はてなキーワード: 資質とは
ファッションへの怒りで思い出したことがあるので書く。当方173cm73kg。
「服を着るならこんなふうに」|ヤングエースUP - 無料で漫画が読めるWebコミックサイト
という漫画がある。男性向けファッション指南モノだ。既刊11巻、女性向けのスピンオフも出ている。
「服を着るならこんなふうに for ladies’」|ヤングエースUP - 無料で漫画が読めるWebコミックサイト
(が、こちらは後述する怒りのため読めてもいないので内容の如何は他に任せる)
おいまてコラ。ふざけんなと。
冒頭にも書いたが173cm73kg、デブのつもりはないがBMI的にはちょいデブ判定食らうこの体型、中高と運動部に打ち込んできた関係で、ふとももは片方で周囲60cm弱ある。ふとももに合わせて選ぶと、いわゆるスキニーといわれるサイズ感のズボンは選択肢から消えるし、せめてそれっぽいのをと探しても、ふとももに合わせると膝から下はスカスカだし、逆にそっちに合わせるとふとももが入らなくて物理的に履けない。
もう、この1話を読んだときの怒りで以降ずっと触れられずにいたが、既刊がこれだけ出る中堅どころ以上の漫画になっていると方々で目には入ってくるし、スピンオフの存在も知っていた。今回この増田を書くにあたって調べたところ、「スキニーだけじゃない」云々の文字が目に入ったので、ひょっとしたらそれ以降でバリエーションがつくのかも知れないという意味で少々怒りは緩和された。
元増田の理解とは違う気もするが、本人の資質によって(すぐには)どうにもならない部分で努力を強いられるのは、これだけ尾を引く怒りになる。
何となくだが、無印は男性向け指南として描かれながら女性読者を掴み、それならばと女性向けを出したはいいが、当方同様の怒りを買い、打ちきりを食らったのではないかという気がしてならない。
いくつか抜粋してやる。手柄を横取りしているようで気が引けるが。
「子孫を残すために男は必要だが、数が多い必要はない」と男性を間引きする案も女性から出るようになる。」
実際、男性は何人ぐらい必要なのか。考えてもみよう。男は危険だ。犯罪の大半は男が起こしている。男は知的に劣り、勤勉でもなくまじめでもない。男は筋肉とペニスでものを考える。男のほうが病気にかかりやすく、国の資源を食いつぶしている。子供を作るために男が必要なのは言うまでもないが、そのために何人ぐらい必要だろうか。女ほどの数は必要ない。善良で清潔で従順な男なら、もちろんつねに居場所はあるだろう。しかしそれは何人ぐらいなのだろうか。たぶん十人にひとりぐらいではないか。
マザコン男性とその母親が「母子坂、手をとりあって」(宮迫)滅びに向かってくれれば、こんなに平和なことはない。問題は、マザコン男性が身のほどを弁えずに結婚したり、権力を握ったりして、ハタ迷惑になるからである。
自然史的・人類史的に言えば、マスターベーションしながら死んでいただければいいと思います。
彼らが間違って子どもをつくったらたいへんです。
フェミが想定しているのは、能力や資質があるのにその力を発揮できない女性のために、社会の仕組みを変えるのが宿命だからね。
「ブスだからモテない」女なんて救いようが無いし、それこそ男をあてがうという発想になってしまう。
まず、新型コロナにかかるという時点で、そいつが自己防衛できてなかったってことじゃん?
家族とかに責任があるとしても、その家族やらなんやらをを制御できてなかったってこどだから責任は自分にあるんだし。
医療系とか介護福祉系とか居なくなって困る、且つ(あるいは? かな)リスク高い職種は診てあげたらいいと思うよ。
(個人的には、老人生かしておいて何にも意味がないと思う極論派だから、介護系もいらんっちゃいらんけど)
それ以外って自己責任だし、会社が~とか言い訳するのって、本人に他の会社選ぶ資質がないのと、クソみたいで存続してても意味ない会社だってのが明白で、つぶれても問題無さそう。
誰でも代わりが出来る仕事しかやってない人間と、従業員に無茶させないと続いていけない企業は滅べばいい。
医者とか病院が命の選別するってのに、精神的な負担がかかるって思うから、コロナ治療については保険適用外とかいうルールにするのがいいんじゃないかと思うんだけど。
それで、生きててもしゃーない人間を切り捨てつつ、多少は財源確保しつつ、さらには日本人のほとんどに危機感持たせられるんだから、コロナ治療の保険適用外ってのは凄く妙案だと思うんだけど、異論ある?
力が強くて偉そうにふるまえるとか、権力があるとか、収入が多いとか、それらを得やすいとかのことを一般的に「社会的強者」と語るから紛らわしいんだけど、それとは別の軸である好感度とか他人からの関心を得やすいとかコミュニケーションやプライベートの距離感で人の心を動かしやすい資質のことを元増田は社会的資本と言ってるみたいね。
弱者男性の話になると必ず出てくる弱者女性の方がつらいという女性が主張するのは前者の話で、男性が語る弱者男性の主眼は後者の部分。
それで後者は人間的魅力を磨いていない本人の努力不足と言われてしまうんだけど、同じ人が男性名でSNSアカウントつくったときと女性名で作ったときでは同じふるまいをしていても圧倒的に女性名の方が友達ができやすいので、そういうスタートラインの違いというのは確実にある。
よく言われる「かわいそうランキング」もそういうことね。
そして、これも弟たちだけの話では終わらない。
このやり取りを学級内でやっているということは、教員達の耳にも必然的に届いた。
つまり、今度は教員や保護者の間で箸の持ち方談義が繰り広げられることになる。
「子供達が箸の持ち方ひとつで揉め事を起こすのは、授業での教育が不十分だからですよ」
「教育が必要なのは一理ありますが、この件はどちらかというと我々の管轄外だと思うんですよねえ」
「給食の時間だってあるわけですし知らん顔とはいかんでしょ。あれだって、ただのランチタイムではなく教育の一環ですよ」
モメるのは決まっていた。
しかも、弟たちより年上で知識も語彙も多く、コミニケーションの妙も理解できる同士だ。
そのグダグダっぷりは俺たちの時の比じゃない。
「やはり家庭科の授業等で、しっかりと時間をかけて教えるべきでは? 一時間、二時間とはいわずワンシーズンくらい」
「箸の持ち方だけでワンシーズンですか? 他にも教えたいことがあるのに」
「なんだったらオールシーズンあってもいいですよ。将来、料理や裁縫は避けられても、食べるために使う箸は今後も確実につきまとってきます」
「うーん、でも個人の資質もあると思いますし。同じことを無理やりやらせるのは、昨今の潮流を無視しているといいますか。みんな違って、みんないいの精神でいきませんか」
「多種多様な人間がいる中で社会を回すためには、時に同じことが求められる。それを学ぶための義務教育、その場所としての学校でしょうが」
大人たちは一回りも二回りも歳を重ねているから、当然ながら箸を使ってきた回数も遥かに多い。
その分“拗らせレベル”が高まっているんだ。
そんな中で繰り広げられる談義は、俺たちのディベートもどきや、弟たちの口喧嘩とはワケが違う。
「まあ、先生が渋る理由も分かりますよ。生徒に箸の持ち方を教えるためには“必要条件や十分条件”が必要ですからねえ」
「……私としましては、箸の持ち方ひとつで他人にとやかく言わないよう教える事の方が大切だと思っていますので」
「道徳の授業でマナーの大切さを教えているのに、箸の持ち方は自由にしろでは通らんでしょ。子供はそういう不合理に敏感ですぞ」
彼らは長く生きてきたが故に、箸をちゃんと持ててない人をより多く見てきた。
今でも矯正せずに生きてきている人もいたりする。
それを気にする時も、気にしないようにする時もあっただろう。
だから箸の持ち方について、腹に抱えているものは若者よりも熟成されている。
「先生の言ってることは、箸の持ち方を直す気がない人間のポジショニングトークでしかないんですよ。それの何が悪いのかと逆切れする術でも教えるっていうんですか」
「うーん、この歳になって箸の持ち方で説教なんてくらいたくなかった……」
しかも彼らは教育者という看板を背負っている手前、その日限りの雑談で片付けられなかった。
「人間は一緒にいればだいたい仲良くなる(≒単純接触効果)」を「モテないという資質はどうしようもないのであてがいは不可能である」の反証として用いるのはいささか無理ある
んー。元が「どうしようもない・不可能」という主張なんで、反例(「あてがい」がなければマッチングできなかった人が「あてがい」によりマッチングしたという例)が一つでもあれば反証としては成立すると思います。
「見合いじゃなければ一生結婚できなかっただろう」「好きじゃなかったけど紹介で結婚してみたら案外幸せだったわ」みたいな話は実在するんで、少なくとも反例はあるんじゃないかな。
http://www.kcsf.co.jp/contact/zajonc.html
つまり、接触回数を増やすことは、あくまでも「警戒心がなくなる」だけであって、相手に信頼されたり好意を抱かれるためには、接触回数以外の何らか努力が必要だということを忘れてはいけません。
https://www.profuture.co.jp/mk/column/10207
しかし、ファーストインプレッションで強い嫌悪感を抱かせてしまった場合は、接触の回数が増えれば増えるほど悪い印象が強くなっていきます。
https://moteoji.com/blog/reality/5505/
出会いの場で、2人きりで会う約束を取り付けた後は、第一印象の良し悪しが成否を左右します。具体的には、会った瞬間から15分程度の間で勝敗の7〜8割は決まります。
現実の人間関係においては単純接触効果と言うのが絶対的に良い効果だけを持つわけではなく、状況によっては悪い効果を与えるものであると分かる。
総合して考えると「会った瞬間から15分程度の間で『単純接触効果』が裏目に出る人間がいる」ことになる。
こういった人間が所謂「モテないという資質」を持っている人間なのだろう。
単純接触効果の影響によって運命の相手と出会ったり、生涯をともにしたりする人たちがいる一方で「モテないという資質」を持っているが故にその恩恵にあずかれない人間もいる。
すなわち
となるのではないか
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なんてことを書くのに色々ググっていたらブライダル系の広告が出るようになってしまった
どうしてくれる
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/10anj10/status/1378252302696390659
あてがえと言ってる人はいない
確かに直接的に言ってる人はほとんどみないが、「あてがう仕組み」自体は現実に存在しており、それが失われることを危惧する言説は散見される。
単婚(一夫一婦)制は配偶者候補の独占を抑制するという意味で既にマイルドな「あてがう仕組み」になっている。また、廃れたとはいえ見合い制度は直接的な「あてがい」だ。
「あてがう仕組み」には、孤立した個人・「無敵の人」を減らすという社会的な効用があった、という視点は妥当なものだろう。
それらの言説を含めれば(表現がかなり悪意的ではあるが)あてがえ論は存在すると言ってもいいと思う。
分配されても承認欲求満たされないだろ
これは見合い結婚で幸せな共同体生活を送っている方々が反例になるかな。
「分配」とか「あてがい」とかのワードが悪意的でよくない。その点「見合い」は両者の尊厳を損ねずに、実態としては「あてがい」であるという点で上手い仕組みだわな。歴史は偉大だ。
「人間は一緒にいればだいたい仲良くなるものである」という自然な前提が抜けてるかなと思う。
人間の自由意志はそこまで強固なものじゃないし環境に左右されるよ。
でもブスはいやなんでしょ?
「三日で慣れる」「あばたもえくぼ」という先人のありがたいお言葉がありまして。
なんとなく仲良くなる環境、みたいなものをもうちょっと多様に考えてみてもええんちゃう。
「分配」という言葉を選ぶから話がずれていく気がするんですが、あえて分配の話をすると、実際男性は分配されてる。
生涯未婚率は男性の方があきらかに高く、配偶関係においては単一の男性が複数の女性に分配されている構造。
これは、男女の生殖コストの非対称性によるもので、「種を貸す男性はいるが、腹を貸す女性はいない」。
この点は特にフェミニズムで男性の特権として解釈されることが多いけど、遺伝子の継承という文脈においては、男性と比して「望んだ相手との子供を作りやすい」という意味で、女性の特権である。
このへんの逆方向の権力勾配はもうちょっと意識されてもいいんじゃないかなと思う。
まあ明示的に分配されたわけじゃなく、自由選択の結果として時間差一夫多妻になっているだけではあるんだけど。
ただ無敵の人が増えちゃう構造ではあるんで、人権を毀損しない範囲で是正されるべきだとは思うのよね。
初婚重視傾向の男女バランスを整える方向に流行を動かすとかね。あるいはラジカルには「腹を貸す」のを制度化するとかもあるかもね。精子バンクは既にあるし。
草食男子ブームはその点マイルドで丁度いい潮流だったと思うんだけど、定着しなかったのはやはり本能に勝てなかったということなのだろうか。
上述のとおり、男女の生殖コストの非対称性から、男性と比べて女性は相対的に「あてがわれている」んだと思います。
構造的には弱者男性(孤立男性)の反対側にいるのはシンママなんだけど、シンママは子供いるからあてがえとか言ってる余裕ないんよね。
養育権のアファーマティブアクションも一つの是正の道かもしれんね。