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はてなキーワード: 日本の伝統とは

2024-05-23

『滅びろ商店街』 (2023年映画)

『滅びろ商店街』は、2023年1月25日に公開された日本ホラー映画監督山本政志、主演、山田裕貴

あらすじ

地方の小さな商店街で、突然人が消え始めるという不可解な事件が発生する。主人公青年山田一郎山田裕貴)も、親友失踪事件きっかけに、商店街秘密に迫る。

一郎は調査を進める中で、商店街には古くから伝わる呪いがあることを知る。その呪いによれば、商店街は定期的に滅びることになっており、その度に新たな商店街誕生するのだという。

一郎は、商店街を救うために呪いを解こうとするが、そこに謎の集団が現れ、彼らを阻む。一郎は果たして商店街を救うことができるのか? 

解説

『滅びろ商店街』は、日本伝統的な商店街舞台にしたホラー映画映画の中で描かれる商店街は、活気あふれる昔ながらの商店街でありながら、どこか不気味な雰囲気を漂わせている。

また、映画には呪いや謎の集団など、ホラー映画定番要素がふんだんに盛り込まれている。これらの要素が絡み合い、観客を最後まで飽きさせない展開となっている。

評価

『滅びろ商店街』は、ホラー映画ファンから高い評価を得た。特に日本伝統的な商店街舞台にした設定や、ホラー映画定番要素をうまく取り入れた脚本が称賛された。

また、山田裕貴の演技も評価されている。山田裕貴は、主人公青年山田一郎を熱演し、観客を映画世界に引き込んだ。

その他

『滅びろ商店街』は、日本ホラー映画の新たな可能性を示す作品と言える。伝統的な要素と現代的な要素を融合させたこ作品は、今後多くのホラー映画ファンを魅了していくことだろう。

補足

『滅びろ商店街公式サイトhttps://horobiro.street/

2024-05-18

日本の伝統価値観を大切にしよう

とか言ってる既婚女性って何でお歯黒にしないの?

2024-05-12

anond:20240512091344

今は新しい時代への過渡期だから仕方ないよ。

これから時代は、女性実家をでることなく、実家シングルマザーとして子育てするようになる。

婚姻制度形骸化し、日本の伝統的な通い婚が復活する。

2024-05-09

暗黙の短歌テーゼ

最近短歌に関する増田記事とそれへの反応で気がついたのは、多くの人は歌人が共有する短歌に関する暗黙の考え方を知らないということだ。

短歌詠みの間には短歌に関する決まりごとや規範が暗黙のうちに共有されており、それを念頭に置いて歌を詠んだり、鑑賞したりする。私はこれを「短歌テーゼ」と勝手に呼んでいる。

あらかじめ言っておくと、このテーゼは必ず守らなくてはならないルールではない。むしろ現代短歌どうやってテーゼに沿わずして魅力のある短歌を生み出すか試行錯誤している節がある。

だが、どんな流派であっても優れた歌人はこのテーゼ意識し、従うか対抗するかのスタンスを明確にして歌を詠んでいる。そして、そのスタンスがある程度共通している歌人同士が同じ結社の中で作歌や鑑賞をすることで歌風確立させて行くのである

であるから、反例となる名歌はいくらでも挙げられるであろうが、反例があることはテーゼ存在しないことを意味しない。

以下、私はこれが短歌テーゼだと思うものを挙げてみる。これらは私が歌会での経験短歌関連の書物を通じて知ったことをベースにした持論であり、歌壇において認められた学説などではないということは断っておく。これらが短歌テーゼ網羅したものとも考えていない。もしこれも短歌テーゼなのではないかと思うものがあれば、教えてほしい。

また、この記事を書くにあたって各テーゼに従っている歌と、対抗する歌(=アンチ・テーゼ)を例示しようとしたが的確な歌を全部に配置できないので諦めた。こうした歌の事例もぜひ提案してもらえると嬉しい。(この記事果たしてまれるのか?という疑念はあるのだが……)

ちなみにこれから挙げるテーゼに対して確信犯的にすべて逸脱しているのが穂村弘である穂村弘歌人の中でも一般的知名度が高く、フォロワーも多いのだが、実のところ短歌テーゼ的には極めて特異な位置付けにある存在だ。ただし、それは戦後短歌運動の流れを意識的に継承した、れっきとした文学的試みである

1. 短歌は、<うた>である

短歌本来は歌であり、5・7・5・7・7の韻律を守り、音読したときに美しい調べとなるよう詠むことを求める。句割りや句またがりを多用したり、日本語として音読が困難な言葉を入れてはならない。

2. 短歌は、現実描写するべきである

歌会などで短歌の詠み合いなどをすると、時々「この歌は"作ってる"ね」と評されることがある。短歌描写リアリティが無かったり、やけにドラマティックであるなど、現実には起こったことでない内容である判断された時にこう言われる。このテーゼにおいては、どれだけ平凡ではあっても日常に実際に起こったことの方がドラマティックな虚構よりも価値があるのである

3. 短歌は、作るものでなく生まれものである

"作る"という先ほどの言葉の中には、作為的言葉を操り、上手く作ろうとする気持ちを戒めるニュアンスも含まれている。日々優れた短歌を鑑賞し、心のうちに誦じて日常を過ごす中で、するっと生まれてくるものを精製するのが本来短歌なのである。こうした体験なしに、ただ物珍しい言葉をいたずらに組み合わせて面白がられる歌を作ろうとする姿勢は望ましくない。

4. 短歌は、身体性を伴うべし

短歌日常生活に即した芸術である。その生活感覚は、身体から得られるものであって、生活に根ざしていない社会政治的話題や、テレビで見たことなど身体を伴わない経験を取り上げるのは望ましくない。

5. 短歌は、風景と実感の呼応関係である

短歌は、風景描写と心情の表現がセットとなるように構成すべきである風景はただの現実ではなく、それに対峙する詠み手の心情を象徴するものとして描写されなければならない。

6. 短歌には、情念を込めるべきである

ただものごとを説明するだけの短歌はただごとうたであり、本来短歌ではない。短歌には詠み手情念表現されなければならない。

7. 短歌は、日本の伝統文化である

短歌日本語を支える伝統文化である王朝時代以来の和歌歴史を学び、古典の優れた歌に触れながら、そのような伝統に連なることを意識して歌を詠むべきである和歌過去の名歌を鑑賞し、日本文化象徴するような風流事物を題材として歌を詠め。




追記:

ちなみに私自身は1・4・5・6に賛同し、2・3はややや否定的であり、7は積極的否定するスタンスである。7とどう決別するかは、戦後短歌の大きな課題でもあったという認識である

2024-05-08

anond:20240508133151

さすがだな

Chat GPTだとこんな感じの鑑賞だったよ

まだまだ人間が上か

この俳句は、日本の伝統的な文化である俳句形式使用していますが、その内容は現代ポップカルチャーとの興味深い対比を表しています一般的に、魔法少女というキャラクターは、可愛らしさや女性らしさを象徴するイメージがありますが、「実はおれ」という男性主語使用されており、性別や期待に対する挑戦を示唆しています

また、「告げる雪」というフレーズは、冷たい雪のイメージと、何かを伝えるという意味合いを持っています。この対比は、普段は明るく希望に満ちたイメージ魔法少女と、冷たく静寂な雪のイメージとを結びつけ、その両方に含まれ可能性や複雑さを示唆しています

この俳句は、伝統的な日本文学形式を通じて、現代ジェンダー役割文化的な観点に挑戦し、異なるレベルでの理解考察を促しています

自民党って実は正しいんだよな

少子化対策がまんまイスラエル参考にしてる

大家族形成して家を大切にしましょうって形

ユダヤ教を参考にしなくても、昔ながらの日本の伝統的な家族観はそのまま少子化解決に繋がる

少子化対策を訴えながら自民党批判するのは間違ってるんよ

少子化解決したいならむしろ自民党を支持しなきゃいけない

日本の老人は実は自民党を支持して日本少子化解決して発展へと繋がる未来投票してるんであって

しろリベラル価値観日本を滅ぼすんだよな

2024-05-07

ネコチャン🐈

あなたに似合う日本の伝統色は【杜若色】です!知的雰囲気。いつでも冷静沈着。忍耐力がすごい。たまに天然発言

あなた伝統色に例えると

https://hoyme.jp/shindan/38341/results/908

🐈あー。ねー。忍耐力凄い。

2024-04-28

anond:20240422214324

親を敬う必要はない、地元にとどまる必要はない、日本の伝統とかどうでもいいし国が嫌なら出て行っていい

そういう思想をまき散らすとこまでは結構なんだけど

「ブンカのニオイのするモノ」だけは何が何でも護持しろとか、スタンス的に無理あんだろとしか思えんわ

2024-04-16

日本共同親権法案可決についてのRedditでの議論

日本ではなかなか見られない、本質をついているまともな意見ばかりで参考になる。

共同親権を先に導入してきた彼らを見習って日本も後に続いていこう!

/r/japan/comments/1c591sx/japan_lower_house_oks_bill_to_allow_joint_custody/

以下翻訳して抜粋

C0rvette

これは非常に嬉しいことだが、私はインスタグラムコメントで、それに反対する日本女性たちと命がけで戦っていた。男には何の権利もないし、子供を育てる能力もない、というのが定説になっているので、とても憂慮しています

Previous_Refuse8139

面白いですね。何か面白い反論はありましたか

私がいつも目にするのは、共同親権を持つことで虐待を続けることが可能になるというものだ。

C0rvette

そのほとんどは、暴言身体虐待に関する同じような投げやりなコメントが中心だった。

私は、裁判所はそれを考慮するだろうし、虐待する女性もいろいろなタイプがいる、と反論した。

さらに、その人が良い親であれば、とにかく離婚はしないというキックバックもあった。

すべてのナンセンス

Tsukiyo_Hitori

CDPが家庭内虐待懸念して法案規定を設けた後も、彼らは法案に大反対し、ツイッターなどのSNSで大騒ぎしていた。その時点では、子どものことではなく、男性に対するある種の「仕返し」が目的だったのだ。日本蔓延している社会問題ジェンダー問題特に女性)は理解しているが、このような話題は取り上げるべきものではなかった。

C0rvette

君の言う通りだ。子供武器にして男性に対抗している人が驚くほど多い。この法案はとっくに提出されている。

MktoJapan

なぜ自分の子供が父親に会えなくなることを望むのか?

C0rvette

私も同意見だ。私の個人的な信念は、状況がそれを妨げない限り、すべての子どもは両親と平等に接する権利があるということだ。

EvenElk4437

不思議なのは日本では右翼けがこの法案に賛成していることだ。ほとんどすべての左翼が反対している。

tokyoevenings

なぜ反対なのか?

EvenElk4437

単純な党派性。これもあると思う。今、自民党支持率が下がっているので、ここで大きなムーブメントを起こしたいという思いがある。

少し前までは多くの人が賛成していたが、今は反対する左翼が多い。

liatris4405

というのも、男女の性役割分担について、日本海外では認識ギャップがあるからだ。海外の人は、日本男尊女卑の国だと認識していますが、実際は男女の性的役割分担が非常に強い国だというのが正しい認識だと思います性役割分担が強いと聞くと、外国の人は「女性は家庭に閉じこもってお金がない」と認識する。しかし、実際はそうではない。

日本女性社会生活において一定権力を有している。その一例が、この親権に関するものだ。日本では、母親子供に対して非常に強い親権を持っているが、男性基本的にそのような権限を持っていない。そのため、女性が夫を気に入らない場合子供を連れ去り(実質的には誘拐)、自分親権を得ることができる。これは、たとえ子どもを連れ去られたとしても、母親親権を得る確率が非常に高いかである

その結果、日本女性外国男性結婚して子供をもうけた場合、その外国男性不和になれば、子供を引き取るという選択をする可能性がある。男性外国女性結婚して子供を連れ去ることはあり得るが、これは非常にまれなケースである

日本フェミニズムは、このような女性強い力を維持するために、さまざまな場で活動している。政治の場でもマスメディアでも活躍している。そしてフェミニズム左翼政党と強く結託している。典型的な例は、日本キリスト教婦人矯風会(https://kyofukai.jp/)という組織で、日本共産党と強い結びつきがある。

その結果、左翼(あるいはフェミニスト)の日本人は、母親である日本女性権力維持に寄与しない政治活動に反対したり、あまり支持しなかったりする。

Elvaanaomori

最近、妻とその話をしているんだ。ここ3~4週間、彼女インスタグラムツイッターアンチグループに溢れかえっている。

共同親権から子供たちを守ろう」と、他国ではどうなのかというフェイクニュースを流す母親たち。

フランスでは13歳の少女父親から性的虐待を受けている blablabla」とんでもない、こんなことが起こるはずがない。

自分のことより子どもたちのことを考えろ。

虐待から子どもたちを守る必要がある?もちろんだ。

子供たちが両方の両親と良好な関係を持つことを妨げてはいけない。もし夫婦を保てないのであれば、それは子供たちではなくあなた責任だ。

MyStateIsHotShit

現在制度もまた、完全に時代遅れで、悪用されやすい。

夫が酔いつぶれるまで待ち、DV警察通報し、離婚申請し、(大半の場合子どもを手元に残すことができる。

父親養育費の支払いに追われ、うつ病になり(文字通り、腹黒女に子供を引き離されたのだから)、悲しみに暮れる。

そして、男性にとっての純粋な悲しみは、弁護士軍団を雇い、私立探偵を雇って合法的元彼ストーキングし、何百万ドルもの資金を投じて数年にわたる訴訟を闘わせ、子どもを引き留めることができる超富裕層によってしか防げないということだけは、もっと笑止千万である

さらに悪いことに、男性子供を手元に残すための他の農民レベルの富を得る方法は、元妻が臨床的に精神異常で動揺しており、裁判官親権を与えてくれるよう祈ることだ。

ReindeerPlayful8797

興味深いことに、日本フェミニストたちは、妻が家にいて夫が外で働くという日本の伝統に由来する考えにもかかわらず、単独親権は「女性権利」の一部だと信じている。また、女性権利という点では欧米が進んでいると漠然と信じているため、欧米人の(白人ボーイフレンドや夫には、欧米から見れば超保守的な「フェミニスト」的態度をさらに示す傾向がある。外人の夫が一人で稼いだ家計をすべて管理しようとするのは典型的な例だ。



最後にこのコメントを紹介しておこう。

Just_Cruising_1

待てよ。日本男性は以前、自分の子供の親権を持てなかったのか?なんてことだ。不公平だ。法律が変わるのは素晴らしいことだ。

そりゃあ驚くよね!

なんて後進国なんだって

いまさらやっと導入して、しかもそれに反対してる勢力がいるんだって

法律が変わるのは素晴らしいことだ!!

2024-04-13

anond:20240413095406

子育て性別役割分担として女のほうが適してるだろ。それが日本の伝統的な保守立場だと思う。

男が子育てに直接関わる思想は女々しいリベラルっぽい最近思想だなと。

からこの騒動乳母のような仕事したい男が騒いでる奇妙な騒動とみてる。

自分の周りの離婚してる男は新しい女作って遊んでる。子供に執着してる女みたいな男はいないな。

2024-03-10

当たり前のように信じていたけど嘘だったこ

「野原ひろしは連載当時の基準だと平均レベル」→当時の基準でも平均以上の勝ち組

専業主婦日本の伝統生活スタイル」→欧米から輸入された昭和先進生活スタイル

昭和は安定した終身雇用制だった」→そんなの大企業だけ、大多数の日本国民には関係なし

俺が弱者男性からって騙されてたわ

2024-03-02

俺は多分左翼思想を持ってるけどジャップ増田同類にされたくない

左翼思想というのは「数理や科学世界法則を見つけ出したい!」とか「AGIの開発が進んでほしい!」とかそういう進歩思想のことね。

からといって「ジャップタヒね!」って言ってるゴミリベラルとはちょっと違うんだよね。

日本人尊敬しているし、なんなら日本の伝統文化についても守っていくべきとも思っている。

思うのは、左翼右翼じゃなくて、日本が好きか嫌いかって分類の方が正しいと思うんだよね。

日本が嫌いって奴らは全員敵。

2024-03-01

anond:20240229143831

シヴィラゼーションでは勝利条件の一つに文化的勝利があるんだよな

自国文化で持って相手国の文化を滅ぼしたら勝ち

それで言うと、日本の伝統文化である古文漢文不要じゃん捨てちまえって意見国民同意した時点で日本は負ける

古文漢文不要論者って飯食ってクソして繁殖するだけの日本自治区があればそれで良いって言ってるのと同じだよな

2024-02-11

豚汁の 豚がなければ ただの汁

この句は、日本俳句形式に従って書かれたもので、俳句の特徴である季語や切れ字、五・七・五の音数を含んでいます。その意味は、非常にシンプルものですが、奥深いニュアンスが含まれています

豚汁の 豚がなければ ただの汁」

この句は、豚汁の中には豚肉がなければ、単なる普通の汁に過ぎないということを示唆しています豚汁日本の伝統的な料理であり、その特徴的な味わいは豚肉からくるものであり、豚肉がなければ豚汁とは呼べないということを表現しています

この句は、物事には欠かせない要素があるということを示唆しており、その要素が欠けてしまうとその物事本来の姿や意味を失うということを暗示しています

2024-01-26

AI将棋を題材にした映画awake

コンピュータ将棋ソフトを題材にした映画awake」を見た。

題材としてIT日本の伝統遊戯が融合されていて好みだった。

将棋の場面も、プログラミングの場面も良かった。

映画では浅川棋士将棋を指すAIであるawakeが対局することになる。

実はこの対局の結果はある程度予測できるようになっている。

浅川棋士はどのような棋士なのかが作中で描かれている。それも棋士になってからだけでなくもっと若い時でもどういう人なのかが語られている。

その部分と映画の後半で起きていることを合わせて考えると、対局はどちらが勝ちそうか予測できるようになっている。

この映画で少し残念だったのはスタッフロールでの音楽である

将棋本来楽しいものから二人には将棋を楽しんで欲しいという先生の思いが偶然の形で実現するのだからもっと明るい音楽で終わるべきだったのではないだろうか。

ともかくこの映画お勧めである

金光翔 『<佐藤優現象批判

インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載

目次

1.はじめに

2.佐藤優右派メディアでの主張

 (1)歴史認識について

 (2)対北朝鮮外交について

 (3)朝鮮総連への政治弾圧について

3.佐藤優による主張の使い分け

4.佐藤優へ傾倒する護憲派ジャーナリズム

5.なぜ護憲派ジャーナリズム佐藤を重用するのか?

 (1)ナショナリズム

 (2)ポピュリズム

 (3) 格差社会

 (4)「硬直した左右の二項対立図式を打破」―〈左〉の忌避

6.「人民戦線」という罠

 (1)「ファシズム政権樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤擁護する

 (2)「論壇」での生き残りを図るために、佐藤擁護する

7.「国民戦線」としての「人民戦線

8.改憲問題と〈佐藤優現象

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

10.おわりに

1.はじめに

 このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。

 だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディア排外主義のものの主張を撒き散らしている。奇妙なのはリベラル左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。

 佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場記述検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。

 「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動共鳴する特定編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチ共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社カラーや論壇の左右を超えて小さなリスク共同体が生まれ編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞社会面を中心に、従来型の検察官邸主導ではない記者独自調査報道が始まる。」「この四者(注・権力民衆メディア学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論公共圏形成していく。」

 馬場見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点であるある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義体制下の護憲派が、イスラエルリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。

 以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮武力行使在日朝鮮人団体への弾圧必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的ものである。「戦後民主主義」が、侵略植民地支配過去とまともに向き合わず在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象しか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。

 私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤右派メディアで主張する排外主義を、リベラル左派容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在ジャーナリズム内の護憲派問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。

 馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である佐藤自身は自ら国家主義であることを誇っており、小谷野敦言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本右翼なんか一人もいない」。

 佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店朝日新聞出版物では、排外主義ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?

 この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。

2.佐藤優右派メディアでの主張

 まず、佐藤排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。

(1)歴史認識について

 佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本ロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立日清戦争日露戦争引き起こした。もし、日本ロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮にらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージ金正日に送るのだ」。朝鮮植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのもの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢反論することは当然のことだ。」と述べている。

 特に大川周明テクスト佐藤解説から成る日米開戦真実大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本近現代史に関する自己歴史認識開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である

 「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国アメリカイギリスによる植民地支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種棲み分け理論である日本人はアジア諸民族との共存共栄真摯に追求した。強いて言えば、現在EUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカ日本妥協を繰り返せば、結局、日本アメリカ保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民活動家の眼には、日本列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリスアメリカはつけ込んだ。日本こそが中国植民地化と奴隷支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。

 右翼たる佐藤面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。

(2)対北朝鮮外交について

 佐藤は、「拉致問題解決」を日朝交渉大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエル国権侵害でもある。人権国権侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在北朝鮮ミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義選択肢には戦争問題解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題解決」においても、戦争視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。

 さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮米ドル札偽造問題が、アメリカ自作自演だった可能性が高いという欧米メディア報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカ情報源情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証根拠も示さずに(反証必要性を封じた上で)、「北朝鮮情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤現在右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。

(3)朝鮮総連への政治弾圧について

 佐藤は、「在日団体への法適用拉致問題動く」として、「日本政府朝鮮総連経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネス利益を得ている勢力牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。

 漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件摘発拉致問題解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮日本交渉する気にさせるのが警察庁仕事。そのためには北朝鮮資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関民族学校などへの強制捜索に理論根拠提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。

3.佐藤優による主張の使い分け

 排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。

 佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。

 一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループサイト上での連載である地球を斬る〉では、「慰安婦問題をめぐるアメリカ報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的立場から日本政府謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題 Permalink | 記事への反応(1) | 18:32

2024-01-19

anond:20240118211616

将棋日本の伝統なので、プロにはわりと真面目に将棋を広めるとか文化振興とかをやってほしいんだが

将棋の強さとかはおまけでいいので

2024-01-09

anond:20240108053558

ちなみに、日本の伝統家庭料理健康的だと一般に思われているけど、実際は塩分過多であり、健康を考えると味噌汁は飲まず、代わりに食事中は茶や白湯を飲む方が健康に良いことが多くの医師によって指摘されているよ。

2024-01-08

味噌汁ってまずいよね?

味噌汁って何かと日本人の心の原風景、「おふくろの味」呼ばわりされているけど、正直いってマズいよね。

スープなら中華スープとか洋食コンソメスープポタージュスープの方がおいしい。

味噌を使ったスープなら味噌ラーメンのスープの方が圧倒的においしいよ。

日本料理だって高級な懐石料理ではすまし汁(お吸い物)が出てくる。お吸い物や西日本うどんの汁はとても美味しい。でも

一般家庭の家庭料理で出てくるあのドロっとした味噌汁、何が良いのか理解できない。

追記

なんか勘違いしてる人が多いから書いておくけど、「ドロっとした」っていうのは粘度のことじゃないんだよ。味がドロっとしてるの。あとこれは俺の実家だけの話じゃない。他のご家庭のお味噌汁を頂いたこともあるけど、やはりドロっとした味で美味しくない。もちろん、そういう本音は口に出さず「おいしです!」と言ったけどね。インスタント味噌汁を勧めている人もいるが、インスタント味噌汁も美味しいとは思わない。定食屋味噌汁は悪くないかもしれないけれど、定食にはやはり中華スープの方が合う。だから定食定食屋より町中華で食う。

要するに「味噌汁こそ日本人の心のふるさとだ」みたいな考え方が嫌なんだな。

ちなみに、日本の伝統家庭料理健康的だと一般に思われているけど、実際は塩分過多であり、健康を考えると味噌汁は飲まず、代わりに食事中は茶や白湯を飲む方が健康に良いことが多くの医師によって指摘されているよ。

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