドルもそうですし、草津温泉も全く同じ構図。一切マスコミは学習しない。つまりこのような連中とズブズブという関係で、マスコミとしての中立性が欠落しているのです。
そろそろ刑事罰が必要だろうというのはこうした点にあるわけです。学者も議員も例外ではない。嘘に協力して人権侵害をして誹謗中傷は悪いとかどうなっているのでしょうか?マスコミがやれば合法で正しいのでしょうか?
なお、これらの権威主義や縁故主義は何も日本だけではなく、欧米特にG7が衰退している事を示しています。なので欧米の真似をしないと気に食わないエセリベラル系の出羽守はみな間違っています。衰退しているところの真似をすれば衰退する。当然のことですね。
暇空茜のツイッター、コラボとマンガの話がほぼ全てだが時々飯ネタが入る
それを見てるとどうやらほぼ毎日自宅で独りで高級食材を調理して食べてるみたい
お金は持ってるはずなのに、外食しないし人とご飯を食べることもないなんて孤独でかわいそうだな思った
食材としては美味しい物なのかもしれないけど、寂しそうで悲しくなってくる
もういっそのこと仁藤ゆめにゃんとか弁護士軍団と一緒に忘年会でもやったらいいんじゃないか
昔ろくでなし子がしばき隊と揉めた時、ろくでなし子はバチバチにケンカしていたしばき隊の奴らを誘って忘年会をしていたぞ
俺はその時ろくでなし子は本当にすごいやつだと思ったよ
仁藤も暇空もコミュニケーション能力が足りないんとちゃうか
表示戦士って基本的に権利者が何か言う場合であったりとか、過去に問題になって排除されたものに関してはまあしゃあないみたいになるひとが多い。
現行の時点である程度同意はとれていてそれにしたがってやってるはずだろ、という感覚なのかな。
だから気持ちとしてはろくでなし子氏のことを応援したり、そもそも成人向けならモザイクいらんやろとかおもっても、裁判の判決自体に怒りを表明みたいにはならん場合も多い。
あとまあ本人の感覚としては比較的良識派のつもりなんでルイズピザみたいなのはさすがにどうなんよってなる人が多いのでは。
トレーダーズに関してはソフマップのとかもっと凄いのなかったっけ?と思った口なのでなんとも。渋谷なら全然ダメだと思うよ。
ワンフェスに関しては下着が出てるからダメなんじゃないの?という立場。
福岡パルコのは元ネタの方を見たことある人じゃないとなんのことかわからないネタなのでセーフというかまあ・・・というスタンス。
>フェミとアンチフェミの違いは、どこからをアウトなエロと判断するかという基準値の差のみである
一応お互いを好意的に見ての話なんだけどアンチフェミでもダメな表現はあるし、フェミでもすべての女性の表現を制限せよとは言ってないわけなんでしょ?
もちろん過激派表現の自由戦士である俺みたいなのはゾーニングも表現規制!ってなるわけだけど、それはそれなりに少数派なんじゃないかとおもう。
「女性が陰部を見せることで魔を祓う」という伝承に関する、本しゃぶり(honeshabri)さんのエントリを拝読したので、それに便乗して、思い出した雑多なことを書き残す。先に断っておくが、かなりくだらない話が多い。
中田雅喜(なかた・あき)という女性漫画家がいるのだが、彼女の代表作の一つで、80年代に成年向け雑誌『漫画ブリッコ』に発表した連載作品を一冊にまとめた『空は女の子でいっぱい』というタイトルの単行本がある。作品そのものの別名は『真・ダ○ボ』シリーズとも言う。伏せ字にしても意味が無いような気もするが、とりあえず○ィズニーが怖いので、形式的に伏せ字にしておく。
○ンボと言えば、耳が普通の象よりも大きくて、それで羽ばたいて飛行することが出来る、子象が主人公の物語である。
この『空は―』の主人公である少女も、身体の一部が通常の人間女性よりも大きく、それによって羽ばたいて空を飛ぶことが出来る。ただし『空は―』の主人公の巨大な身体パーツは、耳ではなく陰唇である。
ある日突然、X-MENのミュータントのように陰唇が○ンボ状態になってしまった主人公。女性に悪さを働く暴漢を巨大な陰唇で退治したり、人類からの差別や迫害に立ち向かったり、同じダ○ボ族たちと巡り会ったり、ダ○ボ族と人類の戦争が起きて巻き込まれたり和睦したりと、奮戦する主人公の姿と、普通の少年との淡い恋の行方。これら全てを描き切った一大ファンタジックSFエロチックコメディ絵巻である。念のために言うが、嘘は言っていない。ろくでなし子以前に、ここまでポップに女性器を強調したキャラクターを創造したクリエイターが存在したことは、日本のアート史上に記録しておいてよいであろう。
この最高に馬鹿げた漫画を執筆した切っ掛けが、果たしてどのようなものであったのか。それは、同じ作者によるエッセイ漫画『純情ももいろ日記』に経緯が描かれている。
この『ももいろ―』についても説明すると、現在でこそ、女性漫画家が性愛などについて赤裸々に語るエッセイ漫画や自伝的漫画のような作品は、決して珍しくもないが、中田による『ももいろ―』は、そのようなジャンルの先駆的作品である。日本漫画史上、もっと高い評価を受けて然るべき作品であると、個人的には考えている。
『ももいろ―』の内容も少し紹介する。例えば、成年向け作品の執筆に関して、誌面では最終的にボカシで消されるとはいえ、生原稿では性器を描かざるを得ない。他にモデルもいないし仕方が無いので、作者である中田雅喜は、自身や彼氏の性器の実物を見ながらスケッチしたという。そういったユーモラスなエピソードの数々が『ももいろ―』では、ポップで可愛らしい絵柄で描かれている。ちなみに、性器スケッチのモデルにもなった彼氏は、後に中田雅喜と結婚して夫婦になるのだが、漫画で描かれている外見的な特徴を見れば、彼氏の人の自画像そのままなので、誰なのかは一目瞭然である。よく本人がオーケーしたな……。器が大きすぎる……。ダ○ボだけに。
それで『ももいろ―』によれば、若き日の中田雅喜は、隙間風が吹く風呂無しアパートで暮らしており、冬の寒さに難儀していたため、ガス湯沸かし器を購入する資金が欲しかった。ちょうどそんな時に、知り合いの編集者が成年向け雑誌の仕事を持ってきた。その依頼を受けたことが切っ掛けで、中田は成年向け作品を執筆するようになった。そうして傑作『真・ダ○ボ』シリーズが生まれた。なお、中田雅喜は、無事にガス湯沸かし器を手に入れたそうである。
成年向け雑誌の仕事を中田雅喜のところに持ってきた、その編集者とは、何を隠そう「オーツカ某」である。この呼称を覚えている人がいたら、その人は若くない。これは、現在の大塚英志である。大塚英志といえば、千葉徳爾や宮田登の教え子であり、その学問的な素養を活かして『北神伝綺』『木島日記』『黒鷺死体宅配便』など数々の傑作を生み出した人物でもある。当時オーツカ某だった大塚英志が、漫画『真・○ンボ』の内容にどれほど寄与していたのかは定かではないのだが、もしかしたら民俗学や神話伝承などについて学んだ経験を活かして、アイデアを中田雅喜に提供したりしたのかもしれない。何か情報を知っている人は、教えて下さい。
かなり前置きが長くなったが、ようやく神話伝承の話題に繋がった。中田雅喜の『真・ダ○ボ』では、物語の終盤において「牙が生えている性器を持つ、女性の姿をした怪物の伝承」「自らの手で牙の生えた性器を広げる女性の姿を描いた石像」について言及される。そして「この恐ろしい怪物に関する人類の伝承は、遠い未来に遭遇する運命にあるダ○ボという異種族に対する、未来の記憶による恐怖の産物だった!」という話になる。分かる人には分かると思うが、これは勿論、アーサー C. クラークのSF小説『幼年期の終わり』が元ネタのパロディである。
さて、牙の生えた性器を持つ女性の神話伝承については、金関丈夫が「Vagina Dentata」と題した論文(岩波文庫『木馬と石牛』に収録)で、台湾や東南アジアなどに分布するものを特に詳しく紹介している。この神話は、日本列島にも存在する。
この神話群は、おおむね次のような内容である。「昔、とても魅力的な女性がいて、大勢の男たちから求婚された。しかし結婚しても、初夜に夫が死んだり逃げ出したりして、夫婦生活は長続きしなかった。その原因を調べてみたところ、彼女の性器に牙が生えていて、夫の性器を食い千切って死に至らしめることが判明した。その牙を抜いたり砕いたりすることで、彼女は普通の女性となり、新たに夫を迎えて幸せに暮らすことが出来るようになった(バリエーションとしては、単なる怪物として退治されて死んだといったものも存在するようである)」
この物語の典型の一つが、江戸時代の奉行・根岸鎮衛(ねぎしやすもり)の著した雑話集『耳嚢(みみぶくろ)』に収録されている「金精神(こんせいじん)の事」と題する一篇である。これは、津軽で「カナマラ大明神」と称して祀られていた、黒銅(黒鉄)で作られた男性器型の御神体について、その由来を聞き書きしたものである。
この由来物語でも、やはり、牙が生えた女性器を持ち、それが夜の夫婦の営みの際に夫の性器を食い千切って死に至らしめるために、結婚しても夫婦生活が続かないという女性が登場する。その悩みを聞きつけた或る男が、この女性に結婚を申し込んだ。そして迎えた初夜、新しい夫は、自らのものを初めて挿入する代わりに、まず黒銅で作った男性器を妻の性器に挿入した。すると牙の生えた女性器は、黒銅の男性器に噛み付いたために、牙が砕けて全て抜け落ちた。それ以後、女性は普通の女性となり、つつがなく夫婦生活を送った。その時に夫が用いた黒鉄作りの男性器が、後に神として祀られ、今のように崇敬されるようになったとの由。
古今東西の神話や呪術において、男女のいずれの性器も、生命力や呪術的な力の源泉として神聖視される事例が数多い。その中で特に女性器は、妊娠・出産による人間の誕生という重要な役割を担うことから、生命の象徴そのものであった。しかし、それとは対照的に、Vagina Dentata神話で描かれている女性器は、牙を生やしていて、生命を生む存在ではなく、むしろ奪う存在である。これは、陰唇と口唇の形態的な類似と、性行為時に男性器を受け入れるという機能から、男性器を喰らう女性器という発想に至ったと考えるのが自然なことであろう。けれども、それだけではないように思われる。
Vagina Dentata神話の根底には「生命を生み出す魔力を持つ女性には、それと表裏一体のものとして、生命を奪う魔力もまた備わっているのが当然である」とする、呪術的な発想もあったのではないだろうか。ニギミタマ、アラミタマという言葉が示すように、聖なる力は、好ましい側面だけでなく、同時に好ましくない側面や荒ぶる側面を併せ持つとされることも多い。聖なる力が人間の役に立つ時には「カミの力」とされるし、人間に害を及ぼす時には「妖怪の力」とされる。こういった「カミと妖怪の間を振り子のように行き来し、変貌する超自然的な存在」という妖怪の有様は、京極夏彦作品に多大な影響を与えたことでも知られる妖怪学者・小松和彦の著作で、詳しく論じられている。女性器の神聖性に対して人類が抱いた、善悪判断を超越した畏怖の感情。それがVagina Dentata神話には残されているのであろう。
もう一つ。生命力の源泉という呪術的役割を巡る主導権争い、すなわち、女性原理と男性原理との間に生じた闘争や対立の記憶を、Vagina Dentata神話は今に残して伝えているのではないだろうか。『耳嚢』の金精神(こんせいじん)についての伝承は、生命を生むための呪術的な過程において、vaginaを重要視する女性原理から、phallusを重要視する男性原理が、地位や主導権を奪ったこと、男性原理の側から見た勝利の記憶を留めているのではないか。牙を失い、呪われた存在ではなくなった女性器は、その代償として呪術的・超越的な力を失って馴致されたとも読める。
しかしまた、こうも考えられる。生命力の源泉としての呪術的な力は、女性原理の場合、女性器の妊娠・出産の力として発揮されるが、男性原理の場合、男性器の種付けの力として発揮される。その一例として、田植え神事において、男性器を模した御神体を田圃の泥土に突き刺し、稲の豊穣を祈願するという儀礼が存在するという事例が挙げられる。金精神(こんせいじん)の由来物語も、新たな生命を創造する過程である男女の営みの中において、生命の根源に係る呪術的な部分で、男性原理の種付けの役割にも"平等に"重きが置かれるようになったことを示しているとも考えられる。そう考えるならば、つまり金精神(こんせいじん)の由来物語とは、男女双方の原理の二人三脚でなければ、人間は生命を生み出す呪術的な力を得ることは出来ない、女性原理だけ或いは男性原理だけでは決して呪術は成り立たないのだという「男女の共存・和合を説く物語」だと解釈することも可能である。対立や征服の物語として捉えるよりは、そのように考えた方が、建設的で平和的なのではないだろうか。
ところで、魔を祓うのとは少し違うが、男性器もまた、困難時に着衣を脱いで曝け出すことで窮地を脱するための呪術的な行為とするという事例がある。例えば、猟師が山で迷った時に、勃起した陰茎を山に向けて見せれば、山の神(女神)が喜び、その男性を助けて無事に下山させてくれるという伝承がある。
また一方で、女性器にも似たような発想の伝承がある。田植えをする時に女性が和装で下着を着けていないと、丸見えの女性器を田の神(男神)が見て喜び、田植え作業が早く進んで終わるように手伝ってくれるという伝承がある(そういったエロ話をしながら、田植え作業に勤しむ農村女性たちの活き活きとした姿を、宮本常一が記録に残している)。
このように性器を曝け出して超自然的な存在に祈願する人間の姿は、文明化した我々現代人の目から見れば、大らかではあるが、馬鹿馬鹿しく滑稽に映る。しかし、自らの肉体の恥ずかしくて重要な部分を曝け出すことができるというのは、相手が神(カミ)であろうと人間であろうと、それを捧げる対象に全幅の信頼や愛を抱いていなければ出来ないことであり、ある種の真摯さや敬虔さの証となる行為でもある。そう考えると、男女間の異性愛だけに限らず、全ての性愛行為の根本において、信頼や愛が何よりも大切であるとされることの原点が、これらの呪術的行為や図像には秘められているとも言えるであろう。
そう考えれば、魔力を持つ性器を曝け出すという古来の伝承や図像、それらの子孫として現れるポップカルチャー的な表現は、単にこれらを面白がるだけでも全く構わないとは思うが、改めて見つめ直してみれば、案外と我々現代人が真面目に学べる何かをも多く含むのかもしれない。
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トラバより
その「どう見てもアウトの内容」の内の例えば3.5.6.を実際にやってる連中が、宇崎や戸定を批判してるわけだけど。その辺と比べて「宇崎の方がマシ」ってのは、俺の感想でしか無いの? いやそうだと言えばその通りだけど、そういう話? それとも「宇崎の方がアウトだ(と感じる人もいる)」って言いたいの?
元増田で言う3.も5.も直球の差別(難病患者や障碍者などに対する差別は、差別しちゃいけないリストに普通に載ってるタイプのやつ)だし、6.に至っては「女性差別」であり「女性に対するセクシャル・ハラスメント」だが。
それに対して、太田啓子弁護士が環境型セクハラ『のようなもの』と評した、つまり、いわゆるネトフェミ、いわゆるジェンダークレーマー側の専門家でさえ「セクハラ未満である」と認めた表現を比べて、「後者がマシ」が「印象操作」なの? バランス感覚、大丈夫か?
そりゃまあな、その加害の矛先が実際に自分に向かってるかどうかってのは大きいよ。俺も分かる。こうやって引き合いに出すのすら不謹慎だと思うけど、ロシアウクライナはぶっちゃけ他人事だし、それより目の前の生活や職、消費税だのの方が俺にとっては深刻だったりする。そこは分かるよ。だから俺と違って「宇崎の方がアウトだ」という感想を持つ人がいるのも分かる。
でもその、な。安倍をイジって馬鹿にする遊びにその他の難病患者の尊厳を巻き込んだり。正義の怒りで草津を侮辱するまではまだ良いとして、おや案外どっちが正義か悪かあやふやになってきたぞって判明した後も反省も謝罪も留保もせず純粋な自己正当化に奔走したり。自説に不都合な女性が現れたらキャンセルしたいあまり完全にセクハラに当たる様な言葉を投げかけたり。そういうド直球の被害(あなたたち自身による加害)よりも、自分達の視界にアニメ美少女が映り込む被害の方が優先されるべきだ!!!みたいな、完全に逆差別の領域に踏み込んだ態度をこそ「行き過ぎたジェンダー論」みたいな言葉で批判されとるんちゃうんか。
(行き過ぎたジェンダー論、等の言い回しというか表現そのものの胡散臭さには俺も同意するし、レドマツは不支持寄りです)
ギリギリタイトルだけ読めてるけど本文が全然読めて無いブコメに★がいっぱい付いてて恐怖は感じるが驚きは無い
yas-mal そうだよ。だから、その線引きの話をしてるはずなのに、「表現の自由を守る/守らない」なんてよくわからない話をする人たちがいて…。
俺は「めちゃくちゃ手前に線を引き直そうとしてる連中が、そいつら自身はすっげー奥にいるんだが」つってるのよ。yas-malさん自身も★付けてる人たちもまあだいたいその連中の一員ですけども。
ジャストミートの当て擦り発明したったwwwみたいな顔で「行き過ぎた表現の自由こそどーなんだwww宇崎や戸定はキャンセルだwww」って喜んでる連中が、普段別件でやってるのこそが、まさに、宇崎なんかよりもっと明確に「行き過ぎた」表現の自由です。
「行き過ぎた表現の自由はダメ」と言うのであれば、まずはお前らがわきまえろよ。別に難しい事じゃない。世間一般の人と同程度にわきまえろ。宇崎でシコりよるキモオタですらその程度はわきまえとるわいや。他人の誰かの脱法ドラッグを批判する前に、お前らがやってる普通に違法のドラッグをやるのを止めろ。
casm なんで外国の国旗風の布を燃やすことにすら言及するのに(なお国旗風の布は国章ではないので燃やしても適法)、現行法下で犯罪となるような猥褻表現(たとえば無修正エロ)の例を挙げないのだろう。
単に思いつかなかっただけで、別に他意は無いです。
今、無修正ポルノが違法なら、それを守るべきで、無修正を解禁する運動をする人もそれはそれで表現の自由に資する立派な活動だと思う。
ただ例えば無修正ポルノをおっぴろげながら「表現の自由だ!!!」ってやってる奴がいたら、それを「行き過ぎてる」と評するのには同意する。
そしてその上で、例えばトップレス女性が抗議したり、ろくでなし子氏の件みたいな思想的なものがある(いわゆる闘争)のであれば、それでこう相殺されて「表現の自由として行き過ぎてはいない」とはならないが、別ベクトルで一定の評価はあるべきだと思う。
トランス女性は女子スポーツには入るべきではない、とするブコメ群
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1656939
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/f68261224340ea383595041c49882873bbb132c7
未オペのトランス女子水泳選手が女子更衣室を裸で彷徨くのを非難するブコメ群
https://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/2013813.html
そのくせJKローリングや「ターフ」は叩くんだから都合いいよな、はてなーは。
お前らも同じようにTRAから差別者認定されて叩かれる立場だよ
そういや、「フェミニストはトランス女性を差別するな〜」って言ってたろくでなし子や森奈津子は、TRAの過激さを目の当たりにして苦言を呈して「差別者のターフめ!」と今度は叩かれる側になったな…