はてなキーワード: バーチャとは
VTuber はキャラと中の人の分離が曖昧で、ボカロはその分離が文化的になされている現状ってやっぱり凄かったんだな、という感じの SNS の投稿を読んだ。
VTuber の中の人というのは演者であり生身の人間で、その境界線が曖昧になるのは構造的に確かだ。曖昧さを売りにしている現状もあるだろう。ボカロを始めとした人工音声の中の人というか基になるのは声のデーターだ。人間の声から切り出されたデーターであり、そのデーターが自分の意思をもって動くことはない。生きてはいない。私の心の中で、あなたの心の中で彼らは生きているが、生物的には生きてはいないのだ。自分の中のミクと結婚した人がいるのは興味深かったりする。
この SNS の投稿を読んで私が想起したのは「可不(かふ)と花譜(かふ)」だった。先ほどの話題とこの投稿から連想したことはあまり同じ話題ではない気がするが、私が想起したのはこれだった。バーチャルシンガーの少女 花譜 をモデルにした 可不 という CeVIO を発売するという。この発売にあたって 、3つある候補から可不の歌声はどれがいいのか、というアンケートがファンに対して行われた。
花譜の歌声にとても近い A が投票の 65% を獲得した。ザ・ボカロと言えそうな音が高めで人工音声色を残した B は 25.3% 獲得。ボカロ初期のケロケロのような C は 9.7% 獲得。A はとても花譜に近いことに驚いたが、個人的には C が好み。
結果として、可不の歌声は B に決まった。これは花譜の意見の
私は可不ちゃんとそれぞれの足で、自分で立って歌を歌いたいと思いました。可不は可不で、花譜は花譜で、ちょっと似てはいるけどまた別の存在になりたいです。お互いちょっとだけ違う場所に根を張って、その先でいつか交わることがあったらとても嬉しいし、それがめちゃくちゃ楽しみと思うんです。
などから決定した。じゃあアンケートを取ることに意味があったのか?と思うが、意味はある。花譜の、そして可不の存在とは、とファンが提供者が一度踏みとどまって考えたことだ。生ものなバーチャルなものから新しいものが生まれるのだ。ファンと提供者がその文化と決定を共有していくのだ。
花譜のライブも観ていないし、可不のアンケートがあったことも後に知った程度の一人の傍観者であるが、今後二人の歩む道がどうなっていくのか興味深くみていきたい。
you know it's naughty virtual virtualize a life alive
https://twitter.com/virtual_kaf/status/1318145530577395718
可不の意見に対する花譜ちゃんの思い(文字おこし)と感想 https://note.com/interceptor128/n/n8c483ff72e42
音楽的同位体「可不(KAFU)」ボイスアンケート https://youtu.be/sWfTlyGKwBw
71年生まれ
大学入学までゲーム禁止の家庭で育ったのでゲームに作られた感触はあまりない
けど娯楽としては本、漫画、アニメとおなじくらい優秀なので後にシリーズ化したゲームは初代ならほとんどやってると思う
・ゲームウォッチ 小学校のころ親がハマってどっかのフェリーから海に捨てるところを見たとおもう、後で思うとタイタニックかよ。そうでもしないと決別できなかったようだ
・(ファミコン)ドラクエ1 最初に自分で買った据え置きゲーム機に差し込んだソフト。なお中学ごろ一瞬だけmz731にoh!mzにのってたマシン語手入力でいろんなゲームやってたことがあるけどどっかで数字まちがえてバグってたのでそのうち飽きた
・(ファミコン)麻雀 うちの父親が即降りピンフで学費を稼いで大学にいっていた話が聞けた
・セガサターンとかプレステのキラーコンテンツもろもろ(バーチャロン、パラッパラッパー、サクラ大戦やら同級生あたり)→サークルの友人、なかでものちに伴侶となる人とけっこうやってたし結婚してもバーチャスティック2台も買っておいてた
・(ドリキャス)PSO 子供が乳幼児のとき夜泣き紛らわすためにやってた、初めてギルドが雑誌に載った、初めてオフ会にいった
・葛の葉ライドウ2作目 自分がやったことがあるのを子供が覚えていた
・外国のフラッシュゲームhttps://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=22468 自分がプレイしたことがあるのを子供が覚えてた
・(PC、VITA)PSO2 家族3人でアカウントとって緊急まわったりしてた、子供が高学年か中学生だったけど親と一緒ならギリギリプレイOKだった(R12だか)、中学生プレイヤーが珍しいからフェスタで壇上に登って即負けしてきた、ガチPCプレイヤーの自分が真っ先に飽きてスパっと止めて子供にもやんわり止めさせた
・(PC、スマホ)グラブル 家族の誰にもはまらせなくてよかったブラックゲーム。明日から古戦場だけど逃げようとおもってる
・(スマホ)FGO 家族3人でやってる 今日の18時からまた新規だな
11本になったな タイトル書くだけで、移り住んだ4軒の家のどこに据え置きや充電器をおいてたか思い出せる
あとはもう他人にすすめられてやったゲームとか100や200は超えてるとおもうけど並べる気にはならないなぁ
ノベルゲームも面白い、ラノベ買うよりずっとかさばらないので安いとおもうようになったがwin10で動かす方法がよくわからんので箱捨てたい
Abema prime
しかし昨日のabemaのゲーム障害規制条例の番組構成は割と酷かったよね。
まだ藤末議員が規制に対して割と慎重で今回の条例にも反対するのが理由としても判る事や大阪の松井市長の件も煽ってはいたものの産経の記事が酷い点について最初に触れていた点はマシであるもののオタクに限らず、保護者付近の人からも結構拒否反応が多くて、明らかに拒否反応の方が上回っているにも関わらず、まるで賛否両論されている様な相変わらずの番組構成をしていたしね。
そして相も変わらずゲーム障害に対して、WHOとか前面に押し出し、外圧を悪用しているのもいつもの事だと思った。
ゲーム障害に関しては山田太郎議員も指摘しているが、所詮名称だけ決まったものに過ぎず、因果関係はおろか定義すら決まっていない代物にすぎないと言う物なのにね。
朝日は赤十字の件でもネットでは反対の方が多いにも関わらず、賛否両論あり、またポスター規制が正しい様な記事を書いていたし、著作権のDL規制でもネット上でも反対が多いのにまるで賛否両論あるかのように書き、明らかに業界寄りな規制に賛同した記事ばかり書いていたしな。
著作権の事に関しては山田太郎議員にすら、朝日新聞の内容が不確実と普通に指摘されていたからな。
また朝日に関しては報ステの世耕議員の悪質な発言を編集した件もあるしな。
いつもながらマスメディアの進めたがる規制に世の中が反対で不利だったならば、まるで世間では賛否両論あり、規制がただしいみたいな記事や番組構成をするのがこいつらのやり方。
こんな悪質な印象操作ばかりしているから、新聞社や報道が世の中からの信用を無くすんだよ。
それと出演していたエロ漫画家がこの条例に安易に賛成していた事には本気で呆れ果てたよ。
スト2かバーチャの大会に出てたか知らんし、どうせこれも脚本だろうけど、6時間いつの間にかゲームをしていたとか単にお前が自制できていないだけじゃんとしか思えなかった。
ゲームがなくなれば仕事に集中するしかないと言うのもお前の感想でしかないだろうと。
しかし漫画家なんて、過去には児童ポルノ禁止法やら都条例やらで表現規制に晒され続けたのだから、特に表現規制には本来シビアでなければいけないのにここ最近は特に漫画家は昨今本当の意味で図に乗りすぎたからか、赤松や日本漫画家協会が海賊版を盾にして、関係ないネットユーザーに対して、DL違法化拡大と言う規制で殴りかかっている事と言い、自身が危険に晒されない関係ない規制には安易に賛同したり、推し進めようとする馬鹿共が余りにも多すぎる様な気がするよ。
ただ思い返してみても当時の児童ポルノ禁止法や都条例でも反対していたのは主にオタクやよくて同人屋位で、こいつら漫画家は当時最終的にお気持ちを表明する程度で殆ど何もしていなかったし、国連の児童ポルノのガイドラインの一件でも動いたのは山田太郎議員やオタクとかであり、こいつらは海賊版と称し、自身の利益の確保に熱をばかりあげていて、ガイドラインの件には何もしなかった連中だしな。
流石にたまたま目についている連中がこんな酷い人間的に最低な奴等ばかりで、多くの漫画家がまともだと信じたいけどね。
ただ流石にこいつらみていると私はフェミやカルトの行う児童ポルノ方面や赤十字みたいな一件だと漫画家以外のネット規制や表現や言論の自由、そして場合によっては生命にかかわる問題なので、これからも反対はするだろうけど、こいつら漫画家が業界的、経済的、文化的に死ぬ分にはもはや残当だとしか思えなかったりするね。
しかし漫画が注目されたのは他の日本の産業がそれこそ短絡的なお気持ち規制で沈んだ結果、相対的に熱狂的なファンに支えられていて、まだシェアとして成り立っていたからこそ、漫画が注目された経緯があるのにそれを当事者が勘違いして、この様な軽率な規制に賛同する発言をしたり、権力と結びついた途端、関係ないインターネットユーザーを規制しようとするのだから救いようがないよ。
本当に日本人は調子が良くなるとすぐに図に乗るし、安易に悪者を作りたがって何でも規制したがる悪い習性があるよね。
しかしここ最近綺麗事ばかり言い、規制を押し進める事に熱心な赤松や昨日のabemaみたいな奴の様な漫画家が増長しているのを見ているとこいつらどうしようもないとしか思えないからな。
本当にフェミやリベラルがあいトリでは表現の自由を言っていたのに赤十字を叩いていた件や漫画家の普段は表現の自由を言う癖に自身に関係ない問題だと途端に規制に賛同しだしたり、関係ない第三者を規制しだしたりする事やマスメディアの普段は言論や報道の自由を言う癖に相も変わらずこの様なネット規制を推進しようとする事を見ているとどいつもこいつも自身は表現や言論の自由を言う癖に全く関係ない第三者に対しては安易且つ短絡的に規制しようとするダブスタ野郎の馬鹿共が余りにも多すぎるとしか思えないね。
それとこの手の規制を進める理由にどんな形であれ、子供を利用する奴は十中八九碌でも無い人間しかいない事はこれまでの規制の歴史を見ていても断言できることだしな。
児童ポルノ禁止法の時でも進めていたフェミキリスト系カルトはそれこそ子供を規制にばかり利用して、反対派から厚労省や予算を指摘されてもガン無視していた経緯があるし、都条例にしろこの香川の件にしろ、子供の教育や病気とやらを盾にして、子供自体の行動を制限しようと言う最低な行動をとっているからな。
往々にしてこの手の規制で子供を理由に挙げ、盾にする連中程、子供を便利なツール程度にしか考えていないよ。
これは僕が少し勇気を出してクラブに行くようになってからはっきりと感じていることだ。
それで好きな音楽を聴けたら、なお最高だ。終わった後の余韻もたまらない。
先日行われたバーチャフリークvol.3、楽しかった。超アガったし、エモかった。
色々と語る前に少しだけこのイベントについて触れておく。
バーチャフリークは「Vtuberに魅せられたフリークが集って騒ごう」ということで始まったクラブイベントだ。
第一回からかなり盛り上がっていて、主催側も参加者側も熱量が本当に凄い良いイベントだと思う。
僕自身も皆勤していて、終わってしまう度にバーチャフリークに帰りたいと喚いてる。
どうしてそんな言い方をするのかといえば、今回は少しだけ毛色が違ったからだ。
https://twitter.com/virtuafreak_jp/status/1115989292138942465
今回のvol.3は、これまでと比べたら圧倒的にVtuberとしての文脈が薄かった。
まあ、正直仕方ないことだと思う。
音源化されてる楽曲はなんだかんだ言ってもまだ少ないし、各々皆が持っている曲やスタイルもある。
vol.2から3の期間も短かった。
仕方ない事だ。
「バーチャルもボカロもジャンル関係なく、音楽で繋がってればそれだけでいいんだって証明してくれた気がしたんですよね」
(https://twitter.com/virtuafreak_jp/status/1117348224166064133 より引用)
運営もこう言ってるし、多分無理して使わなくていいから好きにやって欲しいと促したんだろう。
これ自体は重要だと思うし、裾野を広げられることは素晴らしいことだと思う。
こういう機会に知ることが出来て好きになるってことは貴重な体験だって思う。
でも、これまでの参加を通じて僕が見てきたもの、欲してきたものはVtuberの文脈だった。
第2回までは「Vtuberに魅せられたフリークが集う」という点に拘っているように見えていた。
今回はそれが少し違って、前述のツイートも踏まえれば敢えて変えてきたことなのだろう。
勿論クラブイベントとしてはめちゃめちゃに楽しめたし、次回も間違いなく行くと思う。それだけのパワーがあるイベントだと感じてる。
でも、でもだ。
この方針が続くなら、vol.1、vol.2、そして今回の直前まで感じていた「Vtuberとしての文脈を感じながら盛り上がれるイベント」だとは思わなくなっていくのだろうな、とも思う。
そういう事を書きながら考えてみると、結局僕としてはじーえふとかワイパみたいなDJをバーチャフリークに求めてるんだろう。
(※勿論Vtuberである方々が好きなようにDJをやるってのはアリだと思ってて、今回言いたい事とは別ではある)
100%まで振り切らなくてもいいからせめてもう少し、もう少しだけイベントの中で文脈を感じ取りたかったのは僕の我侭なのかもしれない。
でも、ぶっちゃけただのクラブイベントならいくらでも他所の箱にあるわけで、それを求めるのは我侭だと思いたくない。
こんなの誰も読まないと思ってるけど、思い入れがあるイベントでずっともやもやしているのも不健全だからここに吐き出すことにする。
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4月8日 記事物申す系Vtuberが人気が出ない・すぐ消える理由公開。(※現存せず。下記アーカイブ)
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