はてなキーワード: 面白い本とは
快感回路というなんとも怪しげなタイトルの本を読んでいる。どちらかという素人向けに書かれた脳科学の本で、小難しいことを学ぶのは億劫だけど手っ取り早く面白いことを知りたいという自分にはとても適している。
第1章で、ネズミの脳に電極を埋め込んで快感を刺激するっていう実験が紹介されている。レバーを押すと快感が刺激されることを知ったネズミが、狂ったようにレバーを押し続けるっていう実験結果が淡々と書かれていて、ちょっと恐ろしい。
ただ、こういう実験結果を読みながら、同じようなことが人間に対してわりと日常的に行われてるんじゃないかというようなことを感じた。自分の周りには脳に電極を埋め込まれた友達なんていないけれども、外からの刺激で快感ラットを作ろうとしているような産業はたくさんある。
ネズミの例では、1時間に7000回もレバーを押したことが紹介されていたが、これは人間が1時間に7000回スマホ上に表示されたオブジェクトを叩くのとそこまで違うことなのか。脳に直接行われるか外からの刺激で発火するかという違いがあったとしても、その強さが同じならヤバさはあまり変わらないんじゃないか。
本にも書かれているけれど、快感は大事なシステムだ。快感のおかげで、食べ物を食べたりセックスして子孫を残したりということが優先されるようになる。けれど、快感を感じる対象が生存に関係のない方向へどんどん傾いていったらどうなるのか。快感レバーの味を覚えたラットのように、生存本能を捨ててただ自身の脳を刺激し続ける、とても奇妙な物体になるだろう。
まあとにかく、面白い本だったよ。
最近、Kindle Voyageを買って、初めて電子書籍デビューすることになったんだが、何か面白い本ないかなーと思って、Amazonをふらついていたら、とてつもなくやばそうなスメルがする本を見つけてしまった。
その名も「Fuzoku実践入門」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00P4X25HO
俺の家にもにいっぱいある、何かひじょ〜に見覚えのある表紙。
一見すると、Fuzokuというプログラミング言語か、ソフトウェア、あるいはウェブテクノロジーがあるではないかと思わせんばかりの風貌。
しかし、そんな言語もソフトもサービスもない。いや、ある意味、サービスはあるのか。
これどうみてもアレだよ、技術◯論社のWEB+DB ピー(自主規制)シリーズだよ。
とまぁ、同人パロディ的なノリの本で、普通なら華麗にスルーするところなのだが、なんか書籍の説明があまりにもガチ過ぎて、まぁKindle買ったばかりだし、記念で買ってみるのもありかなと思って、思い切ってポチってみた。
で、いまさっき読み終えたんだが、なんかふつーに超面白いのコレ。いやまじで、まじで。
どう考えても、これはプロの犯行ってやつで、あきらかに素人が書いたものではなくて、プロのライターが書いてるよこれ絶対に。
結局、最初から最後まで普通に面白く読んでしまったんだが、いまの心理状態というのは、「リーダブルコード」とか、「良いコードを書く技術」とか、そういう書籍を読んで、「よしやるぞー」って奮起する感覚に近い。
これまで風俗とか全然興味なくて、行ったこともない俺が、「よしいくぞー」っていう気にさせられるくらい、すげー説得力がある。
実際に行くかどうかはまた別の話で、多分行かないと思うんだけど、とりあえず、風俗に興味があるやつは買って損はない。というか、風俗童貞は、まじで1度コレを読んでおいたほうがいいっていうくらい参考になる。あと、知識欲のあるやつにもおすすめ。
エロいのを求めているやつは、残念ながらエロ要素は皆無なので、期待しなほうがいい。
本当は、自分のブログで紹介したいんだけど、あまりにもカラーが違い過ぎて紹介できないから増田に書いた。
いまは、これ読んだ人と風俗について語り合いたい。
親は教育熱心なひとで、物心ついたときから近所の公立図書館に連れられて育った。
一方、実質母子家庭のような家庭環境で、そこまで裕福でもなかったうえに、完璧主義者の母親であったので、自分でお小遣いをもらって好きなものを買うという環境でもなかった。
母については、わたしたちのために苦労してきたのだなと申し訳なく思うし他にも色々思うところはあるのだけれども、それは本題ではないのでここには書かない。
とにかく、娯楽のない状況だったので、図書館で本を借りるか、サンテレビの野球中継を見るかくらいしかお金のかからない趣味はなかった。友達に漫画を貸してもらったりもしたけれども。正直、そのことをさして不満にも思わなかった。
(我が家にお小遣い制度というものはなく、欲しいものがあればその都度申告して買ってもらうという方式だった。本だけは何も文句を言われなかった。ありがたいことだと思うけれども、正直この制度は欠点も多いなと思っていて、わたしは今でも本なら自分で選んで買うことができるのに、服を自分で選ぶことができない。いつかお金持ちになったら、ドンキでいいなと思った雑貨を罪悪感を抱くことなく好きなだけ買いたい)
持てる限りの記憶力をハリー・ポッターの登場人物のプロフィールと呪文の暗記に注ぎ込んだ小学時代。はやみねかおるも好きで、小学6年生のとき図書室で『踊る夜光怪人』を見つけて、この世にこんな面白い本があるんだと思った。
中学生のころに森博嗣を好きになり、京極夏彦や西尾維新を夢中になって読んだ。今思えば、お前森博嗣とか大してよくわかりもしないまま読んでただろという感じだし、今でもだいぶわかってないと思うんだけどさ。荻原規子も茅田砂胡も乙一も島田荘司も恩田陸も読んだ。辻村深月が大好きだった。とにかく、中学高校時代と、講談社ノベルスに関わりのありそうな本はたいがい手を出した。近所の公民館でパソコンスペースがあったので、時間があるときにはハリポタやダレン・シャンのイラストや考察サイトをめぐって過ごした。
高校生の頃『活字倶楽部』という雑誌をたまたま見つけ、そこで『銀河英雄伝説』という小説があることを知った。当時は絶版だったので、近所の図書館の地下書庫から出してもらって一気読みした。そのままの勢いで友人に「とにかく、最初の20ページは飛ばしてもいいから読め! 2巻までは読め!」とすすめた。銀英伝が好きすぎて、その夏にすくってきた金魚すくいの金魚たちに提督たちの名前をつけた。
「おかあさん、ヤンが死んでる!」
ちなみに銀英伝ではないが「巽」と名づけた金魚もすぐに死んでしまった。今の実家では、フリッツとオスカーとアーダルベルトだけが生きているんだけれども、どの金魚もそろそろ寿命という感じだ。
進学させてもらって、大学生になってからはもう少し色々読んだ。
際立った傑作というのはない気がするんだけれども、カポーティが一番好きだ(正直『冷血』は好きじゃないしもっと彼らしい作品があるだろうと思う。ちくまから出ている短篇集がいちばん好き)。サリンジャーも好きだし、4月に亡くなってしまったけれどアリステア・マクラウドという作家がもっと知られたら良いのにと思う。
3年ほど前、人生で読める本は限られているなということに気付いて、それからは注意深く本を選ぶことにしている。最近好きなのは皆川博子と津村記久子とコナン・ドイルだけど、だから何だというわけでもない。
そんなわたしも、四捨五入してもう30という年になってしまった。
好みのタイプは?という話題になり「本が好きで穏やかで裏表があんまない誠実なひとがいいな」と答えたら「聖☆おにいさんのブッダでいいんじゃね?」と返され、
「ルーピンは現実にいねーんだよ」と別の友人に説教され、正直今に至るまで毎日小説のことばっかり考えてて自分あたまおかしいんじゃないかなって思う。
これはただの、本を読むくらいしか趣味のなかった女の回想みたいなもので、なんのオチがあるわけでもない。
ただ、わたしは毎日ばかみたいに小説のこと――主に、その登場人物のことばかり考えながら生きている。
腐った妄想をしているわけでもなく、『白鳥異伝』の菅流かっこいいよなあ、とか考えながら生きている。
ハリー・ポッターの本命キャラが殺されたことを未だにねちねち言う。
島田荘司の作風の変化を残念に思い、既刊を全部読むのが勿体無くて法月綸太郎をちびちびと読む。
ちなみに、こんな感じの人間だったので、高校途中まではオタク仲間とつるんでいたんだけれども、一番好きなジャンルが違ったので在学中から疎遠になった。同じように本が好きな友人が1、2人いるので、彼女たちとは今でもよく話す。それは幸福なことだと思う。正直、他にも同じような本の趣味をしている同級生はいたし、当時はよくその話をした。ただ、彼女たちがわたしと同じように、未だに毎日現実かそれより重いレベルで小説の登場人物について考えているとは到底思えないので、積極的に連絡をとろうとは思わないし、話題が切り出せない。自意識過剰なんだろうけど、そんなふうに、未だに地に足を十分つけるわけでもなくふらふらしている自分をときどき怖く思う。
ジャンルを変えればどこにでもごろごろしている話なんだとはわかっている。長い上に固有名詞がだらだら出てきていやみったらしいのはわかっている。
追記:
ブコメありがとうございます。正直コメントがついたとしても「キャラ読みしかしてない腐女子」的なことしか言われないかなと思っていたので、共感してくださる方がいてびっくりしています。本当に、子どもに本ばっかり読ませても、子どもの性格によっちゃ、いつまでもこんな感じで現実に地に足つかない感じになる可能性もあるわけで、何事もほどほどが一番だと思います。黒出目金のジークフリードは早いうちに昇天し、コメットのフリッツは年をとってだいぶ動きが緩慢になってきました。
この世代のオタクの女の子には、アニメではなく講談社ノベルスや電撃、角川某レーベル系の文庫本、その他とにかく面白そうな小説を読んで、感想をお互いに共有しながら育ってきた子がいるのだということを少しでも知っていただけるとうれしいです。ミステリ界隈ではキャラ萌えだろうとよく批判されますが、みんな各々好きな読み方をして、好きな作家の新刊は未だに追いながらも、各々それなりに幅広く読んでいる感じです。今でも。すいませんだらだらと。
2ちゃんのラブ嬢プラススレにチラ裏で書こうと考えたが、長文と自分語りが過ぎてウザがられるだけだと思い増田に書く。パチンコ用語ばかりだからわかる人少ないけど別にいいや。
ラブ嬢プラスは平和のパチンコ機だが、説明は省く。スペックは、まあMAXタイプによくある一撃機だと思ってもらえればそれでいい。
激アツすらろくに来ず何事もなかったかのように4万、750回転。やっと1/399の当たりを引くが、50%の抽選に外れる(ヘソからの電サポ次回確変までの確率が50%。残りは電サポなしで潜伏確変と通常が半々)
携帯でセグを確認するとどうやら潜伏確変で、まあ仕方ないと約1/40の潜伏状態で回す。
当たらない。だいたい140回転して当たった時には当たりの出玉もなくなり余裕の追加投資。そして再び50%の抽選に外れる。
ここから計6回連続で、50%の抽選を外すこととなる。そして潜伏も、1度20回転程で当たったが他は全て80回転以上当たらず、潜伏中の投資だけで1万円を超えた。
4回目までは携帯でセグ(確変か通常かわかる)を確認していたが4回目の潜伏中に電池切れ。充電設備のないホールのためセグの確認ができなくなり、この辺で頭がボンヤリとしてきた。
5回目の潜伏(家で確認したところ確変だった。100ハマったけど)はただ確変かどうか不安なまま発狂しそうになりながら打っていた。
大丈夫だろうと思っていた手持ちの予算も1万円を切りそれが精神を更に追い詰めることとなった。
結局6回目の当たり後150回程回した所で手持ちの資金も全て使いきり茫然自失となって退店。今家に帰ってきて通常セグだったことを確認した。
打っているときは実際発狂していた。6回目当たり後通常での激アツ外しの連続(今考えれば30回転以内に激アツ3回外したってのは平和お得意の釣り通常状態だなあ)でボタンバンバンしていて、ホールの他の人には迷惑をかけたと思う。
まあ自己責任だ。50%引けなかったのも自分のせいだし、資金尽かしたのも自分のせいだし、携帯の電池切れされたのも充電してなかった自分が悪い。パチンコ台に当たっても仕方がない。
帰り道、自分はなんで遊戯として楽しむつもりで打ち始めたパチンコで最終的に発狂して茫然自失になっているんだろうとふと冷静になって色々考えた。
パチンコを打っている時の自分は猿だ。何も考えていない。そして帰り道も、今日は勝った負けたとボンヤリ回顧しながら帰宅するだけだった。
しかし今日の結果を受けた帰り道、やたら頭が巡り色々と考えることが出来た。そして認識できた。パチンコを打っている自分がどんどん思考停止してバカになっているということを。
思考停止したバカだからパチンコへ行こうという気持ちを止めることができずホールへ足を運び、思考停止したバカだから何も考えずボンヤリとサンドへ金を突っ込み、思考停止したバカだから勝っても負けても明日もホールへ行こうという気持ちに異議を唱える脳がない。
思い当たる節はある。最近自分の集中力、そして思考力が目に見えて落ちてきている気がしていた。仕事をしていても頭の中はパチンコの脳汁が出る()と言われている演出や連チャンする想像ばかり。そして実際ここ最近ほぼ毎日ホールへ足を運んでいる自分。
さらに、アニメを見たり本を読んでも、まったく感動しなくなっている自分がいることにも気付かされた。泣けるストーリーより確変大当りして玉がドバドバ出るほうが感情が高ぶる体になってしまっているのだ。本当に思う。バカじゃないの。
今日の帰り道は久々に色々と頭が回った。例えば時間の無駄な浪費とかかな、色々な反省点が出てきた。少し目が覚めた気がする。その回る思考で出した結論で、帰宅後嫁に自分のキャッシュカードを一時的に預かって欲しいと手渡した。
とりあえず自分の手元に現金を置かずにホールへ行けない状態にはした。今はこんな糞みたいな文章書くほど自省しているが、一晩寝たら「どうやって嫁に嘘ついて軍資金得ようか」とばかりボンヤリと考える思考停止状態に陥る事は十分に考えられる。
偉そうに言うがパチンコ依存とはそういうものだと思う。今やっと少しだけ目が覚めそうな状態になれた。ありがとうラブ嬢プラス。2ちゃんでひたすらこき下ろすつもりだったのに感謝してたとはどういうことだ。
最早自分はパチンコ依存によって失われた感情と思考力を取り戻すリハビリが必要なレベルだと今は考えている。また依存状態にならないよう何かできないか考えたリハビリの1つが、文章に書き起こすことだった。
下手くそな文章をここまで読んでくれた人、ありがとう。よければ、パチンコの魅力に勝てるような面白い本やアニメを教えて下さい。
「本読もう!」
2.すげーっ本っておもしれーー
3.「海辺のカフカ」すげーー!こういう考えがあるんだ!!
4.(その後、「IQ84」、「色彩を持たない多崎つくると、 彼の巡礼の年」読み、ハルキストとして思想を享受し、神格化する)
6.「限りなく透明に近いブルー」読了。えぇと、ふーん。
7.「トパーズ」ああ、えぇと、ふーん。
8.「五分後の世界」おぉおおおおお!すげーー!
9.(あ、でも、暴力とか薬とか、ちょっとついていけんわ・・・)
11.「オーデュボンの祈り」読了。なんか春樹っぽいかも!おもしれー!
13.(その後、「アヒルと鴨のコインロッカー」、「ゴールデンスランバー」読み、映画もことごとく制覇していく)
15.「辻村深月」って話題だな、読もう! ※平積みされている=話題
16.「冷たい校舎の時は止まる」ふーん
18.「スロウハイツの神様」へー。
19.「V.T.R.」うわー!あのチヨダコーキだ!!これってぜってー春樹じゃね?!マジ最高!
21.「森見登美彦」ってツウが読んでるっぽいぞ、よし!
22.「太陽の塔」やべー・・・俺のこと書かれてるみたいだ・・・
23.「夜は短し歩けよ乙女」ふーん
24.(とりあえず読んだ!)
25.「万城目学」って話題なんだ、これも読もう! ※平積みされている=話題
27.「かのこちゃんとマドレーヌ夫人」ふふん。こういうのが良いんだよ。分かってないな、みんな。
28.ったく、、、知らなかったぜ、こんなに本が面白いなんて。
私は子供のころ友達が全然おらず、やることもないし寂しかったのでいつも本を読んでいた。
本は面白くてそういうことを紛らわす役にはたつのだが、あまりに面白い本だとその世界に没入してしまって、しばらく戻ってこられないことがある。
するとかえってつらい。主に物語の本のはなしだが、終わってしまうのが悲しいのだ。
いい話ならまた最初から物語を読んだらいいじゃないという意見があるかもしれない。
そんなことすると、既に物語が終わってしまったと感じてしまい逆につらい。
どんな昔に出た本でも、最初に読んだときは自分にとってはリアルタイムだけど、二度目は振り返ってるだけなのだ。
子供のころ好きで告白できなかった人の写真とか見返したら、あの時代はもう二度と戻ってこないんだああああとなってつらいだろう。
それと同じである。
好きなんだけど、もう会えないから思い出したくないみたいな。
続きを読みたい。
こういうつらい感情は本に限らず映画とかよくできた物語になら何でも発生し得る。
いいコンテンツほど後がつらいので、最近はもうあんまり本も読まなくなってしまった。
androidアプリとかwebアプリづくり。
だから、本は人とのコミュニケーションの代わりというか、コミュニケーションをモノに閉じ込めたようなものだったのだ。
プログラミングも私にとっては人とのコミュニケーションの代わりになっていると思う。
これのいいところは、他人の作ったもの(プログラミング言語)を読み解いているようでもあり、創作的な活動でもあるということだ。
プログラミング言語なんて、わかったと思ったころに仕様が変わった次のがでるし、ソフトウェアのアイディアも際限がない。
しかも、つくったソフトウェアを公開すれば、それを介した人とのコミュニケーションもできるかもしれない。
すばらしい。
すばらしいなあ。
追記1
じゃあ私は本を書いてもよかったのかな。
でも本を書くって自分との対話という感じがして寂しいなあ。
追記2
プログラミング言語を言語学的に研究した論文を昔いくつか見つけた。
こういう何かモノなどをかいした適度に隔てられたコミュニケーションについて考えてみるのは面白い。
コミュニケーションは言葉なり身振りなり本質的に何かを介したものというはなしもあるなあ。
追記3
最近こうやって思ったことを書くことをはじめた。
すごく落ち着く。
素晴らしい。売文業かくあるべしじゃないか。
とある評論家は多数の媒体で連載している人間で、その業界内の信用も厚い。
講演数が大変に多くて全国を飛び回っているのに、各種媒体に多くの連載を抱えている。
なぜそれが可能なのか?
俺は彼のバイタリティーのせいだと思っていたが、実はそうじゃない。
事務所に入所して分かった。
彼の執筆方法はパクリだ。
取材活動は一切しない。
ある共通のテーマを扱った他人の書いた面白い本を3冊もってきて(しかも、孫引きの孫引きのようなうっすい入門書のようなもの)、その三冊に共通のテーマで、別々のエピソードがあれば、その部分を指定してパソコンで事務所の人間に手打ちさせる。
あるいはスキャナーをつかって読み込ませる。
行間を2行ほど開けた生原稿にして持ってこさせて、赤ペンで、加筆。
文末表現は徹底的に変え(その作業で30分)、エピソードの順番を変える(ここまでで15分)。
それを事務所の人間に命じて、文字に起こさせるのだ。
最後に、適当な偉人の言葉を結論部分にくっつけて(これもタネ本があって、ある部分に付箋をつけて「この人のこの言葉をここに入力してね」と指定されるのだ)、いっちょ上がり。
簡単なものさ。
彼がすべての工程を終えるのに正味2時間かからない。
マスコミ出る評論家は、有名になるまでが大変だが、いったん有名になれば、後は引退まで生き残るのはそうそう大変なことじゃない。
こんな奴らに騙されていた自分が嫌だね。
マスコミ御用達の評論家の発言が糞なのは、やっていることが糞だから。
そして日本には健全なマスコミは育たず、日本の文化はいつまでも後進国のままだ。
腸が、煮えくり返る。