はてなキーワード: 騒音とは
先日、とあるバンドのライブに行ってきた。
ライブハウスでのライブに参加したのは今回で3度目で、3度目にしてようやく「音楽」を聴けたような気がした。
それはある「対策」をしたからなのだが、その対策が効果ありだとわかったことで、じゃあ逆にその対策をしてない他の大多数の人たちはどうなんだ?と気になった。
自分が最初にライブハウスでライブを見たのは2年前のこと。
それまではバンドのライブなんてほとんど行ったことがなかった。
でかいスタジアムでのライブに一度行ったことがあるくらい。
たまたま好きなバンドが地元に近いライブハウスでやるってことで、チケットを申し込んで、抽選に当たった。
わくわくしてライブに出かけたものの、正直に言って、そのライブは全く楽しめなかった。
何より音がでかい。耳がビリビリする。そのバンドはギターボーカル・ギター・ベース・ドラムの4人組なのだが、とにかく音が「ぐおおおん」と轟音のように響くので、それぞれの楽器の音が全く聴き分けられない。
ドラムはまだ分かるが、ギターは、リードギターとリズムギターの2つが鳴っているなんてわからないくらいただうるさく響いている。
ボーカルも埋もれて何言ってるのか聴き取れない。
正直に言って、「騒音」としか思えなかった。
でも、周りを見ると、みんなノリノリで楽しそうで、終わった後も、高揚した様子で感想をしゃべっていた。
後でいろいろ調べたが、そのバンドも、ライブハウスも、特に音量がでかいことで有名というわけでもなかった。
せっかく好きなバンドのライブに行ったのに、モヤモヤした感情だけが残って、悔しかった。
2回目にライブハウスに行ったのは、それとは別のバンド。
もしかしたらバンドによって違うのかも、とか、前回は割と前の方だったから今回は後ろの方で聴いてみたら違うかも、とか考えていた。
何より、好きなバンドのライブが楽しめなかったことが悔しかったので、楽しみたい!という気持ちが先行していた。
結果は、だめだった。
後ろの方で見ても、一つの轟音のように聴こえてしまうのは変わらなかった。
その後、ライブ用の耳栓というものの存在を知った。
普通の耳栓とは違い、少し隙間が空いていて、耳に入ってくる音を防ぐのではなく、ボリュームを下げてくれるというものだ。
これなら大丈夫かも、と思ってすぐに購入した。
そして、最初に行ったバンドがまたツアーで地元の近くに来るということで、リベンジのつもりで行ってみることにした。
始まる前に周りを見渡したが、耳栓を用意している人は見当たらなかった。
ちょっと着けるのが恥ずかしいのと、半信半疑というのもあって、まずは耳の奥までねじ込まずに浅めに着けてみることにした。
浅めでも効果はあって、まず耳がビリビリすることがなくなった。
それでも、楽器の聴き分けはちょっと難しかった。
自分がいたのは右やや前方で、リードギターは向かって左側の立ち位置だったので、リードギターの音はリズムギターの音に埋もれてほとんど聴こえなかった。
そのバンドは印象的なギターリフやギターソロが魅力でもあったので、かなり残念な気持ちになった。
そこで、耳栓を耳の奥まで思い切ってねじ込んでみた。完全に耳栓の小さな隙間からしか音が入ってこないような形だ。
すると、音ががらりと変わった。
残響音を完全にシャットアウトしてくれるからか、音がタイトになった。代わりに音場というか、音の広がりはなくなった。
ヘッドホンでいえば密閉型のような音になった。
ドラムの音は耳に突き刺さるように響くことはなくなり、重厚な音になった。2つのギターの音もはっきりと聴き取れ、ボーカルも浮き出てきた。もちろんベースも。
ライブDVDやライブCDで聴くような音に近くなったように感じられ、やっと「本当はこういう音楽が鳴っていたんだな」と感じることができた。
3度目にして、ようやくライブハウスでのライブというものを楽しめた気がした。
ただし、耳栓という細工をしたことによってだ。
他の大多数は耳栓などせずとも楽しんでいる。
自分の耳がおかしいのか?それともあの轟音こそがライブハウスの音楽なのか?
ライブハウスに来ている人たちには、どのように音楽が聴こえているのだろう。
あの人たちには、自分と違ってちゃんとした音が聴こえているのだろうか。
人口が毎年減少していくクソ田舎の限界集落的な街に住んでるんだけど、東京行くと店の音楽とかが聴こえてきてなんか都会だな〜!みたいな感じがする。
クソ田舎はなぜこんなにも静かなんだろう。
もっと市町村単位で音楽流しましょう!!!ってやれば子供の泣き声の騒音とかで苦情も来ないし家庭のプライバシーも守られるし街の人々もなんか陽気になれるのではないだろうか。
鼻歌歌ったりラップ始まったり踊りだしたりしてもおかしくないみんな陽気でおおらかな感じになればみんなの人生なんとかなるんじゃないのか。少なくても俺は楽しくなれると思う。
レストランとか電車とか公共の場でずっと騒いでる子供を見るとイライラする。
最近子供が泣いてたり騒いでてもお母さんも疲れてるし、そんな気持ちもわかるからいいよっていう人いるじゃん。正直理解できない、無理。なんでこっちまで被害を被らなきゃいけないのか理解できない。みんながみんな子供と母親に寛容と思わないでほしい。少し相手にしてあげれば済む話なのに、騒ぐ子供を放っておく親ってなんなの?自分の好きで作って自分の好きで育ててんだから、自分の責任で管理してよ。ただでさえ子供のキンキン声は響くのに。逆になんで許されると思ってんのか聞きたい。完全にうるさいから、ただの騒音だから。
「誰でもいい」と通り魔を起こした人は、
幼稚園や保育園、病院、老人関係の福祉施設をわざわざ選んだりもしていない。
自分が事を起こそうとしたときに、その辺にいた人をターゲットにしている。
「誰でもいい」なら、わざわざ明確な強者は選ばない。
保育園や幼稚園の子どもや、老人、病人では藁人形になりえないのだろう。
そんな人なら、誰でもいい。
何にも持てず、いつもつまはじきにされたと感じている人間から見れば、
街を歩いている奴らは、仕事、精神的健康、つまはじきにされない環境、生活らしい生活、なんでも持っている。
少なくともそう見える。
世間を良くすることにも悪くすることにも興味がない。
そして、その辺には、それらを難なく手に入れている(ように見える)人が闊歩している。
それらの人々は、自分と関わったら嫌な顔をするだろう。
だから、憎い、奪ってやりたい。
これは選別といえば選別なのかもしれないが、
俺には少し違うように思う。
※池田小の場合は、「高い教育環境を手に入れた子ども」がターゲットにされた。
相模原では、加害者は「重度の精神障碍者」を明確なターゲットにしていた。
なので、あれらは「誰でもいい」犯罪とは異なる。
また、福岡の事件では、容疑者は「容疑者にとっての『ネットリンチ』を行っている者」
自分の行為で人が怪我だけでなく、死亡する可能性があると認識してほしい。
俺は大丈夫、私は大丈夫という人、その慢心が自分をどん底に落とします。
乗り物を運転するのなら、その乗り物は人の命を奪う可能性もあると認識し、節度ある運転を心がけてほしい。
私は車の事故に遭遇して寝たきりになりました。
リハビリをして、今は回復しましたがそれでも半身にしびれが残っていて、時々動かしづらくなります。
細かな作業をすると手が震えてうまく行きません。
事故を起こした方は、最初のうちは反省していませんでしたが10:0という結果で罰則が入った後、後悔をしていました。
これが不注意で事故を起こした挙げ句の自らで自らを陥れた結果です。
近所の方は、スマホを見ながら音楽を聞いていて後ろから衝突され、今は杖をついています。
スマホを見ながら音楽を聞いていたのは社会人でした。いい歳しているのに、この有様です。
とはいえ、老若男女関係ありませんが、それでも社会人になってもこのような不始末を起こすというのは
それはともかくとして、乗り物を運転する人は気をつけてください。
相手を傷つけるだけでなく、自分の立ち位置すら危うくなります。
普段から注意しておけば、他人を守るだけでなく自分も守れてしまうのでお得です。
もちろん事故を受けてしまった側も普段から気をつけるようにしないといけません。
お互いで注意していって事故を少なくできる世の中になればいいですね。
実家は狭かった、精神的にも経済的にも貧しかった、うるさかった。
自分の部屋がない、限られた小遣い、周りに合わすためのゲーム、両親の喧嘩、姉の癇癪。
学者が夢とか幼稚園のとき言っていたけど、そんなことは誰にも聞いてもらえなかった。
両親、姉、祖父母、教師、クラスメイト、こんな繋がりしかなかった。
誰もかれも悪気はなかった。ただ中身のない、文脈のない乾いた笑いで過ごす。
いや、信頼を前提としたからかいというのに慣れていなかった、というか、信頼していなかった。
大学に行こうといった。反対された。
とめどない姉の癇癪。父親のうつによる自殺。時代遅れな母親の大学進学への無理解。
死にたかった。やっぱり自分なんて、夢を持っても、こんな家庭に生まれてしまって、何も抵抗できない。
他の家庭とは違う。子供の自立を考えようとしない。皆自分のことしか考えていない。
はい終わり。こんな世界もうイヤだ。生まれてこなければよかった。
結果的に推薦で大学に合格したけど、溜まりに溜まった鬱が溢れて、学校に行かなくなった。
父の自殺もあり、死が近くなった。自殺しようと思ったが、できなかった。
本能で死んでないだけ、踏み切れる気力もない。
ただただ、植物状態になっていた。
生きる意味など無い。気づいたのは遅かった。
大学のサークルにも入ったが、不毛な承認ゲームしかできなかった。
こんなことが自分の居心地の良い場所で、自分自身のことについて考えられるとは思わなかった。
難しいと思っていた学問も、時間をかければ自分で進めていけることもわかった。
実家がおかしいこともわかった。不毛な承認ゲームも無駄だとわかった。
育ちがいい家庭の重要な要因とは、「いつか自立するであろう子供」に対し、
自分の経験と他人の経験、また、現在の様々な業界の情勢を織り交ぜた、極力客観的な意見が言える親が居ることであり、
そんな人間、周りを見ても簡単に見つからないっていうことをやっと理解できた。
周りに居ないなら自分で獲得するしか無い。そのために本、映画、音楽などというものがある。
作品というのは、絶対に全てを知ることのできない他人と、意志を共有するプロトコルにもなりうる。
そのプロトコルを作る人間、使う人間というのがあって、どちらが偉いというわけではない。
でも、意識しなくても、自分でなにかプロトコルを構築した人間というのは、
他人に対して謙虚になれる。自分の意志で自分で作っているわけだから自信もつくようになる。
ていうかなんか作ろう。創作なんて馴染みがなかった。
酔いどれ20歳児でした。
スクショ見ただけだけど、
あんな三下悪役みたいな台詞吐く役を一話使い捨てのモブじゃなくてサブメインくらいのキャラにやらせてたの?
うわー。
かつて彼女は、園児の泣き声で集中力が乱れるからと保育園にクレームを入れ、その時のトゲパワワがオシマイダーの素体に利用されたことがある。
うわー、うわー。
そこは「うるさくすると困る人がいるから静かにしましょうね」じゃないの?幼児向けで、幼児を教育する目的ならさあ。
「今の母親はこういう事考えてるんだからそれに媚びてりゃ許されるだろw」と言うノリで作ってる感じ。
まあ分かるよ、育児なんてろくにやってないであろう男性が育児という地雷原をテーマにして母親が見るアニメを叩かれないように作れと言われたら
今の育児界で話題になっている事柄をリサーチして、そこで表向き「正論」とされてる事に従う、って方針になるだろうとは思う。
うるさいババアがいる。
ババアは窓を思いっきり叩きつけるように閉める。ババアが窓を開け閉めする度に建造物が揺れる
ババアはドアも思いっきり叩きつけるように閉める。ババアがドアを閉めると波動みたいなのが俺の部屋にまで及ぶ
ババアは地響きが鳴るような足音を立てて蠢き周る。ババアは比較的やせ型の癖に最大限の負荷をかけて徘徊する
ババアは昼夜問わずクソデカい音量で喋り続ける。人が居ても居なくても勝手に喋り続ける壊れかけのRADIO。
何が辛いってババアが身内だという事である。昔は温厚だった母も痴呆により手が付けられない騒音兵器と化している。
てか、なんで市川市の菅野なんて、千葉県一の高級住宅街の中を通すのか意味がわからん。
地価に直結する問題だから、それだけでも確実にキツい反対運動に遭うに決まってんじゃん。
だから騒音対策で半地下だのなんだので、土地収用のみならず、建設コストも工期もめちゃくちゃ費やして、構想から開通まで半世紀もかかったんだろ?
別に東関道まで所要時間最短ルートってわけでもないし、もし江戸川沿いを南下させるルートなら、とっくに開通してたと思うんだけど。
聞くところによれば、下水道整備の費用を道路建設予算と抱き合わせにするため、土建族議員が仕組んだとか言われてるよね。
だとしたら開通時期が大きく遅れたのは大体コレのせい?
てか、「圏央道茨城区間のルートが境の方にぐるっと回ってるのは中村喜四郎氏の手柄」みたいなもん?
要らん事しやがってとしか思えないけど。