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自身の老後を想定し「介護時に第三者に迷惑をかけたくない」と肛門周囲をはじめとするアンダーヘア脱毛を行なう中高年世代が増加
【介護脱毛】
団塊ジュニア世代が40代半ばになり、自身の両親や祖父母を介護する場面も増えてきました。食事や入浴、そして排泄の介助は決して避けては通れない問題です。介護時に紙おむつを使った場合「アンダーヘアが邪魔だ」と口にする人は少なくありません。陰毛にこびりついた便を綺麗にふき取るのは非常に手間がかかるのです。
海外からの「アンダーヘア脱毛」の文化は、日本でも近年浸透してきました。女性はもちろんのこと、今や男性にまで普及しつつあります。見た目だけでなく衛生面や機能面を重視するのが男性の特徴。更に「人に迷惑をかけたくない」という日本人特有の気遣いがプラスされ、自分の老後を想定し、毛が黒いうち(白髪になると脱毛効果が期待できません)にアンダーヘア脱毛をしてしまおう、と考え行動に移される中高年世代が増えてきています
えーマジか
頭の毛はないのに下の毛は生えてるの?
旧帝大出身の年の離れた飲み友達(もろ団塊の世代)がいるのだが、その方いわく、当時でもいわゆる左翼活動をしてた同級生は少数派の目立ちたがりで、流行ってるから集会行ってみようとか、弾劾!とか檄!とか画数の多い漢字を使ってアジ演説するとモテそうとかそんな感じの割と軽いノリもあったたらしい。一方で、多数派はノンポリ&公務員目指したり大企業目指したりのモブだったと。この辺は村上春樹ノルウェイの森はかなり再現してると飲み友達は言ってたよ。
ネット世論では何かと叩かれる団塊世代であるが、何が悪いのか本気でよくわからない
まず「団塊世代=全共闘」という偏見であるが、1945~1950年生まれであれば大学進学率は3割程度で、しかも学生運動に参加したのはその中の1割程度だ
団塊世代の大多数は高卒か中卒なのである。団塊の行動原理=全共闘メンタリティという説明一発は無理がありすぎる。
よく話題になる「団塊世代のクレーマー」の大多数は学生運動経験なんかない、うるさいクレーマーなのは世代ではなく個人の人格の問題ではないのか
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過去に自分が仕事で接したことのある1945~1950年生まれは数人いるが、工業高校卒か、学生運動には行かなかったおとなしい優等生タイプだった
1990年代に派遣社員でNECの下請けに行ってた当時は、1945~1950年生まれだが最初期のPC98だのをいじってた経験のあるオサーンが普通にいた
1945~1950年生まれならばパソコンとか使い方がわからんのもじいさんだから仕方ないと諦めもつくが、1960年前後生まれバブル世代なのにITにうといオサーンの方がよほど問題ではないか、そーいう奴も大量にいたはずである
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団塊世代を擁護する気はないのであるが、単に「数が多い=目立って問題視される、クレーマーとなる者も絶対数が多い」という話であれば、まさに1970年代生まれ団塊ジュニアの20年後の姿も同様であろう
というか、団塊ジュニアは、非正規雇用の貧乏独身者は多いし、ぎりぎりデジタルネイティブでもないし、ガンダムやら北斗の拳やらの1980年代文化を押しつけがましく振りかざすし、20年後には今の団塊以上にお荷物扱いされるんだろうなあと戦々恐々としている
自分は、数年前に嫁の年齢と持病から子供を諦めた者で、その時は子供がいない人生となったこと自体にはあまり苦しみは感じなくて、むしろ嫁と二人の生活を楽しめるようになったのだけど、そのうち、子供のいない老後は安楽死を迫られるんじゃないかという不安を抱えるようになってしまった。
今の日本は間違いなく老人優遇の政策を取っているけど、おそらく俺たち就職氷河期世代(団塊ジュニア世代)が老人になる頃に、いよいよ持たなくなって現役世代重視に反転するんだろうと予想している。
「人数の多い団塊ジュニア世代の老人を国はもう支えきれないので、老人福祉は削減して、老後は自分の子供か資産に面倒を見てもらうように、そして、どちらも持たない者には安楽死というオプションを与える。これで日本は復活する」
そういうことになるんだろう。
日本という共同体の持続可能性を考えるなら、資産形成や家族形成に失敗したまま老人となった団塊ジュニア世代を切り捨てるのは正しいと思う。
自分が切り捨てられる側でなければ。
実のところ、生涯子なしが確定する前の俺は、自分自身も含めて次世代の負債になるぐらいなら働けなくなったあたりで安楽死していいんじゃないか、と考えていた。
俺たち団塊ジュニア世代は、親世代の団塊世代の雇用を守るために就職氷河期に落とされ、団塊世代の老後のために今も毎月高い社会保険料を取られている、そういう被害を次の世代に繰り返すべきじゃない、という多くの同世代と同じ覚悟をしていた。
ところが、人間の脳の我が身の現状を肯定しようとする力は凄くて、もはや子供を育てる義務が発生することは無く、週末にちょっと良い外食をして、嫁の体調が良い時に年2回ぐらい休暇を取って海外旅行をして、それでも年に数百万は余裕で残り、それを全て二人だけの資産にできる嫁との生活が楽しくてたまらなくなった。
子供云々よりも、仕事が急に裁量が効いて楽しく働ける状況になったことと、ここ数年順調に昇給が続いていることの方が大きいかもしれない。
小学生の時以来かもというぐらい毎日の生活を楽しむことができるようになった。
これから嫁の病状が悪化したり、俺の体にガタが来て多少不自由になったとして、それを負担することになる下の世代には本当に申し訳ないけど、手厚い年金や介護を受け続けて、辛いことの多かった俺たち夫婦がやっと報われたこの実りの季節をできるだけ長く味わいたいという執着を二度と捨てられそうに無い。
そして、頭に書いた通り、子供のいない老後への漠然とした不安に取り憑かれてしまった。
そもそも、老後を待たずとも、嫁が動けないほど悪くなって、俺が介護のために仕事を辞めることになったら、今の生活はあっという間に吹っ飛ぶというどうしようも無さがある。
もちろん個人でできる対策として、子供がいない分資産を貯め込む努力はしているのだが、それだけではどうしても不安を鎮めることができず、統合失調症でも発症したんじゃないかと心配になるぐらい、このまま黙っていたら殺される(安楽死に追いやられる)という焦りや怒りの発作に悩まされ続けた。
結局どうしたかというと、老人福祉の維持・充実を訴える政治活動を始めた。
具体的には、地元の老健団体の賛助会員(年会費一万円)になって、その政治部門で週末に事務局のボランティアをしている。
その老健団体は、内規で不偏不党を掲げて政治活動には関わらないということになっているので、賛助会員の一部(実際は全員)が勝手にやっている「勉強会」という形の団体。
そういう曖昧な団体でも、わりと昔から活動しているからか、役所や地元議員、たまに上京して中央官庁に行くと役人や議員先生が向こうから頭下げて来るので、「いや、ああいう人種は有権者にはとりあえず頭下げる人たちなんだよ」と理性に囁かれながらも、所属欲求とか承認欲求のような感情が簡単に満たされている。
「こちらの○○さんが、若いのに手伝ってくれてるんですよ。長くお世話になりますので、どうぞよろしくお願いいたします」
などと陳情に出向いた先で若手のホープのような紹介をされるとなにやら面映い。
60代後半から70代が主力の団体だから、そりゃあ、比較すれば確かに若いんだろうが、組織に歓迎されるというのは良い気分だね。
60代後半から70代というのはつまり俺の親世代、団塊世代で、「こいつらの雇用を守るために俺たちは就職氷河期を味わった、こいつらの老後のために給料から毎月高い社会保険料を取られている」とずっと憎んでいたのだけど、
実際に話を聞いてみると、こういう活動に熱心な人々は、当然ながら経済的にかなり期待外れな老後を過ごしている。
大企業で40年勤め上げたなら話は別なんだろうけど、自営業が長くて大した年金などもらっていないような例が多く、総じて俺と同じ不安と怒りを抱えている。
抽象的な理由で一つの世代を憎み続けるのにも疲れていたし、俺は彼らを許すことにした。
以前は街中や行楽地にいる子連れを鬱陶しい連中としか感じなかったのが、
「ああ、この子が俺と嫁の(文字通り)尻拭いをしてくれるかもしれないんだな、そうでなくとも俺と嫁の尻拭いをする外国人介護士を雇う社会保険料を収めてくれるんだな。親切にしてあげないとな。お母さん、ご苦労様です」
と肯定的に見れるようになった。
他人と不安を分かち合い赦しと和解を与えて、ともに現状を改善するために微力とわかっていても行動する、
そういう前向きな姿勢でいることは俺の精神に良い影響を与えているように思う。
老後問題が自分一人(と嫁)の解決不可能な問題としか思えなかった時に比べて脳への負担が減って、頭と肩が軽くなった気がする。
そういうわけで、俺と同世代で老後に不安を抱えているなら、こういう政治活動がセラピーとして効くかもしれないので試してみれば、程度の軽さでお勧めする。
こういう活動を、なんだフクシかサヨクのオルグか、と毛嫌いする人が同世代には多いというのはわかっている。
だが、実際のところ老人福祉の拡充を訴える団体の投票先で一番多いのは自民党なので、サヨク嫌いの人に向いた団体も地元で簡単に見つかると思う。
俺がいる団体がどの政党支持なのかは伏せるけど、与党系だろうが、野党系だろうが、老人福祉をイシューに投票したり陳情しに来たりする有権者の数が増えて、政治家の圧力になること自体が重要だから、みんな仲間だと思っている。
ひとつの人口統計予想として、数十年後俺たちが80歳になる頃には日本の人口構造は団塊ジュニア世代を唯一の頂点とする完全な逆ピラミッド型になる、という物がある。
この予想が当たれば、俺たち世代は有権者の数が最も多く、つまり民主的には最強の世代になる。
さらに下の世代も同じく高齢になるほど人口が多いのだから、政治家が当選するには今以上に老人優遇にせざるを得なくなる。
俺は自分の現状を実りの季節だと言ったけれど、数十年後には同世代全てが実りを得られることになる。
だから、別に政治活動を始めなくていいけど、俺は同世代に老人福祉をイシューにして投票することを考えて欲しいと思っている。
そして、何をしてでもいいからどうかあと数十年生き延びて欲しい。
なぜ日本人も在日もメディアも政治もみな必死になって創価を守ろうとするのか不可思議にみえるが、あれは宗教を守ろうとしているのじゃなく、ただ自分のコミュニティを守る為なのだと思う。もし創価が日本から消えればいままで彼らが生きてきた生活が虚構だとバレる。だからつぶす訳にはいかない。そういう事だヨ
もう少し深く掘り下げると、仮に今カルトやヤンキーやオタクや怖いお兄さんや民度の低いネット市民や古臭いテレビ社会が日本から一瞬でいなくなると、その瞬間から社会が不安定化し、過去に経験したことがないほどの日本の犯罪大国化が鮮明になる。日本の人間がおそれているのはこの重大事態だ。それほどそういう連中というのは必死に沸騰するなべのふたを押さえつけているという事。いずれは吹き飛ぶが一日でもその日を先に延ばしているだけ。
そりゃそうでしょ。だって、オタク文化の存在というのは団塊ジュニアからゆとり世代初期のカースト的な意味で恵まれていない人のフラストレーションを吸収しているのですから。ここでその流れ止めて、極端に正しい社会になったら多くの人の不満が爆発しますよ。え?まさか、オタク文化は真っ白な文化と思ってた?
定年の年齢を引き上げることで、団塊ジュニアやらバブル入社の老害と老害予備軍を社会に蔓延らせ続けることになる。
で、結局、そいつらの雇用確保のために、若者の雇用機会は減るし、賃上げも緩やかなままになる。
しかもこいつらは、ワープロ世代だから、概してテクノロジーにも疎く、イノベーションに対する抵抗も強い。
政府としちゃあさ、年金払えねーから、こいつらの雇用確保を企業に押し付けてざるを得ないかもしらないがさ、そのしわ寄せは、相も変わらず、ロスジェネ世代より下に押し付けていることに気づかないか?
これだけ政府が世代間不均衡を容認しちゃったら、若者の老害殺しが日本中で始まってもしかたねーぞ。
害人なんだから、駆除か間引きしないと自然破壊ならぬ、国家破壊が起きんだから、そろそろ手を打たんと個人による暴走が起きんぞ。