はてなキーワード: 撤去とは
昨今の『自称フェミニスト』の発言を見る限り、残念ながら日本のフェミニズムは完全に死んだ物としか思えない。
そもそもフェミニズムとは『不自由だった時代の女性の解放』『性的な自由を求めた自己決定権』を求めたいわゆる『自由を求めた人々の運動』である。
しかし、今日本で唱えられている主張はやれ『アニメ・漫画を規制しろ』だの『公共的な場所に性を想起させるものを置くな』だの、真逆の主張を続けている。
これは、日本で唱えられているフェミニズムが全て『ラディカル・フェミニズム』(急進的女性主義)なのだが、これが一般的なイメージの『女性に優しい社会を作ろう』というものと全く違く、それどころか真っ向から敵対している主義であるのが原因である。
『ラディカル・フェミニズム』の最終的な目標は『結婚や家庭自体の廃止』や、『男性の社長や役員の廃止』『男性向け性的サービスの完全根絶』等『社会の根幹的な物自体の改革』が目的の活動である。
しかし、海外ではこの主張は全くと言っていいほど受け入れられていない少数派、それどころか海外では主流の『リベラル・フェミニズム』とは真っ向から対立している集団である。
なぜ、海外では受け入れられないかというと、この『ラディカル・フェミニズム』の主張者の多くが『キリスト教原理主義団体』や『白人主義』等の胡散臭い団体に所属しているからだ。
何故、普通なら真逆の差別主義者が『フェミニスト』を名乗っているかというと、内容をすり替えて行けば自分たちの主張を通しやすくなるため、その下準備として『女性』をシンボルに掲げているに過ぎないからだ。
(例:性的なアニメ・漫画は見ていて不快だから自粛しろ⇒黒人は見ていて不快だから自粛しろor性的な物が公共の場にあると問題が起きる⇒〇〇教の物が公共の場にあると問題が起きる)
そのため、『ラディカル・フェミニズム』の主張者は『問題が起きる前に撤去しろ』『表現や思想を自粛しろ』という主張は行うが、実際に風俗営業を行っている女性の賃金向上や男性の家庭への参画(いわゆる主夫)、風俗営業を行ってる女性への職業あっせんなどの現実問題への活動は全く行っていないのが特徴だ。
何故なら彼らor彼女らの目的は『女性の解放』ではなく『自分が差別しているものの排斥が簡単に行える社会』の実現であり、その足掛かりとして女性を利用しているに過ぎないからだ。
では何故日本だけはこの『ラディカル・フェミニズム』がやたら根付いてしまっているか、というと日本は奴隷として扱われた時代が無いため『白人主義』への嫌悪感が少なく、宗教観が薄いため『キリスト教原理主義』を唱えられてもピンとこないため、そういった胡散臭い団体の隠れ蓑としてピッタリだからである。
また、いわゆる『純血主義』が根強い国でもあるため、『自分と異なる物は徹底的に排除したがる』という国民性も『ラディカル・フェミニズム』にはプラスに働いてしまっている。
要するに『自分の理解できない得体のしれない物は差別・排除しても問題ない』という発想が根底にあるため、過激な言動や行動が容易に取れてしまうのだ。
(いじめ問題もこれが根底にあるが、本題ではないためは割愛する)
さて冒頭で『日本のフェミニズムは完全に死んだ』と言ったかというと、かつて女性の自由を求めて戦った『女性解放運動』は今主流となっている『ラディカル・フェミニズム』の真逆である『リベラル・フェミニズム』の運動だからである。
かつて政府や社会から規制されていた『表現の自由』や『性の解放』を求めて運動していた人々の名だけ借りて、今は『表現の規制』と『性の抑圧』を求めて運動しているのが今の日本のフェミニズムなのである。
現在のフェミニストの活動が活発になればなるほど、日本は過去の差別的な社会に戻っていくだろう。
いや、既に一部は戻っているのかもしれない。
長々と書いたが、フェミニストの大好きな『海外のフェミニストの意見』を持って締めくくりたいと思う。
法学者でもあり、アメリカ自由人権協会初の女性代表で、アメリカで最も影響力のあるフェミニスト、ナディーン・ストロッセンの言葉だ。
「ポルノをやり玉にあげる検閲は、性差別や暴力を減らせない。本やメディアを求める男性層と性差別や暴力を行う男性層は全く異なるからだ」
みんなこの話をどういう背景で話していたのかな、かな
①差別
②お気持ち
③公共性
別段表現としての問題はない(原作に問題はない)が、公的機関がシンボルとするにはお下品
類似例:碧志摩メグ、のうりんポスター、駅乃みちか、人工知能学会誌
④環境問題
そして、だからこそ③が許されないのだという
でも、最終的な意見が③に集中するってことは、①にしても④にしても弱いと思ってるんだよね、論者自身が
だから、いだてんを例にしたり、かえる某のようにサキュバス描いてみたりして、イメージを拡大してる
ぶっちゃけ、この話は蘇民祭ポスターと同じところに押し込んだほうが、賛同者増えそうな気がするんだけどな
「エロくて何が悪い」vs「エッチなのはいけないと思います」
まだあちこちでボヤが起きてる大炎上した宇崎ちゃんポスターだけど
何故か
あれは(不適切なレベルで)性的である、性的ではないといろんな議論が沸き起こったが、大事なのは実際に性的かどうかではなく、意見が分かれるレベルのものを不適切であると断じて潰しにかかってしまったことだ
つまり今回のポスター批判を肯定することによって「主観によって不適切であると断定し殴りかかること」が正当化されてしまう
例えば、着衣状態の乳房の表現や、表情などでアウトになり得るのであれば女性向けメディアにも男性を性的に描いたものは無数にあり、公共の場で掲示されているものも少なくない
それらに対して女性が殴られること、あるいはスルーしていることを批判されることに反論ができなくなってしまう
グレーのものをクロと断じて殴りかかるのは余りにもリスキーだということだ
→【ハイリスク】
さらにこういう是非が確定していない事柄を批判するのは単純に批判するだけでなく、いかに自分が正しいか、あるいは相手が間違っているかを証明する必要もある
殴るならせめてもっとクロに近いもの、例えば下衆い週刊誌の中吊り広告とか、にするべきだった
②仮に潰せたとしても現実の女性に対する性的加害に影響が少ないから
彼らは現実の女性に直接レイプ、痴漢、セクハラ等の性的加害行為を行う人間だろうか
ネット上でならともかく現実で直接的に女性差別をする人間だろうか
そういった人物が皆無とは言わないが、現実の女性に性的加害行為を行ったり、女性差別的な社会を創り上げた側の人間の割合はかなり少ない集団ではないだろうか
むしろ女性に加害行為を行う男性や、女性そのものから差別的な扱いを受けてきた人も少なくないのではないだろうか
本来フェミニストが戦うべき、現実の女性を性的消費し、性的加害行為を行い、女性を見下す社会を創り上げた相手は、件のポスターに対して「キモい」と感じている連中なのではなかろうか
ともかく宇崎ちゃんを撤去させ、それに反対する人々を抹殺したところで女性が生きやすい社会へほとんど進歩しないのだ
→【ローリターン】
と、まあ宇崎ちゃんポスターバッシングは、ハイリスクハイコストローリターンといいことがひとつもない
こんなことに労力を使い、炎上させてしまったのは明らかに失策であろう
もちろんあのポスターが公共の場に相応しいかの議論が不要というわけではないが、少なくとも日本社会における女性の人権を考える上でかなり「後回し」にしてもいい類の問題と言えるだろう
これは、蘇民祭を中止したり、死霊のはらわたを上映中止にしたりするたぐいのものじゃない
ただ、見たくない人もいるだろうから、撤去してくれないかというもの
これを「差別」「ハラスメント」の文脈にすると、もともとの表現が否定される
そういう類の批判だ
だってそうだろ、献血ポスターだと「女性を性的に消費していいいんだ」というメッセージになって、本屋の棚だと「ただの娯楽なんだね、実在女性と関係ない」とか言うやついたら、アホとしか評価できないじゃん
だから、いだてんで例えてみた奴とか、もろに表現規制論なんだよ
けどな、なんか正論ブリたいから、TPOの問題なんですーって言うんだよ
なんでだよ?
逆に聞きてぇよ
その表現が社会規範をおかしくする、赦されない表現なのに、ポスターでなきゃいいのかよ
馬鹿かよ
となるわけ
んでな、元増田が言ってるのは、どっちなんだと
漫画・アニメ作品は好きなものが多い。ただ宇崎ちゃんは読んだことがない。男性向けR18エロコンテンツは実写も漫画やイラスト、ゲームも嗜む。おっぱいに貴賤なし。
(セクシャル)ハラスメントやジェンダーの問題には関心はあり、マイノリティや弱者とされてきた人達へは大きな配慮も必要だと思っている。
・ポスターの絵は、おっぱいを強調してるなと感じる。その点で、私はエロい要素があると感じる。
ただしそのエロいと感じた要素は、公共空間にあっても私はあまり気にならない程度。実在モデルか2次元モデルかは関係なく。
だけど献血のポスターとしてはちょっと攻めてるかもなーとも思った。嫌悪感や不快感を抱く人もいるだろうなと容易に想像できる。
・ポスターの宇崎ちゃんのセリフは、本人とセリフの対象(センパイ)の性格・関係性が許容されている作品なんだなと私には想像できた。
ただ目線がポスターを見る人(私)を向いていることもあって、上記のような想像ができても自分が煽られてるようにも見えて正直イラッと感じた。
宇崎ちゃんやセンパイの性格・関係性をあまり想像しない人・想像することに慣れていない人なら、もっと不快に感じる人がいてもおかしくないかなと思った。
・上記の絵・セリフに感じたことは、ポスター自体があまり目に触れないようであれば、私はあまり気にしなかっただろうと思う。
一方で、献血の公式キャンペーンとして採用されたという点で、強い嫌悪感や不快感を覚える人たちがある程度いるだろうと想像もできるし、
その感情は不思議ではなく共感もできる。ただし、共感=同感・同意ではない。そういう感情を持つことを理解でき尊重したい、という意味。
また、嫌悪感や不快感を感じた人達が、感じたことを表明することも尊重したい。耳を傾けた方が良いと感じる主張も多いと私は思う。
ただ、規制や撤去を求めるような主張はもっと慎重になった方が良いのではないかと感じる。
・あのポスターをキャンペーンに用いることが(環境型)セクハラに該当するかは、セクハラに限らずジェンダーやハラスメントに関する問題・議論が多く挙がる現在、
許容できる人・否定的な人・中間的な人など見え方が様々に広がってるのかなと想像して、線引が難しい時期なのかなと感じる。だからこそ問題化したのかなと思う。
最終的には、献血の運営主体である日本赤十字社の自主的な判断を私は尊重したい。
・建設的な議論は大いにあって良いと思う。双方が相手側に耳を傾ける、という前提において。
・「おっぱいを強調している」ということに関して、巨乳キャラであることが問題化されているように私には見える主張もあるが、
貧乳キャラであっても貧乳なりのおっぱいの強調というのはあり得ると私は思う。おっぱいを手で隠しながら恥じらう表情とか。
なので、巨乳=性的であると扱うことの是非という問題化の仕方は、ポスターへの批判側・擁護側どちらも問題を小さくとらえてるように私は感じた。
・私自身はポスターの絵に対して、性的な要素を強調していると感じたこともあり、
擁護側の中に「全く性的ではない」との主張をはてブコメントやツイッターで見かけることがあるが、そう主張する全員が純粋にそう考えてるのか疑問を持ってしまう。
これはおっぱいの強調という部分だけではなく、宇崎ちゃんの表情に対しても思う。 私はエッチな表情にも見えるなと感じる。
・ポスター批判を批判する人(≒擁護、と言っていいのかな)の中には、今回のポスター自体の問題にフォーカスを当ててる人達だけでなく、
ポスター批判の中でも特に目立つ弁護士氏等に対して、他のセクハラ・ジェンダー問題への言及との矛盾を批判する人達もいるように見受けられるが、
はてブコメントやツイッターの短文中ではどちらにフォーカスを当ててるのか私には一見してわかりにくく、よく両者を混同してしまう。
結果として「このコメントの主張は無理があるんじゃ…」と混乱して噛み合ってないように感じることも多い。
・あくまでも個人的な印象に過ぎないけど、議論が長引くにつれ、
「相手が折れることはあっても自分が折れることは無い」と強く思っている人達の声がより目立つようになるのかなと感じる。
中には自分が折れないためことを正当化するためにより主張を補強したり、相手を責める隙を見出すことが目的化してるように見えてしまうことも私にはある。
お互いの前提があまりにかみ合っていないと感じる
これで吹き上がってる方は、もう我慢の限界で水が溢れる最後の一滴だ、みたいな勢いなんだが、その水瓶に水をためた
やれ化粧してこいだのスカート履けだの笑顔でいろだの女じゃ話にならん責任者を呼べだの胸のでかさだの、こちとらただちんこを持ってないというそれだけの理由で個性とか人権とか完全無視して押し付けられ
をやらかした男は、どんなやつなんだよ
飲み会で食った女の話をして
出張に出れば色街にでかけ
話題といえば、どんな女が好みか話し
童貞を嗤う男は
どんなやつなんだよ
そいつらは、○○は俺のヨメとか言ってんのか?
そいつらは、深夜アニメチェックして、温泉回で露骨なテコ入れキタコレwwとか言ってんのか?
そこを攻めたら、体育会系やら陽キャが献血して、痴漢が居なくなって、化粧しなくてよくなんのか?
しねぇよばーか
献血所の献血ポスターがプリキュアになろうが、蘇民祭になろうが、ラガーマンになろうが、そんなの関係なく
そいつらは女子アナが可愛いだの、コンパで女食っただの、ホテルでこます方法など話し続けるよ
その手の規制って最初から最後まで表紙が問題になってるものだと思ってたけど
(だからカバー被せろとか言われてたし、カバー被せるくらいなら撤去するわとミニストップ(イオン)が言い出したのが発端で
その前提すら共有されてないのな
表紙が問題なんだから中身はどうだろうが別にいいんだよ、どうせ嫌いな人は買わないし読まないしな
「オタク差別の為に二次元を規制したかっただけ」だと思い込んでるのまでいるけど
エロ本問題にしてる人のうちそこ気にしてる人なんかほぼいなかっただろうに
なんか沖縄の米兵のレイプ事件の時に米兵サイドが「その米兵が黒人だから騒がれているんだ、黒人差別だ」って主張してたのを思い出したわ