はてなキーワード: 殺意とは
それの何が偉いのか、私には分からない。
今日は延滞の常連のヤツがいるので電話をかけた。施工屋のオッサンだ。
「分かったよ!返せばいいんだろ。ったく、いちいち訛りやがって、うっとうしい」
接客という職業柄怒鳴られるのには慣れている。延滞のことででかい声を出されるのなんか日常茶飯事だ。
だが、「訛っている」というのは聞き捨てならなかった。この一言で私の殺意は頂点に達した。
延滞の電話がしつこいとキレられるならまだしも、私の話し方と延滞は何の関係もないではないか。全く関係のないことで愛する故郷を貶められるのは納得がいかない。今すぐ腹を三段に捌いて詫びてほしかったし、殺人罪に問われないのであれば首の骨をバールでへし折りたかった。
訛っていることに対しては謝らなかった。理不尽な怒りに対して謝る必要がどこにあるのだろう。私は必要な事柄を伝えるという仕事をしただけだ。その伝え方が相手にとって気に入らないものであろうが、そんなことは私にとっては関係ない。
しかしやはりこの客は気に入らない。全くもって気に入らない。
いくら私の故郷が夏はくそほど蒸し暑くて冬は凍える程に寒く、観光に来るところであって住むような街じゃないと罵られようと、スーパーで買い物をしようと歩道に自転車を止めていたら5分で市役所に迷惑駐輪として撤去されるようなところでも、この十年で観光に来るのが修学旅行生ではなく外国人観光客になり、個人旅行客で市バスがパンクして歩道にバス待ちの客が溢れるくせして四条以外の歩道の幅が全く広がらなかろうとも、わけのわからない景観規制のせいで中途半端な高さの格好のつかないマンションしか建たなくとも、私にとっては四季の色づく愛すべき街だ。愛おしい街だ。大切な故郷だ。
それをたかだか現在の主要都市である関東に生まれついたというだけで、見下し踏み躙るのか。東の田舎者風情の癖に、随分とまあ偉そうだこと。
半ば本気で、そう思った。
もちろん私は、こちらの言葉を尊重してくれる関東の人に「東の田舎者風情が!」と思うことはない。無分別に刀を振り回しているわけではないので、そこは分かってほしい。
「東京からきはったん?関東訛りが抜けてはらへんから、すぐ分かったわ」
と言われたら、腹が立たないか?ということを考えてほしいだけなのだ。
日本という国のくくりからすれば、標準語は関東地方の一方言に過ぎない。それを「標準」などという偉そうな冠を被せたから、標準語が故郷の言葉というだけで特権意識を持つ頭のいかれた輩が出てくるのではないか。
そんなことで特権意識を持っている輩は私からしたら、やっぱり理解不能だ。
他に誇るものがあればそれを誇ればよいものを、生まれつきの何かしらしか誇るものがないのだろうか。そんなところにしか縋るものがないから、それで人を見下さなければ自分を保てないのだろうか。
己の手で掴んだものが何もないからと生まれつきのもので他者を嘲り踏み躙るのは、あまりにも惨めで格好の悪いものだということが分からないのだろうか。
閑話休題。
とりあえず、標準語話者で他の方言を「汚い日本語だ」などと見下している人は早急に考えを改めてほしい。私にバールで頭を殴られる前に。あなたの言葉など、京都出身の私からすれば『関東訛り』でしかない。
他の方言のことも同じ重さを持つ言葉として見てくれている標準語話者のあなた、ありがとう。どうかそのままでいてほしい。
そしてできたらでいいのだが、方言を馬鹿にしている人がいたら「そういうのは良くない」とたしなめてほしい。人のアイデンティティを貶めるのは、誰に対しても許されない行いだから。
おわり。
加害者は被害者に謝り償うのは当然としてさ、その次に同じ中学校の真面目な生徒に対しても謝らなきゃいけないと思うわ。
加害者のせいで中学校に対して抗議やバッシングが多数来ているけど、その責任をまともに負うのは真面目な生徒もおなじなのよ。連帯責任で彼らは自分がしていない罪を負い償いをするの。それも今の生徒だけではなく後から入ってくる生徒も。それで学校が荒れると今度はそちらも対処しなくてはならなくなるの。加害者は同じ学校の無関係の生徒を生贄にするのよ。
私の中学校は生徒が誘拐殺人を起こして、犯人の情報が2ちゃんとかでバレてウチの学校の生徒が謂われなきバッシングを受けたのよ。それで学校が荒れてねそれは10年ほど収まらなかったと聞く。私は事件が起きてから4年後に入学したけども、本当に生贄にされている気分だった。学校が荒れてて気分はよくなかったし、その荒れているコミュニティに強制的に組み込まれているから連帯責任との板挟みで苦しかった。それで自傷行為をしたこともある。
その上で加害者に言いたことがある。・・・・・・加害者たち!あんたたちは同じ学校に通う生徒にとっての悪魔であって疫病神であって邪神なんだよ!!これから謂われもなき殺意を何百もの生徒に向ける殺人鬼なんだよ!!罪なき真面目な生徒に苦しみの理由を与えた大層な神さまだこと!!これからあんたたちはいじめ被害者だけではなく同じ学校というコミュニティに属する人間から恨まれるんだよ!!言っとくけど自殺はするなよ!死んで何とかなるほどの価値は無いからな!!同じ生徒の恨みを買って呪われ続けることによって初めてゼロから始まるんだよ!!・・・・・・・というのが、人を殺した加害者と同じ中学校に通っていた人間からの素直な気持ちだな。その気持ちは正直10年以上経った今でも忘れることが出来ない。加害者は同じ中学校の生徒に迷惑をかけているしそれに沈黙することは重罪であると思う。こっち(同じ学校の生徒)だってそのような苦労をせずに生きる権利はあったと思うし、あとからその意味をどうこう言われてもうるさいわとしか思えない。こういう放埒な迷惑と殺意を振り撒く犯罪者は磨がれた鋭いナイフのように憎んで初めてこちらと対等であって、こちらに許しを請うことすらも罪だと思う。だから加害者にはその辺の分をわきまえてこれから暮らしてほしいと思う。
加害者は被害者に謝り償うのは当然としてさ、その次に同じ中学校の真面目な生徒に対しても謝らなきゃいけないと思うわ。
加害者のせいで中学校に対して抗議やバッシングが多数来ているけど、その責任をまともに負うのは真面目な生徒もおなじなのよ。連帯責任で彼らは自分がしていない罪を負い償いをするの。それも今の生徒だけではなく後から入ってくる生徒も。それで学校が荒れると今度はそちらも対処しなくてはならなくなるの。加害者は同じ学校の無関係の生徒を生贄にするのよ。
私の中学校は生徒が誘拐殺人を起こして、犯人の情報が2ちゃんとかでバレてウチの学校の生徒が謂われなきバッシングを受けたのよ。それで学校が荒れてねそれは10年ほど収まらなかったと聞く。私は事件が起きてから4年後に入学したけども、本当に生贄にされている気分だった。学校が荒れてて気分はよくなかったし、その荒れているコミュニティに強制的に組み込まれているから連帯責任との板挟みで苦しかった。それで自傷行為をしたこともある。
その上で加害者に言いたことがある。・・・・・・加害者たち!あんたたちは同じ学校に通う生徒にとっての悪魔であって疫病神であって邪神なんだよ!!これから謂われもなき殺意を何百もの生徒に向ける殺人鬼なんだよ!!罪なき真面目な生徒に苦しみの理由を与えた大層な神さまだこと!!これからあんたたちはいじめ被害者だけではなく同じ学校というコミュニティに属する人間から恨まれるんだよ!!言っとくけど自殺はするなよ!死んで何とかなるほどの価値は無いからな!!同じ生徒の恨みを買って呪われ続けることによって初めてゼロから始まるんだよ!!・・・・・・・というのが、人を殺した加害者と同じ中学校に通っていた人間からの素直な気持ちだな。その気持ちは正直10年以上経った今でも忘れることが出来ない。加害者は同じ中学校の生徒に迷惑をかけているしそれに沈黙することは重罪であると思う。こっち(同じ学校の生徒)だってそのような苦労をせずに生きる権利はあったと思うし、あとからその意味をどうこう言われてもうるさいわとしか思えない。こういう放埒な迷惑と殺意を振り撒く犯罪者は磨がれた鋭いナイフのように憎んで初めてこちらと対等であって、こちらに許しを請うことすらも罪だと思う。だから加害者にはその辺の分をわきまえてこれから暮らしてほしいと思う。
(1)瓦そば:食べにくい。瓦の上に載せられて出てくるので、食べようとすれば麺の上に有る具が、ボロボロと瓦からこぼれ落ちる。馬鹿な食べ物。テレビドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』を見て食べたくなった人には、家庭のホットプレートで作る方が無難。
(2)三色そぼろ飯:箸を使って食べようとすればボロボロこぼれ落ちる。じゃあスプーンを使ったらどうかといえば、カレーやスープとは違って湿り気や粘性が無いので、やはりボロボロとこぼれ落ちる。仕方なく器を口に持っていってかきこんだら、気管に入ってむせる。弁当を買い出しに行った人間がこれを買って戻ってきたら、殺意を抱くぐらい大嫌いな食べ物。考案した人間は、無間地獄に落ちて欲しい。瓦そばも同じだが「ボロボロこぼれ落ちやすい食べ物」を作るな。瓦そばを超える馬鹿な食べ物。
(3)焼き魚:シャケとサンマ以外の焼き魚は、美味しさと骨をむしる手間の割りが合わない。しかも近年は、販売弁当に「細切れの小さな焼き魚」を入れる例が増えた。骨をむしろうとすると魚体が安定せずにクルクル回転するし、割り箸では骨がむしりにくい。あの小さな焼き魚を弁当に入れようと最初に言い出した人間も、無間地獄に落ちて欲しい。シャケとサンマは美味しいので特別扱いで許す。昔、北海道で食べたサンダルみたいにデカイ焼きシャケは美味しかった。
(4)うどん・そば:外出先で他に食べ物が無いような、背に腹は代えられないという状況でないかぎり、自分一人ならば絶対に食べに行かない。自分にとっての外食には「特別感」が欲しい。うどん・そばは「普通の食べ物」すぎる。外食する意味が無い。たまに何人かで仕事の外回りをするシチュエーションになって「ご飯どうする?」となると、高い確率で「アッサリ済ませたいから」とか「面倒くさいから」という理由で「うどんにしよう」とか言い出す奴が出てくる。面倒くさい?アッサリ済ませたい?だったらコンビニおにぎりでも食ってろ。仕事の時こそ人間は、良い食べ物を食べるべきである。思い出したが、昔、仕事でうどん県を訪れた時に、夜の飲食会合で四次会まで付き合わされた上に、一次会から四次会まで全部うどんを出されたことがある。うどんを茹でてばかりいるから夏になると渇水するんだよ。
(5)“馬鹿みたいに”大量の香辛料をぶち込んだ食べ物すべて:食べても幸せな気持ちになれない食べ物は、食べ物ではないし、食べ物の美味しさを意図的に損なう処理を、調理とは言わない。論外。瓦そばや三色そぼろを遥かに超える、馬鹿な食べ物ジャンル永久不動のワーストワン。口の中に物を入れることで苦痛を味わうのがお望みなら、煮え湯でも飲んでろ。
私はこの世界を作りこの世界の法を敷いている創造主のことを信仰していないのだなと気づいた。創造主はただの創造をした人であり、それだけの特に担ぎ上げるような、何か頼りになる人間ではないのだ。
私がこのようなことを言うのは、私が中学生の時に負ったトラウマ故である。私は時の巡り合わせで治安の悪い学校で嫌な思いをし続けた。それで自分はそこで真面目な生徒としてやって来た(まあ怖い先生がいたのもあるが)けども「悪魔」は私の心をすり減らした。そして一時自傷行為に走った。
学校を卒業した後もトラウマは残り、他人への不信感なども残った。そしてそのトラウマを逆撫でするような理不尽なことも少なからずあった。そして、それに対し現実を受け止めろといった人もいた。
私はその度に法を敷いた想像主を憎んだ。想像主は最初から私の運命を予定されて、辛く惨めに恥をさらして生きることを天下世界に公約したのだと。私はその創造主を殺したいと思ったし、その殺意は自分を合理主義や快楽主義に走らせた。創造主すなわち神は石ころのようなレゾンデートルと同じく本当に絶命しろと呪った。
しかし不思議と私は神社にお参りすることは続けたし宗教は否定しなかった。単なる世俗的行事とか、精神的行為として考えてたのだろうが、不思議とそれが私の創造主殺しと矛盾すると考えなかったのだ。
とはいえ結局これが私の心のなかで完結している、人に説明できない事象としてあり続けるのも違和感はあった。そしてその違和感に答え違和感を解消したのは遠藤周作の本であった。自分の心の中の「妄想」を語ってくれて名誉回復をしてくれた気分であった。「海と毒薬」「沈黙」では信者の信仰上の苦悩や矛盾を唾棄する世界の法やそれに対するキリストの愛を語った。「イエスの証人」では、卑怯な世界の法を変えられずとも、広く深い満ち溢れる愛を振りまいてきたキリストの姿を描いた。そして、「深い河」では何者をも包摂する存在が残酷な法理の世界にもあることを示してくれた。
私はそれらを読んで、私が創造主を憎んでからも、心の縁としていたもの=神の正体を知り安心した。
今はコロナ禍という創造主がずけずけとでしゃばり図々しく存在を示すことが出来て下品な笑いを上げている時である。私にとってはさもありなんと思うが、私は自分を支えるものを知っているし信じている。それは私を今日まで勇気づけてくれたものである。私はそれを神と呼び、自分が生きたいと望むときに神は現れる。
社会的動物としては避けられない悩みだ、過去を生きていた無数の者たちにとっても
食料や財産を奪われた者、病気で亡くなった者、戦国の世を生きた者、奴隷的扱いを受けた者、濡れ衣を着せられた者、権力を握る機会すら与えられなかった者
記録に残るはずもない数えきれない無念を供養しても良いのかもしれない
最初に言っておくが、これは随分前の話だ。
大型トラックを運転していると、とある大物悪徳政治家を見かけた。
彼はまさにこの日本という国を滅茶苦茶にした張本人として、ネットでも何度も「なぜ暗殺されない?」と不思議がられていた男だ。
ハンドルを切って突っ込んでやればその男が殺せることを、私は尻の下から薄っすらと這い寄るようなエンジンの力強い鼓動の余波から感じ取っていた。
『どうする?殺すか?この国のために、俺のクソみたいな人生を使いきってしまうのも悪くないんじゃないのか?』
幸か不幸か彼の回りにいるガードマンたちは生身ばかりで、車が突然割り込んできて止められる心配もなく、その男の回りにはガードマン達しかいなかった。
『高度なトロッコ問題だ……!現代の法治国家にて暗殺なぞ……!!!しかし、「もうここまできたら殺すしかない!!!」はずの悪党どもが、実際には殺されることなく回っている社会の法なぞを律儀に守っているから、悪党がかえってのさばるだけなのだ……!!!』
必死に巡らせた思考の速度も、一瞬のすれ違いの間に答えを出すには間に合わず、私が運転するトラックはそのチャンスをあとにしてドンドン先へ進んでしまった。
『引き返すか……?!せいぜい死ぬのは俺とガードマンを入れても5人かそこら……しかしああいった悪党が今後も「どうせ殺されない。裁かれない。市民はビビってなにもしない」と調子づけば間接的に死ぬ人間の数はどれほどになるのだ……???』
人間は大型車の運転を何年も続けていると、ハンドルを握っている間は簡単なことでは冷や汗をかかなくなる。
本能と理性がお互いに冷静であること義務付けあわせるかのような機能が身体の中に作り出されるのだ。
それなのに、あの時に垂れ続けた冷や汗の量たるや……。
これ以上思考を運転以外の物に持っていくのは危険だと感じた私は、ついさっき見た光景を必死に忘れることにした。
それからも、その悪党が裏で糸を引いていると思われる事象により日本が滅茶苦茶にされたというニュースは何度も私の耳に入った。
もしも……あの時私が日本中の政治屋に「国民をなめるな!ころすぞ!」と圧をかけていれば……救えた命があったのではないか……。
その思いがこの1年ずっと脳の中を這い回っている。
いい加減疲れた。
https://www.hide10.com/archives/13294
こういうやつね。
でもなんか
「あぁ、どうしよう」そんなことを何度も呟いていた。
ふと気づくと、目の前に黒いスーツを着た男が立っていた。
その男は俺と目が合うと驚いた表情をして俺にこう言った。
「お前さん、この前の・・・」
俺は考えた。見覚えがない人間にそんなこと言われても。
10秒間の沈黙があった。何故か俺はただならぬ危機感を感じていた。
「お前さん、この前の」
俺はその場を駆け出した。必死に走った。
もう大丈夫だろうと思って後ろを振り向くと男の姿はなかった。
俺は呟いた。
「あぁ、どうしよう」
数日後、俺がその男に殺されたのは言うまでもない。
これは違うと思うんだよね。
解説は元サイトでみてほしいんだけど、わざわざクイズみたいにして殺意向けてくるほうが怖くて、
「お前さん、この前の」に対してなんにも恐怖感がない。
一時期ナポリタンスレとかこういう創作ホラースレに居たんだけど、新しい手法新しい手法ってやっていって出てくるものが対して怖くないのって、
ちょっと考えさせすぎなのかなって思う。謎解きの気持ちよさって場面によって変わるよやっぱり。
でも大部分はちゃんと「読み直してみたらこういうことか」っていう叙述トリック的な感じで怖いから好きな人は見てみたらいいんじゃないの。
日本ってのは「殺すぞ」にとても厳しい国だ
「小学校でコウナゴ(漢字表記したら俺が捕まるのでカタカナ)焼いて食べます」というイタズラですら逮捕されて、センセーショナルに取り上げられ国だ
お電話一本でSWATが誤射してムカつくやつ殺してくれて、ライフル協会とかいう人殺しが大好きで銃を使いたくて仕方ないサイコ共が幅をきかすアメリカとは違って、殺意の表明にとても厳しい国だ
さて、ならどこまでが許されるのか
冗談だって(笑)怒んなよ(笑)が通用しないラインはどこまでなのか
これはガンダムWの主人公のモノマネですと前置きしてから「お前を殺す」と言うのはダメなのか
「こ、ころぶぅ!!!あぶぶぶぶぶ!!」とガンパレードマーチのラスボスのマネしてもダメなのか
「メ凡
木又す」とぼかすのもダメなのか