はてなキーワード: のれんとは
のれん坊
『のれん坊』(のれんぼう)は、2005年に関西テレビ(カンテレ)で放送された連続テレビドラマである。主演は広末涼子と西田敏行。阪神・淡路大震災から10年経った2005年に、その震災を題材に製作された作品だ。全10話。
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災とその後の生活を描いた家族ドラマ。被災地の町で営々と暮らす一家の姿を通して、震災による苦難と人々の絆、そして立ち直っていく強さを綴っている。
第1話 - 1995年1月17日未明、兵庫県南部を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生する。
第10話 - 1年後の1996年1月、内海家は仮設住宅から新居へ移り、新生活が始まる。
受賞
私夢を見たの。
銭湯に行く夢。
ずばり銭湯に行く夢。
お師匠さんが私の頭の上に手をかざして、
そして、
潜在能力が引き上げられた私は
目を開け立ち上がり、
おお!私にもまだこんな力が残されていたのか!ってなるの。
さらに、
私が修行中にさらに負荷を加えるためにリストバンドの重りを付けていたものを外すの。
ドサッ!ドサッ!
その重さ約2トン。
ってそれは潜在能力!
たぶん
私の憶測に隠れたり見え隠れたりしている銭湯欲がふつふつと文字通りお湯のように湧いて出てきているのよ。
銭湯行こうかなー!って
それこそ帰宅中駅を降りて下車して2分で飛び込める、
まさにサトウのごはんをも彷彿とさせるぐらいの便利な立地にあったんだけど、
残念だわ。
そんでね、
その夢は
初めて行く銭湯で
のれんに私は暖簾に腕押しで大将やってる!って言いたいところだったけれど、
夢なのでそんな自由自在に動き回ることも出来ず
ただただ暖簾に書いてある営業時間が読めて14時からオープンとのこと。
夢の中ではもう回転していたわ。
それこそ私は夢の中だったので入店時に飛び込み前転することすら忘れていたけれど、
気持ちはそう心の中では飛び込み前転を忘れることなく入店したの。
なんか500円玉をだしていくらかお釣りが返ってきたからそのぐらいの値段だったのね。
そして脱衣所。
ロッカーが無いの。
みんな床にカゴもない感じの床にカゴすらもなく床に脱いだ物とかに持つとかが、
とりあえずの個人個人の領域の持ち物かなって分かるような形でギュッと固められておいていて、
お財布とかは番頭さんに預けておこうかなーって思ったの。
そこで目が覚めたのよね。
本当にリアリティーのあるリアルな銭湯の夢でリアルに行きたくなっちゃったわ。
これは行かねば!って
私がその近くの行動圏内にあるみかんの花咲く丘公園前駅の駅前の商店街にある銭湯はなくなってしまったものの、
他にはまだ遠くに歩いてはいけない距離ではないぐらいの距離の銭湯が何軒かあるから
そこも巡って行っていたところなのでそこにして行ってみようかなぁーって。
もう番頭さん私の顔忘れちゃってるかも知れないぐらい久しく行ってない季節なのよね。
ちょうどさ、
こないだ足が浮腫んで困っている話をして
サウナにでもかーんと行って汗流すために浮腫み解消の糸口になればって思っていた矢先の3本の矢も薪にして焼べたいぐらいお湯を温めるべくその銭湯に行かなくちゃって、
そこで終わっていた私の思いを
沸き上がるお湯のように!
追いつかないぐらいな追い炊き家庭風呂は
圧倒的湯量とパワーと温度をも持ち合わせる迫力があるのよね。
そしてそして
文字通りお湯を贅沢に文字通りの湯船の湯を湯水のように使う!って
ああーそう思うと
やっぱり贅沢わよね。
銭湯って。
だいたい感謝!
だから私はそんな夢を見たんだわ。
そこは朝からやっているというパワー系のコンビニの営業時間7時から23時までをもしのぐそれなんてセブンイレブンって言っちゃいたいような営業時間の銭湯があるにはあるけど、
人がパンパンなのよね。
それ以来行けてないけれど
今は事情が変わっている二乗のべき乗を思うほど状況が変化しているかも知れないので、
あと事務所のもう一軒近くにあるところは夕方からオープンだけど人も少なくて普通の銭湯だからこっちも穴場かも知れないわ。
でも海外のインバウンドのお客さんがもし多かったらっても思うし、
まあ暖簾を勇気を出して腕押しして大将やってる?って勢いで飛び込み前転して入店するぐらいの勇気は必要かも知れない。
夢の中で私に力を与えてくれたお師匠様の私の銭湯能力が無駄になってしまうわよね。
銭湯に久しく行ってないのでこれは予知夢だと言うことの逆夢か正夢か分からないけれど銭湯の意識は無意識のうちに感じ得ていたものなのでやっぱりいざ行かなくては行けない山脈に向かってヤッホー!って叫ぶのよ。
よし!
近いうちに行くぞ!って
思うけれど、
行けたら行くようにするわ!
行きたいという気持ちはあるのよ!
うふふ。
あっさりとでもその存在感のあるタマゴの味を堪能できる味わい。
私は本当はタマゴサラダで溺れたいほどの味わいを楽しみたいわけなんだけど、
なかなかそうはいかないタマゴ事情もあるのは分かっているのよ。
でもその状況の中でも
絶え間なくタマゴサンドイッチやこのタマゴサラダパンを供給し続ける生産体制にはあっぱれよね。
またストック買ってこないと!
と忘れないように買い物リストに記し記ししておかないとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
人口密度は低いんだけど、店が少ないのと回転率が悪いのか行列だらけだった
今だけかもしれないけど
気軽に行って気軽に座れる感じではない
東京って感じだった
道はめっちゃ広いくせに
店が完全に仕切られていなくて、あるのはせいぜいのれんくらい
あとカウンターが多くて
落ち着いて飲食する感じではなかった
あとオープンな店が多い+人通りが多いので、ショッピングモールとかフードコートに来たのかと思った
店はおしゃれで高級感が有るのに、全体を見ると地方のショッピングモールっぽい感じがアンバランスで
これ誰向けなんだ?ってなった
子供が来て楽しいところでは決してないし、家族連れ向けでもないし、お年寄り向け
ここにある必要あるのか?
六本木ヒルズではオフィス・商業施設とマンションが別れていたけど
イメージとしてはショッピングモールの上がマンションみたいな感じ
人が多くて住みづらそうだなあと思った
下の店は行列だらけだし、地上は遠いし、地上に降りても周りは麻布台ヒルズの公園だし、これは外に出なくなるな
日本の山野に生えてそうな植物をメインで使っているって言ってたけど
でも振り返ると高級店街
なんだこれ、脳がバグる
とりあえず映えない
年寄りは喜んでるんだろうか
かっちょよかった
ただまだ閉まってるところが多かった
メインの商業施設フロアはむしろ地下らしい、じゃあ地上のうねうねした建物なんなん?
これ年寄りは移動したくないだろうな
帯に短し襷に長し
あ、展望台行ってねーや
人に誘われて
なぜ6年ぶりかとわかったかといえば6年前に自宅近くに開店したラーメン屋へ家族に連れられて行ったことを覚えていたからだ
6年ぶりの今日、完食したが、もうあと10年は食べなくていいと思った
そういえばラーメンが苦手だったのだということを食べるうちどんどん思い出してきた
まずい食べものではないと思うし、食べればちゃんとおいしいと思うしおいしい部分もわかるのだが、
自分にとっては好きでも嫌いでもないくらいの位置づけの食べ物でカップラーメンやインスタントラーメンも1年に1回食べるか食べないかという頻度なのでまして専門店のラーメンをや
普段ラーメンに縁がなさすぎるあまり「苦手だ」という事実そのものがいつの間にか脳内で曖昧になってしまい、
友人の誘いということもあり「たまにはいいかな、大丈夫だろう」という気持ちになってしまったのだろうが甘かった
好きでも嫌いでもない食べものをお店でお金を出して頼んで食べきるにはいささかヘビーすぎる、それが自分にとってのラーメンだった
6年前とは違う店でまったく違う温かい麺を啜りながらそのことが鮮明に思い出された
誘ってくれた大食いでもない友人にこの店麺少ないから麺大盛にしても大丈夫だよーと言われたけど断って普通にして良かったそうでなければ食べきれなかった いやあれ普通なのか本当に
そのお店がオーソドックスでスタンダードなタイプのスープと麺のお店だったからかもしれないけど、あの量の麺を食べきるには味も食感も変わらなすぎる
スープは確かに鶏の出汁が効いてておいしいんだけど、でもそれならスープだけでいいと思ってしまう
半分くらい麺を食べたらもうあとは「お店の人に悪いから決して残すまい」という気持ちだけで麺を啜っている 作業になってしまうのだ
カレー、特に南インドカレーやタイカレーならコメをいくらでも食べられるのでけして小食ではない
そばも平気だ、そばの麺には香りがあるし多分脂っこさがないからだと思う、薬味もおいしい
ただし天ぷらなどを頼まない限りは うどんは得意ではない、パスタも量が食えない
おそらく味の変わらないものに浸かっている麺をひたすら啜るという作業が私には苦行なのだと思う
ラーメンのスープも上の具もおいしいが、なんなら麺もおいしいのだがとにかくあの質量のある「麺!」という食べものを食い続けることがつらいのだ
みんな普通のあの量の麺を食べられてるの?本当に?すごすぎる そのうえチャーハンとか餃子とか追加で頼んでてすごい
飯食い終わってからもう2時間近く経つけどまだあの「ラーメンの麺!」という存在感のもので体中がいっぱいな気がする
味変のあるラーメンや近頃よくみるフレンチ風のラーメンや全粒粉の麺なら大丈夫な気がしないでもないが、もう「ラーメン」はしばらくいい
ラーメン屋の普通の量を食いきれない人間はまず入るべきではないだろう
二郎とか行ったら生きて帰れないのではないかというか、私などは入る前に門前払いだ
しかし今日6年前のつらさを忘れていたように10年たったら今日のつらさを忘れているかもしれないので、もし次があるならば友人には10年後にでも誘ってほしい
10年もたてばまた一杯だけはなんとか完食できると思う
たこ焼きの聖地は大阪梅田と言われています。大阪にはたこ焼きの有名店が数多くあり、地元の庶民食文化として育ってきました。
初代当主の遠藤留吉は福島県の会津出身で、1933年に大阪で屋台を始めました。
当初は「ラヂオ焼き」という屋台を営んでおり、明石でタコが入っていると聞き、ラヂオ焼きの具をタコに変えてたこ焼きを開発しました。
昭和10年(1935年)にたこ焼きが誕生し、赤い幕に白文字で染めた「たこ焼き」ののれんが完成したのは昭和11年(1936年)です。
大阪梅田には「OSAKAたこ焼きマーケット」があり、日本を代表する5大たこ焼きブランドや4大ブランドビールが揃っています。たこ焼きの食べ比べやドリンクの飲み比べが楽しめるスポットです。
□住所:大阪市此花区島屋6-2-61 ユニバーサル・シティウォーク大阪4F
□料金:入場無料
1個あたりの重量が20gから30gに増加し、食べ応えのあるサイズになった。また、直径3~5cmの球形に加えて、ジャンボサイズと呼ばれる大型のたこ焼きも登場している。
釣り鐘状の冷凍たこ焼きがほとんどだったが、球体状のたこ焼きも登場した。
たこ焼きは、手軽に食べられる、食感がよい、たこ焼きパーティーができるなどといった理由で人気があります。また、コロナ禍の影響もあって人気が高まったと言われています。
同僚が帰り際にそう言うのでおでんの口になり、帰りに一杯やる運びとなった。
会社を出て少し歩き、走行中のおでん屋台を見かけると手を上げて止めた。
おでん屋台は八メートルほど上空で一時停止し、ゆっくり下降してくる。その動きを見つめながら「今日は冷えますな」と同僚。
俺も頷き、会話に集中しようとノイズキャンセリングのイヤホンを外すと「みんなも一緒に!せ~の!」というバーチャルアイドル初川ネコの声が巨大なホログラム映像とともに耳へと張り付いた。
おでん屋台は音もなく俺たちの前に着地すると「いらっしゃい」というダミ声を聞かせ、のれんがふわりと自動で捲れた。
俺たちは少し屈んで暖簾を越して二人席に座り、目の前にはぐつぐつと湯気をたぎらせるおでん温泉。それでもまずは熱燗を注文。それからがんもに大根に…あと卵とちくわ!
「へい」と大将は威勢良く返事し、回転寿司のようにして容器が俺の前へと回ってくる。中には注文したおでん。同僚も隣で注文し、先に食べろよとウインクするみたいにこちらをみた。お言葉に甘えて食べ始める。まずは大根からだ。箸でつまんで持ち上げると裏面にはカラシが塗りたくってあり、口にいれるとすぐにほどけるように溶けた。人工大根らしい味わい。水々しく弾力性にかけ、味は薄い。最近生の大根は値上げしたと聞いたが本当らしい。気づけば同僚の目の前にも容器があり、いつの間にか注文を終えていたようだ。彼はちくわをひとつ平らげ、目が合ったところで熱燗を注ぎ、乾杯した。
大将の後ろでは巨大な初川ネコが踊っており、ホログラムの横顔は笑顔。ここからではコメント枠をちょうど真横から眺めることになるので内容は分からないが、それでも色違いの枠が見えたことでスパチャであることは分かった。
「みんな、ありがと~」
猫なで声のバーチャルアイドルの声とソングを聞きながら、俺たちは熱燗を飲み、おでんを食べ進める。
カラシが少し多かった。
シャワー中、ふと「正岡子規の解像度って低いよね」と思った。彼について、大半の日本国民は、左を向いている氏の顔写真かあるいはホトトギスのイメージを漠然と抱く程度の知識しか持たないだろう、まあ私も知らないんだけど、と考えた所で、私は正岡子規の「解像度」ではなく正岡子規の「理解」と言うべきだったなと自らの過ちに気が付いた。解像度が低いという表現はけだし今風である。ここから転じて、「今風に言えば*」というワードで検索することにより私の知らないシノニム存在に出会えるのではないかという仮説が生まれた。
子規は写実(写生)にこだわったらしい。見たものをありのまま誇張せず書くことが正義なのであーる、などと標榜して支持を集めたが、一方で、かの漱石には「二十世紀の今日こんな立場のみに籠城して得意になって他を軽蔑するのは誤っている」と批判を受けた。私は、ありのままを良しとする子規の思想には少しばかり同意する部分があり、例えば直近で言うならXに流れてきた毒々しい色彩の写真を添えて「まるで絵画だった」と書いた意味不明のポストが目に入ってうげーと思った。というか前にも同じ趣向のネタを見たので、またか、とも思った。モネの池だったか、アメリカのシリアルくらいカラフルな鯉や葉が写っていて辟易した。
そんなことを考えながら包丁をスポンジで洗っていたら小指が当たって、痛っ、となったが、幸いなことに血は出なかった。痛っ、となった瞬間、指をじっと見つめて、さあ、血が、傷口から血が出るのか出ないのか、どっちなんだい、(パワー)、と確認する時のあのドキドキ感は格別である。
夕食、スーパーで買った「蓮根のつくね挟み焼き」のパックを眺めながら、この食べ物のネーミングの正しさについて考えていた。「挟み焼き」で検索すれば出てくるが、中には「蓮根とえびの挟み焼き」、「ひき肉のれんこん挟み焼き」といった考え足らずなネーミングも見られる。この場合は、蓮根の[挟まれるもの]焼きとするのが正しいと私は思う。
たまに女性向けはゾーニングできてる、男性向けはできてない、みたいな論争起こるたびに商業BLが槍玉に上がるけど、私は商業BLはゾーニングされてのれんの向こうに行くべきだと思う。
商業BLはまじで普通に本屋で中高生でも買えるのにバッチリ性行為してるから正直出版社側がなんとかしてほしい。
のれんの向こうだと痴漢がいるかも、という主張も見たけど、であれば性行為してるBL置いてても仕方ないか……とはならなくないか?
ちょっとセクシーというレベルではなく、ガッツリ挿入までしてるのになんで成人指定されてないのかがわからない。
詳しい人に聞いてみたいとずっと思ってる。
実際私も中学生のときに制服で買えたし。純愛ものだと思ったらガッツリエロいことしててびっくりしたし、そのときは性に対してほぼ無知だったからすごい気分が悪くなったのを覚えてる。
今思えばだいぶ異常だよね。さすがに成人指定してほしいわ。
大事なとこ省略しててなんにも伝えていない。
愚痴にも「なるほど(それは大変)ですね」。
自慢にも「なるほど(それはすばらしい)ですね」。
カッコ部分を省略しないならまだ会話として成り立つけど
省略されてると、のれんに腕押し、まじで聞いて理解してるかどうかもわからん。
「はあ……。」「へえ……。」「ほう……。」と同じ程度の意味合いやろ。
目を開けたまま寝てるのか。徹夜でもしてきたんか?心や意思がないんか??
ここまでいっても「なるほどですね」が社会で通用する言葉だと言い張るアホは、
ついでに就活でも「なるほど(自分もがんばれそう)ですね」と「なるほど(自分には無理)ですね」をカッコ省略して伝えてみればいいとおもう。
※もしかしてユーチューバーは会話テンポを早めるためにこの究極省略相づち「なるほど(そういうわけなん)ですね」をよく使ってるんか。じゃあユーチューバーになってから使えよ
相手が意図的に不快な言葉を投げて気持ち良くなってる社会性のない奴だろうと、真性だろうと、どっちにしても言い返した所で意味はない。のれんに腕押しか、余計つけあがって喜ぶだけだから。
そういうゴミは相手にせず寛容さでもって許す高潔さを持とう、なんて溜飲を下げようとする。でもそれってなんか自己完結的というかルサンチマンそのものだと思う。
言い返しても無駄なのは、あくまで真っ当に論理的な返答をした場合だ。意見以前に事実すらも認めようともしない相手にはそりゃ意味もない。
「顔真っ赤」とか「効いてるw」みたいな使い古された汎用ワードではダメだ。確かに腹は立つが、深くは抉れない。いつものしょーもないインターネットの光景にしかならない。
という事で、最近YoutubeとかでMCバトルを観ている。いかに的確に、臨機応変にdisを繰り出すか。ちょっと自信がついてきたら言い返してやるのも悪くないかもしれない。
でもあれって場の空気の熱さとかも込みだし、顔も表情もない、フロウも乗らない、オーディエンスすらいないネットでそれやっても意味ないんじゃね?って気もしてる。
1時間半も並んでラストオーダーだと入店を断られた。入れなそうなら先に教えて欲しい。二度と行かない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2151538
こんなブックマークと白熱したコメント欄を見た。店の対応も1時間半ならぶ客も普通の居酒屋しぐさすれば問題もなかっただろうに残念だ。
のれんをくぐる、店主が挨拶、指で人数、「あいにく満席で...」、「じゃあまた来ます」。これがよくある個人居酒屋の光景だ。
このやり取り見て親切に変える常連も居たりする。その際、入り口で帰る常連に軽く会釈する。
別に譲られたからってその後譲り返す必要はないし常連だって空気読まなくていい。
今回の場合、並んでた客がどこまで質問したかや店主がどこまで伝えたか分からないがもしコミュ障とかなら素直に張り紙や呼び鈴システムでも入れれば良い。あと外に待合ベンチも止めよう。立つからこそ疲れて諦めて帰るのだ