はてなキーワード: JISとは
Sift-JISやCP932にある全角ローマ数字は日本語圏のローカルな文字コードなので、できれば汎用性の高い文字を使いたい。
そこで半角でIやVを打ちたい所だが、インターナショナルなUnicodeにも全角記号でローマ数字は存在するし、欧米でどうやってこれらが使われているかを詳しく知る必要がある。
コンピュータで文字を打つにしてもディスプレイに映し出したり文書として印刷したり、場合によってはアート目的でフォントをいじる可能性があるので、コンピュータ以外でどの様に使われていたかも留意していないといけないだろう。
思い当たる項目を挙げると、
だいたいWEBブラウジング中なんて検索文字入力する以外はマウスだけでじゅうぶん。
何十もあるリンク先をキーボード操作で延々探していって選ぶの?
そんなことしないでしょ。
それともいつもはキーボードに手を置いてて、
どっちにしてもずっとマウスを握ってる状態に比べたら
マウスとキーボードを行ったりきたりするのはとても無駄の多いことだよね。
例えば、ブラウザの戻る進むだけで、クイックイッと2ストロークさせて
いることに無駄を感じないのだろうか?
キーショートカットって基本的に「CTRL」を押す「文字キーを押す」
っていう2アクションだよね。
CTRLから離れたキーとかだと両手使ったりしないといけないし、
上の方のキーだとキーボードに目を落として場所を確認しなくちゃいけないこともある。
そういうことに無駄を感じないの?
それとマウスは片手で使える。
そんなわけでキーショートカットみたいにキーの場所を意識する必要もなく
とても直感的に操作できるんだよね。
キーボード入力ならJISかな入力、Windows操作のカスタマイズならAutoHotKey
という具合に工夫するものだが、その工夫が全くない人間もいるだなあと感心することしきり。
きみ、プログラミングとブラウジングを同じ土俵で考えてるでしょ?
プログラミングにはプログラミングの、ブラウジングにはブラウジングの
それぞれの特徴と効率の良さというものがある。
その特徴に合わせてキーボードなりマウスなりを使うのが「工夫」ってものだよ。
ただFireGesturesはたしかにちょっとやぼったくて使いづらい気はする・・・。
キーボードが一番便利。
好みは人それぞれと思うだろうが、物には限度がある。
マウスジェスチャが便利と言い張るのは、どうしても無理がある。
結局自分の慣れた操作が快適だと感じているだけであって、
「バカだねえ」「狭い世界で生きてるんだねえ」
と嘲笑の対象になる。
よほど狭い世界で生きていないと、そんなマウスジェスチャのような
不便な操作方法に落ち着くはずもないのだが。
マウスジェスチャが好きだと言ってる人に人気なFireGesturesだが、
なるほどキーボード操作を全く知らない人が飛びつくには恰好の対象である。
だが、このソフトをいくら使いこなした所で、せいぜい数倍の速度差に
なるだけで、もっと抜本的な速度改善には至らない。
例えば、ブラウザの戻る進むだけで、クイックイッと2ストロークさせて
いることに無駄を感じないのだろうか?
まあ、一般ユーザがそういう愚かな操作方法にハマるのならまだ分かるが、
高度なユーザがそういう操作方法にハマってるのを見ると、
本当に頭が大丈夫なのかと問いただしたくなる。
例えば、SEの知人はマウスジェスチャが自分にとって欠かせない存在と語り、
快適なパソコン操作には欠かせないと豪語していた。
まったく情けない話である。恥ずかしいことをよく言えたものだ。
こういう操作方法の個人差というのは、あまり伝達されにくいらしく、
親しい人間の間であっても、個人差が維持されることが多い。
そういう意味でも、デジタルディバイディングが存在しているということだ。
何よりも、操作方法というのは個人の慣れで選択してしまいがちだから、
仮に根本的に優れた代替手段があっても、それに乗り換える面倒さのほうを
優先してしまいがちになるのだよ。
とは言っても、自分で積極的にいろんな方法を試した人間であれば、
キーボード入力ならJISかな入力、Windows操作のカスタマイズならAutoHotKey
という具合に工夫するものだが、その工夫が全くない人間もいるだなあと感心することしきり。
バカは己のバカさを自覚できないからこそバカなのだから、
バカにバカと言ってバカさを自覚させることはできない。
だが、バカにバカと言ってバカな行為を辞めさせることならできる。
だから、これからも私はバカにバカと言って、マウスジェスチャを世の中から根絶したいと思う。
http://d.hatena.ne.jp/ogwata/20100119/p1
一往、俺の意見も内容一覧に載ってる様だな。唯、過激な方の意見のみ掲載されちまったのが残念だ。
俺は色々な意見を書いた中でこんな方向で検討してみたらどうかとも書いて出した。現状、法務省制定の「漢字の表」にしても、JIS規格の第1水準から第4水準にしても、収録された漢字には正字も在れば異体字もある。其れ等の漢字が一緒くたになって未整理のままになってしまって居る。手書きで使用できる漢字は一字種多字体でいいから、公的な場では正しい字体を選ばせられる様な、混沌の中に一本の筋を通せる漢字政策は出来ないものか。大体こんな感じの意見も書いたのだが、完全に無視されたみたいだ。所詮は石頭の集りだったか。字種の出し入れなんてどうでもいいんだよ。兎に角残念な話だ。
最後に一言。ogwataさんお疲れ様です。
学内Webメールシステムが、もろにCSRF&XSSのよわよわのシステムでした。NEC系のメーカーのASPだったようだけど。
WebメールにXSS&CSRFがあるというのは本当に最悪で、「開いただけでメールボックスやアドレス帳が全部どこかに送信されてしまう」ような攻撃メールが作れてしまうことを意味します。
で、担当部門がどこだかわからないのでメディアネットワークセンターというそれっぽい部署に教えてあげたんだけど、とにかく反応が遅い。対策の第一段階は即日システム停止することですよ、とまで書いてあげたのに。
2ヶ月たって何も修正がされないので、研究室内のゼミで発表してみました。情報系でも、知らない人はCSRFとか全然知らないからね、うちアルゴリズム系なのでみんな「Webってこんな攻撃ができるのか」って感心。教授はあわててどこかに電話。
そしたらすぐに、「どこがそんなにまずいのか」と相談の電話が折り返されてきて、(即時停止レベルだって教えたじゃん)と思いつつも、「このメールを開いた後、自分の送信箱を見てご覧なさい。見覚えのないメールが送信されていませんか?」と攻撃例を教えてあげました。寸止めかんちょー。
これで即時停止だろうと思ったら、結局それから4ヶ月間修正が入らないまま運営が継続、そして「これで直りましたよね」と連絡が来たのでテスト環境版を試してみると、この「修正版」は script タグを無効にするだけで onload とかまったく手を付けないザル修正でした。
それを指摘したらしぶしぶイベントトリガ系も消してくれたけど、CSSXSSとか不完全Shift-JIS文字とかexpressionとか知りもしないんだろうなー。セキュリティのこと知らないなら、HTMLメール扱う機能ごとばっさり削除が唯一の正解です。
本気でかんちょーしようと思えば簡単でした。自己増殖メールを誰かにぽんと送るだけでたぶん3日以内にメールシステムは麻痺して、実質停止に追い込めたはず。あ、それじゃかんちょーどころか直腸裂傷か。でも、それで全員のクオータがあふれてしまえば真に悪意のある攻撃メールを受信する余地なくなるし、セキュリティを保護できたことにならないかな。
で、本当にそれをしなかった理由はひとつだけ、攻撃テストメールを自分に送りまくっていたことがメールログに絶対残っているし、それで犯人とばれて退学とかいやだったから。うちの大学は中退じゃなきゃハクがつかないんです。
最近マークアップエンジニア志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去のHTML(特に90年代以前の仕様)を読んだことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。
例えば「マーク・アンドリーセンをどう思う?」と聞くと、「アンドリーセンって誰ですか?」という答えが返ってくる。「ヨスケの独自要素で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔のHTMLを見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「とほほでやっていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。
今の若い人の間では、HTMLを体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題仕様ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといて標準化団体ごと理解しようとする人はほとんどいない。
これは、ちょっと由々しき問題だと思わされた。HTMLは、もう長いこと(90年代の早い時期から)インターネットの王者としてあらゆるWeb関連技術の上に君臨してきた。だから、Webを作ることを仕事にしたいなら、何をするにせよ避けて通ることはできない。
HTMLは、表・画像・フォーム・音楽・デザイン・フレーム・動画など、さまざまな分野においてその時代々々に達成された最新の成果を持ち寄るようにして作られてきたところがある。だから、HTMLを読まずして現代のインターネットは語れないと言ってもいいくらいだ。
もし何かクリエイティブなことをしたいのなら、HTMLを読むことは欠かせない。また、単に読むだけではなく、それを包括的・体系的にとらえることも必要だ。なぜなら、HTMLを包括的・体系的にとらえることによって、現代のインターネットそのものを、包括的・体系的にとらえられるようになるからだ。そしてそうなれば、Webを作ることの道理や筋道が理解でき、何かクリエイティブなことをする上で、大きな助けとなるからである。
そこでここでは、昔のHTMLをほとんど見たことがないという人や、あるいはHTMLそのものもあまり見ないという人のために、これを見ればHTMLを体系的に理解でき、現代インターネットの成り立ちや実相までをも包括的にとらえることができるようになる、7本の仕様を紹介する。
ここで紹介するHTMLは、いずれも後のWeb業界に決定的な影響を与えたものばかりだ。これらが、HTMLという標準のありようや方向性を決定づけた。この7本を見れば、HTMLというのはどのようなきっかけで生まれ、どのような変遷を辿って、どのような足跡を残してきたかというのが、体系的に理解できるようになる。そしてそれが、世界のインターネット利用シーンにどのような影響を及ぼしてきたかということも、知ることができるようになるのだ。
まず最初は、ちょっと強引かも知れないけれど、第一次ブラウザ戦争前のHTMLをひとまとめにするところから始める。
80年代末にティム・バナーズ=リーの発明したHTMLというメディアは、その後『HTML 1.0』(1993年)『HTML+』(1994年)『HTML 2.0』(1995年)などの仕様で次第にそのスタイルを確立していき、マーク・アンドリーセンが一大産業として発展させた後、『HTML 3.0』に行き着く。そして幸運なことに、ここに集大成されるのだ。
ブラウザ戦争前のHTMLは、これ1本だけ読めば良い。このHTMLに、戦前のHTMLの全ての要素(属性)が詰まっている。このHTMLを見れば、HTMLのインターネットの王者としての風格、スターという存在の大きさ、作者以上にブラウザが重視される「産業」としての側面、お尻Pから終了タグ省略可へ・文字情報から画像付きへと移り変わった技術革新の変遷など、戦前のHTML史やWeb業界のありようが全て分かるのだ。
このHTMLの魅力は、説明し始めるといくら紙幅があっても足りないので、ここではその一端を紹介するにとどめておく……といっても、気の利いたことを言えるわけではない。『HTML 3.0』の魅力を知るには、まずは読んでもらうこと――これに尽きるからだ。そして、もし一度でも読めば、その魅力はたちどころに理解できるだろう。
『HTML 3.0』を見て驚かされるのは、現在のHTMLと比べても全く遜色ないところである。破棄されてから14年の時が経過しているが、現代人の読解にも当たり前のように堪えうるのだ。それは、逆にいえばHTMLというものは、今から14年前、つまりこの『HTML 3.0』が作られた時点で、様式として一つの完成を見たということでもある。
『HTML 3.0』は、HTMLという標準が到達しようとした一つの極みである。それゆえ、HTML史というものは、『HTML 3.0』以前と以降とで分けられるようになった。これ以降に作られたHTMLで、『HTML 3.0』の影響を免れたものはないからである。
iモードが世界のHTML史に与えた影響というのは、一般に理解されているよりもはるかに小さなものである。日本人というのは、「日本の技術が世界に影響を与えた」というと、なぜか鼻高々と聞いてしまうところがある。「日本はガラパゴス」という言葉は聞いたことがあっても、「それって日本人が過小評価しているだけじゃないの?」と、眉に唾をしてとらえるところがある。
しかしiモードは、真に日本のHTML史を塗り替えたサービスの一つである。特に、このサービスの後世に与えた影響には、本当に計り知れない大きさがある。
iモードは、ドコモのメインストリームだったポケットベルが、それまでの栄華の反動で深刻な低迷期に陥っていたPHS流行後すぐの時期、そんなポケットベルに取って代わって、日本で最も輝いていた携帯サービスであった。それゆえ、広末に見蕩れた世界のHTMLファンたちは、iモードのWebサイトを見ることによって、失われかけていたWeb制作の魅力を再発見することにもなったのである。
iモードは、没落したHDMLに変わってモバイルWebの命脈をつなぎ止めた、言うならば救世主のような存在であった。海外のモバイル陣営が営々と築きあげてきたそれまでの栄光を切り捨て、日本の後代へと引き継いだ重要なリレー第一走者としての役割を、HTML史において担ったのである。
そして、そのバトンを受け取った日本の若きWebデザイナーたちが、2000年代に入って雨後の竹の子のように現れたことで、モバイルWebは鮮やかな発展を遂げる。だから、もしiモードが存在しなければ、HTMLの様相は今とは違ったものになっていたかもしれないのだ。
そんなiモードHTMLのバージョンはいくつもあるのだが、中でも特に多くのHTMLファンを――取り分け日本の若きWebデザイナーたちを魅了したのが、この『Compact HTML』である。この仕様の一番の魅力は、なんといってもその大胆に構築されたW3C Noteであろう。HTML史において、これほど拡張多く適当なディテールで構成されたNoteは他にない。そのためこのNoteは、これ以降無数に手本とされ、真似され、拡張されることとなるのである。
正字正仮名の影響を受けた日本の若き日記書きたち――言うなれば「CSSコミュニティ」――が頭角を現す直前のW3Cで、HTML史に乾坤一擲の巨大な爪痕を残した1本の仕様が誕生する。
この時期、情報技術の進歩によって、HTMLにもさまざまな新しいテクノロジーがもらたされていたのだが、それらを十全に取り入れたばかりではなく、縦横に駆使することによって、これまでとは全く違った国際化、全く違ったアクセシビリティ体験を生み出すことに成功したのが、この仕様『HTML 4.0』を勧告したWorld Wide Web Consortiumである。
『HTML 4.0』は、HTML史において最も革新的な仕様の一つとなった。この仕様に初めて触れた当時のWebデザイナーたちは、そのあまりの目新しさに度肝を抜かれた。そこでは、これまで全く見たことのないマークアップがくり広げられていた。そのため、これまで想像さえしたことのなかった全く新しいHTML体験を、そこで味わうことになったからである。
W3Cの果たした一番の功績は、テクノロジーとHTMLを見事な調和をもって融合させたことだろう。例えばそこでは、「スタイルシート」という新しい技術のデザインと、それでレイアウトされたページが閲覧者に与える独特の感覚というものを、双方ともに熟知していた。だから、それらを効果的に融合させることによって、全く新しいHTML体験を生み出すことができたのである。
この仕様『HTML 4.0』には、そうしたテクノロジーとHTMLとの融合が、至るところに散見できる。その数の多さとクオリティの高さによって、HTMLはここに、新しい時代の幕開けを迎えるに至ったのである。
先に述べた「CSSコミュニティ」がWeb日記業界に論争をもたらすのは、2000年代に入ってからのことである。そして、そのきっかけとなったできごとの一つが、1947年生まれの非政府組織で、IECとも協力した生粋の工業標準化団体であった国際標準化機構が、この仕様『ISO/IEC 15445:2000 (ISO-HTML)』によって成功を収めたことである。
このHTMLは、単にJIS的に標準化しただけではなく、文化的な意味においても、フラットでリニアな構造の力を広く世界に知らしめることとなった。この仕様の成功によって、世界の人々は、レベル付けされた見出しの魅力の大きさを知る。そしてそれが、やがて見出しのレベル分けが世界のスタンダードとなり、誰もが当たり前のように使う状況を育んでいくのである。
またこの仕様は、CSSコミュニティそのものにも大きな影響を与えた。この仕様の成功に刺激を受けた才能ある若きコミュニティ住人たちが、その後立て続けに台頭し、いくつもの名サイトを生み出していくからである。
それらが相まって、やがてCSSコミュニティは空前の黄金時代を迎えることになる。その端緒となり、道筋を切り開いたのが、他ならぬこの『ISO-HTML』なのだ。
『HTML 4.0』で繁栄の足がかりを築いたW3Cは、この仕様『XHTML 1.0』によって、ついにその栄華の頂点に達する。そして、それを成し遂げたメタ言語も、W3C勧告のの一つであり、また『HTML 4.0』を作ったSGMLの改良でもあった、Extensible Markup Languageであった。
この勧告は、史上最も商業的に成功した仕様となる。そのためこれ以降、この勧告にならって商業的バズワードを盛り込んだ仕様が数多く作られるようになり、しかもそれらが、実際に大きな商業的話題を集めていくのだ。すると、そこで生み出された多くの意見は、やがて再びW3Cに還元され、さらなる発展をもたらすことにもつながった。
そんなふうに、この仕様がきっかけとなってW3Cにもたらされた意見は、HTMLという言語を変革させていくことになるのだが、それに伴って、HTMLそのものにも大きな革新をもたらすことになる。
その変革も、他ならぬW3Cの手によってなされた。ここで『XHTML 1.0』の成功によって手にしたメンバーをもとに創設した文書マークアップの開発集団「HTML Working Group」が、より魅力的な拡張性を追求していく中で、やがてM12n(モジュール化)という技術の開発に至るのである。するとそれが、これまでのHTMLを一変させたのだ。
M12nは、HTMLに魅力的かつ効果的な特殊語彙を、DTDでしかも複雑怪奇にもたらすことに成功した。おかげでそれは、あっという間に世界から見捨てられていった。そのため今では、M12nの使われているHTMLを探す方が難しくなったくらいだ。それくらい、この『XHTML 1.0』がWeb業界にもたらした変革には、大きなものがあったのである。
2000年代以降、繁栄を謳歌したW3Cは、しかしその栄華の大きさゆえ、00年代中盤に入るとそれを存続させることに力をそがれてしまい、革新的な仕様はなかなか生まれてこなくなった。
しかし、そんな時代が5年は続いた00年代の後半になって、今度はその栄華のただ中で育った新しい世代のHTML WGメンバーたちが台頭してくることにより、再び変革の時を迎えることとなる。
その新しい世代のHTML WGメンバーとは、マイクロソフトやモジラ・ファンデーション、オペラらに代表される「ブラウザベンダ」と、無関係な編集者たちであった。
彼らに共通するのは、文書構造に不必要なものなら全て――とるに足らないガジェット的なものまで含めて――残らず切り離そうとする「オタク的な性質」を持っていたことだ。
彼らは、それまで見過ごされがちだったHTMLの些末な要素にスポットを当て、それを別仕様に押し出すことで、従前とは一風変わった、新たな魅力を持った草案を生み出していった。そして、その真打ち的な存在として00年代の後半に登場したのが、XHTML2 Working Groupだ。
XHTML2 WGは、特に99年に最後の草案が作られたこの仕様『XHTML 2.0』によって、オタク的なHTMLの楽しみ方が、一部のマニアだけにとどまり、それ以外の多くの人たちには受け入れられないことを証明してみせた。この失敗が、デ・ファクト的な新生HTML WGにさらなる脚光を浴びせることになったのはもちろん、それに影響を受けたWeb WorkersやDOM Level 3 Eventsといった、次世代のWeb標準たちの誕生にもつながっていったのである。
最後は、第二次ブラウザ戦争の集大成ともいえるこの仕様である。
『HTML5』は、HTML史においては『HTML 3.0』と同じような意味を持つ。つまり、それまでのHTMLの要素が全て詰まっているのだ。この仕様を見れば、それ以前のHTMLの歴史というものが全部分かる。
『HTML5』には、HTMLのあらゆる要素が詰まっている。ここには、『HTML 3.0』のような歴史的な仕様としての「総合性」があり、『Compact HTML』のような「実装の実在さ」がある。『HTML 4.0』のような「マルチメディアとアクセシビリティの融合」があり、『ISO-HTML』のように「セクション構造の魅力を全世界に知らしめ」た。また、『XHTML 1.0』のように「バズワード的に成功」したのはもちろん、『XHTML 2.0』が別仕様に押し出した「オタク的ガジェット」にも満ちている。
全て詰まっているのだ。なんでもあるのである。つまりこのHTMLは、『HTML 3.0』と全く同じ意味合いを持っているのだ。HTML史というものは、『HTML5』以前と以降とで分けられる。これ以降に作られるHTMLで、『HTML5』の影響を免れるものはないであろうからである。
以上、これさえ読めばHTMLを包括的・体系的にとらえることができる7本の仕様を、制作された年代順に紹介した。
こうして見ると面白いのは、歴史的に重要な仕様は、必ずしも定期的に現れるのではなく、あるところでは連続しているし、あるところでは長らくなかったりすることだ。それはまるで「素数の分布」のようだ。一見規則性はないように見えるものの、何かしらの法則が隠されているようでもあり、興味深い。
それから、ここに挙げた仕様は、いずれも「読むことによって他の仕様にも興味が移行する」ということを念頭に選んだ。
例えば、『HTML 3.0』を読んだならば、ブラウザ戦争前夜の独自HTML拡張に自然と興味がいくだろうし、『Compact HTML』を読んだなら、iモードのそれ以外のバージョンのHTMLも見たくなるだろう。CSSコミュニティについてもそれは言えるし、『ISO-HTML』を読んだなら、このHTMLを流行らす土壌ともなった「フラットでリニアな構造」というムーブメントにも自然と興味がわくはずだ。さらには、『XHTML 1.0』はXMLオタクになるきっかけになるだろうし、『XHTML 2.0』はその他の「オタク的なXML EventsやXForms」の仕様も見たくなるという効果を持っている。
ただし、最後に選んだ『HTML5』だけは、こうした例とは別に考えなければならないかも知れない。なぜならこのHTMLは、完成度があまりにも高いために、これを見た後に他のHTMLを読むと、どうしても物足りなく感じてしまうからだ。
しかしいずれにしろ、これらの仕様を読むことによって、HTMLをさらに愛さずにいられなくなるのは疑いない。そしてまた、これらの仕様を読むことによって、HTMLを包括的・体系的に見る目を養ってもらえれば、その後のクリエィティブな活動にも、大きな助けとなるはずだ。
上に挙げた仕様への理解は、以下に紹介する著作を読むことによって、さらに深まる。これらを読むことによって、ぼくは「HTMLを体系的に見るとはどういうことか」を学んできた。
高校時代に読んだこのサイトによって、「リソースとは何か」ということを、ぼくはを知った。
「HTMLはSGMLの応用だ」ということが、このサイトを読むことでよく分かる。何気なく見ていた省略記法でも、その裏には、実にさまざまな技術や、それを開発してきた歴史というものが隠されていた。
世界がCSSコミュニティの何に驚かされたかといえば、それはやっぱり精緻に書き込まれた正字正仮名にだ。ノジタンの日記には、HTMLの本質が詰まっている。だからこそ、あれだけ多くの日記で多くのコミュニティ住人に、言及されたり模倣されたりしたのだ。
ここでは取りあげられなかったのだが、とほほ氏がHTMLというジャンルに及ぼした影響にも、本当に大きなものがある。そして、ぼくが上に挙げた感想のいくつかは、このサイトに書かれていたばけらさんとの「スタイルシート論争」を参考にしたものなのだ。
これらのサイトを読めば、どんなHTMLが素晴らしく、どんなHTMLがそうではないというのが、よく分かる。その判定基準を知ることができ、審美眼を養うことができるのだ。なにしろ、あのCSSコミュニティ住人の言うことなのだ。これにまさる教科書は、他にはない。
【元ネタ】
http://anond.hatelabo.jp/20090914132607 の増田です。
こんな話きいても面白いと思ってくれる人いるわけねーだろ、みたいなテーマで調べものをしてます(本業はというと不景気で自席待機中、次の派遣先は決まらないかもしれない)。自分が首になって家内ともども路頭に迷うかもしれないのに、不思議と危機感がなくて。
CiNii のサイトにいくと、とある学会誌の創刊号から何年かが全部無料公開されてて、創刊号にはなんと当時の科学技術庁長官、中曽根康弘氏が祝辞を寄せてるわけです(さてどこの雑誌でしょう)。とある単語をさがしてその検索のきかない pdf を延々延々「目 grep」してます。で、二段組みなので狭い画面で見ると
と2passかかる。疲れ目がひどくてブルーベリーのサプリがありがたい。
あと JIS の規格票とかも検索するのですがこの検索がまた動きが微妙なんだ。
資料の探索範囲はストーリーが見えてくるに従って広がっているのですが、なんか自分の知識には主に理論面であちこち欠落があって、定番的教科書に何が書いてあるのか知らないままやっているもので、あちこち致命的ではないもののぼろが見えてきて、それを全部繕ってるといつまでも終わりそうになくて、しょうがないから切り捨てたりごまかしたりして、まあ本に書いてないような新事実もちょっとだけ確認はしたものの。
結局やってることはといえば、安楽椅子、もしくはマトリックス内歴史家で、pdf になってないものにはほとんど手が届いてない。
要するに、キーパーソンにアポとるのが怖いんです。勉強不足を pgr れて瞬殺されるのが怖いんです。自分が持って行った新事実を喜ぶどころか不機嫌な顔で、おまえうざい、って言われてすべてが終わりになる恐怖がいつまでも去りません。円満退社したとはいえ古巣の元上司に「いまは職を転々としながらこんな金にならないことにまで手を出してます」と自己紹介するのもこわいし、要するにすべてが怖いです。
私ごときが全てを知ろうなんておこがましいんですが、何の権利があって、自分の先生でもない人に質問をするのか、その根拠が見えません。
まあ恥を晒し大失敗するしかないんだろうけど。
当方Web屋、小さい会社でデザイン、HTML&CSSコーディング、暇あればPHPやってます。
新卒入社1年なるしそろそろまたスキルアップにとCGアーツ協会のWebデザイン検定3級取得に次いで
噂のWebデザイン技能検定(今期で4回目の開催)こっそり受けて来たよ。
Web上の過去問を見てこれは無勉でも受かるなと思ってすぐに申し込んで
前日薄っぺらい参考書をさっと眺め意気揚々と突撃。
これはもしかすると落ちたかも分からんね。
実技
・Windows(XPSP2)かよ
学科
総合的な敗因はどうみてもネットも含め便利ツールに頼り過ぎてた。
学科はともかく実技はそれが顕著で隣の人の作業速度に付いてけず序盤頭真っ白、回答よく見直す暇なく終了
何度試行錯誤のショートカットキーを試みて失敗したか。
ああもうやだやだ。
以下のポイントを読んでピンと来たのだが,もしかして元増田が通ってるのって,宮城県にある大学じゃない?
確信度80%ぐらいなのだが,もし当たってると仮定すると,4年生までずっとそんな感じです.残念ながら.
あんまり書くと特定されるのですが、富士通の親指専用キーボード&親指仕様LIFEBOOK持ちです。
エミュレーションというよりも専用ハード&専用ドライバで親指シフト対応しているので、
自分の手元ではわざわざエミュレータを使っていない&対応していないのです。
飛鳥に手を出さない理由を、強いて言えば、
??食わず嫌い
??「いろんな親指配列」で頭が混乱するのを避ける
??飛鳥に興味を持った当時、まだOASYS専用機/FMRを使っていた
??FMVTW-KBS/FMV-KB611の場合、専用ドライバを使わざる得ないのでエミュレータが使えない
??LIFEBOOK以降のノートは、ハード自体は汎用だけど専用ドライバを使わざるを(以下略
??については、体験的な感想ですけど、キーボードを見た瞬間に、
「己はいまから親指で打つのか?ローマ字で打つのか?」を判定しているようなのです。
エミュレータを走らせている計算機の前に座って、頭では「親指打ちできる環境」とわかっていても、
キーボードを見てしまった瞬間から「ローマ字打ちの環境だな、よしローマ字打ち」と指が動いてしまいます。
また、もともとJISかな打ちだったのですが、親指への移行期の当初に「あれ?どっちだったっけ?」と混乱した
記憶があるので、やはり「かな打ち」を共存させることに抵抗があります。
東京大学入学者の70%以上が上層ノンマニュアルの子弟 shift-jis
専門・管理職としてくくられる上層ノンマニュアル(医師、弁護士、大学教授などの専門職や、大企業、官公庁の管理職、および中小企業の経営者など)と呼ばれる階層の出身者の割合が、
すでに1970年代から一貫して、ほとんど大きな変化もなく、高い値を示していることである。
この20年間に、公立高校から東京大学に入る者の割合は、70%から50%へと大きく変化した。
かわって、私立高校の出身者は、30%から50%へと大幅な増加を示す。
しかしたとえ、どのような高校を経由してこようとも、もともとの出身階層の構成比率自体にはこの間ほとんど変化が生じなかったということである。
・・・東大入学者は、私立高校の出身者の寡占状態を生み出すずっと以前から、すでに特定の社会階層出身者の寡占状態となっていたのである。
苅谷氏は『大衆教育社会のゆくえ』の中で、「SSM調査(社会階層と社会移動全国調査)」において、
尾嶋史章氏が1990年にいわゆる一流大学(旧帝大、東工大、一橋大、神戸大、東京外大、大阪外大、早稲田大、慶應大)の親の職業を調査し、
上層ノンマニュアル(医師、弁護士、大学教授などの専門職や、大企業、官公庁の管理職、および中小企業の経営者など)の出身者がどれくらいか分析した調査結果を紹介し、次のように分析している。
戦後生まれの若い世代である第三コーホート(四六??五五年生まれ)と第四コーホート(五六??六五年生まれ)の比較である。
入学者からすれば、第三コーホートの多数は、いまだ私立の六年生一貫校が隆盛をきわめる以前の、公立高校優位の時代に入った世代といえる。
(中略)この世代と、私立高校が有力になっていく次の世代とを比べると上層ノンマニュアルの親をもつ割合は、ともに七五%とまったく差がない。
つまり、東大だけではなく、それより範囲を広げた「有力大学」への入学チャンスをみても、私立高校が有力になる以前から特定の階層の出身者が入学者の四分の三を占めるという「寡占」状態が存在していたのである。
家庭が裕福なほうが高学歴を得やすいという話をしているのだが?
単純に進度が速いのだ。
公立高校生が3年間一杯一杯で学習するまでの内容を、多くの有名私立高校では2年の終わりか3年のはじめで終了させてしまう。
夫の学歴が高卒で、妻の学歴が大卒、結婚の同類婚指数は0.19
ちょ、ブックマ増えてるしw
そんなことしたら兄ちゃん改定しちゃうぞっ!
| 0.25 | 1/4 |
| 0.301 | log10 2 |
| 0.477 | log10 3 |
| 0.50 | 2/4 |
| 0.683 | 正規分布において±1σに含まれる確率 |
| 0.75 | 3/4 |
| 0.785 | π/4 |
| 0.954 | 正規分布において±2σに含まれる確率 |
| 0.997 | 正規分布において±3σに含まれる確率 |
| 1 | n/n n0 log10 10 |
| 1.12 | 標準数R20の1番目 101/20の近似 |
| 1.25 | 標準数R10の1番目 101/10の近似 約5/4 |
| 1.41 | √2 一夜一夜 |
| 1.60 | 標準数R5の1番目 101/5の近似 |
| 1.73 | √3 人並みに |
| 2.00 | 21 R10の3番目 |
| 2.24 | √5 富士山麓 |
| 2.50 | R5の2番目 |
| 2.72 | 自然対数の底 e |
| 3 | 12/4 |
| 3.14 | 円周率 π |
| 3.15 | R10の5番目 |
| 4.0 | 22 12/3 R5の3番目 |
| 5.0 | R10の7番目 |
| 6 | 12/2 |
| 6.3 | R5の4番目 |
| 8.0 | 23 R10の9番目 |
| 10 | 十進法の底 |
| 12 | 1ダース |
| 16 | 24 16進数の底 |
| 24 | 2ダース |
| 32 | 25 |
| 36 | 3ダース |
| 48 | 4ダース |
| 60 | 5ダース |
| 64 | 26 |
| 72 | 6ダース |
| 96 | 8ダース |
| 128 | 27 |
| 144 | 12ダース |
| 256 | 28 |
| 1024 | 210 |
| 65536 | 216 |
| 1048576 | 220 |
| 16777216 | 224 |
| -273.15 | ℃ | 絶対零度 T |
| 6.626e-34 | Js | プランク定数 h |
| 0.1013 | MPa | 大気圧 P0 |
| 0.75 | kW | 1馬力の近似値 3/4 |
| 1.38e-23 | J/K | ボルツマン定数 k |
| 1.40 | 乾燥空気の比熱比 κ ちょっと混ざったらしいw | |
| 4.19 | J/cal | 熱の仕事当量 J 水の比熱に等しい |
| 7.86 | g/cm3 | 鉄の密度 |
| 9.81 | m/s2 | 重力加速度 g |
| 22.4 | L/mol | 標準状態における理想気体の体積 V0 |
| 25.4 | mm/inch | 1インチの長さ |
| 299792458 | m/s | 光速 c |
| 6.022e23 | mol-1 | アボガドロ数 NA |
他。
インターネットホームページの住所にあたるドメインで、国内の個人や団体に割り振られる「.jp」の登録数が1日現在で100万3285件と、100万件を超えた。「.jp」のドメイン名を管理する日本レジストリサービスが4日発表した。1年前の同時期から約10万件増えた。個人がブログで情報発信を進めていることなどが増加につながっているという。
電網基点頁の住所にあたる域で、国内の個人や団体に割り振られる「.jp」の登録数が1日現在で100万3285件と、100万件を超えた。「.jp」の域名を管理する日本レジストリサービスが4日発表した。1年前の同時期から約10万件増えた。個人が電網日記で情報発信を進めていることなどが増加につながっているという。
こんな感じ?
一応JISのX0001からX0020に情報処理用語ってのがあるんですけどね。昔に決まったのは、たまに新聞にある「読み出し専用外部記憶装置」とか、そんな奴だったりする。
単に裕福な家庭の子が進学で有利というだけでなく、
文化資本(上品で正統とされる文化や教養や習慣等)の保有率が高い学生ほど高学歴であることを統計的に証明した。
またその子供も親の文化資本を相続し、同じく高学歴になることも統計的に証明した。
彼はこれを文化的再生産と呼んだ。特権的文化の世代間継承と、学校がそれに果たす役割を解明。
社会構造が再生産され変化するメカニズムについて考察し、現象学的主観主義を発展させることも目指した。
「客体化された資本」(家庭の中にある文化的なもの、本、楽器、美術・骨董品、蔵書等)、
「身体化された資本」(ハビトゥス;慣習行動を生み出す諸性向、「構え」「ふるまい」)
の3つの客体がある。
[フィンランド教育][ゆとり教育][詰め込み教育][つめこみ教育]
Amazon.co.jp: 封印される不平等: 橘木 俊詔, 斎藤 貴男, 佐藤 俊樹, 苅谷 剛彦: 本
上層の出身階層で育った子弟は、その家庭環境からして教育を受けることをはじめとして、
低い階層の子弟ではそれが弱くならざるをえない。
「落第しない程度の成績でよい」と考えている比率は、低い階層の子弟ほど高い。
私は短大のときの私と何か変わった訳でもないのに、扱いが変わる
[書評]私、おバカですが、何か? 偏差値40のかしこい生き方(深田萌絵): 極東ブログ
本当に食べていくだけで精一杯だったんです。そんな鼻つまみ者扱いが、
大学が決まっただけで「あ、早大生なんですね」って周囲は好意的に受け入れてくれるようになったんです。
決して「早稲田大学が日本一の大学です!」、「学歴がすべてです!」なんて思っているのではなく、
ある程度の大学にいるというだけで、社会的な信用度が大きくなり、
有名大学って入ってみるとお得な身分だなって、つくづく思います。
それまでの「え、○○短大卒なの?」って眉をひそめられていたのとは違う現実を突きつけられる。
社会って、不思議な世界で、私は短大のときの私と何か変わった訳でもないのに、大学の看板があるだけで扱いが変わるんですね。
「社会は、人々に機会を均等に与えるべきだ」という理念があるはずなのに、現実はまったく違います。
でも、大学の看板ひとつで、今まで得られなかった幸運やチャンスが巡ってくるなら、有名大学に行くのって悪くありません。
首都圏の高校では新入生の半分が学費を払えないために退学するところもあると報じていた。
asahi.com(朝日新聞社):地デジ受信機支給へ 生活保護107万世帯に - ビジネス
足立区の小中学校に通う児童生徒の成績は、いずれの教科でも東京都全体の平均点を下回り、都内23区中最低ラインだった
有名大学付属校ライフ、トータルでおいくら? お受験ブランド校・学費比較!
16年間
1700万円
幼稚舎出身の著名人
幼稚舎教育の大きな特色に、「6年間担任持ち上がり制」があります。
入学から卒業までクラス替えがなく、基本的には担任も替わりません。
「幼稚舎の歌」
福澤の 大先生の
お開きなさった 慶應義塾
東京大学入学者の70%以上が上層ノンマニュアルの子弟 - shift-jis
専門・管理職としてくくられる
上層ノンマニュアル(医師、弁護士、大学教授などの専門職や、大企業、官公庁の管理職、および中小企業の経営者など)と呼ばれる階層の出身者の割合が、
すでに1970年代から一貫して、ほとんど大きな変化もなく、高い値を示していることである。
この20年間に、公立高校から東京大学に入る者の割合は、70%から50%へと大きく変化した。
かわって、私立高校の出身者は、30%から50%へと大幅な増加を示す。
しかしたとえ、どのような高校を経由してこようとも、もともとの出身階層の構成比率自体にはこの間ほとんど変化が生じなかったということである。
・・・東大入学者は、私立高校の出身者の寡占状態を生み出すずっと以前から、すでに特定の社会階層出身者の寡占状態となっていたのである。
家庭の所得が高いほど、また親の学歴が高いほど、子どもの成績がいい
東大入学を有利にしているのは、「上層ノンマニュアル」の財力だけではない。
先の調査で示した20年間に、公立高校から東大へ入学する者の割合は70%から50%に減少した。
つまり、東大入学者の出身校が教育費の安い公立から高い私立へと移行しても、保護者の職業構成は全く変わっていないのだ。
これは、財力以上の文化力、すなわち、眼に見えない「階層」が、そこに存在していたことを示している。
苅谷氏によれば、「家庭の所得が高いほど、また親の学歴が高いほど、子どもの成績がいい」という事実は、学者の間では一種の「常識」だったという。
しかし、そうした事実は、高度成長が始まる直前の1950年代後半から90年代後半まで、まるで存在しないかのように無視され続けてきた。
家庭が裕福なほうが高学歴を得やすいという話をしているのだが?
単純に進度が速いのだ。
多くの有名私立高校では2年の終わりか3年のはじめで終了させてしまう。
単純に早く終わるというだけでも、
ぎりぎりまで受験範囲の学習に追われるよりもアドバンテージはあるし、
演習などの受験対策も行なってもらえる。
東大は
お金持ちが多く、
東大入学者の保護者の職業構成を、「東京大学生活実態調査」に基づき、20年にわたって調べたデータが紹介されている。
医師、弁護士、大学教授などの専門職や、大企業・官公庁の管理職、および中小企業の経営者などの
「上層ノンマニュアル」が約7割を占めている。
苅谷氏は『大衆教育社会のゆくえ』の中で、「SSM調査(社会階層と社会移動全国調査)」において、
尾嶋史章氏が1990年にいわゆる一流大学(旧帝大、東工大、一橋大、神戸大、東京外大、大阪外大、早稲田大、慶應大)の親の職業を調査し、
上層ノンマニュアル(医師、弁護士、大学教授などの専門職や、大企業、官公庁の管理職、および中小企業の経営者など)の出身者がどれくらいか分析した調査結果を紹介し、次のように分析している。
戦後生まれの若い世代である第三コーホート(四六~五五年生まれ)と第四コーホート(五六~六五年生まれ)の比較である。
入学者からすれば、第三コーホートの多数は、いまだ私立の六年生一貫校が隆盛をきわめる以前の、公立高校優位の時代に入った世代といえる。
(中略)この世代と、私立高校が有力になっていく次の世代とを比べると上層ノンマニュアルの親をもつ割合は、ともに七五%とまったく差がない。
つまり、東大だけではなく、それより範囲を広げた「有力大学」への入学チャンスをみても、私立高校が有力になる以前から特定の階層の出身者が入学者の四分の三を占めるという「寡占」状態が存在していたのである。
(450万未満が10.1%、450万以上~750万未満が18.2%、
750万以上~950万未満が15.2%、
950万以上~1050万未満が22.6%、
1550万以上が10.6%)また、
注4)飛びぬけて年収が多い層があるため中央値はもう少し低いと思われるが、それでも
【東大生≒富裕層】中高一貫私立出身が半数以上、親の年収高水準 東大の学生実態調査★2
東京大学の学生のうち、中高一貫私立校の出身者が初めて半数を超えたことが、同大が実施した
2002年の学生生活実態調査で分かった。親の平均年収は相変わらず1000万円以上の高い水準だった。
調査を担当した市川伸一教育学研究科教授は「公立高校出身の学生も大勢おり、
http://anond.hatelabo.jp/20070826235204
夫の学歴が高卒で、妻の学歴が大卒、結婚の同類婚指数は0.19
Amazon.co.jp: 階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ: 苅谷 剛彦: 本
Amazon.co.jp: 大衆教育社会のゆくえ―学歴主義と平等神話の戦後史 (中公新書): 苅谷 剛彦: 本
Amazon.co.jp: 格差が遺伝する! ~子どもの下流化を防ぐには~ (宝島社新書): 三浦 展: 本
裕福でないと大学にいけないという幻想 - odz buffer
http://anond.hatelabo.jp/20070917212014
うおお、口出ししやすい話題だとは思ったが、予想外に反響がでけえ……。
全レスするのも野暮、ってのは増田の文化かどうか分からんが、まとめがてら印象の強い意見だけ引用・反応するぜ。
コンマピリオドを強制されるシーンがある人間(研究者など)が、IMEをコンマピリオドで設定してそのまま運用している、というのが一番説得的というか、ぶっちゃけあーそりゃそうだな、と思わされた。
anond:20070917212423 や anond:20070918044811 のほかブクマのRion778氏やvsa氏あたりがこの系統。
一方で「ルール」だとして認識しているひとがちらほらいる印象。
同数程度「趣味」として自分の句読点スタイルを持っているひともいるようだ。
読む側としては、ブクマのyokochie氏が言うとおり「どうでもいい」「気にしたこともない」がサイレントマジョリティか。
anond:20070918004559 が教えてくれたサイトによれば、つまるところ横書きのルールは未だカオスだと。
政府発祥でコンママル(,。)派、マスコミ発祥でテンマル(、。)派がいて、それとは無関係に医学なんかではずっとコンマピリオド(,.)派で通してる。
で、だけどどれが正しいということもなくて、政府の公文書でも実際の運用はばらばらだと。
ただ縦書きはテンマル(、。)が正道らしいと。
んで公用文向けなんかのコンママル(,。)派に関して言えば、finalvent氏の引用(http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070918/1190070394) によるとその正確な定義がJIS Z8301にあると。
そもそも教科書の横書きはテンマルじゃない、との指摘もあって、振り返るとそうである気もする。まじか。
ついでに言うと縦書きに関しては、テンマルでどこからも文句が出ないらしいということも分かった。
縦横で統一が取れている方が合理的だ、というやや後付け感の漂う理由により、やっぱりテンマル派を通す。
ブクマのkana-kana_ceo氏に同意するというか。
ただ anond:20070918113359 の鋭い指摘の通り、俺も英単語に続くテン「car、cdr、cons」は気持ち悪いと思ってきた。
例外として今後しばらく「英単語の後だけは(半角)コンマ派」という運用を試す。
これはこれで気持ち悪かったら……その時に対処を考えよう。
本来は縦書きであるべき日本語が
って言われても、現実問題として今更横書きなくせないよな。
最低でも縦書きで数式の(合理的で読みやすい(慣れの問題もあるが))記法が定義されて普及しない限り、理系の文章はどうにもならん。
http://b.hatena.ne.jp/tosik/20070918#bookmark-5907131
読む人がこの人のように思っちゃうことで文脈以外の必要以上の情報を生み出す可能性
ってのはやっぱあるよな。自分でも本質的でないところに反応してるっつー自覚はある。
本質的でなさすぎて研究室とかで話題に出せないから、ってのが増田で書いた理由だったりする。
http://b.hatena.ne.jp/usai/20070918#bookmark-5907131
http://b.hatena.ne.jp/jyakky7/20070918#bookmark-5907131
全面的に同意。ただやっぱり、俺みたいに「気にする」人間はマイノリティだろうから実現はするまい、という一抹の哀しさが。
最後の長音を伸ばさずに書く連中
正直笑った。痛いとこ突くじゃないか。俺も指針が統一できずにいつも迷うクチだ。
森博嗣はその点徹底してて、自作にストーカ、とかハンマ、とか平気で書くが、あそこまで割り切れない。
あと長音の省略の仕方にはJISに規格があって、とは聞くんだが俺はまだ読んでないぜ。
なんで「??」(Windows標準キーボードから入力できる全角の波線)が出ないかについては、JISがいけないとか日本語Windowsがいけないとかそういうような事情があって特段増田がタコとかわんぱく尊師が手抜きとかそういうわけではない(というか原理主義的には姑息な処理を入れたりしたくないのだろう)のだが、と、いうような、前置きはさておき。(興味があるなら波ダッシュ@Wikipedia あたりを見てみるといい。過去増田とかも。)
日記を書くモードで「~」と書いておくと、その部分が「~」になる。辞書に単語登録しておくのが増田通のやりかただそうだ。「にょろ」とか「なみせん」なんかで登録する人が多いらしい。
ちゃんと表示されている他増田の「~」をコピペでもいいっちゃいい。(※駄目な場合もあるそうです)
あと、蛇足だが、いきなり[この内容を登録する]ボタンでなく[確認する]ボタンを押せば、波線がちゃんと書けてるかどうかぐらいのことは確認できるから、活用するといいと思う。