はてなキーワード: 男尊女卑とは
ネットで言われるように確かに九州の年寄り男は冠婚葬祭や親戚の集まりで何もしない。ほとんどは女性まかせ。
32才男性の私はずっとこの態度に疑問を持ってきたし、私はなるべく女性の手伝いをするようにしている。(祖母、母は料理スキルが高すぎるため、料理下手な私は最低限のことしかできなくて残念)<<
もうこの時点で自白してんじゃん
というか、世の中がme too運動やらなんやらでジェンダー平等に舵を切るまで、
ちょうどディズニーがジェンダー平等に舵を切って、アナ雪などが人気になるまで、
九州の人たちは、自分たちの「男尊女卑的文化」をむしろ誇りに思ってアピールしていた気がするよ。
世の中の大勢が変わってから、いろいろなところで九州差別だと言いはじめた。
息子に「九州男」という地方名を入れるような土地って九州以外にはないのではないかな。
これなんかは別にどうでもいいことだけど、有害レベルで郷土愛が強いのかもと感じることは多い。
つまり、郷土愛が強すぎるがゆえに、差別と感じるところが大きいのでは?
自分に対する差別には敏感でも、他人の受けている差別には無頓着なのが世の常なのかな。
そうですよ
あなたでしょう
「嫌な気持ちがした!」って
九州生まれとは結婚しません、って人がいるなら、ああ馬鹿に気づく機会が来てよかったってだけですし
あなたにもあるでしょう、結婚相手は身長は160以下の女がいいなとか、日本人がいいなとか
ネットで全国の人と容易にコミュニケーションとれるようになって、結果地域ごとの差異がよく見えるようになってるから言われるだけではないですか
私も九州のどこかにいますけど、この10年くらいで私の町の人が都会の流行りに追いつくようになった気がします
かつてはみんな服も化粧も持ち物の趣味もちょっと遅れてたけど今は東京とさほど変わらなくなりました
九州の男尊女卑の強い地域で生まれ育って同級生の男子から「女は身体売れば生きていけるから楽でいいね。どんなに勉強ができても無意味だね」と
当然のように言われたり、学校の先生からも「女の子は勉強ができても無意味」と言われることが多かったんだけど
父はそんな地域でも惜しげなく娘の教育に金を次ぎこんでくれて、厭わず子育てや家事を自らやって娘たちに強制せず
ネットで言われるように確かに九州の年寄り男は冠婚葬祭や親戚の集まりで何もしない。ほとんどは女性まかせ。
32才男性の私はずっとこの態度に疑問を持ってきたし、私はなるべく女性の手伝いをするようにしている。(祖母、母は料理スキルが高すぎるため、料理下手な私は最低限のことしかできなくて残念)多分若い九州人はこの感覚を皆持っている。弟や従兄弟も、女性の前で踏んぞり返ったりしない。
にも関わらず、ネットは九州差別に溢れていて苦しい。先日Abema primeが「さす九」という邪悪なワードを無邪気に取り上げていたし、フェミニストからの攻撃や揶揄もおぞましいものが含まれていて正直辛い。
極め付けは私が好きな生主の「九州って男尊女卑酷いらしいね、私は絶対九州の男とは結婚しないな」という発言。偏見はここまで拡がっているのかと絶句した。
その上私は佐賀県民なのでさらに酷い差別を受ける。Xで「色の着いた県はいらない県」というポストが流れてきて、佐賀県だけが赤く塗られていた。1万のいいねがついていて吐きそうになった。
https://x.com/bot_yamasita/status/1825036444504899702
なぜ、その土地に生まれて生活しているだけでここまで言われなければいけないのか。私は何の悪いこともしていないつもりだ。田舎なだけで、昔男尊女卑の気風があったというだけで、ここまで言われるのはおかしい。他地域と比較して、九州だけが特別男尊女卑的であると信じるに値する客観的な根拠はあるのか?
インターネットの限度を越えた悪意が私を苦しくさせる。差別ってこんなに辛いんだなと思った。
私は女性に嫌な思いなんてしてもらいたくないし、若い九州人も最近は変わりつつあると思う。
そもそも九州なんて8県(※7県)もあるのに、雑な括りで差別、嘲笑。
差別はいけないご時世なのに、九州民は変わってきているのに、限度を越えた不当な差別を受けている。
いい加減にしてくれ。何も知らない癖に。
どこかに相談したいが、受けてくれるはずもなく、増田に吐き出した。
※そっか、みんなネタだから我慢しろとか、それくらいみんな言われてるから我慢しろとかそんな感覚なんだ。
自分に対する差別には敏感でも、他人の受けている差別には無頓着なのが世の常なのかな。
なんだよ、みんなそんな二重基準で生きてるんだ。
ははは。。救いがない。
※感覚的に特に男尊女卑を感じるのは父母世代ではなく祖父母世代です。
※被害者面がさす九って酷い言葉ですね。この怒りをどこにぶつけたらいいですか?私は差別に苦しんでいる人に対してそんな言葉かけたことないです。いい加減にしてください。堪忍袋の尾が切れたわ。九州に住んでるだけで何でこんなこと言われなくちゃいけないの??
※確かにインターネットを見なければいいだけです。ただ、しっかり反論や意義申し立てをしなければ、別の人が悲しみますし、舐められ続けます。だから、怒る時には怒るべきだと思いました。ネットからはしばらく離れます。助言ありがとうございます。みなさま、感謝します。
※辛辣な意見の中にも励ましてくれる人も見つけて正直ほっとしてます。世の中みんな敵ではないのだなと気づきました。白黒思考になっていました。
腹が立ったので念の為言っておきますが、私は家事も洗濯も自分でやります。これからは実家ではなく、冠婚葬祭の食事は業者に頼むよう改めます。助言を下さった方ありがとう。
インターネットを見すぎて、頭がおかしくなっていました。少し休みます。ただ、偏見や差別がこんなにつらいのなら、苦しんでる人の力になりたいと思いました。非常にいい経験でした。ありがとう!
イスラムの教えに従ってというよりは土着の氏族社会の価値観によって女を「財産」と見なしている。
要は前近代ではふつうだった男尊女卑がそのまま生きてるだけ。それに干渉する現代的・西洋的価値観をはねのけるバリアシールドの役割をイスラム原理主義が果たしている
一.
ワイフもらって 嬉しかったが
何時も出てくる 副食物(おかず)はコロッケ
これじゃ年がら年中コロッケ
こりゃ可笑し(おかし)
二.
開けて見たらば金貨が
株を買おうか 地所を買おうか
思案最中に 眼が覚めた
こりゃ可笑し
三.
芸者が嫌なら 身受けしてやろ
帶も買ってやろ
ダイヤもやろう やろう
いふて呉れるやうな客がない
こりゃ可笑し
四.
亭主もらって 嬉れしかったが
何時も出て行っちや滅多に
帰らない 帰らない
これじゃ年がら年中 留守居番
こりゃ可笑し
NHKドラマ「おしん」のなかで、大正12年9月1日、田倉商会の新しい工場の開業祝いの準備中に子守を任された源じいが歌っていたのが、このコロッケの唄(大正6年版)。wikipediaによるとコロッケの唄は、その後、昭和37年に浜口庫之助(五月みどり)版、平成版、令和へとなんどかリメイクされて歌い継がれてきたようだ。
大正時代のコロッケは、現代と違って、手ごろなお惣菜ではなく、東京などの洋食店でしか食べられない高級食品。この夫婦が富裕層であることがわかる。二番以降もあわせてみると、大戦後の好景気を反映し、一般投資家が増大した世相を色濃く映した、興味深い唄だ。
それはおしんの番外編。1983年放送当時の8月、おしんを演じていた田中裕子が過労静養のため撮影を中断せざるを得なくなった事態になって、急遽制作され、放送時間帯に15分ずつ6日にわたって放送された番外編「もうひとりのおしん」だ。これは、おしんと同時代を生きた山形や東京の女性に当時の話を聞くという番組。関東大震災前、おしんはラシャ問屋がつぶれたあと、子供服の店を田倉と始める。同番組では当時、日本橋横山町で子供服を始めたというおばあちゃん(放送当時90歳)の話を聞く場面がある。まさにこういう話を聞きたくて、わざわざDVDまで購入したのだが、見てよかった。
それまで和服に日本髪というのが当たり前だった日本人の服装が、洋服に変わっていったのは、関東大震災の後だといわれる。
このおばあちゃんはインタビューで「大震災があったでしょ、それからみんな裸になっちゃいましたから。それからだいぶん、服が変わっちゃいました」と答えている。この簡潔な一言に歴史のダイナミズムが凝縮されている。
おしんの物語では、田倉商会が時代を先取りする形で安価な既製服商品としての子供服のポテンシャルを見抜き、田倉の再起を賭けた。そのドラマの展開にリアリティを与えるインタビューだった。
もっとも、おしんは当初、夫である田倉竜三の羅紗問屋の事業失敗に懲りていて、大して商才もないのに夢ばかり大きい夫の行動が不安で仕方がなく、本当は手堅く地固めをしたい。子供服作業場の拡張には反対していた。だがやがて夫を信じようと思いなおし、夫の夢に賭けるようになる。
おしんのドラマは、10年に一度くらい再放送で目に留まって数話くらいずつ散発的にみていたのだが、今回、腰を据えて全297話をみていると、ドラマの演出がなかなか面白いことにも気が付いた。例えば、夫に商売の才能がない部分を自分の働きで夫婦の稼ぎをカバーしようと自分なりの仕事を始めて成功してしまう場面。プライドを傷つけられた旦那は「髪結いの亭主」さながら飲み歩くだけの怠け者になってしまう。夫を堕落させたのは自分だと気が付いたおしんは、あえて自ら稼ぐことをやめ、夫を立て夫がいつかまじめに稼いでくれるのを信じることにした。その結果、やがて今日明日の米に困るほど夫婦は追い詰められてしまう。田倉はようやく目が覚めて商人の道を諦め、勤め人として働きだすようになった。その様子をみて安心したおしんは、田倉商会の将来的な再興を目指して、子供服の商売のための子供服のデザインなどこつこつと準備を始める。おしんのデザインをみた田倉はおしんの才能を知り、いったんは勤め人として手堅く暮らそうとしていたのに、勤め人をやめて子供服の商売にまた再起を賭けようと夢を語り始めた。おしんに相談もせず勝手にミシンを購入したり、ひとを雇ったりとおしんを戸惑わせた。あげくは事業拡大のために借金をして工場建設をすると鼻息荒くしていう。
そんななか、ドラマの背景で、東京の街中で流れてくるのは「船頭小唄」。おしんの不安を象徴させる、にくい演出だと思った。
そして、大震災当日の朝、順風満帆で工場開業の祝賀を催す準備のさなか、田倉竜三の子供のころからのお目付け役である源じいが歌っていたのが冒頭の「コロッケの唄」だ。源じいは昼に発生した地震で亡くなってしまうので、源じいが幸せだった最後の瞬間だったといえる。その浮かれた雰囲気を、その時代の空気とともに、この歌はとてもよく演出している。
その後のドラマの展開は、田倉の本家である佐賀へ舞台をうつし、橋田壽賀子お得意の嫁姑地獄が待っている。
女性の化粧はしてるほうが魅了的、しないと目立つ、ニュアンスが違うじゃん?
違う文化圏から見たら圧倒的な力の差だけど中から見たらそうとも思えないのは差別あるあるなんだよね。
纒足とか女性割礼だって外から見たら明らかな「女性の地位の低さ」だけど、当人たちはオシャレとかモテるとか女から尊敬されるとかそんな感じなわけだし。
あと女性が発言権強い夫婦というのは、昭和や明治の時からいたよ。かかあ天下というやつかな?
アフガニスタンとかでもそういう家庭はあるんじゃないかな。単に個人の資質というか。
何かある時に裁判を起こすなり交渉するなり強気の「出るとこ出る」力が半減させられた人間の存在というか
ジャッジする側じゃなくてされる側として社会規範を受け止める側というかな
社会を作る側であり、社会に整備されてる側は、そんなことしてないよって感じなのよ。
まあ、聞くより体感するのが1番早いんだろうなとは思う。絶望的なまでの男尊女卑に見えるけど、一度そうじゃない社会に出るか、社会の成り立ちを学ぶか、しかないのかな。どうなんだろう。
まあここまでほぼ企業とかに属したことなくて大体ずっと自分の腕一本で生きてきてて、稼げても稼げなくても自分の能力だと思ってるんで、そういうなんか日本にまだあるらしいっていう男尊女卑カルチャーが現実的に自分ごととして見られないだけなのかもだけど。
男性社員は台風対応の為、明日7時に早朝出社して社内待機してください。帰宅不能に備えて常備薬等の準備を忘れずに、交通機関が止まる前に出社してください(電車が止まった場合のタクシー代等は出ません)。女性社員およびパート社員は安全のため公休とします。
これがクソジャップの男尊女卑。はーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソ。
こういうことで弱者男性叩きとかしたがるのは、むしろ新潮のカス右翼だったりするけどね。
荘野頼子みたいな最低最悪な弱者男性差別の糞フェミババアを暴れさせてたのが新潮。
水晶なんたらとかいう、男尊女卑に抗議してるとかいういつもの体で、ホームレス問題とか自殺者は男性の方が多いこととか、生きづらいのも弱い立場の男の方が酷いってことも無視して、逆にしたら都合が良い部分だけ逆にしてワガママ描いただけの小説とか本当に酷いよ。
その男尊女卑で得をしてるのは権力者の男だけなのに、その権力者男は叩かず、むしろ新潮みたいな最悪なところに媚びへつらってるくせに、弱い立場の男ばっか叩く。
男尊女卑的な思想が一般的だった昭和から、男女平等の名の元に様々な女性優遇措置が講じられてきた平成を経て、令和となった現代、遂にまた女が叩かれるターンがやってきた。
女が叩かれるターンというと、少し語弊があるかもしれない。
正確には、女性だからと何かと優しくしてもらえる時代に生きてきたことでバランス感覚にズレが生じてしまい、既に傾きつつある現在のパワーバランスに馴染めない人間が叩かれるターンがやってきたわけだ。
先日起こった女子アナの失言解雇の件などは、正にその実例であろう。
10年ほど前であれば、女子アナがネットで男は汗臭くて嫌と言ったところで大して燃えはしなかったはずだ。あるいは、燃えたとしても注意程度で解雇される程のことでは無かったと思う。
しかし、現代の価値観に照らし合わせれば、ネットで男は汗臭くて嫌と発言した女子アナは不適切発言によって容赦なく処断されてしまう。
現代を生きる人間からすれば「当たり前だろ」と思われるこの一件だが、中には「解雇するほどのことか」「本当のことを言って何が悪い」と主張する者も少なくない。
そして皮肉なことに、この言い分は男尊女卑の時代に生きた昭和のおっさんが平成の価値観に馴染めず排除されてきた際の言い分とまるっきり一致する。
かくして女であろうと男であろうと平等にぶっ叩かれる時代がやってきたわけだが、今後はどうなるのだろう。
変化というものには大抵揺り戻しが来る。