はてなキーワード: 著作権違反とは
ゆで先生が自分の決めゴマを軽々と引用されることに憤ることはわかるんだけど、ゆで先生の作風は決めゴマを出したところで魅力を失わないところもある。Webマンガ/電子書籍マンガのスクショシェアは「宣伝」ではなく、コミュニケーションと言う部分が強い。レオパルドンの最後のページは「分かる人には分かる」が「肉を知らん人にはなに?」くらいでしかないし。わからん人には「とにかく熱そう/面白そうだから読んでみよう」というアクセス性とコミュニケーション性が発生する。
作者の気持ちはわかる。気持ちはわかるが、多分現状だと(特にキン肉マン的な作品は)意味がない。
無邪気にTwitterへ画像を上げてる人々に金が渡ってるわけでもないのが一番の難しいところかなと思う。そういう状況ならふたばが一番に潰されないといけない。しかしふたばを潰されると…という気持ちも発生する。あの掲示板がどこまで業務妨害を発生させているかはわからないから。
Webマンガ/電子書籍マンガのスクショをアップするという問題性はとても強いと思うのだが、それについて声を上げたのがゆで先生だというのが問題を複雑化している。ゆで先生の作品はネタバレしたところで面白さを対して損なわないから。全ページアップし、なおかつそのページへのアクセスから利益を稼ぐという悪行は許せない。が、無邪気かつ面白さを伝えるための引用行為はどういう状況を発生させるか。
完全に著作権違反となるスクショを排し、その上でアクセス数や売上にどれだけ影響があるかテストしてみてもいいかもしれない。自分もスクショを見て「これなんだ?」と感じコミックスを購入したことがある。SNSでのスクショがなければ、全くアクセスはなかったと思う。
あとスクショと比べるためには「よりアクセスを促す」OGP画像も色々毎回用意しないといけないしな…大変だ…。
SNSにアップロードされるスクショを「宣伝になるから」と擁護するつもりはないが、SNS内でのコミュニケーションを高めるという利点はあると思う。それをどこまで許容するか、そして数字をどう計上し排除するか継続させるかを判断するか、という部分が今必要なのではないか。
3年ほど前にVTuberブームが起きてから今に至るまでに、声優ラジオをずっと聴いていないことに気づいた。かつては声優ラジオにハマっていたのに。
その頃はニコニコ動画のランキングにあがった声優まとめ動画から、声優のことを知ったりそのまま声優ラジオを聴いたりしたものだ(今では、声優に関する動画がランキングにあがることはほとんど無い)。上坂すみれがロリータ服でテルミンを演奏してロシア語をまくしたてる衝撃の初回放送を知ったのもまとめ動画だ。大橋彩香が『へごちん』と原稿を読み間違えて不本意ながらあだ名になってしまったことと、大橋彩香のモノマネをする『へごまね』が声優業界のブームになった一連の流れもニコニコ動画で楽しんだ。小林ゆうが赤いペンでイラストを書き阿鼻叫喚になる鉄板の展開も好きだし、金田朋子の金朋地獄もいい。
ハマった声優ラジオでタイトル名が思い出せるものだと『洲崎西』・『としたい』・『りえぷり』・『おざなり』・『本渡上陸作戦』・『ゆゆらじ』である。どの番組もパーソナリティーのキャラクター性が強くて、しゃべりが達者で面白かった。特に『ゆゆらじ』において、声優を2Dイラストで表現しアニメ風の演出で映像を付けたのは、今思うと現在のVTuber文化に通じるところもあって好きだった。
人が娯楽にかけられる可処分時間は基本的にそう変わらないものなので(昨今では、コロナ禍による自宅時間増加の影響もあるだろうが)、VTuber配信を視聴する人はかつてその時間で何か別の趣味を楽しんでいたはずだ。アニメやゲームだったり、YouTuber・ニコ生・ピアキャスの配信視聴だったり、はたまたキャバクラのように実在人物との交際だったりもあるかもしれない。私にとってそれは声優ラジオだった。
かつてハマった声優ラジオを聴かなくなったのは、VTuberブームにのめり込んで声優ラジオを聴く時間までVTuberに充ててしまったからだ。VTuber配信は声優ラジオより手っ取り早く面白いさを享受できるのがいい。実在の声優と違いキャラクター性がはっきりしていて外見の印象が強いので、短時間で魅力が理解できる。一方で、昨今の新人声優は入れ替わりが激しく、新人声優が主役デビューしても1年したら仕事が無くなっていたということも多い。アニメで目ぼしい新人声優を見つけて、番宣ラジオでその声優の人となりを覚えても無駄になってしまう。よって、ここ数年でデビューした声優はほとんど分からない。
バーチャルユーチューバーの呼称をまだキズナアイしか用いていなかった頃に動画を見たことがあるが、その時は魅力を感じなかったし将来性にも気づけなかった。『みならいディーバ』の仕組みを真似ているだけで特に面白くはないなと思っていた。ちなみに、『みならいディーバ』だけでなく、『gdgd妖精s』・『てさぐれ』などの声優ラジオの雰囲気を汲んだダテコーアニメも好きだ。声優ラジオ文化はダテコーアニメを通じて、キズナアイから派生した現在のVTuber文化へと昇華したのだろう。最近『すこだワ』を聴いて、声優ラジオの雰囲気を懐かしく思い出しながらそんなことを考えた。
せっかくだから好きなVTuberについても述べよう。ホロライブ所属の『赤井はあと』と『大神ミオ』だ。最近の『赤井はあと』はホロライブでもトップレベルの再生数を持つほどの人気があるので特に説明するまでもないが、ゲテモノ料理配信やMAD動画作成といった他のVTuberではまずやらないことをやるのがいい。『大神ミオ』は企画立案と司会進行能力に長けており、ホロライブメンバーを複数人集める企画では特にそれが顕著だ。中でも、『ホロライブ幼稚園』・『猫又おかゆ裁判』・『食レポ名人』・『擬音王決定戦』が好きだ。(今確認したら『ホロライブ幼稚園』のアーカイブは削除されていた。任天堂キャラの自作絵がまずかったのだろう)
VTuberの配信は、ゲームやカラオケの配信に絵がついてるだけだの、オチの無いおしゃべりで大量のスパチャを集めるバーチャルキャバクラだのと揶揄されることがある。そうした揶揄の対象になるようなエンタメ性の低い配信を望まないことも、『赤井はあと』や『大神ミオ』の企画力のある配信が好きな理由でもある。VTuberブーム時は、これまでにないエンタメが登場したことのワクワクに心躍るのが好きだったが、今でもその気持ちに変わりはない。
それだけに『大神ミオ』の著作権違反による対応として、配信休止となったことは残念でならない。しかし、『大神ミオ』の企画者や司会者としての立ち振る舞いを考えると、この対応は妥当であると言わざるを得ない。仮に著作権違反の責任をホロライブに押しつけることができたとしても、そんなことは『大神ミオ』のキャラクターに似つかわしくないからだ。配信活動を再開したら、また楽しい企画をやってくれることを切に願っている。
最近趣味でプログラミングを勉強し始めた排泄物人間なんだけど、
最初だからまだ自力コードを書くのが全然できないから写経が学習の中心になっている。
書籍やブクマ記事とかで「GitHubを(作って)持っておいたほうが良い」みたいなことがよく言われているけれどさ
これって俺のような排泄物のような初心者は、アカウントを作ったとして何をアップしたらよいのかわからない。
単純に考えると「写経したコードを上げる」なんだろうけど、これってさ著作権違反になりそうで怖い。
かといってゼロからコードを書くような力はまだないし(おそらく本当にHello world!ぐらいしか書けない)、アカウントを作るのがまだ早いってことかな
二次創作を批判する記事が話題に上がっている https://funny-creative.hatenablog.com/entry/20200106/1578318490 ので所見を述べる。(主観的観測にのみ基づいているのであまり価値のあるものではない)
まず私としては二次創作は基本的に容認されるべきだと考えている。
理由はいくつもあるが、まず、二次創作批判派の多くは自身の犯罪行為を正当化したいだけだ、と思えるからだ。例えばなんJなどで同人関連のスレがあると、違法ダウンロードを公言して憚らない連中が、「二次創作は著作権違反だから割る。オリジナルにはちゃんと金払ってる」などと頻繁に書き込んでいる。また、コミケ徹夜組インタビューでも、インタビューされている徹夜組が、コミケは二次創作の温床だから徹夜を批判される謂れはない、などと宣う。さらに同人作家のRed Light氏 が自身の作品の著作権侵害に対し遺憾を表明したところ、「でもお前も著作権侵害(二次創作)してるじゃん」という旨のことを言われた、なんてこともある。
そうした難癖を受けて、じゃあ二次創作を辞めたらどうなるかというと、明らかに誰も得しない。難癖付けている連中がそういいながら二次創作作品を入手していることから考えても、彼らが求めているのは規制ではなく自己正当化に過ぎないのだ。事実Red Light氏は二次創作を辞めたが、彼のオリジナル作品は依然違法にアップロードされ続けている。
次に、二次創作の風潮が嫌いだから作品そのものから離れる、という説。これは理解できる面とできない面がある。確かに公式設定を無視し、売れることだけ考えて量産型エロを乱造している連中は不愉快だ。しかし、だからといってそれで元の作品から離れるというのが分からない。自分も東方キャラを巨乳にしたり大人にしたりする連中が大嫌いだが、逆にそうした連中がいるからこそ、ならば自分が公式通りの外見設定で描こう、と思えるのだ。二次創作の風潮が嫌いだとしたら、それに反発してカウンターとしての表現をすべきだ。それをモチベーションとして創作活動に入ることだってあるのだ。
そして、元記事の、二次創作のせいで作家が育たないという話。商業作家を志す人が少ないというのは色々な事情があるのに、二次創作だけのせいにしているのがおかしい。私はむしろ、技術革新によって昨今のレベルが上がりすぎ、プロになる敷居が高すぎるせいだと思う。実際その壁を乗り越えた同人作家からプロは何人も出ているわけだし。そもそも一次二次隔てなく同人の規模が大きくなることは、クリエイターの質を高める点でいいことだろう。これは創作に関係ないが、後輩にとても精力的に学会発表をする人がいた。彼の発表は粗が目立つし、同じ発表の焼きまわしでしかないものも多かったが、しかしそうして実績を積んだことで現在も研究者として活躍できている。未熟でもなんでも発表することは良いことで、同人イベントはその受け皿になるのだ。
だいたい、アニメでもなんでも見ていて気に入ったキャラがいたら描きたいと思うのはオタクの性ではないか。そこに無駄に高い意識をもって二次創作は表現として劣っているなどと峻別する意味が分からない。
一方で、批判されるべき二次創作というものも確かにあるだろう。公式が二次創作に規約を設けており(sssグリッドマンとか)、それに反するものだ。対して東方なんかは自由な創作活動を奨励しているので、批判する根拠が無い。したがって一括りに二次創作を批判することがそもそも無理がある。そのうえで二次創作が容認されている作品に関して批判したいのなら、全体的な規制を呼びかけるのではなく、作品そのものを個別的に批判すればよい。私だってパチュリーを公式通り幼く描いたら、「パチュリーはむちむち巨乳お姉さんでないとおかしい」とかいう糞リプが来たことがある。糞だとは思うが個別に来ただけまだマシだ。