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はてなキーワード: ララァとは

2021-04-10

考えてみれば庵野氏も富野氏も宮崎駿氏もどちかといえば母性がメインなんだよなあ

日本アニメ作家マザコンなんだろうか

という冗談はともかく、エヴァは父殺しの話でもあるが母性は少なくとも二人登場しているように思う

碇ユイはもちろん、葛城ミサトシンジにとっては上司であり、母でもある、憧れだったお姉さんでもあるだろう

富野氏はガンダムシャアララァ母親になるはずだった人だと言わせてるし、

富野作品もどちらかというと母性を感じる、∀ガンダムディアナとキエルもそうだろう

宮崎駿氏もクラリスナウシカシータを始めとしても母性を感じる、母性メインなように思う

自分毒親というか、家事料理も駄目な母親であったように思うので、あまり母性というのが納得できない

といっても、ファザコンというわけでもない

それは自分男性だということも関係しているのかもしれない

異性愛者だからだろうか、同性に対して母性を感じることもない

考えてみれば、∀ガンダム洗濯ガンダムを使っているが、

この描写自体は寧ろロボット工学的にも素晴らしいと思うのだが、

一方で、家事といえば洗濯?みたいに思うところがないわけでもない

一人暮らししていれば嫌でも洗濯をせざるをえない、嫌々でも洗濯をするものであって、

しかし、ここで女性洗濯をやってもらえたらなあ、とあまり思えないのである

いや、誰かに面倒な洗濯をやってもらえたら、と思わないわけでもないのでウソになるか…

しかし、それが異性である必要性をまったく感じない

もし、自分お金に余裕があるならば、男女問わない、

寮やホテル洗濯を請け負う業者シーツなどを回収しては洗ったものに交換するシステムがあったが、

自分場合お金があるなら、まだまだ当面生きていけるならそれで構わないと考えている

結婚しなかったら、孤独死だよ?誰も助けてくれないんだよ?というのも理解できるが、

最悪部屋で身動きできなくなり、長い時間をかけて餓死しても仕方がない、という感さえ最近はある

そもそも、そういったトラブル回避するために異性と結婚する、異性を利用する、

それが母性であり母性にすがる、というのは、私はあんたのママじゃない同様、

他人事でありながら非常に失礼にさえ思えてくる

そう考えると、キリスト教父性の方がしっくりくるような気もするし、

少なくともセカイ系のような物語において、たしか母性で描かれることに感動さえするものの、

どこかでしらけている自分がいるように感じるのである

そんなに母性って良かったかな、という感じしかないが、それもこれから時間とともに変わっていくのかもしれない

自立することをやたらに父殺し、母殺し、というが、

考えてみればガンダム特に初代ガンダムはその点では面白く対称的に描かれていて、

アムロは落ちぶれた父親出会って父殺しするが、

ギレンは本当に父を殺す父殺しをやってしまい、皮肉にもそれを理由キシリアに殺されてしま

富野氏がどう考えていたのか、

そもそもガンダムのようなアニメ脚本複数によって書かれていたと思うので、

その本心はよく分からないのだけれど、

自分としては、本当に父を殺害する、というのも立派な父殺しのように思っているし、

それは母殺しも同様だと思う

アムロの母殺しも実際に母を殺害するということではなかった

すべての人は女の股からまれてくる、

いやいや帝王切開があるではないか、というのはマクベスだが、

大地だのを母神として考えるのは理解できる

社会的男性が優位であるように思えて、なんだかんだすべては女性の手のひらの上なのだよ、

といった話も納得することが多々ある

しかし、毒親とまでは言いたくないが、機能不全ではあったのだろう

そんな家庭で育ったが故、もちろん育ててもらった恩は感謝しきれないほどある一方で、

どこかフィクション特に日本アニメのようなものに描かれる父性母性に納得できない自分がいるのである

まり、アンビバレンツというか、アンビバノンノというか、いかりや長介も志村けんももういないのである

2021-03-20

マザコンは2種類ある

創作上のキャラクターの好きな属性としてのマザコンとか母性とかインナーチャイルドとかアダルトチルドレンみたいなそう言ったものについて考えてるんだけどマザコンは大きく分けて2種類あると思っている。

一つはオーソドックスな『母親愛情依存するタイプ

母親愛情を過剰に受け取って育ったり母親意識的/無意識にも神格化しすべての女性基準母親人間。二言目には「うちママはこうだったけどな」とか言うタイプ

わかりやす既存キャラクターで言うとドラえもんスネ夫がそれである

もう一つは『母親愛情を充分に受け取れなかった為大人になっても母親の愛を求めているタイプ

死別とかネグレクトにより本来子供のうちに得られるはずだった母の愛を得ずに大人になってしまい、いつまでも母の愛情を求めてしま人間

既存キャラクターを使って例を挙げると、その中でも母の愛を配偶者とか恋人に求めるタイプガンダムシャア母親本人に求め続けるタイプブレンパワードジョナサンだと思う。2作とも富野由悠季ですまなない。

私はこの後者母親愛情を充分受け取れなかったタイプマザコンキャラクターが好きだ。女性キャラクターだとエヴァアスカも好きだ。

普通子供は親から与えられる愛情を受けて育ち、成長とともにそれを受け取らなくなる。そしてそれを今度は恋人配偶者に貰ったり、自分が愛を与える側になったりして大人になってゆく。

しかしこのマザコンは年齢だけを重ねて見た目は大人になったけれど中身はいつまで経ってもママの愛を求める子供だ。

現にシャアは(ロリコン発症している為)年下の少女ララァを母になってくれるかもしれなかった存在として死に至るまで彼女の幻影を求め続けたし、自身父親を求めたクェスのことは受け入れられなかった。30も半ばをすぎていてこれだ(見た目は頼り甲斐のある大人男性シャアの中身がアムロにも引かれるくらい子供を拗らせているというギャップが好きだ)

ジョナサンのほうはもっと悲惨だ。彼は幼少期に多忙母親と過ごす時間を充分に得られなかった為大人になってもいつまでも母を求めている。ジョナサンの有名なセリフクリスマスプレゼントだろ!」にそれは凝縮されているが、大人になって自ら母親と離別してからもずっと子供の頃のクリスマスの悲しい思い出をひきずっている(彼の方は母親にも問題がありそれを指摘されたことで母親までも発狂してしまうのだが)

そんな悲しきマザコンたちが私は好きなのだが、この愛情を与えられた者、与えられなかった者、正反対の2者がどちらも「マザコン」という雑で大きなくくりで呼ばれるのが少し悲しい。かと言って別の呼称も思い浮かばない。

マザコンというとマイナスイメージが強い印象があるが、この悲しき愛を得られなかった大人たちは創作上のキャラクターとしてはとても魅力的だと思う。

2021-03-06

anond:20210305230239

G3は富野小説版が由来でテレビ版はずっと1号機。

小説版では1巻のララァとの戦いで1号機が沈む。

2巻からマグネットコーティングが施されたプロトタイプ三番機(小説表現)に乗る。そのコードネームがG3。

2021-02-07

コロナ禍だから仕事が見つからない

ララァ、教えてくれ

どうしたらいいのだ?

2021-01-26

理解のある彼とバブみを感じる少女って同じ系列だよな

クェス→シャアララァ

みたいな感じ

2021-01-02

なぜシャアは人気なのに、クェスは嫌われるの

彼氏に薦められて、今日初めて「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」を見た。

正直、ガンダムは00しか見ていないニワカだったので、YouTube一年戦争史のうち、宇宙世紀創世~第一ネオ・ジオン抗争までのダイジェスト版を予習してから見た。

(ここから先はネタバレ含みますすみません

感想としてはシャアやべえって感じ。最後台詞が「ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ(以下略」ってやばくないか自分が求めた母性ララァ)がアムロによって壊されたから、アムロ復讐するために戦争...だと...?しかララァが死んだのはシャアを庇ってのことだったのに...?シャア勝手すぎない?

そう思って感想サイトとか考察サイトとかを読み漁ったら、それが逆にかっこいいみたいな記事ばっかだった。彼氏も同じことを言う。なぜ...。

まぁでも私はそれよりも、シャアと同じ(?)ように父性を求めたクェスに対して、やれ悪女だのやれ頭おかしいだのと散々に言われている事の方が、意味不明だった。

シャア母性を求めるのは良いとされているのに、クェスが父性を求めるのが否定されるのはなんで?

かにクェスはアムロ恋人であるチェーンに会ってすぐに「船から降りろ」とか言ったり、公共の場シャアに「自分ララァの身代わりなのか?」と聞いてしまったりしていて、「他人気持ち」を考慮できない点はある。

でもシャア自身も、クェスが父性を求めていた「気持ち」を読み取れていなかったから、クェスとどっこいどっこいだよな...?

シャアが好きなら、シャアと同じように他人気持ちを読めなくて、父性を求めたクェスも好きになるんじゃないの?

こんな感じのモヤモヤ彼氏にぶちまけたら、「クェスは逆襲のシャアのぽっと出だし、愛着がわきにくい。それに対して、シャアは今までずっと見てきたし、なんでそんな考えになるのか共感できるしで、ある意味愛着がわいてる。この違いが好き嫌いを分けたんじゃないかな」って言われた。彼氏、答えてくれてありがとう

私はダイジェスト版でしか見てないし、ガンダム歴1日だしで、シャア愛着がわいてないから、そう見えるのか......でも全編通して見ても、シャアカッコいいって感想になるのか正直分からない。

なんかニワカなのに上から目線で語って申し訳ない...けど、他の人はそこらへんどう思ってるのかなって思った。

2020-12-19

anond:20201216163157

富野作品には厭世観人間不信が感じられるので、生殖恋愛への否定を予想して見ることになるのだが、いつの間にか性愛への肯定描写がされていて、そこがうまく繋がらないのだ。

下世話に言えば、アムロカミーユ機能不全家庭育ちで恋愛や家庭への不信をこじらせ幼なじみにも冷たい非モテっぽいのに、ララァやフォウとは出会って即スマートにいい感じになるのはNT共感を踏まえても納得できないってこと。

これは富野自身結婚子供を作っていることへの「こんな作品作ってて家族持ちなの!? だから子孫肯定なのかもしれんけどよく結婚する気になったな!?」という戸惑いとも近い。

ここら辺は小説版ガンダムを読めば分かりやすいかもしれない

アムロカミーユも家庭を省みず仕事にのめり込んだり不倫する両親を軽蔑していたし同時にそんな親に愛されたかったけど叶わなかった

そこで「あの両親を見て恋愛なんかする気が起きる訳ないだろう!」とはならず気になる女を見かけたらすぐに口説いて親密になろうとしてしま

その理由簡単で、単純にあの二人は性欲が強くその上で自分欲望にとても正直なので、両親という最悪のケースを知っていても性愛肯定出来てしま

アニメだと生々しすぎて描かれなかったけど、小説版ではあの二人が戦争に巻き込まれる前頻繁に自慰を行っていた事や女性性的な目で見ていた事が明かされている

アムロセイラさんと寝たり親父のPCエロ画像見ていたり、カミーユはファの体操着写真性的オカズにしていた事が匂わされていた

他人と一緒になっても良い事なんてある訳が無いだろう…って諦観と、それでも異性とやりたくて仕方ない…という本能肯定が同じ作品で描かれるのが富野作品の生々しさなのかもしれない

2020-12-17

anond:20201216204353

分かりやすくなるようにアムロというキャラクターに着目した表現をしたけど、アムロなりシロッコなりカロッゾなり、個のキャラクターだけを見て「はいこいつの言動モラル違反~!そういうキャラいるか富野作品モラル違反~!」と怒ってるっつうワケではない。

かにそういう心理になりがちだから、私にその部分がないとは言い切れないけど、距離を置きたいとは思っている。

私としては、富野キャラクターたちはそこそこ色んなスタンス人間がいるのだが、全体の流れや演出だと、前半は厭世が強めでも結末部分には性や生殖肯定が感じられる、そしてその肯定唐突さがあるという方が本丸である

流れや演出からなんとなく感じたものなので説明が難しいのだが。

Zなんかは、基本的には鬱屈が漂ってるくせに誰もかれも妙に色恋に熱心で、その色恋のせいで死ななくてもいい人もたくさん死んだのに、それにも関わらず露骨セックスメタファーを感動的に描いたラストで終わる。

F91もそれに近い。F91シーブックはそこまで鬱屈してないが(なんか母親距離感じたけどな)、セシリーに家庭環境のヤバさと生きづらさと情緒不安定さが付与されてて、そんでラストはイチャついて終わる。

初代と逆シャアの組み合わせは、ララァとの出会いが結局アムロにもシャアにも深い傷になってるし、逆シャア内だけでも男女のもつれでゴタゴタしてるし、ケーラもアストナージもクェスもギュネイもチェーンも死ぬし、やっぱ性愛ってダルいぜと思わせてるけど最後は命の力で命が救われて命って大事って雰囲気になる。

他のトラバに「生命賛歌が共通してある」という言葉が出てて、確かにそういうニュアンスがあると思う。

そしてその生命賛歌が、急に出がちな気がする。

私が見た限り「色々しんどい場面見せたけど、でもやっぱり生命ってステキだよね!」という感じなのだが、その「でもやっぱり」の根拠が薄いと思うんだな。

しんどい場面たちは相当な説得力をもってシーンが重ねられるのに、生命ステキさは自明の事のようにポエムっぽい演出で描かれて、置いてけぼりにされてしまう。

2020-12-16

anond:20201216190052

私が人生うまく行ってないか価値観普通じゃないというのはその通り。

我ながら機能不全家庭育ちのオタク性別家族へ不信感持つパターン典型だと思うし。

でも富野アムロ普通にうまくいってる側じゃなく機能不全育ち側っぽいじゃん。

んで実際前半はいかにこっち側なのに、いつの間にか保守側っぽい普通人生性愛肯定が出てくるのがわかんねーの。

人間関係恋愛絶望気味だった少年ヒロインとの出会いで愛に目覚めて……とかならわかるわけよ(その展開は私は嬉しくないし陳腐だと思うが、物語の流れとしてはわかる)。

でもフラウやファに対しては気むずかしげに突っぱねたりして隣に住む美少女というモテフラグをブチ折るほどちゃん機能不全育ち感出してるのに、ララァやフォウには交流を通しての変化じゃなく出会ってすぐにキョドりもせずいい雰囲気作ったりしてさ、その辺が謎なのよ。

富野アニメを見たら面白かったが納得できないところも多い

初代ガンダム映画とZの映画F91映画逆襲のシャアリーンの翼を見た。

基本的にどれも面白かった(面白くなきゃこんなに見ない)んだけど、全体を貫く家族観というか男女観というかがどうも納得できない。

そして、軽くググったんだがその辺をうまく言語化してくれてる考察記事なんかも見当たらないので書く。


まず基本的に私は、男女に本質的差異はない……というか、あるかもしれないが、文化科学の力でそれは限りなく縮小していくべきだと考えている。

男女に差異はあるかもしれないが認めるべきでない、というのが正確か。

まれた時に定められる性別などというものがついて回るのは人間にとって不幸だと思うからだ。

時折SF作品などで描写される、無性で生まれ、ある程度成長したら本人の意思性別を決定できるとかそもそも性別概念がないので決定もしないとか、そういう世界が好ましいし美しいし幸福だと考えている。

また、家族制度もなくてよい。個人として生きるのに、家族がついて回るのは恐ろしい。

強い反出生主義ではないが、性別家族の檻から抜け出すのが困難な現状での生殖は、あまり喜ばしいことだとは思えないので複雑な表情になる。

私はそういう感覚である


そして富野アニメなのだが、性別差異を強調しているような描写があるかと思えば性差無頓着描写もある。

女性性を持ち上げたりしたあとに、逆に所詮女子供馬鹿にしているような言動主人公格が言ったりする。

家族についても、家族血筋呪いだというニュアンスと、家族って大事だよな!みたいなニュアンスが混在している。

そして性愛生殖についてはなぜか妙に生々しく描かれている……基本的には肯定的だと思うのだが、美化というよりとにかく生々しい。

これがもし一貫して「男女は別物、家族大事ヘテロ恋愛して生殖バンバンしようぜ」みたいなことを語る作家であれば、私も「性別概念に魂を縛られた古い人間め」と見切りをつけるのが簡単なのだが、見た限りの富野アニメはそうとも言い切れない。

もちろん、そもそも作家性がなくその場に応じたエンタメを作ってるだけなので考える必要がないとかそいういうクリエイターでもなさそうだ。

識者からすると、富野由悠季の性別観、家族観生殖観というのはどのように整理されているのだろうか?

私にとっては大雑把に言えば不快な場面が多いのだが、ただ不快だとは言い切れない部分もあり(だからこんなに見たのだ)、なんとも落ち着かないのだ。

16日の18時頃追記/

トラバを見て、少し整理できた。

富野作品には厭世観人間不信が感じられるので、生殖恋愛への否定を予想して見ることになるのだが、いつの間にか性愛への肯定描写がされていて、そこがうまく繋がらないのだ。

下世話に言えば、アムロカミーユ機能不全家庭育ちで恋愛や家庭への不信をこじらせ幼なじみにも冷たい非モテっぽいのに、ララァやフォウとは出会って即スマートにいい感じになるのはNT共感を踏まえても納得できないってこと。

これは富野自身結婚子供を作っていることへの「こんな作品作ってて家族持ちなの!? だから子孫肯定なのかもしれんけどよく結婚する気になったな!?」という戸惑いとも近い。

2020-11-19

anond:20201119085507

教授今日からスーツを着て出勤なさってください」

「うむ、ララァがそういうのなら…」

ってパロディをどこかで見た(笑)

2020-08-05

anond:20200805180440

シャアハマーン母性を求めるこじらせた男と父性を求めるこじらせた女だからな。

シャアララァに、ハマーンジュドーに、なぜか年下に親代わりを求めてしまっている辺りよく似ている。

2020-08-02

褐色の肌をしたキャラ...。

ガンダムララァ褐色不思議ちゃんだったぁ。

ナディア、そんなにいないかぁ。

昭和だと、キン肉マンブラック

セラムンにも日焼けギャルいなかったかな。。

そうか、日本には日焼けしてる人も多いのであんまり、気にしないね。。  

ブリーチの四楓院夜一かいたなぁ。

2020-07-14

anond:20200714154151

アニメUCアムロララァとついでにシャアも出てきた事はやりすぎに感じる

原作小説だとあの三人は出て来なかったしアニメ版は色々やりすぎだった

UCでミネバがオードリーと偽名を名乗っていたのはミネバと名乗らせるのは烏滸がましいという考えもあったような気がしている

アムロも非富野ガンダムだとホワイトユニコーンってコードネームで出て来て最後までアムロ・レイだと名乗らなかった

まあオードリー普通にミネバと名乗ったから考え過ぎだとも思う

2020-07-07

anond:20200706165448

ツイッターなどでおけパに対する仄暗い感情を露わにしている女性

男性側の視点で見た感想

綾城は「綾城さん」

おけけパワー中島を「おけパ中島

これに全てが現れていると思う

人様のことを、自分の中の勝手基準

価値のある人間”と“価値のない人間”に分けて

尊敬できる人間にだけさんをつけてやる」という傲慢

おけパのことを「八方美人」とか「媚びてる」とか言って罵倒するけど

その実は、自身相手を見て態度を変えてるだけのエゴイスト

おけパみたいな

魅力ある人と仲良くなれるほどの礼節があり、コミュ笑顔女の子

最高じゃん

普段は「お前なんか興味もない」って塩対応ぶっきらぼう仏頂面なのに

好きな人間が来たときだけ

そんな顔見たことねぇよって笑顔になる女の子

最悪じゃん

そういうクソ態度は家の中で父親に対してだけやってろよ!

女性

20前後の親にもてなされ養なわれ、子供的な傲慢さが顕著な頃からまり

年収300万という自分社会の中での価値を突きつけられ

自分が優れているわけではない、というのを失敗や上司に叱られながら実感し

子供を産んで、こちらのお気持ちなど全く察してくれない悪魔を育てる側になり

からチヤホヤされる年齢でもなくなった辺りで

だいぶ丸くなるので

その辺りになると人間としては大分好きなんだけど

顔とか女体としては、うんこみたいな性格をしている頃の方が魅力あるんだよなぁ

からシャアララァを求めたし

から恋愛工学みたいのが流行って、サラはシロッコになびくし、大佐はクェスをマシーンとして扱うし

なんて言うか冨野ってすごいな

2020-07-01

anond:20200701032721

恋愛フォーカスした作品がやはり女性向けに大量に作られているのが大きいだけで、

敵対する勢力に挟まれ恋人というモチーフに限れば、

たとえば「ガンダムUC」とか「ニセコイ」、

増田が挙げてる「寄宿学校のジュリエット」、

アニメ化予定の「キミと僕の最後戦場〜」といった人気作品があるよ。

作品全体のモチーフとは言えないけどガンダムシリーズに毎度登場するララァヒロインとか、

ヒーローものに多い「主人公に恋してしまう敵組織の女幹部」の類型とか、

ロミジュリシチュエーションは決して男性向けで少ないわけじゃないよ。

ただ女性向けほど作品恋愛に特化してないだけだよ。

2020-03-04

実はシャアは何一つ専用機を与えられていない

シャア専用ザク→ただの指揮官用のザク

シャア専用ズゴック→ただのズゴック指揮官用ですらない

シャア専用ゲルググ→ただのゲルググゲルググJでもゲルググMでもない。特殊部隊用よりスペックが低い汎用品

ジオングシャアのためのものではない。ララァとかが乗るように作ったものであるので特別スペックではあるが、シャア専用ではない

こうしてみると、ジオン軍別に専用機を専用に作っていたわけではないんだよなあ…(特にシャアに対しては)

2019-10-29

anond:20191029153557

シャアララァは確かにワイにとって妹であり母親でもあり妻でもあったで」

anond:20191029144838

ナナイはともかくララァは13歳~15歳設定だぞう。シャア自身も「ワイの妹やで」って説明してるぞう。ぱおーん?

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