はてなキーワード: 入試とは
「元町議の女性がレイプ被害は虚偽申告であったことを表明するに至った現在では」というのは、どの動詞にかかっているのかを考えた。
どの動詞にかかっていると読んでも意味するところはおかしいので、断定しづらい。
①行き過ぎた表現であり
②傷つける表現であった
③当団体として率直に認め
⑤お詫び申し上げます
①だとすると、行き過ぎた表現かは告発が嘘だったかによって変わる、ということになる。これに同意するとは考えにくいし、俺もそれが正しいとは思わない。文の構造だけで言えば、一番まっとうな解釈なのだが。なお、元増田はこの解釈なのだと思う。
②は、①と②が並列なのにより近い①ではなく②だけにかかるというのが、日本語としておかしすぎる。
③だとすると、意味するところは「もともと行き過ぎた表現だったけど、本人が嘘だとげろってしまったから我々も認めます」となる。こんなものが謝罪とは言えない気はするが、私たちの言いたいことはこれですと居直られたら、やっぱりお前らはそういうやつらだよなという納得感がある。
④だとすると、③よりさらにひどく「もともとと行き過ぎた表現だったと認めていたけど、本人が嘘だとげろってしまったから我々は連帯の意思を撤回します」ということになるが、もともと認めていたわけではないようなので、事実に反する。
⑤も、同様。
【悲報】ゲームクリエイタ「底辺低学歴がゲーム好きってのはマジ。Z指定ゲーム制作時ですら『小学校でもわかる内容にしろ』って言われた [257926174]
https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1701209973/
1 安倍晋三🏺 ◆C3g6ph46co (スププ Sd7f-SQTu) 2023/11/29(水) 07:19:33.96 ID:rc0wicaDd BE:257926174-2BP(1500)
2023-11-29
■ゲームクリエイタだったけど、「低学歴や底辺はゲーム好き」って話について「確かにそうだな」って思う節が結構あるわ 編集
「底辺や低学歴はゲームが好き」ってエントリを見て確かになあって思った
ゲームクリエイター、厳密に言えば、ゲームシナリオライターだったけど、
その時によく言われたことは小学生高学年にも理解できるストーリーや表現を使えだった
Z指定のオトナゲーム。いわゆる18禁のゲームを作ってる時なんだは
子供はできないゲームを作ってるんだから、それなりに難しい表現にしないと
プレイヤーも子供騙しでつまらない、満足しないだろうなあって思って作ったら、
(市井っていう大学入試でよく出る漢字がNG食らったの覚えてる)
しょうもない子供騙しどころか、つまんないストーリーのもん作ってるなあって思ったわ
あと、キャラクターを作る時に漫画的な単純なキャラを作ってたことを思い出した
例えば、「このキャラは金持ちだから性格が悪い」とか「このキャラはエリートだから腹黒」とか
現実社会みたいな金持ちだけでエリートで性格がいいとか表現はマジでできなかったわ…
底辺や低学歴がゲーム好きってことから、金持ちだけど性格がいいとかキャラは反発するのかなあって今更ながら思った
あと、製作者側で言えば、当時はそれなり大きいゲームメイカーで働いてたんだが、
だいたい入社して2-3年目くらいまでは、お昼休みとかに休憩所でスマホゲームとかVitaとかやってるのを見かけたけど
それ以降はみんなゲームを辞めていく感じだったわ
学生時代と違って金があるので他の趣味をやるようになるようだった)
ゲームはたまに遊んだら派手で面白いけど、時間が余ったり、他の趣味に飽きたらする趣味、
まあ、俺も入ったばかりの頃はゲームやってたけど、作ってて他の作品とかを分析しながら
追伸:そう言えば、昨日の増田で高学歴がゲーム好きって言ったら、貧困対策に困るか何かって書いてたけど
「高学歴がゲーム好き」、「低学歴はゲームしない」って意見が多くなれば多くなるほど、
現実の「低学歴はゲームが好き」って事象を主張するのが難しくなるので、
「貧困は自己責任」って意見が社会で主流だったら、「貧困は社会の責任」だって意見を主張しにくくなるようなもん
私とBは部活が同じだったが、Bは不登校になったタイミングで部活にも来なくなっていた。別に仲が良くもなかったので特に連絡は取りあっておらず、いないなーとだけ思っていた(個人競技なのでいなくても困らない)
ある日のホームルームで、Bの退学が告げられた。
担任は「Bは学校に来るのが難しくなって、別の方法で勉強をする決断をした」というような説明をした。
それまで同学年に退学者がいなかったのでクラスはざわついた。ホームルームが終わると、クラスメイトAが私の元にやってきた。
「B辞めるんだ、なんで?」
Aと私は仲が良いわけではない。グループ学習でお喋りはするが休日は遊びに行かないくらいの関係性だ。
私は激怒した。
大学進学をすることになった。
志望校は堂々のD判定。だが入試形態でひとつだけ入れそうなルートがあり、私はそのルートを選択した。
そのルートは二次試験まで試験があるが、一次試験の突破率が低めな代わりに、二次試験は合格率が90%を超えており「一次さえ受かればまず受かる」と三者面談では言われた。
三者面談では同様に「この方法で落ちたら、正直この大学は厳しい」とも言われていた。
帰宅して早々に母に合格を告げたところ、即座に「でも二次で落ちるんでしょ?」と言われた。
私は激怒した。
20歳の誕生日に「お誕生日おめでとうございます。これでお前も老人の仲間入りだなw」とメッセージがあった。
そのメッセージを送ってきたのは同い年の友人で、友人の誕生日に私は肉を奢ったはずだが。
そもそも友人は既に20歳なので、自分を棚上げして私を老人呼ばわりしているわけだが。
私は激怒した。
まぁそりゃ普通にぽちぽち書いてりゃ数か所ミスることもあるやろ
文章の大筋が読めてないのにいちいち細かいミスでごちゃごちゃ言ってくるの、まさにバカの典型やなって感じではある
こんな程度ミスる俺でも京大には余裕で入れるし、そもそも俺は自分を別に優秀でもなんでもないと思ってるっていうのが最初の話やろ
こんなに何度もやり取りしてまだ主張を理解できてないってのがもう驚きだよ さすがに読解力なさすぎでは?
こんなケアレスミスする俺でさえ京大入試なんて簡単に突破できたのに、あの程度の入試さえ突破できない、俺よりバカな奴もいっぱいいるんだなってちゃんとデータでは認識してるよっていう話(以下最初に戻る)
あとまぁ暗記さえできれば通るよ 一回受けてみればいいじゃん、お前はその暗記すらできないだろうけどさ
はてブって早慶文系学部卒で35歳で年収1500万とか稼いでる層を死ぬほど逆恨みしてる、共通テスト利用入試で3科目73%くらいで受かっちゃう私立理系学部出身者とか、共通テスト7科目70%取ってれば二次白紙でも受かっちゃうウンチみたいな駅弁卒ばかりのイメージ
俺「俺は実家暮らし大卒ニート!!!AI転職エージェントよ!!!!俺に仕事を探してくれぇー!!!!!」
AI「大学入試で使用した科目、大学で学んだこと、仕事に求めることを入力してくだちい」
俺「国語!!英語!!世界史ぃ!!!!社会学!コント!デュルケム!ジンメル!マックス・ウェーバー!!!やりがいがあって!!尊敬されて!!!お金も貰える仕事ぉ!!!!」
俺「⁈ならば!!俺にもできる仕事をとりあえず教えてくれぇ!!!」
AI「ピピピー!テレン!介護、ドライバー、土木、製造はいかがでしょうか?」
俺「ほげええwwwww俺wwww大卒なのにwwww尊厳ある生き方できなくて草wwww高校時代に数学サボっただけでwwww見下される人生wwwwまともな女性と結婚してまともな家庭を築くことも不可wwww…」
俺「……椅子を用意して…太い紐用意して…屋根の梁にかけてっと。輪っか作って頸部にかけて…できた!!あとは躊躇せず椅子をキック!!!……!!!!」
俺(ピクピク…ビク…!ビク…!うんちブリブリ!おしっこジョバァ〜…ポタ…ポタ…ビク…!ピク…ピク…ぶらぁ〜んぶらぁ〜ん)
人生、完。
トロッコ問題きゃっきゃじゃなくてこれ読みなさいよ、キミら本好きって設定でしょうよ。ベストセラーになったぞ
★AIちゃんによる要約★
実力も運のうち 能力主義は正義か?(The Tyranny of Merit)は、マイケル・サンデル教授が著したノンフィクションの本です。この本では、アメリカをはじめとする先進国で広まっている能力主義(meritocracy)という考え方が、どのようにして社会の分断や不平等を招き、共通善(common good)を損なっているかを分析しています。
能力主義とは、個人の才能や努力に応じて報酬や地位を与えるべきだという考え方です。能力主義は、公平で正義に基づいた社会を実現するための理想として、多くの人々に支持されています。しかし、サンデル教授は、能力主義が実際には、以下のような問題を引き起こしていると指摘しています。
- 能力主義は、成功者が自分の成功を自分の実力だけのおかげだと思い込み、失敗者が自分の失敗を自分の無能さだけのせいだと自己責任するようになる。これによって、成功者は傲慢になり、失敗者は屈辱に耐えることになる。
- 能力主義は、教育を公平な競争の場として捉え、高等教育を受けることを社会的な昇進の手段として見る。これによって、教育の本来の目的である知的な探求や道徳的な育成が失われ、教育の質が低下する。
- 能力主義は、高等教育を受けたエリート層が政治や経済の主導権を握り、自分たちの利益や価値観を押し付ける。これによって、高等教育を受けられなかった多くの人々が政治的に無視されたり、経済的に犠牲にされたりする。
サンデル教授は、能力主義の問題を具体的に示すために、2019年に発覚したアメリカの不正入試事件(college admission scandal)を取り上げています。この事件では、ハリウッドの有名女優や富裕層の親たちが、大学入試の試験を不正に受けたり、スポーツの推薦枠を買収したりして、子供たちを名門大学に入学させていました。この事件は、能力主義がもたらすエリートの傲慢さや不正行為、教育の不公平さや劣化、社会の不信感や不満を象徴するものだと、サンデル教授は述べています。
サンデル教授は、能力主義に代わる新しい社会のあり方を提案しています。それは、共通善の観点から、人々の才能や努力だけでなく、運や環境にも目を向けることです。サンデル教授は、人々が自分の成功や失敗に対して謙虚で寛容になり、教育が知的な喜びや道徳的な目的を取り戻し、政治が多様な声や利害を反映するようになることを期待しています。
長文読むのがなんらかの理由で困難な人なら、Amazonのオーディオブックのサブスクに『実力も運のうち 能力主義は正義か?(原題:The Tyranny of Merit)』があって
確か無料だったような気がするのでそれを聴こう
共通善というものを扱う性質上、キリスト教というか神学から入るが、興味がなければそこは斜め読みしても問題ない
でも、共通善は、『おかげさまで』、『いただきます』、『生かされている』、『八百万の神/付喪神』の宗教価値観を持つ日本人にとって馴染みやすいものだと思うぞ