はてなキーワード: 愚考とは
いや、そういう問題では全く無く。
「本気でこんな考えをしている人間を生涯の伴侶として選ぶのは不可能」って判断があって妥当なレベルってこと。
「恋仲が解消すれば原則的に男が悪い」って理屈がどこから生じたのかは全く不明で、
増田さんがご自分でおっしゃるとおり異性との交際経験がないとすれば、それはどこから学んだ知識なのか少し気になるが。
これはそういうお話では全然なくて、相手の男の考え方が結婚相手として論外レベルで男女関係のない話ですよ。
とりあえず、「土地を変えて再就職して俺(と両親)を養え」なんて男についていくのはありえないっていう
至極真っ当な話しかしてませんよ。彼女とか男とかあんま関係ない。
それで、あなた様に彼女のいらっしゃらない理由を悪い頭で愚考させていただくとするのであれば、
「恋仲が解消すれば原則的に男が悪い」みたいな被害者意識をどこからともなく仕入れてくる、
・
・
・
などなど、「もしも〇〇が×☓なら」という話は、どれだけ価値がないかおわかりいただけただろう。
このような話は空想するだけムダなのだ。
技術は戦争の手段であって、それもかなり遠い手段だ。「技術革新のための」戦争というのは本末転倒だと思う。
戦争(というか外交のすべて)は「私の属する所属集団を、守り、食わせるため」「私の属していない所属集団を、脅威とみなし、排除するため」だと思うよ。チンパンジーもそう。
技術は学問畑の科学者と工業畑の設計技師が組んで生まれるもので、戦争を目的とすることもあれば、そうでない民生利用のためのこともある。
概して軍事利用の技術を民生利用に転用することには困難が付きまとうから、技術の民生利用のために軍事外交を行うのはあんまり巧くないのではないかと愚考します。
東京のとある大学で四年生をしている者ですが、すこしショッキングな出来事がありました。
学内で私は政治経済学部に在籍しており、どちらかというと経済より政治畑の老教授のゼミに在籍しております。
第一志望のゼミに落ちて拾って貰ったのですが、内容は充実しており、私はそれなりに満足していました。
言うまでもなく、当時麻生さんから政権交代したばかりの鳩山内閣のことです。
学術的にまじめな返答を期待してでのものでなく、談笑の一部分として振られたものでしたが、
老教授はいつもは全くといっていいほど、時事関連の講談をしてくれないので、私は大きな関心を持って聞き耳を立てていました。
「麻生サンはねぇ……言っちゃなんだけど、いいところが全くない首相だったからね。
たいていの首相は、全く駄目ということはなくて、一つくらい良い点があるものだけど、彼は全くなかったね。
その点、鳩山サンは頭のいい人だから、ちゃんとやってくれると思うよ」
私はマスコミの麻生総理総攻撃を鼻白い目で見ていた人間だったので「そんなもんか」と思い、聞いていました。
この大学(それなりに名の聞こえた大学です)で教鞭を取っている先生なのだから、言っていることが全く的外れであるわけはなく、
まだ二十歳を少し超えたばかりで政治的経験の浅い私の愚考と比べれば、信憑性に大いに差があり、老教授の言葉のほうが正しいのだろうと考えました。
だから、鳩山内閣は期待が持てる内閣なのだな、とおぼろげに考えていました。
私がこれはおかしいだろう、とハッキリと感じ始めて来たのは、つい最近のことです。
鳩山首相の言動に、政治的にどのような観点から見ても褒められたものではない点がいくつも見つかり、いよいよ彼の愚かさが浮き彫りになってきました。
私も今や鳩山内閣支持派ではなく(選挙では別の政党に入れたので、元より支持派とは呼べませんが)ハッキリと反対派の政治スタンスを取るようになりました。
それと同時に、老教授の話を疑わしい気分で聞くようになり、元から第一志望でなかったことも相まって、ゼミに出る意欲も半減し始めてきました。
ようやく本題に入ります。
ある学生が、「○○教授、最近の鳩山内閣はどうですか?」と訊きました。
その彼が、質疑応答に取られた時間にまっすぐに手を上げ、良く通る声で老教授にたずねたのです。
「教授は鳩山内閣を支持しているようでしたが、それは間違いだったのではありませんか?」
私は眉をひそめました。
間違いだとしても、それは結果論でしかないからです。
「間違いだったとして、先生をして選挙で民主党を選んでしまうのなら、私たちが今学んでいることは何なのですか。
先生は長い人生でなにを学んできたのですか。その人生で培ってきた叡智をもってしても、鳩山内閣を選ぶという誤断を避け得ないものなのですか」
私は老教授が民主党に投票をしたのかどうか、寡聞にして知らなかったのですが、私の参加していない飲み会かなにかで喋ったのかもしれません。
私は彼がなぜそれほど憤っているのか知っています。
彼は政治に大変興味があり、両親が農学部受験を勧めるのを裏切って政治経済学部に来ていました。
2010年4月から宮崎県で起こっている口蹄疫の大流行と、鳩山内閣の一手どころか十手二十手遅れる対応に、彼は大変憤っていました。
来年から群馬に戻り畜産農家を継ぐ予定の彼としては、あれは自信の運命に直結した問題なのです。
もし口蹄疫が蔓延し、実家の畜産農家が潰れるようなことになれば、就職活動をしていない彼ですから、たいへん困った事態に陥るでしょう。
彼の境遇を知ってか、その言葉を聞いて、老教授は突然涙を流し始めました。
当然、生意気な学生に雷が落ちるものと考えていたゼミ生(私も含め)は吃驚仰天です。
最近の政治を見ていると、ぼくは一体なにをしていたのだろうと思うことがある……」
老教授はそう言うと、本日のゼミの終了を宣言し、退席しました。
発言をした彼は、老教授の過大な反応に面食らった様子でした。
これはauleriano氏の記事について書いたものであるが、
私が普段から感じている多くのサッカー解説者に対する不満を整理したものでもある。
キリ○ニとかホント死ねばいいのに。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20100216/1266289037
についての感想。長文なので先に結論を書く。
「理由」を解説することができるのは当事者と専門家(正確にはQualifiedであることを証明できる人間)だけである。
文章を読む限りauleriano氏は当事者でもないし、専門家であることを証明することにも失敗している。
そのため「理由」などと言う表現を使うことは正当でない。修正すべきである。
また、auleriano氏はタイトルにおいて自らの文章が無意味であることを宣言し、
まして自分の文章が上村選手あてに書いたものではないとはっきりと主張している。
それにもかかわらず「上村選手に読んで欲しい」と書くことは論理的矛盾なので、
タイトルを変更するか、上村選手に読んで欲しいと書いた部分を即刻削除すべきである。
「上村愛子はなぜ勝てなかったのか?」この記事はタイトルの時点で三重苦を抱え込んでいる。
このタイトルで実のある文章をかける人がいたら見てみたい。
つまり、タイトルを読んだ時点でブラウザを閉じるのがネットリテラシと言うものである。
私は読んじゃったけどなwww
まず一つ目の「苦」はタイトルが「~出来ない理由」であることだ。
このタイトルは、殆ど実のない結論を書けない事を宣言する定型句である。
ちゃんと提言があるならば、あるいは当事者意識を持っているならば、
どうすればよかったのか、自分はどうしようと考えているかを書かなければいけないからだ。
「出来ない理由を書くことが主眼」と言う時点で
「所詮他人事、俺には関係ない」という告白をしているのと同義である。
私のこの記事も「aurelianoの書いた記事がクソである理由」とタイトルをつけることが可能であり、
つまり俺には関係がないから思う存分好き勝手なことを書くのだが、彼の記事も全く同じである。
いや、彼が好き勝手なことを書くのはいつものことだからそれはいい。
テレビ作家根性として、こじつけや妄想による創作は空気を吸うくらい当然かつ必須であり、
それを禁じて窒息させようなどとは思わない。
許せないのは「これを上村選手に読んで欲しい」と書いていることだ。
「私はあなたのことを他人事だと思って無責任に書きます」と宣言しておきながら
「読んで参考にしてください」というのは、明らかに矛盾している。
分裂症でないなら、これは完全に上村選手ではなく、記事を読むはてな住人を釣ることが目的としか思えない。
2つ目の理由は、「出来ない理由」だけでもとんでもないのに「出来なかった理由」を書いているからだ。
つまり「~出来なかった」という結果、錦の御旗を使って
「だってほらあなた~できなかったでしょ」と相手の反論を受け入れる余地を残さない意見は、本質的に無意味である。
結局彼がどんな主張をしても、論拠は全て「上村愛子は勝てなかった」ということただそれだけなのである。
頓珍漢なことを言って、それを指摘されても
「君の反論はわかるよ、でも上村愛子勝てなかったでしょ?」と返すだけで彼にとっては事足りるのである。
3つめの理由。書き手が何者であるかを語らないこと。
1つめの理由とこれは同じようなことを言っているように思われるかもしれないが、
1つ目は「結論の質の低さ」を示すものであり、3つめは「書き手の質の低さ」を示すものである。
(2つ目は結論の無意味さ。共有の不可能性について述べたものである)
「理由」について述べる場合はQualifiedであることを証明することは重要である。
経済学者が経済について語ることができるのは、それを他の人が聞くのは、彼らがQualifiedであるからだ。
そのため、たまに自称までして自分がQualifiedであることを証明しようとする涙ぐましい人もいる。
まぁ得意の武道のことについて語ることは良いだろう。それを自分の専門でない分野に敷衍しないならば。
「他に誰も言わないから私が言ってあげているのである」という恩着せがましい態度は意味不明なのだが
まぁ達人の意見はある程度他のことにも通じるという。一寸の道理くらいはあるだろう。
素人でも「意見」や「感想」を言うのはかまわない。書くことは自由だ。
ただもちろん正当に扱う価値はない。まして本人に対して読めなどと押し付けることはできない。
自分がQualifiedでないということだけ自覚しているならば、それほど思いあがった口調にはなるまい。
だが、それを自覚していない、己には資格があると誤解している人の文章はとことん口調も傲慢になりがちだ。
Aureliano氏がはてなについて語る記事を書いた時、彼は自分の主張を始める前に
「自分がもっともブックマークを獲得した人間であるから資格がある」「それまでは直接は言及しない」という
と己がQualifiedであることを説得力を持って証明しようとした。
どうして今回は明らかにQualifiedでないテーマについて、これほど傲慢な態度になってしまったのか。
答えは本文中にありそうだということで、これに該当する部分だけ探してみることにした。
そこでぼくは、考えてみた。
どうみても考えただけである。
ところが末尾において
ぼくとしては、それついての答を持っていたので、こうしてブログで回答を申し上げたまでである。
彼の中で認識が変化している。
彼の中では彼はQualifiedな人物ということにいつの間にかなってしまっていたのである。
もちろん理由はコレだけではないだろう。
これだけの根拠で「Auleriano氏の記事がクソになってしまった理由」を書いてしまっては
私は「わかったつもり」程度で自分がQualifiedであると勘違いしてしまう恥ずかしい人間になってしまう。
そもそも記事がクソであるというのは私の主観で、彼自身が自分の記事を素晴らしいと思っていたら意味がない。
もし記事を書くとしたら、そのタイトルは正確には
「Auleriano氏の記事が私から見てクソであると確信するほどひどい内容になった理由の一部」とすべきだろうか。
まとめ。
Aureliano氏においては、
緊急案件でもないが、以下を考えてみる。
結局、ポンキッキは開いたんですか?
……私は疲れているのか?
憑かれて……いや、疲れている。だからこんな事を考えるのだ。
さて、はてブでは、説得力のあるコメントはあるものの、文字数が決まっているせいか、決定打は出ていないようだ。
そこで、就活が大詰めの人もいるだろうが、この命題は、5W1Hを使いたい。
つまり、
ニュース記事の最初の段落はリードと呼ばれる。ニューススタイルの規則では、リードには以下の「5W」の多くを含むべきとされている。すなわち、
Who(誰が) What(何を) When(いつ) Where(どこで) Why(どうして)したのか。
である。しかし日本においては、「5W」にさらに下記の「1H」を含む「5W1H」であるべきであるとされる。
How(どのように)
で考えた方が明確ではないかと愚考したまでである。
では、私なりの回答を下に書いていこう。
問い:Who(誰が)?
Wikipediaによると、
『ポンキッキ』の名の由来にはさまざまな説や噂があるが、この語に特に意味はなく、公募により幼児にとっての発音しやすさから採用された造語である(幼児の発達段階においてはP=破裂音で始まる言葉が最も発しやすい語とされている)
とある。
また、由来は以下のようである。
なお、かつてフジテレビ系『なるほど!ザ・ワールド』にて出題された問題で「『ポンキッキ』の名の由来」を問うものがあり、正解は「当時のフジテレビ社長の浅野賢澄(元郵政省事務次官)は小説を書くのが趣味で、自作の小説内に登場させた『ポンキッキ博士』の語呂が良かったので、そのまま番組名に採用した」と社長本人が出演して語られていた。
要するに「ポンキッキ」とは幼児に発してもらいたい言葉ということだ。つまり、「開く」のは幼児であり、それを望んでいるのは、「番組名の命名者と認定者(当時のフジテレビ社長の浅野賢澄(元郵政省事務次官))」になる。
問い:What(何を)?
答え:不明。理由は下を参照。
問い:When(いつ)?
答え:不明。理由は下を参照。
問い: Where(どこで)?
答え:不明。理由は下を参照。
問い: Why(どうして)?
答え:不明。理由は下を参照。
問い:How(どのように)?
答え:不明。理由は下を参照。
「ポンキッキ」に意味がない以上、開くもの(What(何を))が「ポンキッキ」なのかも知れないし、「サンスクリット語で「胡麻=ポンキ」がポンキッキの由来」という説が流れた通り、「ポンキッキ」が呪文か何かであり、開くための手法(How(どのように))なのかも知れない。そう考えていくと、『「ポンキッキ」だから開いてくれ!』という理由(Why(どうして))なのかも知れないし、「今何時(なんどき)だ?」「ポンキッキ!(When(いつ))」なのかも知れないし、RPG的に「そしてポンキッキ(Where(どこで))の大地が開かれた」ということなのかも知れない。いずれにせよ、意味がない以上、不確定である。
結局、ポンキッキは開いたのか?
「不定」
がもっとも的確な答えではないだろうか。
ただ、個人的に思うのは、最初は意味のなかった言葉でも、一人一人、自分なりの「ポンキッキ」があるのではないかということだ。(なぜかいい話になっている)
要するに、
「あなたにとってポンキッキとなんですか?」
という問い自体が答えなのである。
それは、幼児の言葉にならない言葉、幼児の成長を見守る親たちの思い、制作者達の気合いなどの心の叫びなのではないだろうか?
ささやき えいしょう いのり ねんじろ!
「ひらけ!ポンキッキ」
さて、次の課題に移ろうか。
「セーラーふくはもってかれたのか?」
今回の日記は「です、ます」調ではなく「だ、である」調で書かせていただく。
護衛艦「くらま」と韓国船の衝突事故、その事故そのものについては別に語ることもない。
しかし、大いに呆れ、ネット上に跋扈する自称「情報強者」の情報弱者どもへの軽蔑をいや増す出来事があった。
これである。
http://kanasoku.blog82.fc2.com/blog-entry-12117.html
まったく都合のよいことに、こまめに魚拓
をとっている人がいた。
これを見ると「ああ、なるほどね」と一目で理解できることが情報弱者どもには理解できないらしい。それどころかこの魚拓一覧を見て「もはや言い逃れはできんぞ」とか言ってる者までいる。
一次史料を与えても読み方が解らなければ役立たずどころか害悪にしかならないといういいサンプルだ。
魚拓によると、朝日新聞の第一報は21:11に配信されている。続いて第二報が出たのは21:47である。ここで問題の韓国人船長の証言が登場している。第三報は22:36分。ここで韓国人船長の証言がいったん消える。この韓国人船長の証言が復活(しかし一部削除されたままである)するのは翌日03:02である。
これが「韓国に不利な証言の隠蔽」なんだそうな。
アホか。
新聞記事というのは、まず第一に紙上に印刷された状態で読まれることを前提にかかれており、ネット上で読まれることを前提には書かれていない。
現在新聞社の現行の最終締め切りは、おおむねどこも午前2時ごろである。最近になってこれを午前0時ごろに前倒しし、記者が終電で家に帰れるようにしてタクシー代などの経費を節減しよう、という動きがあったりなかったりすることは、ヤフートピックスからたどれるニュースとしても出ていたので情報弱者どもも当然知っていることだろう。ネットに出ている情報すら知らんというのではもう処置なしだ。
したがって、この記事の場合最後の03:02の記事のみが批評の対象になるのであって、それ以前の変更でグダグダ抜かすこと自体がもうすでに馬鹿丸出しなのである。紙面上で確保できるスペースの関係、関連記事の充実具合などによって記事の分量はいくらでも変わる。紙面確定まで、論評などしたってしょうがないのだ。
それでも反論があるかもしれない、「それでも韓国人船長の証言を消そうとしていたことは事実だろう!」と。
それにはこう答えるしかない。
新聞というものは、大きな事件ならば関連記事というものが出る。記事は本記事と関連記事とを合わせて一つの記事なのであって、そのことを確認できるのは紙の新聞でしかない。
ネット上の一つ一つに分断された記事など、全体として一つの記事であるのを轢断した姿に過ぎないのであって、そんなもので記事を論評しようということ自体が愚考なのだ。
そしてこの事故に関して事故翌日の朝日新聞の紙上に掲載された記事は、上述の問題の記事のほかに2本ある。
http://www.asahi.com/national/update/1027/SEB200910270045.html
http://www.asahi.com/national/update/1028/TKY200910280010.html
この事故に関する朝日新聞の記事は、この2本に03:02の本記事を加えた3本で1本なのである。その上でなお聞こう。
韓国人船長の証言が隠蔽された? 本 気 で 言 っ て い る の か ?
ここに紙面がどんな風だったかを貼ったりはしてやらない。知りたければ自分で紙面を見ればいいのであって、情報弱者に施しを与える筋合いなど私にはない。
もう少し入り組んだ説明が必要かもしれない。
21:11の第一報を見てほしい。取材源が防衛省1箇所でしかないことがわかるだろう。
それが21:47の第二報では、情報源が防衛省、海保、韓国人船長、下関地方気象台の4箇所に増えている。ただ増えているだけではない、取材先をよく見てほしい。
明らかに複数の、最低でも2人(東京+現地)あるいは3人(東京+現地+アンカー)あるいはそれ以上の記者が動いていることが明々白々ではないか。
となれば、東京にいる記者はともかく、現地の記者は取材、執筆、そして送信と忙しく動き回ることになろう。
その結果が上記2本の関連記事である。
特に「『大きな火柱立った』陸地からも目撃 護衛艦衝突事故」のタイムスタンプを見てほしい。22:21である。「韓国人船長の証言が消えた」第三報が出た22:36よりも早いのだ。
これはつまり、火災や韓国人船長の証言について関連記事を出せるめどがついたから本記事の屋上屋を架す部分を削除したという、たったそれだけのことだということを意味している。
もう一度聞こう。 隠 蔽 ?
それでもまだ反論があるやも知れぬ、「じゃあなぜ一度削除された証言がまた復活したんだ! 不自然じゃないか!」と。
それにはこう答えるしかない。紙面を見ればぜんぜん不自然ではない、と。もちろん紙面をネット上にあげたりはしてやらない。
この記事は1面トップニュースだが、紙面上与えられたスペースは5段×6分の5である。新聞には文末に空白の行を作ってはならないという決まりがあって、与えられたスペースは何が何でも文章なり写真なりで埋めなければならないのだ。
そこで証言が削除された記事をここに当てるとどうなるか。10行以上の余白が出てしまうのである。
1面であるからベタ記事で埋めるわけにもいかないし、隣の記事のスペースを増やしてごまかしたりもできない(ほかの記者に迷惑をかけるなど! また改めて組み直しをするなど!)。写真も2段で組んであり、天地左右を見ると拡大できそうもない。となれば、一度削除した文章を復活させるのが一番手っ取り早いのだ。
こうしたことが理解できれば、一度削除されてまた復活した文章が、完全な復活ではなく一部削除された形になっているかも理解できる。全文を復活させれば今度は5段×6分の5からこぼれてしまうのだ。したがって、スペース内できっちりまとめるために大部分を復活させ、しかし一部は復活しなかった。どちらにしろ関連記事を読めば書いてあることだからだ。
またこうして理解ができれば、本記事の最後のタイムスタンプが「03:02」であることの意味も理解できるのである。
以上、私が呆れた理由がお解かりいただけたと思う。
この程度のリテラシーもできずに「流石アカヒ」だの「隠蔽かよ」などと吹き上がっている連中のなんと愚かななことか。まったく自分が情報強者だと思い込んでいる情報弱者ほど度し難いものはない。
イスタリ、マイアとかの単語を調べてみれば、なぜ彼らが直接的に問題の解決を行えないのかの理由がそれなりに調べられると思いますが。
かれらは、自分達の愚考を反省した(我々の世界的にいってしまえば)神々にその能力の直接的な行使を禁止されています。
どちらかと言えば、廃坑のバルログやらドラゴン相手に力を行使してしまった方をこそ問題視すべきなのですが、そこをあれこれ言い出すと、指輪世界のどろどろとした世界解釈とその闇に潜む魑魅魍魎を相手にすることになるので、「じぶんではかいけつできない」設定だったと思っていただければ。
ちなみに、あの世界のバルログは、直視すると恐怖だけで相手を死に至らしめる事があるほどの強敵で、ガンダルフが対峙したのは、その中でもまず人間では手も足も出ない相手。
黒の乗り手は指輪に取り付かれた人間の王達ですが、かれらも常軌を逸した能力者で、当然のように恐怖で人を殺します。
直視するだけでも能力が制限され、なみの魔法武器ではダメージを与えられませんし、攻撃のための接触でさえ自分に危害が及びます。
むしろ満足に戦えてるアラゴルン達を賞賛すべきシーンだったり。
(アラゴルンも人間上位種の直系で、人としては規格外な能力者だけれどもね)
バルログや古代人間種のように、高位のエルフもとんでもないチート集団で、暴力以外での不老不死が約束されていたりする。
エルロンドに至っては、RPG的な表現ではレベルカンスト者で、愛剣ヘルカルイネを一振りするだけで、トロール程度なら一刀両断。
http://anond.hatelabo.jp/20090518024234のブコメ。
nodada ヒント:リソース。ハイクにもこの手の連中がいて苦労したよ…。ところで、BLの性描写は作品・レーベルごとの個体差が激しいので「エロ本」一般で括らないで。あと、市場にも男性主義・権威くらいあるんじゃない? 2009/05/18
そらご苦労様です。で、市場にも女性主義・権威くらいあんじゃねえの?
blacksorcery 増田 僕、マイノリティ=少人数って言ったかなぁ。少人数がマイノリティとは言うと思うけど。だから君らはマイノリティ。けどマイノリティだからと言って好き勝手出来るわけじゃないのは、理解できるよね? 2009/05/18
だから君らはマイノリティ、ってのがなんのことかはさっぱりわからんが、好き勝手出来るわけじゃないからレーティングとかされて「よろしくないもの」として扱われてるのでしょ。だいたい、ここでいうマイノリティは単純に「少数派(基本的な語義からすればこうとるしかない)」じゃないよ、○○という立場の弱い人たちのことをここでは指すよ、とかいう前提も言わずに6500万(だそうだ)を十把一絡げにして「マイノリティは女性だよ」なんて言ってるから「なんのことだ」と言ったわけですよ。というか立場の強い弱いを言いたいのであればマイノリティやらマジョリティやら言わないで素直に強者弱者とか言えばいいと思うんだがな。それともなんだ、カタカナ使いたいの?
それに、「欲望を処理したい側が共存の道を模索しなよ」ってとこに重点をおきたいのなら、マイノリティだのなんだのいう必要もない。欲望を処理したいマイノリティだってもちろんいるんだから。女性が「欲望を処理したい側」で「ゾーニングのゆるい状況」に立つことだってもちろんある、というのも文中で触れてますね。
まあ要するにだ、「男性というマジョリティ」「女性というマイノリティ」なんてステロタイプに安易に乗っかるのはごめんなんですよ。「興味本位でクリックするけど見たくないです、そんな簡単なところに置かないでください。ていうか非合法になってください」などという思考も通す気はないわけです。
というわけでy_arim先生、こんな感じでどうっすかね。あたまがわるいタグを下さるくらいですから、先生のご賢察には遠く及ばぬ愚考であるのは承知の上ですが。しかし、「正直答えが出ない。絵描きとしては『ふざけんな好きに描かせろ』と強弁するしかないんだが(略)絵描きの立場を離れるとぼくも賛成」という矛盾の中にいる先生が、「巻頭大特集では、濃密な凌辱ゲームへのこだわりを見せるファミリーを徹底解剖」なんて言っているメガストア誌でシゴトするのはさぞ難儀でしょう。エロゲーよりも雑誌のほうが目に付く所にありますし。「少数民族が多数民族を統治する国家の社会構造について考えてみな」などと私を慮らずに、ご自分についてお考えになられたほうがよろしいかと思います。
お叱りはごもっともでございます。
確かにおっしゃるとおり、近年の萌えオタの認知増加は旧来のストイックなオタクも一括りに気持ち悪い奴らというレッテル張りを助長する結果となっているのでしょう。
貴氏はその点、オタク文化に関して非常に造詣が深いものと愚考いたします。
近年、オタク評論が氾濫し、我々、若いオタクとしては指針や基準とすべき作品としてどれに重きを置けば良いのか非常に苦しんでおります。
出来れば、真のオタクにふさわしい作品の数々を上げていただけませんでしょうか。
そのような作品群を見聞きすることによって貴氏の主張もより説得力の増す意見として輝きましょう。
ご指導よろしくお願いいたします。
楽しく拝見させていただき、非常に勉強となっています。
よく、ネット右翼の皆様は弱者救済を自己責任論で完結させようとしていらっしゃいます。
この辺の理屈は非常に単純明快でわかりやすいものがございます。
おそらく、私が愚考いたしますに、「俺ら頑張ってきたんだから楽するなんて許さないよ」という心境がございますのでしょう。
皆様は大変努力なされてきたのでしょう。一学生の私はただただ敬服するばかりです。
私にはその考えはとても理解しやすいものです。
対するはてサの皆様は弱者救済を声高に叫んでいらっしゃいます。
慈愛の心に満ち溢れる、自然と出てきた主張でありましょう。
人なのですから、助け合いの心は大切ですよね。
しかし、どのような行動にも「理由」はあるものだと私は考えております。
皆様なりの思うところがあり、弱者保護の拡充、体制の変革を求めていらっしゃるのでしょう。
では、その理由はなんですか?
私の無知蒙昧な頭ではその理由を明確に説明することが困難なのです。
ある種、私もそれなりの努力をして生活をしてまいりました。
その結果があって、今の私がいるのだと思います。
ただ開いている口に餌を運ぶことが果たして真の意味での救済なのでしょうか?
ライトノベルが特異な発想をしたモノ勝ちなのって、日常の人間関係や恋愛とかに乏しいから
特異な設定を取っ払うと、みんな似たような話しか書けなくて、それを誤魔化すために
ヘンチクリンな世界のルールがあったり、大騒動があるようにしか思えない。
文学だって、この世の中で珍しいくらいの不遇を抱えているマイノリティな社会的弱者や
ありえないくらい、けだるげに思弁的な登場人物ばっかりなのって、そうしないと話が面白くできないからでしょ?
あいつらって、普通と違う発想でしか、普通と違う話が書けないから、普通の人に見向きされないようなニッチな話しかかけないんでしょ。
きっと、作家先生を祭りたてる読者も作家先生と同様に人生経験が薄っぺらなヤツか、分厚い人生経験をもってるやつがああ、人生経験無いわりに頑張ってるなーってニヤニヤ読んでるくらいなんでしょなの?
人生経験がマジックワードになってるなの? はぁ、バカなの? 死ぬなの?
じゃあ、学園異能って何よなの? 具体的な社会的弱者ってなによなによなの?
そんなひとくくり出来ないような概念を、ぼんやりとふんわりとくくってわかったつもりになってるオタクどもってバカなの? 死ぬなの?
ああ、薄っぺらな作品ばっかりなの。
でも事実を薄っぺらに表現するからこそ、有名な古典文学にしろ、すぐれたライトノベルにしろ、現代文学であっても、僕らは現実を間接的に直視する事ができるのだけれどもにょ。
それで、あたかも全部の世界や社会が語ろうとする。経験不可能なことを可能したつもりになってる批評家の方が人生経験が無いよねのなの。
でも、作家が言語化できなかったこと稀に言語化するからナイスじゃん、と思う時はあるなの。
結局、何かをひとつのジャンルで語ろうとする事は愚考でしかない。ひとつのジャンルによって世界を敷衍することはできるけどなの。
金型が社会にとってどういう関わりを見せているか、とかソレと同じ程度には、でも世界は金型では出来ていないのだなの。
まあ、経験の薄い作家先生のうすっぺらい人間の言葉にも飽き飽きしたし、それをわざわざ拡大解釈して言語化するフォロワーのうすっぺらい感性にも飽き飽きしたよなの。
http://anond.hatelabo.jp/20081026030356 全部間違ってるね。あのね、文学は特異な発想で現実とは違う世界をつくり出していること自体に意味があるの。
そうすることで、現実を違った角度から見られるようになるんだよ。
あなたは「普通と違う発想」も「分厚い経験」も持ってないからそんな文句言うんでしょ?
文句言うことでしか自己表現できない。
以下引用と批判。
「そんなひとくくり出来ないような概念を、ぼんやりとふんわりとくくってわかったつもりになってるオタクどもってバカなの?」
→作家にも色々いるの。「そんなひとくくり出来ないような概念を、ぼんやりとふんわりとくくってわかったつもりになってる」あなたってバカなの?死ぬなの?
「でも事実を薄っぺらに表現するからこそ、有名な古典文学にしろ、すぐれたライトノベルにしろ、現代文学であっても、僕らは現実を間接的に直視する事ができるのだけれども。」
→ほめてるじゃん。否定したいの?肯定したいの?
「でも、作家が言語化できなかったこと稀に言語化するからナイスじゃん、と思う時はある。」
→またほめてる。だから否定したいの?肯定したいの?
「結局、何かをひとつのジャンルで語ろうとする事は愚考でしかない。ひとつのジャンルによって世界を敷衍することはできるけど。
金型が社会にとってどういう関わりを見せているか、とかソレと同じ程度には、でも世界は金型では出来ていないのだ。」
→そんなこと高校生でも知ってます。
文学は、複雑な世界を把握するひとつの手段であり、それだけで十分役割を果たしてるんだよ。
こういうどっちつかずの意見を展開している時点で、あなたが「普通と違う発想」も「分厚い経験」も持っていない
コンプレックスの塊であることを証明しています。
もっと素直になろうよ。
http://anond.hatelabo.jp/20081026030356
まずタイトルから
正しいコピペは「馬鹿なの?死ぬの?」なので、君はコピペもまともにできない人間なのだと読者に思われてしまう。
ただし、有名なコピペをわざと間違えて使ってみせてからネタの伏線として利用するという手法もなくはないので、まだ読者もこの時点では判断を保留して読み進めてくれるはず。
ライトノベルが特異な発想をしたモノ勝ちなのって、日常の人間関係や恋愛とかに乏しいから
特異な設定を取っ払うと、みんな似たような話しか書けなくて、それを誤魔化すために
煽り文として、かなり好調な書き出し。
ラノベを貶めるときの常套句を冒頭に配置することで、タイトルとの相乗効果で読者をうまく煽ることに成功している。
「日常の人間関係や恋愛とかに乏しい」の主語がわからないけど、これはタイトルから「作家」だと推測してなんとか読み進めることが出来る。
文学だって、この世の中で珍しいくらいの不遇を抱えているマイノリティな社会的弱者や
ありえないくらい、けだるげに思弁的な登場人物ばっかりなのって、そうしないと話が面白くできないからでしょ?
これも素晴らしい。
ラノベに限定した話だと思って読み進めていた、ラノベは読まないけど文学作品は読むというような読者に奇襲をかけることに成功している。
あいつらって、普通と違う発想でしか、普通と違う話が書けないから、普通の人に見向きされないようなニッチな話しかかけないんでしょ。
順調に読み進めていた読者の大部分がここでつまづく。
「普通と違う発想でしか、普通と違う話が書けない」って当然だよね?「普通の発想」で書けないから「普通と違う話」なわけだし。
ただ、「普通の人に見向きされないような」というくだりで、なんとなく「普通の人が見向きするような、それでいて面白い話」を君が理想としているのだということは推測できる。
「普通の人に見向きされる」っていう評価軸の導入が唐突過ぎるので、これについてはもう少し前置きが必要。
きっと、作家先生を祭りたてる読者も作家先生と同様に人生経験が薄っぺらなヤツか、分厚い人生経験をもってるやつがああ、人生経験無いわりに頑張ってるなーってニヤニヤ読んでるくらいなんでしょ?
ここはいい煽り文だ。
「作家先生」をバカにされて頭に来ていた「作家先生を祭りたてる読者」たちの怒りが一気に吹き上がることうけあい。
ただ、「ああ、人生経験無いわりに」のくだりはカギ括弧で括らないと「分厚い人生経験をもってるやつがああ」って若本規夫のモノマネみたいに見えてしまうので注意しよう。
予想される反論を的確に撃墜している。素晴らしい。
ただ、ここでタイトルのコピペの誤用がネタではなく素でやっていたことなのだと確定してしまっている。
本論に入る直前でのミスはかなり手痛い。
大部分の読者はもう後の文章を読まないし、読む人がいても君をバカにする目的で斜め読みするだけだ。
いちど斜め読みモードに入った読者の関心をもう一度取り戻すのはとても難しい。
そんなひとくくり出来ないような概念を、ぼんやりとふんわりとくくってわかったつもりになってるオタクどもってバカなの? 死ぬなの?
ああ、薄っぺらな作品ばっかり。
悲惨の一語につきる。
作者と読者のどちらをバカにしているのかもよくわからないし、「そんなひとくくり出来ないような概念」として並置された「学園異能」と「具体的な社会的弱者」の共通項も、それを通して君が明らかにしようとしているものもよくわからない。
「ぼんやりとふんわりとくくってわかったつもりになってる」についても説明不足。
でも事実を薄っぺらに表現するからこそ、有名な古典文学にしろ、すぐれたライトノベルにしろ、現代文学であっても、僕らは現実を間接的に直視する事ができるのだけれども。
「間接的に直視」という表現がそもそも語義矛盾を起こしているし、「事実を薄っぺらに表現するからこそ」「現実を間接的に直視する事ができる」という理屈もよくわからない。
それで、あたかも全部の世界や社会が語ろうとする。経験不可能なことを可能したつもりになってる批評家の方が人生経験が無いよね。
「批評家」という新しくでてきたキーワードがプロの批評家のことなのか、作品について語りたがる読者一般のことなのか不明。
でも、作家が言語化できなかったこと稀に言語化するからナイスじゃん、と思う時はある。
「何かをひとつのジャンルで語ろうとする事」が何を指しているのか不明。
「金型」というのがキーワードみたいだけど、これも前置きが必要。何が言いたいのかぼんやりとしかわからない。
まあ、経験の薄い作家先生のうすっぺらい人間の言葉にも飽き飽きしたし、それをわざわざ拡大解釈して言語化するフォロワーのうすっぺらい感性にも飽き飽きしたよ。
話の流れを唐突に遮っているので普通に考えれば悪文。
ただ、中間を飛ばしてここから読み出した読者が君の考えを三行で把握する役には立つ。
突然ブックマーカーに語りかけてもしょうがないだろう。
「次のステージ」というのが何を指しているのか不明。
人は何か満たされていない不安に突き動かされる、一部の人は何か見えないモノに向かう。それが「萌え」だの「非モテ」だの「はてな村」だのって事だ。ここで重要なのが見えないモノって事。見えるモノでは客観的に考えやすく、批判の対象にもされやすい。しかし、見えないモノなら安心だ。自分の中だけのものになるから、他人に批判されても、それは"的外れである"と言い訳が出来る。見えない敵と戦う事こそが重要なのだ。自分も客観的に考えないように出来る事こそが重要だ。
不安に突き動かされる事は何も悪いことでは無い。それが人間の原動力でもある。ただそれが生産性の全く無いモノへ向かうのは・・・意味の無いモノに意味を見出す愚考は止めよう。
あのjkondoでさえ、結婚し、子供が産まれた事で、幻を追うのは止めたんだ。
異性を捕まえられない人、子造り能力が無い人にとっては幻を追う事は必要になるかもしれないけど、そういう能力を保持している人までが、その幻に付き合う必要は無い。
2chやニコニコ、はてなが全てという人は気を付けろ。それらと現実がリンクしているうちはいいが、それらの中だけで完結するようになるとアウトだ。
社会人(成れない人もいるが)にもなって幻を追ってる人は放置でいい。
学生やソレ以下の人達は何をして、どう幸せになっていくかよく考えよう。ネット上で虚勢を張るのはやめておこう。ネトゲなんかも危ない。
俺はうっかり、PC-VAN、NIFTY-SERVE、あめぞう、2ch、UO、Diablo II、RO、WinMX、Winny、FFX、はてな、その他もろもろに迷い込み、はまり込んでしまった。もうはまりはじめて10年以上だよ。10年。危うく性欲を"萌え"に奪われそうになったが、それはたまたまはまり込まずに済んだ。オンライン上で知り合った人ともよく酒を飲んだりメシを喰った。そうやって様々な人達と会って「世の中って結構、自由なんだ」と勘違いをして、会社で正論を振りまわし、会社に居られなくなって退職した。ブラックな転職を繰り返したが、最初の会社の上司があまりに見かねて、イイ就職を世話してくれた。
まともな会社に就職してからは、全てがうまく転がった。あれだけはまりこんだオンラインなんかクソの役にも立たなかった。リアルなツテ、リアルな友人こそが人生を豊かにする。webサービスなんて人生を豊かにはしてくれない。
1日3時間、オンラインで遊ぶとすると、3x365x10=10950 →約456日 この10年の間、456日間も無駄にした事になる。本当に無駄だった。リアルには役に立たず、人生において何の意味も無い情報は少々残ったが・・・
まあ俺みたいな人間もそうはいないんだろうが、まれに同じような人間を見かける。とても心配でならない。
とくに学生さんが心配だ。オンライン上のモノに感化されるなよ。
お父さん、お母さんが言っていた、「勉強して、いい大学に入って、いい会社に入ってお嫁さん貰って・・・」というのは本当だったよ。今、この現代でも、昔ほどではないが常識として通用すると言ってもいい。
自分はこれから、今までの自分のような人間をとって喰う仕事を始めました。とても気が引けるが儲かって仕方が無い。誰も気が付かない。見えないものを追いかけるのが無駄な事を。バカを喰うのは簡単です。喰われたくない人は勉強して下さい。学生のみなさん、賢くなければ喰われるだけです。気をつけてくださいね。
※追記
文中に明確に解るように書いておいたつもりですが、全ての人がそうであるとは思っていません。
俺に似たバカな人間が一部にいるから、同類は気をつけてちょうだいという話ですので。
なにこの子。こんなんでも出れるんじゃ、日本の大学たいしたことねーなやっぱ(これは冗談)。
一つの例が一つの例以上のものではないということを理解できない相手であるということを見抜けなかった私の不徳の致すところでございます。
いつでも撤回できる一例に過ぎなかったのであれば、なんでさっさと撤回しなかったの? ていうか撤回しておいて何を食い下がってんだか訳分からんのだけど。
何度も申し上げておりますように、あなた様が金以外に価値を認めないネオリベだと誤って想像したためでございますよ。むしろあなた様は万国の労働者団結せよの方でございましたか。
ていうか、俺がどういう思想の持ち主であるかとお前の主張が正しいかどうかは単に無関係だろ。
(英語云々について、脱線していることに気づいてないようなので指摘しておく)
英語が世界共通語になることの意義は、英語が機能的にその地位にもっともふさわしいか、とは別の議論だ。いや、俺は別に他の言語でもいいと思うけど。
というか、お前は英語が機能的でないから英語帝国主義に反対しているのか? 違うよな?
つまりあなた様は、一歩前進するためには欧米先進国様との間を正確に一歩保ったまま、三歩進んで二歩下がる必要があるとお考えですので?
50歩くらいあけられてるから、下がる必要ないよねw
奴隷制度や人種差別を容認していた欧米先進国様の偉大な思想家はいくらでもいたように愚考いたしますが錯覚でございましょうか。
それを少しづつでも克服してきたのも、欧米の思想だわな。日本の古典に何が出来るよ。
そりゃ、お前さんみたいに天下りに反動思想を通したい奴は欧米にもいるだろうけど、抵抗する思想も欧米にはあるねえ。
即ち、外国にある本物のエリート養成大学からは本物のエリートが量産され、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ閣下もその一人という理解で間違いございませんね?
だれが外国の大学を出れば全員エリートになるとかいったのかな?
そりゃいいとこの大学を出ても(出たのかな?)君のようにボンクラな奴はいるだろう。
俺は、優秀な奴が外国の一流の教育を受けてくれば、一流の成果が得られるだろうといってるだけだが?
私の知る限り、超一流大学でも超一流企業でもFortranを使わずに数値計算をしている人たちなどいくらでも多くございますし
数値計算に低水準処理が云々という寝言はどこへ行きましたか。レガシーな意味合いでFORTRANはきわめて重要な位置にあり、今でも環境によっては大いに現役で標準語だ、って事くらいは知ってるよな? 俺でさえ大学で一度は触ったぞFORTRAN。
数値計算の実習はFortranではなくCを用いましたが、これは恐らく私の幻覚だったということでございましょう、恐れ入りましてございます。
もしかしてFORTRANに触ったことない? そりゃモグリだわ。一度はやっときな。
で、Cも高級言語なんですが? つーか、C++とCのパフォーマンス差が問題になるような仕事をお前はしてるのか? いまどきその主張はちょっと時代遅れなんですが。
いや、そうじゃなくて。低水準な処理の意義を論じたいのならそういう舞台設定整えなきゃだめでしょうといってる。