はてなキーワード: サラブレッドとは
競馬に限らずやけど、奉仕や労働を前提に繁栄する種ってのはあってなあ
食われる家畜の牛や豚や鶏も、殺して食うんだからそりゃ虐待だよね
しかし食われるまでできるだけ苦痛なく暮らし、苦痛なく殺さなきゃね、というコンセンサスはできつつある
そして、食われる代わりに人間に保護され、繁殖され、種としては大繁栄している
だからヨシとしよう、と言えるほど簡単な話ではないけど、ひとめで虐待だ、とか、繁栄してるんだからいいじゃない、とか言える話でもないことは明らかだ
で、これが食わなくともペットとして消費される金魚やハムスターならどうだろう?
犬猫ほど大事にかわいがってもらえないし、子供が無責任に飼うケースも多い
それは良くないことではあるけど、それを禁止すれば今ほど売れずに、種としては減る一方だろう
競馬が虐待として禁止されたら、馬は車の普及とともに絶滅しただろう
馬全てがその状態になってしまうのは、馬という種の繁栄を考えると、後退に思える
そしてやはり、馬を生産し、世話をし、トレーニングし、馬に関わって馬のおかげで食わせてもらってる人間もめちゃくちゃたくさんいる
母親が生きづらそうな人全てを「あの人はたぶん発達障害」と認定し始めた。
息子が発達障害だった。(診断済み)
息子の発達障害の件で話を聞いたら、死んだ旦那(父)も発達障害だと言われた。(死んでるので診断されてない)
おそらく旦那は発達障害のサラブレッドで、私(母)はカサンドラ症候群。
娘(私)も発達障害、だからこの発達障害でも生きやすくする方法が書いてある本を誕生日にあげるね。
私の彼は旦那によく似た発言をするから、発達障害の可能性がある。仕事もすぐ変えるのは自分のことしか考えてないから。(母が個人事業主は派遣だっていうので正社員になってくれただけ。年相応に稼いでる)
診断されてない人、しかも他人を発達障害と見做して対応するのも、それを人に言うのもよくないって何度言っても理解できない。
いや、父から被害を受けたからって他人を発達障害って決めつけていいわけじゃないと言っても納得できない。
正直、自分が感じたことが正義なのにと憤ってる母が発達障害では?と思って方が、他人を勝手に発達障害と認定するなと言っている身なので複雑。
そしてファンの年齢層もすごい
まさに老若男女がポケモンを愛し、好み、様々なグッズ、ゲーム、アニメなどと親しんでいる
ポケモンsleepも登場し、ポケモンはもはや生活に溶け込んでいる、という人も多いだろう
我が家も例に漏れず、ポケモン第一世代の俺自身は相変わらずポケモンをやっており、小2の娘は最近ポケモンにドはまりしている
そうだよね、それみんな思っているよ
でも、ポケモンじゃなくとも、様々な魅力的な生物がこの世には存在しているし、ポケモンと同じく、トレーナーと心を通わせて、技を磨いて、勝負で戦う生き物もいる
枝に捕まえたカブトムシを歩かせ、友達のカブトムシとどちらが枝に残れるか戦わせるような遊びはシンプルだし、そこまでしなくともどちらが大きいか大きさを比べる勝負もしたことがあるだろう
もっと本格的になると、闘牛、闘犬、闘鶏などもあるし、タイではベタを使った闘魚もある
バトルをしなくとも、美しさを競う錦鯉や金魚の品評会もあるし、盆栽や菊、バラなどの品評会もある
このような、実在の生き物を一所懸命育て、競わせる遊びは、ポケモンゲームに負けず楽しいし、のめり込む価値はあると思う
では、最近のポケモンバトルと同じように、興行として他者の育てた生物を競わせる大きな大会があれば、ファンとして観戦し、それをもっと手軽に楽しめるのではないか?
金魚の品評会と異なり、できればトレーナーとの絆を感じる意思疎通があり、継続的にテレビで見れるような競技があるといいな
…あるんですよ、競馬って言うんですけどね
色も茶色から栗色、真っ黒、グレー、白もあるし、脚の色や額の模様なども馬ごとに随分違う
個人的には明るい栗毛がかわいいと思うし、美しさで言えばソダシに代表されるような白毛馬も最近は存在している
馬1頭1頭に持ち前のスピードやパワー、スタミナ、気性や性格のような、ポケモンで言う種族値のようなものが刻まれている
ポケモンの種族値というよりは、人間と同じ個性、特性かもしれないね
大回りコース向き、小回りコース向き、短距離向き、長距離向き、のような適性が馬ごとにあり、これはポケモンでいうタイプにあたる
さらにポケモントレーナーが頑張ってポケモンを育てるように、調教師がポケモンを育て、レベルを上げて、努力値も振ってくれる
そもそも、ポケモンでいう孵化厳選のような、出生ガチャも、牧場の人が頭をひねって最強の馬が生まれるように血統表を見て考えている
レースでは騎手と馬のコミュニケーションが大事で、これは本当に人馬一体となる勝負だ
馬は、ポケモンの技と同じように、スタートダッシュ、いい位置で折り合う、馬群をこじ開ける抜け出し、最後の末脚、並ばれても抜かせない根性、など、様々な特性や技を使って勝負をする
こうやって考えると、孵化厳選から育成し、実際のバトルまでするポケモントレーナーはマジで化け物だ
競馬で言えば牧場、育成、馴致、調教、騎乗まで全て1人でやるってことだし、オーナーブリーダートレーナージョッキーだな
競馬はギャンブル、のイメージがある人も多いと思うけど、別にギャンブル要素が100%ではない
賭けなくともスポーツ観戦として見ていれば楽しめる
スポーツ観戦、ポケモンバトル観戦的な楽しみがめちゃくちゃあることは知って欲しいなと思う
でも、見るだけじゃ足りないのよ、やりたいのよって思うかもしれない
そういう人は金魚のブリーディングとか菊の交配とかが競馬よりいいかもしれない
実際の馬の育成やレースに自分が関わることはお金的な意味で困難だけど、応援したい馬の馬券を買えば、本当に勝ってくれた時に自分にも賞金が出るようなもんで、喜びは何倍にもある
それじゃなんか違うと思う人は、一口馬主と言う手がある
1頭数千万円する馬を個人で持つことは難しいけど、それを数十人から数千人で分割して所有できるシステムが一口馬主だ
自分の出資馬が入賞すれば賞金は本当に自分にも分配されるし、馬券だとリターンがない4着以下でも、一口馬主なら賞金が配分される
応援する馬を見つけ、継続して見ていくことで本当に競馬は面白くなるよ
ポケモン好きな人は、わかってしまえば本当に競馬楽しいと思うんだ
ポケモン好きな人に競馬を浸透させていきたいなと本気で思っていて、ポケモン好きに競馬の普及活動をしている
自分の党派性はできるだけ抜きにして、当時世間でどのようなイメージだったかを思い出して書く。
第一印象はそんな感じだった。
実際には自民党の重鎮なのだが、しがないサラリーマンが何かの間違いで総理大臣にさせられてしまったような印象だった。
最初は「頼りない」というイメージが先行していたが、それが後半では「親しみやすい」に変化した。
当時人気だったコメディ番組『笑う犬の生活』で小渕総理を主役にしたコントがあり、その印象が強かったのかもしれない。
小渕総理が急死し、その後何だかよくわからない形で森喜朗が総理になった。
「このとき既に脳死していたのでは?」と思われていた病状の小渕総理からの遺言(?)で首相代理が決まり、密室で森喜朗が総理になったことで『簒奪者』という第一印象でスタートした。
森政権は最悪からスタートしたが、森喜朗は数々の失言さらにイメージを悪くしていった。
「日本は天皇を中心としている神の国」と発言し、世間をドン引きさせた。今でこそネトウヨはたくさんいるが、当時は圧倒的少数派だった。
「この人は何か変えてくれそう」というイメージがあった。
ITを「イット」と読んだ森喜朗と違い、この人はメルマガを配信していた(当時はそれが最先端だった)。
とにかく何か変えてくれるらしい。それは郵政民営化で実現するらしい。郵政民営化でなぜ世の中が良くなるのはよく分からなかった。
でも変えてくれるのなら何でも良かった。
だんだんと「こいつ中身空っぽなのでは…」という疑念が膨れ上がった。
郵政民営化としか言わないし、郵政民営化でなぜ世の中が良くなるのかよく分からない。
衆議院を解散し、郵政民営化に反対する議員を公認せず死角を差し向けるという大勝負に出た。
「こいつは男だ。勝負師だ。改革のためなら何でもやる奴だ」という印象で好感度がうなぎのぼりになった。
郵政民営化でなぜ世の中が良くなるのかは最後までよく分からなかった。
ハンサムで若々しかった小泉純一郎の後継は、もっと若い安倍晋三だった。
なんと祖父も総理で父親も自民幹事長というサラブレッドらしい。
このあと福田、麻生、鳩山と父/祖父が総理シリーズが続くので今となっては珍しくもないが、当時はポシティブなブランドだった。
大臣未経験→内閣副官房長官→内閣官房長官→総理大臣というヒラ議員から5年で総理就任という斬新な後継指名で新鮮味があった。
就任してすぐメッキが剥がれて「こいつ駄目じゃん」という空気になった。
ネット上では当時から既に統一教会との繋がりが叩かれ、『安倍壺三(統一教会は高価な壺を売る宗教だから)』というあだ名で呼ばれ、アスキーアートが2chに大量に貼られていた。
小泉政権で長く官房長官していた福田康夫は『執事キャラ』のようなイメージだった。
冷静沈着で淡々としたイメージで、無能を晒した前首相と違い安定感があった。
思ったより煽り耐性がなくキレてやめた。
国民の我慢の限界より、福田総理の我慢の限界のほうがはるかに早かった。
吉田茂という歴史の教科書にも載ってる大首相の孫で、その輝かしい経歴の割にはヤンチャなとこもあり、漫画も読むという親しみやすいイメージだった。
よくよく見るとただの口の悪いおっさんだった。
でも麻生太郎のイメージが悪化して退陣したというよりは、リーマンショックをどうにかして欲しいという思いがあり、それには政権交代が必要だと思っていた。
祖父が自民党の創設者で元総理という自民党のサラブレッドでありながら、民主党を率いて政権交代を成し遂げた鳩山由紀夫はスターだった。
世の中変えてくれるような期待があった。
なんか色々グダグダだった。
リベラル的な政策も、いろいろ頓挫することが多かった。まだ未熟な政党を与党にしてしまった。
野党だった頃に既に党首になり、いろいろあって党首の座を降りていたので最初から新鮮味はなかった。
「おいおいしっかりしてくれよ~」という場面が多々あったが、逃げ出さない姿勢はよかった。
震災から5ヶ月後の退任。誰が首相でも辞めるしかなかったと思う。
しかし「つたないながらも変えようとする民主党」というイメージからはかけ離れ、昭和の自民党の政治家のようなイメージだった。
この人は結局消費税を上げただけだった。
郵政民営化にこだわる小泉政権に感じた「その情熱はどこから来るの?」という印象に近いものを感じた。
ただ郵政民営化と違い、消費税の増税は「よく分からないけど、それで世の中が変わるなら試しに変えてみよう」と思えるようなテーマではなかった。
「この人途中で辞めた人じゃん。大丈夫なの?」という印象。
第一次安倍政権ではあんなに安倍首相を売国奴呼ばわりしていたネトウヨが手のひらを返して称賛しだした。
このころ既に世の中は右と左に分断されていたので、「世間はだいたいこんな感じに思っていたはず」という文章を書くことはもう出来ない。
左右の分断により評価は分かれていたが、「実務能力は抜群」「安倍政権はこの人のお陰で成立していた」という印象は左右両方にあったと思う。
「この人何もできないお爺ちゃんだったのか…」という衝撃を受けた。
安倍政権時代は意図的にコミュニケーションを遮断して記者会見をコントロールしているように見えていたが、実は単に受け答えができないだけだった。
森内閣から20年続いた自民党のタカ派総理の流れ(麻生太郎はもともと保守本流だが)を断ち切る、久しぶりの穏健保守の総理として「お、自民党も変わるのかな」という期待を少し匂わせた。
しかしその実態は安倍首相の操り人形の側面が強く、岸田文雄の押しの弱そうな印象も加わって、「大丈夫なのかな、この人」という不安も覗かせる。
3人兄弟の末っ子の私、ようやく母親を許せるようになってきた。別に許す必要はなくて、一生恨んだままでもよかったんだけど、自分の心に折り合いを付けるために、ここに許すことに決めた。
ガキの頃から兄二人とはめちゃくちゃ差別されて生きてきた。兄二人は塾に入れたのに、私は塾に行きたくても「塾なんて行きたがって金のかかる奴」「勉強ばっかりして子供らしくない」「兄①が私立高に行ったからうちには金がない」など、意地でも私に金を使いたがらなかったし、、兄②が私立大に行ったら「お前を私立に入れたらうちの家計は火の車」「子供の教育にウン千万とかかっている」など本人には言わず私に言ってくる。まあ見てないところで言っていた可能性はあるが。兄が私に対して何言っても暴力振るっても「からかってるだけだから」「反応を楽しんでるんだからお前が反応しなければいい」「反応するからエスカレートする、お前が悪い」「何言われても先に手を出したほうが悪い、兄に謝れ」「(先に手を出したのが兄の場合)やり返したらお前が悪い、兄に謝れ」「もう兄二人には呆れてるから何も言わん、お前が我慢しろ」「お前に一つも悪いところはなかったのか、ないと思ってるならそれが悪い、あるならお前が悪い」「被害妄想」「自意識過剰」「社会で通用しない」など、全ては私が悪いことになってきた。
現在の親視点では、「え、塾行きたかったなら言えばよかったのに」「え、私立行きたかったの?」「え、悪口言ったらちゃんと叱ってたよ」「え、暴力を許したことなんてないよ」らしい。自分が言ったことすら覚えてないにも関わらず、「お前は被害妄想が激しくて暴力的だから」と、それだけは覚えていた。何百回と繰り返して言ったことは覚えておらず、呆れるほど悪口を言うわ暴力振るうわの兄は完全に不問どころか悪口暴力は無かったことにしたにも関わらず、私への評価だけは一貫している。
なお、これは被害妄想ではない。兄二人は何度も「俺はお前の反応を楽しいから悪口を言ってる、暴力振るってるだけだ」って言って母親がそれに同調して「ほらお前が悪い、反応するお前が悪い、社会で通用しない、被害妄想が激しい」って何百回も言われてる。それでも、今の母親は「え、悪口言ったら叱ってたよ」「え、暴力許してないよ」って言ってる。まあ黙らせやすい方を黙らせて喧嘩の仲裁成功!って満足して、「自分は正しいことをした」しか覚えてないから、今になって「悪口?叱ったはず」「暴力?もってのほか」って思ってるクズなわけだよ。なんの教育ポリシーもなく、言ったこととの整合性を取る気もなく、責任を取る気もなく、漠然と「自分は正しい」の人。
で、なんでそんな母親を許す気になったか。祖母が「お母さんはね、頭悪いなりに頑張ってるからね、許してあげて」って言われたから。
祖母にほだされたのではない。この言葉、私が母親に怒ってるとか、母親がおかしなこと言ったとかそういうタイミングで言われたのではない。なんでもない、普通に過ごしてるときに唐突に言われたのだ。ちなみに、「え、何いってんの?」って聞き返したら「許さないのは人でなし」「育ててくれた恩はないのか」って憤慨してた。
もう、遺伝と教育から、こうなのだ。「こいつはこう」って決めたらずっとそう。祖母にとっては「お母さんは頑張りが空回りするから周りに恨まれる、とにかく何があったかは知らないがウチらが悪いから土下座土下座で許しを乞うのが最適解」っていう。「よくわからないし知らないし知る気もないけどお母さんが悪い」「悪いんだからとにかく謝らないと」「謝ったんだから許してくれないならお前が悪い」なんだろうな。うちの家系はクズのサラブレッドだったわけだ。
さすがにうちの家庭の4/5がどう考えてもクズで、2代遡ってもクズなわけで。最後の一人である私がクズじゃないなんてのは確率的にもありえんので、私もクズ。博士号取得までの27年、なんやかんや世話はしてくれてるし、嫌味言いながらだろうと金は15年かけてくれてるし、母親の魚の煮付けはめっちゃうまい。なのに感謝どころか恨みしかないので私もクズ。まあみんなクズなわけよ。
これだけぎゃいぎゃい言いながら、家族のことそんな嫌いじゃないのはウケるが、まあ嫌いじゃないのよ。兄二人もなんやかんや結婚してるし、私から見たら「自分が愉快になるためなら他人を好きなだけ不快にしていい」って思ってるクズだけど、まあいいとこもあるんやろな。全員許してなかったけど、みんな違ってみんなクズ。許せるようになってきた。一族郎党みんなクズ。まあそれも嫌いじゃないよ。死んだら大笑いするけど。クズなので。私はこんなクズだけど、きっといいとこあるんじゃないかな。みんな死ねよ。