はてなキーワード: 震災とは
そういう人は震災直後は「大麻は放射能被害にも効く」みたいな事言ってたので、葉っぱ吸えれば何でもいいんだと思う。
「嗜好品の大麻ではなく医療大麻です!」とか言う人も、何だかんだ理由付けて保険で大麻を摂取したい人が多くてウンザリだし、信用出来ない。
ガン患者などに日本でもオピオイドが処方されるようになっているが、医療目的と偽って処方する事は難しいらしく、殆ど封じ込めている。アメリカのように大量の死亡者を含む中毒患者を出した国とは事情が違う。なんで、ダメな方の真似をしなきゃならないんだ?
山田は震災後にポッと出てきたどこの馬の骨とも分からん胡散臭い奴だろ
出た出た
くっさw
・表現規制反対を自分達の専売特許にしたかったのにショバを荒らしたのが気にくわない
・自分達より遙かに漫画・ゲームの消費者層から支持や信頼を集めてるのが気にくわない
けどしゃあないやん
オタクコンテンツの為に戦うことを「エロ関係」と言って侮蔑するんだからオタクの信頼受けるわけねーじゃんか
自分達以外の表現規制反対派を敵視して罵る時点で理念ではなく利権ていうのもバレバレだし
保坂が支持受けないのもそういうところだろ
・オタクを集めておいて本来の目的は「報道規制反対」などの別のイシューであり単に利用だけする気満々
・無能なのにこのような策謀を弄し、見破られて上手く行かないと発狂して「豚」などと罵り泣き喚く
ワンイシューでアピールして当選して、当選したら最初に言ったとおり約束の案件に全力投球
ただこれだけ
支持されなかったサヨの人達はその程度の愚直な誠実さも無いということ
策謀で人を動かすほどの知能もないのに誠実さも全くない
3月11日が来るたびに思い出す
パワハラとセクハラのセパ両リーグって職場で最後は寮も追い出されて泣きながら大荷物持って新幹線で大阪に帰った途端の震災
会社も寮も流されてガレキの山になっててそれを見たら涙とうめき声が出た
そりゃクソいじめられてて何度もトイレで泣いたけどこんなのひどすぎると思ったら涙が噴き出た
親は黙って背中をさすってくれてた
正直まだ立ち直れてない
一回が津波に浸かって使い物にならない家でも半壊判定で仮設住宅つかえず。自分でなんとかしろよーって放り出される。当然ナマポも無理だろうね。こんな人が東日本大震災のあとたくさん出てきた。中には自殺する人も。これから東南海、首都直下、そしてもう一度東北で大きな地震が予見されてるが、まあ金のないやつは津波から逃れても死ぬだろう。自己責任社会バンザイだね。
自宅で長く激しい揺れを体感し、すごい地震だったな、震源地は関東のどの辺だろうとTVをつけると、何と「東北」とでかでかとテロップで映し出されていた。
私の実家は福島県にある。慌てて親に電話を入れるも当然ながら全く繋がらず、連絡が取れたのは結局地震から3日が経ってからだった。
その後も色々と大変なことは大変だったが、家自体は津波による被害はなく、近しい親族も友人も全員無事だったので周囲に比べれば幸運な方だと思う。
それでも、震災(と原発事故)は地元を一変させてしまった。避難によって子どもは減ったし、親戚の家は立入禁止区域になった。畑には除染後の除去土壌が山のように積まれている。線路がないので帰省に使っていたスーパーひたちも走らなくなった。
こうした体験を経て、私はぼんやりと何か地元の役に立つことがしたいと思うようになった。
進学したはいいものの特にやりたいこともなく、将来を決めあぐねていた自分にとって、地元貢献というのは耳障りがよかったのだと思う。浅はかにもほどがある。
折しも研究室配属の時期であり、ちょうど震災復興支援に関連する研究を開始した研究室があったことから、迷わずそこを希望して卒業まで研究に打ち込んだ。
就職先も当然、研究テーマと似たようなことをやっているところにするつもりだった。
しかし就活を始めてほどなく気づく。ないんだよね。復興支援だけをやってる民間企業なんか。
ほとんどはメインでやってる事業があって、そのノウハウが復興支援にも使えそうだからやってみているだけ。当たり前だけどそんなんばっか。
で、面接で御社の復興支援事業に興味があって~と言うと必ず聞かれるのがこれ。
「それはあくまで弊社の多岐にわたる事業のひとつであって、君の希望するところと違う部署に配属される可能性も十分ある。それでも頑張れますか?」
気づいた時点で就職をやめて、博士課程に進んでテーマを究めばよかったんだけど、残念ながら私にはその度胸がなかった。
金がない。科研費はもらえるかどうかも分からない。博士修了後は行く先がなくてワープアまっしぐらかもしれない。
そもそも博士になれるだけの力が自分にあるのかどうかも自信がない。
研究室にポスドクがいてその悲惨な状況を目にしていただけに、勇気が出なかった。
結局前述の質問には「はい!いつか希望部署に行けるまで地道に経験を積んで頑張ります!」とかなんとか無難な答えをしてメーカーに就職を決めたわけだが、予想通り配属先は全く関係のない部署だった。
そして就職して数年。異動の気配、全くない。
修士卒の女の二十代は短い。この数年の間に結婚して、子どもも産んだ。
やりたいことをやれる会社に転職しようと思っても、子持ち女(時短勤務、出張不可)を採用してくれるところは少ないだろう。
これから子どもの教育費はかかるし家も買う。今さら大学に出戻って博士課程をやるのも難しい。
幸か不幸かうちの会社は福利厚生が手厚くて給料も良く、働くこと自体に関しては何の不満もない。
ただこんなはずでは…という気持ちをずっと抱えている。
書いていて過去の自分の思い至らなさを認識して恥ずかしいけれど、全く地元に貢献できないままに8年も経ってしまったというモヤモヤを吐き出したかった。
Twitterで何度かバズってるのを見たことがあるけど、福島県産のものは危険!!⇒美味しすぎて危険!っていうのが嫌い。
でもこれ言うと絶対放射脳っていわれる上に、安心をうたってる人はこっちの不安とか意見とか受け入れる気ゼロだよね。
まあ福島県産のもの危険って言ってる人が安全っていうのを受け入れないのと一緒だと思う。どっちもどっち。
福島県産のものは危険ってわけじゃないんだろうけど、なんか不安だから実際に選ぶ段階になったら何となく避けるって感じだな。
値段が同じ中国産と日本産のものがあったら日本産を選ぶように。
多分、これからも一生そうしていくと思う、一生福島県産のもの食べなくても死なないし、わざわざ検査基準とか調べてまで食べたいものもない。
外食とかでうっかり福島県産のものを食べていても、ちょっと嫌な気分になるだけで多分何もしない。
じゃあ、何がわかれば安心するの?って聞かれてもたぶん何を知っても安心しないと思う。
そもそも放射線量やがん患者の増加量を数値化することはできても、安心安全なんて主観的なものを証明するのは無理。
日本全土の福島県以外の土地が放射性物質まみれになったらみんなして福島県産のものを安全安全言いながら食べると思う。
震災直後の杜撰な対応とかいまだに福島で立ち入り禁止になってる地域があるとか、原発をほったらかしにしてるところが何となくの不安の原因なんだと思う。
結局、福島県産のものわざわざ選ばないし、調べもしないし、表立った批判もしない、けど何となく安心はしないってところにとどまり続けると思う。
月100万以上。
連日の満室。
それに目を付けた経営コンサルタントから施設拡張を提案されて、それに乗っかって借金が増えたと。
今では閑古鳥が鳴いている。
赤字経営。
とても返済できない。
震災後から経営に行き詰まり、家族の保険金数千万を突っ込んだけど、もう限界。
起死回生の新製品を考えたようだが、それがポシャればもう最後。
見ているコチラにも絶望感が伝わってくる。
まじかぁ…
はぁ
つれぇ
見ているコチラがこれだけ辛いのだから、本人たちはどれだけの絶望感なんだろうか。
どうするのが正解なんや
当時振りかえってみるとみんな相当混乱してたな
幸い被災地で略奪が頻発してるなんてデマはもうでなくなったけど
今でも注意拡散ためならデマも正当化されるなんてこという輩いるな?あれなんなの?
https://togetter.com/li/1324822
こういう情報を拡散することで、最近の下記のような被害がどれだけ防げるというんだろう
https://bunshun.jp/articles/-/11006?page=1
こういう風潮続く限り、またデマが出かねないのでしつこく語り続けていく必要があると思う。
東日本大震災では、日常より際立って犯罪率が上昇することはなかった。
これもう決着ついたよね?
https://buzzap.jp/news/20181217-sell-nuke-plant-to-uk5/
再生可能エネルギーの方が割安になった今、ほぼ原発に頼る必要はなくなったわけだ
https://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201901/CK2019010502000124.html
当時は震源地からは離れたところに住んでいて、揺れも小さいものだった。
しかし、「地震怖いね」なんて言いながら帰った家で見たニュースは衝撃的だった。
忘れたくても忘れられない、私が経験した中で一番ショッキングで大きな出来事だ。
しかし、それからもう8年も経ったらしい。いや、まだ8年というべきだろうか。
確か、Yahoo!はすぐに震災義援金を募り、自らも支援していた気がする。
そして今も、各「3.11」検索ごとに10円募金する、という取り組みを行っている。
各著名人がこぞってSNSでこれをシェアしているのをよく見かける。YouTuberが多い気がするのは偏見だろうか。
「もちろん私も検索しました。震災で亡くなった方々のご冥福をお祈りします。」
私はこれに違和感を覚える。
確かに今私たちがすぐできることは、検索することなのかもしれない。
たかが10円、されど10円。1万人が検索すれば10万円になる。
それが復興のために役立たれるならそんなに嬉しいことはない。
いやでも待ってよ。
それは、わたしが払った10円ではなく、Yahoo!が払った10円じゃん。
え、なんでそれで「今年も募金した!」って言えるの?
確かに8年経っても震災を風化させず、まだ義援金が必要な現実に目を向け、1人でも多くの若者の意識を変えることは立派だ。
ヒカキンさんとか、これに限らず多様な支援方法を昔シェアしてたしね。
いやでもそんなに「ご冥福をお祈り」するなら自分の財布から出せばいいのに。
YouTuber、金稼いでんなら(実際は募金してると思うけど)自分の財布から出せばいいのに。
間違ってない。でもこれで褒められるのはYahoo!のみだよ、Yahoo!が応援してるんだもん。
応援してるYahoo!を応援してる立場で、応援した気になってるの不思議。
Yahoo!の財布に頼って支援したって胸を張ってるのが謎だなって思い投稿しました。
ごめんなさい。
駅から家までの帰り道が、人1人がやっと通れるような細い道なんだけど
先日いつものようにその道を歩いてたら、前に人が歩いてる。歩きスマホしながら耳にはイヤホン。超スローペースでトロトロと。
前述したようにそこは細い道。そいつを追い越そうにも追い越せないほどの道幅。
イヤホンしてるし私の足音も聞こえないだろうから自然に追い越す術はほぼない。
あーイライラする。ちょっとは隅の方を歩くという配慮はないのか。イヤホン引っこ抜いて「邪魔ですよ!」と怒鳴ってやろうか。こんなやついなくなればいいのに。
などと心の中で散々な悪態をついてたら、右手にある横断歩道の前でその人が止まった。右に曲がるようだ。
私はこのまま真っ直ぐ進むから、ここでやっとウザいこいつから逃れられる。やっと普通に歩ける。と小さく喜びそのまま真っ直ぐ歩いてたら
さっき前をトロトロ歩いてた人が横断歩道の真ん中で座り込むような形になってる。その前には車。車の運転手が慌てて駆け寄る。
え。嘘でしょ。さっき前を歩いてたあの人、車に轢かれたの……?
その瞬間を目撃したであろう人、数人がその場に駆け寄って周りを囲み始めたから状況がよく掴めない。轢かれたの?轢かれそうになったの?どっち?
そこに私も駆け寄るべきか、いやあれだけ人がいるんだから私は必要ないはず。何より轢かれたかどうかもよく分からないし……。
様々な「その場に行かなくていい」言い訳を並べて私は帰路を急いだ。いや、逃げた。
家までの道中、あの光景を私は反芻する。私があの人に散々な呪詛を吐いたのが具現化してあの人の身に降りかかったのではないか。
私は8年ほど前の2月中旬、狂おしいほど好きだった彼氏(と思っていた人)に今まで生きてきた中で一番酷いふられ方をされた。
「お前となんか付き合ってねーよ。ブスが調子に乗るな。ちゃんと本命がいるわ」と最後に言われた。半同棲までしていた。親にも紹介するつもりだった。
あんな奴本当に本当にしねばいいとその後何度も何度も思って泣いた。
元彼の誕生日が3月11日で、その日は某所を貸し切って誕生日パーティーをすると以前から言っていた。
当然その場に参加できない私は、ただひたすらそんなパーティー中止になれ。きっと本命の彼女とやらも来るんだろう。その店潰れないかななどと本気で思っていた。
そしたら当日あの震災。東京もあの日は大変だった。誕生日パーティーは中止になったと元彼のツイで知った。
私はこわくなった。私の思いが、あの醜い元彼への呪詛が、執念が、具現化してこんな事になったのではないか。
でも私個人の私的な事情であんな事が起こったと考えるのは余りにも尊大で傲慢で下劣だ。何よりそう思う事は被害に遭った人に余りにも失礼だ。失礼なんてもんじゃない。冒涜だ。
世界が私を中心に回ってるようなそんな考えはやめよう。単なる偶然だ。その時はそう思った。思おうとした。
私は心の中だけは絶対に自由であるべきだと考えている。どれだけ酷い事を思ってもどれだけ酷い事を考えても心の中だけは完全に自由だ。誰にも邪魔なんてさせない。
でもその自由を謳歌する担保として、その酷い事は絶対に誰にも口外してはならない。そう誓っていた。
でも心の中に納めていた残酷な思いは、元彼の時のように、今回の前を歩いていたあの人のように、このような形で具現化する気がしてしまう。
単なる偶然だよ。呪詛なんてこれ以外にも何度も何度も吐いてきたじゃないか。でもそれは何も起こさない単なる呪詛で終わっていったじゃないか。
バカバカしい。それより被害に遭った人の心配でもしろよ。と自分に言い聞かせるも、
それでも私の心の中で唱え続ける呪いは時に具現化してしまうかもしれないという怖さを薄っすら自覚してしまった気がして妙にザワザワする。
もう心の中でさえも自由ではなくなった気がする。誰も呪わず、心の中までも清くなければ私は人を不幸にしてしまうかもしれない。
私が呪ってしまったあの人がどうか無事でありますように。あの場から逃げた私に、あの人に呪詛を投げた私にこんな事言う資格はないのだけど。