2019-03-08

呪いが具現化する

から家までの帰り道が、人1人がやっと通れるような細い道なんだけど

先日いつものようにその道を歩いてたら、前に人が歩いてる歩きスマホしながら耳にはイヤホン。超スローペースでトロトロと。

前述したようにそこは細い道。そいつを追い越そうにも追い越せないほどの道幅。

イヤホンしてるし私の足音も聞こえないだろうから自然に追い越す術はほぼない。

あーイライラする。ちょっとは隅の方を歩くという配慮はないのか。イヤホン引っこ抜いて「邪魔ですよ!」と怒鳴ってやろうか。こんなやついなくなればいいのに。

などと心の中で散々な悪態をついてたら、右手にある横断歩道の前でその人が止まった。右に曲がるようだ。

私はこのまま真っ直ぐ進むから、ここでやっとウザいこいつから逃れられる。やっと普通に歩ける。と小さく喜びそのまま真っ直ぐ歩いてたら

後ろからキー!」という大きな音が。何かと思って見てみたら

さっき前をトロトロ歩いてた人が横断歩道の真ん中で座り込むような形になってる。その前には車。車の運転手が慌てて駆け寄る。

え。嘘でしょ。さっき前を歩いてたあの人、車に轢かれたの……?

その瞬間を目撃したであろう人、数人がその場に駆け寄って周りを囲み始めたから状況がよく掴めない。轢かれたの?轢かれそうになったの?どっち?

そこに私も駆け寄るべきか、いやあれだけ人がいるんだから私は必要ないはず。何より轢かれたかどうかもよく分からないし……。

様々な「その場に行かなくていい」言い訳を並べて私は帰路を急いだ。いや、逃げた。

家までの道中、あの光景を私は反芻する。私があの人に散々な呪詛を吐いたのが具現化してあの人の身に降りかかったのではないか



私は8年ほど前の2月中旬、狂おしいほど好きだった彼氏(と思っていた人)に今まで生きてきた中で一番酷いふられ方をされた。

「お前となんか付き合ってねーよ。ブスが調子に乗るな。ちゃん本命がいるわ」と最後に言われた。半同棲までしていた。親にも紹介するつもりだった。

あんな奴本当に本当にしねばいいとその後何度も何度も思って泣いた。

元彼誕生日3月11日で、その日は某所を貸し切って誕生日パーティーをすると以前から言っていた。

当然その場に参加できない私は、ただひたすらそんなパーティー中止になれ。きっと本命彼女とやらも来るんだろう。その店潰れないかななどと本気で思っていた。

そしたら当日あの震災東京あの日は大変だった。誕生日パーティーは中止になったと元彼のツイで知った。

私はこわくなった。私の思いが、あの醜い元彼への呪詛が、執念が、具現化してこんな事になったのではないか

でも私個人私的事情あんな事が起こったと考えるのは余りにも尊大傲慢下劣だ。何よりそう思う事は被害に遭った人に余りにも失礼だ。失礼なんてもんじゃない。冒涜だ。

世界が私を中心に回ってるようなそんな考えはやめよう。単なる偶然だ。その時はそう思った。思おうとした。



私は心の中だけは絶対自由であるべきだと考えている。どれだけ酷い事を思ってもどれだけ酷い事を考えても心の中だけは完全に自由だ。誰にも邪魔なんてさせない。

でもその自由謳歌する担保として、その酷い事は絶対に誰にも口外してはならない。そう誓っていた。

でも心の中に納めていた残酷な思いは、元彼の時のように、今回の前を歩いていたあの人のように、このような形で具現化する気がしてしまう。

単なる偶然だよ。呪詛なんてこれ以外にも何度も何度も吐いてきたじゃないか。でもそれは何も起こさない単なる呪詛で終わっていったじゃないか

バカバカしい。それより被害に遭った人の心配でもしろよ。と自分に言い聞かせるも、

それでも私の心の中で唱え続ける呪いは時に具現化してしまうかもしれないという怖さを薄っすら自覚してしまった気がして妙にザワザワする。

もう心の中でさえも自由ではなくなった気がする。誰も呪わず、心の中までも清くなければ私は人を不幸にしてしまうかもしれない。



私が呪ってしまったあの人がどうか無事でありますように。あの場から逃げた私に、あの人に呪詛を投げた私にこんな事言う資格はないのだけど。

  • 出会ったほとんどの人に呪詛吐いてる可能性も

  • 言葉に出さなければ多分大丈夫 言葉に出したらその言葉はかなりの確率で実現する お金がないと言ったらお金がなくなるし、いつとはいわんが死ねと言ったら死ぬ

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