はてなキーワード: サンタとは
手がかりは「やわらかいトゲ」「今ごろ…痛い」であり、ウチワサボテンの一種と推定される。「金烏帽子」「白桃扇」などだろうか。ウチワサボテンには柔らかく短いトゲがたくさん付いているものがあり、触れるとそれが刺さりっぱなしになってしまい、ふとした時に痛みを感じる。
私はそれを知らずに素手で植え替えをしてしまい、夜中チクチクと痛みに悩まされることとなった。ホームセンターなどで広く販売されているので、触れる際には気をつけるべきだ。不意に軽く触ってしまっただけでもトゲが刺さっている場合がある。
手がかりは「君がそだてたサボテンは小さな花をつくった 春はもうすぐそこまで」「この長い冬が終わるまでに」と冬に花を咲かせる品種であるのが明示されていること。と言うわけで、シャコバサボテン(ジャコバサボテン。間違えていた。コメントより。ありがとう。以降は修正済み)である。サボテンと名は付いているけれどトゲはなきに等しく、多肉植物や観葉植物と言ったほうがピンとくるかもしれない。広く販売されている。冬に花を咲かせるサボテンはこれ以外に知らない。
冬に花を咲かせる多肉植物としてはリトープスやコノフィツムなどのメセン類があるが、これをサボテンと誤認していたとは考え難いので、やはりシャコバサボテンが正解だろう。
(追記)冬に咲くサボテンとして「マミラリア類」があるとブコメで指摘頂いた。ありがとう。確かにこちらの方がイメージに近い。
手がかりが「サボテンに花が咲いたとか 小さな幸せ 数えるんだ」という部分しかなく、判別不能。「小さな幸せ」であることから、花が咲きにくい品種でないことはわかる。花が咲きにくい品種だったら大きな幸せだからだ。
「灼熱の太陽と 風が乾ききった砂漠の ど真ん中で叫ぶサボテン トゲを持ち夢の花を守れ」という部分から推察するに、砂漠にそびえ立つ大型の柱サボテンであると推測される。
手元ある『サボテン・多肉植物ポケット事典』(NHK出版)によれば、該当しそうな品種としては「武倫柱」「大鳳竜」「亀甲柱」「ネオブクスバウミア・マクロケファラ」などがある。ちなみにタイトルの「覇王樹」は品種名ではなく、サボテン自体の別名。
「僕はサボテン 見かけよりはすごくやさしいよ」という部分しか手がかりがなく、特定困難。「見かけよりは」と言っているということは、「金鯱」のようなトゲの激しい品種であると推定される。
「トゲトゲが伸びてつらくなってきて」とあることから、トゲの長い品種であろう。そして「歩く」とタイトルにあって擬人化されているということは、縦に長い柱サボテンであることが推測される。前掲書によればそれに該当しそうなのは「近衛」「錦鶏竜」「金城丸」あたりだろうか。
歌詞に「トゲ」とあるので、トゲのないサボテンではない(つまり「兜」「ランポー」「老楽」などではない)ことはわかるけど、それ以上は手がかりが少なくてわからない。
■『レッツゴー!サボテン』サボ
歌詞に「砂漠」「トゲ」とあるので、砂漠に自生するサボテンであり(つまり「シャコバサボテン」ではない)、トゲのないサボテンではない(上のももクロの曲参照)というところまでしかわからない。
(追記)サボさんを見た。全体的な形状とトゲの長さ・少なさから判断するに、これは「墨こけし」で間違いない(https://greensnap.jp/post/311512)。特定した。
(追々記)墨こけしは3年くらい育てているけど花は見たことないなぁ。
歌詞中の「あなた」が何らかのサボテンをプレゼントしてくれた以上のことはわからない。(追記)たまに園芸店でハート型のサボテンが売られているが、それかもしれない。
「さむいのはにがてなんです」と歌い出しにあるが、サボテンは意外と寒さに強い。私は北関東に住んでいるが、育てているサボテンは冬でも外に出しっぱなしにしてある。但し、寒さに弱い品種があるのも確かである。幾つかは冬に枯らしてしまった。従って、ここで歌われているサボテンは寒さに弱いタイプの種類であると推測される。おそらくたくさんあるので特定は困難を極める。
■『サボテン』VIXX
「棘の先に華やかに咲く花」と歌詞にあることから、サボテンではなく多肉植物ユーフォルビアの一種であると推測される。具体的には「紅彩閣」あたりだろうか。
トゲのようなものを持つ多肉植物が幾つか存在するが、サボテンとの見分け方は「トゲの根元に綿みたいなものが付いているのがサボテン」と言われている。ユーフォルビアの「紅彩閣」にはトゲみたいなものはあるものの、綿みたいなものはないから多肉植物である。
で、その「トゲみたいなもの」は実はトゲではなくて「花座」と呼ばれるもので、季節になるとその先端に黄色い花を咲かせる。一方、サボテンのトゲは葉っぱが変化してできたものであり、棘の先に花を咲かせることは私の知る限りない。サボテン本体から蕾が出てきて花が咲く。
―追記―
「サボテンが赤い花を付けた」ことから赤い花を咲かせる品種であることはわかるものの、赤い花を咲かせるサボテンは結構たくさんあるので特定は困難を極める。今日、育てている「ランポー」が鮮やかな黄色い花を咲かせたので、ランポーではない。
歌詞中の手がかりが少なくて判別できない。「緑」というキーワードがあるので「(白い)ランポー」「老楽」「月世界」あたりではないと思う。
(追記)PV見た。ぷっくりとした美しい形だった。知る限りあの形に一番近いのはユーフォルビアの「大正キリン」かと思うが、断定はできない。
■『孤独のRunaway』B'z
「サボテンが街を笑い」とあるので街を笑うことのできるサボテンであることは確かだが、街を笑うことのできるサボテンは寡聞なので誠に遺憾だが判別できない。
あまりにも唐突な台詞であり、リアリズムと言うよりはメタファーであると思われ、品種を特定するための手がかりが少なすぎるので特定には困難を極める。(追記)画像を見るにこれ(https://www.iris-gardening.com/leaf/33_01.asp)に似ている。ただ、名前がわからない。わかったら書く。わかる人いたら教えてください。
―追記2―
「変な形してるのに 可愛い花咲く」が手がかりとなると思われるが、サボテンは厳しい環境を生き抜くために殆どが変な形にデザインされているし、変な形から比べると殆どが可愛い花を咲かせるので一般的な情報を越えない。
また「力一杯 握ってごらんよ」の部分からトゲがそんなに鋭利ではない種類であると推測される。鋭利なものだったら「力一杯」握ったらスプラッターと化すからである。これ以上のことはわからないものの、敢えてあげれば「金烏帽子」などのウチワサボテンあたりが妥当かと思われる。
■『仙人掌哀歌(サボテンエレジー)』二階堂衝(CV:織田優成)
ヒントが少なくて品種の特定は困難である。「仙人掌」とはサボテンの異名。
ちなみに、歌詞中に「仙人掌はただ見つめてた 君の勇姿とあふれる夢を」とあるが『植物はそこまで知っている』(ダニエル・チャモヴィッツ、河出文庫)によれば「植物は、あなたが近づいてくるのを知っている。あなたがそばに立って、見下ろしているのを知っている。青いシャツを着ているか、赤いシャツを着ているかも知っている」とある。つまり単なる擬人化ではなく「仙人掌」は少なくとも「君の勇姿」はきちんと見ていた(モニタリングしていた)と考えられる。
「ここにサボテンを植えよう 花が千年に一度咲く」とあるけれど、千年に一度花を咲かせるサボテンは寡聞である。サボテンではないが、たまにニュースで見かける「スマトラオオコンニャク」は「7年に一度2日間」しか花を咲かせないらしい。
また、これもサボテンではないが、砂漠で千年以上も生き続ける植物としては「奇想天外」がある。2つの葉っぱが延々と伸び続けるだけという奇特な植物で、成長は遅く、「種子が発芽してから種子をつけるまでに、25年ほどもかかる」との情報がある。これをサボテンと誤認した可能性がなくはない。
歌詞に「紺碧の仙人掌」と出てくる。「サンタマリア」とはポルトガル語で「聖母マリア」のこと。「紺碧」とは「やや黒みがかった青」とのこと。
「やや黒みがかった青」っぽい色のサボテンには例えば「豹頭」などがある。また、サボテンではないが多肉植物として黒っぽいものには「黒法師」がある。いずれにしても特定は難しそうだ。
―追記3―
「棘」「砂漠」というキーワードがあることから、上に挙げたようにトゲのない品種ではなく、「シャコバサボテン(湿度が高めの森林地帯に自生する)」でもないことはわかる。自己防衛のメタファーとして「棘」と表現されているらしいので「金鯱」のような棘の鋭いものをイメージして書かれていると想像される。「金鯱」は丸く成長するので(つまり柱サボテンではない)、歌詞中に描かれる主人公が落胆してうずくまっているような様子とも合致するし、かなり大きく成長するので擬人化も容易そうだ。
「荒んだサボテンは 世界を敵に回すほど トゲを伸ばしたんだ 喉が渇いてSOS」なので、砂漠に生えてトゲの長い種類であることはわかる。柱サボテンであれば『歩くサボテン』(奥田民生)のところで挙げた「近衛」「錦鶏竜」「金城丸」あたり、丸いサボテンなら「金鯱」あたりがイメージに近そう。「金鯱」の汎用性の高さ。
歌詞が見当たらないので全く見当がつかないが、汎用性の高さからすると「金鯱」あたりが妥当かと思われる。
クライマックスで「サボテン持って」といきなりサボテンが登場する。サボテンを持ってどこかに出かけるつもりのようだから、携帯に容易な品種であることは確実で、間違っても直径30cmの「金鯱」でないことはわかる。
「サボテンの花さいてる 砂と岩の西部」とあり、曲はアメリカのフォークソングであるようなので、アリゾナ州あたりに自生する何らかのサボテンであると思う。
https://anond.hatelabo.jp/20171222102346
この業務はどちらかというと七夕さまの所轄かと思われたが些細なことであった。
たくさんの夢がならび、たくさんの星々がそれらを飾った。
私も星をもらい、そして蒔いた。サブ垢のカラースターも動員して蒔いた。
めったにやらないのだがすべてのコメントに目をとおした。
私は写真家で史家だ。戦場も虐殺も現場をひととおり見てきている。研究も長い。
平和はイメージすれば完了するのではない、努力と失敗と試行錯誤、そしておびただしい犠牲の累積のなかで構築する終わりのない作業だ。
世界平和など軽々しく公言するのはやめていただきたい、平和の構築はそんな甘いもんじゃない、世迷言にもほどがあると思っていた。
だが私は擦れていたのかもしれない。
素直な夢を、それも少なからぬ数の夢の累積を目にしたとき、私はすこし考えをあらためた。
それは叶えるに値する夢だと。
クリスマス協奏曲を聴きながらクルマを駆ったくらいで、七面鳥もワインもケーキもなく夕餉はぶり大根だった。
兄貴としてはドッペルが寝ている間に、部屋にプレゼントだけ置いて帰るつもりだったのだろう。
部屋に入ると照明がついており、ドッペルは起きて普通に過ごしていた。
「……マスダの兄ちゃん?」
ただでも気まずいのに正体を一瞬で見破られ、兄貴から冷や汗が流れる。
兄貴はあからさまに目が泳いでおり、溺れ死にそうになっていたからだ。
だが、その後すぐに表情が緩んだ。
すると、まるで本当にサンタに出会ったかのよう笑みを向けてきた。
兄貴はドッペルの心境が分からず戸惑っていたが、何とかサンタの仕事を遂行しようと必死だった。
「いや……だから俺はヘルパーだ。未熟なサンタだが安心しろ。ちゃんとプレゼントは持ってきている」
「どういうことだ!? なぜドッペルはあんな反応ができる? 普通に考えて、あいつがサンタじゃないことは明白だ」
兄貴の後ろからその様子を見ていたツクヒは、理解できない様子だった。
「たぶんさ。ドッペルはサンタの存在に折り合いをつけ始めていたんだよ」
「すでに気づいていたってことか?」
「というか大半の子供は案外そんなもんだと思う。大人に近づいていく途中で徐々に、漠然と『まあ、そんなもんだろう』って感じで折り合いをつけていくんだよ」
「それにドッペルは兄貴に懐いているからさ。兄貴がサンタに扮すれば、それはそれで受け入れられるんじゃないかと思ったんだ」
いずれ暴かれる嘘なら、せめて綺麗事で包みこんでやりたかった。
「……なるほど、納得はしないが、理解はした。なんでサンタなんていう嘘が世界を包み込んでいるのか。陳腐だけれど、それは“思いやり”ってやつなんだな」
「そういうことだ、ツクヒ。だから一緒にクリスマスを楽しもう。保護者組合が、クリスマスパーティをやるらしいんだ」
「いや、それは……」
「楽しむ気が起きないか?」
「そうじゃなくて、今日は家族と過ごしたいんだ。母ちゃんが甘ったるいチョコケーキを、父ちゃんが安易な気持ちで買ったフライドチキンを持って帰ってくるだろうからな」
こうして一連の騒動が治まった。
さて、ここまで話しておいてなんだが、念のために言っておかなければならない。
だが虚構は俺たちの隣人さ。
サンタのようにね。
コソ コソコソ ほらヤッホッホッホ
了承の上 コスプレで
お前に配りにやってきた
ホーホーホー お前が
ホーホーホー 待っている
了承の上で コソコソコソ
弟の友の靴下に
入れておくぜ プレゼント
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ホーホーホー 弟も
ホーホーホー 待っている
承知の上で コソコソコソ
俺の弟の靴下を
見てみろよ ほら たくさん
俺のお古? いや 気のせいだ
ホーホーホー みんなが
ホーホーホー 待っている
みんなが コソコソコソ
それでも俺は子どもに
なんて答えるのは欺瞞だと思う。
大災害やテロのようなあまりにもひどい惨状を慰めるとき欧米では「神様のご計画があるから…」なんてことを言うらしいよね。
そんな計画で人の人生やちっぽけな財産を滅茶苦茶にしても良いのかよという気持ちが出てくるし
与えられる試練が人によってあまりにも違いすぎるんじゃないの?
そんな神なら殺した方がいいよ。
サンタはべつに良いけどね。
毎朝食べる卵。本当は一個一個全く違う物質なのに、「卵」という言葉でひとくくりに「同じものだ」として人間の脳は処理しています。これも一種のフィクションですが、このフィクションがないと、私たちは物事を個別バラバラにしか認知できなくなってしまいます。その結果、誤った物事同士を関連付けたり無意味なところに意味を見出すようになったりするようになります。それが子供なら、まして深刻です。認知を正常に成長させるべき時に、そういう歪みを抱え込ませるのは大きな負担になります。
神話や宗教が重要なのは、特に重要で難解な物事を人間がシンプルに処理できるように整理する点にあります。子育てしていればわかると思いますが、子供はだんだん大人であっても即答できないような根源的なことに疑問を抱くようになります。成長の現段階ではなく、成長後に悩めばいいことで足を止めてしまうことがある。
「どうして人は死ぬの?」「神様がそういう風に作ったからだよ」
「どうして世界は不公平なの」「神様が君に試練を与えているんだ」
「すごくうれしいときどうすればいいの?」「神様に感謝しなさい」
…
あるいは例えば「僕もいつか死ぬの?」という悩みにとらわれて、子供がずっとふさぎ込んでしまったり絶望したり、果ては怪しげな「しなないほうほう(ぎしき)」にハマったりすることになります。こういった大きすぎる疑問は、大人にとってもそうですが、子供にとって生きる上で強烈なストレスになるのです。
…
「でも嘘は良くない」とあなたは考えます。「そんなの子供だましだし、つまらなくてかっこ悪いよ!」
なるほどあなたはそう考えてこれまで生きてこられたのですね。「汝偽るなかれ」と。そうして周囲と良好な関係を築き、お子さんを設けるパートナーにも恵まれた、と。
「嘘はだめだよ」と遠い昔、あなたのご両親は教え育てられたのでしょう。それはとても素晴らしいことです!そのおかげであなたは悩むことなく健全に成長できた。しかし今、あなたはそのフィクションにとらわれて、「お子さんのためにはフィクションが必要ですよ」といわれても素直に耳を貸せなくなっている。まるで遠い昔に教え聞かされたサンタの物語を、大人になっても捨てられないように。これは少々困った状態です。
遠い昔、あなたにサンタの物語を話した人々は、あなたが大人になって現実的な判断ができるころには簡単に分別が付く程度には、荒唐無稽なストーリーとしてそれを語ってくれていたのではありませんか? それは、誰かに嘘を信じ込ませ、それによって利得を得ようという「嘘」とは程遠い、あなたの成長を信じ、あなたのための無私の思いと愛にあふれた「フィクション」だったのではありませんか。あなたはそろそろその違いに気づいてもいい年なのではありませんか?
「親」という概念だって、サンタと同じくらい強烈なフィクションでしょう。だからといって、あなたはお子さんに「お父さん、お母さんだって本当はただの他人なんだぜ。誰のことも心から信用なんかできないし、お前はいずれたった一人で生きていかなくちゃならないんだ」なんて言い聞かせようとは思わないでしょう? そんな「真実」を、いま言い聞かせる必要なんてありますか? そうして「親」というフィクションを演じながら、サンタというフィクションの価値に気づかないことこそ、あなたがいかに「フィクション」によって幾重にも守られているということの証なのではないでしょうか。
自然を愛する日本人というフィクション、親に愛される子供というフィクションを子供に与えるのが愛情なら、サンタというフィクションもただ愛情のために必要なフィクションなのですから、どうか恥ずかしさを我慢してクリスマスを楽しませてあげてください。
俺たちは捕まえたツクヒを囲み、この後どうするべきか考えあぐねていた。
「ふん、サンタなんてタダの不審人物だ。そんなのを糾弾して何が悪い」
「不審人物だっていうが、サンタは法的に認められているぜ。判例もある」
「オサカ。お前、それ映画の話じゃないのか?」
「おい、マスダ。なんで『家にボッチ』や『エクセレントかも、人生?』は知らないくせに、それは知っているんだ」
「ニワカってそういうもんだろ」
こりゃあ、真面目に説得しようと思っているのは俺だけだな。
「オレを止めたって無駄だぞ。何の意味もない。ドッペルも、いずれ分かることだ」
実際問題、ツクヒを捕まえたところで、これで事態が解決したわけじゃない。
ツクヒ自身がサンタの存在をゾンザイに扱う限り、いずれ同じことが起きる。
サンタという偶像を、そしてそれを大事にしようとする人々の精神を。
「そうだな。でも、今じゃない。それに、こんな形でもない」
「なぜだ!? どうしてそこまでして隠す。大人は子供たちを騙し続け、そして騙された子供たちが大人になったとき、また子供たちを騙す。こんな悲しい輪廻は終わらせるべきなんだ」
「ねえ、それって本当に言うほど悲しいことかな? 子供の頃にサンタという夢を与えられ、それがなくなっても今度は夢を与えられる側になれる。両方とも体験できるなんて、素敵なことじゃないか」
「なんだと?」
「そりゃあ嘘はいけないことさ。けど、それでも嘘をつくのが人間だ。そんな人間がいる世の中は嘘だらけだ。だったら大事なのは、嘘に対してどう臨むべきかってこと。サンタはその足がかりなんだ」
俺は、これまでに自分が学んだことを整理するように、サンタについて語った。
「それにサンタは嘘でもあるけれど、良い嘘でもある。それは夢になりうるものなんだ。別に信じている子供たちを弄ぶためじゃない。信じることの大事さを尊重しているんだよ」
「詭弁だ!」
ツクヒの指摘は尤もだ。
俺の言っていることは詭弁に過ぎない。
だが、そんなことは百も承知だ。
「もちろん詭弁さ。とても前向きなね。皆がサンタという存在を大事にするのは、その詭弁に素晴らしいものがたくさんあることを知っているからさ」
俺がツクヒを説得する姿を眺めていた兄貴は、その様子にあっけにとられていた。
「弟よ……、プレゼント目的で善行積んでたお前が、数時間見ない間にずいぶんと様変わりしたな」
「俺は何も変わってないよ。クリスマスは良いものだってことを、改めて確信しただけ。それにその証明は、兄貴がこれからしてくれるだろ?」
「えっ……俺?」
兄貴が素っ頓狂な声を出す。
嫌な予感を察知したのだろう。
左手で口元を覆い隠しているが、それでも歪んでいるのは明白な表情だ。
「くそ……まさか、また着るハメになるとは。店長も、なんで快く服を貸し出してくれるかなあ……」
兄貴はサンタの服を着ることが不服らしく、ぶつぶつと文句をたれている。
「オサカは何でここまでついて来てるんだ。お前はもう帰れよ」
「『家にボッチ』の、オッサンの親子再開シーンは何度観ても良いよな」
「は?」
「クリスマスもののクライマックスは一番美味しいところってこと。それを見逃すなんてありえないね」
「お前は一体何を期待しているんだ」
ツクヒはというと、これから俺たちがやろうとしていることに疑いの目を向けている。
「おい、マスダ。お前のやりたいことが理解できん。あんな不出来な偽サンタで訪問なんてしたらバレバレだ。ましてや知り合いじゃあ、ドッペルに見られた場合すぐに気づかれるぞ」
「だろうね」
「分かっているなら、なぜやる!? オレを止めたのは、サンタがいないことをバラさないためだろ。矛盾してるぞ」
「なあ、別に俺じゃなくてもよくないか? 知り合いだとバレやすいし、俺じゃあ気の利いたフォローとかできないぞ?」
兄貴も俺のやることには否定的だが、単にサンタの格好が嫌なだけだろう。
俺はそれを受け流し、兄貴を家の前まで押していく。
ドッペルの両親とあらかじめ打ち合わせをし、玄関のドア鍵は開けてもらっている。
兄貴は溜め息を大きく吐くと、しぶしぶ玄関のドアノブに手をかけた。
クリスマスが終わった。
息子は2歳になった。
まだ言葉もしゃべれないし、枕元にプレゼントがあってもとくに意味は無いので、普通にクリスマスのタイミングで大きな玩具を与えるに留まった。
そのかわり、クリスマスツリーなどにはたくさん触れ合った。
今年から我が家にもクリスマスツリーを導入した。「家にあったクリスマスツリーは大人になっても覚えている」ということを妻と確認したからだった。
ツリー選びも2人でかなりこだわった。あまり意味は無いんだけど。
すぐに電飾のスイッチの押し方をマスターし、朝起きてピカピカしてないと
「あっ」
と指を指して、ツリーに駆け寄りスイッチオン。そしてにっこり。
それからというもの、至る所でピカピカ光る木が置いてあることに大喜びだった。クリスマスツリーを買って本当に良かったなと思った。
別にキリスト教徒ではないが、日本のクリスマスは季節を感じるための行事だと思っている。
お正月にお雑煮を食べ、春に花見をして、夏に花火をみて、秋に紅葉を見るのと同じ。季節を感じながら生きることは心を豊かにすると思っている。それ以上でも以下でもない。
さて、来年からは言葉もしゃべれるようになり、頭も良くなるだろう。
俺は性格上「サンタが来たよ」と何の考えなしにウソをつくのは気持ち悪くて。あんまりしたくない。
だから本当は「クリスマスだからはい、クリスマスプレゼント」「パパママ、ありがとう」というやりとりがしたい。
それが平和だと思っている。でもこんなことを考える。
うちのこ「サンタさんなんていないんだよ!」
サンタクロースを信じることは誰にでも認められるべきクリスマスの楽しみ方だ。絶対に認められるべき権利だ。
それをうちのこが「パパが言ってた」なんてクソみたいな根拠で踏み潰されたらたまったものではない。どんな悪者だよ。
個人的にはサンタクロースもクリスマスの大切な概念なので、うちの子にもサンタさんは大切にしてほしい。
そして、クリスマスに意味もなくサンタクロースやトナカイを眺めて幸せな気持ちになり、1年を振り返るとポジティブに1年を振り返りやすくなるという日本の文化を存分に活かしてほしいと思う。
日本のクリスマスは「文化の良いとこ取り」が得意な日本人を象徴する文化だと思う。うちの子にもその楽しさは教えてあげたい。
でも、「クリスマスプレゼントをサンタさんが家に侵入して置いていったよ」なんていう大胆なウソをつくのは、俺にはちょっぴりこっぱずかしい。
そして、そもそもそんなことを子供は信じないのだ。「絶対におかしい」と思う。
でも、お父さんとお母さんは「サンタさんが持ってきた」という。だから、信じている。
俺はこれって「サンタさんを信じている」のではなく、「お父さんとお母さんを信じている」だけだと思う。
子どもは「サンタさんがいる!」とストレートに思っているわけではなく、お父さんとお母さんが「サンタさんが持ってきたよ」というからいると信じている。
この時点で、もうあまり意味はないんじゃないかなと思っている。
サンタクロースは実在しなくてよい。ミッキーマウスが実在しなくてよいのとまったく同じ理由だと思う。
これらを総合して「サンタさんは否定してほしくない。でも、プレゼントをサンタが持ってきたと言いたくない」というモヤモヤが発生。後者は完全に自分のエゴでもある。
でも、起きたら枕元にあるあの演出。あれは嬉しい。
そこで来年からは「クリスマスは枕元に注目」ということだけ教えようと思う。
そして、人によってサンタクロースは違うんだとも伝えたい。サンタクロースはたくさんいるのだと。
うちと同じようにパパとママがサンタの場合もあれば、トナカイとソリでやってくる場合もあるかもしれないと。
もし一度「ぼくもサンタからプレゼントが欲しい」と言い出したら、サンタからプレゼントをもらったという演出をするかもしれない。
スウェーデンの謎のおもちゃとかをプレゼントする演出をするかもしれない。
でもその時は「いや、その年はサンタが来た」と大人になっても言い続けてあげよう。
これが正解かはわからないけど、しばらくはこれでやってみよう。
この増田を読んでサンタの実在について思いを馳せた人へ。『34丁目の奇跡』という映画をまだ観ていなかったら、ぜひ観てほしいな。
観てみようかなという気になった人へ。サンタが実在するかを争う法廷劇なんだけど、スカッとする結審なのであらすじなどは読まないほうが楽しめると思う。
「妖精が世界のどこかにいるかもしれないけど自分のすぐそばにいるのではない」という感覚と
「妖精が自分の近くに存在する」って感覚は、同じ「妖精が実在する」といってもかなり違う。
漫画やアニメを見ていれば「サンタは実在するのか?」という疑問がテーマになっていて
結果的には実在している世界になっていたとしても、本物と偽物がいるって感じになってるので
サンタが実在するとしても自分にプレゼントをくれるサンタが本物ではないというのはなんとなくわかってしまう
「サンタを信じていた」という人というのはどっちなんだろう