はてなキーワード: 立ちこぎとは
中学の自転車登校の頃から今の通勤までずっとヤマハとかブリジストンとか有名メーカーのママチャリを乗ってきた。だいたい5万円から8万円とかの価格帯のママチャリ。
しかしいま主流の1万円とか2万円の安いママチャリって一度も乗ったことがなかった。
いまちょうどもう一台必要だなという事情があって、知り合いがそういう安いママチャリを5千円で譲ってくれたので使ってみてた。
まず安いママチャリは塗装がダサい。黒い車体なんだけど色がのっぺりしてて立体感がない。あと簡単に剥げそう。
高いママチャリは塗装が綺麗だ。俺はシルバーが好きで毎回シルバーを選んできたけど真珠みたいに何層にも色が塗り重ねられていてキラキラしている。
次に乗ってみる。フレームが柔いと感じる。立ちこぎするとフレームがたわむのだ。フレームじゃなくてホイールが影響しているのかもしれないけど、とにかく力が逃げる感じがする。
あとブレーキがとにかく効かない。サイクルショップに行ってみてもらったんだけど「これ以上聞かせるのは無理」と言われた。
ゆっくり走ってても止まるのに1mくらいスイーっと滑空するので怖い。下り坂なんかあったら確実に止まらないと思う。
安チャリは割と綺麗な状態で譲ってもらったんだけどそれでも乗るのが厳しかった。
ママチャリなんか年単位で使うはずだし長期的に見たら数万出して高いのを買った方がいいと思う。
安いママチャリの良いところを捻りだすととにかく気楽ということだ。
高いチャリは盗難が怖いが、安いと「盗まれてもまあいっか」と思う。
そんな安チャリだけど、定期的に空気を入れてチェーンにオイルをつけて、たまに水拭きしてやるとそれなりに愛着は湧くので大切に乗ってやろうと思う。
コロナの影響などではなく、2020年4月から自主的に無職になった23区内近郊在住子供部屋おじさん。
無職になったものの有職時代と同額を家に入れているのと、年金やら住民税やら回避できない出費が多い。
基本、引きこもっているが、たまの外出時は定期も無くなったし交通費が惜しくなる。
また、駅までチャリで15分のところに住んでいるので、わずかながら駐輪代も掛かる。
ということで、外出時は頻繁にチャリで23区内へ行くようになった。
退職してから転職活動の一環として定期的に都内へ行くことが決まっていた(結局、ほとんどリモートになった)ので、ロードバイク的な自転車も検討した。
長距離を走るには楽な姿勢とか、スピードとかが大事なんだろうし、なら、ちゃんとしたスポーツタイプの自転車でないとダメなのでは?と思ったから。
ただ、色々見たが、
・歩道に入らざるを得ない際、細いタイヤで段差を上がる時のパンクやら転倒やらの懸念。
・それなりに高価だし、お手軽に駐輪できるかの懸念。
これらを自分なりに解決できる自信がなかったので、結局、買わなかった。
ひとまず、有職時代に毎日乗っていた、5段だか6段だかギアのついたノーブランドシティーサイクルで、そこそこの長距離を走ってみることにした。
腕と体の角度を90度に保つようなイメージで、腕を真っすぐ伸ばしながらハンドルに手をつく。
それにより、やや前傾姿勢になるのだが、その時、背骨を真っすぐにし続けるよう心掛けた。
これがきっと、体への負担を最小限にしつつ、普通のチャリで長距離を走れる最適な姿勢に違いない(今も思っている)。
スマホホルダーをただのチャリに装着し、サイクリングモードよりも徒歩モードの方が短距離で案内してくれる、Googleマップに行き先をセット。
朝、駅まで行く時は本気でこいでいたが、長距離なので無理のないペースで。
初回から往復40km程度走った。
電動自転車ではないので、川を超える時など坂ではハアハア言っていた。
それでも、大した苦ではなかった。
カーナビが絶対に案内しないようなマイナーな道や、「自転車を除く」と書かれた一方通行の道を出口側から何の躊躇なく進める。
今すれ違ったおばさんは、まさか、こんなどこにでもあるようなチャリを、もう既に13kmもこいでいるとは思いもしないだろうな。
自宅から駅・電車で行く時間+30分ぐらいで到着(場所によっては同着も)。
これがめちゃくちゃ安い。
車で23区内駅近に1時間でも停めようものなら、場所によっては往復の電車代を超えることもある。
バイクは車よりは安いけれど、自転車の駐輪代の安さが凄まじい。
2時間もあれば大抵の予定は済ませられる。
ただ、安さゆえか、恐らく近隣から来たと思われる自転車で一杯の事が多い。
いくつかの用事を済ませ、帰りの残り4kmぐらいからが特に疲労を感じた。
翌日、両太もも筋肉痛になるも、もう二度とチャリで何十キロも走りたくないとは思わなかった。
今では、段差のある所を通過する際は立ちこぎの姿勢に変え、腰への負担を無くすなどし、複数の用事を済ませ、往復60km近く乗ることもある。
最初の頃より疲労感は減少したものの、基本、引きこもっているから、やはり翌日は筋肉痛になる。
ニートを終え、また働き始めた時の通勤では、確実に電車を選び、チャリを何十キロもこぐことはしない。
たったいま、痴漢に遭った。
近所の女友達とこの時間まで2人で飲んでて、お互い徒歩で家に帰れる距離だから、飲み終わって「おやすみ〜」といつものように解散。
家まであと3分位の距離。歩いてたのはトラックも車もひっきりなしに走る大通り。飛び出したら死ぬなっていうくらい、猛スピードでみんな走ってる。
この時間だから人はほとんど歩いてなくて、油断してた私がいけなかった。
後ろからきた自転車を避けようと、歩道の端にそれた瞬間、ブレーキ音とともに「ガシッ!」とお尻を鷲掴みにされた。男の指が尻の割れ目に食い込んだ感覚がした。気持ち悪かった。
痴漢に遭った人の体験談で「怖くて声も出なかった」というけど私はとっさに声が出た。なぜか「Fu*k you!!!!!!!」と道路中に響き渡るバカでかい声で叫んだ。
自転車痴漢野郎はシャーーーッと車輪音をたてて立ちこぎで逃げ去って追いかけるのは無理だったけど、曲がった角めがけて走った。
角に着いても自転車痴漢野郎の姿はとっくに見えなかった。どんだけこぐの速いんだよ。つーか、逃げ去るくらい弱気から痴漢なんかするんじゃねえよ。次あったらまじでこ●す。玉という玉を握りつぶす。
五臓六腑が煮えくり返りそうな怒りがわいてきたんだけど、冷静になったらいきなり虚しくなった。
これだけ怒っても逃げたやつの顔も分からなければ、痴漢された証拠すらない。
大声で叫んでやったと思ったけど、聞こえた人は誰もいない。
これから先の人生、痴漢に遭った事実を知っているのは世界で私と、クソ自転車痴漢野郎の2人だけ。
悔しい。悔しくてたまらない。行き場のない怒りと虚しさと物悲しさで体が震える。いまでも震えてる。なんであんなやつのために私の貴重な細胞が震えなければならないのだ。
じゃあどうすれば良いのか。
警察に電話する?不審者情報として流してもらう?たしかにパトロールはしてくれるかもしれないし、自転車痴漢野郎がその情報を見ていたとしたら危機感じて他の人にはしなくなるかもしれない。
でも、通報したところで「そんな時間に女1人で歩いてたあなたが悪いです」と言われるのは目に見えてる。そりゃあ悪いよ。でも露出度は極めて低い、身体のラインなんて一切わかりそうもない服装だった。それでも痴漢に遭ったあなたが悪いですと言われるのかもしれない。
気弱なクソ自転車痴漢野郎。逃げたお前は恥そのものだが、結果としてそれはお前の勝ちだった。無意味に叫ぶこと意外、なにもできずにこうして匿名ダイアリーに書き捨てるしかない私の負け。
清く正しく真面目に生きていたところで、卑しくも逃げて生き延びて得する人がいる。
明日からの私の人生には、夜中に自転車痴漢に遭ったという汚点だけが人知れず残る。
一方でお前は「姉ちゃんのケツ触れてうまく逃げられたぜラッキー」とか大したことない幸運を感じて明日からの人生送るんだな。
「カットだけでよろしいですか?」
などと聞かれ動揺してしまったのを覚えている。
というか他にどんなコースがあるのか未だに知らない。
続けて
「ご指名はございますか?」
なんて答えてしまったほどだ。嘘だ。
そんなシステムに馴染みの無い俺にはそれほど未知の世界だった。
散髪中の美容師さんとの会話もどうにも好きになれない。
全然知らない人とお喋りをするのは平気だが、床屋での会話はどうもやりづらい。
「そんな事より散髪に集中してくれよ。」
わざわざ視線を合わさないで良い会話もあるのだが、それは気心の知れた仲の良い相手限定であって、
数回しか会ったことの無い君(美容師)との会話はそういうもんじゃないだろう!と思ってしまう。
散髪の間中どこか機械的な冷たさを俺に与え続ける。
親しげに話しかけるフリをしているがお前、別に俺に興味なんて無いだろう^^?
なんて言ってやったらどうなるだろうとか考えてしまう。イヤな性格である。
このように美容院のシステムに拘束感を覚えてしまうのも、俺の美容院嫌いの一因だと思うのだが、
散髪そのものにイヤな思い出が多すぎるのだ。
上記の通り美容院に行き始めたのは高校1年からなのだが、それまではどこで切っていたかというと、
俺はそこで髪を切っていた。
店内は奥に広くイスは15脚ほど並んでいるが、元プラージュ常連の俺のメモリーによれば、
満席どころか5つ埋まっているところも見たことがない。
そんな床屋がなぜ10年以上も営業を続けていられるのかは謎であるが、俺はそこで切っていたのである。
中3まで。
「パパっと切ってもらうか。」
安さも魅力であるがなんといっても15分足らずで終わる手軽さが良い。
店に入るとやはり客は俺一人。
普段無愛想な中年の店員が何故かあの日は元気に「らっしゃい!」と言っていた。
良い事でもあったのだろうか。
俺には関係ない話だ。
やはり元気よく「どうしますか!」と聞いてくる店員。
要望を伝えたところで、今までその通りにしてくれた事など無い事を俺は知っている。
「前髪はギザギザで…」
と伝えても終わってみれば必ず前髪は綺麗に揃っていたし、
「全体を2センチくらいずつ切ってください。」
産毛を剃るために出したのだと思っていたバリカンで急に後頭部を刈りだした時にはさすがに
「ちょっ…!」
とは言いかけたものの時すでに遅し。順調に刈り上げは進んでおり、いよいよ河童っぽくなっている鏡の中のアイツ、もとい俺。俺がアイツで、アイツが俺で。
線の細さも相まってさぞ河童に見えた事であろう。
河童という結果は「全体を2センチくらいずつ切ってください。」という要望によるものだ。
どういうフィルターを経て「全体を2cm」→「河童」になるのか。
そんな店員に要望を伝えたところで何も叶わないのは分かっているので、
「この後用事あるんで、どの場所も3センチ以上は切らないでください。」
と短く伝えた後は、15分間ヤツの手元を見張る作業に費やすことにした。
15分間後には見張りの成果か、まぁ見れない事は無い髪型が鏡の向こうにあった。
じゃあ髪の毛流しますね~って事でやたら熱いシャワーを頭に浴びせられる。
ドライヤーで乾かしている間に、見張りの反動か、少し眠くなり、うつらうつらしてくる。
不安もあったが、既に髪の毛は切り終えたわけだし大丈夫だろうと、眠ってしまった。
目が覚め、正面の鏡を見やると、ポマードでガチガチに固められた七三分けの少年が座っていた。
これは…?誰…?…俺?
動揺している俺に店員は上機嫌に言う。
『このあと用事あるんやろ?男の子やったらオシャレしていかなアカン!』
会計時に不要なビニール袋を貰う。なぜ俺は千円も払って七三分けに…。寝ていた俺には分からない。
店を出た瞬間にビニール袋を頭に被り、半泣きになりながら自転車を立ちこぎで家までかっ飛ばす。
「おちない……おちない……。
この髪についたポマードがいくら洗ってもおちないよ……。」
俺の散髪嫌い。
かような次第である。
ユーチューバーの「好きなことで、生きていく」の類語を4象限マトリクスに配置すると、他3つは「好きなことだけじゃ生きていけない」、「嫌いなことで(ようやく)生きていけてる」、そして「嫌いなことで、死んじゃった」になるわけで、これはもうなんというか俺とか俺とか君とか俺がそっち側の3つの象限に当てはまりすぎてつらいし、いっそ死にたいってなる。
とはいえ「好きなことで生きている」ユーチューバーのみなさんは二言目には「画面の向こうのたくさんの友達」「つまらなければつまらないと言ってもらえる」みたいなことをいって自分を追い込んでいらしてて、なんというかくだり坂をノーブレーキでさらに立ちこぎしながら走り抜ける生き方をしているように見えるのでなんというかすごい。死ととなりあわせのスリルに身をゆだねているときだけ「生を感じている」「生きている」ように見える。やばい。かっこいい。俺もなりたい!
でも学校の後輩がユーチューバーになりたいって言ったら止めるかもしれないね。その坂道を下り始めたらもうずっと走り続けないと死ぬんだよ?っていって。
そしてその後に起こったことたちについて。
君はちょうど小学校の下駄箱にいて、下校する直前だったらしいね。
揺れ始まってまず見たのは、時計だった。君が学校にいる時間なのか確かめたかったから。
だけど運悪くそれはちょうど君が下校するくらいの時間だったね。ママは不安で不安で、揺れの恐怖よりも君のことばかり考えていた。
幸いにも君は学校を出る前だったみたいだけど。本当に、君が一人で道路の真ん中で怯えていなくて良かったよ。
揺れは、長かった。
建物はきしみ、壁にかかっていたものが落ち始め、天井のプロジェクターは私の頭上で振り子のように揺れていた。
そして最後に蛍光灯がジジジと不気味な音を立てて消え、とうとう揺れは収まった。
とにかく、長かったよ。
ママはこりゃ大ごとだなと思ってね。だって、電気が消えちゃったんだもの。
揺れたこと自体はママはそんなに恐怖じゃ無かったよ。ずっと、見てた。
どんな風にどれくらい揺れるのか。
「いいから机の下にもぐれ」って、隣の先輩に怒られたんだけどね。
でも、見たかったんだ。世界を確かめなくちゃって思った。くっきりとそう考えたことを覚えてる。
目をこじ開けて、全部を、見たかった。
会議室にはその時職場の人全員がいて、誰からともなくみんなが声を出していたよ。
「まだ揺れてるから、動かないで」「上注意だよ。プロジェクターが危ない」「揺れ強いよ。まだまだしっかり」「続いてるよ。まだみんな隠れて」「みんな、大丈夫?怪我してる人はいないよね?」って
あちこちで声が上がっていた。ママは一番下っ端だから、じっと黙っているだけだったけれどね。
良い職場だな、と思ったよ。世の中の人たちはどんな感じであの揺れを耐えたんだろう。
君はお友達と一緒だったんだよね。良かった、一人じゃなくて。
お友達が「バスみたい!」って喜んだそうだね。良かったよ、頼もしいお友達を持って。
あんなこと、きっと君が生きている間にはもう二度と起きないと思う。と、信じたい。
ママは会社から退社の許可が出て、一番最初に会社を飛び出したんだよ。
ママの会社って何百人もの人が働いている工場なんだけど、一等賞だったんだよ。すごいでしょう?
車に飛び乗って、車のナビでNHKにチャンネルを回したんだ。どんな状態なんだろう、と思って。
その時に見たのは、街が海に飲み込まれていく映像だった。ハリウッド映画じゃないよ。生中継だ。
大津波警報って、なんだ?大津波?この映像は?現実なの?一体、どこなの?どこの海で津波が起こってるの?
さっぱり訳が分からなかったよ。だって、信じられるかい?街が海に浸かるなんてことを。
そしてそこは、君も知っている場所なんだよ。
一旦車を家に置き、自転車立ちこぎで猛スピードで小学校に着いた。
最初にママも顔見知りの君の友だちに会ったんだけど、その子は顔を真っ赤にして泣いていたよ。当然だね。不安だっただろう。
でも君は不思議と泣いていなかったね。
硬い顔で
「さむさが限界だよ」
帰り道には冷たい雪が降ってきて、街がどんどん暗くなってきた。
街は不安に包まれていた。
あの時、不安は形になって、色になって、私たちの住む街に降りていていたと思うよ。少なくとも、ママにはそう見えた。
これは大ごとだ、って。確かめるように何回も考えた。
確かに大ごとだったんだよ。
ママがテレビも見れず、知らない間に、津波は宮城県の全ての沿岸部を根こそぎ持っていってしまった。
でもママはそれを知る手段がなかったんだよね。
唯一手元にあったのはラジオだけで、でもラジオでは津波がどれだけの陸地を飲み込んだのかは想像できなかった。
君と一緒に行ったことのあるショッピングモールも、水に浸かったそうだよ。
君と一緒に遊んだサイクリングできるあの場所も、なくなったよ。
君と一緒に船に乗ったあの港も、君と一緒に買い物をした市場も、みんな、みんな、波が持っていってしまった。
私がそれを知ることができたのは、それから何日も経って家に電気が来てからだったけど。
君を仙台空港の近くの海のそばにある公園に連れて行くつもりだったんだ。
だからもしもあの地震が一日ずれていたら、私たちは死んでいたかもしれないね。
だってあの場所に、あんな津波が来るなんて全く想像つかないよ。正直、今でも信じられない。
それが、一瞬でなくなってしまうなんて。
どうやって信じたらいいのだろう。
ないよ、ってママは答えた。
もう、あそこには公園作らないの?って君は訊いたね。
どうかな、ってママは答えた。
でも、誰も悪くないんだ。あの公園がなくなったことも、何もかも、全部。
あの日あの時、起こったこと。
そしてこれから起こるであろう全てのこと。
ママたちは津波の影響がなかったから、家を片付けて、ライフラインが復旧すれば
とりあえず身近な日常に帰ることができる予定だった。はずだった。
掌に収まるほどの小さなラジオが、大事な大事な全ての情報源だったんだ。
こうやって考えると皮肉なものだね。
ママは普段からパソコンだの携帯だのって、デジタル漬けになって生きていたのに
結局あんな時に頼ることができたのはアナログだけだったんだものね。
ラジオから貰える情報は限定的だった。音声のみのデータでは、余りにも物足りなかった。
でもNHKのアナウンサーは繰り返し、福島原発が良くないということを伝えていた。
最初は、電源が使えなくなって冷却ができない状態に陥ったこと。
次は、核燃料が溶けているかもしれないこと。
そして、爆発したこと。
分からないっていうことは、不安ということなんだと、今回とくと思い知ったよ。
情報と知識があれば、何事にもそれほど恐れずにすむことを。
知識は人を強くするから。
知らないってことは怖いことなんだって、気付いた時には遅いこともたくさんあるだろうから。
何が起こっているか、分からないこと。これから先、どうなるか分からないこと。
それらがママをどんどん蝕んでいった。
彼が出てきて話すことといえば、やれ爆発しただの、やれ退避しろだの、やれ念のため家の中にいろだの、
そもそも原発の事故ってだけでもとてつもなく恐ろしいことなのに、
その内容たるや、時間が経てば経つほどに悪化して行っている。
ママはね、自分が生きてる間に戦争が起こることって想像したことがなくて、
でもこれは、戦争だと思ったね。
その時はちょうど電気も無くて、買い物するにも屋外に商品をとりあえず並べたものを何時間も並んでちょっと買うしかなくて、
ママは思ったよ。
これは戦争だ。ここは戦中なんだ、と。
そして、まだそれは続いている。
うちに電気がきて、ママはいつも通りにインターネットを使えるようになって、
スーパーも徐々に開いてきて、でも、
まだ何も解決はしていない。
ラジオから二号機の核燃料棒が全て露出して、炉心が溶けたかもしれないってニュースが流れた時に
その時は、ママには君を守ることができないかもしれないって、本気でそう思ったんだ。
何があっても、ママは君を守り抜くって思って生きてきていたんだけれど、
うちにはパパって人がいないから、絶対に絶対にママが君をどうやったって守ろうって思っていたのだけれど、
どうも、ママにでもどうすることもできないのかもしれないって
うちから原発まではたったの80キロほどしか離れていないからね。
原発に重大な何事かがあったら、多分我々も駄目になるだろうからね。チェルノブイリのようなことがあったらね。
すぐには死なないかもしれない。
でも、身体に影響はあるかもしれない。
君は子どもが産めない身体になるかもしれない。
いや、産めないわけじゃないかもしれないけれど
でも宮城県出身だからっていう理由で差別されて結婚できなくなるかもしれない。
君はたったの7年しか生きていなくてこれから先何十年も生きて幸せになるはずで、
でもその全てを原発に奪われるのかもしれない。
2011年3月11日まで、当たり前のようにこの先ずっと生きていくんだと思ってた。
そうしてどんどん君は大きくなって、運動して勉強して、そのうち反抗期になったり恋したりして、
当たり前のように大人になるんだと思ってた。
でもそれは簡単に手に入るものじゃなくなった。
訳の分からないうちに。
福島原発の一連の事故に対して最初に抱いた感情は、絶望だった。悲しみだった。
次に浮かんだのは怒りだった。そして不信感だった。
ラジオと新聞の情報のみの電気が無い状態では、自ら調べることはできない。焦燥感が募った。
そして、憎かった。原発が。東電が。政府が。そして、東京の人すら。
君はさ、まだ7歳で
今ここで何が起こっているかなんてことは、到底理解できないと思うんだ。
多分君の未来には、日本の未来も含まれているんだろうと思う。ひょっとしたら外国に永住するかもしれなけどさ。でも故郷は必要だろう?
だからママは日本の未来について考えなくてはいけないと思ったんだ。
調べたよ。たくさん。原発のことなんて、今まで気にも留めてなかったからね。
放射能と放射線の違いすら知らなかったし、同位体って何のことだかもすっかり忘れていたくらいだったけれど、とりあえずいっぱい調べた。
ああ、余談だけど、やっぱり勉強は大事だよ。ママも昔、ちょっとはしたんだよ。化学も物理もやった。そのベースがなかったら、ちょっとしんどかったかもしれない。まあそれはいいんだけど。
調べたからって正答を得られるわけじゃないんだよ、勿論。
考えなくてはいけない。どんなに困難でも、逃げるという選択肢はない。自分たちの問題だからね。
どこかで誰かが解決してくれるだろう、ってわけにはいかないんだよ。
だから考えなくてはいけないよ。諦めずに、信念を持って、考える必要があるんだ。
ましてや人の命よりも大事な電力なんてものもないんだってこと。
原発がなくなったら、確かにしんどいことが起こるだろうと思うよ。
とんでもなく不便で、そして貧乏になる。私が貧乏なのはまあ、いいけど、日本という国の全てが貧乏になるだろうね。
不便もどれくらい我慢できるんだろうね。今まで無尽蔵に電気を使ってきたからね。
とてもとても、想像つかないけど、どうにかできないこともないはずだと思うよ。
でも、仕方ないよ。
何だって変わり始めはしんどいもんだよ。当たり前だよ。
ママも離婚したての頃はしんどかった。する前は不安だった。でも、どうにかなったよ。どうにか、したんだ。
でもこれは日本という国全ての話だからね。ママの離婚と比較するのはおかしいだろうね。
国の全てがしんどくなるって分かってる方向に向かって、舵を切るのが困難だってことも分かる。
勇気がいる。痛みも伴う。そして、犠牲も。変化は怖いものだよ。いつだって、どんなことだって、そうだ。
だけど私たちは、ずっと先のことを見なくちゃいけない。これから先の、未来のことを。
今この瞬間が辛くてもいいんじゃないかな。十年後、二十年後、五十年後、百年後、いやそれよりもっと先でもいい。未来が幸せになれるんなら、いいと思うんだ。
でも、原発を使い続けて、明るい未来はやってくるのかな。何百年後かの君の子どもの子どもの子どもだって、困るんじゃないのかな。
人間はさ、失敗するもんだよね。
でも失敗は成功のもとだよね。君にもいつも教えてるよね。
勿論、国だって馬鹿じゃないから、津波対策とかはするだろうよ。
多分、無理だよね。だって人間は失敗するんだもの。いつかは必ず、何かが起きるよね。
ママは何かが起こったときに、誰かが命張ってじゃないと止められない仕組みなんてあっちゃいけないと思うんだよね。
今もどこかの誰かが命掛けで、どうにもなんない原発をなだめようと頑張ってる。
でもそれが、家族だったら?君だったら?
日本は変わるよ。変わらなくてはいけないんだ。ママにはそれがはっきりと分かったよ。
こんなこと考えたのは生まれて初めてだよ。でも必ずどうにかしなくてはいけない。
強く強く、そう思ってる。ママにはなにができるのかな。きっと、何にもできないとは思うよ。
だってママは東北の片隅の工場でチマチマ働いてるだけの人だからね。政治家でも学者でもないからね。
だけど考えることはできる。そんなに賢くはないちゃらんぽらんで頼りないママだけど、君のためなら必死に考えるよ。
2011年3月11日は、日本にとって重大な日になるはずだと思う。
君もママもこの瞬間に立ち会えたこと、そしてその渦中にいたこと、これはとてもとても貴重な経験だと思うよ。
人によっては運が悪かったって思うかもしれない。
でも、違うんだよ。
私たちはね、歴史の変わり目に立ち会えたんだよ。
2011年3月11日に始まった悪夢を、一つも無駄にしてはいけない。
これを二度と繰り返さないために、未来に伝えていかなくてはいけないんだ。
私は君に伝えたいと思うよ。
この全てのことを、忘れないで。
塾の帰り道、俺は日も暮れて真っ暗な中を歩いてた。
何か片手でいじりながら立ちこぎしてて、フラフラしてんなー…と思った瞬間。
街路灯に照らされた後輪がパーン!と光りながら跳ね上がった。
え?何?逆ウィリー?と面喰ってたら、自転車横転。
ガッシャーン、と前カゴから荷物散乱。
それでも、困ってる人は助けるのが当たり前、という良い時代。
とりあえず、散乱した荷物をかき集め、「大丈夫ですか?」と駆け寄った。
…オッサンは痙攣してた。
固まる俺の目の前でどす黒い液体がじわーっとアスファルトに広がっていく。
やべぇぇぇぇ!!!と思っていたら、近所のおっちゃんが通りがかった。
大急ぎで、自転車ですっ転んだらこんな事に!と訴え、二人で自転車のオッサンを見る。
ガクッガクッと、なんかもうゾンビ映画みたいに痙攣してる。
どうやら、前輪に片足をおもきり突っ込んで、転倒したらしい。
見事に足がはまっている。すごい変な形に曲がってる。
近所のおっちゃんは救急車を呼び、ペンチで前輪の金具を切って足を開放した。
それから…なぜか家に引っ込んでしまった。
痙攣は治まったが、血だらけのオッサンと、自転車と、道路のど真中に取り残された俺。
街路灯があるとはいえ、車が来たらヤバイ。
俺はその場で自転車のオッサンの番をしていた。
地面に広がったシミは、真っ黒で、血と言うよりコールタールみたいだった。
かき集めた荷物を見たら、参考書。オッサンと思ってたら、大学生か浪人生だったらしい。
そして、自転車の向こう側に、小さな物体が落ちているのに気がついた。
うまい棒。
どうやら、うまい棒食いながら自転車を漕いでいたら勢いあまって前輪に片足を突っ込んで頭ざっくり切った…という事らしい。
ああ、これで死んじまったら、どうすんだろう。
車が通らないか注意しながらそう思いを巡らせていたその時だった。
あまりにも突然だった。
「あー…」
兄さんは肩をゴキゴキさせ、一歩進んでガクっとつんのめった。足は変な方向を向いたままだった。
「あれー…?あー…」
血だらけの兄さんは、自転車を起こした。前輪は曲がり、おっちゃんが切った金具が変な音をたてた。
もう、ゾンビ映画そのままに、血だらけの兄さんはガックンガックンしながら、自転車を押して歩きだした。
そこでようやく俺は我に返った。
「!?ちょ、今、今救急車来るから!待って!待って!」
兄さんが血だらけの顔で俺を見た。
「…あー…だいじょーぶ…だから、はい」
「ダメだって!血、出てるから、ダメだって!足だって、変だろ!?」
「…ああ…だいじょーぶ…」
「全然大丈夫じゃねえから!!!」
血だらけゾンビ兄ちゃんと、俺の攻防は救急車がたどり着くまで延々続いた。
今でもうまい棒見るたび、ふっと思い出す。
昨日の夜、テレビを見ていたら「嫌われ松子の一生」という映画がテレビでやってたんだよ。
見てた人いる?
暗い映画だと思っていたら、意外にもポップな感じだったので不意をつかれたよ。
冒頭の5分くらいで、僕の中でおもしろいから最後まで見よっとモードに突入さ。
ストーリーは、ある1人の女の転落しながらも愛に生きる一生を
どうのこうのした感じの映画って感じです。
嫌われ松子、先生をクビになって家を飛び出して、土手を自転車で立ちこぎ(プリケツ)しながら走っていく。
さてさて、それからそれから???って所で、まさかの臨時ニュース。
差込みで、嫌われチンパン登場。
フル勃起で登場して、チンポしごいで「これが本当の自慰表明」とか言うのかと思いきや
何か意味わかんねーこと言って、なにやらしょんぼり雰囲気。
いやいや、ちょっとストッピングだよ!俺のアクオスさんよーーー!
結局あれだよね。
テレビ局は「一つのコンテンツしか放送できねー」ってことだよね。
あと、視聴者がどんなに望んでも「放送するかしないかはテレビ局様次第」ってことだし、次の放送がいつかなんて保障もないわけだよ。
あんな気になる所で終わりやがって、これなんて渡る世間は鬼ばかり?
ツタヤの社長は、「たなぼたじゃい」って言いながらヒゲメガネに三角帽子かぶって踊ってたって噂だよ。
だれかニコニコかようつべに全部あげないかななんてことを思ってたら
そのあと、トップランナー見てたら、しりあがり寿さんが出てて、
人の欲望には際限がなく、幸せを追い求めた先には破滅が待っているのでは?みたいなことを言ってたんだよ。
ストレスがない社会って退屈だよな??とも思うし、今回のチンパン騒動で嫌われ松子見れなくてムカツイたけど、
それはそれで人生楽ありゃ苦もあるさって感じで、自分の中で整理をつけたというお話です。
最後まで読んでくれて、誠にありがとうございました。
また、お越しくださいますようお待ちしております。
最後に「内容がないよー(ズッコケ)」
僕が今までで一番強くて熱くて純な恋をしたのは中学生の頃だった。
当時恥ずかしくて女子と話すことができず、帰り道いつも遠くから彼女の姿を追っていた。
彼女は全くの反対方向に住んでいた。だから僕は帰り道、行きの三倍の距離を毎日歩いていた。
ある時一緒のグループになったことがあった。僕は友達と大きな声で騒いで気を引こうとした。
ある時一緒の掃除当番になったことがあった。僕は恥ずかしさから掃除をサボって先生に怒られた。
こんな風に3年間はあっという間に過ぎていった、そして卒業式の日が来た。
彼女は推薦で他県の県立高校へ行くことになった、馬鹿な僕は地元の馬鹿な私立高校へ入学する。
もう会えない別れがついに来てしまった。
僕は最後に卒業アルバムに彼女からメッセージを書いてもらった、『この二年楽しかったよ』。
僕は読むと「この三年間ありがとう」とだけ叫んで逃げて帰った。走って走って走りまくって家まで逃げた。
その日の夜、僕は眠れなかった。寝て次の日からはもう彼女に会えない生活になるのだ。
それが悲しくて、悔しくて眠れなかった。色々憎んだ、自分も神様も学校も先生も関係ないもの全て。
立ちこぎで冷たい風を切って、涙を流してることを悟られないようにうつむきぎみで。
途中で思い切りコケテ自転車の前輪がパンクした。痛みは感じなかった、
立ち上がるとパンクした自転車のペダルを傷だらけの足で思いっきり回した。
そして彼女の家の前についた。
彼女の部屋には明かりがついていた。僕はどうしようもなくなった。結局ここまで来ても何もできないのだ。
じっと明かりを見て、電気が消えてから自転車を押して歩いて帰った。
虫の鳴き声も星や月の明るさも川を流れる水の音も空しく感じた。
家に帰ると親に怒鳴られたが無視してベットの中に潜り込んでぐっすり眠った。
そんな中学生時代の恋。