はてなキーワード: 暮らしとは
思えば美大に通って絵を描いているときも、私は自己表現をしたいなんて思いはなかった。
それっぽい、かっこいい、かわいい、誰かに褒められる絵を描きたかった。自分がないから、どこかで見たような絵ばかり描いていた。
好きな世界観を突き詰めてそれが否定されるくらいなら、最初から全力で向き合わずに傷つかない道を選んだのかもしれない。
何を言われても、4年間自分のしたいことを貫いて描き続けた人たちは強かった。
私は意味の分からない、理解のできない、粗削りの絵を心の中で冷たい目で見ていた。
でもそれを続けた人たちはどんどん強くなって、冷笑して逃げていた私はどんどんしょぼくなる。
思い返すと私の行動の理由も、そこに居続ける理由も、傷つきたくないから。
傷ついたり、自分が無価値であると思い知らされるのが怖くて、それならない方がいいと思って全てを回避していた。
友達に野菜を食べなきゃだめだよと言われて泣く、幼稚園の時の私。
自分のことかわいいと思っていて、「あっちゃんかわいい!」が口癖だった。
繊細ではあったけど人見知りというレベルで、3学期になれば皆と仲良いし、基本人は好きだった。
親の喧嘩が嫌で泣く私。
池田大作の本に、子供の前で夫婦は喧嘩してはいけないと書いていたのに、何でお母さんは大好きな池田先生の言いつけを守らないのかがわからなかった。
小学生、中学生の頃までは必死に空気を読んで、喧嘩する親を和ませようとしてた。自分の発言で親が笑って、喧嘩が止まるとほっとした。
中2の正月に、全部終わった。
何とかしようとするのをやめて、ずっとイヤホンをして聞かないようにした。
クラスの全員と仲良くすることもなくなった。
色んなことに向き合うのをやめた。
どんなに悲しくてもつらくても、生きなきゃいけない。
生きようとする力と、生きづらさがせめぎ合った結果、回避するという術を身につけた。
それが今の人生に影響を与えていて、スムーズに進むことを妨げているけど、でもそうしないとあの時の私は生きてこれなかったなら仕方ないか、と最近ふと思った。
子供は環境を選べないので、どうにかその場に自分を適応させたのだと思うと泣ける。
自分の心を守った私のことを、今の私が否定して、こんな自分嫌いだなんて言ったらあの頃の私は悲しむかもしれない。
認めようぜ自分を。
経済力がないと、文句しか湧いてこない相手と別れられないと学んだから、自立心が強くなった。
貧しさがいかに人を荒ませるか、清貧なんて嘘だと幼くして知ったから、お金の大切さがわかる。
自分の存在意義がわからなくて、あやふやだったからこそ、一労働力だとしても人に必要とされて感謝されるバイトが楽しかったし、仕事も好き。
白黒思考は恋愛との相性は最悪だけど、仕事では役に立つこともある。
人の顔色声色を伺って機嫌を取ってきた経験は、接客に活かされている。
自分一人でずっと暮らしていけるお金と、メンタルを保てる仕事を追い求めてたら、20代は終わってしまった。
大金持ちは目指してない。日々、ケチケチとお金で心が荒まない程度に、自分へのご褒美を難なく買える収入があればいい。
たぶん優先順位の問題で、私が一番欲していたのは経済力と安定した仕事で、そのためにもがいた結果、社会人10年目にしてやっと着地できた。
もし私が心から欲していたのが、パートナーとか温かい家族で、この10年めちゃくちゃ恋愛を頑張っていたらそれなりに形になっていたのかもしれない。
両立出来たらよかったのにな。
これから10年がんばったら、恋愛もどうにか着地できるのだろうか。
我慢を続けて抑圧しながら生きていると、40代や50代になっていきなり鬱になったりするらしい。
姉は20代で体もメンタルも壊して、通院することもあったけど今は健康に過ごしている。自分を大切にできているし、私の自己肯定感のなさに引いているくらい。羨ましい。
私は大きく調子を壊すことなくここまで来たけど、どこかのタイミングで病名がついて適切な治療を受けられたら良かったのに。
嫌になるくらい健康だから、このまま何事もなく一生何となく不調なまま、終わる気がする。
でも最近強い意志で変わりたいと思ってるので、健康な心を目指すべく片っ端から色んなことやっている。
ドツボにハマらない程度に心理学の勉強をするべく、4月から通信大学に通うつもり。
何も変わらなかったとしても、心の仕組みを知りたい。
とにかくとにかくとにかく恋愛が上手くいかないので、日記を書きました。
でもそんな自分も愛そう。
「屋根裏部屋の花たち」のwikipedia、映画中心で描いてて原作やらドラマ化について全然書いてない
そのうち加筆しようと思うけどちゃんと調べるため読み返すのもなかなかだるい
そのうち誰か書いてくれるかもしれんが
・ざっくりネタバレあらすじ
普通に幸せに暮らしてた両親+4人兄弟が、父親の死によって金無し貧乏になり、母の実家に戻ることになる
実は父母は、「叔父と姪」という許されざる関係の末に駆け落ち結婚していた
しかも叔父は不倫によってできた忌まわしき婚外子のため、祖父(主人公の/母の父にして父の兄)はガチのマジで二人の関係にいまだに激怒してる
大富豪である祖父は今病気で死にかけており、死ねば遺産を相続できる
死ぬのを待ち、母は4人兄弟を屋根裏部屋にしばらく隠す(祖母や一部の使用人は4人のことを知っており、食事など運ぶ)
祖父は帰ってきた母を喜んで受け入れ、「あんな男と結ばれていたのは許せないが、近親相姦の子をつくるという禁忌までは犯していなくてよかった」と喜んだ
兄弟らは母が外に出してくれるのをじっと待ち続けていたが、母は豪奢な実家での暮らしに「ここが本来私のいるべきところだわ~」と浮かれ、次第に子供のことなんかどうでもよくなる
祖父がようやく死んでフリーになっても、子供たちにまだ生きていると嘘をついて屋根裏に閉じ込め、新しい恋をしてそちらに夢中に
外から隔離された生活の中で長男と長女は同世代の異性が他にはいないからと近親相姦してしまう
やがて末っ子が病気になり、必死に手当するも医者にも見てもらえない中で死亡
その後シリーズ化し、外の世界でバレエやったり医者目指したり、他の相手と恋愛するも結局長男と長女は夫妻になったりする
原作では、美貌に自信があり年頃になったら恋愛したりしたいわ~と憧れていた長女が、そんなことできない屋根裏部屋の生活に不満を持つ
無邪気を装って、女性的になっていく自らの下着姿を兄に披露し、兄が恥じらう顔を見て「私ってやっぱり女として魅力あるよねー」と自尊心を満たしたりしていた
兄は長女にむらむらしまくるが妹相手なのでがんばってまともな兄のふりをしているが、同年代の子は普通に学校に行けてる時期にまともに学べないストレスなどでだいぶ精神をやられている
しかし長女の方も散々兄をたぶらかす振る舞いをして追い詰めていた自覚はあったので、互いに許し合う
この時点で兄17で妹15ぐらいだっけな?もっと前後してるかもしれない
映画では近親相姦設定展開はカットされ、普通に仲のいい励まし合う兄と妹
でもそうしようとすると食べたことあるものだけリピートしがちなんだよなあ。
俺の舌はとても上出来に安上がりだから大抵の食事はうまいと感じるはずなんだよなあ。
じゃあどこ行ってもいいじゃん!とも思うんだけど、ごくたまに「なんでこの店建ってるんだ…?」みたいな壊滅手作り飯を出してくるとこあるじゃん?比率としてはごく僅かであろうそれに当たりたくないんだよなあ。
グラタン食いてえな。容器の縁でチーズがグツグツいってるような、焼きたてのやつ。
ラーメンもいいよな。なんか違いがわからないから、多分ラーメンでなくとも近縁種ではあるだろうと思うから挙げるけど、支那そばが好きだな。たまにお麩が乗ってるやつがあるんだけどあれが特に好きだな。
あと麻婆豆腐、麻婆豆腐もいいな。広東風と四川風があるらしいんだけども、初めて巡り会ったのが四川風だから四川風の方に寄って行っちゃうんだよな。付け合わせのスープで舌が痺れるくらい山椒入れてもらうのが好きだな。
ごくたまに食べるプリン。
鮭のホイル焼きに入ってるしめじと人参の鮭の油?何らかのエキスが混ざってるあたり。
縁日のたこ焼きの、普段やってないんだろうなあって婆さんが作ってるやつ、めちゃくちゃうまいか食った後腹具合が心配になってくるかの二択だよな。
上にゼリーみたいなのが載ってるタイプのチーズケーキ、なぜかあれ見るとワクワクするんだよな。多分、小さい頃にいい思い出になるような形で食わしてもらったんだと思う。
豚汁。
グリーンカレー。普通のカレーももちろんそれはもう好き。スパイスカレー?はものによる、なんかの種みたいなの食わされるようなのはちょっと苦手だな、喉にひっかかるんだよな。
何ヶ月か熟成する方の生ハム。しば漬け。半熟じゃないオムライス。白子の天ぷら。舞茸の天ぷら。しいたけの天ぷら。タルタルソースの白身のフライ。衣がバキバキにとがったとんかつ。マッシュルームとブロッコリー多めのシチュー。キャベツのなんか塩とごま油のやつ、名前忘れた。タイだかのなんかちょっと辛いチャーハンみたいなやつ、焼きそばみたいなやつもおいしかった、名前がわからないし、なんなら本当にタイ料理だったかどうかも思い出せない。梅水晶。卵載せて天かすいっぱい入れたうどん、の最後の方の汁が天かすと卵でドゥルドゥルになってるあたり。イカフライ、イカリング。串カツ。サバの塩焼き。チーズバーガー、どこのチェーン店のやつでも。牛すじ、モツ煮、キンカン。アスパラ。
普通に腹減ってきちゃったな。何食べようかな。
よかった!わかってくれて!
料理の写真あげてる人も丁寧な暮らししてる清楚な美人なんかじゃなくて酒飲みの小デブのおばちゃんだからな!
無駄に敵を想定するんじゃないぞ!
https://b.hatena.ne.jp/entry/4748063692945750511/comment/Big_iris
“夏の暑さも” 冬はこれがいいと思うけど 昨今道東すらも30℃超えることもあるが高気密断熱住宅で北海道の湿地帯に暮らしてる人達は蒸し焼きにならないんだろうか。
自分が生きる最低限の食い扶持すら稼げず、人の稼ぎにおんぶに抱っこ
恥ずかしいことに決まってんだろ
主婦として家事育児をしていたり子供であるならば人の稼ぎで暮らしていていいよ
犬の言葉を人の言葉に翻訳することはできない。なぜなら、犬の言語は失われてしまっているから。きょうはこのことについて話そう。
犬の鳴き声を翻訳するアプリを検索すればいくつも見つけることができる。かつては、バウリンガルという翻訳機がもてはやされた。そういったものを見る度に、僕の心には疑問が浮かび上がった。本当にそんなことが可能なのだろうか、と。
あなたは言葉を誰に教わっただろうか?親兄弟、友達、そして学校の先生だろう。言葉はコミュニティの中で生まれ、育てられていく。コミュニティなしでは言葉は生まれ得ない。これは誰もが同意してくれることだと思う。
もしあなたが生まれると同時に森に捨てられ独りで成長したら言葉をしゃべっていただろうか?唸り声は出せるかもしれないが、複雑な情報を伝える言葉は生み出せなかっただろう。
さて犬はどうだろうか?彼、彼女らは言葉を話すコミュニティで暮らしているのだろうか?そんなことはない。多くの場合、誰も言葉を教えてくれない。したがって、彼らは言葉を持たないのである。
言葉を話す人と一緒に暮らしてるって?もちろん、人は言葉を話すし、犬も数十単語であれば意味を理解しているとされる。でもそれは人語であって犬語ではない。もし犬が人語を喋るのであれば、そもそも翻訳もいらないではないか。
かつて犬がオオカミとして群れで暮らしていたとき、そこには犬の言葉があった(正確にはオオカミの言葉か)。彼らが群れを離れ、人と共に歩む道を選んだ時、犬の言葉は失われてしまったのだ。
もし犬と意思疎通を図りたいのであれば、失われた犬語の再建が欠かせない。オオカミの言葉から犬語を作り、人が犬語を話す練習をして、生まれたばかりの子犬に犬語を教えてあげよう。そうなれば、翻訳機は本当の意味で翻訳機となり、我々は意思疎通を図れるようになるだろう。
追記:ムツゴロウ動物王国みたいに数十匹の犬が群れで長年暮らしている環境であれば、ある程度の言語は生まれているのかもしれない。
①普通に暮らしてりゃ歯科矯正してる小学生は女の子のほうが多いくらいすぐわかることなのに(なんせ2倍となると30年前の4年制大男女比くらいだからね)ソースを要求して出されたら話をすり替えようとする(無理やりすぎて寒気がするレベル)
②唐突にアクセサリーの話をしだしたかと思えば、「どこからアクセサリーの話が出てきたのかも意味不明」と言っている人に対して「華美なものだと思い込んでいる」と謎マウント
政府なんつうものは基本的に国民が儲かって豊かに暮らしてくれた方が税金も増えるし
国が助けなきゃいけないような貧民は少なければ少ないほど嬉しいもんなのに
なーんで真逆に捉えるのかねえ
たとえどんな賢い奴が英語学習に全ての時間を捧げてたとしても、
ネイティブの配偶者を得た者が長年一緒に暮らし続けたとしても、
英語力や英語理解はほどほどの水準で頭打ちになるんだぞ。それって英語を母語とする平均的な成人のそれを遥かに下回る水準なんだぞ。
ピーター・バラカンの日本語力さながらに英語力を後天的に鍛えられる日本語母語者はほぼ存在しない。
その上で問うけど、そんな状態で英語圏に移住してより良い生活になると思う?
どのネイティブも自分の英語をあまり深く理解してくれないんし、自分もどのネイティブの英語もぼんやりとしか理解できないモヤがかかったような世界に身を投じるんだぞ。
男が稼いで女が家を守る時代は終わった。今の時代はリベラルだ。男女平等。一緒に稼いで、一緒に家事を分担して、一緒に子育てをする。
そういう世代に生きてきた。自分の小さいコミュニティでは、それが正義だと思っていた。
現実はどうだ。
仕事を平等に分担し、均質化すると、目立ってくるのは基本的な能力差だ。
なぜ自分より稼ぎが低く、家事と育児が適当な人間と暮らしているのか。加えて、育児が始まれば稼ぎも止まる。
育児は一生懸命やってくれている。でも、一緒にやることで見えるクオリティ差は歴然だ。
愛はある。でも、愛に加えて、合理的に仕事を分担し、効率的にこなしていくことこそ、家族の形だと思っていた。
実際は、合理的に、効率的に物事を進められる方に負荷が拠り、それをつらいと感じても、「家族とはそういうものではない」と切り捨てられる。
愛はあるんだ。でも、なぜなんだ。なぜ、そんなにも普通にできるはずのことが、普通にできないんだ。
選んだのはあなたでしょうと、一度決めたからにはと、たくさん言われる。そうさ、私が選んだ世界だ。じゃあもうこの世界から抜け出せず、あきらめたければ死ねばいいのか。