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はてなキーワード: 遺言とは

2023-12-02

ミツカンの件

気になって調べたことを淡々メモしておく

2023-10-23

anond:20231023013208

俺も思った

からちょうど30年後にこれを着るのよ、って遺言だったならともかく

2023年10月にこれを着ることを選んだのはこの人じゃんね

2023-10-13

棺桶オムレツにして包まれたい

俺が死んだら、棺桶代わりにオムレツに包んでほしい

一流のシェフを呼んで、切ったらトロトロが出てくるタイプオムレツを作ってもらう

葬式の時に、司会に「最後にお顔を見てあげてください」と言ったら、妻がナイフオムレツに切れ目を入れる

するとオムレツがパカッと割れて、中から俺が出てくる

あなた!大好きなオムレツに包まれてよかったね!」と涙する

集まった親戚一同が、取り分けられたオムレツを食べる

そして俺を燃やしたら、骨を樹木の根元に埋めてほしい

ポムの樹になりたいか

遺言に書いておいたら叶うかな

2023-10-07

大森靖子からフォロバが欲しい

これは大昔のオタクから遺言なんだ、聞いてくれ。

俺は大森靖子からフォロバが欲しい。

なぜ欲しいかと聞かれれば答えられない。

でも欲しいんだ。

フォロワーの中に「大森靖子フォローされています」って表記がある奴がいる。

アイツらをぶっ殺したい。

ぶっ殺した上でフォロバを勝ち取りたいんだ。

から大森靖子から認知を受けるのは人生にとっての憧れそのものだった。

だって考えて欲しい。

病み界の女王。俺らの感情言語人。

あんな人に認知を貰うことそのものが「病んでいる」という認定であり、「こいつは病み界の女王から認知を得た伝説病み人」という称号なのだ

この記事を読んでいる人は「ノスタルジックj-pop」を、「ミッドナイト青春性交遊」を聞いたことがあるか?

あそこまで見知らぬ「誰か」を語った歌は今まで聴いたことなかった。

それも「誰か」はきっと身近にいるはずなんだよ。

俺の友人とか親とかそこら辺の周りにきっと「誰か」はいる。

でも決して俺じゃない。

そんな歌を歌える彼女認知を受けない自分価値なんて、たかが知れてるんだ。

見知らぬ「誰か」を知っている女王に、認知を受けたい。

ただ、それだけなんだ。

愛している、けれど彼女が死んでも痛くない。それが大森靖子という存在だ。

誰かの代弁者で、この歌を聴いている「誰か」は決して自分のことだと認めない。

愛しているからこそ愛していない。拒絶したい。けれど、ブロックはできない。だって、誰かの事を歌う歌は聞きたいから。

頼むから殺してくれよ。こんな自分を。大森靖子からフォロバされないただの病み垢の駄弁を。

でもそんなことが出来ないって知ってるんだ。

だって大森靖子が歌っていたから。

こんな駄文を読んでる君へ。俺以上の苦しみを語らないでくれ。

俺以上苦しまないでくれ。頼むから大森靖子を聴いてくれ。

Twitterで「リスカした!」とか言ってるJK馬鹿にして生きていこう。

Twitterで「病み垢」とか言ってるゴミを心の中で殺して生きていこうや。

だって気持ち悪いだろ? 自分はそうじゃないだろ?

いいじゃないか。この世で病んでいるのは自分自身だけで、大森靖子は誰かの「病み」を代弁しているだけで。

それだけ信じて生きていこうや。

俺はただ、そんな「病み歌」を歌ってる大森靖子からフォロバが欲しいだけなんだ。

2023-09-20

anond:20230920104335

老境に入った信之はしばしば隠居願を幕府に出していたが、そのたびに酒井忠世酒井忠勝から将軍徳川家綱が幼少なので、隠居せずに幕府を支えて欲しい」と慰留され、結局91歳になるまで隠居できなかった。隠居を認める際、家綱は信之を「天下の飾り」と表現している[24]。しかし、後継者となった信政はいつまでも家督が譲られないため父に恨みを抱き、家督相続後間もなく死去した際の遺言でも残った老父のことには一切触れなかった。この遺言を読んだ信之は、大いに立腹したと伝えられている[25]。なお、幕府が信之の隠居を認めなかったことで、後日家督を巡る騒動を招いたこから40歳を過ぎた当主隠居容認するようになったとする研究もある

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%94%B0%E4%BF%A1%E4%B9%8B

2023-09-17

anond:20230917104434

祖父遺言可能性がある。

全ての階のボタンを押したところで、同乗者にはどの階で降りるかわかるのだから

エレベーターに乗っていない人物が外部から監視している可能性を考慮してのことだと思う。

ストーカーに命を狙われているような場合、あらゆる手段を講じて居場所を分かりづらくする必要がある。

彼女はおそらく、毎日、異なる道を歩いて通勤している。

間違いない。

2023-09-07

教員だけど遺言かもしれない

やっほー高校教員だよ

まだまだ新米

毎日勉強だと思って頑張るぞ〜

自分担任してるクラスにやっべー男子生徒がいるんだ

とはいえヤンキー漫画とかみたいなヤバさではない

学力もぼちぼちくらい

全国模試偏差値35くらい?笑笑

授業も座って聞けるし、毎日登校もできる

えらいね

でも、ボクは確信してるんだ

こいつは5年後にはレイプ犯かなんかになってるだろうなーって

適当大学適当に入って、適当な飲みサーで、インカレ女子大学生酩酊させて集団レイプするだろうなーーってね

いかんせん人権意識がクソ低いってこと

ついでに女好きだし女子はモノだと思ってるよ

でもね、最近ボクはそいつレイプより前に殺人するかもなーとも思ってる

殺されるのはボクってわけ

そいつはねー野球部なんだ

ボクは野球全然興味ねぇから知らねぇけど、そいつはまぁまぁ上手いらしいよ笑笑笑笑

でもね、生活態度が悪くてレギュラー降ろされちゃったんだ

チームメイトに対しても選抜外の生徒をバカにしたりしてたんだって

クズだね〜死ねばいいのにね〜

顧問いわく、結局団体競技からチームの輪を乱す奴はいらないんだって

でね、そいつレギュラー外された時期からクラス大人しいヤツを攻撃するようになったんだ

お前が死ねばいいのにね〜

あと、少しでも気に入らないこととか面倒なことがあると、学校とか担任のせいにするようになったんだ

で、ボクはそいつ言動を毎回注意してたんだけど、その攻撃がボクにも向きだしたんだ

キモいとか頭おかしいとか、黒板描いてる最中に大声で言われてるよ

ぜんぶぜんぶぜーーんぶボクが悪いんだって

で、ボクはポッキリメンタルが折れてしまった

ここのところ眠れてないよ

病院は暇がなくて行ってないけどねー

限界を覚えたボクは野球部顧問に、奴の素行相談したんだ

野球部顧問は超ベテランで、奴の素行が悪いことはわかってて、なんでも相談してくれって言ってくれてるんだ

今まではたまに報告くらいだったけど、

今回は本格的なSOSを出したってワケ

顧問はじっと聞いてくれて、奴と話をするって言ってくれたよ

これで奴はレギュラー復帰からさらに遠ざかったわけだ

やったね

このまま地獄の底まで消えてくれればいいのに

でも、ボクは思ったわけだ

奴には「反省」ってもんがインストールされてない

奴にとって世界で一番正しいのは自分

ボクは知ってる

義務教育修了までで「反省」とか「感謝」を学ばなかった人間高校でそれを得ることはまずないって

他責思考病気から治らないし、

いつだって奴にとって悪いのはボクだ

どうせ戦争病気も全部ボクのせいだと思ってるよ

で、レギュラーから遠ざかった奴は、またボクのせいだと思うだろうな、と

実際ボクがチクってるわけだし、奴の生活態度についてもボクへの攻撃についても、ボクがチクる以外にないんだけどね

で、ボクを恨んだ奴はボクを殺しに来るってワケ

大学必死勉強して免許取って最期がこれか〜

茨城都市部20代男性教員クラスのガキに殺されたらボクのことだと思ってね

2023-09-01

anond:20230901124235

遺言とかでなんとかなるんじゃねえの、知らんけど

2023-08-30

ロリコンじゃなくてよかった。そしてロリコンは頭がおかし

エロ漫画が好きで、ロリコンから熟女物まで何でも読んでいた(ペドNTR絶対に無理)。

結婚して娘ができてから大学の先輩Sが「増田絶対ロリコンになる」と祝ってくれた帰り、交通事故で死んだ。

そのせいか絶対ロリコンになる」が遺言的なものになってしまい、自分の中で本当に心配になってしまったが全くそんなことなかった。

娘はもちろん(当たり前過ぎる)、同級生小学生や行楽地で見かける女の子欲情する気持ちが一切なくて安心した。当たり前である

からこそ四谷大塚コミュニティが恐ろし過ぎる。漫画だけで留めているならまだしも、あんな人がこの世に存在している恐怖。

ロリコン怖い。何で性の対象として見れるんだ?

気になるので本を調べていたら、「「小児性愛」という病 ―それは愛ではない」という本があって、抜粋された文書読んでみてゾッとした。

抜粋

「そりゃセックスしましたよ。恋人同士ですもん。それを周りの人たちが、ぶち壊したんです。 私がロリコンで、Yちゃん被害者だといって引き離したんです。

私はそんな人達によって犯罪者にさせられました。おかしいのはどっちだっていいたいです…」

これは、12歳の少女に性加害をした49歳の男性のケースです。

女子児童の側には、交際しているという認識はありません。怒ると声を荒げる男が怖くて、言われるがままになっていたのだとわかっています

彼がしていたのは、明らかに加害行為です。子どもに肉体的・精神的に後々まで残る多大なダメージを与えました。

しかし、彼が見ていたのは、「子どもから求めていた」「子どもはよろこんでいた」という光景事実とは、正反対です。

クリニックで子どもの性加害経験からヒアリングしていると、これは性加害をする者なら誰もが持っている、特有思考の歪みだと実感します。

彼らの問題行動の背景には、精神疾患があります日本語では小児性愛障害英語ではPedophilic Disorder, Pedophiliaといわれ、この「ペドフィリア」という語のほうが馴染みがある人もいるでしょう。

私は、150名を超える子どもへの性加害者らと関わってきて、彼らも私達と変わらない、同じ“人間”だと考えるに至りました。決して性欲が抑えられないモンスターではありません。

子どもへの性被害、つまり小児性愛障害は、社会のなかで学習された行動です。大げさかもしれませんが、いまの日本社会が「ペドフィリア」を生み出し続けているといっても過言ではありません。

2023-08-24

anond:20230823213304

例えば本人が亡くなられた場合遺言にはてぶをプライベート設定にしてください。と書いてあったら、

遺族はそれを実行するのではないかしら。

2023-08-15

小学生の時に学校で見せられた親韓アニメタイトルが分からない

大阪学校だったんだけど、タイトルが思い出せん。

舞台現代日本で、主人公祖父か父かの遺言

ある韓国人に会いに行く話。

その祖父か父は日本軍人だった。

それで主人公はその韓国人に会いに行くんだけど、

その韓国人第二次世界大戦時に韓国から連れてこられた在日で、そいつ過去回想が主な話だった。

創氏改名がどうこうって話で

主人公祖父はその人の恩人だったって結末。

すまんもしかしたら一般流通してないかもしれん。

声優めっちゃ棒読みオウムアニメみたいだった。

わかる人いる?

anond:20230815143401

たぶん親より先に死ぬような奴は普通じゃないって意味ではないと思うぞ

死ぬに至るような状況で苦しみながら生きてたことが普通じゃないし可哀そうでショックってことだよ

もし俺が「普通から子へ遺言で残しますよね、ショック」っていうときはそんな時だな

同期の新卒自殺した

同期つか、入社日が同じ同い年ってだけで話したことないんだけど、他部署の同期が死んだらしくて、うちの窓口に電話かかってきた。

うちの会社冠婚葬祭業なんで、死んだ子は葬式はうちの会社の人が関わる形でやってほしいと残していたのこと。お父さんにLINEで送っていたそう。

それを聞いたうちの部署の人たちは

普通から子へ遺言で残しますよね、ショックて言ってて脳破壊された

普通普通ってなんだよ

だってお父さんに私が死んだら葬式はあげるな死体の顔は見るなと言ったことある

人間一度は考えるだろ

普通

私は普通だと思うよ、安らかに眠れ同期ちゃん

2023-08-12

親友の忘れ形見結婚した

高1の時に俺の親友が同じ学校だった彼女(嫁母)を妊娠させてしまった。


嫁母は高校中退したが、嫁父は学業を続け、高卒就職することが決定した。

17歳若さで嫁母は玉のように可愛らしい女の子(嫁)を産み、俺もそこにちょくちょく遊びにいっては赤ん坊を抱っこさせてもらった。

当時の俺は抱っこしているベイビーが未来の嫁になるとは知る由もなかった。


高校卒業後、嫁と親友結婚し、結婚して2年目に親友事故であっけなく亡くなってしまった。まだ21歳の若さだった。

親友即死では無かったので、最期の時には何とか立ち会う事が出来た。

死の間際、彼は俺に「これから成長していく娘を見られないのが残念だ。

どうかあいつらが幸せになれるようにお前が助けてやってくれ」と言い残した。


その遺言通り、俺は嫁の成長を見守るつもりだったけど、当時はまだ大学生の俺に力になれることは何一つなかった。

嫁母は就職しようとしたが、職歴学歴もないヤンママにまともな仕事はなく、夜職になってしまった。

彼女高校生で妊娠したことで親に縁を切られていたので実家に戻れなかった。


何年かして、次第に嫁母は子供放置して遊び回るようになった。

俺も嫁母に「嫁ちゃんのことも考えた方が良い」と忠告したのだが、嫁母は聞く耳を持たず、

俺が大学卒業して就職した頃に嫁母はロクでもない男と再婚してしまっていた。

嫁は継父に邪険にされて育ち、弟妹が次々生まれると家事育児押し付けられるようになって、家族旅行には連れて行ってもらえず、継父の親戚の家に預けられる始末だった。

嫁の小学校ランドセルは親戚のお下がり文房具は地味な百均だというからかわいそうになって俺がキティちゃんの筆箱や鉛筆を買ってやったこともある。


そしたらそれも妹に奪われて嫁は「俺君が買ってくれたものなのにごめんなさい」と号泣していた。

可哀想になって、嫁以外の家族旅行に行く時は「親戚に預けるぐらいなら俺に預けろ」と言って、俺が預かるようになった。

元々、継父の妹夫婦に無理やり押し付けて嫌な顔をされていたらしいから、この申し出は喜んでもらえたぐらいだった。

もちろん、20代独身野郎小学生を家に泊めるなんて普通はしないが、当時は彼女同棲していたから、できたことだった。

家族夢の国にも、北海道旅行にも連れて行ってもらえない嫁のためにとびきりお姫様扱いをして、おしゃれなカフェとか、遊園地とかデパートとか連れて行ってやった。

普段食べさせてもらえない美味しいものも食べに行った。

彼女最初の数年間は「妹が欲しかった!」と言って可愛がってくれて、嫁も俺たちを「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と呼んで懐いてくれた。

しかし、嫁が年頃になって美しく成長してくると彼女が嫁に嫉妬するようになってしまった。


当時の彼女もそれなりの美人だったが、20代後半になって美貌を失ってきているのを実感しているようだった。

反対に嫁はこれからどんどん大人の女性になっていく。不安しかなかったのだろう。

極め付けは彼女の「嫁ちゃんってあなたの娘でも親戚でもないんでしょ。嫁ちゃんが私より大事ならお嫁さんにしてしまえば!」というセリフだった。

それをまだ15歳の嫁がいる前で吐き捨てて、彼女同棲していたアパートから出て行った。


さすがに30代前半のオッサンアパートにもう連れてくることはできないので、

嫁に「今度からは外で会おう。俺が結婚したら、また家に呼べるから」と言ったところ、

「私じゃダメですか…?」と言われた。

「どういうこと?」

「私、俺お兄ちゃんのお嫁さんになりたいです。」

「な、な、何言ってるの!俺、嫁ちゃんのお父さんの親友だよ!嫁ちゃんの両親と同い年なんだよ!」

彼女ちゃんが私に嫉妬していたように、私もお兄ちゃん彼女嫉妬していました。

私は子供から相手にしてもらえない、彼女ちゃん大人の女性からいつかはお兄ちゃん結婚する、それが怖かった。

お兄ちゃん結婚式で綺麗なウェディングドレスを着た彼女ちゃん想像したら素直に喜べるのだろうか…。

彼女ちゃんが俺くんそっくりの坊やを産んだら、心から祝福できるだろうか…。

そんな黒い気持ちばかり抱えてました。

彼女ちゃんじゃない、他の女性がお兄ちゃん結婚しても同じこと。

ずっと私は悪い女です。子供なのにおかしいでしょ。」

「嫁ちゃんは早くにお父さんを亡くして、お母さんや継父に育児放棄されてきたから、お父さんを恋しい気持ちを俺への恋心と勘違いしているだけだよ。」

「そんなことは…ありません!」

普通、嫁ちゃんぐらいの年齢ならジャニーズ理想でしょ。それが普通だよ。俺みたいなオッサンなんてとんでもない。」

「私の大好きなお兄ちゃん卑下するな…!私はお兄ちゃんが好きなの!

私が幸せになるように助けてあげてってパパが言ったんでしょ!?だったら、その約束守ってよ」

「パパは俺と結婚しろという意味でそんなことを言ったんじゃないよ」

「形はどうであれ、私を幸せにしてくれるのはお兄ちゃんしかいないの。だから、私と結婚さてください」

「ごめん、本当に申し訳ないけど、嫁ちゃんはまだ中学生だ。子供をそんな対象で見られない。結婚だってできない。」

「じゃあ、3年後、大人の女性になった私を見てください。俺くんに相応しい大人の女性になりますから。」


嫁は高校からは寮に入って男女共学理系進学校に行くことになっていた。

生徒は男子の方が多いらしいし、3年間で素敵な彼氏

を見つけるだろうと思ったから、俺はもう嫁に会わないことにした。

どうせ、嫁の継父や嫁母は学費と寮費だけ払ってあとは放置するだろうから、俺が図書カードやら、スタバカードなどは時々送ってやった。

その間に引っ越しを済ませて新しい住所は教えなかった。

しかし、高校卒業したあと、嫁は俺を探し当てて俺のところにやってきた。

ていうか、田舎から事情を知らない友達(嫁父との共通の友人)が勝手に教えた模様。

苦笑いしながら「もう行くところがないんです」


嫁の継父は学歴がある女が嫌いでいまどき、女子大生亡国論を信じているような時代遅れなやつだったし、妻の連れ子のために大学費用を払ってくれるようなやつではなかったらしい。

学費は俺が出すから進学しなよ」と言ったが、「お兄ちゃんのお嫁さんになるのが夢だったから」と言って専業主婦になった。

俺みたいなおっさんの下にウルトラキュートでお肌ぴちぴちすべすべのボンキュッボン美少女が嫁にくるなんて開闢以来の出来事だろう。

可愛い子供も生まれ子供ハイハイたか記念カキコ

そして、親友と嫁母、30代の若さ祖父母にしてしまってスマソ。

そして、俺と嫁のせいで結婚適齢期を逃し、傷つけてしまった元カノにもいつかは謝りたいと思っている。

2023-08-11

anond:20230811161856

戸籍は「ハラコセキ」の方が正しいんじゃなかったっけ?

まあ、法律実務関連は「遺言」やら「境界」やら「兄弟姉妹」やら変な読みが多いし。

あと東大系と京大系で読みが変わる「結果的加重犯」とかも。

anond:20230810220054

遺言(いげん、いごん、ゆいごん)

2023-07-16

こんな理解力の低い観客の相手しなきゃならないなんて大変だなパヤオ

「君たちはどう生きるか」が完全に失敗作だった件

ここで書かれてる疑問はぜーんぶぜーんぶ「見てる側の理解力が低いから分からなかった」だよ。

ブコメじゃ説明しきれねえからこっちで書くわ。

目ん玉かっぽじってよーく見ろよ。

父親兵器工場

 →宮崎駿アニメーターとしてのルーツの一つとして兵器に対しての憧れがある。風立ちぬ見てるなら分かるよな?あーそもそも主人公宮崎駿メタファーであるって話をそもそもいちいちやらないと駄目なの?マジで

・いいとこの子

 →自分が掴んだ成功は単に天運に恵まれていただけの部分があるって話を、生まれつきの金持ちって設定で表現してる。

・森の中にあるお屋敷・離の洋館・塔

 →ジブリにおいて宮崎駿が置かれている立場メタファーだよ。なんか持ち上げられて隅っこに押し込められてますっていう。

主人公主体性/動機

 →ずーっと言ってるじゃん。「僕はマザコンから母さんを探してます。どっちの母さんもマザコンの心をくすぐって尊いので、僕はどっちも探してます」って。あそこまで露骨にやられて分からんのか?ジブリ主人公マザコンなわけないだろって勝手思い込みをしてない?まあこの辺はマザコンというのが「幼少期から刷り込まれた謎の憧れ→アニメーターとしての執念」みたいなメタファー構造であるんかも知れぬし、単にマジでパヤオマザコンロリコンなのかもだが。

・後妻による拒否

 →危ないからこっち来んな!でしかないのでは?一見拒絶に見えるものが実際には愛情だったという物語を描こうとした理由については深く掘り下げんよ流石に俺は。

・弓矢を作る話

 →長い時間を掛けてアニメーターとしての牙を研いできたって話だよ結局は。ナウシカの段階で40越えとるしな。

ヴィランの不在

 →インコこそがどう見ても悪役だろ。塔の中で勝手権力構造を作り出して、その塔の支配である宮崎駿に対して脅しをかけようとしてくる不届き者だよ。アレこそパヤオにとっての最大のヴィランであり、今まさに直面している最大の敵。老い後継者問題・内政に立ち向かうのが大叔父パート宮崎駿物語からな。

ババァ人形に触っても何も起きない

 →セオリーを守らなきゃ駄目だよってことに対して過剰に気にかけて縮こまるなって話なんじゃねえかな。愛情を持って丁寧に扱う分には触っても大丈夫。雑に扱って蹴っ飛ばすなら災いが起きてたかも知れないけどって話。自分経験としてそういうのがあるんだと思う。インコ共聞いてるか?ルール実態を捉えず形だけ守ることに固執するのが王国を守ることちゃうんやぞ?って話だよ。宮崎駿目線で見たら、インコ共はマジでこちゃんと聞いてないと感じてるんだと思う。ぶっちゃけこの映画の核の一つじゃねココ?見落とすなよ。

シナリオそのまますぎじゃね?誰も口出しできないの?

 →それがババアこけしインコの話につながるんすよ。その絶望がこの映画宮崎駿に作らせた。アオサギとの騙し合いみたいな協力関係けが物語を完成へと導くんだよ。インコ王国との対立構造じゃ塔は滅びに向かうばかりさ。って話がしたいんだろうな。だからなんだってんだよまともな映画見せろバーカバーカって気持ちはわかる。でもそれ言う前にもっとちゃんと見てやれよ。死にかけのジジイ遺言だぞ?

2023-07-15

宮崎駿とのお別れ (映画ネタバレあり)

君たちはどう生きるかを見てきた。すごく悲しくて寂しい、でも幸福映画だったと思う。

宮崎駿と同じようなおたくの子(あるいはジブリを見て育った子供だった大人でも)は是非見るべき。

ようするに宮崎駿が作った異世界アニメ世界から何か少しでも持って帰って、自分たちで生きていってほしいという宮崎駿遺言・お別れのメッセージ

エンディングエンドロール最後で少し泣いてしまった。


ジブリ宮崎駿に少しでも感謝気持ちがある人は受け取るものがあると思う。あとやっぱ単純に作画がすごいわ。

邪推だけど、アオサギ鈴木敏夫ことなの?

プラスチック陶器製の陰茎は何千年も残るだろう

陶器ならちょっとした遺言も書けるな

2023-07-14

三大オレが女性からライン交換を断られた強烈な理由

1.おばあちゃん遺言でできない

2.カトリックからできない

3.オマエとはできない

他あれば聞かせてほしい

2023-07-12

和歌山の曾祖父が死んで遺言でなんか山の土地の一部もらった

いやこれ、結婚式の時にもらえる顔写真入った皿より扱いに困るだろ……

父が死んだ。葬式もした。

喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。

父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである

 

父は1940年代まれ日本人男性である出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎である

6番目の息子である工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。

 (おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライであるいじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)

工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学メーカー就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。

職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学化学科に進学した。

学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である

趣味登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生もっともイケイケだった時代かもしれない)

そこで一学年年上にあたる女性出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人笑顔が気さくだった。

怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。

話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。

1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。

父は卒業化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社腰かけ事務職」をして寿退社初任給洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。

二人は親へ挨拶をすませ神前式結婚式をあげた。新婚旅行国内)ではパンタロンネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。

1970年代。m市の社宅に二人暮らし妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行出産も一応カラーだ)

夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。

(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)

二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このとき増田も母実家に連れていかれた。

このころ叔父浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父マンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田学研漫画植物百科を買ってくれた。

三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)

というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。

というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。

だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。

(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコ容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)

そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、

そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。

とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。

まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。

1980年代、父はチバラギの片隅に土地を買って家を建てた。

そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。

(このへんで、のこり全部の西にいる親類から東京叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博ディズニーランド成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)

お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。

 

増田と父と電車記載を削除)

 

そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、

母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。

子供が「いやもう自分大人から口出しをするな、するなら人生最後まで口出しする覚悟しろ恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、

父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。

その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。

子供教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである教育となったら教育だけをするのだ。

「もういいか子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。

しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。

庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。

父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。

(ほかにファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らしイメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。

今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。

学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)

母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。

ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。

父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。

幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。

郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。

手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。

そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。

 

ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。

母にとっては子供庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。

母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。

Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。

母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。

「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、

それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当理由がつけられ、反省書となった。

反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。

まるで自首後の犯人動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。

 

この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。

あるときなど増田が呼び出されて母と東京カフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである

どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。

増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。

ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときときょとしながら口をはさむ隙を探す。

まるで楽園のなかの地獄であった。

やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。

カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである

増田遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである

理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。

後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!

父は平謝りするしかなかったらしい。

増田ボケがきたか気がくるっているとしかおもえなかった。

でもその場で諭そうにも耳も悪い。

「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。

もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである

補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。

それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。

子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。

  

でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田子供たちに直接説得も試みた。

ところが増田子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯業務用)に電話をかけることがつづいたのである

運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。

このことは増田子供の送迎がいらなくなりガラケーアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときブロックは解除した)が

ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟増田の伴侶に「増田ちゃんわたしブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。

   

父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。

父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。

酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。

母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである

かにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。

なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。

途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。

父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。

母親認識は古くて「介護認知症施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、

父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。

まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在チバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。

 

母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田ドライに告げたので増田市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。

実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。

父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。

頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。

ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人介護をうけることにして解決となった。

  

他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。

ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。

コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、

ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。

母はユーチューブをおぼえた。

コロナワクチンふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である

 

増田の残りの二人の兄弟子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。

  

そうして2*年の闘病、*年の介護認定酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。

母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。

 

父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式相談のあとにも爆発した。

かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、

はいます資金をすべて自分の口座に動かそうというのである

それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。

今すぐにでもATMにいってお金おろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたか葬式費用ではない。)

なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単からのぞんでいたんでしょう。

anond.hatelabo.jp/20230712024305

2023-07-05

anond:20230705142210

余命60年として1日1kg食べたら、22トン食べれるね。

遺言は「わしはクランキーチキンを22トン食べたんじゃ」だな。

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