そのレベルまでいくと、「漫画やゲームは子どもに悪影響を及ぼすんじゃないか」と心配してる人と変わらないと思う。
というか、私が念頭に置いていたのはもっと過激な人というか、ぶっちゃけhttp://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20070625#1182747500だったんだよね。
え?三つ折りと同レベルの畳み方しかしないが?と思って動画を見た。
ありえねえwwwwwwwwwwwwww
こんなめんどくせーことしねーよ普通wこの女性が特殊なだけだろw
これ旅行行くときの下準備じゃないの?それにしてもやりすぎだけど。
思春期にハマってたものが、その人の芯というか、核となって、一生存在し続ける。これが、人間の特性なんじゃないかと考えている。
これって結構言われることだけど本当にそうだろうか?
確かにそういう人もいることはいるが、「人間の特性」というほど万人に共通ではない、と感じる。
大体「核」ってなんだ。石川ひとみにハマってた過去があったからといって、「あーそういえば好きだったよテヘヘ」以上の意味はあるんだろうか?
女性は、パンツを特殊なたたみ方するんだろうか?疑問に思ったが、今はそんなこと聞ける女性はいない。
YouTubeにあるんじゃね?と思って、検索してみた(←何やってんだ俺、、、)。
http://www.youtube.com/watch?v=RYug-oV0LX4
よくわからんが、こんなたたみ方をするんだーと思った。俺なんてトランクス三つ折するだけだよ。
エアコンの冷房をガンガンに効かせた部屋で、好きな明るい音楽を聞きながら、窓の外は強い日差しで、自分は休み、明日も休み、そんな日で、昨日はプールに行って女の子のお尻を追いかけていて、今朝は朝起きて筋肉痛を少し感じるぐらいの心地良さで、シャワーを浴びて、棒のアイスを食べながら、朝から出かける人たちを半裸で眺めながら、
終わらない夏休みもいつか終わる。夏休みは始めるべきだろうか。考える必要のないことを夏でもないのに考え、夏が来るのを感じる。
うーん。いや、本人がそう思ってるわけじゃないんじゃないかな。ていうか、「誤解され得る」と言ってる本人が、そう思ってるかどうかっていうのはあんまり関係ないのでは?
誤解されうる、と危惧する人にとっては、たとえ自分だけは「これは別物だ」と理解していても、これを見る他の人がどう思うか、というところが心配なわけで。たとえ自分はそう理解していても、他人もちゃんと分かってくれるかは分からない。それもBL読者ってのは結構若い女の子も多いから、余計に「彼女らは誤解していないか、この作品は彼女たちに誤解を植え付けはしないか」と思うってことじゃないの?
http://anond.hatelabo.jp/20070408073302
これ読んでてちょっと違うことを考えた。別にこの手の世代論は批評の文脈に限らず、かなりコミュニケーションにおいて、汎用的なものだと思う。
思春期にハマってたものが、その人の芯というか、核となって、一生存在し続ける。これが、人間の特性なんじゃないかと考えている。だから、流行ってるものが毎年違う以上、世代によってハマるものが変わるのは、いわば当たり前。でもそれはすごいすごいすごい大事なこと。
僕がコミュニケーションで気にしてることとして、「相手の人間を理解するには、相手が思春期??青年期にどんなものにハマってたかを把握するのが一番大事」ってのがある。それを実現するために、人の年齢から"思春期にハマってたもの"のあたりをつけようと、ここ50年ぐらいの出来事と、ブームになった出来事をひたすらインプットしている。
彼は、バブル世代なのか?ファミコン世代なのか?フォークソング世代なのか?当時のカリスマは誰?好きなアイドルは誰?流行語は?ぐらいを、人と会った瞬間に考える。慣れれば、商談の場で、先方に現れた40過ぎの初対面のおじさんと、石川秀美と石川ひとみの違いについて熱く語ったりとか、すぐできるようになる。
そのとき大切なのは、ちゃんと知ってても、"わざと間違えること"。「あれですよね、石川秀美って、『まちぶせ』歌ってた人ですよね」「はっはっは、違うよ君ぃー、それは石川ひとみだよ??。私は当時彼女のファンでね??」ときたら、内心キター!というわけ。世代別に、相手が語りたいネタのパターンを用意してやればいい。
そのネタのパターンの1つが、映画とかアニメとか美少女ゲームという、位置づけなんだろうね。
誰もね、自分の好きなもの、子どものころにハマったものを、大切にしたいし、語りたいし、悪く言われたら嫌なものなのよ。
「ぼくらの」は読んだこともアニメ見たこともない。でもOPをユーチューブで見たり、あとウィキで設定見たりとかだけで鬱になって、悲しすぎて吐きそうになる。だから何となく手が出せない。アニメなり原作なり最終回を迎えて、ラストがどのように終わるのか、ってのを聞いてからならただの作品として読めるかもしれないけど途中の今の段階では一々一喜一憂しなきゃいけなくてきっとついてゆけない。人が死ぬ、っていう点ではバトルロワイヤルとかも読んだことあるんだけど、その時はそんなにショックとか受けなかった。悲劇性、って点なら、友人と観に行った「誰も知らない」だって似たようなものだろう。でもその時はラストに、可哀想って泣きじゃくってた友人を見ながらえっこれって泣く映画なの??って思ったりしていた(実際にあった事件だってのは知ってたし、惨いとは思ったけど、)
でも「ぼくらの」に関しては悲しすぎて気持ち悪くて吐きそうになる。逃げ場がない、ってのが怖いんだろうか。でもそれはバトロワも一緒だし。ラストが見えてないから怖いと思うんだろうか。これが一番の理由っぽいなぁ。はらはらどきどきしたくないというか…完結してるオマージュ元ならまだ読めそうな気がするけど。作り物なんだから怖いとか悲しいとか感じるのはおかしいはずなのに、
それでも怖すぎて気持ち悪くて見る勇気が出ない。人が死ぬのが嫌なのかなー。
追記:
ああ、なるほど。
そこらへんは、
「『同性愛者に対する誤解が(ry』と言う人は、BL作品を現実の同性愛者を描いたドキュメンタリーとでも思って手に取ったのか?わからないなぁ」
というくらいの意味合い。
本来の読者はきちんと弁えて読んでいる(はずだ)し、心配しなくても誤解が発生する可能性は低いでしょうよ、という。
昔に比べりゃ価格差もそうないのかもしれんけど、それでもやっぱり牛は豚や鳥に比べりゃ高いよ。
いや、あの、
『「実際の同性愛者が誤解される」って言う人が分からない、だってBLは実際の同性愛者に依拠して描かれていないから』
って論は可笑しいんでないの?って言ってるだけで、別に個人的にこの問題に関して意見はしていない。
実際の同性愛者が誤解されるよ!って人は、まさに「実際の同性愛者に依拠して描かれていないから」こそそう言ってるわけだから、「依拠して描かれてないから大丈夫だよ」とかいったって全然意味ないんでないの、って事。寧ろ逆効果じゃね?
誰も現実なんて見てないんだよ。
作者は「同性愛者」という空想上の存在をモチーフにして作品を書く。
読者は「同性愛者」という空想上の存在を想像しながら作品を読む。
ニュアンスを感じ取ってもらうために敢えて喩え話をすると、
「増田さんは可愛いね」って話をしていたら、同姓の別の増田さんが「私まで可愛いと思われるでしょ」って怒ってる。
そんな感じ。
あ、「同じ髪型」とか「同じ服装」とかのほうがいいかな。
まぁいいや喩え話だし。
夫婦の事って、結局その本人達にしか分かんないからねえ。
血を分けて一緒に暮らす子供にすら実の所どうなのかなんて分からないのに、
赤の他人が分かるわけない。
なので、その記事の夫婦が仲が良いのか悪いのか私には全く想像できない。
仲が良いとも悪いとも決め付けられない。