はてなキーワード: ピッチャーとは
努力を質や成果に転換することは非常に重要で、それが無い努力には基本的には意味がない。
それは厳然とした絶対事実であって、我々はその事実を厳粛に受け止めなければならない。質に転換することのない無為な努力に対して、我々は常に自戒しなければならない。
しかし具体的にどうすれば努力が質なり成果なりに転換するのかと言うと難しい。努力の転換、あるいは変換、その神秘さえ分かれば我々は今いる場所よりもずっと遠くに行けることに間違いはないのだけれど。
技術的特異点という言葉はSFの筋書にのみ使われるのではなく、現代において現実味を帯びて語られている言葉でもある。AIが自分よりも優れたAIを無際限に産出し続ける状態へと移行すること、これが技術的特異点である。これが実現すると、AIは無際限に進歩を遂げることとなり、その高度さは到底人間の及ぶところではなくなる。
努力的特異点というものがあるとすれば、恐らくそれは、努力が努力の質に対して向けられ、無際限に努力の質が進歩していくあるポイントのことを指すのだろう。努力を続けることによって、努力の質自体をより良質なものへと転換していくことのできる努力。そんなものがあると良いのだけれど。そんなものが本当に存在するのだろうか。
逆に考えてみよう。短期的に効果はあるかもしれないが、やればやるほど努力の質を下げていくタイプの努力。そういうマイナスの努力というものは実際に存在する。例えば、過度にカフェインを飲んで集中力を高めた状態で何らかの目的に取り組むこと。時にこういう努力は短期的な成果に繋がるけれど、一方でカフェインによって酷使された肝臓やら副腎やらは徐々に彼の努力の足かせとなっていく。つまり、これは努力の質を下げるタイプの努力であると言えよう。このような努力によっては、努力的特異点に到達することは夢のまた夢である。
逆に、努力の質を上昇させる努力というものが存在しているとすれば、それはどんなものであろうか。そして実際に存在し得るのであろうか。
結論から言えば、そのような努力は恐らくは存在している。つまり、先程の努力の逆を考えてみれば良い。体の状態を悪化させる一種の薬剤やサプリメントとは逆に、身体の状態を良くする栄養価の高い食事や深い睡眠、好ましい人間との有意味な会話、適度な運動、適度なストレス、そういったものが人間の努力の質を高めることには論を待たない。こういう努力は、努力の質を漸進させる努力、人を努力的特異点へと誘なっていく努力であると言って相違ないだろう。
とは言え、そのような努力はあくまで補助的であり、また、そのような努力によって漸進される努力の質にも限界はある。そういう意味で、もっと質の高い、努力の質を高めるための努力が必要になっている。
最近分かってきたのだけど、この「努力の質を高める努力」に有力なのは、「脳のモードを切り替えること」だと気付いた(気がする)。
脳のモードを切り替えるというのはどういうことかと言うと、例えば、ある時に文章を書いている。文章に集中することによって、その文章を書いている人間の脳味噌は文章モードへとシフトしている。そのようなモードは、きっと人間が料理モードに入っている時とは異なっているはずだ。
このように、とある事柄に対して集中し、ある種の「モード」へと入り、然る後に、例えば絵を描くことなり将棋の棋書を読むことなりといった別の「モード」へと、脳を切り替えること。
こういう努力の仕方が、恐らくは努力の質を大きく高めることへと繋がっていくのである。と最近になって感じた次第である。
ちょっと話は変わるが、漫画『おおきく振りかぶって』にて、野球選手の故障について語られるシーンがある。野球選手の故障は何故起きるのか、また、どのようにして防ぐことができるのか、という重要な質問に対して、作中で以下のように語られている。
つまり、野球選手は左右の筋肉のバランスが崩れがちであることが、故障の原因なのではなかろうか、と作中では結論されていたのである。
例えば、右投げのピッチャーは当然右腕を酷使する。その結果、左右の筋肉の配置のバランス、あるいは骨格の配置のバランスが、非対称になる。筋肉や骨格のバランスが崩れる。
本作によれば、このバランスが崩れた状態こそが、選手の故障を招きやすい状態であり、少なからず故障の原因となりうる状態なのである。
そのため、右投げの選手は左右の腕に同様のトレーニングを、左右対称的に施すことによって、筋肉の対称性とバランスを保ち、故障を予防することができるのではないか、と作中では仮説が述べられていた。
例えば、テニス選手は野球選手同様に手足を酷使するが、バックハンドとフォアハンド双方の筋肉を鍛えるため、バランス良く筋肉が育ち、故障しにくい対称的な骨格と筋肉を手に入れることができるのである――とも作中では述べられていた。
当然ながら、あくまでこの「左右のバランスを保つことによって故障を回避できる」という説は仮説に過ぎず、検証が必要な仮説であり、すぐに信用することはできない。
とは言えこの仮説においてポイントとなるのは、ある行為をする際に、直接的に使う筋肉以外の筋肉を育てておくことが、時に重要になるのではないか、という主張である。右投げの投手が主に使う筋肉以外の筋肉、例えば左腕の筋肉が、右投げの選手の身体運動において補助的な効果を発揮するのではないか――それも、好意的な効果を発揮するのではないか――という主張。大元の仮説の当否には怪しいものがあったとしても、このような主張は興味深く、特筆に値するポイントであるように思われる。
それを踏まえた上で、話を元へと戻す。
つまり、脳のモードを切り替えて、様々な脳のモードを鍛えることによって、ある物事に集中する際に際立って用いられる脳の部分『以外の』部分も鍛えられ、そのような努力によって、例えば文章を書く際に際立って活性化される脳の部分『以外』の部分についても鍛えることができ、そのような一見直接的に関係なく連関の無い脳の鍛え方が、却って補助的に、ある分野の知的活動に寄与するのではないかということなのである。つまり、文章を上達させたいのであれば、愚直に文章だけを書き続けるのではなく、様々な別分野の努力をすることで、様々な脳のモードを鍛え上げ、文章を書く際の補助的な効果を促進していくことが重要なのではないか、ということなのである。
かつて俗説で、人間は生涯において脳の三割程度の能力しか用いていない、というものがあった。このような俗説は現在否定されているが、翻って、脳はどんな行動をするにせよ『全体的に』用いられるものなのだ、という主張を導くことができるだろう。つまり、文章を書く際に活性化する脳の部位以外の部分も、文章を書く際にはある程度使用されている。となれば、このような部分について鍛えるために、例えば文章を書く以外の努力をすることが有力なのではないか、ということを私は言いたいのである。
絵を描く時には、恐らく脳の中には際立って活性化する部位があり、あるいは将棋やチェスを指す際にも、恐らく絵を描くために活性化する部位とはまた異なって活性化する部位が存在することになるだろう。そうだとすれば、様々な努力のモードを体験することは、脳の様々な部位を活性化させることに繋がる。したがって(あるいは翻って)、そのような様々な部位を活性化させる努力は、絵を描くことでもなく、将棋やチェスを指すことでもない別の行為をする際に、補助的な役割を果たすのではないか、ということなのである。
色々なことに集中して、モードを切り替える努力が、脳の成長には欠かせないのではあるまいか。それらの努力こそが、我らが努力的特異点に寄与する努力ということになるのではあるまいか。
今日、最近できた推しの記事が週刊誌に載ったらしい。しかも、ポジティブな内容ではなくネガティブな内容で。正直、真偽は定かではなく、彼の発言を悪いように捻じ曲げたり都合の良い解釈をされたりした可能性もあるが、とりあえず載ったということは確かである。
ここでふと思った。
色々と悲しくなったので、推しの週刊誌遍歴をジャンルごとに振り返っていこうと思う。
まずは音楽関連。
私は中学生で邦ロックに目覚め、色々と聴くようになった。そんな中、人生で初めて好きになったバンドのボーカルが不倫したという報道が入った。有名タレントとの不倫ということで世間的にとても話題になったことを覚えている。次は、2番目に好きになったバンドのベース担当の不倫。これは数年前の出来事で、1年ほど前に彼は復帰したが、それでも姿を見ると思い出してしまう節がある。
次は声優関連。
私は某ラップバトル作品が大好きで、この作品の主な登場人物はみな3人1組のチームに別れている。その中で、私が一番好きなチームのメンバー3人の声優が全員すっぱ抜かれた。まずは私の最推しのキャラの声を務める声優の不倫報道。彼はとても明るくて良い人そうに思えていたので軽くショックを受けた。正直、相手の勘違い説なども浮上し、うやむやなままフェードアウトしていった感じがある。続いて、チームのリーダーの声を務める声優。彼は不祥事関連ではなく前に結婚していて今は既に離婚してます、というだけであった。たったそれだけなので、だから何ですかとしか思わなかった。今、ファンの子と云々みたいな疑惑があるとかないとか言われているらしいが、真偽は定かでは無いので、とりあえず今回は触れないでおこう。最後にもう1人の声優だ。彼は最初アイドルとの交際報道が出た。私は某皇族の方のファンと同じように幸せならOKです派の人間なので、単純に祝福の気持ちが湧き出ていただけであった。にも関わらず、彼は浮気したらしい。全くイメージがわかなかったのでかなり驚いた。
次は野球関連。
私は関西の某球団のファンである。最初に目にしたのは監督の不倫報道。チュッ♡と文面に記載されているメールはかなり印象に残った人も多いだろう。続いて、現在は解説者となった内野手、現在は別球団で活躍している外野手、FAで移籍したエースピッチャーの不倫報道。あとは数人のピッチャー陣がゲーセンで遊びまくっているという報道もあった。
もう、私が好きになったら報道される呪いでもかかってるのかなと思うようになってきた。
辛い……………
もうね、こういう事思う時点でアウトよね。
もしネタとして「これ言ったら面白くねwwww」とか考えたならその時点でアホすぎて全く面白くないのでアウトだよね。
「交差点のど真ん中でウンチ漏らしたらパニックになって面白くねwwww」ぐらいのレベルでオツムが残念だからね。
通信障害のヤバイ点って「ヤバイ事が起きたと伝えることすら出来ないし、下手したら認識さえ出来ない」ってことだから。
予告のない通信障害はこの情報化社会においては『目と耳と口をいきなり封じられ、その事を他の人に伝えることも出来ない』に等しいから。
「江戸時代ではケータイなんてなかったけど~~」みたいなことじゃ済まないから。
他の人は「アイツ電話繋がらねーけどサボりか?ころすぞ?」みたいにしか思ってもらえない危険さえあるから。
それを想像できない?
人をおもしろおかしい気持ちにさせることで飯食ってる人が???
もう完全に終わりでしょ。
他人のことが想像できないってことは、「自分だけがオモシロイと思っているのか、人から見てオモシロイのか」が判断できないってことだよ。
それもう致命傷ですわ。
肩の壊れたピッチャー、走れないサッカー選手、喉を潰されたカナリア、翼をもがれたペンギン、残されたのは惨めなその姿で同情を誘うことだけ。
憐れだな。
でも逆に応援したくなったよ。
今まで「コイツ~~最近調子に乗ってつまらなくなったぞ~~~」ぐらいに思ってた。
でも違うんだね。
なんかそう思うと、こういう時に応援してやりたいなって思っちゃうんだよな。
メジャーになって調子こいてインディーなソウルを失って昔の客を無視してるんじゃなくて、マジで谷間の中にいるんだと思ったらさ、こういう時に声かけてやるのが昔なじみのファンなんじゃねえかってさ。
がんばれよ。
変な話、持ってなくても持ってるかのように振る舞うのが比較的楽な部類だからさ。
がんばれよ
「あの弁当、お持ち帰りだけなんですよ」
なるほど、よく見ていなかった。
店員のお姉さんは良い人そうだ。
メニューを渡され、書いてあったビーフガルビというのを注文する。
まずはお通しが並べられる。
キムチ、昆布の酢和え、味付き油揚げ?、りんごとマカロニの白和え、そしてたくあん。
なかなかうまい。
そして食ってると白飯登場。
いいね、待ってたんだよ。
食ってるとお冷や登場。
いいね、待ってたんだよ。
ピッチャーも清潔で好印象を受けた。
そしてメインのガルビ。
何か醤油的な何かで炒めてあるようだった。
とても美味かった。
韓国料理のお通しは無限におかわりできると聞いたことがあるが、
ひとりでは全部食べるので精一杯だった。
ふらっと立ち寄ったにしてはコスパの高いおもてなし具合だった。
家からは少し離れているが、次立ち寄ったらぜひまた行こうと思う。
すなわち、甲子園行くような可能性があるチームは、2回戦や3回戦とかからじゃなく、ベスト8あたりからの出場で良いと思うんだよね。
そういうチームが2回戦から出場して、相手のさもないチームが5回コールドにされるとか不憫だし、勝った方の有力チームだって無意味さ極まりないと思うんだよ。
有力チームが2回戦だとか早期に出てくるのは、やっぱり弱小チームには脅威だよ。夢も希望も無くなるよ。もっと後からでいいよ。
それと、そういうチームは甲子園が主戦場なんだし、地方大会で何試合もやって損耗させる必要はないと思うんだよね。
現地5/13、ニューヨークメッツ対シアトルマリナーズ戦で在ニューヨークの日本総領事が始球式のためマウンドに向かうもメッツの先発投手マックス・シャーザーが投球練習を続け、無視する形となり、その結果総領事はスタッフに呼び戻されてそのまま試合が開始された。
これが案外、はてぶでもヤフコメでもアジアンヘイト、差別的だとか書かれている。
たしかに初めてみる光景ではあった。でも差別かというと、普段からMLB見ている自分には違和感を覚える点があるので、とりあえず思いつくことを書いてみる。
●そもそもMLBの始球式は、選手が守備位置についているような段階で行われるものではない
始球式中は、ファウルラインあたりで走ったりキャッチボールしたりと選手はまだ準備の時間で、日本みたいに試合開始直前にやることは(たぶん)ない。投手もその時間はブルペンで投球練習してたりで、グラウンドにいない場合が多い。
日本総領事がマウンドに向かったタイミングがNPBでの始球式と同じだったのも、誤解を生んでいる原因だろうね。
そもそも「日米では始球式のタイミングが全く違う」ということを知らない人があの映像を見てしまうと「投手がマウンドを荒らされたくなくて拒否した」みたいなふうに感じるかも。
実際のところ、この日は雨で試合前セレモニーの進行に影響が出ていたらしく、それでいつものタイミングで始球式ができなかったようだ。ただ試合開始は定刻で行われることになり運営が慌ててしまった感じだと思う。
普段MLBではピッチャーがブルペンから出るときにはそういうセレモニー的なことは全部終わってしまっているので、シャーザーに対して何か文句を言うのはお門違い。「気づかないわけないだろ」みたいな意見はあるけど、普段グラウンドでカメラマンに囲まれることに慣れてる彼らの集中力はすごい。
シャーザーの性格を知っている人なら、この場面で声をかけなかった彼の行動は正解だったと思うだろうね。
イチローが投げたやつとかは見たいけどさ、正直興味ないのがほとんどでしょ。日本人が始球式するっていうのもこのニュースで知ったし。普段MLBの中継見てても始球式はよほど面白かったとかじゃないと映されないし。
スポニチの記事だと「大リーグのメッツが「ジャパン・ヘリテージ(遺産)・ナイト」と銘打って開催した本拠地シティ・フィールドでの13日のマリナーズ戦で」とあるけど、実際のところ翌日14日から行われる「Japan Parade」というイベントのプロモーションのために来ている。
球場ではボビー・バレンタイン(元メッツ/千葉ロッテの監督 いまはエンジェルスの解説とかやってる)のビデオメッセージが流れたようだが、日本総領事館のツイッターに載ってたの(https://twitter.com/JapanCons_NY/status/1525225000269144066?cxt=HHwWhICz-dCD2KoqAAAA)と同じだとすると、球場のニューヨーカーたちに「ジャパンパレードやるよ、そしてことしは日本に野球が伝わって150年記念なんだ」みたいな感じだし。
●結局どう?
タイムマネージメントできなかったにもかかわらずマウンドに行かせてしまい恥をかかせることになったメッツ運営側に非があるのは明白。投手、その他の選手を責めるのは間違い。ただ単に運営上のごたごたで試合を優先したまで。
差別かそうじゃないかって、他人が判断するのはすごく難しいと思うよ。勝手に第三者が「あいつは差別主義者だ」「アジアンヘイトが公然と行われてた」とか、言うのは簡単だけどね。