はてなキーワード: ルーズソックスとは
sabacurry 例えば流行り物に手を出すとかも、思い出作りとしては有効だと思ってる。「何年前?あれが流行ったときね」みたいな。他人とも思い出を共有しやすい。
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17歳JKだけど、高3の時、つまりリアル17歳JKだった時のことを思い出した
当時、ルーズソックスがやや下火になりつつあり、その対抗勢力である紺ハイソがぐんぐん勢いを増していた
そんな中で私は「流行に乗っかるのはつまらない人間のすることだ!!!」などとイキってルーズでも紺ハイソでもない靴下でいたんだけど、高3の5月頃だったか、急に「これ、今を逃したら一生ルーズソックスをはくチャンスないんじゃないか…?」と思った ほんとに何の前触れもなく、突然そう思った
それでその日の放課後にソニプラ(現在は「プラザ」と呼ぶらしいですね、時間の流れを感じる)まで行って「スミスのセンロク」を買った 「スミスのセンロク」と言われても若人にはわからないだろう、要するに当時人気のあったド定番のルーズソックスのことであり、なんと靴下1本で1600円もするんだぜ!
そして満を持してルーズをはいてみたわけだが、残念なことにその時の感想を覚えていない 最初は恥ずかしいと思ったはずだが、その後1年間はき続けたわけだから気に入ったんだろうな…特に冬場はあったかいし
20年近く経った今、あの時ルーズソックスはいておいて良かったな~と思う ソニプラに買いに行ったことや、1600円もするのかよ!高えよ!バイト2時間分だよ!と思ったこと、時間が経つと重みで下がってソックタッチがはがれる感触とか、結構汚れやすいこと、それでいて洗濯すると乾きにくいこととか、そういう体験じたいが良い思い出になっている
天才か
でも今時分かりやすい記号(ヤマンバメイクとかルーズソックスとか)を付けたギャルというかギャル自体が流行りでは無いからあんまりいないんだよね
最近、アメリカが日本に脱原発を迫っているらしい。まったく怖い話である。
しかし、ワシは大丈夫。アメリカが相手にしないような小物である。ワシのような者が原発を推進しなければならん。もちろん売名が目的だ。
福島の原子力発電所の事故は深刻だが、むかしから原発推進を言っておったワシはいまさらひっこみがつかない。
原発反対の運動に関わる若者なんて若者じゃないと思っていた。ルーズソックスをはいているようなのが若者。
そういう若者が好きなんだ。酒鬼薔薇聖斗のようなバカもまた良い。酒鬼薔薇だけは口が避けても支持できないがな。
でも事故後にデモに加わっている若者は本当に今時の若者らしい。
まったくムカつく話だ。
なんとか彼らを「若者じゃない」と言うことを考えたが、考えつかない。自己嫌悪に陥ってしまった。
最近知ったが、ひとの思考を読み取れる技術があるらしい。エロいことを考えているのがバレるのはいかん。
俺が大学生の頃はコギャル全盛で、ルーズソックスやハイソックスに超ミニ制服の女子高生が、ヴィトンやプラダといった高級ブランドのバッグや財布を持つミスマッチの是非が取り沙汰されていた。
この議論のテーマは「ずいぶん不思議な取り合わせだし、そもそも分相応なのか」という話。
中卒高卒のドカタのにーちゃんが、イギリスの高級テーラーのスーツやジャケットを着ることの是非という話に近いかも。
一方、俺はそんなのを横目に、就職してから今の今まで、私服に合わせるバッグはPORTER一択で来た。
勿論何年かごとに買い替えてきたとはいえ、JK御用達だったヴィトンやプラダに比べたら遥かに格は落ちるが、しがない地方中小ITに勤める量産型リーマンの休日としては、まあ分相応?みたいな。
そういや「支払いは任せろーバリバリ」なんてネタもあったっけ。
そんな俺だが、PORTERに飽きたのと、流石に中年が持つには子供っぽくなってきたこともあって、ヴィトンやプラダほどではないが、それなりにステータスのあるブランドのアイテムを持ちたくなってきた。
今まで見て見ぬふりをしてきたが、気がついたらいつもの靴がスニーカーから、ドライビングシューズやデッキシューズに変わっていたこともあり、バッグだってアップデートすべき?みたいな。
ちなみに買いたいのはフェリージ。コンパクトなバッグをラフに肩掛けするのが好きなので、ウエストバッグでも買おうか検討中。
このブランドは、メンズのバッグではゼロ年代からPORTERとともに人気を二分し、一時期は猫も杓子も両ブランドの模倣みたいなバッグだらけになってしまったくらいである。
今でもショッピングモールのバッグ屋を覗くと、こういうコピーまがいのが目につくんだから、影響力ではどちらもそれなりに凄いブランドであることは間違いない。
なおPORTERはともかく、フェリージをロスジェネ氷河期のキモカネおっさんが持つのはJKヴィトン並に分不相応だと思うが、もはやそんなことは気にならなくなったので、近い内に買おうと思う。
何よりキャンバスの艶と、タンニンなめしアニリン染めオイルドレザーの渋い高級感という素材の組み合わせが、良い意味でオヤジ臭くて目を奪われてしまった。
90年代後半~2010年代の男子高校生の生態が的確すぎて「わかりみが深い」「○○も追加で」と楽しむ皆さん - Togetter
https://togetter.com/li/1206408
なお地方、偏差値50以上60未満、私自身は陰キャ寄りの素朴な高校生活であった。
陽キャよりの人はDA PUMPとか聞いてた気がする。
あとモー娘な。
私は陰キャだったので椎名林檎を聞いていた。
あとスカ系が結構流行ってた気がする、東京スカパラダイスとかKEMURIとか。
ビジュアル系もまだ元気だった、GLAYとかL'Arc~en~Cielとかマリスミゼルとか。
・安室奈美恵に言及して浜崎あゆみに言及しないのは到底受け入れられない、
不幸な生い立ちを綴った自伝が出るわCD同時リリースするわ偉い騒ぎだった。
安室奈美恵と浜崎あゆみは常に比べられてた、みたいな記事よく見たが
アムラーはもう少し上の人たちだった。
あとハモネプがすごく流行っていて、男子がみんなボイパをはじめた。
一応履くけどそんなにしなくてもね、みたいな。
あとユニクロじわじわ流行ってた気がする、みんなでカタログを教室で見た記憶がある。
女子のタイプによってはベティーズブルーのショップバッグ持ってた。
みんな縮毛かけて定規で引いたような髪をしていた。
アイメイク偏重期だった、マスカラごりごりつけてひじきみたいになってた。それがかわいいとされていた。
あと腰パン。そんで裾を片方だけまくって足首を出す。
いわゆる無造作ヘア。
陽キャの人のことはわからないすまない。
ポケベルもまだいたがすぐに消えた。
はじめはストレート型白黒画面単音だったのに、
それまで単純なブザー音の高低だけで着メロを鳴らしてたのに、
教室で誰かがうっかりならしてざわついたのを覚えている。
携帯にはストラップをつけ、制服のポケットから覗かせて個性を出していた。
じゃらじゃらつけまくる派やぬいぐるみをぶら下げる派などいた。
大阪の食い倒れ人形とどーもくんのうさじいは、それぞれ気に入って長くつけてた気がする。
SMAPはすでに地位を確立していて、あこがれたり真似したりする対象ではなかったと思う。
まだAmazonがない頃で、ヤマトのブックサービスで友達と送料割り勘にしてよく本を買ってた。
そういや冷静と情熱の間を読んだりしたな。
あの頃は村上春樹が今みたいにノーベル賞だ売り上げだと叩かれたりしてなくて、もちろん有名ではあったが
藤原竜也が身毒丸に抜擢されたり、バトル・ロワイアルに出たりしたころだった。めっちゃ好きな子がよくいた。
326が流行ってた。
私も私の周りも三谷幸喜が当然みたいに好きだった。
wikiで調べてみたら1996年が最盛期だったというから、ばっちりあう。
女子高生たちのルーズソックスの丈は日に日に伸びて、顔はどんどん黒ずみ、白いテカテカ光る粉の厚みは増す一方、という時代であった。
抜群のスタイル。お人形みたいな顔立ち。何をしてもカッコよく、超絶的な人気者。
彼女がそこに存在しているだけであらゆる価値を生じる――。そんな存在。
なりたいものは何か、と聞かれたら、安室奈美恵、と本音では答えたと思う。
いくらスポーツができても音楽が得意でも、勉強がトップクラスでも、安室奈美恵を乗り越えられることはない、絶対に。
どんな努力をしたって、私の顔が半分ぐらいに縮み、彼女と同じサイズになることはない。
奇跡が起こったって無理だ。
一流大学に入ったりお金持ちになったり、ビジネスで成功したり、その道を極めたり、お金持ちの伴侶をみつけたり……
そういうのをするのは、努力である程度、なんとかなるかもしれない。
どんなに血を流しながらの努力をしても、科学がいくら進歩しても、それは不可能と思われた。
(実際、そのときより20年以上が経過した今でも、いまだに顔の大きさが半分にできる技術など存在していないだろう。)
私はそのことで、根源的な失望感を味わったように思う。
少しでも彼女に近づくための方法がアムラーになることであった。
当時の世間を覆う雰囲気は、アムラーにあらずんば人にあらず、という雰囲気だった。
女子高生というだけでメディアではいつも注目されていて、輝いている存在のように映し出されていた。
ただその、アムラーになるためには過酷な条件があり、まず、小顔でスタイルがよくないと、悲劇に見舞われるのだ。
ガングロと呼ばれる女子はそれでも、いろんな高校すべての女子が100人いたとしても、そのなかでせいぜい数人ぐらいだったものと思う。
渋谷にはみなこぞって出現していたので社会現象になっていたが、それは総体のうちあくまで数%という存在の女子たちだったと思う。
一般の女子のほとんどは日々の生活で充実しており、そんな盛り場に出向くこともあまりなく、地に足のついた生活を楽しんでいた。
私にとっての「雲の上の存在」が、まちがいなく安室奈美恵であるということ。
大金持ち、ハリウッド・スター、お偉い政治家とか大成功している経営者とかには、
そういう憧れというか溜め息がでるような感じには、ならない。
あまり羨ましくなることは、ない。
なのになぜ、安室ちゃんにだけ、このような思いを寄せ続けてしまうのだろう??
しかも数十年にわたって。
私は歌やダンスに興味があるわけでもなく、とくに芸能界に興味が強いわけでもない。
間違いなく彼女は、ほぼすべての日本女子が、憧れを抱き続ける存在なんじゃないかと思っている。
そんな彼女の、収入面や私生活は、その国民的な憧れを引き受け続ける存在であるには似つかわしくないほど
派手すぎるというわけではない。
月給制だったとのことで金銭的にも成功した経営者なみの収入しかなかったようだし、
離婚もして、贅沢なくらしをしているというようにも思えない。
こんなにも思われている存在なのに、そのギャップは何なんだろう。
高校生時代は、彼女の華やかな、表面的なところしか見えていなかった。
安室ちゃんみたいに華をもって生まれていたら、世の中をすいすい、自在に、泳ぎ回れるんだろうな、
何をしようとしても、道は勝手に開かれていくんだろうなと。
でもこの年になって、わかった。
違和感のある引退報道を受けて、しばらく彼女のことを久しぶりに、思い出していた。
それで昔はなかったネットで、彼女の裏の顔を知ることができた。
彼女のダンスや歌は、後天的に努力をして素質をのばしていたったものであること、
女性は贅沢をさせてくれる結婚相手を求めがちだが、そういうことにも興味がなさそうだということ、
息子を大事に育てているということ。
まだ僕はファーストキスも済ましていないDT高校生。17歳だった。
当時、階段なんかで、女子高生のパンツは見放題。若者の特権だ。
教室で机に突っ伏して、昨夜の情事の疲れを癒している(ここは妄想)M村さんのパンツが、ひょんな拍子で、臀部あたりが全面的に見えたのだ。
別にここまでは珍しいことではない。膝上からのスカートの短さを競っていた当時、よくある日常のはずだった。
そう、はずだったんだ。
だけどその日は違った。
それもそう珍しいことではない。ブラウスから透けるピンクのブラジャーも我々の日常の一部だ。
その日は、臀部が丸見えだった。
そうさ。今では慣れ親しんだが、当時は初見(当然アクションカメラやデラべっぴんではお馴染み)のTバックだったのだ。
その日は、帰宅して、日課の右腕の鍛練が終わるまでの記憶はあやふやだ。おそらくいつもよりかなり短い上に、参考文書も不要だった。
20年以上昔の思い出でした。