はてなキーワード: 部落とは
今回の「ハシシタ」の件を、権力者の横暴や政治圧力の話にすり替える低劣さったらないよ
http://anond.hatelabo.jp/20121020111103
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20121020111103
橋下の支持基盤っぽい、いわゆる保守ぽいネトウヨっぽい人達が塊として顕在化し始めたのが、在日や部落などの逆差別~利権糾弾がその走りだった事を思い返すと、方々の捻れたリアクションがまた味わい深いね。
何か勘違いブコメがあるので一言述べておくと、逆差別・利権化のために(部落)差別を利用するような行為も、今回のような橋下氏批判に利用したいがために(部落)差別の問題を政治圧力の話にすり替えるような行為も、同根・同類で低劣かつ本当の問題を矮小化し見えにくくするものだということである。
記事読んだけど全然差別記事じゃない。差別を錦の御旗にした権力側からの言論封殺恫喝とあっさり屈した情けない出版側。記事のどこが差別問題だかも示さずに何を言ってるんだか。
何が問題なのかも分からないとするブコメもあってびっくり。会見やニュースでも指摘されていたはずなのだが。
『橋下氏が自らの政治活動を差別批判にすりかえていることが問題』とかいう頓馬なブコメもあるが、今回の件は週刊朝日の記事も「政治手法を検証するつもりはない」と述べており、その結果として当然のことながら、それを受けた橋下氏側も政治活動への批判に対する応え・論点逸らしとして差別批判を持ち出しているわけではない。
「在日が、部落が」とか言って喜んでいた人が突然人権意識に目覚めたことは素晴らしいことです(棒読み)。/週刊朝日は外国人差別記事を平気に載せていたから「権力者による政治圧力に屈した」のが真相でしょ。
『「在日が、部落が」とか言って喜んでいた人が突然人権意識に目覚めたことは素晴らしいことです(棒読み)。』というブコメがあるが、これが、私がこれまで『「在日が、部落が」とか言って喜んでいた人』だという意味であるのならば、根拠もなくそのような侮辱的な認定・レッテル貼りを、他人に対して平気で出来る人間が存在するという事実に愕然とする。
なんじゃこら。他者が間違ってると言うだけで自説は言わない、てのは、そもそも自分の説をもってない人がよく用いるメソッドだね(実社会では通じないのでほぼネット限定だけど)。
また頓珍漢なブコメがあったが、問題のあると思われる行為に対して間違っていると指摘することは、それ自体が自説の開陳に当たるのだが。「いや、その行為は間違っていない」という反論だって可能なものだ。実際、橘玲氏などは
「血(ルーツ)」こそがひとの生き様を支配する、という人間観を持っている。佐野氏の作品が多くの読者を獲得したのは、こうした人間観が広く受け入れられているからでもある。
「日本国の首相の座を目指す公人は、父母や祖父母の代まで遡ってすべてのルーツを国民に開示すべきだ」
というのは、ひとつの思想信条として認められるべきであり、それを追求した今回の行為は間違っていないという形での反論を行なっている。
↓出身地域で部落認定なんてことが実際に行われていたことを知らない、知識不足で感度の低い人は、今回のようにどこそこは部落だと書くこと自体が大きな差別問題を引き起す記事となることだに理解出来ないんだなー
『出身地域で部落認定なんてことが実際に行われていたことを知らない、知識不足で感度の低い人は、今回のようにどこそこは部落だと書くこと自体が大きな差別問題を引き起す記事となることだに理解出来ない』蓋しごもっとも。ニュースでも指摘されていたのでここが問題点の大きな一つであることは周知だと思っていたのだが、違うようだ。そして、出身地域による部落認定で結婚が阻害されたれたりも現実にあった。
追記
今回の件は「橋下氏の人権が侵害された」という問題ではなく、上記とも絡むが、橋下批判をする中で橋下氏とは関係のない人たちに対する差別助長(およびそれに伴う人権侵害)の危険性があったという問題であろう。その点で「公人だから」「既出情報なのに」といった議論は見当違いの詭弁。もちろん橋下氏とは関係のない人たちだけではなく、今回のロジックでは、血を引き継ぐことになる橋下氏の子供たちに対しても大きな問題を孕んでいるが。
追記2
週刊朝日の「おわびします」記事においても、『同和地区を特定するなど極めて不適切な記述を複数掲載してしまいました』『多くの関係者を傷つける事態をまねいたことについて、深く反省』となっていて、
問題の中心が「橋下氏の人権が侵害された」ところには無いという扱い。妥当であるし、「橋下徹大阪市長の人権を侵害していない」からと今回の記事を擁護するのが如何に的を外した馬鹿げたものであるかも示している。
なお、同和地区を特定したも何もそんなのは既に衆知であろう、だから問題にはならないというのも、あの記事での同和地区の扱われ方 -橋下氏にネガティブなイメージを与えるための出汁にした- を考えれば通用しない強弁にすぎない。
「政治的圧力による言論弾圧に屈した悪しき事例を作ってしまった」
「権力者が気に入らない記事は載らなくなる」
といった方向から、今回の「ハシシタ」の件を捉えるのは筋違いも甚だしい。「橋下氏やその支持者は敵失で得したね」という方向からのは言わずもがな。
今回の問題はもっとそれ以前のところに問題があり、だからこそ週刊朝日の謝罪も橋下氏に対してのものではなく「不適切な記述」に対するものが主となっている。
これを権力や政治圧力の話にすり替えてしまうことは、記事の本当の問題を矮小化するに等しい低劣な行為だ(しかも、橋下氏へのネガキャンに利用するためだけにそのような矮小化をしようとする浅ましい人たちまで存在する)。
もし、今回のが権力者による政治圧力に屈したものであり、橋下氏のような権力者が相手でなかったら謝罪も連載中止もなかったとすれば、そちらの方こそ深刻である。
追記
何か勘違いブコメがあるので一言述べておくと、逆差別・利権化のために(部落)差別を利用するような行為も、今回のような橋下氏批判に利用したいがために(部落)差別の問題を政治圧力の話にすり替えるような行為も、
同根・同類で低劣かつ本当の問題を矮小化し見えにくくするものだということである。
追記2
何が問題なのかも分からないとするブコメもあってびっくり。会見やニュースでも指摘されていたはずなのだが。
追記3
『橋下氏が自らの政治活動を差別批判にすりかえていることが問題』とかいう頓馬なブコメもあるが、今回の件は週刊朝日の記事も「政治手法を検証するつもりはない」と述べており、その結果として当然のことながら、
それを受けた橋下氏側も政治活動への批判に対する応え・論点逸らしとして差別批判を持ち出しているわけではない。
追記4
『「在日が、部落が」とか言って喜んでいた人が突然人権意識に目覚めたことは素晴らしいことです(棒読み)。』というブコメがあるが、これが、私がこれまで『「在日が、部落が」とか言って喜んでいた人』だという意味であるのならば、
根拠もなくそのような侮辱的な認定・レッテル貼りを、他人に対して平気で出来る人間が存在するという事実に愕然とする。
追記5
また頓珍漢なブコメがあったが、問題のあると思われる行為に対して間違っていると指摘することは、それ自体が自説の開陳に当たるのだが。「いや、その行為は間違っていない」という反論だって可能なものだ。実際、橘玲氏などは
「血(ルーツ)」こそがひとの生き様を支配する、という人間観を持っている。佐野氏の作品が多くの読者を獲得したのは、こうした人間観が広く受け入れられているからでもある。
「日本国の首相の座を目指す公人は、父母や祖父母の代まで遡ってすべてのルーツを国民に開示すべきだ」
というのは、ひとつの思想信条として認められるべきであり、それを追求した今回の行為は間違っていないという形での反論を行なっている。
追記6
『出身地域で部落認定なんてことが実際に行われていたことを知らない、知識不足で感度の低い人は、今回のようにどこそこは部落だと書くこと自体が大きな差別問題を引き起す記事となることだに理解出来ない』蓋しごもっとも。
ニュースでも指摘されていたのでここが問題点の大きな一つであることは周知だと思っていたのだが、違うようだ。そして、出身地域による部落認定で結婚が阻害されたれたりも現実にあった。
追記7
今回の件は「橋下氏の人権が侵害された」という問題ではなく、追記6とも絡むが、橋下批判をする中で橋下氏とは関係のない人たちに対する差別助長(およびそれに伴う人権侵害)の危険性があったという問題であろう。
その点で「公人だから」「既出情報なのに」といった議論は見当違いの詭弁。もちろん橋下氏とは関係のない人たちだけではなく、今回のロジックでは、血を引き継ぐことになる橋下氏の子供たちに対しても大きな問題を孕んでいるが。
追記8
週刊朝日の「おわびします」記事においても、『同和地区を特定するなど極めて不適切な記述を複数掲載してしまいました』『多くの関係者を傷つける事態をまねいたことについて、深く反省』となっていて、
問題の中心が「橋下氏の人権が侵害された」ところには無いという扱い。妥当であるし、「橋下徹大阪市長の人権を侵害していない」からと今回の記事を擁護するのが如何に的を外した馬鹿げたものであるかも示している。
なお、同和地区を特定したも何もそんなのは既に衆知であろう、だから問題にはならないというのも、あの記事での同和地区の扱われ方 -橋下氏にネガティブなイメージを与えるための出汁にした- を考えれば通用しない強弁にすぎない。
大阪市の橋下市長が、週刊朝日にて掲載されている自身の出自をめぐる記事について吠えている。
メディアを通じてこの件について知った人も多いだろう。
多くの人は、また橋下市長が例のごとくメディアに喧嘩をふっかけて自身および維新会の露出を増やすための作戦と思っていることだろう。
彼のtwitterを見ても、ああまた火がついたんだな、という程度に思っているはずだ。
だが、今回のこの週刊朝日の一件については、自分自身この記事はありえないと思う。心底唾棄すべき記事だ。
この号の実物を見ていない人もいると思うので表紙の画像を貼っておく。
http://publications.asahi.com/ecs/image/cover_image/14316.jpg
内容を見る前にまず、このタイトルに注目して欲しい。
私は、このハシシタという表現は、橋下市長をあえて揶揄するために、こういう読み方にしたのだったと最初は思っていた。
先ほどふいに、田舎の父親がかつて部落差別のついて語っていた際に、被差別部落の人たちを「橋の下」という言葉で蔑んでいたという話を思い出した。
そこではたと膝を打ったようにこの記事のタイトルにかけられた悪意と下劣さが私には分かったのだ。
佐野眞一というノンフィクション作家については対象者のバックグランドを描く際にルーツおよび血縁にこだわることを特徴としている書き手である。
ノンフィクションとしてそういうアプローチの仕方があることは否定しない。たとえば、ソフトバンクの孫正義社長を扱った昨年の昨年、「あんぽん」などは同じように孫社長のルーツであるところの、福岡の朝鮮部落に始まり、親戚一同をそこまで描く必要があるのかというぐらい血脈にこだわった取材が行われている。
その結果、「あんぽん」という作品自体は孫社長も認めるほどのノンフィクションとして無類の傑作となっている。
いっぽう翻って対象者を橋下市長に変えた今回の週刊朝日の連載については、そのアプローチ自体は佐野眞一のいつも手法として認める側面がありつつも、父親不在という事実を前にすれば、そもそもそういうアプローチは成立しえないのではないかという危惧もいだいた。
その点では橋下市長が血脈主義を嫌悪して怒る理由も分からなくはない。
ただ、このハシシタという表現の意図が分かった現在では、週刊朝日は言論機関として自殺したにも等しいと認識している。
私としてはここにいたって橋下市長の怒りの原因がようやくわかった次第だ。
と、こんなことを書きながら、もしかして他にも同じことを思っている方がいるか思い、「ハシシタ」で検索すると以下の記事が見つかった。
別にそういう職業に従事している人たちが同和だ部落だということから嫌だというわけじゃない。
この手であんなおぞましい行為をしている、殺生をしている、と思うと、なんかどうしても気持ち悪いのだ。
1・動物を殺すこと、
殺害自体や血や断末魔の声等々に
2・「自分では出来ないけれど必要な事」を社会の他者にアウトソースするのも悪いことじゃない。
標準より特別無責任な態度でもない。
差別って言うのは、
無理矢理合理化しようとする時に産み出される。
例えば〇タなんていう設定を生み出して、
(奴等は前世から穢れてるので穢れた仕事をするように生まれついた)
(奴等に仕事を与えてあげてるだけなのだから私はホワイトハンドで肉を受け取る)
「でも拒絶感が抑えられないんです」
というのは大変正直に気持ちを語っている。
このどこに差別がある。
感謝している。
申し訳ない。
でもキモい(もしくは怖い)。
私には出来ない。
とか言い出す人が居たらそれは阿呆です。
視界に入ったとき「ウグッ」となるし動悸が早くなる。怖い。
この体の反応は差別じゃない。
だが理性でそれを抑え込んで当人に少しでも嫌な反応を見せない、
これが差別をしないと言うこと。
同じ場面で
これは修行が足りないとか肝っ玉が小さいと言う事であって、やはり差別とは違う。
特に後で「悲鳴を上げたりして悪いことをしたな」と反省してるならそれはもうしょうがない。
「彼が悪いとは思ってない」
これはどこも差別じゃない。
この二人はすぐに別れて、それぞれもっと相性の合う相手見つけてセックスすればいい。
ケースや単語の暗記ばっかりで自分の頭で考えたことある奴がすごく少ない。
話にならない。
ここを否定するなよ。屠殺業はエタ・ヒニンの仕事で部落の連中がやっているって認識があるからだろ。
実質合コンの飲み会で知り合って付き合いだし、最初は卸売業に従事しているといってたけど、
要するに豚を殺す仕事をしている人だった。
職業に対して偏見を持つつもりはないし立派な仕事、必要な仕事だとは思うけど、
私を触ったこの手で豚を殺していた・・と思うと、なんだか気持ち悪くてもうこの人には抱かれたくない、と思うようになった。
別にそういう職業に従事している人たちが同和だ部落だということから嫌だというわけじゃない。
この手であんなおぞましい行為をしている、殺生をしている、と思うと、なんかどうしても気持ち悪いのだ。
そのお肉を作っているのは彼らだ。
必要としているくせに、お世話になっているくせに、いざ自分の恋人や家族がそういう仕事をするとなると嫌だ、と思ってしまう。
http://anond.hatelabo.jp/20120704205323
だから、城下町の武家屋敷地域を除けば、農村地帯は全域が部落地帯。単に士農工商の農民しか住んでなかった集落のことに過ぎないから、いわゆる被差別部落の部落とは全く違って補助金なんて当然出ない。部落という言葉はありふれて誰もが馴染んでいる日常用語だし、それ無しではどんな社会生活も成り立たない。小中学校時代も全員が部落の子供達だから、部落差別問題は教育として取り上げようがなかった(子供が変な勘違いしたら大変なので)。
なのに近年、関東以西の部落差別問題のせいで、東北の部落まで名称変更をさせられて非常に面倒。
「ここから〇〇部落」の道路標識は一枚も余さずことごとく「ここらから〇〇町内会」に建て替えられた。老朽化していた訳でもないのに何故わざわざそんなことするのか。県庁と教育委員会の人達の話を聞いたら、他の地方の人達が持つ部落意識への対策ということだった。東北の部落に部落問題の差別は無いとアピールして全国に浸透させる労力よりも、自分で自分の名称変更する労力の方がまだ少ないと判断したらしい。東北の部落は被差別部落では無いというアピールは、それこそが被差別部落に対する差別になるからできないし。
お陰で、あらゆる行政や教育や市民活動で、部落消滅のための名称変更が大進行中だ。「〇〇部落」と書かれた古くから伝わる記念碑や神輿も「部落」のところだけ修正された。「〇〇部落PTA」と書かれた交通安全旗とかも回収。今まで全部「部落」で習慣的に統一されて便利だった呼称が、何の決まりも無くバラバラに、一部は町内会と変更されたり、また一部は地域や地区と変更されたりしている。全くもってゴチャゴチャと名称乱立でみんな大混乱。「消防団の場合は〇〇部落が〇〇区域になったんだっけ?〇〇町内会?何だっけ?」と書類書くのもいちいち新名称を確認しなくてはならないので面倒臭い。そもそも、部落差別なんて過去の遺物になってるであろう今の時代にガンガン推し進める必然性なんてあるのか。それに何より、これらの名称変更には、税金だったり部落の共同出費だったりして相当に無駄金がかかってる。
そんな訳で、どこかの意識の高い人達が部落差別問題と騒げば騒ぐほど、差別を無くす教育よりも、部落は差別対象だったという知識の方が広まって、今まで差別なんて無かった関係ない東北の部落までもが差別対策をすることになってしまっている。余計な金払って伝統的名称を排除した挙句に大混乱で、こんな面倒な羽目になってとんだとばっちりだ。
部落問題が日本で一番身近な差別問題だから……というといろいろ語弊があるんだけど。教える側としても生活体験としてわかってる人が多いしね。
それと、風化は当然先に言われているように良くないし(印象操作とかステマとか簡単になるからね)、そのために(今最も再現性のある)部落差別について一定のウェイトを置くのは理解できるんだけど、本当の問題はそこじゃない。問題なのは部落差別じゃなくて差別自体だっていうことを、部落問題の中では一度も言わない。俺は部落出身のおっさんの講演会で1回だけ聞いたけどな。
そういう意味では、小学生の頃に見せられた青い目茶色い目の実験授業のビデオのほうがよっぽど意味があったと思う。俺はあれを見て、マジで差別は恐いと思った。
何もしらない子供に
そこが重要なんじゃね?
「まあ、学校ではそんなこと教えてくれなかったわ。拡散しましょう!」って
まず間違いなく差別する側に回るだろう。
それを防ぐため。
ただ、個人的には現状の方式はコストがかかり過ぎていると思うので、やり方を変えるべきではある。
2ch人権板をサラッと読むだけでも、人の出自を詮索して、勝手に「政府に助成金もらっている」と怒って(貧乏人や元身分差別者に社会保障を投下しなかったらそんなもん社会保障じゃないよ)、人生を滅茶苦茶にしたいと願う人はかなり沢山いるのよね。
社会保障は平等のためのものだが、それを平等じゃなくしている人は山のようにいる。それどころか政府に絶望した部落出身者は、自分を守るために社長や議員になって権力を握って自分や部落の身を守り(そりゃそうだ)、そのことで部落叩きの人たちは憎悪を膨らませている(そんなこと言ったって困る。身を守るなとか口が裂けても言えん)。
不平等があるのなら監査団体に申し入れれば是正されるのだが、普通は部落叩きは「個人の人生を滅茶苦茶にしたい」のであって、「不平等を是正する」などという面倒くさいことはしたくない。それはズルイんだけど、実際そうなっている。というのが今ここにある部落差別。
しのうこうしょう私の学校では部落差別はいけない事だよーみたいな教育があった。
小さい頃はふーんって感じで聞いていたが、大人になってから市の開催する無料資格講座に参加した時に久々に受けさせられた。
市の部落差別担当の役場のお爺さんさんが「本当はこれやりたくないんですけどね、配属されたからね」みたいな自己紹介をゴニョゴニョしてた。
その後、中学生日記を死ぬほど安っぽくつまらなくしたような、部落中学生が根性悪い奴に差別されて、最後は夕陽に染まる海辺で「皆!ありがとう!」とか言って5人位で手をつないでアハハハーって走りだすドラマを視聴。
さっきの爺ちゃんが「部落差別はいけませんよ、部落の人も私達と同じ人間なのです、赤い血が流れているのです」とか言って終了。
そりゃ赤い血の流れた人間なのは見れば解るわ…などと思いながらつまらなさそうに聞いていると「若い人には解らないかもしれませんが」と私の方を見て言ってきた。
参加者の中で一番役場の爺ちゃんが部落に差別意識持ってそうだった。
私が部落なら「この人だって私達と同じ人間なんです、赤い血が流れているんです」なんて言われたら腹立つけどな。
逆に考えよう。
誰なら良かったのか。
Webの世界で有名人でなければならない、というわけではないと僕は思う。
人を惹きつけられるストーリーさえ用意できれば。
本当に学費が必要な人に、という建前を重視するなら、お金がない優秀な学生というところなんだろうけども、どういうストーリーを用意しようかね。
ただし、綺麗な貧困って滅多にないように思う。
パチンカスがダメなんてのは言うまでもなく、学費を払えない理由が「親と仲が悪いから学費を払って貰えない」というのも無理である。
家庭が貧しい、というのがまあ妥当なところだけれども、生活保護だったりすると話が違う。
在日外国人だったりすると話が違うし、部落と関わってるとまた話が違うし、創価と関わってたり、きな臭い商売に関わってるとまた話が違う。
叩いてもホコリが出ない、心は清いただただ貧しい家庭、でないとならないわけで。
また、優秀な学生というのはどういう人ならよいのだろう?
と言う人がいたとする。
実現可能かどうかはとにかく、心意気だけを買ってくれ!
じゃあ、どうやってと聞かれて、学生が答えられるか?
まあまず無理だな。
一人で考えついて一人で立ち上げた研究だとしたら、それでもやっぱり無理だな。
そんな秘蔵のアイディア、webなんかで公開できるわけがない。
これからどうしたいじゃなくて、実績アピールというのが無難なところかと思うんだが、そうすると、たとえば、こういう子か?
Ruby開発の新メンバーは14歳の中学生!「起きてる時間はずっとPCに向かっていますよ^^」
http://chitekizaisan.blog28.fc2.com/blog-entry-2648.html
でもね、こういう子が自分を見世物にしてまで支援を必要とするか?
俺が思うに、studygiftで売り物に出来るPRポイントは、人間的な魅力(性的な魅力も含めて)しかないよ。
キャバクラ嬢に金を落とすのと一緒だ。
「辛かったんだね。応援するよ」
ってのとなにが違う?
客が嘘とわかってて金を出すなら、なにが悪い?
坂口綾優がもう一度お金を集めれば、studygiftはそういうものだと認知されるだろう。
そうすれば、もうなにも問題がなくなる。
擬似恋愛を楽しむ場所と割りきってキャバクラにお金を落とすように、あしながおじさんごっこを楽しむものとして認知され、嘘があろうがなかろうが、システムとして問題はない。
キャバ嬢だったら店を辞めてケータイを解約すれば、過去は忘却の彼方。
でも、クラウドファンディングは違う。
開き直って図太く生きろって言ってやりたい。
生活保護費のなかで生活する分には、食費に使おうが、食費を切り詰めてパチンコに使おうが、そんなのは勝手だと思うけども。
子供の教育費を切り詰めてパチンコってのは問題だと思うけどさ。
死を待つジジババが何に使おうがいいと思う。
それを問題視するのは、生活保護のくせに!!っていう嫉妬があるんだろうけど。
現物支給となったら、その指定業者の座を争って醜いことが起きるんだろう。
生活保護の一番の問題は、形を変えた年金になってるということ。
不正受給してるとピンポイントで特定の層(外国人が、部落が、っとね)を叩くけど、生活保護でダントツは老人。
年金と一緒で、現役世代から老齢世代への再配分してるにすぎない。
国民年金よりも生活保護費のほうがたくさんでるんだもん、国民年金払うより、年金をもらえないで生活保護をもらったほうがマシ。
余生を細々過ごすんなら、生活保護で十分じゃん。
抜け出す必要なんかない。
制度的に考えなきゃならんところはあるけどね。
あの頃は公務員なり手がだれもいなくて
とんでもねーバカに頭下げて役所に入ってもらってたりしてたし。
バブルの頃で現業の公務員なんてなりたいヤツだれもいないだろー。
その頃そういう奴らがたくさん入ってきただけの話じゃないの?
まー、その通りなんだけれど。
「刺青を入れる人間が過半数であるような社会組織と自治体が癒着して、税金を垂れ流してる」
ってのが一番マズイことだと思うんだよね。別に部落であろうとなかろうと。
確かに叩きとしてはシンプルじゃないけど。
ここ一番大事だと思うんだよ、個人的には。
公務員叩きでも受け入れられる叩き方と
逆に受け入れられない叩き方があるからな。
公務員の刺青はやめろ!とか楽な仕事なのに高給もらいやがって!
っていう批判は例えあまり正しくない、また事実と多少違っても受け入れられるのだ。
いや、ただの絵なのはわかるよ。
だから、若気の至りで入れちゃって隠してるアホは別に処罰してもしなくてもいいと思うんだよね。
どーでもいい。
たださ、ちょっと調べてみたら日本社会で刺青を入れてる人の率って1~2%なのよ。
もちろん、確かなデータとは言えないけどさ。
それでも、市職員のある場所で全体の七割の人間が刺青を入れてたら
それって「ただの絵」ではなく、何らかの団体と官の癒着を明らかに示すよね。
「刺青を七割入れてる集団」ってのは、日本社会では「マトモ」じゃないからね。
マトモじゃない人たちが大量に流れ込んでるってことですよね。
http://anond.hatelabo.jp/20120415100823
実際問題中絶に殺人罪を適用するといろいろな不都合が生じるな。
まあ私としては無責任にセックスした奴やその関係者に不幸になってもらいたいし、
そういう奴がいるせいで無関係な人間が迷惑することで、そういう奴らが恨まれればいいと思っているから、
不都合なら生じるだけ生じればいいと思ってるんだけど。
まず性欲の処理。これは風俗に任せる。
風俗を政府公認の産業として風俗嬢の労働権を保障して風俗店・風俗嬢から徴税する。
風俗嬢は経歴にその仕事をしていたことが明記されるから結婚に不利になるだろうが、
だからこそ風俗市場への参入に規制が敷かれ、風俗嬢は高い給料が得られる。
風俗を利用したい者には身分登録をさせて万一妊娠させた場合に、
風俗嬢でも素人でも結果的にピルを服用させる羽目になったり生で挿入を要求したりしたらそれだけで強姦罪確定。
強姦や事故などにより両親双方とも出産育児を希望しなかった場合。あるいは養育能力がない場合。
中絶して殺人罪を適用するのでなければ、出産させて国の施設か養親に育てさせる。
そして実親からは養育費を徴収。金がなければ国が徴発して強制労働させる。
女が強姦されて望まず出産して養育費を払わなければいけなくなった場合は、男の側に賠償請求する求償権が女に発生する。
ただしその場合強姦されたことについて原告として裁判を起こしていることが必須。示談で結実しては駄目。
そして子供は実親に養育費を請求する権利と財産を相続する権利を持つ。
親子関係の解消は、子供が五歳以上の場合は子供の同意があれば可能とする。
子供が五歳未満で養親の同意がある場合も可能とし、その場合は養親が実親としの権利と義務を持つこととする。
女が原告となって裁判を起こして男を訴えれば、「裁判済み」と記載されて、強姦されて出産したことが第三者にわかるようにする。
示談ではそれは無理かな。
強姦されて出産した過去を持つことや子供が既に他にいて養育義務を負っていることを理由とした結婚の拒否については、