はてなキーワード: キリスト教徒とは
おおむね、昨日の夕方からの書き込みは、決して無視できない分量だったと思うけど? たとえば、次の書き込みから始まったツリー
https://anond.hatelabo.jp/20191125160939
https://anond.hatelabo.jp/20191125170654
「『中絶禁止』への反発」と言うけど、元増田が犯罪などの場合を除いた限定的な、つまり姿勢としての生命の尊重(たとえばカトリックなんかも似たような立場)を訴えたことについて、家父長的、でしゃばり、吐き気がする、キモい……などと言った感情的批判が並んでるよね。この人たちは世界中のキリスト教徒に対しても同じことを言うのかね。
このツリーは小さいけど『中絶禁止』に感情的に突っかかってるよね。その理由は何だろうか。
https://anond.hatelabo.jp/20191125171035
母親との人間関係を勘ぐったり「一方的な正義感」「うざい」みたいな書き込みが見られる。
また、この書き込みから始まるツリーは父親のスタンスを「家父長的」だと批判する書き込みに溢れている
https://anond.hatelabo.jp/20191125172408
…とまあ随分あって特に自分の観測範囲が偏っているということはないと思うし、そのツリーに少なからず「家父長的だ」との批判ワードが並んでいるのに興味を覚えただけだよ。批判用語としての「家父長的」なんて、わりと界隈の業界用語でしょ? そういう言葉を日常的に使う人々がこの件に感情的に反発してるというのは否定しがたいと思うし、自分としてはそれがあまり気に入らないだけだよ。
これが母親の話なら、そもそも「家父長的」だという反発は起きないじゃない? でも、それもまた、構図としては差別なんじゃないだろうか。自分が言いたかったのはそういうこと。
さて、それでもレスを書こうと思ったあなたに最後に聞きたいんだけど。この書き込みの書き手が男か女か、あなたは想像しただろうか。そして、それによって自分の意見をどういう方向に寄せるべきか迷ったりしただろうか。「一切想像もしないし迷いもない」というなら、私は少しだけ目を細めて、そうですか、と言う。「少しは想像したし迷いも少しはあった」というなら、ありがたい。私の言いたいことを少し考えていただけたということかと思う。「想像するのも考えるのも当然だ」と言い切るあなたには、うん、なるほど。
今回、即位の儀式についてキリスト教団体から憲法違反であるとの声明が出されました。
5月の令和への改元の時にも同様の声明が出されており、意見を異にする牧師の方が記事を書いていました。
https://salty-japan.net/2019/05/05/anti-japanese1inchristiancommunity/
https://salty-japan.net/2019/05/13/anti-japanese2inchristiancommunity/
日本キリスト教協議会(NCC)などが声明を出すが、NCCは個別のキリスト教組織の連合体であり、各団体の
NCC担当者や議長や委員会が声明を出している。キリスト者の総意と思われても迷惑するものもいる。
NCC総幹事の金性済(キム・ソンジェ)牧師が5月の記者会見の場で、
「若者は天皇制や立憲民主主義の問題を語っても聞く耳を持たない。日本国内の日本人自身の市民運動で
自己完結できるのか。隣の韓国をはじめ北東アジアと国を越えて一緒に考えていくのが一つの突破口」
という趣旨の話をしたが、韓国と区別する北東アジアとは北朝鮮のことではないのか。
在日大韓基督教会は李仁夏牧師のもとでNCCに加盟、後に李仁夏牧師はNCC議長となる。
現在、NCC総幹事である金性済(キム・ソンジェ)牧師は、かつて李仁夏牧師が赴任していた川崎教会の後任牧師。
彼らの持つ韓国独自の神学は、韓国でも少数派となる進歩的「民衆神学」派、親北朝鮮のグループゆえに、
李仁夏牧師がNCC議長を務めた当時WCCの会議において日本のNCCがホスト役になって、北朝鮮のキリスト教団体
はたして、北朝鮮に「本物のキリスト教団体」が北朝鮮政府によって公認されるだろうか?
1970年代、金日成ら北朝鮮の指導者たちは、宗教人が皆いなくなったので宗教をも存在しないと公言。
しかし南北対話の道筋がつくと対外工作組織として朝鮮基督教徒連盟を設立し、キリスト教徒がいると発表。
金日成の姻戚で朝鮮基督教徒連盟を作った牧師の康良煜(カンリャンウク)こそが、1972年南北赤十字大会で
耳目をひきそうなところを要約すると、こうですが、本文も長いですがわかりやすい記事なので是非ご一読ください。
天皇制や政教分離について意見を述べたら「反日」だとは増田も思いません。
天皇行事の宗教性や祭事に対しての公金支出に関しては増田も大いに議論があって良いと思いますが、乗る叩き台に
ついても素性を吟味したいですね。
アイドルの熱愛発覚、匂わせ発覚でいつも思うこと
例えばだけど、聖書に書かれていることだけがイエス様の全てではない(と思う)けど、キリスト教徒は聖書に書かれているイエス様を信仰している訳じゃん。
聖書に書かれてないところで仮にイエス様が教徒が幻滅するようなやべえことしてたとしても、それを知る必要性が無いのよ。教徒は。
まして礼拝中に信仰対象が自ら「聖書に書かれてることの裏でこんなことしてたよ!聖書とか全然ウソ!」って半笑いで暴露してきたら発狂するでしょ。
「アイドルだって人間なんだから恋愛くらいするよ!」とかそんなの分かってるよ。
だけど、そこらにいるただの人間では無いじゃん。
普通よりちょっと可愛い程度の見た目で歌もダンスも中の中だけど、恋愛を隠す努力しないどころかSNSで彼氏の匂わせしまーす!みたいなアイドルを特別な子だと思わないよ誰も。
なんていうか、変な言い方になるけどもっとみんな教祖や神としての自覚を持って欲しい。
普通の女の子、普通の男の子と同じ事がしたいなら普通の女の子男の子になってからすればいいし、アイドルの立場を使って恋愛するのなら、それは普通の子と同じ普通の恋愛ではないじゃん。
だから例えファンに見えないところでそういう恋愛をしていても、それを隠し通すのがプロでは?と思ってしまう。
なんでアイドルだけって話にもなるけど、アイドルじゃなくたって、普通の人よりも私生活にも制約が生まれる仕事なんていっぱいある訳で、その制約がアイドルの場合は恋愛ってだけじゃんと思う。
化粧しちゃいけない、香水つけちゃいけない、市販の薬飲めない、SNS禁止、寮生活必須、とか、どんな仕事にだって大小様々制約はあるよ。でもそれを分かってプロになるんじゃん。仕事にするんじゃん。
仕事の為に恋愛を自制や自己管理できないのなら、普通にアイドル向いてないと思うし、そのまま続けても大成することは無いんじゃないですかね。
アイドルやめな。
その謎に挑む中、私はふと自分の足元に目を向けた。
視界の端にうっすらと映った茂みの中にその答えを見た。
そうか……ドラッグとは何も道具とは限らないのだ……。
宗教やネットゲームは凶悪な精神依存により神経系統までもを破壊するという。
実際、ギャンブルは合法ドラッグ四天王の中でもナンバー2に最も近いとすら噂されている。
古代、キリスト教においては性的快楽は禁忌とされ、純粋な生殖行為としてのセックスが追求されていた。
ソドムが滅んだのはアナルセックスという非生産的活動に神が怒りを顕にしたからであるという伝承は、全世界の教科書にのっていて小学生でも知っている。
ある時期のキリスト教徒は、ズタ袋をかぶって淡々と腰をふるのを正しい交尾のやり方として学んでいたし、膣外射精は実質的にオナニーだと聖書にも書いてある。
子供を産むこと以外を目的にしたセックスは、かつて合法ドラッグとして確かに扱われていた。
性的快楽を目的としたセックス、オナニー、奴らは大麻と同じように一度は幽閉されながらも時代の流れに乗ってヌルヌルと脱獄してきた凶悪犯なのだ。
酒が飲めるタバコが吸える佐藤が食えるギャンブルが出来るオナニーが出来る。
夢の薬物パラダイス。
はやく全部滅びればいいのに
私は日本で生まれ育ってしまったのでとても大きな違和感を感じる体験なのだが、私が大学生の頃父が隠し子を持っているということを急に暴露した。ガーナに私の兄弟が2人か3人いるという話を聞いた。
私は大変驚いた。妹は父が自分の子をガーナの親戚に引き渡し置き去りにしたことを怒っていた。母は唖然としていたが受け入れた様子だった。
先日父と口論になり父から「あなたよりガーナの子供の方がお利口さんだ。ガーナの子供は親の言うことを必ず聞くし親に従う。親を尊敬する。」「日本の子供はこんなに悪い子ばかりなのか」と言い始め2国間で自分の子供を比較し私達日本側を非難した。ガーナでは親に反論する子どもはいないとのこと。私は父にガーナの子供を連れて来たらいいじゃないかと言うと母はそれは違うと言う。
ガーナ在住の長男(急に出てきた私より数年年上の兄)と電話した際、大学を卒業しても仕事がないと言っていたんだが、果たして親の言うことに従ってばかりで何かいいことがあるのだろうか。
父が凄く風変わりな人に見えて仕方がない。めちゃくちゃ
※ガーナは一説によると50の民族、80~100の言語が話されていると言われている。海岸沿いや中部の地域にはキリスト教徒が多いのだが北部の州にはイスラム教徒が多く、一夫多妻制の家庭がある。父から聞いたニュースでは14人ほどの子供を持つ北部在住の男性がいて奥さんは5人以上。それに憧れるキリスト教徒がいる。
キリスト教徒はなんでロボ怖いの?
『創世記』(そうせいき、ヘブライ語:בראשית、ギリシア語:Γένεσις、英: Genesis)は、古代ヘブライ語によって記された、ユダヤ教、キリスト教の聖典で、イスラム教の啓典である聖書(旧約聖書)の最初の書であり、正典の一つである。写本が現存しており、モーセが著述したとされている。いわゆるモーセ五書は、ユダヤ教においてはトーラーと呼ばれている。
9:1 神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちよ。
9:2 地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。
9:3 動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。
9:4 ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。
9:5 また、あなたたちの命である血が流された場合、わたしは賠償を要求する。いかなる獣からも要求する。人間どうしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する。
9:6 人の血を流す者は/人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ。
9:7 あなたたちは産めよ、増えよ/地に群がり、地に増えよ。」
日本ではあまり知られていないことだが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は聖典を共有している。最も古いのが紀元前1300年頃から形を取り始めたユダヤ教で、そこから分派した新興宗教としてキリスト教が西暦0年前後に成立している。イスラム教は少し下ってやはりユダヤ教徒の勢力圏で610年頃に成立している。よく「一神教」「多神教」とぼかして言うが、「ユダヤ系」「それ以外」とも言える。
イスラム教においては創始者ムハンマドの預言が絶対、預言を正確に記したコーランの記述が絶対、信徒は肉についてイスラム教徒の指定する処理を施したものしか食べない、といったことはよく知られているが、彼らは『創世記』を含む旧約聖書も「異教徒の不正確な複写を含んではいるが、われらの神からの預言であることは事実である」というような立場をとる。上の引用はその『創世記』9章による。これは「ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が概ね一致して『定義であり正しい』として受諾している文章」なのだ。「生殖は正しい」「獣・鳥・魚は異なるものである」「獣・鳥・魚は人間に与えられた所有物である」「『青草』は『動いている命あるもの』ではない」といったところは(それぞれの宗派において個別に解釈・明確化されているであろうことはさておき)否定されざるものなのだ。
狂信的ヴィーガニズムのドグマは要約すればGenesis 9:1を達成する目的において9:2を根拠に9:3を辞退する、というものだ。彼らの議論は9:3を権利と捉えるか規範と捉えるかとか、そんな辺りであろう。その主張に対して「生殖が正しいとは決まっていない」「人間には農業をする権利などない」「野菜や草やプランクトンにも牛や豚と同じ命がある」と根本から9章丸ごと吹き飛ばす批判を返しても、「すべての宗教が数千年に渡って同意してきた前提に対する批判であり、到底承服もできないどころか、議論する下地すら作れない。笑い飛ばす以外に対処法がない」という対応しか得られないのである。それが正しいか正しくないかではなく、彼らは「俺は旧約聖書信じてないよ」という発言には対応ができないのである。
そしてここは日本であった! ヴィーガンは対応ができず成すすべもなく文の壁を立て(彼らの言語には"wall of text"という表現がある)嘆くのみなのであった。旧約聖書先生の次回作にご期待下さい(完)