はてなキーワード: 美少女アニメとは
「アニメ・カント・博士課程無職」の組み合わせは犯罪と関係がある
犯人の心理の中で、「美少女アニメ好きやカントへの偏愛や博士課程無職だったことが、犯行と関係あるのでは?」というのは馬鹿にされるのに、
「母親の死・父親の再婚」と犯人の心理を結びつけるのは、当たり前のように扱われている。
「母親が死去して、父親が再婚して、犯罪を犯さなかった人は大勢いる」とか
「代表性ヒューリスティックがうんぬん」とか「定量化・一般化・再現性はあるのかw」とか「生存バイアスも知らないのか?」とか
「勝手に決めつけるな!」とか
「母親が死去して、父親が再婚した人への偏見だ!」などと叫ばない。
それどころか、
「母親の死 → さっさと別の人と結婚する父親 → 子どもが絶望、という図式は他でも見たことがある。被害者もそうだが悲劇としかいいようがない。行政としてはお決まりの「因果関係は認められない」となるのだろうが」
違いは何?真剣に教えて。
君の考えを引用を中心にまとめるとこうなると思うんだよね。
「彼の心理を理解したいから」、「彼がどういう心理状況で日々を暮らしてきたのかを真剣に想像してみよう」。そのための道筋として、「これまでの経験や嗜好というドットのつながりと、起こした行動の間に、関連性を見出すのは自然だ」。というのも、自分自身の「これまでの経験や嗜好というドット」をつなぎ結ぶことで人は誰しも自分の「人生のストーリーを描いて」いるからだ。それは時として当人にとっても「明確に意識されていない」ものかもしれないが、必ずや「ある種の心理的状況」を作り出すことを通して、「自分自身を把握し、ある行動を起こす」ことへと導くものだ。だから、「この犯人の場合であれば」、たとえ「アニメ・カント・博士課程無職」といったそれぞれの単体では心理や把握している自分の人生というものに影響をもたなくとも、それらの「組み合わせというのが、犯罪と密接な関係を持っているということは認めるべき」だ。
この考えの前提の部分はともかくとして、気になるところがいくつかあるんだよね。
一つ目。君は個人を構成する「経験や嗜好」そのものではなく、それらの組み合わせが人格を作り上げると主張しているようだけど、ここでは「経験や嗜好」や経歴をそれ単体だけで取り上げた、何の変哲もない感想しか述べられてないよね。たとえば、博士課程へ進学しながら「まともな職を得られないというのは、精神的にきつい」としている。また、美少女アニメは「容易に現実逃避の対象」となるので、「それが現実対処能力を下げうる危険性がある」としている。そしてカント好きという要素についても、カントの理解に「誤解が生じた」、あるいは「なぜカントの言葉に従えなかったのか」という問いを立てている。これらはいずれも「組み合わせ」をもとにして作り出された「人生のストーリー」などではなく、単体の要素から「人物判断をイコールで導き出し」てしまっている好例ではないの? これがステレオタイプとどうちがうのか私には分からないんだよね。君は報道された経歴や嗜好をひとつひとつバラバラに一瞥する。「高学歴無職ってきつそう」「美少女アニメ好きって現実から逃げてるよね」「カント好きならこんなことしないよな」と、ありきたりな印象を述べながら。そして次に、そのように吐き出された感想に自分自身で同意するかのように、君は犯人に対して「共感」を示す。「ああ、こういうことの組み合わせで、こういうことを起こす心理状況になるのは分からんでもないなぁ」と。でもそれは「人生のストーリー」を形作る組み合わせでもなんでもない。もしそうなら、どうして犯人と同じ経歴や嗜好を持つ人が同じ犯罪を起こさないのだろうか? つまりこれはただのステレオタイプの組み合わせなわけで、君は君自身が抱くステレオタイプを用いて他人の心理状況を説明してしまっているんだよね。君の共感というのも、説明づけられた他人に対してではなく、ステレオタイプで分類された他人に対して示されたものではないの? 君はステレオタイプが確かに正しかったという結論に「empathy=in+pathos」したのではないの?
二つ目。君は自分の考えの前提と実際にやっていることのズレに半ば自覚的なようなので、こんな答弁を返しているね。
「経験は無数なのだから、どれをつないで自分のストーリーを作るかは恣意的だ。」
どうせ「恣意的」なのだから、みんな好き勝手に解釈すればいいし、自由に「彼のストーリー仮説」を作ればいいとちゃぶ台を返してしまうことで、君は犯人の「心理的状況を真剣に考え」るという当初の名目をもはや捨て去っているように見える。それでも君は自分の感想は「否定されること」ではなく、当初の目的に沿ったものだと弁護してこう言い張っているね。「人の心理を想像するうえで、そういった作業は欠くことができないとさえ僕は思う。」ここで、奇妙な言い換えが起こっている。君は始め、ステレオタイプに頼らず「真剣に想像」することは彼の心理を「理解」するための方法だという主旨を述べたはずだよね。ところがここでは、みんなが自分の立場から好き勝手に感想を言うことそれ自体の重要性をアピールしている。こうなってしまうと、「これまでの経験や嗜好というドットのつながり」や「人生のストーリー」が個人の心理を解き明かす上でどのように求められるのか分からなくなってくる。それどころか、君はむしろ好きこのんでステレオタイプに基づいた判断をしたがっており、「人生のストーリー」というものが「人物判断をイコールで導き出」されたものの美辞麗句にさえ思えてくるんだよね。
三つ目。「人の心理を想像するうえで、そういった作業は欠くことができない」というが、なぜ心理を想像するのに報道やマスメディアの断片的な情報があえて必要なの? 君は人生のストーリーを把握するためには「彼の供述を待つ必要がある」、「インタビューしてみないと分からない」と述べている。にも関わらず、供述を待つまでもなく、君は自分の感想を積極的に垂れ流しているよね。これによって、経歴についての君の感想は心理を理解するための方策ではなく、心理を想像するための過程ですらないと告白してしまっているように見える。ではそれは何なのかというと、報道をもとに君が抱いたステレオタイプな人格に他ならないんじゃないの? そしてなぜそのようなありきたりな感想に対して慎重に対処しようとしないの?
まとめると、君は終始、他人の人格を自分の偏見をもってステレオタイプに説明づけることしかしてないんだよね。そして他人からこの事実を指摘=説明されることから逃れるために、ありもしない高尚な動機を後づけでくっつけているように見える。君は二枚舌を使いまわしてこう主張する。「犯罪と結びつけるステレオタイプは排除しなければならない」。たとえ自身がステレオタイプにはまっていようとも、それは犯人の心理を理解したいから彼のストーリー仮説を作っているからであって、誤りではないということだ。
さらに滑稽なのは、「人の心理を想像するうえで、そういった作業は欠くことができないとさえ僕は思う」と、下衆な報道を野次馬的に楽しむことを高らかに正当化していることだよね。カントは、ある善を実現するためには、それを信奉する万人が等しく同一の道徳規則に無条件にしたがわねばならないとしている。君の場合はまるで逆だ。君は君の判断を正当化するために、あるはずもなかった善を先取りして捏造してみせた。そしてその結果として君の行為はゆいいつ美しいものとなるはずだったけど、あまりにも目論見が馬鹿げているために君はそれさえも失敗した。紆余曲折したあまり最後には、ステレオタイプに基づいた判断のすべてが個人の心理状況を理解するための尊い「哲学的な問い」だという結論に逢着したようだけど、なるほど、これは確かにカントを逆順に理解したものだね。君は自分自身の身勝手な行為から出発して万人に当てはまる倫理を作り上げたんだよ。
横からだけど"「アニメ好き」だろうが「カント好き」だろうが「無職」だろうが、それらを犯罪と結びつける報道はあってはならないだろう。"とまで書いておきながら"「カントなどの倫理学・哲学専攻」の「博士課程に行くも論文かけず、就職失敗」した一方で、「美少女アニメの愛好」という趣味を持つ人物であった。これらの組み合わせは、明らかに今回の犯罪に結びつく心理的要因の大きな要素だったと言えると思う"なんて言い切ってるのが意味不明なんだよな。
"単体の要因ではなく、複数の要因の組み合わせはある一定の心理的状況を生む"って、単体の要因を除外する根拠は何? "つーかただの細分化したレッテル差別やんそれ"っていう指摘が"タブー化"だとしてじゃあ"「アニメ好き」だろうが「カント好き」だろうが「無職」だろうが、それらを犯罪と結びつける報道はあってはならないだろう。"は"タブー化"ではないの? 全体的に訳わからん。
それ一般化出来るの?サンプル一個限りじゃね?
「事実である」とか言われても、事実なのはおまえの頭の悪さくらいだよとしか
言いようがない。
カント愛した元院生、存在感薄く 岡山・女児監禁容疑者:朝日新聞デジタル
監禁事件の犯人が、阪大大学院博士課程でカントを中心とした倫理学を専攻していたという報道があり、
当初の報道では「アニメ好き」に焦点が当てられていたこともあり、
ネット上では「カント好きだと犯罪者になるとか報道しないのかね」といった皮肉が多く見られた。
確かに、何か単体のものが犯罪と結びつくという短絡的な発想は戒めなければならない。
「アニメ好き」だろうが「カント好き」だろうが「無職」だろうが、それらを犯罪と結びつける報道はあってはならないだろう。
しかし、現実的に何か複数のものの組み合わせというのが、犯罪と密接な関係を持っているということは認めるべきではないだろうか。
この犯人の場合であれば、「カントなどの倫理学・哲学専攻」の「博士課程に行くも論文かけず、就職失敗」した一方で、「美少女アニメの愛好」という趣味を持つ人物であった。
これらの組み合わせは、明らかに今回の犯罪に結びつく心理的要因の大きな要素だったと言えると思う。
実際、哲学や倫理学というのは、思考や常識の前提に対して疑問を投げかける学問で、かなり危険(社会性の逸脱という意味で)なのは事実である(「カント危機」という言葉さえあり、クライストはそれで精神を病んだ)
博士課程(しかも阪大)に行って、それなりのプライドを持つに至る一方で、周囲がエリートコースを歩みながら、自分はまともな職を得られないというのは、精神的にきついのは事実である。
美少女アニメというのが、現実のつらさを忘れさせてくれるもので、容易に現実逃避の対象となり、それが現実対処能力を下げうる危険性があるのは事実である。
もちろん、これら単体と犯罪を結びつけるのは戒めなければならない。
いわゆる「カント危機」と称される精神的危機を乗り越えて、独自の哲学や思想を築き上げた哲学者、思想家は枚挙に暇がない。
博士課程に行くも、周りはうまくいく一方で自分は就職に失敗し、生きる気力をなくしてしまうも、その挫折を乗り越え、その後の自分の人生を誇り高く納得して歩んでいる人は数え切れない。
美少女アニメを楽しむことと、現実社会とうまく付き合っていくことを両立させている人は、必ずあなたの周りに一人はいるだろう(隠しているかもしれないが)。
だから、これらを犯罪と結びつけるステレオタイプは排除しなければならない。
しかし、これらの組み合わせが、今回の「少女監禁」という犯罪に至った心理的要因ではなかったかと意見を述べることがタブーであってはならない。
事実として、複数の状況や要素の組み合わせは、共同体の常識や規範を乗り越えさせ、犯罪を犯す要因となるのだ。
僕はあの秋葉原の加藤の供述を読んだときにもそう思っていた。単体要因の「非モテ」でも、「母親との関係」でも、「職場でのトラブル」でもなく、それらの組み合わせが犯罪へと向かわせたのだと。
あるいは、また思ったのだ。「灘・ハーバード・楽天」という組み合わせが悪いのだと。別に、灘や、ハーバードや、楽天が悪い訳ではないと。
どれか一つ、それが「公立高校」であったり、「慶応」であったり、「Google」であったりしたら、こんな女性トラブルを起こさなかったのではないかと。
ある単体の要素と、そこから人物判断をイコールで導き出してしまうのは、単なるステレオタイプである。
しかし、複数の特定の要素や経験の組み合わせというのは、明らかにある種の心理的状況を生む原因となりうる。それは事実である。
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<追記>
"容疑者は、他者を道具化したいとの傾向性を克服すべくカントを敬愛していたが、ついに自己の傾向性に負けた、とするのが妥当な解釈。容疑者とカントの親和性は明らか"
https://twitter.com/Sukuitohananika/status/492910624356065281
"実際にカントはこういうタイプの人間たちに向けて倫理学を書いたとすら言えるのではないか。事件とカントは無関係、風評被害と言ってる人はちゃんとカントを読むべし"
https://twitter.com/Sukuitohananika/status/492911628392742912
こういうのは匿名ダイアリーで言っても耳を傾けてもらえないが、実名で哲学の教授が同じようなこと言ってくれると信憑性が増すなぁと思った。
「カント好きは犯罪者」と「犯罪を起こした彼の心理の中で、その行動とカントへの偏愛とのつながりがありうる」は全然違うんだよ。何か前者とともに後者もタブーにする傾向が最近見られるのが好きじゃないのでこのエントリーを書いた。
そう、今分かったけど、この前者と後者が混同されつつあるのが嫌なんだ。あと、俺は偏見を生みたい訳ではなくて、同じカント好きとして、彼の心理を理解したいからこう言っている。
「カントと犯罪が関係あるわけない」と簡単に言い切ってしまえる人は、彼の心理的状況を真剣に考えたくもないのだと思う。
博士課程まで行ったけど年も食って就職がうまくいかないだとか、カントへの偏愛だとか、アニメポスターを部屋中に貼るとか、彼がどういう心理状況で日々を暮らしてきたのかを真剣に想像してみようとも思わないのだと。
彼が美少女誘拐を行おうと思った時に「傾向性」という言葉がよぎらなかった訳がないのだ。
もちろん、犯罪者の心理なんて理解したくも想像したくもないという立場はそれはそれでありだとは思うが。
だから、僕は秋葉原の加藤も、許されざる殺人をしたのは事実だけど、「ああ、こういうことの組み合わせで、こういうことを起こす心理状況になるのは分からんでもないなぁ」と僕は共感(empathy=in+pathosという意味で)してしまうのだ。
コメントを見ると、僕の表現ゆえだろうけど超誤解を生んでいるし、誤読から変なステレオタイプを生みそうなので、このエントリーは消そうかなと思ったけど、一応残しておく。
つまりさ、ジョブスが言った「connecting the dots」に近い話なのよ。人はある特定の要素や経験を結んであるストーリーをつくり、自分自身を把握し、ある行動を起こす。
彼の中で、アニメとカントと就職できなかったことというのは、何らかの形で結びついて、あるストーリーができていると思う。
もちろん、彼の供述を待つ必要がある。でも、それは明確に意識されていないので供述されないかもしれないとも思う。これはインタビューしてみないと分からない。
とにかく、これまでの経験や嗜好というドットのつながりと、起こした行動の間に、関連性を見出すのは自然だろう。
もちろん、そのつながりというのは「恣意的」に行われる。経験は無数なのだから、どれをつないで自分のストーリーを作るかは恣意的だ。僕も勝手に彼のドットをつないで彼のストーリー仮説を作っている。
だから、「アニメ好きで・カント好きで・博士課程無職」に加えて「恩人との出会い」というドットをさらにつないで、挫折を経た最高の人生のストーリーを描いている人も恐らくいるだろう。あるいは「博士課程無職」を何らネガティブなドットとして捉えない人もいるだろう。
どんなに否定的なドットの積み重ねにも、肯定的なストーリーを描く人はいるし、あるいは、肯定的なドット一つで人生展望ががらっと変わるというのはよくある話だ。
だけど、今回犯罪を犯した彼はどうだっただろうか、「カントへの偏愛や就職失敗や美少女アニメ好きは彼自身の心理の中では少女監禁を起こすに至るような関係があったのではないか」と考えるのは、否定されることだろうか。
人の心理を想像するうえで、そういった作業は欠くことができないとさえ僕は思う。
あと、カントは「他者を手段としてのみならず、目的としてとらえよ」と言っているのは有名だし、傾向性に逆らえと言っているのは常識として書いたので、そこに誤解が生じたのかもしれない。
そんなカントの言葉に彼がなぜ惹かれたのか、彼自身が善きこととは何かという問いを抱えていたからだろうか、最終的になぜカントの言葉に従えなかったのか、などと考えるのは彼の心理を探る上で重要だろうとやっぱり思うし、それは哲学的な問いでもあると思う。
- 古美門
- 「もうこういうオタクは犯罪者予備軍として厚生施設か刑務所にでもブチ込んでやればいいんですよ」
- 黛
- 「は、犯罪者予備軍!? 酷い……!」
- 古美門
- 「喋るなと言っているだろう。 どうせ美少女アニメオタクなんて現実の女に相手にされないからなんて消極的な理由でアニメに逃げた負け組しかいないんだよ」
- 古美門
- 「挙句一人で孤高に生きる度胸も勇気も無く、"現実イヤなのでアニメに逃げました"なんて恥知らずな台詞を臆面も無く吐く恥知らずな連中で集まって傷の舐め合いをしているクズ共だ」
- 黛
- 「ク、クズなんて! 人の趣味は自由のはずです!」
- 古美門
- 「いいか、オタクなんていくらまやかしの世界に逃げ込んだ所で、溢れる性欲には勝てずに結局未練がましく現実世界に帰って来るんだよ」
- 古美門
- 「そこでオタクが狙う現実の女は誰だ? プライドの高いオタクが自尊心を傷つけずに最低レベルの体力を振り絞って向かっていく異性は誰だ?」
- 古美門
- 「こ ど も だ ! 成長した女だと自身の恋愛経験の無さを見透かされてプライドが傷付くからと言って、オタクが狙うのは年端もいかない子供なんだよ!」
- 古美門
- 「そんな恥ずかしい理論を『恥』だと自覚してるから自分は□リコンだ何だ、成長した女はババアだ何だと歪んだ自己弁護をして誤魔化し続ける存在、それがオタクなんだよ!」
化粧はビッチがすることで、生まれもってのスッピンで勝負できないなら諦めるしかないと思っていた
髪を腰まで伸ばしていた。ストレートアイロンもかけない、カットで軽さを出すこともしてない、伸ばしっぱなしにしただけの黒髪ロングだった。周りにそんな髪の子いなかったけど、だからこそ希少価値があるのだと思っていた。
戦闘美少女アニメのヒロインのように「見た目に無頓着なのにかわいい」というのを目指していた。
そのくせ、「なんで三次元の女は縞パンはかないの?」みたいなレスを目にすれば、すぐに近所のしまむらへ縞パンを探しに走った
自分の幼い顔立ちと体型を、だぼだぼのパーカーや飾り気のない白いワンピースで強調して
「日本人の男ってロリコンだらけなんだろ?」と思い込みロリコン受けを狙った。
変な人に声をかけられると、危機感もなく、自分の狙いが成功したことに喜んでいた
嬉しかった。劣等感の塊だったあの頃は、少なくとも「性的な対象に見てもらえるくらいの魅力はある」ということが嬉しかった。
そして男尊女卑だった。女子のグループにいじめを受けた経験も相まって、本気で女は男より劣っててクズだと思ってた。
そこには「女なのに女の欠点を認められる自分」という優越感と「男性のみなさん、私は女だけど身の程をわきまえてます」という卑屈な媚びがあった。
http://anond.hatelabo.jp/20130604092611
BLも読むけど、それほど興味がない。
買う同人誌も男性向けばかりだし、エロゲもやるし、コミケはいつも三日目常連。
どうしてこうなったのか、いつからこうなのか分からないけれど、
とにかく子どもの頃から二次元のキラキラした可愛い女の子が大好きだった。
FF7にハマって、純粋に1ゲーマーとして楽しんでいたのだけど、
ある時書店でFF7の、でも公式ではない絵が表紙になった本を見つけてしまった。
とにかく、まだネットも発達してなかったので情報に飢えていた私は買ってしまい
当時のFF7の人気BLカップリングはセフィロス×クラウドだったと思う。
とにかく、そういう目線で楽しんでいる人が衝撃的だった。
あと、うっかり飛翔系のアンソロを見てしまいトラウマになったり、
近所のこともあって私は行ってみることにした。
そこには、更に知らない世界が広がっていた。
地方の即売会は、本よりもグッズメインなのは今も変わらないのだろうか。
よく知った漫画やアニメのキャラ描いたカラフルな便箋やラミカバッジ。
なにより、楽しそうにコスプレする人たち。私は夢中になりました。
おこづかいを削って、月に一度くらいは参加するようになった。
そうしているうちにイベント会場で、顔はしってるけど話したことはない
同級生と仲良くなり、お互いヘッタクソな絵で交換日記を始めた。
当時、私が好きだったのは電撃G'sマガジンで連載されていた企画や
深夜にやっている美少女アニメばかりだった。
セラフィムコールが好きで、ビデオを録画して擦り切れるほど見た。
だから、BLを当然のように嗜む腐女子の輪の中で、私は異端だった。
男同士の絡み絵を描く中で、美少女のおっぱいやお尻のほうが良いとは
次第に疎外感と孤独感をこじらせてしまい、そのコミュニティとは
高校進学を機に離れてしまった。
こっそり深夜アニメを見たり漫画を見たりするのは止められないし、
大学に入るとエロゲに手をだすようになって、それはますますひどくなった。
それでも分かる人には分かるらしくて、オタクコミュの人から声をかけられても
「あなたとは違うんです。」的な対応をしていた。
いつももっさりした髪型と服装で、自由に使えるお金は全部グッズに使うような、
携帯のストラップにどうどうとアニメイトやガチャガチャの商品をつけるような、
そういう鬱憤を晴らすかのように、エロゲの内容というか性癖もどんどんこじらせていった。
有名どころだと、沙耶の唄やさよらならを教えてが好きだった。
この頃から、コミケに行くようになり男性向け同人誌を買いあさった。
挙げればキリがないけど、とにかく反吐が出るほど悪趣味になっていた。
もう、美少女かわいいだけでは済んでいた頃には戻れなくなっていた。
その頃、みさくら軟骨先生のシスプリ同人誌「瓶詰姉妹」に出会い、
「あーりーあーしーこー(ry」を見た時の衝撃は今でも忘れられない。
そんな感じで、内面だけは立派なキモオタに成長した私はその趣味を
誰にも晒すことも話すことなく四半世紀以上生きてきてしまった。
その間、ずっと女なのに女の子に萌える自分って頭おかしいんだろうなーと
本気で思っていた。精神科に通った方が良いのかもとすら思った。
そこで仲良くなった人の中に、私と同じように女だけど男性向けが好き、
エロゲもやる、そういう人がちらほら居ることを知った。正直、すごく感動した。
思い込んでいた私には、そういう人が他にも確かにいることが奇跡に等しかった。
何回か一緒に即売会やイベントにも参加した。ものすごく楽しかった。
生きている内で、あんなに楽しい事はなかったと今でも思うくらいには、
楽しかったし、誰かと趣味を分かり合えることが嬉しくてたまらなかった。
同時に、どうしてこういう機会があったかもしれないのに、
何より、昔の自分と違って自分の趣味を公言しても許される環境や
とても可愛らしくて、一見してオタクには見えなかった。
大学時代に見たもっさりとしたオタク像しか知らなかった私には、
よく見れば、今や自分の方があのころ嫌悪していたもっさりオタクなんじゃないか。
これまで、必死に自分を隠して生きてきた私ってなんだったんだろう・・・と。
そう思い始めてしまい、恥ずかしさと悔しさでいっぱいになった。
そうこうしているうちに私生活が忙しくなってしまい、ツイッターも止めて
見られては困るような押入れにしまいこんでいたエロゲや同人誌をほとんど処分した。
でも漫画を読んだりアニメを見たり、そういうのは止められない。
でももう、同じような趣味の人と繋がることは二度とないと思う。
どこにいても何をしてても、思春期に味わったような疎外感や孤独感は拭えない。
腐女子の輪にも入れないし、かといって男性オタクには決してなれない。
どっちつかずな存在の私のような女オタクは、これからもひっそり生きていくしかない。
何が黒歴史かといえば、オタクのくせに同じオタクを勝手に見下して同属嫌悪をして、
自分から楽しむ機会をドブに捨てていた自分の行動に対して後悔しか浮かばない。
オリエントコーポレーション(東京都千代田区、西田宜正社長、以下「オリコ」)は、人気アニメ「ストライクウィッチーズ」の第501統合戦闘航空団のエンブレムをカードフェイスにデザインしたクレジットカード(「ストライクウィッチーズカード」)の募集を9月9日より開始します。
「ストライクウィッチーズ」は、鬼才・島田フミカネのコンセプトアートから生まれた新世代ミリタリー美少女アニメ。
硝煙の香り漂う1940年代を舞台に、異形の敵と戦うため、その身にストライカーユニットを纏って空を駆ける少女たちの戦いの軌跡が描かれるアニメーション作品です。
店頭での“使いやすさ”を意識して、カードフェイスには第501統合戦闘航空団のエンブレムをあしらい、人気のキャラクターたちを用いたオリジナル特典も用意。
ストライクウィッチーズファンには必須のアイテムとなること間違いなしです。
オリコでは初年度10,000人の入会を目指して募集を開始します。
そうだね
2ちゃんねるとかでも美少女アニメのネタが真面目なニュース板で盛り上がることがあるけど、あれもそういう人たちが集まってるの?
さあどうだろう、いろんな奴がいるからね
??
この辺から何言ってるのか意味がわからなくなってくる
日本語もちょっとおかしい
何が?
政権バッシングと同じぐらいの熱でエロゲームの話題で盛り上がること?
そりゃ現実でやったら(特に女性のあなたの聞こえる範囲でやったら)無礼やセクハラになるね
現実では考えられないね
「それ」が何を指すのか分からない
エロゲーをやってるってこと?それなら少数派だよ
私は男性と付き合ったことがないから男性のことがわかりません。
都内の大学に通うようになり、パソコンでインターネットをするようになって色々知らない世界を知りました。
2ちゃんねるで驚いている私は異常ですか?
ぶっちゃけそんなこたあどうでもいいし、気にするようなことじゃありません
それより大学生になったんならネットより直に人に触れたほうがいいと思います
あとあなたは大学生にしては文章が酷すぎます
地の文が汚いし何を指してるのかわからん代名詞が多すぎるし論旨も乱脈で非常に理解し辛い
もっと読書や作文をしましょう
秋葉原って高校のときにクラスに何人かいた教室の隅でアニメのジュニアノベル読んでそうな人がいっぱい集まってるんだね。
2ちゃんねるとかでも美少女アニメのネタが真面目なニュース板で盛り上がることがあるけど、あれもそういう人たちが集まってるの? それとも「オタクって意外と普通の人も多い」の普通の人? なんかすごい真面目なニュース同じ場所で政権バッシングと同じぐらいの熱でアニメとかHなゲームの話題で盛り上がってるよね? 現実では考えられなくない? テレビを見たり街を歩いているだけじゃわからないけど実はそれが今の日本の男性の普通なの?
私は男性と付き合ったことがないから男性のことがわかりません。都内の大学に通うようになり、パソコンでインターネットをするようになって色々知らない世界を知りました。2ちゃんねるで驚いている私は異常ですか?