はてなキーワード: ロビンソンとは
最初はYoutubeお勧めに流れてきたこっちの方を聞いていた。
https://www.youtube.com/watch?v=5arqzXq2x58
うまいなーと思いつつ、でも原曲ってどうだったんだろう?と思って、スピッツの方を聞いてみた。
歌詞なんてあんまり聞かない方なんだけど、何故か「二人だけの国、君の手を離さぬように」のフレーズが脳天に突き刺さったみたいになった。
一昨年、古い過去に一年ほど付き合っていた彼女がスキスル性胃癌で亡くなった。
だけど、少ない恋人遍歴の中で一番好きだったと言っても言い過ぎではない人だった。
悲惨な別れ方をしたけれど、彼女のことを忘れたことはなかった。
確かに、何年か前に彼女が20年ぶりにFacebookを通じて連絡してきた時、その名前すら思い出すこと、1日掛かったけれど、名前が変わっているのに気づいて「あっ!あいつじゃんか!」と。
彼女は離婚していて二人の娘さんを持つ母子家庭の世帯主となっていた。
再開した当初は、私自身は色々あって、離婚すら考えていた時期でもあったので、妄想的に彼女と不倫でもしてしまおうかと考えたくらいだったが、数ヶ月ごとにランチ程度のデートをしているうちにそんなことどうでも良くなった。
彼女はそのうちに、近所に恋人候補を見つけ、私にうれしく話したものだった。
彼女は酷い結婚生活を送っていたようなので、新しい恋人とうまくいって幸せになって欲しいとさえ思っていた。
それで、私は数ヶ月ごとのランチデートも遠慮し、連絡も取らなくなって一年ほど経った時、その娘さんから(母親である彼女の)Facebookを通じて「母は空へと旅立った」と一通のメッセージを受け取ったのだった。
私はもちろんショックだったが、諸事情あって当時は彼女の親御さんの家には足を踏み入れたことさえなかったが、一週間ほど経って、ご実家の仏前に線香を上げにいった。
彼女はとても小さな箱の中にしかいなかった。私はそこで泣き崩れそうになったが、親御さんもいる手前、心を落ち着けて、テーブルに座り、親御さん二人と小一時間ほど思い出話を語った。
それから一年以上経つけれど、彼女のことを思い出さなかった日は1日もない。
いつもカラオケで、裏声を出せずに「うらら〜」のところで声が出なくなったのをよく笑った記憶…。
彼女はきっと、大好きだったとよく話していた、彼女が小学生の頃に亡くなったお兄さんときっとあっちの国で幸せに過ごしているのだと思う。
ロビンソンクルーソーの正式タイトルが「The Life and Strange Surprizing Adventures of Robinson Crusoe, of York, Mariner:Who lived Eight and Twenty Years, all alone in an un‐inhabited Island on the Coast of America, near the Mouth of the Great River of Oroonoque;Having been cast on Shore by Shipwreck, wherein all the Men perished but himself. With An Account how he was at last as strangely deliver’d by Pyrates」だから、タイトルが長いのは昔からだぞって言ってるだけだろ
社会主義体制下のチェコ。深い霧。重い空気。曇天。街ゆく人の目に映るのは自らのつま先と石畳だけ。
私たちの目に映る彼らの日常は、空虚で不条理でグロテスク。しかし体制下で生きる市民にとってそれは笑いあり、涙あり、退屈ありのまさにかけがえのない日常。
真実を教えてくれる新聞はないが、体制の網目をくぐり抜けた物語がある。コカコーラはないがブドヴァイゼルがある。ハリウッド映画はないが滑稽劇がある。信頼できる役人や警官はいないが自分を必要としてくれる友人たちがいる。生きる上で、他に何が必要だと言うのだろうか?
冒険する作家アーネスト・ヘミングウェイ。ロスト・ジェネレーションから生まれたアメリカの父。誰もが認める大作家となったものの、晩年の彼は自らの老いを自覚し、苦悩し、そして闘っていた。広い海の中、たった1人で無数のサメと戦う老漁師のように。
そんな彼の心に蘇るのは、記者として赴き作家としての歩みを始めた若き日のパリでの生活。そして最初の妻ハドリーであった。
「もし、きみが、幸運にも、青年時代にパリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこで過ごそうとも、それはきみについてまわる。なぜなら、パリは移動祝祭日だからだ.」
不良少年、官立大学の学生、大学院生、そして教授の婿。紆余曲折を経ながらも順風満帆に見えたバードの明るい人生はアルコールによって閉ざされた。義父や妻、かつての学友たちの憐れみの視線から目を背けながら予備校講師で食いつなぐ日々。しかし若きバードはアフリカ冒険を夢見ていた。広大なジャングル。壮大な夕焼け。見たことのない動物たち。それらは想像するだけで彼の目を輝かせた。そんな中、彼は妻の出産により現実に引き戻される。
脳ヘルニアを抱えた新生児、妻、義父、職場。苦悩するバードが向かった先はアルコールと女。青年は現実を受け入れられるのか。それともさらなる深い闇に落ちていくのか。
大江健三郎の長男は脳に障害を抱えて生まれており、その時の心境を基にして執筆された作品。
中産階級の青年ロビンソンは大海原に駆り立てられ、父の忠告を無視して旅に出る。案の定、彼の船は嵐に遭遇し、無人島に漂着する。たった一人で無人島に投げ出されたロビンソンを襲う疲労、病気、空腹そして孤独と後悔。
しかしロビンソンは自分を奮い立てる。この島は私の国だ。私を邪魔する者は誰もいない。ロビンソンは今やこの島の君主であり法である。トンネルを掘り、家を建て、家畜を飼い慣らし、その生活を豊かなものにしていく。
そんなある日、ロビンソンが浜辺を探索していると自分以外の足跡があることに気付く。
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」と共に読んでほしい。なぜ世界の辺境である西欧諸国が地球上のほとんどの土地を支配することができたのか。ロビンソン・クルーソーにはその問いに対するヒントがロビンソンの行動の随所に散りばめられている。
関ジャムでやっていた、「令和に活躍する若手アーティストが選ぶ最強平成ソング BEST30」から、色々抜けているものがあるぞとホッテントリになっていた。
https://guatarro.hatenablog.com/entry/2022/05/08/234252
具体的にトップ30から何が抜け落ちているかというと、安室、TRF、ZARD、WANDS、B'z、GLAY、ラルク、X 、オザケン、ミッシェル、イエモン、久保田利伸、mihimaruGT、浜崎あゆみ、湘南乃風というのがあげられている。
ブコメの方ではそれに加えて、フリッパーズとかピチカートとか、ドリカム、エレカシ、ミスチルが挙げられた。
自分も平成3年生まれで、それらの言っていることはちゃんとわかるんだけど、それでも、やっぱりどちらかというなら関ジャムの方のランキングに共感する。
というのも、挙げられているそれらって、自分にとっては大なり小なり、どこかに「昭和の残り香」を感じる曲だからだ。
関ジャムの方もたとえばサザン、たま、スピッツあたりにその種の残り香を感じないこともない。でも、確実にその種の残り香を、ひとつずつ消しては平成の香りに塗り替えていった曲たちが並んでいるように感じる。
自分にとって生まれていないゾーンである平成元年や2年というのは、正直まだ昭和だというイメージしかない。
平成31年が最も「平成」で、平成の到達点、最極地であり、そこへ向けて元年から順々に昭和の香りを消しては新しいものを付け加えていった、そういうイメージである。
もっというと、今は令和であるけども、今の曲調こそが「平成」という時代が最終的に完成させたもの、という感じ。(ここからまた何十年かけて令和の香りになるのだろう)
そういう意味で、ランキング10位であるヒゲダンのPretenderは、最も平成らしい曲というイメージ。
さよなら人類→真夏の果実→空も飛べるはず→ロビンソン→Automatic→丸ノ内サディスティック→おジャ魔女カーニバル→First Love→LOVEマシーン→本能→カブトムシ→TSUNAMI→エイリアンズ→天体観測→小さな恋のうた→世界に一つだけの花→さくらんぼ→ロコローション→マツケンサンバ→栄光の架橋→群青日和→チキンライス→POP STAR→青春アミーゴ→Love so sweet→若者のすべて→愛をこめて花束を→新宝島→STAY TUNE→Pretender
となる。
昭和の残り香が平成の香りにだんだん変わっていくまでの(Pretenderに辿り着くまでの)曲調の変遷というのが見事に見えてこないだろうか。
平成が定義されていく様子というか、昭和ではなくなっていく様子というか。
そこに、小室とかフリッパーズとか久保田利伸とかの並びは、あえていなくても流れを追うのに支障がないように感じないだろうか。
まして、「令和に活躍する若手アーティストが選ぶ」のだから、今の音楽に影響のあるものが選出されるのが、当然という話に思える。
全体的に、時代や音楽性の【ありさま】ではなく【変わりゆくさま】を、駆動・象徴・定義した曲が選出されているのかなと、感覚的にはそう思った。
この間家族でカラオケに行ったのだが、そこのカラオケ屋は映画やアニメも視聴できるようになっていた。
「家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ」という世界名作劇場のアニメしかなかった。
相当古いアニメだが、これしかないので仕方なく見せることにした。
だが困ったことに、カラオケ屋の配信には第一話と最終話しか収録されていなかったのだ。
このアニメは家族5名が航海中に遭難し、無人島に漂着して、そこでの暮らしを描くアニメなんだが、
これでは肝心の無人島のシーンが全く描かれない。
第一話では引っ越しが決まったシーンで終わり、船にすら乗っていない。
最終話ではすでに無人島を脱出し、電車に乗っているシーンから始まる。なんだこれ。全く見どころがない。
ただ娘は気に入ったようで、Amazonプライムに全話収録されているので帰宅後こちらを見せることにした。
ただ、もし世界名作劇場を一話と最終話だけ見せるとして、どのタイトルが最適か。
※ネタバレ含むので注意
ハイジは厳密には世界名作劇場ではないそうなのだが、ここでは含むことにする。
第一話はハイジがアルムのおじいさんの家に預けられる話。おじいさんはまだ頑固じじいでほのぼの感は薄い。
ペーターはかろうじて出てきたかもしれないが、クララは全く登場しない。
最終話は、クララがハイジのいる山から自宅の豪邸へ帰るエピソードだ。
クララはすでに立っている、というか歩いている。というかクララって誰だ?となるので、これでは感動できない。
第一話は主人公ネロがおじいさんと仲良く暮らしている。アロアと仲良く遊んでいて、ほのぼのアニメだ。パトラッシュはまだ出てきていない。
最終話は、冬の吹雪の中、ネロがなんとか教会へたどり着き、パトラッシュと共に天国へ召される話。
アロアは必死でネロの名前を呼ぶが、その悲痛な叫びは吹雪の中に消えていく。
おじいさんはすでに死んでいるし、主人公と犬も死ぬし、他の登場人物も泣いてるし、第一話との落差が激しすぎる。最悪のバッドエンドだ。
ただその間に何が起こったか気にさせる展開ではあるかもしれない。
第一話は主人公の少年スターリングが森でラスカルに出会うエピソード。
フランダースの犬とは違い、第一話からラスカルに出会うのは良い展開だ。
最終話は、スターリングが引っ越しのため、仕方なくラスカルを森へ戻す話。
ラスカルとの暮らしがごっそり抜けてしまうが、ちゃんと別れのシーンが最終話にあるのは悪くなく、意外と感動してしまうかもしれない。
母親は出稼ぎのため船で遠くに旅立ってしまう。別れのシーンは結構辛くこれだけで泣けてしまう。
最終話は、すでにマルコが旅先で母親と出会い、母親の病気が回復して帰宅するエピソードとなる。
悪くはないのだが、感動の再会シーンは前の回なので、盛り上がり的には惜しい気もする。
第一話では、父親を亡くしたペリーヌが、1000km以上離れたフランスの街に住む大富豪のおじいさんへ会いに、母親とともに旅に出る。
最終話では、ペリーヌは無事フランスの街に着き、おじいさんと暮らしている。
この最終回に行き着くまでにペリーヌは数々の試練を潜り抜けているのだが、それがないと感動はないだろう。
最終回に母親がいないことに気付いた視聴者なら、途中の話も見ようとしてくれるかもしれない。
富豪である父親も健在で、学校でいじめに合うこともなく、平和なエピソード。
最終話は セーラに財産が舞い込み、院長や生徒とも和解するエピソード。
いやセーラは元々金持ちなのでは?と思ってしまうが、実は、途中で父親がなくなり財産を失って、寄宿舎を追放されマッチ売りさえしていたのだ。
この物語は頂点→どん底→頂点というアップダウンが肝なので一番不向きだと思われる。
第一話 村に住む少年ロミオは家族や友人たちと幸せに暮らしていたが、ある日自分の家が火事に遭う。
物語の始まりとしては悪くないが、まだ序盤過ぎるかもしれない。
いや、煙突掃除夫ってどういうこと?あとロミオの隣にいるこの人は誰?第一話と最終話が同じ村だと、移動した感じが全くなく感動できない。
世界名作劇場を第一話と最終話だけ見るとしたら、ラスカルとの出会いと別れが見られる
あらいぐまラスカルが最適なのではないだろうか。
ラスカルはファミリーレストランCOCO’Sのマスコットキャラクターに採用されている位だから、未だに人気があり、子供受けも良いだろう。
ちなみにAmazonプライムで世界名作劇場が見られる(一部タイトルは配信外だが)という話を書いたが、
実はYouTubeでもいくつか世界名作劇場が配信されている。
フランダースの犬、あらいぐまらアスカル、フローネ、ペリーヌ物語などは無料で全話視聴できるので、よければ見てみてほしい。
https://www.youtube.com/channel/UCsnDtu-g18tDA4miToMOjXQ/playlists
これの続きです。
https://anond.hatelabo.jp/20220312204148
反応をくれた人ありがとう。少し追加で書いてみる。
結論としては、
「ミックスボイスは出せつつあるが、完成には至っていない」
だと思った。
ミックスボイスというのは、簡単に言えば裏声と地声が混ざった声なのだが、
声がキンキンして少し聴きにくい。
あと、ミックスボイスで歌うとしても、低い音は地声で歌うことになる。
だから、地声からミックスボイスへ変わる地点がある(換声点と呼ぶらしい)。
でも自分の場合はちょっとバレてしまう。「あ、今歌い方変わった」みたいな。
例えばX JAPANのForever Love だと、ちょうどその換声点で曲が高くなる曲になってるので歌いやすいが、
互いの声を寄せていくことだと思う。
ただ、やっと歌に道が開けたようで、嬉しい。
今ちょっと歌ってみたら、スピッツのロビンソンを座りながら楽に歌えたよ。
おとといまでスピッツは3つキーを下げないと歌えなかったのに。
未だに信じられないよ。夢じゃないよな?
また進捗があったら書きたいと思う。
読んでくれてありがとう。
実際21時30分くらいまで仕事をやってから帰ってるとマジで気が狂いそうな感覚があって、闇夜(田舎なのでマジで想像を絶する暗さ)をチャリでかっ飛ばしながら「気が、狂うわ!!」とそこそこデカい声でつぶやいてしまう
狂いそうというか、実際、短く狂っているのだと思う(短くなかったらどうしよう?)
さよならを言うのは少し死ぬことだ、21時30分を超えて残業するのは少し狂うことだ、気が狂うわ、狂うわ、殺すぞ、マジで殺すぞ、あるいは殺してくれ、俺を殺してくれ
「ロビンソン・狂うぞ 頭が…」
本当に気が狂う
上司殴って仕事を辞めることはないと思うんですが、PCを殴って仕事をやめることは大いにありうる
Excelファイルひとつ開くのに30秒くらいかかんだよ たまんねえよ
つうか、殺すぞ マジで殺すぞと言う感じになってくる PCをパンチしそうになるのを必死に堪える時間がかなりある
そんで21時になってんだから、本当にもうなんなんだよ
気が狂う 気が狂うんだ