はてなキーワード: 刑事とは
同意。
IT化とスマホの普及で情報がオープンになったことが大きいと思う。
いわゆる料亭政治のような密室の談合が、忌避される時代になった。
それと同時に、正義とはなにか、民主主義とはなにか、を、親兄弟からの言葉ではなく自分の目とインターネットで確認できるようになったので、
とくに若者にとってはもう昭和の方法は受け付けられないと思う。
2022-07-13
安倍氏の痛ましい死によって、彼個人の死を超える、何か非常に大きなものが失われたような感覚に襲われた。もちろん、元首相の選挙演説中の銃撃である以上、単なる殺人事件ではなく「民主主義の危機」でもあるのだが、そんな表現さえ生易しく感じられた。その喪失感は何とも言えないもので、ふんわりとした不安とでも形容せざるを得ないものだった。
以下の記事で自民党と統一教会の歴史的関係を知り、この正体が分かったような気がした。
「勝共連合」から続く歴史、自民党は今すぐ旧統一教会(家庭連合)と手を切れ
この喪失感は昭和の完全終了によるものだ。昭和的ないかがわしさ、清濁併せ吞むというあの狡さが完全に終わったのだ。
上記の記事を読むと、何というか、次のような情景が浮かぶ。戦後の共産党勢力の暴力に対抗するために、岸信介氏など自民党の右派は反共の実力行使の手駒として統一教会を支援したのだろう。旧ソ連の崩壊や中国の資本主義化、近年ではベネズエラの惨状を見るにつけ、反共「政策」は確かに正しかったように思える。しかしそれは同時にカルト被害者をも産むものであった。まさに清濁併せ吞む昭和の一コマである。
時代は下り、安倍氏の代でも関係は続いた。安倍氏はそれほど積極的には統一教会と関わっているようには見えないが、しかしそれでもビデオ演説を送るなどしていた。
銃撃事件の本質は逆恨みである。これは種々の報道が出た後も揺るがない。安倍氏が統一教会に行ったことは、民事上も刑事上も何ら責任が問われるものではないからだ。
しかし一方で、安倍氏の振る舞いは国会議員としては無責任に極まりない。例えば彼が統一教会に演説ビデオを送ったことで、少なくとも信者には、統一教会には社会的信用があるという印象を与えてしまった。あまつさえ、上記の記事によると安倍氏に近い議員の中には統一教会に選挙支援を受けていた者もいるという。件の容疑者がこの状況を見て、どう考えるか。
正直、逆恨みする気持ちも分かる。こんなことは言いたくないが、どうしても因果応報という言葉が頭をよぎる。
繰り返すが安倍氏と彼に近い人たちの振る舞いには全く違法性がなく、今回の銃撃事件の裁判で情状酌量の余地としても一切考慮されないだろう(左派系の弁護士達がアベンジャーズみたな弁護団を結成し、安倍氏と統一教会との関係を執拗に指摘して死刑回避に全身全霊を傾けると思うが)。しかし安倍氏の政治的業績は、統一教会との関わりによって大きく割り引かれることは避けられまい。
昭和的な清濁併せ吞みは、もはや存在が許されない。振り返ってみるとここ十数年の種々の動きは、昭和を完全にお役御免にしようとしていたのではないか。例えば暴排条例による暴力団の無差別な排除、憲法9条改正による自衛隊明記。暴力団は古くは警察が使い、高度経済成長後は企業や民間人が使っていた「濁」であった。それは、治安維持や民事問題の迅速な解決という「清」のための必要悪であった。憲法9条第2項の文言を普通に解釈すれば自衛隊は違憲という「濁」になるのに、安全保障という「清」のためにスルーされた。
でもそれはおかしいでしょう。暴力団という「濁」は単に「悪」でしょ。東日本大震災で命を張っていた自衛隊を「濁」扱いするのは流石に申し訳なく、正々堂々と「清」の側に立たせるべきでしょ。そのような感覚が暴排条例や自衛隊憲法明記、そして今回の事件につながったのではないか。
昭和が完全に終わる。今後、昭和的な清濁併せ吞みに実は支えられていたアレやコレやが、突然崩壊するのを我々は目撃することになるだろう。
安倍氏の痛ましい死によって、彼個人の死を超える、何か非常に大きなものが失われたような感覚に襲われた。もちろん、元首相の選挙演説中の銃撃である以上、単なる殺人事件ではなく「民主主義の危機」でもあるのだが、そんな表現さえ生易しく感じられた。その喪失感は何とも言えないもので、ふんわりとした不安とでも形容せざるを得ないものだった。
以下の記事で自民党と統一教会の歴史的関係を知り、この正体が分かったような気がした。
「勝共連合」から続く歴史、自民党は今すぐ旧統一教会(家庭連合)と手を切れ
この喪失感は昭和の完全終了によるものだ。昭和的ないかがわしさ、清濁併せ吞むというあの狡さが完全に終わったのだ。
上記の記事を読むと、何というか、次のような情景が浮かぶ。戦後の共産党勢力の暴力に対抗するために、岸信介氏など自民党の右派は反共の実力行使の手駒として統一教会を支援したのだろう。旧ソ連の崩壊や中国の資本主義化、近年ではベネズエラの惨状を見るにつけ、反共「政策」は確かに正しかったように思える。しかしそれは同時にカルト被害者をも産むものであった。まさに清濁併せ吞む昭和の一コマである。
時代は下り、安倍氏の代でも関係は続いた。安倍氏はそれほど積極的には統一教会と関わっているようには見えないが、しかしそれでもビデオ演説を送るなどしていた。
銃撃事件の本質は逆恨みである。これは種々の報道が出た後も揺るがない。安倍氏が統一教会に行ったことは、民事上も刑事上も何ら責任が問われるものではないからだ。
しかし一方で、安倍氏の振る舞いは国会議員としては無責任に極まりない。例えば彼が統一教会に演説ビデオを送ったことで、少なくとも信者には、統一教会には社会的信用があるという印象を与えてしまった。あまつさえ、上記の記事によると安倍氏に近い議員の中には統一教会に選挙支援を受けていた者もいるという。件の容疑者がこの状況を見て、どう考えるか。
正直、逆恨みする気持ちも分かる。こんなことは言いたくないが、どうしても因果応報という言葉が頭をよぎる。
繰り返すが安倍氏と彼に近い人たちの振る舞いには全く違法性がなく、今回の銃撃事件の裁判で情状酌量の余地としても一切考慮されないだろう(左派系の弁護士達がアベンジャーズみたな弁護団を結成し、安倍氏と統一教会との関係を執拗に指摘して死刑回避に全身全霊を傾けると思うが)。しかし安倍氏の政治的業績は、統一教会との関わりによって大きく割り引かれることは避けられまい。
昭和的な清濁併せ吞みは、もはや存在が許されない。振り返ってみるとここ十数年の種々の動きは、昭和を完全にお役御免にしようとしていたのではないか。例えば暴排条例による暴力団の無差別な排除、憲法9条改正による自衛隊明記。暴力団は古くは警察が使い、高度経済成長後は企業や民間人が使っていた「濁」であった。それは、治安維持や民事問題の迅速な解決という「清」のための必要悪であった。憲法9条第2項の文言を普通に解釈すれば自衛隊は違憲という「濁」になるのに、安全保障という「清」のためにスルーされた。
でもそれはおかしいでしょう。暴力団という「濁」は単に「悪」でしょ。東日本大震災で命を張っていた自衛隊を「濁」扱いするのは流石に申し訳なく、正々堂々と「清」の側に立たせるべきでしょ。そのような感覚が暴排条例や自衛隊憲法明記、そして今回の事件につながったのではないか。
昭和が完全に終わる。今後、昭和的な清濁併せ吞みに実は支えられていたアレやコレやが、突然崩壊するのを我々は目撃することになるだろう。
独裁主義や共産主義のいいところはこういうところだよね。民主主義というか日本人が訴訟に馴染みなさすぎなのが問題だと思ってるよ。
クズ親クズ教師クズ上司がいたりおかしな会社があったりイジメ首謀者がいたりすれば、強制収容所の代わりに弁護士と裁判所がポンポン出てきて命令なり金銭賠償なりをバンバンしてくる。こいつらが人を守ってるからクズも変なことが出来ないわけだ。
いじめ虐待盗撮をなくしたいなら、民事訴訟の税金扶助制度を設けてお金のない人が刑事のみならず民事訴訟においても司法に助けてもらえるようにすることが先決だよ。法テラスの二の舞にならないようにキチンとした制度を作りつつ。
AED論争で、董卓(不燃ごみ)@inumashが、ひどいデマを流していた。
実際の講習では対象者の性別に関係なく「衣服は全部脱がさなくていいです。時間かかるなら服の上からでもいいです。」と教えられますけど、彼らは実際の手順を検討・検証したうえで当該マニュアルを批判・否定してるのではないんですよ。意図は別にあります。
https://t.co/bmT2NLKVJj— 董卓(不燃ごみ) (@inumash) June 18, 2022
専門家から批判を受けて、inumashはこの誤りを訂正した。
ただし、該当のデマツイートを削除せず、そのまま残している。(2022/6/19 23:30現在)
私はこのデマを見て、緊急時に「善意による妨害行為」が発生するかもね、と考えてしまった。
例えば、おっさんたちが女性患者の服を切り裂いてAEDを使おうとしている場面に、フェミニスト男性が介入して、「もっと女性に配慮した使い方があります」という提案をする。
おっさんたちは「とにかく服を脱がせろ」と主張したが、彼はそれを強く妨害してinumash流のやり方に変更させた。
不運なことに、それがタイムロスになって、女性患者は死んでしまった。
フェミニスト男性は、たしかに有害無益の妨害行為をやってしまったが、「彼なりの善意に基づいてAEDを使おうとした」と言えなくもない。
AED問題の本質は私的制裁・社会的制裁されない保証が無いよね?って話に尽きるんだが
何故か弁護士先生は訴えられたことがないとか見当違いな話をしてる。
#MeTooは悪く言ってしまえば法的手段や証拠・法的根拠も関係なしに女性の証言だけ100%採用して私的制裁・社会的制裁してしまえる手段だ。
それは法的に処置が取れない程度の性的被害のカウンターに対して絶大な効果があったが、そんな一方的な便利な解決手段が何のデメリットもなく存在する訳がない。
例えば、警察や司法が全く使い物にならないからって暴力で解決する世界になったら滅茶苦茶だ。北斗の拳みたいな世界まっしぐらでしょう。
フェミニストをはじめとしたネット活動家は女性が被害に遭ったという証言だけ100%信用し、相手を一方的に叩いてきた。
それは当然冤罪がかなりの確率で発生しうる手段だ。告発者がウソついてない保証なんてどこにも無いからね。
草津市議のMeToo事件だとか冤罪ふっかけたことが明らかにされたが、冤罪に加担した加害者共は済ました顔して今日も活動してる。
そんな状況でフェミニストらネット活動家が暴れない保証なんてどこにあるだろうか?
そんなのどこにも無いね。煙すら無いところから燃やし尽くしてきた例が沢山ネットに転がっているのだから。
こんだけ話題性が高いAED問題、狂った女性が被害を訴えだした場合、100%ネットニュースになるだろう。
そうなった時にフェミニストが騒がない保証ある?という話が一番のキモなのだが。
性嫌悪としか思えないようなキチガイが暴れまわっても誰も止めない世界で信用するのは不可能な話だ。
ネットリンチは恐ろしい。地裁で無罪判決を獲得した医師がいたが、ネットリンチの被害がとてつもなく大きく子供が自殺してしまうことになった。
ネットリンチで木村花さんが自殺してしまうように影響力がとてつもない事を忘れてしまっているのだろうか?
刑事・民事で有罪無罪の法的決着なんて一切関係ない恐ろしい社会の暴力を恐れているのだ。
それがAED問題では助けないという非情な選択を取るだけで真のゼロリスクになることが分かっている。
間接殺人とかバカなこと言ってるヤメ検まで登場した。狂った理屈だな?